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国葬への疑義に加え、民意に向き合おうとしない岸田政権、自民党への危惧も~地方紙で続く疑念、懸念の社説掲載

 安倍晋三元首相の国葬に対して、地方紙を中心に社説、論説の掲載が続いています。ネット上の各紙のサイトでわたしが目にする限り、7月17日付以降は強い疑念と懸念を示す内容ばかりです。岸田文雄首相が記者会見で「国葬」を明らかにしたのは14日。この間、自民党の茂木敏充幹事長が19日の記者会見で「国民から『国葬はいかがなものか』との指摘があるとは、私は認識していない」と言い放つ、という出来事もありました。ここに来て、国葬そのものへの疑義に加えて、民意に向き合おうとせずに強行しようとする岸田政権と与党自民党への危惧も高まっているように感じます。
 安倍元首相の国葬に「反対」を明記した社説は琉球新報(17日付)だけですが、「納得できない」「再考を求める」などの表現で事実上、国葬の撤回を求めていると読み取ることができる社説、論説もあります(信濃毎日新聞、京都新聞、神戸新聞、沖縄タイムス)。中日新聞・東京新聞(20日付)は「安倍氏が民主主義の根幹である選挙運動中に銃撃され死亡した経緯を考えれば、自民党こそが葬儀の主催者となるべきだ。それが政党政治の常道ではないのか」と指摘しています。

 以下にあらためて、国葬に対して反対ないし強い疑念と懸念を表明している各紙の社説、論説を紹介します。見出しだけでも、主張の内容は容易に分かると思います。ネット上で全文が読めるものは、内容の一部を書きとめておきます。

【7月21日付】
■北日本新聞「安倍元首相の国葬/弔意を強制せぬように」
■徳島新聞「安倍氏の『国葬』 異例の決定に疑問拭えぬ」
■高知新聞「【安倍氏の国葬】国民の納得へ説明足りぬ」
 https://www.kochinews.co.jp/article/detail/580209

 なぜ安倍氏は国葬なのか。法の根拠がなく、国民全体の合意や納得感も十分でないとすれば、岸田首相はなお説明を尽くす必要がある。
(中略)
自民党の茂木敏充幹事長は、国葬に反対する一部野党に対し「国民から、いかがなものかとの指摘があるとは認識していない。国民の声とはかなりずれている」と述べた。
 果たしてそうだろうか。国葬に理解を示す野党にも、「賛成する人ばかりではない」との声がある。聞く耳を持たず、異論を聞こうとしないのであれば、ここにも巨大与党のおごりが表れてはいないか。
 野党は国会での閉会中審査の開催を求めている。岸田首相には国葬の意義や基準を丁寧に説明し、国民の納得を得る責任がある。

■南日本新聞「[安倍元首相国葬] 根拠を明確にすべきだ」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=159887

 岸田文雄首相は14日の記者会見で国葬実施の理由に、経済再生や日米外交など安倍氏の「実績」を挙げた上で「わが国が暴力に屈せず、民主主義を守り抜く決意を示す」と強調した。
 ただ、吉田氏の死去は辞任から10年以上経過していた。安倍氏は首相在任期間が歴代最長だった一方、「安倍1強」といわれた政権運営や森友・加計学園、「桜を見る会」を巡る問題での批判は少なくなく、評価が定まるにはしばらく時間を要するだろう。それでも早々に国葬と決めたのはなぜか。
 さらに、国葬によって安倍政治の功罪を検証することさえ、はばかられる空気が生まれることを懸念する声も聞かれる。政府には合同葬ではなく国葬とした根拠を明確にしてもらいたい。

【7月20日付】
■朝日新聞「安倍氏を悼む 『国葬』に疑問と懸念」
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S15362160.html

 在任期間は憲政史上最長となったが、安倍元首相の業績には賛否両論がある。極めて異例の「国葬」という形式が、かえって社会の溝を広げ、政治指導者に対する冷静な評価を妨げはしないか。岸田首相のこれまでの説明からは、そんな危惧を抱かざるをえない。
(中略)
 今回の国葬には、共産党、れいわ新選組、社民党が反対を表明し、立憲民主党は閉会中審査での説明を求めるとしている。こうした異論も予想された中、首相は早々に方針を打ち出した。安倍氏を支持してきた党内外の保守勢力への配慮だとしたら、幅広い国民の理解からは遠ざかるだけだ。

■神奈川新聞「安倍元首相の国葬 『異例』説明が不可欠だ」
■中日新聞・東京新聞「安倍氏『国葬』 国民の分断を懸念する」
 https://www.chunichi.co.jp/article/511262

 政府は、参院選の応援演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の国葬を今秋に行う方針だ。だが、反対論もある中で、なぜ国葬なのか、岸田文雄首相が説明を尽くしたとは言い難い。安倍氏の葬儀を巡って、国民の分断がさらに深まらないか懸念する。
 (中略)
 五十五年ぶりの国葬には、自民党保守派への配慮という岸田首相の政治判断があったのだろう。
 しかし、通算八年八カ月にわたる安倍政権には評価の一方、根強い批判があることも事実だ。
 安倍氏は歴代内閣が堅持した憲法解釈を変更して「集団的自衛権の行使」を一転容認。森友・加計学園や桜を見る会を巡る問題では権力の私物化も指摘された。
 費用の全額を税金で賄う国葬への反対意見が出るのは当然だ。
 安倍氏が民主主義の根幹である選挙運動中に銃撃され死亡した経緯を考えれば、自民党こそが葬儀の主催者となるべきだ。それが政党政治の常道ではないのか。

■神戸新聞「安倍氏の国葬/国民への説明が不十分だ」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202207/0015485321.shtml 

 岸田首相は「民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と国葬の意義を強調した。だが、安倍氏が民主主義を象徴する政治家だったと考える国民ばかりではないだろう。国葬は違和感を覚える人々の反発を招き、国民の分断を深める恐れがある。
 法的根拠も国民的合意も曖昧なまま、国葬を党内基盤の安定や憲法改正などの推進力に利用する思惑があるとすれば、それこそ民主主義とは相いれない。事件の背景も不明な部分が多く、性急な決定は疑問だ。
 最近では、2020年の中曽根康弘氏の「内閣・自民党合同葬」に、政府が総費用のほぼ半分に当たる約9600万円を支出し、異論が出た。今回の全額国費負担が妥当なのか、国会の閉会中審査などで議論する必要がある。
 何より弔意は国が求めたり、強要したりするものではない。政府は国葬にこだわらず、政治的な立場の違いを超えて元首相への哀悼を静かに表明できる場を再考すべきだ。

【7月19日付】
■中国新聞「安倍元首相の『国葬』 決定の理由、説明足りぬ」
 https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/189998

 そもそも国葬にする法的根拠が曖昧だ。戦前は、皇族や「国家に偉功ある者」など対象者を定めた「国葬令」があったものの、戦後廃止された。今は、国葬の対象者や実施要領を明文化した法令は存在しない。
 岸田首相は、国の儀式を所掌するとした内閣府設置法があり、閣議決定により国葬は可能だと説明する。しかし国葬にする基準もないのに、行政府だけの判断でいいのか、疑問だ。
 吉田氏の国葬も閣議決定で決めている。その際も内閣の権限だけで決めたことが国会で批判された。にもかかわらず再び閣議決定だけで済ませるのは国会軽視と言わざるを得ない。国権の最高機関である国会の意見もしっかり聞くべきである。

【7月18日付】
■愛媛新聞「安倍元首相国葬 一人一人の思い尊重する配慮を」

【7月17日付】
■熊本日日新聞「安倍氏『国葬』 特例でもルールは必要だ」
■沖縄タイムス:7月17日付「[安倍氏の国葬]異例の扱い 疑問が残る」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/992870

 国論を二分した安倍氏の政策は評価が定まっているとは言えない。なぜ国葬なのか。政府は追悼の在り方を再考すべきだ。
 とりわけ沖縄において安倍氏への評価は厳しい。
 安倍氏は、サンフランシスコ講和条約の発効日を「主権回復の日」として首相在任中の2013年、初めて政府主催で式典を開催した。
 沖縄は講和条約で米国の施政権下に置かれることになった。発効の日は「屈辱の日」と呼ばれ、式典開催については世論調査で県民の7割が「評価しない」と回答した中での強行だった。辺野古の新基地建設をはじめ、こと沖縄政策に対しては強硬姿勢が目立つ政治家でもあった。
 戦後唯一、国葬で送られた吉田氏について、当時の佐藤首相は追悼の辞で「戦後史上最大の不滅の功績」として講和条約の締結を挙げた。
 吉田氏に続いて安倍氏が国葬で送られることに対し、県民からは反発の声が上がっているが当然だ。
 (中略)
 憲法は「内心の自由」を定めている。喪に服すも、服さないも個人の自由である。政府はそのことを重んじるべきだ。

【7月16日付】
■北海道新聞「安倍氏『国葬』 幅広い理解得られるか」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/706435

 非業の死を殊更に強調して、国を挙げて功績ばかりを称賛するような葬儀に、国民の幅広い理解が得られているだろうか。
 国葬でなくとも、弔意と暴力を許さぬ決意を示すことはできる。国民の税金を投じるのなら、国会でその妥当性を議論すべきだ。

■信濃毎日新聞「安倍氏国葬に 特例扱いは納得がいかぬ」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022071600106

 安倍氏急死の衝撃が冷めやらない。一部の野党は国葬に反対する談話を出したものの、「静かに見守りたい」「賛成する人ばかりではない」と、はっきりした見解を示せていない党も目立つ。
 国葬になれば海外から多くの要人が訪れる。外交の場として、あるいは自民党内を掌握する機会として、現政権に「追悼の空気」を利用する意図はないか。
 コロナ禍に加え、物価高が国民の暮らしを圧迫している。窮状を尻目に、政権の意向を優先すれば政治との溝は深まる。賛否を巡り社会の分断も生じかねない。
 なぜ、慣例を破って国葬にしなくてはならないのか。岸田首相の説明では納得がいかない。

■新潟日報「安倍元首相『国葬』 納得のいく説明が必要だ」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/87280

 岸田首相が国葬の決断をしたのは、自民党役員会で「国葬にしたらどうか」との意見が複数上がったのを受けてのことだとされる。党幹部と方向性を確認し、安倍氏の妻・昭恵さんに電話で伝えて了承を取ったという。
 安倍氏は党内最大派閥を率い、保守層の支持も厚かった。岸田首相には、国葬にすることで党内対立を避ける狙いもあるのではないか。政治的な意図が透ける。
 安倍氏が志半ばで凶弾に倒れたことに、多くの国民は衝撃を受け、深い悲しみを抱いていることは事実だろう。
 一方で、国葬とすることにより懸念される点もある。安倍氏の負の側面に向き合わず、ふたをしてしまうことにつながらないか。
 言論の自由と民主主義を守る意義をもう一度確認したい。

■京都新聞「安倍氏の国葬 法の根拠がなく疑問だ」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/837989

 国民の賛否は分かれるのではないか。岸田文雄首相は、参院選の街頭演説中に銃撃されて死去した安倍晋三元首相の「国葬」を今秋に行う方針を発表した。
 国葬は法的根拠がなく、費用は全額が公費負担となる。首相経験者では1967年の吉田茂元首相以来、実施されていない。
 岸田氏は「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と強調したが、事件の衝撃とは切り離して冷静に判断せねばならない。安倍氏に国民の同情が集まる一方、政権運営を巡っては評価だけでなく批判も根強い。
 ムードに乗じて岸田氏の判断で決めていいのか。政治利用ともみえるだけに疑問と危うさを禁じ得ない。再考を求めたい。

■琉球新報「安倍元首相『国葬』 内心の自由に抵触する」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1550385.html

 岸田文雄首相が、街頭演説中に銃撃を受けて死去した安倍晋三元首相の「国葬」を9月に実施すると発表した。史上最長の在任期間、国際社会からの高い評価、国内外から追悼の意が寄せられていることを理由として挙げたが、全く納得できない。憲法が保障する内心の自由に抵触する国葬には反対する。
 (中略)
 安倍元首相の功績の評価も疑問だ。在任期間の長さは功績といえるのか。米国と軍事的一体化を進めたことを米政府関係者が高く評価するのは当然だが、国内には根強い批判がある。誰もが認めるような外交成果はあるだろうか。
 沖縄の立場からはさらに厳しい評価をせざるを得ない。安倍元首相は、沖縄の民意を踏みにじりながら辺野古新基地建設を力ずくで進めてきた。地位協定見直し要求も無視し続けた。「台湾有事は日本有事」などの発言は、沖縄を再び戦場にしようとするものとして批判された。
 岸田首相は「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」とも述べた。しかし安倍元首相は民主主義を空洞化させた。安全保障関連法などで強行採決を重ね、森友・加計問題、桜を見る会問題では、長期政権のおごり、権力の私物化と批判された。国会でうその答弁を積み重ね、公文書改ざんなどを引き起こした。数々の疑惑に口を閉ざしたままだった。
 銃撃は民主主義への挑戦であり、今求められることは民主主義の精神を守ることだ。「国葬令」が失効した歴史をかみしめるべきである。

※参考過去記事

 国葬を積極的に支持しているのは産経新聞(14日付)、容認しているのは毎日新聞、読売新聞、西日本新聞(いずれも16日付)です。

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