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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「国葬」の決定強行は「法治」の逸脱~安倍・菅政治の負の遺産の根深さを感じる

 岸田文雄首相は、殺害された安倍晋三元首相の国葬を9月27日に行うことを、7月22日の閣議で決めると報じられています。このブログの一つ前の記事でも書いたように、国家としての葬送だから全額を国費で、ということは、主権者の国民すべてがその費用を分担することを意味します。政府が「必ず喪に服してください」などと言おうが言うまいが、すべての日本国民が費用を分担することを強いる意味合いがあります。費用の負担を希望しない人にとっては、服喪の強制に当たります。だから、対象がだれであっても、わたしは国葬そのものに反対です。政治家にどんな風に弔意を示すかは、個人の自由です。弔意を持たない国民がいたとしても、それもまた個人の自由です。
 安倍元首相の国葬に野党からも反対が出ていることを考慮すれば、先例にならった内閣と自民党の合同葬でもなく、自民党葬として、自民党の党費で執り行えば済むことです。それが政党政治の本来の姿だと思います。
 国葬は法律に規定がありません。しかし、岸田文雄首相は国会での説明もないままに閣議決定を急ぐようです。法に規定がないことであっても時の政権の政治判断でどうにでもなるとなれば「法治」の逸脱です。それは安倍・菅政治の負の遺産を継承することです。少なくとも、国会で何がしかの合意形成が必要だと思います。

 国葬を巡っては、耳を疑うようなニュースもありました。自民党の茂木敏充幹事長が19日に記者会見した際の発言です。

 野党の一部には安倍氏の政治的評価が割れているなどとして、国葬に反対する意見がある。これに対し茂木氏は「国民から『国葬はいかがなものか』との指摘があるとは、私は認識していない」と指摘。「野党の主張は聞かないとわからないが、国民の認識とはかなりずれているのではないか」と反論した。

※毎日新聞「茂木幹事長『国葬反対は国民の認識とずれている』 野党の一部に反論」=2022年7月19日

mainichi.jp

 安倍元首相の国葬に対して、「いかがなものか」どころではなく、反対や強い懐疑を示す新聞の社説、論説が16日付、17日付でいくつも掲載されていることは、このブログの一つ前の記事で紹介した通りです。

news-worker.hatenablog.com

 数で言えば、国葬を支持ないし容認する社説よりも多いのが実態です。容認の社説の中にも「多くの国民の理解を得られる形にすることが望ましい」(毎日新聞)、「岸田首相は多様な国民感情に留意し、国葬の詳細を冷静に議論すべきだ」(西日本新聞)などと、岸田政権にクギを刺すものもあります。
 またNHKが7月16~18日に実施した世論調査では、国葬の方針への評価を尋ねたところ、「評価する」が49%、「評価しない」が38%だったと報じられています。
 ※NHK「岸田内閣『支持』59% 『不支持』21% NHK世論調査」=2022年7月19日
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220719/k10013725571000.html

www3.nhk.or.jp

 「評価する」が過半数に達しない一方で、「評価しない」が4割弱。民意の理解と支持があると言える状況ではありません。
 国民の声や認識と「かなりずれている」のは茂木幹事長です。それでも「国葬はいかがなものかとの指摘があるとは認識していない」と強弁するのであれば、国葬に反対したり懐疑を示したりする者は国民とみなさない、と言っているに等しいことになります。社会の分断をさらに広げたいのでしょうか。安倍・菅政治の負の遺産の根深さを思わずにはいられません。

 安倍元首相の国葬に対する新聞の社説、論説は、18日付以降も反対や懐疑の論調のものが掲載されています。神戸新聞は「政府は国葬にこだわらず、政治的な立場の違いを超えて元首相への哀悼を静かに表明できる場を再考すべきだ」としています。同感です。

【7月19日付】
・中国新聞「安倍元首相の『国葬』 決定の理由、説明足りぬ」
 https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/189998

 そもそも国葬にする法的根拠が曖昧だ。戦前は、皇族や「国家に偉功ある者」など対象者を定めた「国葬令」があったものの、戦後廃止された。今は、国葬の対象者や実施要領を明文化した法令は存在しない。
 岸田首相は、国の儀式を所掌するとした内閣府設置法があり、閣議決定により国葬は可能だと説明する。しかし国葬にする基準もないのに、行政府だけの判断でいいのか、疑問だ。
 吉田氏の国葬も閣議決定で決めている。その際も内閣の権限だけで決めたことが国会で批判された。にもかかわらず再び閣議決定だけで済ませるのは国会軽視と言わざるを得ない。国権の最高機関である国会の意見もしっかり聞くべきである。

【20日付】
・朝日新聞「安倍氏を悼む 『国葬』に疑問と懸念」
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S15362160.html

 在任期間は憲政史上最長となったが、安倍元首相の業績には賛否両論がある。極めて異例の「国葬」という形式が、かえって社会の溝を広げ、政治指導者に対する冷静な評価を妨げはしないか。岸田首相のこれまでの説明からは、そんな危惧を抱かざるをえない。
(中略)
 今回の国葬には、共産党、れいわ新選組、社民党が反対を表明し、立憲民主党は閉会中審査での説明を求めるとしている。こうした異論も予想された中、首相は早々に方針を打ち出した。安倍氏を支持してきた党内外の保守勢力への配慮だとしたら、幅広い国民の理解からは遠ざかるだけだ。

・神戸新聞「安倍氏の国葬/国民への説明が不十分だ」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202207/0015485321.shtml 

 岸田首相は「民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と国葬の意義を強調した。だが、安倍氏が民主主義を象徴する政治家だったと考える国民ばかりではないだろう。国葬は違和感を覚える人々の反発を招き、国民の分断を深める恐れがある。
 法的根拠も国民的合意も曖昧なまま、国葬を党内基盤の安定や憲法改正などの推進力に利用する思惑があるとすれば、それこそ民主主義とは相いれない。事件の背景も不明な部分が多く、性急な決定は疑問だ。
 最近では、2020年の中曽根康弘氏の「内閣・自民党合同葬」に、政府が総費用のほぼ半分に当たる約9600万円を支出し、異論が出た。今回の全額国費負担が妥当なのか、国会の閉会中審査などで議論する必要がある。
 何より弔意は国が求めたり、強要したりするものではない。政府は国葬にこだわらず、政治的な立場の違いを超えて元首相への哀悼を静かに表明できる場を再考すべきだ。