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辺野古新基地への抗議行動に防衛局職員が暴言~市民に向けられる敵意への危惧

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設への抗議運動を巡って、看過できない出来事が報じられているのが目にとまりました。少し時間が経っていますが、書きとめておきます。
 最初に報じたのは6月7日付の琉球新報です。

◎防衛局職員 市民に暴言/本部塩川 新基地抗議行動に向け
 【辺野古問題取材班】辺野古新基地建設への抗議行動が続く本部港塩川地区で6日午後、抗議する市民らに対し沖縄防衛局の非常勤職員が「気違い」と複数回、発言したことを、市民が録音した音声で本紙記者が確認した。沖縄防衛局は事実を認め「抗議者に対する不適切な発言はあってはならない」との認識を示した。現場にいた市民は「何度も言うのでひどいと思った。防衛局の対応としてどうなのか」と憤った。

 ネット上の同紙のサイトでは会員限定コンテンツとなっていて全文は読めませんが、上記のリード部分は読めます。これだけでも、ことの重大さは分かります。 

ryukyushimpo.jp

【写真】琉球新報のサイト

 紙面の記事によると、土砂を積んだダンプカーの前をゆっくり歩く抗議行動をしていた市民3人に、暴言が浴びせられ、その後2分ほど、激しいやり取りがあったとのことです。
 沖縄タイムスも翌7日付紙面の社会面トップで「抗議活動に侮辱発言」の見出しで大きく報じました。同紙の記事によると、本部町の塩川港は、辺野古の海面埋め立てに使う土砂が搬入・搬出されています。
 琉球新報は8日付の社説で、この出来事を取り上げています。同紙のサイトで全文を読むことができます。なぜ見過ごせないのか、ことの本質がよく分かると思います。

※社説「防衛局職員差別発言 市民への侮蔑、根を絶て」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1725011.html

ryukyushimpo.jp

 今回の件を受け、防衛局は「局職員による不適切な発言があったことは遺憾だ。適切な警備活動を行っていくよう指導を徹底し、事実関係を確認の上で適切に対処する」とコメントしている。
 職員を指導するのは当然だが、それだけで済む話ではない。市民を敵視するような空気が組織内に存在しているならば、それを一掃する必要がある。過去の差別発言や行為を含めれば、沖縄防衛局だけの問題とも言えないのだ。
 2016年10月、東村高江の北部訓練場内ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設に反対する市民に対し、大阪府警の機動隊員が「土人」と発言し、大きな問題となった。これも一隊員の暴言、失言では済まない問題を含んでいる。このような発言を助長する組織内の差別意識の存在を疑わざるを得ないからだ。

 今回の沖縄防衛局職員の暴言のニュースを目にして、わたしが思い出したのも大阪府警機動隊員の「土人」発言でした。若い警察官の口からとっさに「土人」という言葉が出た、ということは、ふだんからそういう発想、思考に浸っていたということなのだろうと思います。いかに国策であっても、反対や抗議の意思を示すのは個人の権利であり、市民としての自由です。警察官として、そうした市民的自由を攻撃から守ることはあっても、警察官自身が攻撃的な言辞を用いるところに、問題の深刻さがありました。当該警察官個人の問題ではなく、大阪府警という組織のありようを考えざるを得ませんでした。さらには、もっと大きな日本社会全体の問題なのではないかと考えていました。今も、その考えに変わりはありません。
https://news-worker.hatenablog.com/entry/20161021/1477007581

news-worker.hatenablog.com

 さらに今、思うのは特高警察の拷問で死亡した戦前のプロレタリア作家、小林多喜二のことです。
 昨年6月、多喜二にゆかりが深い北海道の小樽市へ行く機会があり、多喜二の墓を訪ねました。記念館には、デスマスクの複製も展示されていました。見たこと、感じたことを昨年末、このブログにもまとめ、以下のように書きました。

 軍事を優先させる発想は、必ず社会を敵と味方とに二分する方向へと進みます。そうでなければ戦争はできません。たとえ「自衛」であろうとも。仮に敵を批判しない者がいるとして、それは「味方ではない」ということにとどまるかどうか。ゲーリングが喝破したように「平和主義者は愛国心が足りない」とみなされれば、あるいはレッテルが張られれば「味方ではないのだから、敵も同然だ」というところまではすぐに行き着くでしょう。そんな社会で何が起きるのか。「敵も同然の、そんな奴らには何をしてもいい」とならないか。多喜二の死の今日的な意味として、そんなことを考えています。

https://news-worker.hatenablog.com/entry/2022/12/31/170536

news-worker.hatenablog.com

 もう一つ、同じような史実があります。1923年9月の関東大震災の際に、アナーキスト大杉栄が憲兵隊に虐殺されました。ことし、ちょうど100年になります。関東大震災では、デマを元に朝鮮人の虐殺も各地で起きました。
 「敵も同然の、そんな奴らには何をしてもいい」とならないか-。小林多喜二や大杉栄の死から今日的な教訓をくみ取るならば、今まさに沖縄で、新基地建設という国策に反対し抗議している人たちに向けられる敵意、しかも政府機関の側からの敵意を、決して軽く見てはいけないと思います。仮に、辺野古新基地建設の強行をはじめとした日本政府の軍事政策へ反対し、抗議する人たちを「敵」とみなす雰囲気が政府機関の中にあるのだとしたら、何かきっかけがあれば、敵意はより大きな暴力となる恐れがあるのではないかと危惧します。今回の暴言、差別的発言は沖縄県外、日本本土でも広く知られていい出来事だと思うのですが、わたしが目にした範囲では、本土メディアで報じたのは朝日新聞(東京本社発行の8日付朝刊第3社会面に掲載)だけです。