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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「無言館」館主の「後ろめたさ」への共感と「負い目」の自覚~2024年の年頭に

 新年早々の1月1日午後4時過ぎ、石川県・能登地方で震度7の地震があり、大津波警報が発令されました。一夜明けた2日朝の段階で、被害の全容はなお定かではありません。亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表し、被災された方々にお見舞いを申し上げます。

 2024年最初の更新です。昨年秋、長野県上田市にある「無言館」を訪ねました。「戦没画学生慰霊美術館」とある通り、日中戦争、太平洋戦争で戦病死した画学生の作品を収蔵した私設美術館です。

 【写真】無言館の外観。入り口にはホールもチケットカウンターもありません。木のドアの向こうはもう展示室です。入館料は退館の際に出口で支払います

 打ちっぱなしのコンクリートの壁面に作品が展示され、傍らには、一人一人の履歴と亡くなった時の状況、生前のエピソードなどが紹介されています。入館者はそれらの一つ一つに目を通していくうちに、自然と無言になっていくと聞いていました。実際に足を運んでみるとその通りでした。戦争がなければ、彼らは思う存分に好きな絵を書くことができたはず。理不尽な死への無念さを想像しながら、ハンカチで目元を何度もぬぐいました。周囲の人たちも無言で展示に見入っていました。静寂さに包まれた空間でした。

 ※館内の雰囲気は公式サイトの以下のページの写真がよく伝えているように思います
 「無言館について」 https://mugonkan.jp/about/

 展示を見終わった後、第二展示館のミュージアムショップで、館主の窪島誠一郎さんの著書「無言館ノオト―戦没画学生へのレクイエム」(集英社新書)を買い求めました。帰宅後に読んで、ちょっと意外な気がしました。「無言館」の開設は1997年。マスメディアなどにこぞって好意的に取り上げられました。その時の気持ちを、窪島さんは「後ろめたさ」「居心地の悪さ」と表現していたからです。
 同書の序章に当たる「はじめに…『後ろめたさ』の美術館」の章の要点を私なりに端的にまとめると、以下のようになります。
 自分は昭和16年生まれでろくな戦争体験もなく、無言館の開設はメディアが持ち上げるような平和や反戦の思いからでもない。ただ、戦没画学生の遺作や遺品を収集して歩き、慰霊美術館を建設することで、自身が軽薄なままに過ごしてきた「戦後」の空白感を埋めようとしてきたのかもしれない―。
 この解釈が当を得ているのかどうかは分かりません。当初は、窪島さんが「後ろめたさ」という言葉を使っていることに意外な気がしました。平和や戦争反対の思いがあっての無言館建設だろうと、勝手に推測していたからです。今は、その「後ろめたさ」は好きなことを存分にやって生きてきた自分と、戦争によって若くして亡くなった画学生たちとを比して抱くに至った感情ではないかと感じています。

 おこがましいことかもしれませんが、この「後ろめたさ」の感情にわたしは共感します。わたしなりの表現は「負い目」です。60年余りを生き、うち40年以上をマスメディアの組織ジャーナリズムの中で過ごしてきて、自分の律し方として「負い目」の自覚を忘れてはならない、と考えるようになっています。この「負い目」のことは、このブログでも触れたことがあります。勤務先で定年を迎えた3年余り前の記事では、以下のように説明しました。少し長くなりますが、一部を再掲します。

 これまでの生き方と、これからの生き方を考える時に今、頭に浮かぶ言葉の一つは「負い目」です。2006年2月のことでした。わたしは職場を休職して新聞労連の委員長を務めていました。新聞労連の新聞研究活動で沖縄に行き、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する運動に取り組んでいる方々に、辺野古の現地で話を聞かせていただく機会がありました。その場で、作家の目取真俊さんが、わたしたち日本本土(ヤマト)の新聞人に向かって口にされた言葉を今も鮮明に覚えています。
 「沖縄の人びとがヤマトの新聞にどれだけ絶望したか考えてほしい。10年前までは、それでもヤマトのマスコミには沖縄への負い目があった。この10年でそれすら消えてしまった」
 沖縄に米軍基地が集中しているのは沖縄の事情ではない、それを求め、強いているのは日本本土の側だ。沖縄に基地を強いているのは日本人であり、日本全体の問題であることをメディアは忘れてしまっている。メディアが伝えないから、日本人の多くも忘れてしまっている。10年前までは、まだ負い目もあったが、それも今はない―。そういう指摘でした。
(中略)
 以来、職場に戻ってからもずっと「負い目」という言葉は頭の中にありました。沖縄に犠牲を強いている「加害」の立場にいる一人として、そのことの自覚を失ってはいけないと考えてきました。
 沖縄の問題に限りません。マスメディアはよく社会的弱者という言葉を使います。弱者とは往々にして実は社会的な少数者のことであり、多数者の理解と自覚、支援があれば解決できることが少なくありません。多数者の無関心が、少数者を困難な立場に追い込んでいます。自分自身が多数者である問題では、やはり「負い目」を失うことのないようにしなければと、考えるようにもなりました。
 マスメディアの組織ジャーナリズムにとっては、何を伝えたかと同じように、あるいはそれ以上に、何を伝えていないかが問われます。さまざまな要因があるにせよ、それを乗り越えて、伝えるべきことを伝えるために、マスメディアの仕事に関わる人間にとって、自身の「負い目」を自覚できるかどうかはとても重要なことだと思っています。

news-worker.hatenablog.com

  わたしが目取真俊さんの話を聞いたのは45歳の時でした。それから18年になります。「無言館」訪問と窪島さんの著書を通じて今、自覚を新たにしています。どのような境遇にあっても、この「負い目」の自覚は持ち続けていたいと思います。

 定年後も3年間、現役当時と同じような働き方でマスメディアの組織運営の一角を業務として担当してきましたが、昨年秋、そのポジションを離れました。引き続きマスメディア組織内に身を置いてはいますが、静かな時間を過ごすようになりました。ことしは、新たな大学で非常勤講師に就く予定もあり、組織ジャーナリズムを客観的に考察し直す機会にもなりそうです。私のこれまでの経験が後続の世代や社会に、何らか役立つことがあればうれしいです。

 今年も、折々にこのブログを更新していこうと思います。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。