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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「法治をゆがめたのは政府と司法」(琉球新報)~辺野古代執行、沖縄の地元紙の社説

 米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡り、軟弱地盤の改良工事の設計変更の承認の代執行を岸田文雄政権が強行したことに対し、沖縄の地元紙の琉球新報は12月26日付から29日付まで4日連続で社説で取り上げ、「歴史に刻まれる愚行だ」(29日付)と激しい言葉で批判しています。特に目を引くのは、27日付の「政府は法治をゆがめた」との見出しの社説です。
 この代執行は、地方自治法の規定に基づき、国交省が福岡高裁那覇支部に裁判を起こす手続きを踏んでいました。そのため、法治主義にのっとり沖縄県は防衛省の設計変更申請を承認すべきだった、との趣旨の沖縄県への批判も目にします。代執行を認めた司法手続きだけを見ていれば、そうした批判ももっともと思えるかもしれません。琉球新報の27日付の社説は、その前段に国の「横車を押す対抗策」があり、「政府機関が私人と同じ立場にあるとの論理で、行政不服審査請求によって県を組み敷いた」と説明しています。自治体を屈服させるために、国家機関が身内同士で結託したのも同然というわけです。国が負けるわけがありません。そのおかしさを是正するのが司法の役割のはずでしたが、実際にはその手法を追認しました。社説は「法治をゆがめたのは政府と司法の方だ」と指摘しています。
 少し長くなりますが、この社説の核心部分を以下に書きとめておきます。自分が住む地域で同じことが起きるとすれば、どう感じるか。そうしたことも問い掛けています。
※全文はネット上の琉球新報のサイトで読むことができます。

▼琉球新報12月27日付社説
「国交相、代執行を表明 政府は法治をゆがめた」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2620802.html

 国が承認するよう県に出した是正指示が違法だと訴えた訴訟は9月の最高裁判決で県敗訴が確定した。県がなお承認せず、最高裁判決に従わないことには法治主義を理由とした一定の批判もある。
 設計変更を巡る国の対応がまっとうであれば、その批判は成り立つだろう。国が県の不承認を取り消し、是正を指示したことの違法性を訴えた一連の裁判で県側の主張が十分に審理されたと言えるのであれば、県民にも一定の理解は広まるだろう。
 そうではないのだ。県の埋め立て承認の取り消しについて国は横車を押す対抗策をとった。政府機関が私人と同じ立場にあるとの論理で、行政不服審査請求によって県を組み敷いたのだ。行政法学者らが「国民のための権利救済制度の乱用」に当たるとして非難したのは当然だ。
 司法はこれら国の手法を承認してきた。9月の最高裁判決は国の機関が私人同様に権利救済されることを追認した。国が不承認の取り消し裁決をした場合、県は裁決に従う義務があるとも判示した。都道府県の裁量を著しく狭めるものとなった。法治をゆがめたのは政府と司法の方だ。
 (中略)
他県に住む方々は、自らの地域にこのような事態が降りかかることを是認できるだろうか。国の無法は明らかだ。これを追認し、地方分権に逆行する司法判断の果ての代執行が全国的に問題視されているとは言えない。
 沖縄が初のケースで、今後沖縄以外にあり得ないという認識の下の無関心であろうか。そうであれば、沖縄の状況をまた如実に指し示している。不作為による差別にも由来する負担増を沖縄はこれからも拒否する。

 このほかの琉球新報の社説、もうひとつの地元紙である沖縄タイムスの28日付と31日付の社説も、一部を書きとめておきます。
【琉球新報】
▼12月29日付
「辺野古埋め立て代執行 歴史に刻まれる愚行だ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2627909.html

 代執行を受け、木原稔防衛相は「普天間飛行場の全面返還に向けた一つの節目だ」と述べている。だが、その実現性は揺らいでいる。
 在沖米軍幹部は完成後も普天間飛行場を使い続けたいとの意向を示している。さらに17年6月の国会答弁で当時の稲田朋美防衛相は「米側との条件が整わなければ(普天間は)返還されない」と答弁した。長い滑走路を用いた活動のための民間飛行場使用などの条件を満たさなければ、返還されないのだ。
 中国脅威論などを背景にした軍備増強を求める声が政府の強硬姿勢を支えている。だが軍備増強の行き着く先を私たちは沖縄戦の教訓で知っている。歴史に刻まれた代執行の愚行に対し、毅然(きぜん)と民意を示し続けなければならない。

▼12月28日付
「代執行訴訟上告 地方自治の本旨訴えよ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2624450.html

 高裁判決の最大の問題点は、沖縄の地方自治が全面的に否定されたことである。
 裁判は設計変更申請を承認しない県に代わり、地方自治法に基づき国が代執行に踏み切るための3要件(県の法令違反、代執行以外の方法、県不承認による公益侵害)を争点とした。判決は国の主張を全面的に認めた。
 判決は、県の不承認は「社会公共の利益の侵害に当たる」と判断した。新基地建設に反対する沖縄の民意こそ公益であるという県の主張は退けられた。結局は「辺野古唯一」を唱える国に司法が追随したのである。
 法定受託事務で国と地方が対立した場合、国側が訴訟を提起し、代執行という手段で地方に屈服を強いるあしき前例をつくったのだ。これは沖縄だけの問題ではない。

▼12月26日付
「知事代執行判決従わず 政府は対話に転換せよ」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2618103.html

 玉城知事は行政官として判決に従うか、政治家として民意に従うか、厳しい選択を迫られ続けた。心身への負担は相当なものであろう。1995~96年に当時の地方自治法による「職務執行命令訴訟」(代理署名訴訟)で被告とされた大田昌秀知事、2015~16年に同様に代執行訴訟(和解で終結)を起こされた翁長雄志知事も同じだったはずだ。しかし、3度の国の強権を経ても、民意の底流は変わっていない。
 20日の福岡高裁那覇支部判決は「県民の心情は十分に理解できる」としながら、他の訴訟で県敗訴が確定しているとの狭い法律論で、知事の主張を退けた。その上で「付言」として「対話による解決が望まれる」とした。政府には代執行をしないという選択肢がある。この「付言」を、20年以上曲折を経てきた問題の解決の契機にすべきだ。

【沖縄タイムス】
▼12月31日付
「岸田政権と沖縄 解決遠のける強権政治」

 「丁寧な説明」「対話による信頼構築」。岸田文雄首相のその言葉が実に空疎に感じられた1年だった。
 名護市辺野古の新基地建設を巡り、国は「代執行」に踏み切った。地方自治法上これ以上ない強権で、米軍に供用する基地建設を断行する。そのこと自体が、県との対話を放棄したに等しい。
 玉城デニー知事は「沖縄の苦難の歴史に一層の苦難を加える」と代執行を批判した。
 復帰前は米軍が銃剣とブルドーザーで土地を奪い、現在は司法判断を免罪符にして国が埋め立てを強行する。沖縄の人々の権利や生活・自然環境を軽んじるような姿勢が通底している。
 台湾有事を念頭にした政府の南西防衛強化策にも「丁寧さ」は見当たらない。

▼12月28日付
 「きょう代執行 県は上告 普天間の長期固定化だ」

 新基地建設を巡り、国の強硬姿勢が目立つようになったのは2013年からだ。当時の安倍晋三首相がオバマ米大統領との面談で、「辺野古への移設という約束を必ず守る」と話したという。
 以降、政府は度重なる訴訟の提起や沖縄振興費の締め付けなどで、移設に反対する県に強硬姿勢を取り続けてきた。
 民意などお構いなしに対米公約を優先してきた結果が代執行だ。
 (中略)
 今回の代執行でかなう「公益」とは一体誰のためのものなのか。
 国内で経験のない軟弱地盤の上に造られる新基地は、今後も複数回の設計変更が見込まれている。建設を巡る混乱は、今後も続く可能性がある。
 移設を前提とした新基地建設が、沖縄の公益を害するのは明らかだ。
 国は代執行をやめ、普天間の危険性除去に向けた代替策を協議すべきだ。

 この代執行のことは、沖縄県外の地方紙も社説、論説で取り上げています。12月26日付までの掲載分は、以前の記事にまとめました。以降の掲載で、ネット上の各紙のサイトで目にできた例を、以下に書きとめておきます。
 ※参考過去記事 

news-worker.hatenablog.com

■12月30日付
【神戸新聞】「辺野古代執行/地方自治否定する暴挙だ」
 https://www.kobe-np.co.jp/opinion/202312/0017180263.shtml

 代執行訴訟は翁長雄志(おながたけし)前知事の時代にも国が提訴した。このとき福岡高裁那覇支部は和解を勧告し、双方が受け入れた。同支部は基地問題が法廷闘争になじまず、沖縄を含めた国全体で最善の策を探り、米国に協力を求めるべきものとした。
 今回の高裁那覇支部判決も、国の主張を認めて知事に承認を命じると同時に、付言を設けて、国と県の対話による抜本的解決を求めた。国は判決主文よりも、むしろ付言にこそ耳を傾けなければならない。
 力で地方を服従させる手法は、民主主義にはそぐわない。国がまず代執行を取り下げ、対等な立場で沖縄県との話し合いのテーブルに着く。普天間の危険性を少しでも早く解消する方法は、それ以外にない。

■12月29日付
【信濃毎日新聞】「辺野古代執行 要件を満たさぬ国の専横」
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023122900038

 日米が普天間返還と代替施設の整備に合意したのは四半世紀も前になる。中国に近接する不利から、在沖縄米軍は部隊を分散させる戦略に転じている。
 完成は早くても2030年代半ばという辺野古基地は本当に不可欠なのか。「国対県」に矮小(わいしょう)化せず、問題の当事者である米国を引き込み、在日米軍のあり方を見直さなければ沖縄の基地負担軽減は実現しない。
 今後、敵基地攻撃ミサイルの配備や弾薬庫設置が各地で進む。空港や港は部隊展開に備えて改修される。自衛隊と米軍の「基地共同使用」も加速している。
 軍事政策において計画や目的を国民に知らせず、地方の意向は顧みない。米国との合意を法の上に置くかのように、政府が言うところの「公益」を押し通す。専横を続けさせるわけにはいかない。

■12月28日付
【熊本日日新聞】「辺野古代執行 民意無視の決断許されぬ」
【南日本新聞】「[辺野古代執行へ] 国家権力で強いるのか」