昨年の東京都知事選、衆院選、兵庫県知事選ではSNSが注目を集めました。兵庫県知事選では、新聞、テレビが当初劣勢だと報じていた斎藤元彦知事が当選したことで、SNS上に「マスメディアの敗北」との言説が飛び交いました。勝ち負けの問題ではないのですが、有権者が投票に際して何を参考にしたか、その影響力という点で「マスメディアが選挙報道の主役の座をSNSに譲った転換点」との指摘があります。出口調査の結果などを見ても、このことは否定しがたいと受け止めています。ただし、SNSとマスメディアを対置させる構図は、本質的ではないと考えています。
SNSと選挙、マスメディアの選挙報道を巡っては、このブログでもいろいろ書いてきました。昨年暮れ、ある程度整理して5000字の小文にまとめる機会を一般財団法人「新聞通信調査会」からいただきました。財団の月刊機関誌「メディア展望」の最新号(757号)に掲載されています。財団のホームページに無料で公開されています。
◎「『フェイク対ファクト』の視点を/問われる旧態依然の選挙報道」
https://www.chosakai.gr.jp/wp/wp-content/uploads/2025/01/20250100-757.pdf#page=14
※「メディア展望」トップ
https://www.chosakai.gr.jp/project/media/
※新聞通信調査会については「当財団について」をご参照ください
https://www.chosakai.gr.jp/profile/
リンク先の拙文を読んでいただければ幸いです。補足として若干のことを書きとめておきます。便宜的に新聞に絞ります。テレビには放送法の規定もありますが、本質は新聞と変わらないと思います。
■新聞協会の「統一見解」
選挙を巡ってSNSが大きな影響力を持つに至っているのは確かですが、新聞の選挙報道にも固有の事情があります。公職選挙法(テレビは放送法も)で公正な報道が規定されていることから、ひとたび選挙期間に入ると、報道は「抑制」基調になります。街頭演説での主張などを取り上げるのは当選の可能性がある候補に絞ります。候補者間の優劣も極力、表現をぼかします。兵庫県知事選では、自らの当選は目指さないと公言していた「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首の動向を、新聞は報じていません。ここに、立花党首がSNSや動画サイトで拡散させた根拠不明の言説が、現実社会に浸透していった素地がありました。
しかし公職選挙法は、デマや根拠不明の言説をただす報道まで規制しているわけではありません。そのことを新聞社の経営側の団体である新聞協会自身が言明していました。寄稿で紹介した1966年12月の「統一見解」です。
恥ずかしながら、最近、同僚から教えてもらうまで、この「統一見解」のことは知りませんでした。社会部の記者、デスク当時に選挙報道の実務もかなりの程度、経験しました。その際にも耳にした記憶はありません。おそらく、新聞やテレビの報道の現場では、今もこの「統一見解」が広く共有されているとは言い難い状況なのではないかと思います。
ほかならぬ新聞の組織ジャーナリズムの先人たちが、「こと事実に関わる報道であれば、選挙といえども何ら遠慮することはない」と明言し、今日に残している「統一見解」です。選挙報道を見直す際に、明瞭で確固とした指標になるはずです。新聞やテレビの取材・報道の現場で広く共有されていいと考えています。
■双方向
選挙期間中であっても、事実に関わることは積極的に報じる、いわゆる「ファクトチェック」報道を積極的に行うようになったとしても、それが必要な人に届かなければ意味はありません。デマやフェイクニュースを信じている人、信じかけている人に届き、なおかつ納得してもらう必要があります。ただし、そうした人たちの中には新聞に接する習慣がない人、あるいは新聞は嘘ばかりで信用できない、と考えている人が少なくないはずです。せっかくのファクトチェック報道も、新聞に載せただけでは不十分ということになります。新聞の組織ジャーナリズムはネット、中でもSNSと正面から向き合わざるを得ない―。それが本質的な問題だと思います。
新聞は自らの判断で日々、ニュースを選別し、格付けしています。政治や経済、国際、事件事故など、日々の報道の根幹がその判断で成り立っています。このニュースバリュー判断こそ、新聞が培ってきた組織ジャーナリズムの神髄であり、社会に負っている責任そのものだと、わたしも考えています。ジャーナリズムであるために「独立の立場」は極めて重要なのですが、情報の流れとしては「一方通行」です。
一方で、デジタルの特性は「双方向」です。流れてきた情報に、だれもが即座に反応を返すことが可能です。そうなったのは最近のことではありません。ブログが登場したのは2004年。だれもが情報発信できる時代の到来と言われました。もう20年がたっています。SNSの登場で、双方向の利便性はさらに高まりました。ユーチューブやTikTokなどの動画サイトは、訴求力も増しています。
社会の情報流通の環境はこの20年で一変しました。今や、情報の受け手の人たちは、新聞が何を書いているかだけではなく、何を書いていないかまでも知ることができます。そういう中で、新聞が主役だった時代のままの情報発信しかなければ、受け手の飽き足らなさは募るばかりです。新聞が、と言うよりも新聞の組織ジャーナリズムが、自らもSNSの中に分け入っていき、社会の人たちがどんな情報を求めているかを探ることは可能だと思います。それも「双方向」だからこそ期待できることです。
新聞界でも近年は、デジタル展開が喫緊の課題となっています。どうやって収益を得るかのビジネスモデルの観点や、デジタルのテクノロジーを使って、ニュースをどんなふうに見せるかのアプローチに加えて、デジタルの「双方向」の中に自らの身を置いてみる、そのスキルを身に付けることによって、発信する情報に厚みが増し、受け手にも届くことが期待できるように思います。
■信頼を得るために
わたしがこのブログの前身の「ニュース・ワーカー」の運営を始めたのはちょうど20年前、2005年のことでした。社会部デスクの仕事を休職して、新聞労連の委員長職に就いていました。「だれでも情報発信できる」というツールを使って、全国で日々、新聞をつくって社会に送り出している仲間の声を代弁するようなことができないか、と考えました。
投稿した内容にコメントがつきました。「トラックバック」というブログ同士の相互通知のような機能もありました。ブログを運営したからこその出会いがたくさんありました。多くの方に新聞の仕事への理解を深めてもらえたと思います。
そうした「双方向」の経験を重ねながら「編集局長とか論説委員、出稿部門の部長ら編集幹部こそ、ぜひブログをやってみればいいのではないか」と考えていました。デジタル空間には新聞紙面のような紙幅の制限がありません。そのことを活かして、取材の内幕を可能な限り開示する、あるいは編集幹部が自社の見解を直接、社会に伝えるといった試みがあれば、新聞への信頼を高めることにもつながるだろう、などとも考えていました。
何ごとであれ「遅すぎる」ということはありません。マスメディアとSNSとは本来、相反する存在、対置される関係ではないはずだと、わたしは考えています。マスメディアが培ってきた組織ジャーナリズムがSNSの中で確固とした信頼を得ることを目指して、SNSと正面から向き合っていけばいいと思います。寄稿の結びにも書きましたが、希望は若い世代の中にあります。
※参考過去記事
兵庫県知事選などを巡るこのブログの過去記事は、カテゴリー「選挙とSNS」と「選挙とSNS:2024兵庫知事選」にまとめています。