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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「平成」最後の在京紙紙面の記録~朝日はネット企業広告でラッピング

 4月30日は元号「平成」の最後の日。5月1日に新天皇が即位し「令和」になります。東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)はいずれも30日付朝刊でこの話題を1面トップに据え、総合面や社会面にも関連記事を展開しています。これも一つの歴史の記録と思い、各紙がどのような構成にしたか、主な記事の見出しを後掲します。対象は1面、総合面の長めの読み物、社会面、社説・論説です。すべての記事を網羅しているわけではありません。
 各紙の紙面に目を通しての感想を少し書きとめておきます。

 いろいろな意味で朝日新聞は独自色が目立つように思いました。
 1面トップは「元号案 首相指示で追加/『令和』3月下旬に提出/6原案 皇太子さまに事前説明」の見出しで、新元号の決定過程を巡る独自取材記事を掲載しました。他紙が「天皇陛下きょう退位」(毎日新聞)、「陛下きょう退位」(読売新聞)などの見出しをそろって掲げている中で、「元号、天皇制と政治」という問題に焦点を当てた点が際立っています。社説でも安倍晋三政権による天皇代替わりの政治利用という論点に触れており、やはり他紙と一線を画しているように感じました。
 もう一つ、朝日新聞の独自色は、新聞本紙を広告が大きなスペースを占める別紙でそっくり包み込むラッピング紙面にしたことです。広告主はネット企業の「NETFLIX」。社会の情報流通の今後を様々に考えさせられるように感じます。思い出したのは、昭和から平成に変わったころのこと。東京で発行されていた日刊の一般新聞は、現在の6紙に加えもう1紙、朝刊単独紙の「東京タイムズ」がありました。ウイキペディアを見たところ、1992(平成4)年7月に廃刊となっています。今後、紙の新聞はどう推移し、マスメディアの組織ジャーナリズムはどう変わっていくのか(あるいは変わらないのか)。そんなことも考えさせられます。
 社説・論説を掲載したのは朝日、毎日、読売、日経、東京(中日新聞と同一)の5紙。退位する現天皇と象徴天皇制を論じる内容と、平成という時代の振り返りと今後の社会の課題を展望する内容とに、大きく二分されるように感じました。産経新聞はふだん論説の「主張」が掲載されている2面に、「陛下、ありがとうございました」との熊坂隆光・産経新聞社会長の署名記事が掲載されています。
 以下に、各紙の主な記事の見出しを書きとめておきます。社説・論説はサイト上で読めるものはリンクを張っておきます。

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◎2019(平成31)年4月30日付朝刊
【朝日新聞】
・1面
トップ「元号案 首相指示で追加/『令和』3月下旬に提出/6原案 皇太子さまに事前説明」
「天皇陛下、きょう退位」カット・平成最後の日
・2面
時時刻刻「新元号 濃い政治色」「首相『他も検討しよう』/万葉集 政策重ね好感」「事前説明 違憲の指摘も/保守派に配慮 交換条件」
・社会面(31面)
「30年の思い 次代へ」カット・平成最後の日/「子どもを守る備えを」東日本大震災/「はるか、私お母さんになったよ」阪神大震災 ※ほかに「ボランティア」「サリン被害者」「沖縄少女暴行」「バリアフリー」
・第2社会面(32面)
「思考停止 変える力を」作家・高村薫さん寄稿
■社説「退位の日に 『象徴』『統合』模索は続く」/支持された30年の旅/判断するのは主権者/政治が機能してこそ
https://www.asahi.com/articles/DA3S13996599.html?iref=editorial_backnumber
※ラッピング(NETFLIX)

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【毎日新聞】
・1面
トップ「天皇陛下きょう退位/202年ぶり 憲政史上初」
「継がれ吹く 新たな風」玉木研二・客員編集委員
・3面
CUクローズアップ「特例退位 国民が共感/異なる天皇像の間で」
・社会面(23面)
「平成 歩みに感謝」「被災者『勇気もらった』/ゆかりの人ら感慨」※ほかに「被爆地」「沖縄慰霊」
・第2社会面(22面)
「退位後も心寄せ」「両陛下交流絶やさず/仮住まい後『仙洞御所へ』」
■社説「天皇陛下きょう退位 国民と共にあった長い旅」/象徴であり続けるため/戦争の記憶風化を懸念
https://mainichi.jp/articles/20190430/ddm/005/070/088000c

【読売新聞】
・1面
トップ「陛下きょう退位/平成終幕へ/夕刻 儀式で最後のお言葉」
「被災地訪問37回」
・3面
スキャナー「退位後の活動範囲 模索」「『二重権威』回避に配慮」「高輪に仮住まい後 赤坂へ」
・社会面(29面)
「陛下へ感謝尽きず/苦難の日々『励まされた』」※「戦没者慰霊」「拉致問題」「国際貢献」
・第2社会面(28面)
「平成 名残惜しむ/『最後の饅頭』・顔出しパネル」
「象徴の旅路 重責と笑顔」沖村豪・編集委員
■社説「天皇陛下退位 国民と歩み象徴像を体現した/健やかに過ごされることを願う」/一人ひとりと目合わせ/安定的な継承が課題
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190429-OYT1T50219/
※13~20面:抜き取り特集「平成グランドフィナーレ<下>」「両陛下の歩み」「識者座談会」など

【日経新聞】
・1面
トップ「天皇陛下 きょう退位/平成、30年余りで幕/一代限り、特例法で実現」
・3面
「平成終幕 最後のお言葉は/政府 憲法と伝統 両立に配慮/天皇陛下きょう退位」
・社会面(27面)
「令和へ準備万全に/警視庁 皇居周辺を捜索/宮内庁 儀式の予行練習」
・第2社会面(26面)
「平成の天皇、皇后と国民」井上亮・編集委員
■社説「未完の成熟国家だった平成の日本」/人口減という試練/日本の強み次の時代へ

【産経新聞】
・1面
トップ「天皇陛下きょう譲位/退位の例で最後のお言葉」
「譲位 祝賀ムードに包まれ」
「真直なる天皇の大きなる道」平成の終わりに:平川祐弘・東京大学名誉教授
・2面
「陛下、ありがとうございました」/果てしない道歩まれた/ご長寿こそ国民の願い:熊坂隆光・産経新聞社会長
・社会面(27面)
「陛下『国民と一体』望まれる/『象徴』ご活動意義 元側近語る」※元宮内庁参与、元宮内庁長官、元侍従長
・第2社会面(26面)
「非正規雇用や過労死/進む『ひずみ』の修正」平成その先へ「働」
※「主張」なし、3面に連載企画「象徴 次代へ 両陛下の願い」(下)

【東京新聞】
・1面
トップ「天皇陛下 きょう退位/終わる平成 30年4カ月」
「終身在位からの大転換」吉原康和・編集委員
・2面
核心「政治劣化・停滞の30年」「小選挙区で勝つことに目を奪われ、日本の進路を示せなくなった。」「激動の平成 田中秀征さんに聞く」
・社会面(27面)
「家族のきずなに包まれ」私の平成のことば ※「極楽って今のこと」「ユズリハのように」など
・第2社会面(26面)
「過労死、格差 残った課題」 ※「社員悪くありません」「聖域なき構造改革」など
■社説「『当たり前』をかみしめて 平成のおわりに」/原発に制御されている/何でもないことの平安/「戦後」を脱却させない
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019043002000112.html

首相会見に「違和感」「筋違い」の指摘も~新元号「令和」 地方紙・ブロック紙の社説・論説の記録

 5月からの新元号「令和」について、地方紙・ブロック紙も社説・論説で取り上げています。
 総じて、新元号のもとで平成の次の時代が、平和で豊かな日々になるように、との期待を表明する内容のものが目立ちました。一方で、選考の過程が詳しく明らかにされていないことへの批判は少なくなく、「こうした権威主義的な手法が、国民主権を掲げる憲法と整合性を保てるだろうか」(高知新聞)、「『国民主権』」の観点から見ると、今回の新元号決定に至るまでの経緯は、違和感が拭えないものだった」(熊本日日新聞)などと、現憲法に照らしての疑問を明示する社説・論説もあります。
 新元号の発表直後に安倍晋三首相が記者会見したことに対しては、北海道新聞は「特に違和感を禁じ得なかった発言がある」とし「政権の看板政策をアピールする場にすり替わってしまった」と指摘しています。さらに信濃毎日新聞は「だれの思いなのか。元号は首相の私物ではあるまい。『令和』を自らの国民へのメッセージとするのなら筋違いではないか」「首相の会見も『政治利用』との批判が出るのではないか」と踏み込んでいます。

 特にわたしの印象に残ったのは、沖縄タイムス、琉球新報の2紙の社説です。
 沖縄タイムスは、琉球王国は公文書に中国の年号を使用していたこと、琉球併合の際、日本政府は「明治」年号を奉じ、中国との関係断絶を迫ったこと、第2次大戦後は米国民政府の布令・布告、琉球政府の公文書も原則として西暦で表記されたことなどを挙げ「大きな世替わりを経験するたびに、中国の年号を使用したり、明治の元号を使ったり、西暦を採用したり、目まぐるしく変わった」と沖縄固有の歴史と事情を指摘しています。
 琉球新報は、第2次大戦末期の沖縄戦で12万2千人余りの県民が犠牲になったことから、「戦争責任が天皇制に根差すものであるとの見方から、複雑な県民感情があり、元号法制化に対しても反発があった」と指摘。元号法案を審議した1979年当時、大平正芳首相が「46都道府県、千を超える市町村が法制化の決議を行い、その速やかな法制化を望んでいる」と述べたが、沖縄県議会だけは同趣旨の議決をしていないことを紹介しています。

 このブログの以前の記事でも触れましたが、今回は天皇の死による代替わりに伴う改元ではないため、明るい雰囲気の中で元号について自由に語り、次の元号の予測も盛んに行われた、との肯定的な評価を目にします。改元についてのマスメディアの報道も祝賀ムードばかりが目立ちます。自由に元号を語るせっかくの機会なのであれば、例えば沖縄の事情などももっと全国で知られていいと思いますし、元号不要論や廃止論も含めて語られていいだろうとあらためて感じます。

 以下に、ネット上の各紙のサイトでチェックした社説・論説について、見出しのほか、一部の社説・論説については、重要な指摘だとわたしが感じた部分を引用して書きとめておきます。日付の記載が特にないものは、すべて4月2日付です。見出しだけで本文は会員しか読めないサイトもありました。北海道新聞は2日付、3日付の2日連続の掲載です。この記事を作成した7日夜の時点で、無料で読めるものはリンクを張っています。 

▼北海道新聞「新元号に『令和』 国民本位で情報開示を」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/292417?rct=c_editorial

 元号制を巡っては、いまもさまざまな意見がある。
 改元を一つの区切りととらえ、新しい時代に期待を込める人も少なくなかろう。
 それを踏まえれば、新元号の決定に、国民が関わる余地がなく、一貫して政府主導で進められたことには疑問が残る。選考過程にも、不透明な部分が目立った。
 元号法は、皇位継承があった場合に改元するとのみ規定し、手続きの詳細は内閣に委ねている。
 それだけに、政府による丁寧な情報開示が不可欠だ。
 政府は新元号の考案者などを明らかにせず、有識者懇談会や衆参両院正副議長からの意見聴取の具体的な内容も公表していない。
 元号を「密室」で決め、情報を管理する態度は、権力者による「時の支配」という元号の古いイメージを想起させかねない。

※4月3日付「首相の改元会見 謙虚さに欠けてないか」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/292748?rct=c_editorial

 首相の会見で、特に違和感を禁じ得なかった発言がある。
 平成時代に行われた政治、行政などのさまざまな「改革」は大きな議論を巻き起こしたが、「現在の若い世代は変わることをもっと柔軟に前向きに捉えている」。
 そんな認識を示し、一例として働き方改革を挙げた。さらに「1億総活躍社会をつくりあげることができれば日本の未来は明るいと確信している」と述べた。
 「次の時代の国造り」を問う記者からの質問に答えた形だったとはいえ、新元号の趣旨を説明する会見が政権の看板政策をアピールする場にすり替わってしまった。
 宗教評論家の大角修氏は「元号は純粋に儀礼的なもので、本来は選定や発表に関わる人は己を無にして臨まねばならない。そこに私的な思いを持ち込むから不純な印象を受ける」と会見を批判した。
 うなずける指摘だろう。

▼河北新報「新元号は『令和』/平穏で豊かな時代の到来を」
https://www.kahoku.co.jp/editorial/20190402_01.html
▼東奥日報「改元で社会に新たな力を/新元号『令和』」
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/173326
▼デーリー東北:4月3日付(「時評」)
https://www.daily-tohoku.news/archives/11906

▼秋田魁新報「新元号は『令和』 希望にあふれた時代に」
https://www.sakigake.jp/news/article/20190402AK0009/
▼山形新聞「国書由来の新元号 融和と活性化の契機に」
http://yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20190402.inc
▼岩手日報「新元号決定 『時代の節目』思い新た」
https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/4/2/51178
▼福島民報「【新元号は令和】希望を胸に時代を築く」
https://www.minpo.jp/news/moredetail/2019040261895
▼福島民友新聞「新元号『令和』/力合わせ『良い和』の時代に」
http://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20190402-365060.php
▼茨城新聞「新元号『令和』 改元を新たな力に」
▼神奈川新聞「新元号『令和』 未知の時代に思い重ね」
▼山梨日日新聞「【新元号に『令和』】真に心を寄せ合う新時代に」
▼信濃毎日新聞「新元号の決定 国民の存在はどこにある」/懇談会は形だけ/首相の私物か?/伝統重視の保守派
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190402/KP190401ETI090006000.php

 前回の選考過程を記した公文書は現在も非公開のままで、検証もできない。主権者である国民を脇に置いた選考といわざるを得ないだろう。
 安倍晋三首相は前例踏襲といいながら記者会見した。「一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込めた」と述べている。
 だれの思いなのか。元号は首相の私物ではあるまい。「令和」を自らの国民へのメッセージとするのなら筋違いではないか。
 (中略)
 過去の権力者は統治の安定のために天皇の権威を利用してきた。保守派に配慮して秘密主義で進めた元号選考には、政府への求心力を高める思惑もうかがえる。
 首相の会見も「政治利用」との批判が出るのではないか。

▼新潟日報「新元号『令和』 平和守り良い時代築こう」/「初めて」の歴史刻む/「国書」強調に違和感/平成の重み見据える
https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190402460667.html

 首相の言う通り、次の令和時代が希望に満ちたものになってもらいたい。ただ、談話には気がかりなところもあった。
 首相は、日本礼賛的アピールに力が入っていないか。そんな印象を受けたからだ。
 (中略)
 歴史的に見れば、日本は他国の文化や文物を積極的に吸収することで、自国の文化的な幅を広げてきた。漢字など中国文化の影響も強く受けている。
 国境を越えた人々の交流が、万葉集など日本文化のベースとなったことは間違いあるまい。国際交流や友好親善は、平和の基礎ともなるものだ。
 平和な日々への感謝や新たな時代について語るなら、それらの事柄への言及があってもよかったのではないか。
 首相の支持層である保守派は、新元号の事前公表に否定的な考えを示していた。そうした経緯や保守派への配慮が、国書からの出典や日本の伝統文化を強調した談話につながっていないかどうか。

▼中日新聞(東京新聞)「新元号は『令和』 希望のもてる時代に」/中国古典はずしは初/決定過程の公開を早く/国民生活の基層文化だ
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019040202000163.html

 日本の元号は七世紀の「大化」から数えて二百四十八ある。出典が判明しているものは、すべて中国古典である。だから、今回の「国書」を典拠とした改元は初だ。長い日本の元号の伝統からはまさに異例といえる。
 ナショナリズムの反映とも受け止められる。
 もともと日本の伝統への誇りを口にしていた安倍首相が、改元案を作成する段階で、日本古典を由来とするものを含めるよう指示していたからである。
 政権を支える保守派層から、国書に典拠を求める期待があったためであろう。元号の考案を委嘱したのは漢文学や東洋史学のほかに、国文学や日本史学の学識者が加わっていた。
 問題はその元号選定の考え方が国民にどう受け止められるかである。中国古典は近代に至るまで知識人が身に付ける素養の一つだった。「論語」など四書五経の暗記が勉強でもあった。江戸時代の知識人も、明治の夏目漱石も森鴎外も中国古典で育った。
 これまで漢籍から採った元号を受け入れてきたのは、中国古典の素地で日本の教養が培われてきた歴史を誰もが知っているからである。国書もいいが、ことさらこの伝統を排したなら狭量すぎる。 

▼北日本新聞「新元号『令和』/価値観問い直す機会に」
▼北國新聞「新元号に『令和』 心機一転のとき迎える幸せ」
▼福井新聞「新元号『令和』 国民への説明十分なのか」
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/827533

 首相は「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べた。出典を精査しない限り、そう読み解くのは難しい。政府はそのためにも選考過程を分かりやすく説明する必要がある。世界で唯一、元号制度が残る国だからこそ、意義を捉え直すきっかけにもしなければならない。
 しかし、政府は昭和から平成に改めた経緯さえ、情報公開請求に応じていない。国立公文書館へ記録を移すことなく、保存期間を5年間延長した。これでは闇の中も同然だ。古代中国が発祥である元号は「皇帝が時をも支配する」との考えに基づく。日本でも長年、天皇が定め、その権威を高めてきた歴史がある。政府がそうした視点をいまだに持ち続けているとしたら問題だろう。
 平成への改元は天皇の逝去に伴うものだったが、今回は生前退位であり、「密室」での選定ではなく、たとえば有識者からの案を政府が公開し、広く国民の意向を反映させるといった方式を考えても相応だったのではないか。

▼京都新聞「新元号決まる  良い時代を和やかに築こう」/議論なき「前例踏襲」/ずれ込んだ公表時期/西暦併記の自治体も
https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190402_3.html

 新元号制定は、平成になった時と同様、元号法に基づく。同法は元号を「政令で定める」としている。政令を出す政府がその責任を負っている。
 きのうの決定手続きも、形式的には有識者懇談会や衆参両院議長からの意見聴取、閣議などを経た。国会に代表を送っている国民も間接的に関わっている形だ。
 ただ、現実には、国民から遠いところで決められたような印象を受ける。今回は皇位継承が事前に分かっており、改元のあり方についても時間をかけて議論できる良い機会だったはずだ。しかし政府は、平成改元時の決定手続きを踏襲すると決めてしまった。
 有識者懇談会では、新元号の候補名が初めて示され、わずか40分で終了した。十分な意見交換ができたのかは疑わしい。国民代表の「お墨付き」を得るのが目的ととられても仕方ない。
 新元号が「広く国民に受け入れられ、生活の中に深く根ざしていく」(安倍晋三首相)ことを求めるのなら、選考のプロセスに国民が実質的に関わる機会があっても良かったのではないか。

▼神戸新聞「新元号『令和』/穏やかな時代精神を育みたい」/国民主権の下で/みんなで考える
https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201904/0012203135.shtml

 ただ、元号はどれほど国民のものとなったのか。
 元号法は「元号は、政令で定める」と規定する。今回、政府は国文学や日本史学などの専門家に原案の考案を依頼し、候補を六つに絞って有識者懇談会や衆参の正副議長に諮り、閣議決定した。現行憲法下で初めて行われた昭和から平成への改元を踏襲した形である。
 国民は何も知らされず、待たされ続けた。私たちもつい「元号は上が決めるもの」と思いがちだ。それでは政府の決定を国民は押し頂くだけになる。
 もともとは元号は天皇の「御代(みよ)(治世)」を表す。だがその考え方は憲法の理念である国民主権にそぐわない。国民が自分たちのものと思えるような元号の決め方、在り方を模索する必要があるだろう。

▼山陽新聞「新元号『令和』 平和と安定の時代を願う」
https://www.sanyonews.jp/article/885757?rct=shasetsu
▼中国新聞「『令和』の時代 『共生』を土台に考える」
https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=518534&comment_sub_id=0&category_id=142
▼山陰中央新報「新元号『令和』/改元を新たな力に」
http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1554170648238/index.html
▼愛媛新聞「新元号『令和』 『戦争のない時代』の継続が責務」
▼徳島新聞「新元号は『令和』 戦争のない時代を未来に」
https://www.topics.or.jp/articles/-/183352
▼高知新聞「【新元号「令和」】皇位継承にあいた風穴」
https://www.kochinews.co.jp/article/266183/

 万葉集を出典とするなど、目新しい点もある「令和」だが、選定の手続きはほとんど変わっていない。政府が「平成」改元時の手続きを踏襲すると事前に決めたからだ。
 新元号を公表した後も考案者は明かさない。決定に先立ち各界の代表者を集めた有識者懇談会を開き、原案への意見を求めるが、本格的な議論は行わず、実質は原案を追認する形だ。密室で決めたという批判をかわす狙いだろう。
 これでは選定状況は厚いベールに包まれたままだ。元号選定という歴史的な作業は国民から遠ざけられ、検証することもできない。
 こうした権威主義的な手法が、国民主権を掲げる憲法と整合性を保てるだろうか。まして憲政史上初めての皇位継承前の新元号公表だ。首相は決定過程に関する公文書を非公開とする期間を30年で検討するというが、なぜそんなに長く伏せるのか。

▼西日本新聞「新元号 令和 平和への『祈り』次世代に」/歴史が紡ぐ天皇の役割/「開かれた皇室」さらに
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/499151/

 間違いなく言えることは、時の為政者が例外なく天皇を存続させてきたことである。そうでなければ自身を絶対化するために朝廷を滅ぼしても不思議ではなかった。戦後の連合国軍総司令部(GHQ)も天皇制を残した。歴史の中で紡がれた日本人と天皇の結びつきに意義を見いだしたと言えよう。
 とはいえ元号は戦後、法的根拠を失った。敗戦に伴い、旧皇室典範が廃止されたことによる。
 法的根拠を求める機運が高まったのは昭和天皇が在位50年を迎えられた頃だ。元号法はその4年後に制定され、元号は皇位継承があった場合に政令で定めるとした。
 保革が対立する政治情勢の下、法制化は「戦前回帰だ」との批判があった。一方、世論調査では元号賛成派は8割近くを占め、多くが「時代の区切り」をその理由に挙げた経緯がある。私たちは今、そうした選択の延長線上にいることを確認したい。

▼大分合同新聞「新元号『令和』 改元で平和と融和を」
▼宮崎日日新聞「新元号『令和』 平和で新たな力湧く時代に」/日本古典の採用は初/選考過程は完全密室
http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_37932.html
▼佐賀新聞「新元号『令和』 改元を新たな力に」※共同通信のクレジット
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/357022
▼熊本日日新聞「新元号『令和』 多様性ある時代の象徴に」
https://kumanichi.com/column/syasetsu/936630/

 元号は古代中国が発祥で「皇帝が時をも支配する」との考えに基づく。中国とは別に独自のものとして継承されてきた日本の元号も長年天皇が定め、その権威を高めてきた面は否めない。
 だが戦後、日本は新憲法の下で主権在民の国家となった。憲法が、天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基づく」とうたうように、天皇制とともにある元号制度も、日本国民の意思に基づいた時代の区切りであるべきだろう。その意味では元号をどう受け入れ、使用していくかは、あくまで国民に委ねられたものであることを改めて強調しておきたい。
 そうした「国民主権」の観点から見ると、今回の新元号決定に至るまでの経緯は、違和感が拭えないものだった。

▼南日本新聞「[新元号「令和」] 豊かな社会を築く力に」/極秘選定に違和感/混乱防止に努めよ
https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=103880
▼沖縄タイムス「[新元号は『令和』多様性尊重する社会を」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/404053

 日本の古典に由来する元号は、確認できる限りでは初めてである。なぜ、今、国書なのか。
 古典中の古典といえる万葉集を典拠としたことは、多くの国民に好意的に受け止められそうだが、台頭する中国を意識した対応だという見方も根強い。
 安倍晋三首相は新元号発表後の記者会見で「国柄」ということばを強調した。「国柄」を強調するあまり、他国の文化への敬意を欠いた偏狭なナショナリズムを育てるようなことがあってはならない。
 (中略)
 元号は「皇帝が時間を支配する」という中国の古い思想を取り入れたものである。
 沖縄は元号使用という点でも、本土と異なる歴史を歩んできた。
 中国と冊封関係を維持していた琉球王国は、各種の公文書に中国年号を用いていた。 琉球併合の際、明治政府は、明治年号を奉じ、年中儀礼はすべて布告を順守するよう申し渡し、中国との関係断絶を迫った。
 戦後は、米国民政府の布令・布告だけでなく、琉球政府の公文書も原則として西暦で表記された。
 大きな世替わりを経験するたびに、中国の年号を使用したり、明治の元号を使ったり、西暦を採用したり、目まぐるしく変わった。
 西暦と元号のどちらになじんできたかは、世代によって異なる。それだけでなく、一人の人物の中でも、西暦時代と元号時代をあわせもっているのが現実だ。

▼琉球新報「新元号『令和』発表 公文書の西暦併記推進を」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-897399.html 

 天皇一代に一元号という形が始まったのは明治時代からだ。戦後、法的根拠を失っていたが、1979年に元号法が制定され、政令で定めること、皇位の継承があった場合に限り改めることを明記した。当時、一世一元制は国民主権の憲法理念に反するといった批判があった。
 沖縄は去る大戦で日本で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられ、12万2千人余の県民が犠牲になっている。
 本土防衛の時間稼ぎに利用されたからだ。戦争責任が天皇制に根差すものであるとの見方から、複雑な県民感情があり、元号法制化に対しても反発があった。
 元号法案を審議した79年の衆院本会議で当時の大平正芳首相は「46都道府県、千を超える市町村が法制化の決議を行い、その速やかな法制化を望んでいる」と述べたが、沖縄県議会だけは同趣旨の議決をしていない。
 元号は国民に強制するものではなく、使用するかどうかは個々人の自由だ。公文書についても、年表記を元号にしなければならないといったルールはない。

 

「自然な使い分けが定着」(朝日) 「元号は一つの『文化』」(毎日) 「本質的に『天皇の元号』」(産経)~新元号「令和」 在京紙の社説・論説の記録

 ことし5月1日に施行される新元号が「令和」に決まったことに対して、東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)はそろって4月2日付の社説・論説で論評しました。見出しと本文の一部を引用して書きとめておきます。4月3日朝の時点で、各紙のサイトで全文読めるものは、リンクを張っておきます。
 各紙の社説・論説を通じて、国民主権の現憲法下の改元手続きについて、「昭和」から「平成」への改元の際のものも含め、記録を早期に公開するよう求める論調が目立ちます。ただ、このブログの前回の記事でも触れたことですが、元号が社会でどのように受け止められているのかについては「国民の間には、西暦との自然な使い分けが定着しているようにみえる」(朝日新聞)とか「象徴天皇制の現代においては、元号は一つの『文化』であろう 」(毎日新聞)などと、とらえ方が漠然としていると感じるものもあります。日経新聞は世論調査の結果を紹介しています。
 そうした中で産経新聞(「主張」)が「元号法の規定に基づき、内閣が政令で決める現代でも、御代替わりに限って改まる元号は、本質的に『天皇の元号』である」「将来は制度を改め、閣議決定した元号を新天皇が詔書で公布されるようにしてもらいたい」としていることは、論点の明確な適示という意味で印象に残ります。

・朝日新聞「平成から令和 一人一人が時代を創る」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13960809.html?iref=editorial_backnumber

 皇位継承前の元号発表は、憲政史上初となる。昭和天皇の病状悪化を受け、水面下で極秘に準備された30年前の平成改元と異なり、選定の日程や手続きは事前に公表された。
 世の中が自粛ムードに覆われることもなく、元号予想があちこちで行われた。入社式で新入社員全員が、自分の「新元号」を披露した企業もあった。人々は思い思いに、この日を受け止めたのではないか。
 中国に起源を持つ元号は、「皇帝による時の支配」という考えに基づく。明治以降に制度化された、天皇一代にひとつの元号という「一世一元」は維持されているものの、国民主権の現憲法の下、国民の間には、西暦との自然な使い分けが定着しているようにみえる。
 (中略)
 政府は今回、すべての案の考案者の記録を保存する方針だという。有識者懇談会の内容を含め、選考過程を丁寧に記録し、しかるべき段階で公開して、歴史の検証に付すべきだ。まずは、平成改元時の資料をできるだけ早く公開してほしい。
この機会に改めて、公的機関の文書に元号と西暦の併記を義務づけることも求めたい。日常生活での西暦使用が広がり、公的サービスを利用する外国人はますます増える。時代の変化に合わせて、使い方を改めていくのは当然だろう。
 (中略)
 もとより改元で社会のありようがただちに変わるものではない。社会をつくり歴史を刻んでいくのは、いまを生きる一人ひとりである。

・毎日新聞「新しい元号は『令和』 ページをめくるのは国民」/選定過程を詳細に記せ/時代共有する「文化」に
 https://mainichi.jp/articles/20190402/ddm/005/070/094000c

 憲政史上、天皇の退位に伴う初の改元だった。内閣は主権者の委託を受けて、元号に責任を負う。このため決定までの過程は国民も共有できるものでなければならない。
 (中略)
 今回は退位日と即位日が確定していたため、時間的な余裕があり、相当の時間をかけて議論ができる状況だった。懇談会の時間は前回より約20分伸び、閣議などを含めた全体で約40分長くなったものの、発表時間はあらかじめ決められていた。
 政府は懇談会のメンバーを知名度の高い作家や学者らに委嘱し、国民に開かれた選定だと印象づけようとしたとみられるが、結論ありきの印象を残した。
 選定過程について後に国民が検証できるようにするためには、経過が正確に記録され、一定期間後に公開されなければならない。
 (中略)
 今回は、どんな元号になるのかインターネット上などで自由に予想が飛び交ったのが特徴だ。
 昭和の終わりには昭和天皇の病状悪化が日々伝えられ、社会は自粛ムードに包まれた。当時のような抑圧的な空気から解放されたことは、国民生活にとって望ましい。
 こうした明るい雰囲気は、陛下の退位を大半の国民が支持したことも影響しているだろう。
 かつての元号は権力者が時間を支配する意味を持っていた。しかし象徴天皇制の現代においては、元号は一つの「文化」であろう。

・読売新聞「元号は令和 新時代を実感できるように システム改修に万全の準備を」/初めて日本の古典から/人心一新図った歴史/一連の儀式つつがなく
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190401-OYT1T50244/

 元号は、日本人に共通の時代意識を生み出してきた。明治以降、天皇一代に一つの元号となり、代替わりと合わせて、人心の一新が図られた歴史がある。
 新天皇の即位と新元号の施行は、国民の心の持ちように一定の影響を及ぼすに違いない。
 グローバル化が進み、西暦の利用が増大しているとはいえ、日本の伝統である元号を様々な場面で活用する方途を探りたい。
 政府は、平成改元に関する1989年当時の公文書を3月末に公開する予定だったが、5年間先送りすることを決めた。今回の改元への影響を避ける狙いがある。
 元号選定に関する資料は、国民が元号の歴史や意義を考える上で貴重な手がかりとなる。
 今回の選定過程について、政府は元号の原案や考案者、有識者懇談会などの議事内容を公文書として残す方向だ。将来的に公開し、後世の人々が検証できるようにしてもらいたい。

・日経新聞「新しい元号『令和』がひらく未来は」/時代を映してきた元号/柔軟な対応と透明性を

 では、今後、この元号は国民に定着していくであろうか。
 この1年ほど、退位による改元という事情を背景に、さまざまな行事に「平成最後の」という冠がつけられることが続いた。
 自粛ムードが漂った昭和から平成への代替わりでは見られなかった現象である。自らの人生の一部となってきた元号を惜しむ気持ちの表れとも言える。
 ところが世論調査によっては、日常生活で元号を「よく使う」「使いたい」と答えたのは60歳以上の年齢の高い層が多く、30歳より下の層では西暦を使う傾向が進んでいるとの結果が出ている。
 今後、元号は年を示す実用的な側面としてより、新たに即位する天皇のもと、同じ時代を生きる国民の連帯感を表す記号のような存在になって、社会になじんでいく可能性もあろう。
 とすれば、官公庁や自治体も柔軟な対応を求められる。現在、公文書に元号や西暦の記載を義務付ける法令はない。慣例で元号が使われている場合が多い。
 (中略)
 企業活動のグローバル化や日本で暮らす外国人の増加にともない、西暦表記を先にしたりする配慮も必要になってくるだろう。
 情報公開も重要だ。政府は「元号は国民のもの」と位置づけている。ならば、その決定に関する文書も一定の保存期限後には経緯をつまびらかにすべきだ。

・産経新聞(「主張」)「新元号に『令和』 花咲かす日本を目指そう 万葉集からの採用を歓迎する」/未来へ繋ぐ伝統文化だ/将来は「詔書」で公布を
 https://www.sankei.com/column/news/190402/clm1904020001-n1.html

 元号法の規定に基づき、内閣が政令で決める現代でも、御代替わりに限って改まる元号は、本質的に「天皇の元号」である。
 天皇と国民が相携えて歴史を紡いできたのが日本である。だからこそ憲法は、第1条で天皇を「日本国民統合の象徴」と位置付けている。国民が一体感を持つための元号であり、憲法の精神に沿った存在といえる。
 国民は、元号によって、時代や国民的体験を振り返ることができる。「明治維新」や「文永の役、弘安の役」「天保の改革」「昭和の大戦」などだ。
 元号と西暦の換算をしなければならないとして、利便性の観点だけを尺度に西暦への一本化を求めることは、豊かな日本の歴史や文化をかえりみない浅見だろう。
漢籍は今回、元号の典拠とならなかったが中国のみならず東洋、ひいては世界の文化財だ。国書と並ぶ日本文化の礎であり、どちらがどうという関係にはない。
 御代替わりよりも先に新元号が公表されたのは初めてだ。コンピューター化が進んだ今、円滑な国民生活のための措置といえる。
 ただし正式な手続きは、新天皇の下でとるべきだった。政府が新元号を内定の形で発表し、改元の政令には、これからの時代を担われる新しい天皇が署名、押印されるのが自然である。
 将来は制度を改め、閣議決定した元号を新天皇が詔書で公布されるようにしてもらいたい。

・東京新聞(中日新聞)「新元号は『令和』 希望のもてる時代に」/中国古典はずしは初/決定過程の公開を早く/国民生活の基層文化だ
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019040202000163.html

 本の元号は七世紀の「大化」から数えて二百四十八ある。出典が判明しているものは、すべて中国古典である。だから、今回の「国書」を典拠とした改元は初だ。長い日本の元号の伝統からはまさに異例といえる。
 ナショナリズムの反映とも受け止められる。
 もともと日本の伝統への誇りを口にしていた安倍首相が、改元案を作成する段階で、日本古典を由来とするものを含めるよう指示していたからである。
 政権を支える保守派層から、国書に典拠を求める期待があったためであろう。元号の考案を委嘱したのは漢文学や東洋史学のほかに、国文学や日本史学の学識者が加わっていた。
 問題はその元号選定の考え方が国民にどう受け止められるかである。中国古典は近代に至るまで知識人が身に付ける素養の一つだった。「論語」など四書五経の暗記が勉強でもあった。江戸時代の知識人も、明治の夏目漱石も森鴎外も中国古典で育った。
 これまで漢籍から採った元号を受け入れてきたのは、中国古典の素地で日本の教養が培われてきた歴史を誰もが知っているからである。国書もいいが、ことさらこの伝統を排したなら狭量すぎる。
 改元という大きな出来事だっただけに、どのようなプロセスを経て新元号が決まったかは、速やかに明らかにしてほしい。だが、「平成」と決めた公文書すら、三十年を経てもまだ閲覧できない。この秘密主義は捨てるべきだ。
 (中略)
 元号はすっかり根付いた日本の文化である。時代を思い出すとき、「昭和は…」「平成は…」と、それぞれの年代の事象と重ね合わせたりする。
 本家の中国では既に消滅した元号だが、日本では国民生活の基層をなす文化として尊重したい。

 

新元号「令和」発表 東京発行新聞各紙の記録

 現天皇が4月30日をもって退位し、皇太子が5月1日に新天皇に即位するのを前に4月1日、政府が新元号「令和(れいわ)」を発表しました。東京発行の新聞各紙は発表直後に号外を印刷して街頭で配布したほか、1日夕刊、2日付朝刊ではそれぞれ1面トップに「令和」の巨大な見出しを掲げた紙面を作りました。
 色々な意味で歴史的な出来事であり、歴史的な報道であることは間違いがないと思います。取り急ぎ、東京発行の各紙2日付朝刊1面の主な記事の見出しを書きとめておきます。
▼朝日新聞
・「令和」「新元号 万葉集から/5月1日施行」
・「『英弘(えいこう)』『広至(こうじ)』『万和(ばんな)』『万保(ばんほ)』など候補」
・「皇太子さま・陛下へ 閣議決定後に伝達」
・「初の国書 首相のこだわり」連載・平成から令和へ 退位改元1

▼毎日新聞
・「新元号 令和(れいわ)」「初の国書典拠 首相主導/万葉集 中西氏考案か/来月1日施行」
・「漢文で記した『和風』」
・「『特定問題担当』極秘の30年/職員 昨年5月死去」

▼読売新聞
・「『令和』次代へ」「5月1日 平成から改元/万葉集出典 初の国書/中西氏考案か 古典研究」「読み『れいわ』」
・「初春令月 気淑風和/梅の和歌序文」

▼日経新聞
・「令和(れいわ)」「新元号公布 来月1日施行/出典『万葉集』、初の国書」
・「変わる世界に挑む国に」原田亮介・論説委員長

▼産経新聞
・「新元号『令和(れいわ)』」「出典は万葉集 日本古典から初/来月1日施行」
・「日本人の誇り 次世代へ」
・「首相『元号は時代の薫り伝わる』/本紙単独インタビュー」

▼東京新聞
・「令和(れいわ)」「来月1日から新元号/観梅の宴題材 平和な文化象徴/原案6案」
・「初の国書 万葉集出典/中国古典踏まえ」

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 概括的な感想ということになりますが、テレビも含めてこれらの報道に感じたことを少し書きとめておきます。
 報道は圧倒的に祝賀ムードです。新元号を歓迎する人たちの表情を伝えるのは、それはそれでいいのですが、社会にはそうした意見だけではないはずです。
 元号は1945(昭和20)年の日本の敗戦後、法的根拠がなくなりましたが、1979(昭和54)年の元号法によって再び法的根拠が生まれました。1979年当時、わたしは大学1年生でしたが、元号法制化に反対する立て看板がキャンパスに立っていたことを覚えています。当時の元号「昭和」は戦争の記憶と分かちがたく結びついていました。明治以降の「一世一元」を踏襲する形で法制化することが、戦後の国民主権国家のありようとしてどうなのか、学生たちもキャンパスで議論していました。それから40年の今日、元号への消極論、不要論は社会に皆無かと言えば、そんなことはないはずですし、また元号は不要という意見にも、その理由は様々あるはずです。
 今回の改元で社会的に話題になったことの一つに新元号の事前予想があり、新聞各紙も取り上げていました。その中の記事の一つで、「昭和から平成になったときは自粛ムードの中だった。今回は明るい雰囲気の中で元号を自由に語ることができて良かった」との趣旨の声が紹介されているのを目にしました。元号を自由に語るせっかくの機会であるのなら、報道も新元号への歓迎ムードだけでなく、元号不要論、廃止論の声をも紹介してよいのではないかと思います。もちろん、そうした記事が皆無というわけではありませんが、祝賀ムードの中に埋没している観がぬぐえません。
 さらには、元号が社会でどのように受け止められているのかについて、マスメディアのとらえ方は情緒的になっているのではないかと、気になっています。例えば朝日新聞や毎日新聞の2日付の社説を見ても、「国民主権の現憲法の下、国民の間には、西暦との自然な使い分けが定着しているようにみえる」(朝日)とか「象徴天皇制の現代においては、元号は一つの『文化』であろう 」(毎日)と書くだけで、そうとらえる根拠となるデータは示されていません。
 元号への積極的、肯定的な評価が社会にあるのは事実ですし、そうした声を報じていくのもマスメディアとしては当然ですが、あまりに祝賀ムード一色に流れると、異論を口にするのがはばかられる、といった空気を生み出しかねないのではないでしょうか。

※朝日新聞・4月2日付社説
「平成から令和 一人一人が時代を創る」
https://www.asahi.com/articles/DA3S13960809.html?iref=editorial_backnumber

※毎日新聞・4月2日付社説
「新しい元号は『令和』 ページをめくるのは国民」/選定過程を詳細に記せ/時代共有する「文化」に
https://mainichi.jp/articles/20190402/ddm/005/070/094000c

※写真(下)は東京発行各紙の4月1日夕刊

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「辺野古埋め立てに賛成だが、自分の住む地域への基地移設は反対」が12%(毎日新聞調査)~3月の世論調査結果から

 3月にマスメディア各社が実施した世論調査の結果の備忘です。
 内閣支持率は以下の通りです。読売新聞の調査で不支持率が前回比で5ポイント減っているほかは、支持率、不支持率とも増減の幅は3ポイント以内です。大きな変動はなかったと言えそうです。

【内閣支持率】 ※カッコ内は前月比、Pはポイント
・読売新聞 3月22~24日
 「支持」50%(1P増) 「不支持」35%(5P減)
・朝日新聞 3月16、17日
 「支持」41%(±0) 「不支持」37%(1P減)
・毎日新聞 3月16、17日
 「支持」39%(1P増) 「不支持」41%(2P増) 「関心がない」19%(3P減)
・産経新聞・FNN 3月16、17日
 「支持」42・7%(1・2P減) 「不支持」42・8%(0・1P減)
・共同通信 3月9、10日
 「支持」43・3%(2・3P減) 「不支持」40・9%(0・2P減)
・NHK 3月8~10日
 「支持」42%(2P減) 「不支持」36%(1P減)

 

 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設先として、日米両政府が合意した同じ沖縄県内の名護市辺野古で進む海域の埋め立てへの賛否を問うた2月24日の沖縄県民投票では、有効投票総数の72・15%が辺野古の埋め立てに「反対」でした。この投票結果に関連しては、朝日新聞、毎日新聞、共同通信、NHKが質問を用意しました。
 このうち毎日新聞の質問と回答状況の分析が興味深かったので、書きとめておきます。

・毎日新聞
◆沖縄の県民投票で、米軍普天間飛行場の移設に向けた名護市辺野古の沿岸部の埋め立てに「反対」する意見が7割を超えました。しかし、政府は埋め立て工事を続けています。埋め立ての続行に賛成ですか、反対ですか。
 「賛成」29% 「反対」52%
◆沖縄の米軍基地が、あなたのお住まいの地域に移設されるとしたら、賛成ですか、反対ですか。
 「賛成」21% 「反対」62%

 毎日新聞の記事によると、この二つの質問の回答結果のクロス集計は以下の通りとのことです。一部を引用します。

 辺野古沿岸部の埋め立て続行に反対と答えた層では、自分の住む地域への米軍基地移設にも「反対」が84%と多数を占め、「賛成」は10%。埋め立て続行に賛成と答えた層では、「賛成」52%、「反対」42%だった。

 それぞれを掛け合わせると、以下のようになります。数値は調査対象全体の中の割合です。
▽辺野古埋め立てに反対であり、自分の住む地域への移設にも反対 43・7%
▽辺野古埋め立てに賛成であり、自分の住む地域への移設にも賛成 15・1%
▽辺野古埋め立てに賛成だが、自分の住む地域への移設には反対 12・2%
▽辺野古埋め立てに反対だが、自分の住む地域への移設には賛成 5・2%

 この結果をどう読み解くかを軽々に語ることは控えたいと思いますが、県民投票の結果を沖縄県外、つまり日本本土の住民がわが事として受け止めるための社会的な議論の出発点としては、沖縄の人たちが反対している基地を自分が住む地域で受け入れることができるかどうか、という問いは分かりやすいのではないかと思います。
 県民投票で示されたのは、地域のことは地域で決める自己決定権を求める沖縄の人たちの意思でした。上記の4類型の中で、「辺野古埋め立てに賛成だが、自分の住む地域への移設には反対」との回答は、ごく大雑把に言えば、現状のまま基地の負担は沖縄に引き受けてもらうのがよい、あるいはそれしかない、という姿勢であり、沖縄の人たちの自己決定権は認めなくていい、あるいは認められないのはやむを得ないとの考え方(意識しているかどうかにかかわらず)だと言えるかもしれません。その割合が12%余というのは、やはり少なくないと感じます。

 ちなみに沖縄県民投票を巡る朝日新聞、共同通信、NHKの質問と回答状況は以下の通りでした。

・朝日新聞
◆沖縄県にあるアメリカ軍普天間飛行場の移設をめぐり、名護市辺野古への埋め立ての是非を問う県民投票が実施され、埋め立て「反対」が7割を超えました。安倍政権は、普天間飛行場の名護市辺野古への移設を見直すべきだと思いますか。
 「見直すべきだ」55%
 「見直す必要はない」30%

・共同通信
◆沖縄県の玉城デニー知事は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対していますが、政府は移設を進める考えです。あなたは、移設を進める政府の姿勢を支持しますか、支持しませんか。             
 「支持する」 37・2%
 「支持しない」48・9%
◆2月24日の沖縄県民投票では、辺野古沿岸部の埋め立てへの反対が72%を占めました。あなたは、政府はこの結果を尊重すべきだと思いますか。      
 「尊重すべきだ」   68・7%
 「尊重する必要はない」19・4%

・NHK
◆沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画に伴う名護市辺野古沖の埋め立てへの賛否を問う県民投票で、「反対」の票が多数を占めました。県民投票に法的拘束力はなく、政府は、普天間基地の返還を実現するため、予定通り、移設を進める方針です。あなたは、政府の方針を評価しますか。評価しませんか。それともどちらともいえませんか。
 「評価する」24・2%
 「評価しない」34・2%
 「どちらともいえない」33・8%

 このほか、各調査の質問の中で、元号について尋ねたものとその回答状況を書きとめておきます。

・読売新聞
◆あなたは、ふだんの生活や仕事で、元号と西暦では、元号を多く使っていますか、西暦を多く使っていますか、それとも、どちらも同じくらいですか。
 「元号」41%
 「西暦」25%
 「どちらも同じくらい」33%

・朝日新聞
◆平成の元号が4月で終わり、5月から新しい元号になります。日常生活でおもに使いたいと思うのは、新しい元号の方ですか。西暦の方ですか。
 「新しい元号」40%
 「西暦」50%
◆新天皇の即位と新しい元号で、世の中の雰囲気が変わると思いますか。
 「世の中の雰囲気が変わる」37%
 「そうは思わない」57%

・産経新聞・FNN
 天皇陛下の譲位と皇太子さまの即位に伴い、5月1日に新しい元号となる
◆平成の時代は良い時代だったか
 「良い時代だった」60・1%
 「良いとはいえない時代だった」25・4%
◆新しい時代は平成よりも良い時代になると期待しているか
 「期待している」66・7%
 「期待していない」26・1%
◆新元号について、日本の古典や文学と中国の古典のどちらから採用してほしいか
 「日本の古典や文学」63・5%
 「中国の古典」3・7%
 「こだわりはない」31・8%

 

官邸前で記者と市民が抗議/「記者会と協力」政権が強調~記者会見の質問制限5

 菅義偉官房長官の記者会見をめぐる東京新聞記者の質問制限問題で、最近の二つの動きを書きとめておきます。

▼首相官邸前の抗議集会に600人超
 新聞労連や民放労連、出版労連などマスメディアや文化情報産業関連の9産業別労組でつくる日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)が3月14日夜、首相官邸前で抗議集会を開きました。主催者発表で600人以上が参加したとのことです。後掲しますが、ネット上で参加者のスピーチを聞くことができます。
 問題の発端は昨年12月28日に、首相官邸側が報道室長名で記者クラブ「内閣記者会」に対し、東京新聞の望月衣塑子記者を事実上名指しして、菅官房長官の記者会見での質問を「事実誤認」「度重なる問題行為」として、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」「このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と文書で申し入れたことです。朝日新聞の報道によると、これに対して内閣記者会は「記者の質問を制限することはできない」と伝えたとのことですが、それ以上の抗議などは現在に至るまで行っておらず、内閣記者会としてはこの問題に沈黙を続けている形です。
 MIC主催の抗議集会はそうした中で開かれました。抗議集会を報じた共同通信の記事によると、新聞労連の南彰委員長(MIC議長)は「不当な記者弾圧、質問制限が繰り返されている。悩んでいる官邸記者クラブの仲間たちが立ち上がれるよう勇気づけよう」と呼び掛けたとのことです。「悩んでいる仲間たち」という表現は、「○○新聞社○○部」などの所属の違いを超えて、同じ「記者」の職能を持つ個人という意味で重要です。
 集会には労組員ではない一般の方の参加もあったとのことです。記者たちが市民と一緒に「知る権利」を守ろうと声を上げたことの意味は小さくありません。官邸側の質問妨害は特定の記者、特定の新聞社との間の限定的な問題ではなく、広く社会全体の「知る権利」にかかわる問題であることが、より分かりやすくなったのではないかと感じます。

※47news=共同通信「『官邸は質問制限するな』と抗議 マスコミ労組」2019年3月14日
 https://this.kiji.is/478897589263909985?c

 毎日新聞は自社サイトに動画もアップしています。
※毎日新聞「『知る権利守ろう』首相官邸前で抗議集会」2019年3月14日
 https://mainichi.jp/articles/20190314/k00/00m/040/305000c

 主催団体のMICのサイトには長時間の動画がアップされています。東京新聞・望月記者も集会に参加して発言しています。1時間30分50秒ごろからです。

youtu.be

※日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
 http://www.union-net.or.jp/mic/
 3月14日の集会アピール(PDFファイル)
 http://www.union-net.or.jp/mic/pdf/2019_03_14-MIC%E3%83%BCkanteikougi-appeal.pdf

 

▼「記者会と協力」と政権が強調することの危うさ
 抗議集会の翌日の15日、安倍晋三政権から看過できない見解の表明が2件ありました。一つは官房長官の記者会見の主催は内閣記者会なのに、司会を官邸報道室長が務めていることについてです。安倍政権は15日の閣議で、「今後とも報道室長が司会を行うことが適切だ」との答弁書を決定しました。
※47news=共同通信「政府、報道室長の司会『適切』 長官会見で答弁書」2019年3月15日 

https://this.kiji.is/479117043058787425?c
 以下は一部の引用です。

 答弁書は報道室長が司会をする理由を「官房長官の会見後の業務に支障が生じないようにする観点から行っている。報道室長は記者会と協力しながら会見の円滑な運営に努めている」と説明した。

 もう一つは菅官房長官の15日の記者会見での発言です。
※47news=共同通信「菅氏『会見で誤認質問許されず』 東京新聞の記者に」2019年3月15日
 https://this.kiji.is/479232209501127777?c

 菅義偉官房長官は15日の記者会見で、東京新聞の特定の記者が「記者の質問の自由」に関する政府の認識を尋ねたのに対し「事実に基づかない質問を平気で言い放つことは絶対に許されない」と述べた。「記者による個人的意見、主張が繰り返された場合、官房長官会見の本来の趣旨が損なわれる」と説明した。

 産経新聞の報道によると、菅官房長官は「会見が国民の知る権利に資するものとなるよう、今後とも内閣記者会と協力しながら適切に対応していく」とも話したとのことです。
※産経新聞「事実に基づかない質問『許されない』 菅長官、東京新聞記者に」2019年3月15日
 https://www.sankei.com/politics/news/190315/plt1903150033-n1.html

 記者の質問が事実誤認に基づいているのなら、答える側がそう指摘すればいいことです。むしろ「事実ではない」という政府の主張それ自体が一つの見解にすぎない、という場合だって少なくないのではないかとも思います。「事実に基づかない質問を平気で言い放つことは絶対に許されない」とは、その文言だけを見ればその通りかもしれませんが、では記者会見の場で「事実に基づかない」とだれがどう判定するのでしょうか。政府がそう言えばそうなのだ、ということならば、記者会見は成り立ちません。答える側が答えたい質問だけを選ぶことが可能になります。政府広報と変わるところはありません。
 より一層、問題だと感じるのは、記者会見の司会役である報道室長は記者の質問中に「質問簡潔に」などと妨害しているのに、答弁書で「報道室長は記者会と協力しながら会見の円滑な運営に努めている」と、記者会を持ち出して正当性を強調していることです。菅官房長官も「今後とも内閣記者会と協力しながら適切に対応していく」と触れています。内閣記者会が表立った抗議をしていないのをいいことに、自らに都合のいいように「協力」関係を強調しているように見えます。しかし、記者クラブは公権力と協力するための組織ではありません。
 以下は日本新聞協会の「記者クラブ見解」とその「解説」の一部です。
 ※日本新聞協会「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」
 2002年(平成14年)1月17日第610回編集委員会
 2006年(平成18年)3月9日第656回編集委員会一部改定
 https://www.pressnet.or.jp/statement/report/060309_15.html

 取材・報道のための組織
 記者クラブは、公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される「取材・報道のための自主的な組織」です。
 日本の報道界は、情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた歴史があります。記者クラブは、言論・報道の自由を求め日本の報道界が一世紀以上かけて培ってきた組織・制度なのです。国民の「知る権利」と密接にかかわる記者クラブの目的は、現代においても変わりはありません。
 インターネットの急速な普及・発展により、公的機関をはじめ、既存の報道機関以外が自在に情報を発信することがいまや常態化しており、記者クラブに対し、既存のメディア以外からの入会申請や、会見への出席希望が寄せられるようになりました。
 記者クラブは、その構成員や記者会見出席者が、クラブの活動目的など本見解とクラブの実情に照らして適正かどうか、判断しなくてはなりません。
 また、情報が氾濫(はんらん)する現代では、公的機関が自らのホームページで直接、情報を発信するケースも増え、情報の選定が公的機関側の一方的判断に委ねられかねない時代とも言えます。報道倫理に基づく取材に裏付けられた確かな情報こそがますます求められる時代にあって、記者クラブは、公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務を負っています。クラブ構成員や記者会見出席者は、こうした重要な役割を果たすよう求められます。
 (後略)

 

解説
1 目的と役割
 (中略)
 重ねて強調しておきたいのは、記者クラブは公権力に情報公開を迫る組織として誕生した歴史があるということである。インターネットの普及が著しい現在、公的機関のホームページ上での広報が増え、これに対して電子メールなどを通じた質疑・取材が多用されるようになり、公的機関内に常駐する機会が少なくなることも今後は予想される。だがその結果、記者やメディアが分断され、共同して当局に情報公開を迫るなどの力がそがれる危険性もある。そうした意味でも記者クラブの今日的な意義は依然大きいものがある。
 記者クラブは、記者の個人としての活動を前提としながら「記者たちの共同した力」を発揮するべき組織である。個々の活動をクラブが縛ることはあってはならない。

 記者クラブは公権力に情報公開を迫るための組織です。公権力が記者の質問を妨害していると批判されているのに、その批判への反論に際して「記者クラブとの協力」が公権力によって強調されています。記者の間に分断をもたらすものであって、看過できません。

東京大空襲から74年 殉職した電話局職員31人の記録~「一顧の歴史と 寸時の祈念とを惜しませ給うな」(吉川英治の碑文) ※追記 吉川英治記念館のこと

 第2次世界大戦の末期、1945(昭和20)年の3月10日未明、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の大編隊の空襲を受け、一夜にして住民10万人以上が犠牲になりました。その「東京大空襲」からことしは74年です。わたしなりに戦争を、中でも生活の場が戦場になり、おびただしい住民が犠牲になったこの東京大空襲の歴史を追体験するために、近年は多くの犠牲者が出た地へ慰霊碑を訪ねたりしています。
 ※東京大空襲に言及したこのブログの過去記事はカテゴリー「東京大空襲」をご参照ください

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 今回は、ことし1月半ばに訪ねた東京都墨田区の墨田電話局慰霊碑のことを書きます。
 JR総武線の両国駅、錦糸町駅からそれぞれ徒歩で20~30分程度でしょうか。蔵前橋通りと三つ目通りの交差点の少し北に「NTT石原ビル」(墨田区石原4丁目36-1)があります。
 大空襲の当夜、この地にあった墨田電話局では前夜から男性職員3人、女性交換手28人が勤務しており、最後まで職場にとどまって全員死亡しました。「由来」の説明プレートによると、最年少の交換手は15歳だったとのことです。通信インフラ網の維持は戦争遂行にとっても重要なことであり、早期に職場を離れて避難することなど、許されることではなかったのだろうと、容易に想像が付きます。若年労働力を根こそぎ動員せざるをえなかった、無謀な戦争の一面もあらためてよく分かると感じました。

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 慰霊碑のそばには、作家吉川英治による自筆の追悼の碑もありました。その詳しい由来がブログ「草思堂から 吉川英治記念館学芸員日誌」にありました。一部を引用して紹介します。

 ※「墨田電話局慰霊碑」=2016年12月17日
 http://yoshikawa.cocolog-nifty.com/soushido/2016/12/post-0a15.html

 吉川英治は、この東京大空襲で最初の妻・赤沢やすとの結婚時代に引き取った養女・園子を失っています。

 女子挺身隊として動員されていた園子は、やすと共に都心に残っていました。
 最後に確認されたのは、当時住んでいた浅草の自宅で、外出していたやすの帰宅を待つ姿でした。
 そのまま園子は行方不明となり、ついにその消息は分かりませんでした。
 吉川英治は、園子行方不明の連絡を受け、当時住んでいた吉野村(現吉川英治記念館)から連日上京して、園子の消息を訪ね歩きました。
 その時のことを、梶井剛元電電公社総裁との対談(『電信電話』昭和32年6月号)で触れています。
 園子を探し歩いてくたくたになった後、親交のあった秋山徳三の家に立ち寄ったところ、そこに来合わせた人物から墨田電話局の悲劇を聞かされたと言います。
 そして、こう語っています。
 
 それをききましてぼくは、ああ、そんなにまで純真なおとめたちがあったのに、ぼくの養女一人がみえなくなったからっていって、そう途方にくれたように幾日も探し歩いてもしようがない、たくさん、日本のいい娘たちが、そうして亡くなったんだから……と思って、ぼくもそこですっかりあきらめて、ついにその晩雪のなかを奥多摩へ帰ったことがありました。その話を、ぼくはいつまでも忘れかねるんですね。

 吉川英治は、この対談が縁となって、昭和33年(1958)3月10日に行われた慰霊碑の除幕式に招かれます。
 当時の吉川英治の秘書の日誌によると除幕式の3日後、電電公社の職員が来訪し、慰霊碑のそばに設置する由緒を記した碑文の撰文と揮毫を依頼します。
 この日誌からは、依頼を受けた吉川英治が、半月以上の時間をかけて、何度も書き直して碑文を完成させたことが窺えます。

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 その碑文には何が書かれているか、実物は見づらく、内容を正確に読み取るのは困難でした。上記のブログによるとこう書かれています。

 春秋の歩み文化の進展は その早さその恩恵に馴るゝ侭
つい吾人をして 過去の尊いものをも忘れしむる
こゝ百尺の浄地ハ 大正十二年九月一日関東大震災
殉職者二名と また過ぐる昭和二十年三月九日夜半
における大戦の大空襲下に 国を愛する清純と自
らの使命の為 ブレストも身に離たず 劫火のうち
に相擁して仆れた主事以下の男職員三名 ならびに
女子交換手二十八名が その崇高な殉職の死を 永遠と
なした跡である
当時の墨田分局 いま復興を一新して その竣工の慶を
茲に見るの日 想いをまた春草の下に垂れて かっての
可憐なる処女らや ほか諸霊にたいし 痛惜の
悼みを新にそゝがずにいられない
人々よ 日常機縁の間に ふとここに佇む折もあ
らば また何とぞ 一顧の歴史と 寸時の祈念
とを惜しませ給うな        吉川英治 謹選

 「一顧の歴史と 寸時の祈念とを惜しませ給うな」との言葉に従って、慰霊碑に手を合わせ、目を閉じて空襲当夜に思いをはせました。一帯は空襲によって一面の焼け野原になりましたが、今はビルやマンションが立ち並び、車がひっきりなしに行き交います。戦争の歴史を知らず、この現在の街並みに接するだけだったら、かつてこの場所で15歳の少女を含む31人もの方が、職務に殉じて空襲の犠牲になった、そのような出来事があったとはとても想像できないと思いました。

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 日本の敗戦から70年以上がたって、戦争を直接体験し、今に語ることができる方々がいなくなってしまう日も、それほど遠い先のことではありません。戦争の歴史を教訓として生かしていけるかは、まず第一に戦争体験を社会で継承していけるかにかかっています。戦争体験の継承の重要さをあらためて感じます。

 吉川英治記念館は東京都青梅市柚木町1-101-1に所在。かつての西多摩郡吉野村です。この地と吉川英治のかかわりについて、記念館のサイトは以下のように記しています。

 「宮本武蔵」「三国志」などの作品で国民的作家となった吉川英治は、昭和19年3月、都心の赤坂区(現港区)からこの地に移り住みます。
 形の上では戦時下の疎開のようですが、この3年前、太平洋戦争開戦以前に既に家を購入するなどの準備をした上での決意の移住でした。吉川英治はこの吉野村の家で昭和28年8月までの9年5ヶ月を過ごしますが、生涯で一番長く住んだのがこの家でした。

 記念館はことし2019年3月で閉館とのことです。

 NTT石原ビルから西に徒歩で5分ほどの「山田記念病院」玄関前には、旧日本海軍の駆逐艦「初霜」の錨が置かれていて、まじかで見学することができます。
 説明のプレートによると、病院の初代院長の山田正明さんは元海軍の軍医。かつて軍医長として乗り組んでいた初霜が戦後、解体された後に錨を引き取ったとのことです。
 ウイキペディア「初霜(初春型駆逐艦)」によると、初霜は1934年に就役。終戦直前の45年7月30日、京都府の宮津湾で米軍機と戦闘中に触雷して大破、擱座し、戦列を離れました。太平洋戦争を通じて第一線で活動し、45年4月の戦艦大和の海上特攻作戦にも参加していました。この錨を目にし、触れることで、そうした海の戦争も確かにあったのだと感じ取ることができたように思いました。

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 ※追記 2019年3月22日0時15分
 東京都青梅市の吉川英治記念館は3月20日をもって閉館しました。その前の休日、思い立って訪ねてみました。74年前の1945年、吉川英治は3月10日の東京大空襲で行方不明になった養女の園子を探しに都心に出て、しかし消息は分からないまま、ついにあきらめて、おそらくは傷心で青梅に戻ります。その日はこの時期とそう変わらなかったのではないかと思いました。
 吉川英治が戦後、元電電公社総裁との対談で語ったところでは、その晩は雪だったとのことです。わたしが訪ねた日は、吹く風にまだ冬の冷たさが残っているようでしたが、日差しを浴びて歩いていると、コートを着たままでは汗ばんでくるような、本格的な春の到来もまもなくだろうと感じる日でした。

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【写真】吉川英治が生活していた母屋

 都心からはJR中央線を立川駅で青梅線に乗り換え30分で青梅駅に着きます。それまで平野を走ってきた電車も、青梅から先は趣きが変わって山間部に入っていきます。記念館は青梅から二つ目の日向和田駅が最寄りですが、わたしは青梅駅からバスに乗り換えました。多摩川をさかのぼるように走ること15分ほどで、記念館に着きました。
記念館には吉川英治の最初の妻、赤沢やす、養女の園子と一緒に写った写真も展示されていました。生後間もなく引き取った園子を夫婦ともにかわいがって育てたようですが、「子はかすがい」とはならず夫婦は1937年に離婚。1945年当時は、吉川英治は再婚していました。それでも園子の消息不明を知って探しに行ったのは、それだけ園子への愛情が深かったということなのだろうな、と感じました。年譜を見ると、敗戦後2年間、断筆しています。対談で「ぼくはいつまでも忘れかねる」と語っていた園子のことを、この山あいの里でずっと考えていたのでしょうか。

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【写真】吉川英治の書斎

 記念館から徒歩で15分ほど。一帯は吉野梅郷と呼ばれる梅の名所でした。青梅市観光協会のサイトなどによると、最盛期は約120品種、1700本以上の梅樹がありましたが、ウメ輪紋ウィルス防除対策によりすべて2014年までに伐採したとのことです。その後植樹を進めており、わたしが訪ねた日は再開された梅まつりの期間中でしたが、かつてのにぎわいが戻ってくるには、まだ相当の時間がかかるのだろうと感じました。
 吉川英治が園子の生存をあきらめ、失意のまま吉野に戻った日も、梅は咲いていたのかもしれません。その花を見ても、きっと喪失感は埋められなかっただろうと思います。

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日本ペンクラブが声明~記者会見の質問制限4

 菅義偉官房長官の記者会見での東京新聞記者の質問制限問題で、日本ペンクラブが3月1日に声明を発表しました。 

日本ペンクラブ声明 「首相官邸記者会見の質問制限と回答拒否問題について」 – 日本ペンクラブ

※日本ペンクラブ http://japanpen.or.jp/

 直接は官房長官と首相官邸報道室の対応を批判する内容ですが、最後に「報道各社の記者がジャーナリストとしての役割と矜持に基づき、ともに連携し、粘り強い活動をつづけることを期待する」と書き添えています。「思想・信条の自由、言論・表現の自由の擁護」を基本理念の一つに掲げる日本ペンクラブからの指摘として、記者クラブのありようという観点からも軽視できないと感じますので、声明全文を転載しておきます。

 いったい何を大人げないことをやっているのか。内閣官房長官と首相官邸報道室のことである。両者は昨年末、内閣記者会に対し、東京新聞記者の質問が「事実誤認」「問題行為」であるとして「問題意識の共有」を申し入れたのを手始めに、2ヵ月が経ったいまも、同記者の質問に対し、「あなたに答える必要はない」と高飛車に応じている。
 官房長官の記者会見は、記者がさまざまな角度から政府の政策を問い質す場である。その背後に国民の「知る権利」があることは言うまでもない。質問に誤解や誤りがあれば、それを正し、説明を尽くすことが官房長官の仕事ではないか。「答える必要はない」とは、まるで有権者・納税者に対する問答無用の啖呵である。
 そもそもこの問題には最初から認識の混乱がある。官邸報道室長が内閣記者会に申し入れた文書(昨年12月28日付)には、会見はインターネットで配信されているため、「視聴者に誤った事実認識を拡散させることになりかねない」とあった。
 ちょっと待ってほしい。政府は国会答弁や首相会見から各種広報や白書の発行まで、政策を広める膨大なルートを持っている。問題の官房長官記者会見も「政府インターネットテレビ」が放送している。仮に「誤った事実認識」が散見されたとしても、政府には修正する方法がいくらでもあるではないか。それを「拡散」などとムキになること自体、大人げないというべきである。
 私たちは今回の一連の出来事に対する政府側の対応を、なかば呆れながら見守ってきた。この硬直した姿勢は、特定秘密保護法、安保法制審議、いわゆるモリカケ問題から、最近の毎月勤労統計不正、沖縄県民投票結果への対応までほぼ一貫し、政府の資質を疑わせるまでになっている。
 私たちが懸念するのは、これらに見られた異論や批判をはねつけ、はぐらかす姿勢が、ものごとをさまざまな角度から検討し、多様な見方を提示し、豊かな言葉や音楽や映像等で表現しようとする意欲を社会全体から奪っているのではないか、ということである。これは一記者会見のあり方を超え、社会や文化の活力を左右する問題でもある。
 私たちは官房長官と官邸報道室が、先の申し入れ書を撤回し、国民の知る権利を背負った記者の質問に意を尽くした説明をするよう求めるとともに、報道各社の記者がジャーナリストとしての役割と矜持に基づき、ともに連携し、粘り強い活動をつづけることを期待する。
 

2019年3月1日
一般社団法人日本ペンクラブ
会長 吉岡 忍

 

辺野古移設「反対」多数ながら沖縄の民意とに落差~2月の世論調査結果から

 2月にマスメディア各社が実施した世論調査の結果の備忘です。
 安倍晋三内閣の支持率は、2月上旬の調査では「支持」が微増、「不支持」は微減の傾向でした。中旬から下旬は、調査によって違いはありますが、大まかな傾向としては「支持」が減少、「不支持」は増加とみていいように思います。少なくとも「支持」の増加、「不支持」の減少はありません。要因はやはり統計不正問題でしょうか。

【内閣支持率】 ※カッコ内は前月比、Pはポイント
・読売新聞 2月22~24日
 「支持」49%(±0) 「不支持」40%(2P増)
・朝日新聞 2月16、17日
 「支持」41%(2P減) 「不支持」38%(±0)
・産経新聞・FNN 2月16、17日
 「支持」43・9%(4・0P減) 「不支持」42・9%(3・7P増)
・日経新聞 2月15~17日
 「支持」51%(2P減) 「不支持」42%(5P増)
・NHK 2月9~11日
 「支持」44%(1P増) 「不支持」37%(2P増)
・共同通信 2月2、3日
 「支持」45・6%(2・2P増) 「不支持」41・1%(1・2P減)
・毎日新聞 2月2、3日
  「支持」38%(1P増) 「不支持」39%(1P減) 「関心がない」22%(1P増) ※前回調査は昨年12月
・JNN 2月2、3日
  「支持」52・8%(2・0P増) 「不支持」44・3%(1・2減)

 沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設については、共同通信、朝日新聞、読売新聞の3件の調査が取り上げました。質問と回答状況を引用して後掲します。
 辺野古への移設や海面の埋め立てに対しては、3件いずれの調査でも「反対」「支持しない」が「賛成」「支持する」を上回りました。ただ、共同通信調査では「支持しない」が51・6%とわずかに過半数を超えているものの、読売新聞調査では「反対」は47%と半数に届かず、朝日新聞調査では「反対」37%、「賛成」34%と、ほぼ拮抗しています。
 朝日新聞、読売新聞は、沖縄の米軍基地と日本の安全保障についても尋ねています。朝日新聞調査では、沖縄県の米軍基地の必要性について、「大いに」と「ある程度」を合わせて「必要だ」の回答が73%に上り、読売新聞調査でも、沖縄の米軍基地が日本の安全保障に役立っているかとの問いに、「役立っている」との回答が59%に上っています。
 2月24日に実施された沖縄県の県民投票では、有効投票総数の72・15%が辺野古の埋め立てに「反対」でした。世論調査と投票行動とをただちに同列には比較できませんが、沖縄の民意と日本全体の世論とにはやはり落差があると感じます。*1
 このブログで概観したように、日本本土の新聞各紙の社説、論説は、県民投票で示された沖縄の民意を尊重して辺野古の埋め立て工事を取りやめ、沖縄県や米国と協議するように日本政府に求めると同時に、本土の住民もわが事としてとらえるべきだとする内容が多数に上っています。今後、日本の社会全体で、この意識の落差を乗り越える努力が必要になるのだろうと感じます。
 2月の世論調査はいずれも、この沖縄県民投票の結果が報じられる前に実施されました。次回以降の世論調査で回答状況がどのようになるのか、変化があるのかないのかを、まず注目したいと思います。

【沖縄の米軍基地】
▼読売新聞
・政府は、沖縄県のアメリカ軍普天間飛行場を移設するため、県内の名護市辺野古沖の埋め立て工事を進める方針です。この方針に、賛成ですか、反対ですか。
 賛成 36%
 反対 47%
・沖縄のアメリカ軍基地は、日本の安全保障に役立っていると思いますか。
 役立っている 59%
 そうは思わない 30%

▼朝日新聞
・沖縄の基地問題についてうかがいます。あなたは、沖縄県にあるアメリカ軍の普天間飛行場を、沖縄県の名護市辺野古に移設することに賛成ですか。反対ですか。
 賛成 34%
 反対 37%
・あなたは、沖縄の米軍基地は日本の安全保障にとって、どの程度必要だと思いますか。(択一)
 大いに必要だ 20%
 ある程度必要だ 53%
 あまり必要ではない 18%
 まったく必要ではない 6%

▼共同通信
 沖縄県の玉城デニー知事は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対していますが、政府は移設を進める考えです。あなたは、移設を進める政府の姿勢を支持しますか、支持しませんか。             
 支持する 39・4%
 支持しない 51・6%

 ※参考過去記事 

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com

*1:沖縄県民投票前に朝日新聞が沖縄県民を対象に実施した世論調査では、辺野古埋め立てに「反対」59%、「賛成」16%、「どちらでもない」21%でした。同様の共同通信の調査では、辺野古移設への賛否は「反対」「どちらかといえば反対」は72・8%でした。

沖縄の自己決定権と「本土」の責任、当事者性~沖縄県民投票の地方紙、ブロック紙社説の記録

※「『本土も当事者』おおむね共通~沖縄県民投票の地方紙、ブロック紙社説」から改題しました(2月28日)

 2月24日の沖縄県民投票の結果に対しては、日本本土の地方紙、ブロック紙も社説、論説で取り上げています。ネット上でチェックできたものをまとめました。
 ほとんどの社説、論説は、県民投票によって名護市辺野古の沿岸部の埋め立てに反対の民意が明確に示されたと意義付け、日本政府は埋め立て工事を中止して沖縄県と協議するよう求めています。外交、安保は国の専管事項との日本政府の主張に対しても、多くの社説、論説が疑問を提示し、また埋め立て予定地の一部に軟弱な地盤があり工期、費用とも大幅に増大すること、そのことを政府が公表していなかったことも指摘しています。
 注目したいのは、「今後問われるのは、事実上、基地を沖縄に押し付けてきた本土の姿勢だ」(京都新聞)、「私たち本土の住民も、沖縄の基地負担の現状と投票結果を重く受け止め、いま一度、日本全体の問題として考えたい」(西日本新聞)などと、本土の側も問題の当事者であると受け止めている点もおおむね共通していることです。普天間飛行場の移設を始め、基地の過剰集中の問題と沖縄の民意を考える際のキーワードは、地域のことは自分たちで決める「自己決定権」です。本土の地方紙で直接、この言葉を用いている社説、論説は決して多くはないようですが、国と地方の関係が問われていることに、問題意識を共有しようとしていると感じます。
 一方で、では工事を中止して、その後、本土側もわが事として考える際に、どう解決を図るのか、どんな選択肢があるのかを明確に示している社説や論説は見当たらないようです。普天間飛行場の代替機能を持つ新基地の建設場所について、沖縄の民意を尊重せよとの主張から言えば、再検討してもやはり沖縄しかない、というのは論外でしょう。では沖縄以外の日本本土のどこかの地域が引き受けるのか、国外移転を米国に求めるのか、いっそ日米安保条約=日米軍事同盟の見直しに進むのか―。いずれは議論が避けられないと思いますし、逆に言えば本土でそうした議論がなかったからこそ、沖縄に一方的に基地が押し付けられることが続いてきたのではないかと、わたしは考えています。
 今後の議論のありようを考える意味で、地方紙・ブロック紙の社説の中に、辺野古の埋め立ての即時中止と計画の白紙撤回が政府の現実的な選択肢であるとしつつ、在日米軍基地の必要性は明確に指摘している河北新報(26日付)の社説のような言説があることに注目しています。

 辺野古への移設を進めるとの安倍晋三政権の方針を支持する社説、論説は、地方紙の中では目にした限りでは北國新聞(26日付)だけでした。丁寧な説明と基地負担の軽減策で沖縄県の理解を広げる努力を政府に求めています。一方で、有権者全体でみると反対は37%超に過ぎないとして「圧倒的な反対の民意」とは言い難い、としています。一部を以下に引用します。

・北國新聞「沖縄県民投票 国、県それぞれに重い意味」=2月26日付

 国民全体のための安全保障政策は国の専権事項であり、本来、一自治体の意向で左右されるものではないとはいえ、とりわけ在日米軍も関わる安保政策は、地域住民の理解と協力がないと、円滑な運営は困難になる。
 辺野古への移設によって普天間飛行場の危険性を除去し、米軍の抑止力も維持するという国の方針を是とするが、政府には沖縄県との対話を絶やさず、丁寧な説明と基地負担の軽減策で理解を広げる努力をさらに求めたい。
 (中略)
 この数字をみる限り、反対が圧倒的多数で、玉城氏は「断固たる民意を受け止め、工事の中止を強く求める」と強調している。しかし、全投票資格者のうち、54万8千人余は参加せず、投票率は52%超にとどまった。有権者全体でみると、反対は37%超に過ぎず、玉城氏を支える政治勢力「オール沖縄」がめざした「圧倒的な反対の民意」とは言い難い。移設先の名護市は反対票が多数を占めたが、投票率は50%超で、渡具知武豊市長が「投票しなかった人たちの民意もある」と述べ、反対以外の意見も尊重する考えを示したのは、もっともではないか。

 

 以下に、ネット上で確認した各紙の社説、論説を一部は本文を引用して書きとめておきます。28日朝の段階で、ネット上で無料で読めるものはリンクも載せています。

【2月25日付】
・北海道新聞「沖縄県民投票 辺野古反対の民意重い」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/280064?rct=c_editorial

 今月14日に県民投票が告示された後も、国は辺野古沿岸部の埋め立てを続けてきた。
 菅義偉官房長官は先週、投票結果によらず工事を続行する方針を示しただけでなく、移設の代替案を県が示していないことを批判した。責任転嫁と言うほかない。
 こうした態度を続ければ国と沖縄の溝はさらに深まるだろう。
 米政府も県民投票の結果を重く受け止めてもらいたい。
 著名人らが埋め立て反対の署名を集めるなど、辺野古移設問題は国際的な広がりを見せている。
 「日本国内の問題」と静観するのではなく、辺野古以外の選択肢を考えてほしい。
 国の方針と地方の意向が食い違う政策課題は、沖縄の基地問題に限らない。県外の人々もわがこととして捉えるべき必要があろう。

・山形新聞「辺野古移設、反対過半数 一度立ち止まるべきだ」
 http://yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20190225.inc

・茨城新聞「沖縄県民投票 一度、立ち止まるべきだ」

・信濃毎日新聞「辺野古『反対』 民意の黙殺は許されない」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190225/KT190222ETI090002000.php

 政府は投票結果を正面から受け止め、県と話し合うべきだ。沖縄の意向を踏まえ、米国側と交渉するのが本来の姿である。埋め立て工事を中止し、より多くの県民が納得できる基地負担軽減策を探ることが求められる。
 反対意見に耳を傾けず、一方的に国の方針を押し付ける―。そんなやり方を許せば、どの自治体でも同じことが起こり得る。沖縄にとどまらず、民主主義や地方自治の在り方に関わる問題である。国民全体で向き合い、政府に転換を迫っていきたい。

・京都新聞「沖縄県民投票  『新基地ノー』が民意だ」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190225_4.html

 共同通信社の世論調査では約86%が「政府は県民投票結果を尊重すべき」と答えている。同社の出口調査では、自民党の支持層の48%が反対に投票している。
 基地建設の予定海域では、極めて軟弱な地盤の存在も明らかになった。工事を続けるには大規模な地盤改良工事が必要で、岩屋毅防衛相も工期の長期化を認めざるをえなくなっている。
 政府は「辺野古が唯一の選択肢」と繰り返すが、本当にそうなのか。政府が辺野古に固執すればするほど、普天間飛行場の返還が遅れることになりかねない。
 沖縄県の玉城デニー知事は工事の中止と話し合いを国に求めている。国は早急に応じるべきだ。
 (中略)
 沖縄県では1996年にも米軍基地に関して県民投票が行われた。都道府県単位の住民投票は沖縄県でしか行われていない。基地の沖縄への集中について、県民は十分なほど意思を表明してきた。
 今後問われるのは、事実上、基地を沖縄に押し付けてきた本土の姿勢だ。安全保障を含め負担のあり方を日本全体で具体的に考える機会にしたい。

・中国新聞「沖縄県民投票 民意は明確に示された」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=507923&comment_sub_id=0&category_id=142

 沖縄県で県民投票が実施されたのは1996年に次いで2回目になる。前回も米軍基地が争点となり、投票者の9割が基地の整理縮小を求めた。
 それから20年余りたつが、在日米軍の専用施設の7割は沖縄に集中したままだ。安全保障政策上、在日米軍の存在が必要だとしても、なお沖縄だけが過重な基地負担を背負い続けなければならないのか。納得できる説明が可能とは思えない。
 辺野古での計画は当初、使用期限を設ける暫定施設のはずだったが、沿岸部を大規模に埋め立てる恒久的な基地に変わった。政府は「普天間の早期返還のための唯一の解決策」と繰り返すだけだ。基地負担を減らすために新たに巨大基地を造るという理屈では、沖縄の人々が反発するのも無理はなかろう。
 当時の知事が2013年末、埋め立て申請を認める前提として求めた「普天間の5年以内の運用停止」はどうなったのか。安倍晋三首相は「最大限努力する」と約束したが、守られていない.何の見通しもないまま今月、その期限を迎えた。
 国の安全保障政策である基地問題を巡って、なぜ2度も県民投票を行う事態に至ったのか、国民全体で考えなければならない。これ以上の基地負担は容認し難いという重い投票結果をしっかり受け止めるべきだ。

・徳島新聞「沖縄県民投票 辺野古の工事中断が先決」
 https://www.topics.or.jp/articles/-/166995

 そもそも沖縄を県民投票へと突き動かしたのは、政府の強引な進め方が原因だった。
 前回と前々回の知事選で辺野古移設に反対の民意が示されたのを顧みず、安倍政権は移設工事を着々と進めてきた。昨年末には沿岸部への土砂投入に踏み切っている。
 政府は少なくとも埋め立て工事を中断し、知事と話し合いを重ねるべきである。
 (中略)
 本県からは、吉野川第十堰の可動堰化を巡る2000年の住民投票運動に参加した有志が応援に駆け付け、プラカードを掲げて「投票に行こう」と有権者に呼び掛けた。投票を促す一定の支えとなったはずである。
 沖縄での県民投票は2度目だ。前回は1996年9月、米軍基地の整理縮小と日米地位協定の見直しを巡って行われ、投票率59・53%で、投票した89%が協定見直しと基地の整理縮小に賛成した。
 ところが地位協定は改定されず、在日米軍専用施設の70%が沖縄に集中する状況は変わっていない。
 今回の投票結果は、沖縄県外に住む私たちにも向けられたメッセージと受け止めなくてはならない。基地と不離一体の生活を余儀なくされてきた沖縄の負担を、国民全体で考える必要に迫られている。

・西日本新聞「沖縄県民投票 示された揺るぎない民意」
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/489536/

 県民投票が近づく一方で、辺野古の青い海が埋め立てられていく光景が日常化することにより、県民の間に諦めの心理が広がっているとの観測があった。政権側も「どういう結果でも移設を進める」との姿勢を強調し、県民の投票意欲を低下させる戦術を取った。
 それでも投票率は50%を超え、「反対」が他の選択肢を圧した。「辺野古ノー」を諦めない意思の固さが示された。投票率も得票率も、民意の表明としては十分と言える。
 安全保障問題は政府の専管事項であり、住民投票のテーマとすべきでないとの意見もある。しかし、国策が地方の声を無視して進められる時、住民投票による「異議申し立て」の意思表示には大きな意味がある。
 (中略)
 改めて「辺野古ノー」の民意が明確となり、加えて工法上の問題点も持ち上がっている。政府は「辺野古移設はすでに非現実的」と認識した上で、辺野古移設と切り離した普天間飛行場の早期閉鎖の実現へと政策を転換すべきではないか。これ以上の民意の無視は許されない。
 私たち本土の住民も、沖縄の基地負担の現状と投票結果を重く受け止め、いま一度、日本全体の問題として考えたい。

・大分合同新聞「沖縄県民投票で反対過半数 県と改めて対話が必要」

・佐賀新聞「沖縄県民投票で反対過半数 一度、立ち止まるべきだ」(共同通信)
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/341805

 

【2月26日付】
・河北新報「沖縄県民投票/深まる混迷 国が打開策示せ」
 https://www.kahoku.co.jp/editorial/20190226_01.html

 米軍普天間飛行場の移設そのものに関しては、これまでの各種の世論調査でも県民の多くは賛成している。あくまで緊急避難的な危険除去の移設という目的を考えれば、曲折を経た辺野古移設の判断は、全くの誤りであったとまでは言えないだろう。
 ただし、今回の県民投票の結果を重く見て、埋め立てを即時中止し、移設計画を白紙撤回する選択肢も政府は取り得るはずだ。既に辺野古沿岸部の埋め立てが一定程度進んではいるが、工事の中断は国側の決断次第とも言えるからである。
 (中略)
 戦後長らく、全国の自治体の中で沖縄が突出して過剰な基地負担に苦しんできた事実は、多くの国民が子細に承知している。沖縄の声に耳を傾け、その主張に共感し、基地負担の軽減にこれまで以上に努力するのは、国民全体に課せられた義務でもある。
 他方、北東アジアの安全保障の状況を見据えれば、米軍基地の存在が厳然として必要とされているのは、間違いない。新たな冷戦が始まったといわれる米中の対立、核兵器の放棄の道筋が不透明さに包まれる北朝鮮情勢など、わが国の安全保障は危機にさらされている。
 国の安全保障の在り方、米軍基地の必要性、沖縄の負担軽減などに十分に目配りしつつも、こじれにこじれ、もつれにもつれた基地移設の糸を解きほぐすためには、県民の意向を斟酌(しんしゃく)する政府の真摯(しんし)な姿勢は欠かせない。

・東奥日報「民意の重み 受け止めよ/「辺野古」に反対多数」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/157313

 政府は、いったん立ち止まり、計画を再検討すべきではないか。沖縄の過重な基地負担の現状と歴史的経緯も踏まえ、県と実のある対話に臨むよう求めたい。
 (中略)
 政府は安全保障政策は国の専管事項だと強調する。しかし、なぜその国策を巡って沖縄が県民投票を行う事態に至ったかを考えるべきだろう。
  沖縄の米軍基地は戦後、住民が住んでいた土地を「銃剣とブルドーザー」で強制的に奪って造られた。その後、沖縄への基地集中が進み、在日米軍専用施設の約70%が今置かれている。県民投票には長年にわたって積もった県民の思いが込められている。

・デーリー東北
 https://www.daily-tohoku.news/archives/9079

 玉城知事は県民投票の結果を受け、普天間移設について「安全保障の負担は全国民で担うとの考えの下、一人一人が自らの問題として議論してもらいたい」と述べた。この発言は重い。
 戦後、本土から切り離され過酷な米軍統治下に置かれた沖縄の歴史と、今なお続く過重な基地負担。その中で沖縄が発した今回のメッセージは、政府だけでなく本土全体に向けられていることをしっかり自覚する必要がある。

・秋田魁新報「沖縄の県民投票 移設ありき許されない」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20190226AK0010/

 反対票が投票資格者の4分の1を超えたことも大きな意味がある。結果は安倍首相とトランプ米大統領に通知される。玉城知事と会う見通しの安倍首相には「移設ありき」の姿勢を改め、移設中止を含めて真摯に対話に臨むことが求められる。
 同時に、米国にも投票結果の重視の姿勢が望まれる。基地問題を日本だけの課題とせず、米国国民も巻き込んだ議論に進展させることも重要ではないか。
 沖縄の問題は本県にとっても人ごとではない。政府が秋田市の陸上自衛隊新屋演習場を候補地としている迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」(地上イージス)配備計画も安全保障政策の一環であり、同様の構図だからだ。政府は「地域の理解を得ながら進める」としているが、実際は国の19年度予算案に購入費の一部1757億円が盛り込まれるなど、配備ありきの姿勢が際立つ。
 必要なのは辺野古移設をはじめ各種安全保障政策に対し、国民が当事者意識を持つことだ。それが、まっとうな政治を取り戻す第一歩となる。沖縄の県民投票をそのきっかけにしたい。

・岩手日報「辺野古反対の民意 わが事として考えたい」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/2/26/47836

 沖縄県民が、米軍普天間飛行場(宜野湾市)を名護市辺野古に移設するための海域埋め立てに反対の意思を明確にした県民投票の結果は、政府とともに本土住民も重く受け止めなければならない。
 投票結果に法的拘束力はなく、国は粛々と工事を続ける方針だ。こうした姿勢を支えているのは、基地問題を沖縄の問題に閉じ込めがちな本土側の意識ではないか。
 県民投票実現を主導した市民グループ代表の大学院生、元山仁士郎さんは「本土の人にこそ、考えてほしい。辺野古の埋め立てが、必要かどうか」と訴えている。
 今回の県民投票を、在日米軍専用施設の7割が集中する沖縄の歴史や現状に理解を深め、問題をわが事として考えるきっかけにしなければ、実質的に無視を決め込む政府と何ら変わるまい。
 (中略)
 知事選なら争点は多岐にわたるという建前で反対の民意をかわせるとしても、今回は問題を埋め立てへの賛否に絞った県民投票。基地建設は国の専管だが、そのための埋め立て承認は知事の権限だ。
 明白な民意を背に埋め立て工事の中止を求める玉城知事への政府対応は、国が地方をどう見ているかのバロメーターともなるだろう。注目しないわけにはいかない。

・神奈川新聞「辺野古『反対』7割 私たちが試されている」
・山梨日日新聞「[『辺野古』反対 7割超]埋め立てやめ、米国と協議を」

・新潟日報「辺野古反対7割 政府は工事強行をやめよ」
 http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190226453472.html

 安倍晋三首相は「真摯(しんし)に受け止める」という言葉だけではなく、いったん工事を中止し、沖縄県側と協議すべきだ。
 地元の反対を無視して移設を進めることは民主主義国家として取るべき対応ではない。
 (中略)
 危惧するのは、政権の姿勢が改まる気配が見えないことだ。
 首相は「移設をこれ以上先送りできない」と官邸で記者団に語り、「これからも基地負担軽減に向けて全力で取り組む」と強調した。
 首相の言う「真摯」には、沖縄県民の民意に向き合おうとの姿勢が全くうかがえない。岩屋毅防衛相は従来方針通り工事を行う意向を示した。行動が伴わなければ、県民の政権への不信感は払拭(ふっしょく)されまい。
 投票結果の背景には、在日米軍専用施設の7割が集中する沖縄の厳しい現実がある。私たち国民も「沖縄の心」をしっかり受け止めたい。


・福井新聞「辺野古『反対』7割超 沖縄の民意を受け止めよ」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/804278

 県民投票は1996年に続いて2回目で、前回も米軍基地の整理・縮小に「賛成」が圧倒的多数を占めた。政府は、外交や安全保障が「国の専権事項」とし地元の声に耳を傾けてこなかった。そうした事態は、沖縄以外の地方自治体でもありうることを肝に銘じる必要がある。一向に変わらない状況に「ノー」を突きつけた沖縄県民。それは地域の自己決定権をどう守るかの闘いであり、目を離すわけにはいかない。

・神戸新聞「沖縄県民投票/今度は国が立ち止まる番だ」/憲法の条文踏まえ/地位協定も見直せ
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201902/0012097404.shtml

 辺野古計画では新たな問題点も浮上した。予定海域の軟弱地盤が判明し、政府は想定外だった約7万7千本のくい打ち込みを計画している。
 県の試算では、地盤改良に伴う建設費は計画の「3500億円以上」から2・5兆円に膨み、工期は5年から13年に伸びる。だが野党の質問にも政府は明確に答えようとしない。
 事実上、計画は大きな壁に突き当たっている。もはや「唯一の解決策」と言える状況ではない。政府は今度こそ立ち止まらねばならない。
 沖縄に「寄り添う」というのなら、政府は基地を沖縄に集中させる必要性があるのか米国と真剣に議論すべきだ。同じ第2次世界大戦の敗戦国でもドイツやイタリアは駐留米軍に国内法を適用している。地位協定の見直しも急務といえる。
 なぜ、沖縄だけに過剰な負担を強いるのか。県民投票が示した課題を、本土に住む私たちも考える必要がある。

・山陽新聞「沖縄県民投票 移設ありきでなく対話を」
 http://www.sanyonews.jp/article/874399/1/?rct=shasetsu

 今回の県民投票でも、県側は辺野古反対の機運を高めることに努めた一方、政府が県民へ移設を推進する理由を説明する姿勢は乏しかった。
 首相はことあるごとに「沖縄県民の気持ちに寄り添う」と語る。それならば、県民投票で示された民意とも向き合わねばならない。
 埋め立て予定区域では軟弱地盤が見つかり、工事の長期化や工費増加が懸念されてもいる。
 首相は玉城知事と会談する方向だが、「普天間飛行場の危険性除去」の重要性を唱え、説得を強めるという。県と再び対話のテーブルに着くための、今が最後の機会ではないか。移設ありきではなく、沖縄の声に耳を傾けて、県民の理解が得られるよう説明を尽くすべきである。

・山陰中央新報「沖縄県民投票で反対7割超/一度、立ち止まるべきだ」
 http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1551145447864/index.html

・愛媛新聞「沖縄県民投票 辺野古反対の民意 十分伝わった」

 政府はいま一度、沖縄に対する態度を省みるべきだ。結果にかかわらず移設を進める方針を表明し、県民を踏みにじる行為に出た。さらに圧倒的な反対の民意を突き付けられても、まともに向き合おうとしない。菅義偉官房長官に至っては「普天間返還(の道筋)について知事が語っていない」と、安保政策の責任を転嫁するような発言もあり、納得できない。地元の反発が強くなればなるほど、政府が重視する日米安保が機能しないことを認識する必要がある。
 (中略)
 埋め立て工事が長引けば普天間の返還も遠のく。政府は普天間の危険性を取り除くために移設の必要性を訴えてきたが、辺野古に固執すれば、かえって普天間の固定化を招くという矛盾を認めるべきだ。
 本土の国民も沖縄の苦渋をわが事として受け止めたい。容認し難い国策に対し、県民投票で民意を示してもなお無視されるとしたら、民主主義が葬られたのも同然だ。この国の在り方を左右する重大な局面にある。無関心ではいられない。

・高知新聞「【沖縄「基地ノー」】政府は米国と仕切り直せ」
 https://www.kochinews.co.jp/article/256748/

 首相は県民投票結果を受けてもなお「移設をこれ以上、先送りはできない」と強硬な方針を変えていない。民主主義の国で、民意を排除するような強権的な振る舞いを容認するわけにはいかない。
 政権側は玉城知事との会談に再び応じる構えを見せはする。だが、これまでも面談を骨抜きにしながら、埋め立てを強行してきた。住民に無力感を植え付けるかのように、既成事実化を図ってきたのだ。見せかけの対話は許されない。
 埋め立て予定海域の軟弱地盤の改良のため、約7万7千本もの杭(くい)を海底深く打ち込まなければならない工事計画が発覚した。辺野古は適地なのか、という根本的な疑問が浮かぶ。県民投票の結果と合わせ、政府は米国と基地を巡る議論を仕切り直すべき時だ。
 米国の日系4世の青年が辺野古埋め立ての一時停止を求める署名を米政府に提出し、タレントのローラさんら日本の著名人たちも賛同の意を公表した。沖縄の基地の苦悩を共有し、解決の道を共に探り出していこうという呼び掛けだ。その問いは本土にこそ向けられている。

・宮崎日日新聞「辺野古『反対』7割超 民意厳粛に受け止め再考を」/政府の諦め誘う対応/軟弱地盤なども問題
 http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_37264.html

・熊本日日新聞「『辺野古』県民投票 立ち止まり再考すべきだ」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/872011/

 県民投票に法的拘束力はなく、政府は移設を推進する姿勢を崩していない。投票結果を受けて安倍晋三首相は、市街地にある普天間飛行場の固定化は避けなければならないとして「移設をこれ以上、先送りすることはできない」と語った。
 しかし、沖縄の過重な基地負担の現状と歴史的経緯を踏まえれば、移設ありきの方針を見直すのが当然ではないか。国全体で考えるべき安全保障政策に関して県民投票を強いる事態に至り、しかも普天間飛行場の負担を解消する方策として辺野古移設の賛否を求められた県民の苦渋の選択に、首相は思いを致すべきだろう。
 (社説)
 基地を巡る県民投票は今回が2回目で、1996年の県民投票でも基地の整理・縮小に「賛成」が圧倒的多数を占めたが、在日米軍専用施設は今も約70%が沖縄に集中している。たとえ安保政策が国の専管事項であっても、民意を無視するような対応ではその根幹が揺らぎかねない。首相が「沖縄に寄り添う」と言うならば、県との対話を尽くすべきだ。

・南日本新聞「[沖縄県民投票] 次は国が行動する番だ」/知事選得票超す/国民全体の問題
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=102551

 安全保障政策が国の専管事項であるのは確かだ。だが、基地問題を巡って県民投票を行う事態にまで沖縄県民がなぜ追い込まれたのかを考えなければならない。
 沖縄の米軍基地は住民が住んでいた土地を強制的に収用されて造られた。本土の基地が反対運動に遭い、沖縄に移っていった経緯もある。
 その結果、戦後70年以上を経ても、在日米軍専用施設の約7割が沖縄に集中し、重い基地負担には出口が見えない。
 国は「普天間の固定化を避ける」ために辺野古移設を進めるというが、沖縄は「新たな基地はいらない」と主張しているのだ。国はいつまで意識のずれに気付かないふりをしているつもりなのか。
 (中略)
 署名を集めて県民投票条例制定を請求した市民グループの代表・元山仁士郎さんは27歳の大学院生だ。若い世代が問題意識を持って動きだしたことに注目したい。
 反対多数となった結果を受けて元山さんは、「本土の人にこそ、考えてほしい。辺野古の埋め立てが、必要かどうか」と訴えた。
 沖縄県民が出した「辺野古ノー」の結果は、国民全体がともに考えるべき問題として、私たちにも突きつけられている。

【2月27日付】
・中日新聞・東京新聞「沖縄投票『無視』 民主主義を軽んじるな」※2回目
 http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019022702000128.html

 沖縄の人たちは知事選や国政選挙を通し、主権者として、沖縄への過重な負担となる新基地建設に繰り返し異議を表明してきた。
 本来なら、議会制民主主義によって立つ政権はその声に誠実に耳を傾けて是正を図らなければならないが、沖縄に限っては一顧だにしない。選挙による間接民主主義が機能しない「構造的差別」の下、直接民主主義で再度民意の在りかを示さなくてはならなくなったのが今回の県民投票だ。
 結果は、自民、公明両党が自主投票だったとはいえ、投票率は県内の最近の国政選挙並みに50%を超え、72%が反対だった。県内全市町村で反対多数だったことも民意を歴然と示している。首相は、辺野古埋め立てを前提とした普天間返還が「地元との共通認識」となお真顔で言えるのか。
 県民投票が持つ意味の重さは米メディアなども報道した。琉球新報と沖縄タイムスの両編集局長は本紙への寄稿で「日本が人権と民主主義をあまねく保障する国であるのか、県民投票が問いかけたのはそのこと」「沖縄は答えを出した。今度は日本政府、ひいては本土の人たちが答えを出す番」と、それぞれ訴えた。
 政権は埋め立てを直ちに中断し基地再編について米国と再協議すべきだ。本土の側も最大の関心を持って見守り、参院選などの判断材料にしなければならない。それこそが、機能不全に陥った日本の民主主義を再起させる道である。