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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

政治への社会の関心とマスメディアの政治報道~衆院3補選「自民全敗」の各紙報道を読み解く

 衆院の3件の補欠選挙が4月28日に実施され、いずれも立憲民主党の候補が当選しました。自民党は東京15区、長崎3区では候補を擁立せず、与野党一騎打ちとなった島根1区でも大差が付きました。29日付の東京発行の新聞各紙朝刊もそろって1面トップの扱い。主見出しは以下のようでした。
・朝日新聞「衆院補選 自民が全敗」
・毎日新聞「衆院3補選 自民全敗」
・読売新聞「自民 衆院3補選『全敗』」
・日経新聞「衆院3補選 自民全敗」
・産経新聞「衆院3補選 自民全敗」
・東京新聞「衆院3補選 自民全敗」
 毎日、日経、産経、東京の4紙は全く同じ。ちなみに共同通信が全国の地方紙を中心に新聞用に配信した記事の主見出しも「衆院3補選、自民全敗」と、ほぼ同じでした。朝日、読売両紙も含めて「自民全敗」の位置付けでそろいました。3選挙区とも元の議席は自民党であり、候補を立てなかった“不戦敗”も含めて「全敗」の表現は端的にニュースを伝えて分かりやすいと思います。
 最近の世論調査では、岸田文雄政権の支持率、自民党の支持率とも落ち込みが顕著でした。岸田政権も自民党も、民意の信を失っていることが実際の選挙で証明されました。

 今回の3補選のような大きなニュースでは、新聞各紙もそれぞれに多面的、多角的に報じます。今週の成城大の非常勤講師の授業では、教室に29日付の6紙の紙面を持ち込み、ニュースの読み方を解説しながら、マスメディアの政治報道の意義や役割を説明しました。社会で政治や選挙への関心が薄れるとしたら、新聞、テレビのマスメディアの政治報道のありようも無関係ではなく、当事者性があります。以下は、授業で話した内容の概要です。一部補足した部分があります。

写真:授業で投影したスライド

【衆院解散・総選挙は遠のく】
 補選の結果次第では、早期の衆院解散・総選挙があるかもしれない、との観測もありました。岸田首相が「今なら勝てる」と思えば解散に踏み切るのでは、ということです。しかし自民党への逆風の凄まじさが明らかになりました。紙面では「解散慎重論 強まる」(朝日1面)、「早期解散に慎重論」(読売3面「スキャナー」)などの見出しが目立ちました。
 野党第一党の立憲民主党は勢いを増しそうですが、政権交代を実現させるとなると、課題は次期総選挙での野党共闘です。小選挙区制では、選挙区ごとに野党候補を一本化しないと自公を過半数割れに追い込むのは困難です。毎日新聞2面の「立憲弾み 共闘には溝」の見出しが目を引きました。

【産経、東京両紙の政治部長は意見一致】
 解散は遠のいたとの観測の一方で、産経新聞の政治部長と東京新聞の政治部長は、ともに署名記事の中で早期の解散総選挙を主張しています。
 産経新聞は1面に「首相、衆院解散決断のとき」の3段見出し。記事全体で6段と大きな扱いです。岸田政権が安保3文書の決定、経済安全保障法制の整備をはじめ、G7広島サミット、国賓待遇での米国訪問などの成果を上げていることも挙げて、「『政治とカネ』の議論は、この国をどうするのかという本質的な話ではない」と指摘しています。結びは「いろいろあっても政権与党がいいのか、あるいは結果的に共産党と連携する立憲民主党などの野党に政権を任せるかの判断を国民に委ねる時機だ」。同紙は保守色が強く、現行の自公連立政権が維持されることへの期待感がにじんでいると受け止めました。
 東京新聞も1面に「自民政権の体質に審判」の見出し。記事全体で3段とコンパクトな扱いです。「安全保障やくらしに直結する重要課題について、国民への説明を尽くさず国会での熟議も避けて決めてしまう安倍政権から岸田政権へと続く自民党への体質を否定する審判だと思えてならない」「『聞く力』を失った政権に対する国民の信頼は底が抜け、政治不信は頂点に達していることを示したのが、今回の選挙ではなかったか」と岸田政権を批判しています。結びは「首相はただちに衆院を解散し、国民に信を問うてほしい。それが『聞く力』がまだ残っていることを示す唯一の方法だから」と皮肉交じり。同紙は安倍政権、菅政権当時から強引さを批判しており、自公からの政権交代を期待していると感じます。
 岸田政権、さらには自公連立の枠組みに対する評価が対照的な産経、東京両紙の政治部長が、ともに早期の有権者の審判が必要だと主張しています。わたしも、民意の信を問わないままでは、もはやこの政権にも自公の枠組みにも正統性はないのではないか、と感じます。
 そう言えば、「岸田ノート」なるものがありました。どこにいったのでしょうか。

【選挙妨害か、表現の自由か】
 東京15区の選挙運動をめぐって、政治団体「つばさの党」の候補が他候補の街頭演説などの際に大声を上げたり、候補を追いかけたりした行為が「選挙妨害だ」などとして、ネット上では論議を呼んでいました。29日付の朝刊では、警視庁が公職選挙法に抵触する可能性があるとして警告を発出したことを複数の新聞が報じています。中でも読売新聞は社会面準トップに「他候補演説 大声で『妨害』/警視庁が警告/『合法』主張 国会でも議論に」の見出しで、詳細に報じています。日経新聞、産経新聞も見出しを立てた単独の記事を掲載しています。
 読売新聞の記事によると、「つばさの党」はマスメディア各社の取材に対し「法律で認められている表現や選挙、政治活動の自由の中でやっている」と主張しているとのことです。一般に、憲法が保障する数々の「自由」をめぐっては、異なる「自由」同士が衝突することがあります。選挙に立候補し、その公約や主張を有権者に広く知らせるために演説したりする自由も「選挙の自由」です。候補者に暴行したり、演説を妨害したりすることは「選挙の自由妨害」という罪に当たります。
 「つばさの党」側の行為が仮に「表現の自由」などの行使に当たるとしても、他候補の「選挙の自由」とどちらが優先的に守られるべきかは、事情の一切を考慮して、最終的には裁判所の判断に委ねる事項でしょう。「つばさの党」側の主張は、他候補の訴えが有権者に届かなくなるような行為を自らの「選挙の自由」だと強弁しているに等しいとも感じられ、強い違和感を覚えます。
 札幌市で安倍晋三首相の街頭演説中にヤジを飛ばした市民が北海道警に排除された事件では、ヤジを市民の表現の自由の行使ととらえ、道警側に賠償を命じる司法判断が出ています。公権力者に対する市民の直接的な抗議の意思の表現行為と、選挙制度そのものへの破壊につながりかねないとも感じられる今回の事例とは、おのずと異なると考えています。

【政治不信の行き着く先】
 今回の補選を29日付の社説では、東京新聞を除く5紙が取り上げました。主として、自民党と岸田政権に対する民意の厳しい評価を論じた内容ですが、読売新聞、日経新聞、産経新聞は、上記の選挙妨害と批判を受けている行為にも言及し、「『選挙の自由妨害罪』の適用を検討すべきだ」(読売新聞)などと、対策の必要性を主張しています。
 特に印象に残るのは日経新聞の社説です。選挙妨害をめぐる記述に先立って、以下のように書いています。

 政治不信の増大は既成政党への不満を高めかねない。有権者の政治離れを招く一方、極端な主張をする勢力への期待を膨らませる可能性がある。日本では欧州のようなポピュリズムや極右政党は目立たなかったが、そうした芽が生まれつつないか注視したい。

 しばらく前から、同じようなことを考えていました。岸田政権と自民党が急激に支持を失いながら、既存野党も支持は上がりません。極端な言辞をSNSで繰り返している作家が、自民党支持から批判に転じて政治団体を立ち上げ、従来の自民党支持層の最右派層の熱烈な歓迎を受けるなど、「極端な主張をする勢力への期待を膨らませる可能性」は既に起きているようにも感じます。日経の社説は「そうした芽が生まれつつないか注視したい」と表現は慎重ですが、ポピュリズムや極右政党の伸長に現実的な危機感を抱いているのだとすれば、まったく同感です。
 思い起こすのは1930年代前半のドイツです。既成政党が支持を失う中で勢力を伸ばしたのがヒトラー率いるナチスでした。歴史の教訓です。

【政治報道の意義】
 3件の補選の投票率は、いずれもその選挙区の過去最低でした。結果は「自民全敗」とインパクトが大きくても、有権者の関心は決して高くなかったということです。低投票率は政治不信の高まりの表れの一つだと感じているのですが、在京6紙で見出しに取って報じているのは読売新聞、産経新聞、東京新聞の3紙だけです。
 投票率は、選挙や政治に対する有権者の関心を示すバロメーターと見ることができます。その関心はどうやって形作られているかと言えば、一つはマスメディアの政治報道です。だから、関心が薄れているのだとすれば、その要因の一端はマスメディアの政治報道にあることを疑った方がいいと思います。
 若い世代を中心に、新聞やテレビ離れが指摘されるようになって久しく、マスメディアの報道がどこまで社会に刺さっているか、リーチできているかという今日的な問題もあります。しかし、その点も含めて、政治報道のありようを不断に見直していく意識が、マスメディアの側には必要だと感じます。
 政治報道に長く携わった同僚から「政治報道の役割と意義は、突き詰めて言えば、投票率をいかに上げるかにある、と思いながらやってきた」と聞いたことがあります。その通りだろうと思います。それだけに、投票率の低下はマスメディア自身にも当事者性がある問題です。