ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

首相会見に「違和感」「筋違い」の指摘も~新元号「令和」 地方紙・ブロック紙の社説・論説の記録

 5月からの新元号「令和」について、地方紙・ブロック紙も社説・論説で取り上げています。
 総じて、新元号のもとで平成の次の時代が、平和で豊かな日々になるように、との期待を表明する内容のものが目立ちました。一方で、選考の過程が詳しく明らかにされていないことへの批判は少なくなく、「こうした権威主義的な手法が、国民主権を掲げる憲法と整合性を保てるだろうか」(高知新聞)、「『国民主権』」の観点から見ると、今回の新元号決定に至るまでの経緯は、違和感が拭えないものだった」(熊本日日新聞)などと、現憲法に照らしての疑問を明示する社説・論説もあります。
 新元号の発表直後に安倍晋三首相が記者会見したことに対しては、北海道新聞は「特に違和感を禁じ得なかった発言がある」とし「政権の看板政策をアピールする場にすり替わってしまった」と指摘しています。さらに信濃毎日新聞は「だれの思いなのか。元号は首相の私物ではあるまい。『令和』を自らの国民へのメッセージとするのなら筋違いではないか」「首相の会見も『政治利用』との批判が出るのではないか」と踏み込んでいます。

 特にわたしの印象に残ったのは、沖縄タイムス、琉球新報の2紙の社説です。
 沖縄タイムスは、琉球王国は公文書に中国の年号を使用していたこと、琉球併合の際、日本政府は「明治」年号を奉じ、中国との関係断絶を迫ったこと、第2次大戦後は米国民政府の布令・布告、琉球政府の公文書も原則として西暦で表記されたことなどを挙げ「大きな世替わりを経験するたびに、中国の年号を使用したり、明治の元号を使ったり、西暦を採用したり、目まぐるしく変わった」と沖縄固有の歴史と事情を指摘しています。
 琉球新報は、第2次大戦末期の沖縄戦で12万2千人余りの県民が犠牲になったことから、「戦争責任が天皇制に根差すものであるとの見方から、複雑な県民感情があり、元号法制化に対しても反発があった」と指摘。元号法案を審議した1979年当時、大平正芳首相が「46都道府県、千を超える市町村が法制化の決議を行い、その速やかな法制化を望んでいる」と述べたが、沖縄県議会だけは同趣旨の議決をしていないことを紹介しています。

 このブログの以前の記事でも触れましたが、今回は天皇の死による代替わりに伴う改元ではないため、明るい雰囲気の中で元号について自由に語り、次の元号の予測も盛んに行われた、との肯定的な評価を目にします。改元についてのマスメディアの報道も祝賀ムードばかりが目立ちます。自由に元号を語るせっかくの機会なのであれば、例えば沖縄の事情などももっと全国で知られていいと思いますし、元号不要論や廃止論も含めて語られていいだろうとあらためて感じます。

 以下に、ネット上の各紙のサイトでチェックした社説・論説について、見出しのほか、一部の社説・論説については、重要な指摘だとわたしが感じた部分を引用して書きとめておきます。日付の記載が特にないものは、すべて4月2日付です。見出しだけで本文は会員しか読めないサイトもありました。北海道新聞は2日付、3日付の2日連続の掲載です。この記事を作成した7日夜の時点で、無料で読めるものはリンクを張っています。 

▼北海道新聞「新元号に『令和』 国民本位で情報開示を」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/292417?rct=c_editorial

 元号制を巡っては、いまもさまざまな意見がある。
 改元を一つの区切りととらえ、新しい時代に期待を込める人も少なくなかろう。
 それを踏まえれば、新元号の決定に、国民が関わる余地がなく、一貫して政府主導で進められたことには疑問が残る。選考過程にも、不透明な部分が目立った。
 元号法は、皇位継承があった場合に改元するとのみ規定し、手続きの詳細は内閣に委ねている。
 それだけに、政府による丁寧な情報開示が不可欠だ。
 政府は新元号の考案者などを明らかにせず、有識者懇談会や衆参両院正副議長からの意見聴取の具体的な内容も公表していない。
 元号を「密室」で決め、情報を管理する態度は、権力者による「時の支配」という元号の古いイメージを想起させかねない。

※4月3日付「首相の改元会見 謙虚さに欠けてないか」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/292748?rct=c_editorial

 首相の会見で、特に違和感を禁じ得なかった発言がある。
 平成時代に行われた政治、行政などのさまざまな「改革」は大きな議論を巻き起こしたが、「現在の若い世代は変わることをもっと柔軟に前向きに捉えている」。
 そんな認識を示し、一例として働き方改革を挙げた。さらに「1億総活躍社会をつくりあげることができれば日本の未来は明るいと確信している」と述べた。
 「次の時代の国造り」を問う記者からの質問に答えた形だったとはいえ、新元号の趣旨を説明する会見が政権の看板政策をアピールする場にすり替わってしまった。
 宗教評論家の大角修氏は「元号は純粋に儀礼的なもので、本来は選定や発表に関わる人は己を無にして臨まねばならない。そこに私的な思いを持ち込むから不純な印象を受ける」と会見を批判した。
 うなずける指摘だろう。

▼河北新報「新元号は『令和』/平穏で豊かな時代の到来を」
https://www.kahoku.co.jp/editorial/20190402_01.html
▼東奥日報「改元で社会に新たな力を/新元号『令和』」
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/173326
▼デーリー東北:4月3日付(「時評」)
https://www.daily-tohoku.news/archives/11906

▼秋田魁新報「新元号は『令和』 希望にあふれた時代に」
https://www.sakigake.jp/news/article/20190402AK0009/
▼山形新聞「国書由来の新元号 融和と活性化の契機に」
http://yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20190402.inc
▼岩手日報「新元号決定 『時代の節目』思い新た」
https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/4/2/51178
▼福島民報「【新元号は令和】希望を胸に時代を築く」
https://www.minpo.jp/news/moredetail/2019040261895
▼福島民友新聞「新元号『令和』/力合わせ『良い和』の時代に」
http://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20190402-365060.php
▼茨城新聞「新元号『令和』 改元を新たな力に」
▼神奈川新聞「新元号『令和』 未知の時代に思い重ね」
▼山梨日日新聞「【新元号に『令和』】真に心を寄せ合う新時代に」
▼信濃毎日新聞「新元号の決定 国民の存在はどこにある」/懇談会は形だけ/首相の私物か?/伝統重視の保守派
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190402/KP190401ETI090006000.php

 前回の選考過程を記した公文書は現在も非公開のままで、検証もできない。主権者である国民を脇に置いた選考といわざるを得ないだろう。
 安倍晋三首相は前例踏襲といいながら記者会見した。「一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込めた」と述べている。
 だれの思いなのか。元号は首相の私物ではあるまい。「令和」を自らの国民へのメッセージとするのなら筋違いではないか。
 (中略)
 過去の権力者は統治の安定のために天皇の権威を利用してきた。保守派に配慮して秘密主義で進めた元号選考には、政府への求心力を高める思惑もうかがえる。
 首相の会見も「政治利用」との批判が出るのではないか。

▼新潟日報「新元号『令和』 平和守り良い時代築こう」/「初めて」の歴史刻む/「国書」強調に違和感/平成の重み見据える
https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190402460667.html

 首相の言う通り、次の令和時代が希望に満ちたものになってもらいたい。ただ、談話には気がかりなところもあった。
 首相は、日本礼賛的アピールに力が入っていないか。そんな印象を受けたからだ。
 (中略)
 歴史的に見れば、日本は他国の文化や文物を積極的に吸収することで、自国の文化的な幅を広げてきた。漢字など中国文化の影響も強く受けている。
 国境を越えた人々の交流が、万葉集など日本文化のベースとなったことは間違いあるまい。国際交流や友好親善は、平和の基礎ともなるものだ。
 平和な日々への感謝や新たな時代について語るなら、それらの事柄への言及があってもよかったのではないか。
 首相の支持層である保守派は、新元号の事前公表に否定的な考えを示していた。そうした経緯や保守派への配慮が、国書からの出典や日本の伝統文化を強調した談話につながっていないかどうか。

▼中日新聞(東京新聞)「新元号は『令和』 希望のもてる時代に」/中国古典はずしは初/決定過程の公開を早く/国民生活の基層文化だ
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019040202000163.html

 日本の元号は七世紀の「大化」から数えて二百四十八ある。出典が判明しているものは、すべて中国古典である。だから、今回の「国書」を典拠とした改元は初だ。長い日本の元号の伝統からはまさに異例といえる。
 ナショナリズムの反映とも受け止められる。
 もともと日本の伝統への誇りを口にしていた安倍首相が、改元案を作成する段階で、日本古典を由来とするものを含めるよう指示していたからである。
 政権を支える保守派層から、国書に典拠を求める期待があったためであろう。元号の考案を委嘱したのは漢文学や東洋史学のほかに、国文学や日本史学の学識者が加わっていた。
 問題はその元号選定の考え方が国民にどう受け止められるかである。中国古典は近代に至るまで知識人が身に付ける素養の一つだった。「論語」など四書五経の暗記が勉強でもあった。江戸時代の知識人も、明治の夏目漱石も森鴎外も中国古典で育った。
 これまで漢籍から採った元号を受け入れてきたのは、中国古典の素地で日本の教養が培われてきた歴史を誰もが知っているからである。国書もいいが、ことさらこの伝統を排したなら狭量すぎる。 

▼北日本新聞「新元号『令和』/価値観問い直す機会に」
▼北國新聞「新元号に『令和』 心機一転のとき迎える幸せ」
▼福井新聞「新元号『令和』 国民への説明十分なのか」
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/827533

 首相は「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べた。出典を精査しない限り、そう読み解くのは難しい。政府はそのためにも選考過程を分かりやすく説明する必要がある。世界で唯一、元号制度が残る国だからこそ、意義を捉え直すきっかけにもしなければならない。
 しかし、政府は昭和から平成に改めた経緯さえ、情報公開請求に応じていない。国立公文書館へ記録を移すことなく、保存期間を5年間延長した。これでは闇の中も同然だ。古代中国が発祥である元号は「皇帝が時をも支配する」との考えに基づく。日本でも長年、天皇が定め、その権威を高めてきた歴史がある。政府がそうした視点をいまだに持ち続けているとしたら問題だろう。
 平成への改元は天皇の逝去に伴うものだったが、今回は生前退位であり、「密室」での選定ではなく、たとえば有識者からの案を政府が公開し、広く国民の意向を反映させるといった方式を考えても相応だったのではないか。

▼京都新聞「新元号決まる  良い時代を和やかに築こう」/議論なき「前例踏襲」/ずれ込んだ公表時期/西暦併記の自治体も
https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190402_3.html

 新元号制定は、平成になった時と同様、元号法に基づく。同法は元号を「政令で定める」としている。政令を出す政府がその責任を負っている。
 きのうの決定手続きも、形式的には有識者懇談会や衆参両院議長からの意見聴取、閣議などを経た。国会に代表を送っている国民も間接的に関わっている形だ。
 ただ、現実には、国民から遠いところで決められたような印象を受ける。今回は皇位継承が事前に分かっており、改元のあり方についても時間をかけて議論できる良い機会だったはずだ。しかし政府は、平成改元時の決定手続きを踏襲すると決めてしまった。
 有識者懇談会では、新元号の候補名が初めて示され、わずか40分で終了した。十分な意見交換ができたのかは疑わしい。国民代表の「お墨付き」を得るのが目的ととられても仕方ない。
 新元号が「広く国民に受け入れられ、生活の中に深く根ざしていく」(安倍晋三首相)ことを求めるのなら、選考のプロセスに国民が実質的に関わる機会があっても良かったのではないか。

▼神戸新聞「新元号『令和』/穏やかな時代精神を育みたい」/国民主権の下で/みんなで考える
https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201904/0012203135.shtml

 ただ、元号はどれほど国民のものとなったのか。
 元号法は「元号は、政令で定める」と規定する。今回、政府は国文学や日本史学などの専門家に原案の考案を依頼し、候補を六つに絞って有識者懇談会や衆参の正副議長に諮り、閣議決定した。現行憲法下で初めて行われた昭和から平成への改元を踏襲した形である。
 国民は何も知らされず、待たされ続けた。私たちもつい「元号は上が決めるもの」と思いがちだ。それでは政府の決定を国民は押し頂くだけになる。
 もともとは元号は天皇の「御代(みよ)(治世)」を表す。だがその考え方は憲法の理念である国民主権にそぐわない。国民が自分たちのものと思えるような元号の決め方、在り方を模索する必要があるだろう。

▼山陽新聞「新元号『令和』 平和と安定の時代を願う」
https://www.sanyonews.jp/article/885757?rct=shasetsu
▼中国新聞「『令和』の時代 『共生』を土台に考える」
https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=518534&comment_sub_id=0&category_id=142
▼山陰中央新報「新元号『令和』/改元を新たな力に」
http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1554170648238/index.html
▼愛媛新聞「新元号『令和』 『戦争のない時代』の継続が責務」
▼徳島新聞「新元号は『令和』 戦争のない時代を未来に」
https://www.topics.or.jp/articles/-/183352
▼高知新聞「【新元号「令和」】皇位継承にあいた風穴」
https://www.kochinews.co.jp/article/266183/

 万葉集を出典とするなど、目新しい点もある「令和」だが、選定の手続きはほとんど変わっていない。政府が「平成」改元時の手続きを踏襲すると事前に決めたからだ。
 新元号を公表した後も考案者は明かさない。決定に先立ち各界の代表者を集めた有識者懇談会を開き、原案への意見を求めるが、本格的な議論は行わず、実質は原案を追認する形だ。密室で決めたという批判をかわす狙いだろう。
 これでは選定状況は厚いベールに包まれたままだ。元号選定という歴史的な作業は国民から遠ざけられ、検証することもできない。
 こうした権威主義的な手法が、国民主権を掲げる憲法と整合性を保てるだろうか。まして憲政史上初めての皇位継承前の新元号公表だ。首相は決定過程に関する公文書を非公開とする期間を30年で検討するというが、なぜそんなに長く伏せるのか。

▼西日本新聞「新元号 令和 平和への『祈り』次世代に」/歴史が紡ぐ天皇の役割/「開かれた皇室」さらに
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/499151/

 間違いなく言えることは、時の為政者が例外なく天皇を存続させてきたことである。そうでなければ自身を絶対化するために朝廷を滅ぼしても不思議ではなかった。戦後の連合国軍総司令部(GHQ)も天皇制を残した。歴史の中で紡がれた日本人と天皇の結びつきに意義を見いだしたと言えよう。
 とはいえ元号は戦後、法的根拠を失った。敗戦に伴い、旧皇室典範が廃止されたことによる。
 法的根拠を求める機運が高まったのは昭和天皇が在位50年を迎えられた頃だ。元号法はその4年後に制定され、元号は皇位継承があった場合に政令で定めるとした。
 保革が対立する政治情勢の下、法制化は「戦前回帰だ」との批判があった。一方、世論調査では元号賛成派は8割近くを占め、多くが「時代の区切り」をその理由に挙げた経緯がある。私たちは今、そうした選択の延長線上にいることを確認したい。

▼大分合同新聞「新元号『令和』 改元で平和と融和を」
▼宮崎日日新聞「新元号『令和』 平和で新たな力湧く時代に」/日本古典の採用は初/選考過程は完全密室
http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_37932.html
▼佐賀新聞「新元号『令和』 改元を新たな力に」※共同通信のクレジット
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/357022
▼熊本日日新聞「新元号『令和』 多様性ある時代の象徴に」
https://kumanichi.com/column/syasetsu/936630/

 元号は古代中国が発祥で「皇帝が時をも支配する」との考えに基づく。中国とは別に独自のものとして継承されてきた日本の元号も長年天皇が定め、その権威を高めてきた面は否めない。
 だが戦後、日本は新憲法の下で主権在民の国家となった。憲法が、天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基づく」とうたうように、天皇制とともにある元号制度も、日本国民の意思に基づいた時代の区切りであるべきだろう。その意味では元号をどう受け入れ、使用していくかは、あくまで国民に委ねられたものであることを改めて強調しておきたい。
 そうした「国民主権」の観点から見ると、今回の新元号決定に至るまでの経緯は、違和感が拭えないものだった。

▼南日本新聞「[新元号「令和」] 豊かな社会を築く力に」/極秘選定に違和感/混乱防止に努めよ
https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=103880
▼沖縄タイムス「[新元号は『令和』多様性尊重する社会を」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/404053

 日本の古典に由来する元号は、確認できる限りでは初めてである。なぜ、今、国書なのか。
 古典中の古典といえる万葉集を典拠としたことは、多くの国民に好意的に受け止められそうだが、台頭する中国を意識した対応だという見方も根強い。
 安倍晋三首相は新元号発表後の記者会見で「国柄」ということばを強調した。「国柄」を強調するあまり、他国の文化への敬意を欠いた偏狭なナショナリズムを育てるようなことがあってはならない。
 (中略)
 元号は「皇帝が時間を支配する」という中国の古い思想を取り入れたものである。
 沖縄は元号使用という点でも、本土と異なる歴史を歩んできた。
 中国と冊封関係を維持していた琉球王国は、各種の公文書に中国年号を用いていた。 琉球併合の際、明治政府は、明治年号を奉じ、年中儀礼はすべて布告を順守するよう申し渡し、中国との関係断絶を迫った。
 戦後は、米国民政府の布令・布告だけでなく、琉球政府の公文書も原則として西暦で表記された。
 大きな世替わりを経験するたびに、中国の年号を使用したり、明治の元号を使ったり、西暦を採用したり、目まぐるしく変わった。
 西暦と元号のどちらになじんできたかは、世代によって異なる。それだけでなく、一人の人物の中でも、西暦時代と元号時代をあわせもっているのが現実だ。

▼琉球新報「新元号『令和』発表 公文書の西暦併記推進を」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-897399.html 

 天皇一代に一元号という形が始まったのは明治時代からだ。戦後、法的根拠を失っていたが、1979年に元号法が制定され、政令で定めること、皇位の継承があった場合に限り改めることを明記した。当時、一世一元制は国民主権の憲法理念に反するといった批判があった。
 沖縄は去る大戦で日本で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられ、12万2千人余の県民が犠牲になっている。
 本土防衛の時間稼ぎに利用されたからだ。戦争責任が天皇制に根差すものであるとの見方から、複雑な県民感情があり、元号法制化に対しても反発があった。
 元号法案を審議した79年の衆院本会議で当時の大平正芳首相は「46都道府県、千を超える市町村が法制化の決議を行い、その速やかな法制化を望んでいる」と述べたが、沖縄県議会だけは同趣旨の議決をしていない。
 元号は国民に強制するものではなく、使用するかどうかは個々人の自由だ。公文書についても、年表記を元号にしなければならないといったルールはない。