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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

自身の半生に重ねて振り返る新幹線~続・200系の記憶

 一昨年のことになりますが、2022年は、日本で最初の鉄道が1872(明治5)年に新橋~横浜間に開業して150年、1982年に東北・上越新幹線が開業して40年や、山形新幹線30年、秋田新幹線25年などが重ねる年でした。日本の鉄道の歴史の節目でした。JR東日本は「新幹線イヤー2022」のキャンペーンを組み、「200系カラー新幹線」を運行しました。ことしの年明け、その車両を東京駅で久しぶりに見かけました。
 200系とは、1982年6月23日に東北新幹線盛岡~大宮間、同年11月15日に上越新幹線新潟~大宮間が開業した当初に、両新幹線を走っていた車両です。外観のデザインは東海道、山陽新幹線を走っていた0系や100系をほぼ踏襲。東海道・山陽の車体のカラーが白地に青いラインだったのに対し、緑色のラインでした。当時の200系カラーを現在のE2系1編成に再現した車両のことは、このブログでも以前、触れました。「まだ走っているんだな。いずれまた乗りたいな」と思っていたのですが、3月15日(金)で定期運行を終えることを知りました。名残惜しく感じます。

【写真】ことしの年明け、東京駅で見かけた200系カラーのE2系車両

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 東北新幹線開業の翌年、1983年4月にわたしは通信社の記者となり、初任地は青森でした。東京の本社で1カ月間、新人研修を受けた後、200系の「やまびこ」に大宮から乗って、任地に向かいました。4年後に青森から埼玉に転勤するまで、休暇や出張で200系には何度も乗りました。20代前半から半ばのあのころは、つらいこともありましたが、自分には無限の時間と可能性があるように感じていました。そうした記憶とともに、200系にはひときわ強い思い入れがあります。

 「200系カラー新幹線」が通常運行を終える翌日の3月16日は、北陸新幹線金沢~敦賀間が開業します。沿線では元日に能登半島地震が起きました。2011年3月11日の東日本大震災では、翌3月12日が九州新幹線の全線開業でした。祝賀行事は取りやめになり、ひっそりとしたスタートでしたが、新幹線網が新青森から鹿児島中央まで1本につながり、日本社会の一体感が強まることに寄与しました。東北の被災地の支援にもつながったことと思います。
 新幹線の歴史を振り返ると、東海道新幹線の開業は1964年10月1日。東京五輪の直前でした。日本社会は敗戦後の窮乏期を脱し、高度経済成長期の只中でした。「ひかりは西へ」のコピーとともに、山陽新幹線が博多まで全線開業したのは1975年3月10日。当時、北九州市で中学生だったわたしは、行ったことのない大都会・東京と自分の街が直結したことにちょっとした興奮を覚えていました。公害が各地で社会問題化するなど、実は高度成長のひずみも生じていたのですが、まだ日本社会全体が上を向いていられたようにも思います。
 その後、東京の大学に進むと、帰省のたびに新幹線を使いました。そして記者の仕事に就くと東北新幹線で任地へ。自身の半生を、新幹線網の拡大に重ねて振り返ることができる、そんなことに気付きます。東京~博多間は開業当初は最速の「ひかり」で6時間56分。かろうじて7時間を切っていました。今は「のぞみ」で5時間余です。東北新幹線の開業当初、上野~青森は在来線を乗り継いで約7時間でした。今は東京~新青森が最速の「はやぶさ」では3時間を切っています。まさに「隔世の感」がありますが、それだけの時間を自分は生きてきたのだな、との感慨も覚えます。
 まもなく迎える北陸新幹線の延伸開業も、沿線では忘れられない出来事として記憶されていくのだろうと思います。何より、能登半島地震の被災地の方々にとって、明るい話題になることを願っています。

 <余話>JR東日本が東京近郊で「スーパートレインスタンプラリー」を開催しています。10駅分のスタンプを集めて、駅構内のコンビニで600円以上の買い物をすれば、特急車両などをかたどったアクリルスタンドがもらえます。3種類のうち一つが新幹線200系。先日、スタンプを集めて、首尾よく手に入れることができました。

 このスタンプラリーはJR東日本が近年、テーマを変えて1~3月に実施しています。週末ともなると、各駅のスタンプ台は親子連れの参加者でにぎわいます。旅行客が減る時期の集客イベントとして定着しているようです。

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