「大垣夜行」の思い出

 旧国鉄時代、東京駅を深夜に出て東海道線を西に向かい、岐阜県の大垣駅に早朝に着く普通電車がありました。1996(平成8)年に全席指定の快速「ムーンライトながら」となり、2009年3月以降は夏休み期間などに限定した臨時列車となりました。そのムーライトながらの運転が終了したとのニュースを目にしました。
 ※共同通信「JR夜行快速『ながら』終了/バスと競合、車両老朽化」=2021年1月22日
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 JR東日本と東海は22日、夜行列車の快速「ムーンライトながら」(東京―大垣)の運転を終了したと明らかにした。春、夏、冬の臨時列車として走らせてきたが、高速バスとの競合や旧国鉄時代の車両「185系」の老朽化に伴い、今後は運行しないことを決めた。昨年3月29日の上り列車がラストランとなった。

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 1970年代の半ば、中学を卒業して高校入学までの間の春休み、当時住んでいた北九州市から初めて東京を訪ねました。帰りに前身の「大垣夜行」に乗りました。大垣で普通列車の西明石行きに接続していて、京都からは新幹線に乗り換えて北九州に帰りました。鉄道好きの間で有名だったこの夜行列車に乗ったのは好奇心からでしたが、リクライニングシートもない硬いイスでは熟睡と行かず、何度も何度も目が覚めました。大垣で乗り換えた後、とにかく眠かった記憶があります。
 2回目は東京で大学生活を送っていた1年生の秋だったと記憶しています。関西に一人旅に行くのに、思い立ってこの夜行列車を選びました。乗車券だけで乗れる安さが魅力でした。このときは静岡辺りから尻が痛くなり、我慢できずにとうとう名古屋でギブアップ。始発の新幹線に乗り継ぎました。
 当時は座席指定ではなく、湘南色と呼ばれる緑とオレンジの塗装の通勤電車の車両でした。東京や新橋からは帰宅の酔客もたくさん乗って来て、小田原辺りまでは混雑していました。グリーン車が1両連結されていて、早い時間からホームに行列ができていました。
 旧国鉄時代には、こうした安く乗れる長距離列車がたくさん走っていました。東京・上野駅からは東北や北陸へ向けて、特急だけではなく急行もありました。周遊券を使えば急行の自由席には追加料金なし、つまり急行券を買わなくても乗れました。ただし、上野から青森まで、東北線経由で11時間ぐらいかかりました。今なら新幹線で東京~新青森は3時間です。わたしが記者になって青森に赴任したのは1983年。既に新幹線は大宮~盛岡間が開業し、この区間の昼間の特急、急行は姿を消していましたが、上野~青森間の夜行列車は往時より数は減ったものの健在でした。夜のうちに安く移動できる夜行急行は、節約と時間の有効利用にはうってつけでした。

 今日では陸路の長距離移動は新幹線利用が当たり前になっていますが、これらの列車のことを考えると、あらためて特急料金の高さに気付きます。時間に金を払うわけですが、その新幹線は新型コロナウイルスの感染拡大で乗客が激減しました。1960年代の高度成長期以降、日本社会は「より速く、より遠くへ」の価値観にさして疑問も持たず進んできましたが、このままでいいのかと、コロナが問い掛けているような気もしています。