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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「通過駅」阻止を狙っていた幻の「新幹線青森駅」案〜新幹線その3

 12月4日の東北新幹線全線開業のエントリーの中で、盛岡以北の計画決定と着工が遅れた要因として、青森市内の新幹線駅を現青森駅併設とするか、新駅とするかで青森市青森県の意見が食い違ってまとまらなかったと書きました。この点について、NHK仙台放送局が3日放送した番組の中では、新駅案は国鉄(当時)が提示したと紹介されたようで、わたしの記憶違いで正しくは「青森市国鉄の意見が食い違いまとまらなかった」かと思っていました。その後、ハンドルネーム「宴会ていんめんと」さんが、青森の地元紙「東奥日報」の過去記事をいろいろ調べてくださり、コメントで知らせてくれました。興味深い内容ですので、ここにご紹介します。

 過去の東奥日報を調べてみたら1974年5月に国鉄側が「石江地区に新駅」の案を提示し、75年3月には県議会常任委が石江案支持を採択していました。しかしその後になり駅舎問題が紛糾し、結局は県があっせんする形で「現青森駅案」を主張する青森市側を説得したようです。news-workerさんの記憶は間違っていないですよ。決着したのは1980年2月でした。
 現駅へ新幹線駅を併設するプランは、現在の東北線に沿って「高架」または「並走」で青森駅へ。新幹線ホームは在来線と平行に考えていたようです。函館市へ新幹線が延びたら線路はそのまま北方向へ進みながら大きく西側へ左カーブしフェリー埠頭方面へ向かいます。その際に海の一部を埋め立てる計画だったようですね。市街地を通るため騒音問題は必ず浮上します。
 現駅案では駅の前後に急カーブが2つできるため、北海道新幹線開業後に青森駅が「通過駅」になるのを防ぐ思惑があったそうです。東北6県の県庁所在地駅で、新幹線駅が新駅になったのは青森市だけですね(ミニ新幹線を含む)。
 古い新聞記事を見ていたら駅舎問題のさらに以前には盛岡以北のルートをめぐって現在の八戸ルートに対抗し、盛岡市秋田県大館市弘前市青森市…という「西回りルート」がありました。

 幻の現青森駅案は興味深い内容です。行かれたことのある方はご存知かと思いますが、青森駅はホームが青函連絡船の船着き場と結ばれていました。列車を降りて進行方向に歩いていけば連絡船の桟橋、という構造で、レールは海に向かって行き止まりです。東北線からの列車も、奥羽線からの列車も、青函トンネルのある津軽海峡線も、列車はみな等しく海に向かって青森駅に入線します。急カーブが駅の前後にあるなどとは、国鉄にしてみれば絶対にのめない案だったのだろうと思います。
 宴会ていんめんとさん、ありがとうございました。