ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

新幹線 敦賀延伸の「歓喜」と「関西~北陸」から「東京~北陸」へのシフト感

 北陸新幹線の金沢~敦賀の延伸区間が3月16日、開業しました。新幹線網に福井県が加わりました。この日はたまたま、所要でJR横浜駅に行く機会がありました。そこかしこで「北陸新幹線」と「福井」をアピール。「新幹線で福井へ行こう!」のモードでした。首都圏での話題性、ニュース性はやはり「東京から福井へ直結」のようです。同じように、福井では「東京直結」が話題なのかな、と思いました。インターネットで目にした地元紙、福井新聞のWeb号外は、一番列車「かがやき502号」が敦賀駅を出発する写真に「敦賀 歓喜の発車」の大きな見出しが添えられていました。
https://www.fukuishimbun.co.jp/common/dld/pdf/a4240def65c4c0ad1110eecb105d5f66.pdf

 待望の新幹線が開業した喜びは、実感としてとてもよく分かります。わたしが駆け出し記者生活を送った青森市に東北新幹線のレールが届いたのは、隣県・岩手の盛岡開業から28年も後のことでした。大宮~盛岡の暫定開業は、わたしが青森に赴任した前年の1982年。青森へ向かうには、盛岡で新幹線「やまびこ」から在来線の特急「はつかり」に乗り換えなければなりませんでした。87年3月に青森を離れるまでに、新幹線は東京駅には乗り入れましたが、盛岡以北の開業は見通しが立たないままでした。この間、北のターミナルとして盛岡はにぎわいを増していきました。在勤中に何度も盛岡駅で乗り換えながら、わたし自身、「新幹線が早く伸びればいいのに」と思っていました。「盛岡以北」は青森では悲願でした。
 新青森駅までの延伸開業は2010年12月4日。東北新幹線の基本計画策定から実に38年が過ぎていました。この日、地元紙の東奥日報はネット上に新青森駅の動画を配信。東京発の一番列車が到着したシーンを自宅のパソコンで見て、感無量でした。北陸新幹線の整備計画決定は1973年11月のこと。福井新聞の「歓喜」の見出しは、決して大げさではないと感じます。
 ※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com

 ただ、北陸新幹線には、東北新幹線とは少し異なる事情もあるようです。
 整備計画は東京~大阪であり、敦賀延伸で全体計画の約8割が完成しましたが、敦賀~大阪の開業の見通しは立っていません。もともと北陸は関西と関係の深い地域です。新聞界でも、福井県は全国紙3社(朝日、毎日、読売)ではいずれも大阪本社の管内、石川県や富山県も朝日新聞社や毎日新聞社ではやはり大阪本社の管内です。鉄道も大阪から北陸へ直通の特急が走っていました。かつての「雷鳥」、現在の「サンダーバード」は、関西ではなじみの愛称です。新幹線の敦賀延伸で、「サンダーバード」は敦賀止まりとなり、大阪から「直通」の利便がなくなりました。東京から見れば「福井直結」、福井では「東京直結」でも、関西からは気持ちの上で「北陸が遠のいた」と感じる方も少なくないのではないかと思います。
 東海道新幹線や山陽新幹線、東北新幹線は、在来線の東海道本線、山陽本線、東北本線と路線図の上でもイメージの上でもおおむね重なっています。在来線の北陸本線はもともと滋賀県の米原から新潟県の直江津まで。関西から北陸へと向かう鉄路でした。「北陸新幹線」は現状では、東京から北陸へ向かう路線です。この在来線と新幹線の“不一致”は、ほかの新幹線とは異なる点かもしれません。言ってみれば、「北陸」の名を冠した基幹鉄路が「関西~北陸」から「東京~北陸」にシフトしたような感があります。単に「鉄道趣味」的な意味しかないのか、それとも今後、人の流れ、モノの流れ、金の流れに変化を起こし、地域にも影響を及ぼしていくのか、わたしにはよく分かりません。いずれにしても、新幹線が地域の振興に役立てばいいなと思います。

【写真3枚=いずれも横浜駅、3月16日撮影】

【写真:品川駅、3月17日撮影】