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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

維新との連携協議、NHK党議員受け入れの深刻さ~理念、倫理が感じられない自民党の「数合わせ」

 高市早苗・自民党新総裁の選出、公明党が自民党との連立政権からの離脱を表明と、1週間ごとに政治が大きく動いています。この週末は、日本維新の会(以下「維新」)が自民党と政権強力に向けて基本的に合意したと報じられました。維新は立憲民主党、国民民主党との連携協議を打ち切ることを通告。10月21日に国会で石破茂首相に代わる次期首相を選出する日程が固まり、現状では高市総裁が首相に就く可能性が高まっているようです。
 このブログの一つ前の記事で、公明党の連立離脱から見て取れるのは、民意を読み取れない自民党のすさまじい劣化ぶりだと書きました。

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 その後の事態を見ると、理念も倫理もない自民党の劣化ぶりは底が見えず、このまま高市政権が誕生するなら、民主主義は深刻な危機に直面すると感じざるを得ません。
 維新が高市自民党との連立に走ることの問題点や疑問点は、わたしが書くまでもなく多くの方が指摘しています。特に維新が国会議員の定数削減を「絶対条件」と位置付けたことは、「政治とカネ」への批判をはぐらかそうとしているようにさえ見えます。
 さかのぼれば、石破政権の元での自民党の選挙の敗北も、公明党の連立離脱も、この「政治とカネ」に自民党が対応しないことが要因です。高市自民党と維新の連携は、「政治とカネ」の問題がこのまま放置されることを決定づけるに等しいと感じます。高市総裁が首相になりたいがための、理念も何もない多数派形成のあがきです。
 国会議員の定数削減自体も問題が大きすぎます。参院議員でチーム未来党首の安野貴博さんが問題点を以下の三つにまとめた分かりやすい解説をXに投稿しているのが目に止まりました。一読をお奨めします。 https://x.com/takahiroanno/status/1979486634887496113

 特に比例代表の定数を狙い撃ちのように削減することになれば、小規模の政治団体から当選者が出にくくなり、政治から多様性が失われ、政治が有権者や住民から遠のくことになります。
 高市自民党と維新が進めようとしている連立協議の実態は、理念を欠いた「数合わせ」としか言いようがありません。

 維新との連立協議以上に、政治倫理の面で深刻な問題だと感じることがあります。参議院で、自民党が政治団体「NHKから国民を守る党」(以下「NHK党」)に所属する斉藤健一郎議員と統一会派「自民党・無所属の会」を組んだことです。高市自民党がNHK党を連立と同等の友好団体として扱うと受け取るほかありません。少なくとも、そう見られても仕方がありません。
 NHK党の立花孝志党首は昨年の兵庫県知事選では、自身の当選を目指さず、斎藤元彦知事を支援。二馬力選挙が批判を浴びました。東京都知事選ではポスター掲示板の“転売”もありました。「禁止されていないなら何をやってもいい」との姿勢は、控えめに言っても、民主主義の基盤である選挙制度を破壊しかねません。ネット上や動画サイトでの言説についてはわたしがあれこれ書くまでもありません。
 統一会派結成は、自民党がそういう立花党首やNHK党の後ろ盾になると受け取られてしまうことを意味します。高市自民党には最低の政治倫理すら失われつつあると感じざるを得ません。
 NHK党との統一会派を巡って、驚くような報道がありました。毎日新聞は10月18日付朝刊の5面に「NHK党斉藤氏 会派入りに感謝」の見出しの記事を掲載。その中で、「参院自民関係者」の「NHK党は政党要件を満たしていない。あくまでも無所属議員を引き入れただけだ」とのコメントを紹介しています。そんな説明が通用すると考えていること自体が、自民党の劣化ぶりの深刻さを表していると感じます。高市総裁は参政党にも首相指名で協力を求めたとも報じられていることも、書きとめておきます。

 マスメディアの報道では、10月18日付の朝刊で朝日新聞は「高市首相選出へ/自維、連立へ基本合意」の見出しを1面トップに据えました。読売新聞は「自維協議『大きく前進』/連立向け 詰めの調整/高市首相 選出の公算」と、一歩引いたニュアンスです。
 高市自民党のすさまじい劣化ぶりを目にして思うのは、維新との協議にしても、NHK党議員との統一会派結成にしても、自民党内に疑問を感じる議員、理念や倫理を保とうとする政治家はいないのか、ということです。国会の首相指名で全員が粛々と「高市首相」に票を投じるのでしょうか。マスメディアの政治報道で言えば、小泉進次郎氏を優勢と報じた自民党総裁選や、さらには7月の参院選直後の石破首相の進退をめぐる一部の全国紙の「退任へ」報道などを教訓とするなら、この段階で「高市首相」が実現するかどうかは、なお慎重な姿勢があってもいいのではと感じます。自民党内でどんな動きがあるのか知りたいと考えている人も少なくないはずです。
 そしてマスメディアを巡ってもう一つ思うのは、NHK党議員との統一会派結成の報道です。先述の通り、維新との連立協議とは質的に異なった問題であり、こちらの方がより深刻だと考えています。
 統一会派結成を東京発行の新聞各紙は10月16日付の朝刊で報じましたが、いずれも総合面や政治面で小さな扱い。見出し1段で行間を詰めた「短信」の扱いも目立ちました。産経新聞は2段の見出しで、兵庫県知事選の2馬力選挙に触れ「物議を醸した」と記述。東京新聞は2馬力選挙のほか立花党首が元兵庫県議への名誉棄損容疑で刑事告訴されたことも書いていますが、他紙はNHK党や立花孝志党首が何をしてきたかの言及はなく、朝日新聞に至ってはNHK党の名称もありません。「あくまでも無所属議員を引き入れただけ」との“強弁”を受け入れているかのような報道だと感じます。

 政局の行方を追うマスメディアの政治報道がこうした「定型」にとどまるのも仕方がないのだとしたら、別のアプローチからの報道があってもいいように感じます。例えば新聞なら、社会面での展開です。縦割りの紙面を超えるデジタルの報道なら、動画や音声を含めてさらに多様な取り上げ方ができるのではないかとも思います。そこに組織ジャーナリズムへの今後の期待もあります。

【追記】

 日本維新の会の公式Xアカウントが昨年10月の衆院選に際して、以下の投稿をしていました。「一緒にやっていくなんて 不可能に決まっていますよ」。わずか1年前です。自民党の「政治とカネ」の問題は決着したということなのでしょうか。記録の意味で貼っておきます。

 

公明党を連立離脱に踏み切らせた自民党のすさまじい劣化ぶり~「政治とカネ」への鈍感さは高市総裁だけの問題ではない

 公明党の斉藤鉄夫代表は10月10日、自民党の高市早苗総裁との会談で、連立政権からの離脱を通告しました。選挙協力も白紙。次の臨時国会での首相指名でも、公明党の議員は高市総裁には投票しないとしています。1999年から続いた自公の協力関係は終わりました。自民党の高市総裁の選出は10月4日でした。それからわずか6日。マスメディアは「初の女性首相」が半ば既定路線のように報じていましたが、先行きは一気に不透明になりました。野党の連携次第では政権交代の可能性もあります。
 この状況に思うのは、民意を感じ取れない自民党のすさまじいまでの劣化ぶりです。
 斉藤代表の説明と新聞各紙の報道などによれば、公明党が抱いていた高市自民党への懸念は①靖国参拝などの歴史観②外国人政策③政治とカネ―の3点。このうち、政治とカネについて溝が埋まらなかったことが連立離脱の決定的な理由になったようです。
 昨年の衆院選、ことしの東京都議選、参院選と自民党は3連敗でしたが、それは連立を組んでいた公明党も同じでした。自民党の派閥パーティー券裏金事件に対して、有権者が変わらず厳しく見ていると公明党は受け止めていました。当の自民党は、参院選後は党総裁の石破首相に対して、選挙の敗北の責任を取って辞任するよう求める動きばかりが目立ちました。選挙の敗北は、リベラル寄りの石破総裁を嫌った右派層の支持が離れたためだとして、総裁選の決選投票では右派層の受けがいい高市氏に国会議員の票が流れた、と報じられていました。
 党の役職を巡る「高市人事」が「派閥支配」と「裏金政治家のなし崩しの復権」の様相を呈したことは、このブログでも触れた通りです。高市氏を総裁に選べばそうなるだろうということは、自民党の国会議員も予測できたはずです。その意味で、「派閥支配」と「裏金政治家のなし崩しの復権」は高市総裁の政治家としての資質の問題にとどまらず、組織としての自民党の問題だと感じます。

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 そうした自民党に、公明党は危機感を深めていたのだろうと思います。麻生太郎副総裁を始めとした「高市自民党」の執行部が、公明党と距離を置く人物で固められたことへの反発もあるにしても、民意と真摯に向き合うなら「政治とカネ」はゆるがせにできない問題です。そのことを強く意識していた公明党と、「裏金事件は決着済み」と言わんばかりの高市自民党の認識のズレ、落差が、連立離脱に至った最大の要因ではないかと感じます。
 「政治とカネ」に向けられた民意の厳しい視線に対する高市総裁の鈍感さは、高市総裁を選出した自民党の鈍感さです。「民意を感じ取れない自民党のすさまじいまでの劣化ぶり」と書いたのは、この鈍感さのことです。自民党総裁選では「解党的出直し」という言葉が飛び交っていました。ここに至っては、「解党」も選択肢の一つではないかと感じます。
 自民党の結党から70年。田中角栄元首相の金権政治への批判を始めとして、「政治とカネ」は、常にと言っていいほどに問われ続けてきました。平成初期の東京佐川急便事件や金丸信元自民党副総裁の巨額脱税事件は、わたしも検察担当の社会部記者として取材しました。あの当時、「政治とカネ」への民意の厳しい視線に、政治は変革を迫られていると、ひしひしと感じていました。今の自民党はそんなことも分からないほどに劣化しているのか、と思います。

 日本の政治は、自民党をはじめ既存政党が支持を落とす一方で、右派色を強めている国民民主党が支持を伸ばし、極右の主張が際立つ参政党も台頭しています。極右の日本保守党も国会に議席を持っています。過半数を押さえる安定的な政治勢力がない状況で、何が起きたか。歴史の教訓として思い浮かぶのは、ナチスのヒトラーが合法的に政権を握るに至った1930年代のドイツです。
 公明党が自民党との連立を解消させた同じ10月10日。石破茂首相が敗戦80年の「所感」として、なぜあの戦争を防げなかったかの点に絞って見解を公表しました。タイミングの一致は偶然なのかもしれませんが、現在の政治状況と歴史の教訓を重ねて考えることの意義は小さくありません。マスメディアの政治報道にも必要な観点、視点だろうと思います。
 石破首相の所感については、思うところを改めて書いてみたいと思います。

 公明党の連立離脱を、東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙)は11日付朝刊でそろって1面トップで報じました。
 主見出しは朝日新聞のみ「自公連立 解消」。他紙は公明を主語に「連立離脱」でそろいました。やはりこのニュースの主役は公明党だと思います。
 1面掲載の写真は、公明党の斉藤代表と自民党の高市総裁のかけ合わせや会談の風景が主流の中で、日経新聞は斉藤代表だけなのが目を引きました。主役はだれかが視覚でも伝わってきます。
 社説では、読売新聞が自民党のパーティー券裏金事件について、司法でほぼ決着し不記載があった議員も選挙の洗礼を受けていることを強調して「これ以上蒸し返しても新たな進展は望めないだろう」と、高市総裁に同情的とも受け取れる主張を展開しているのが目を引きました。やはり民意を軽く見ていないか、と感じます。
 もう一つ、目が止まったのは「自民 保守回帰の追い風に」との産経新聞の見出しです。編集幹部の署名記事。「高市氏は公明が嫌った靖国神社の参拝を堂々と行えばいい」とまで書いています。

 以下に各紙の1面と総合面、社会面の主な記事と社説の見出し、石破首相の敗戦80年の所感の扱いを書きとめておきます。

▼朝日新聞
・1面「自公連立 解消/公明『政治とカネ 限界』/26年の協力関係に幕」/「『ブレーキ』去り保守化加速は確実」松田京平 政治部長
・2面「自民を見限った公明/斎藤代表『国政選挙の協力白紙』/献金規制強化案 即決迫り」「『3日あれば』想定外の高市氏側/響いた麻生氏の動き・パイプ役不在」
・3面「首相指名 行方は/『高市早苗』と書けない」「野党の結集軸 不透明」
・社会面トップ「公明 我慢もう限界/『投票頼めない』自民裏金響き議席減」
・社説「公明党の連立離脱 高市体制が招く政治の混迷」/献金規制拒んだ自民/歯止め役果たせたか/多数派形成困難増す

▼毎日新聞
・1面「公明 連立離脱/26年の自公協力に幕/政治とカネ 平行線/首相指名 高市氏への投票否定」/「各党は国民本位の連携を」高山祐 政治部長
・2面「『高市政権』一転混迷/首相指名へ駆け引き激化」「小選挙区25~45人落選危機」「株価下落に転じるか」
・3面「『裏金』『右派』公明限界/『検討、検討で何もせず』/高市氏 人脈不測のツケ」「『ゲタの雪』きしみ拡大」
・社会面トップ「公明『当然』憤り/自民動揺 選挙に痛手/連立離脱 地方議員は」「私立高無償か 財源宙づり」
・社説「公明が連立政権離脱 限界露呈したもたれあい」/「政治とカネ」が引き金/合意形成へ知恵絞る時

▼読売新聞
・1面「公明 連立離脱へ/『政治とカネ』溝/党首会談 自民に通告 発足26年」/「首相指名 駆け引き活発」
・2面 ニュースQ+「献金規制 公明案とは?/受け皿『限定』透明性向上」
・3面 スキャナー「公明の反発 軽視/自民の対応後手に」「選挙に影響大 自民、基礎票失う」
・社会面トップ「公明離脱『驚き』/自民議員 広がる動揺」
・社説「自公連立解消 政治の安定へ知恵を絞る時だ まずは新内閣の発足を急ぎたい」/四半世紀の関係に幕/政局は波乱含みとなる/外交日程は待ったなし

▼日経新聞
・1面「公明 連立離脱/四半世紀の安定与党に幕/自民と献金問題で決裂/『いったん白紙に』」
・2面「公明、不信募り見切り」「高市氏『持ち帰りたい』…1時間半で決裂」「『政治資金改革、この場で賛否明らかに』」/「政策の停滞長引く/与野党協議仕切り直し」
・3面「自民、首相指名に暗雲/維国、連立乗りにくく/高市氏『できる限りのことやる』」「選挙協力も白紙に/公明、地域・候補ごとに調整」「立民、『玉木首相』一本化探る/国民民主、政策一致を要求」/「ポスト『99年体制』急げ」吉野直也 ニュース・エディター
・社説「自公連立解消が迫る政治の再設計」/政治とカネで自民誤算/空白の長期化許されず

▼産経新聞
・1面「公明 連立を離脱/政治とカネ巡り決裂/自公協力26年に幕」
・3面「総裁選後、急速に関係悪化/連立拡大『公明外し』懸念」/「高市氏 初の女性首相に暗雲/首相指名 公明は『斉藤氏』」/「自民 保守回帰の追い風に」酒井充 編集局次長兼政治部長
・第2社会面「創価学会内で賛否/高市氏地元 『残念』『新風を』」
・社説「公明の連立離脱 26年間の安定が崩壊した」

▼東京新聞
・1面「公明 連立離脱/裏金・企業献金 自民と決裂/斎藤代表『いったん白紙』」
解説「政治とカネ 軽視の果て」
・2面 核心「追従26年 不満一気/大逆風の参院選、自・国密談…限界」「首相指名 不透明に/立民『政権交代あり得る』」
・社説「自公連立の解消 『裏金』が招いた転換点」

【石破首相の敗戦80年所感】
▽朝日新聞1面「『強靭な民主主義が大切』/首相、戦後80年『所感』発表」
  ※4面に関連記事、所感要旨
▽毎日新聞2面「『文民統制運用に努力必要』/首相 戦後80年所感」
  ※5面に関連記事
▽読売新聞1面準トップ「文民統制 重要性訴え/首相 戦後80年所感を発表」
  ※4面に関連記事、15面に所感全文
▽日経新聞4面「首相が戦後80年所感/『大勢流されぬ責任感を』/退陣直前、支持欠く」
▽産経新聞1面準トップ「文民統制の重要性強調/首相、戦後80年所感公表」
  ※5面に関連記事、2面に社説「平板なリポートのようだ」
▽東京新聞1面準トップ「独自の歴史認識 示さず/石破首相、戦後80年所感」
  ※3面に関連記事、4面に所感全文、5面に社説「戦後80年には不十分だ」

メモ:公明党「連立離脱」の流れに

 自民党の高市早苗総裁の元での自民、公明両党の連立協議は予断を許さない展開になっています。政局のウオッチが身上の全国紙の政治報道に、そのことが見て取れます。
 毎日新聞のデジタル版は、10月10日早朝更新の記事で「公明、連立離脱の見方強まる」と報じました。

■毎日新聞「公明、連立離脱の見方強まる 閣外協力に転じる案が浮上」=10日5:00
https://mainichi.jp/articles/20251009/k00/00m/010/358000c

自民側からも「交渉は決裂だろう」との声が出ており、公明が連立離脱するとの見方が強まっている。

 記事中のこの表現の背景には、取材で得た様々なデータがあるのだろうと思います。
 朝日新聞、読売新聞もデジタル版で「連立離脱」を見出しに取っています。そういう流れになってきていることがうかがえます。

■朝日新聞「公明、連立離脱も辞さない構え 斉藤代表、高市総裁ときょう会談」=10日2:00
 https://digital.asahi.com/articles/ASTB955WTTB9UTFK01FM.html

■読売新聞「公明党内で強まる連立離脱論、中央幹事会は斉藤代表に対応一任…きょう自公党首会談へ」=10日0:52
 https://www.yomiuri.co.jp/politics/20251009-OYT1T50283/

 自公協議の長期化で、退陣を表明した石破茂首相の後任を選ぶ臨時国会の日程も決められない状況と報じられています。首相指名で野党の統一候補を模索する動きもいろいろ表面化しています。「高市総裁」を選択した自民党自身が招いている事態です。
 仮に自公連立政権が実質的に終わり、高市氏が「首相にならない3人目の自民党総裁」になるなら、今回の総裁選は後世に残る歴史的な出来事になりそうです。

「論功」を超えた露骨な「麻生支配」ではないのか~「党内政権交代」(日経新聞) 高市自民党の執行部人事

 自民党の高市早苗総裁が10月7日、新執行部を発足させました。わたしなりの受け止めを言えば「派閥支配」と「裏金政治家のなし崩しの復権」です。刷新感は皆無。後退、劣化の感しかありません。連立政権を組んできた公明党も、高市自民党との連立継続を即断できず、党内には連立解消論もあると報じられました。石破茂首相の後任の首相を決める臨時国会開催は、当初の見通しよりも遅れ、10月20日以降になりそうです。その間、首相と自民党総裁が別、という状態が続きます。高市総裁の選出がもたらしたいきなりの政治的混乱だと感じます。

■「人事は全てお任せ」
 自民党の副総裁に就いた麻生太郎元首相は、党内で唯一残った派閥のオーナー。鈴木俊一幹事長はその麻生派の重鎮で、念の入ったことに麻生元首相の義弟です。有村治子総務会長も麻生派です。総裁選では、麻生元首相が「高市勝利」の流れを作りました。このブログの一つ前の記事でも触れましたが、高市氏は麻生氏に対して、「『総裁選後の人事は全てお任せします』と確約していた」(共同通信)と報じられていました。まるでその通りの結果のようです。「論功」を超えた、あまりにも露骨な「麻生支配」だと感じます。
 もう一つ、「まさか、本当にやるのか」と驚いたのは、萩生田光一・元政調会長の幹事長代理代行就任です。旧安部派の有力者の一人。パーティー券裏金事件では2728万円の不記載がありました。いったんは不起訴になっていた秘書が、検察審査会の議決を経て今年8月、政治資金規正法違反罪で略式起訴され、罰金刑になりました。
 党の処分を終えていること、昨年の衆院選で信任を得ていることで、いわゆる「みそぎ」は済んでいる、ということのようです。しかし、秘書の立件はその後のこと。しかも、一般社会の判断の反映である検察審査会の議決を経た再捜査による立件です。総裁選直後に共同通信が実施した世論調査では、裏金事件に関与した議員を党役員や閣僚などの要職に起用することに反対との回答が77%に上っています。にもかかわらず裏金議員を要職に就けるとは、「政治とカネ」に対する高市総裁の感覚は、社会一般の意識と相当にずれていると受け止めざるを得ません。

■改革どころか逆行
 東京発行の新聞各紙も、10月8日付の朝刊紙面では、さすがに批判や疑問を投げかけるトーンが目立ちました。6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)の紙面を対象に、どんな見出しで報じたか、目についたものをまとめました。

 「論功」「古い自民党」「派閥政治」などの表現が目立ちます。中でも日経新聞の「党内政権交代」の見出しは、事の本質をよく言い表していると感じます。
 もう一つ、目を引いたのは、社論として自民党支持が顕著な産経新聞が、1面トップ記事の主見出しに自民党と公明党の連立協議持ち越しを据えたことです。「自公の連立協議が一度で合意に至らないのは極めて異例」としています。仮に連立継続、高市政権発足となったとしても、自公の結束には質的な変化が避けられないように感じます。
 「高市体制」に公明党が抱いている懸念は①政治とカネ②靖国神社参拝など歴史認識問題③外国人排斥-の3点だとされます。②は、例えば安倍晋三元首相の例のように、首相在任中は参拝を控える対応もありそうです。③もこれからの施策の問題です。しかし、①の政治とカネは、裏金事件の最大の要因だった党内の派閥支配が、解消どころか、派閥や旧派閥の枠組みが総裁選の行方を決定づけ、唯一残っている麻生派が最大の“役得”を得ているような状況です。加えて、萩生田氏を“実質幹事長級”で重用を決めたことは、改革どころか逆行のイメージを決定づけているように思えます。
 読売新聞は8日付朝刊の2面に「公明内に『連立離脱論』/『政治とカネ』強い懸念」の見出しを立てていました。自民党の国会議員には、公明党や支持母体の創価学会の支援がなければ当選がおぼつかない議員は少なくないはずです。連立協議の行方は、自民党内の高市総裁の求心力にも少なからず影響があるはずです。

■政治報道も真価が問われている
 臨時国会開会までに時間があるということは、自民・公明両党の間だけでなく、野党間でも、自民党内でもいろいろ対応する時間があるということです。高市総裁選出の直後、新聞、放送の多くは一斉に「初の女性の首相へ」と報じました。その通りに進むのかどうか。マスメディアの政治報道もまた、取材や伝え方をめぐって、真価が問われているとの自覚が必要だと思います。

古い自民党そのままの高市早苗新総裁の選出~社会に分断をもたらす発言の危うさ

 自民党の新総裁に10月4日、高市早苗氏が選出されました。マスメディアの情勢報道などで優位とみられていた小泉進次郎農相との決選投票で、国会議員票を大きく上積みして引き離しました。1955年の結党以来、女性の総裁は初めて。国会では衆参両院とも自民党、公明党の連立与党は過半数割れしていますが、野党が首相候補を一本化できる状況ではなく、そのまま高市氏が女性として初の首相に就く見通しだと報じられています。画期的な出来事であるのは間違いありません。ただし、「高市総裁」「高市首相」で、男性中心の同質性が高い日本の政治が変わるかと言えば、少なくとも現時点では期待はできないと感じます。理由の一つは、派閥、旧派閥が幅を利かす自民党の古い体質そのままに、高市氏が総裁に選出されたと受け止めるほかないことです。「初の女性」の意義の評価は、今後の高市氏次第だろうと思います。

 こうした大きな政治イベントでは、水面下の駆け引きを探るのは日本の新聞の政治報道が得意な分野です。新聞の政治報道に批判があるとしても、複数の新聞を読み比べることは、全体像を理解するのには役立ちます。東京発行の新聞6紙(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日経新聞、産経新聞、東京新聞)の5日付朝刊を買いそろえて読んでみました。各紙ともそろって1面トップで報じ、関連記事も総合面、政治面、社会面などに展開。社説・論説でも取り上げています。画期的なニュースではあるのですが、やはり「これで政治が変わる」との高揚感はありません。
 各紙の1面トップの見出しは以下の通りです。
・朝日新聞「自民総裁に高市氏/女性初 首相選出見通し/決選投票 小泉氏破る」
・毎日新聞「女性初 自民総裁に高市氏/保守回帰求めた党員/首相選出の公算大/決選投票 小泉氏破る」
・読売新聞「自民総裁 高市氏/女性初 決戦 小泉氏破る/物価高対策を優先 挙党態勢意欲」
・日経新聞「自民総裁に高市氏/初の女性 小泉氏破る/15日にも首相指名/野党と連立協議 意欲」
・産経新聞「自民新総裁 高市氏/初の女性首相誕生へ/決選投票 小泉氏破る 15日にも/『新しい時代を刻んだ』」
・東京新聞「高市氏 自民新総裁/決選投票 小泉氏を破る/女性初の首相へ/裏金議員の起用 排除せず」

 政治の刷新、新風を感じるような表現は見当たりません。主見出しに「女性初」を入れたのは毎日新聞だけ。その毎日も2本目の見出しでは「保守回帰」と、この総裁選の特質を端的に表現しています。東京新聞が「裏金議員」の処遇を見出しに入れたのが目を引きます。

 本命視された小泉氏を、高市氏が決選投票で破った背景事情を、各紙とも、主に総合面で報じています。目を引く見出しを並べてみます。
「保守回帰 地方からうねり/『高市氏らしさ』前面 つかんだ党員票」(朝日)
「派閥復権 高市氏に風/麻生氏の『号令』決め手」(毎日)
「党員票 議員動かす/派閥・旧派閥の思惑 有利に」(読売)
「党員票、議員動かす/麻生派支持が決定打 保守回帰」(日経)
「高市流 弱点を克服/『党員の声』麻生氏流れ作る」(産経)
「『政治とカネ』にフタ/党内融和優先 内向き議論」(東京)

 各紙の報道でおおむね共通しているのは、右派色が強く右派層の支持が高い高市氏が党員票で圧倒的な強みを見せたことで、支持離れに危機感を持つ国会議員が決選投票ではこぞって高市氏に投票した、との構図です。そこから読み取れるのは、党員の右傾化志向であり、自民党全体のより一層の右傾化です。
 その中で「高市勝利」の大きな流れを直接作ったのが麻生太郎元首相でした。党内で唯一、派閥を維持している麻生氏が4日当日になって、決選投票では党員票の首位の候補に投票する、との意向を周囲に伝えたと報じられています。つまりは派閥に所属する国会議員へ、高市氏への投票を指示しました。
 総裁選では高市氏は麻生氏にも支持を働きかけていました。共同通信は「選挙中、高市氏は麻生氏と面会し、『総裁選後の人事は全てお任せします』と確約していた」と報じています。
 ただ、麻生氏には小泉氏も面会していました。総裁選の全体像を俯瞰してみれば、パーティー券裏金事件を契機に、派閥の解消と党の刷新を打ち出していたにもかかわらず、党内ではいまだに派閥、旧派閥が幅を利かせていることが、あらためてよく分かると感じます。

 高市氏で気になるのは、その発言です。
 総裁選では、奈良の選出であることを強調して、奈良公園のシカを蹴り上げる観光客がいることを問題視する発言がありました。根拠は明示していません。現地で、そういう事例は耳にしないと話す人を紹介したテレビ局の取材が、SNS上で「やらせ」と炎上する事態になりました。
 刑事事件の捜査で、通訳が不足しているために外国人が不起訴になる事例を耳にする、との発言もありました。マスメディアの検証報道では、警察関係者、検察関係者から否定的な見解が示されています。
 過去には総務相当時、放送法の運用などをめぐって省内で作成されたとする文書に対して、自身の発言にかかわる内容は不正確で捏造だと主張しました。その後、文書は行政文書と確認されましたが、高市氏の「捏造発言」はうやむやのままです。
 総裁に選出された直後のスピーチでは、党の再生のために働くことを強調するあまりか「私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる」と口にしました。過労で心身の健康を保てなくなった人、近親者を過労死で失った人たちにどんな風に聞こえるか。社会で「滅私奉公」の風当たりが強まらないか。懸念があります。「ワークライフバランス」と口にしなくても、党総裁として懸命に働く、ということは表明できるはずです。
 この発言を巡っては、「首相になろうかという立場の人物として不適切」との趣旨の批判と、「国民に働くことを求めてはいない」として擁護する意見とが、SNS上ではぶつかり合っています。本人の思惑、本意はどうあれ、高市氏には、発言が社会に分断をもたらす危うさがあります。

 「地位が人をつくる」と言われます。今後、高市氏の立ち居振る舞いが変わる可能性もあるのかもしれません。しかし、総裁選を通じて、自民党はより一層、右傾化したと感じざるを得ません。
 日本の社会に、かつてのような幅広い層の支持を得た国民政党と呼びうる政治勢力は見当たらなくなりました。一方で参政党、日本保守党など極右と呼ぶほかない新興の勢力が勢いを保っています。かつて、ワイマール憲法下でナチスが台頭したドイツの歴史を想い起こさずにはいられません。敗戦から80年の年に、容易ならざる時代が到来していることをあらためて感じます。
 その中で、戦争を起こさせないために、希望をつながなければなりません。意見は異なっていても対話を重ね、社会の分断を埋めていかなければなりません。不可欠なのは、事実の共有です。マスメディアの組織ジャーナリズムの役割もまた大きいと思います。

 以下に、自民党の高市総裁選出を東京発行の新聞各紙がどう報じたかの記録として、5日付朝刊の主な記事の見出しを書きとめておきます。

【朝日新聞】
▽1面
「自民総裁に高市氏/女性初 首相選出見通し/決選投票 小泉氏破る」
「鈴木俊幹事長で調整 副総裁は麻生氏軸」
「裏金問題『人事に影響ない』」
▽2面
「保守回帰 地方からうねり/『高市氏らしさ』前面 つかんだ党員票」
「連立拡大 国民民主に軸足」
「ジェンダー政策 進むか不透明/夫婦別姓・同性婚 慎重姿勢」
「外国人政策 厳格化へ/土地取得 対応強化の構え」
▽3面
「高市氏『物価高対策に力』/旧暫定税率廃止、軽油も」
「タカ派 靖国は明言避ける」
▽社会面
トップ「高市さん 応えてほしい」
「『ワーク・ライフ・バランスという言葉捨て働く』/選出後 議員へのあいさつで」
▽社説
「自民新総裁に高市氏 『分断』回避を主導できるのか」/変われない党を露呈/資質問われた言動も/連立協議拙速避けよ

【毎日新聞】
▽1面
「女性初 自民総裁に高市氏/保守回帰求めた党員/首相選出の公算大/決選投票 小泉氏破る」
「公明 自民の右傾化警戒」
「責任ある政策 追求を」田中成之・編集局次長
▽2、3面見開き「派閥復権 高市氏に風」「タカ派 中韓警戒強め」
※2面
「日米会談控え 外交手腕未知数」
「物価対策に積極財政」
※3面
「麻生氏の『号令』決め手」「小泉氏『守勢』裏目に」「林氏存在感 旧岸田派、分裂含み」
「『解党的出直し』議論低調」
▽社会面
トップ「『鉄の天井』破ったけれど…/ジェンダー平等 逆行懸念」
「『ワーク・ライフ・バランス捨てる』/高市氏あいさつに首相『大丈夫か?』」
▽社説
「自民新総裁に高市氏 幅広い声聞き不信払拭を」/右派的言動に警戒感も/問われる党改革の姿勢

【読売新聞】
▽1面
「自民総裁 高市氏/女性初 決戦 小泉氏破る/物価高対策を優先 挙党態勢意欲」
「国力の復活 政策で」川嶋三恵子・政治部長
▽2、3面見開き「党員票 議員動かす」「野党 出方見極め」
※2面
「対中韓 バランス課題」
「連立 維新、戦略練り直しへ」
※3面・スキャナー
「派閥・旧派閥の思惑 有利に」「小泉陣営 消えた楽観論」
▽4面(政治・経済)
「働いて、働いて、働いて、働いて、働いていく/『ワーク・ライフ・バランス捨てる』」
▽社会面
トップ「『強い日本 作って』/強い者ら 自民再生に期待」「外国人巡る発言 批判も」
※第2社会面「切実な要望 各地で/介護処遇改善・防衛力を強化」
▽社説
「高市自民新総裁 存亡の岐路で舵取り託された 混迷収拾し政治の機能回復せよ」/歴代初の女性首相へ/発信には不安要素も/新たな外交戦略が必要

【日経新聞】
▽1面
「自民総裁に高市氏/初の女性 小泉氏破る/15日にも首相指名/野党と連立協議 意欲」
「給付付き税額控除議論へ/物価高対策、臨時国会で」
▽2面
「党員票、議員動かす/麻生派支持が決定打 保守回帰」「小泉氏『改革封印』裏目に/世代交代への敬遠も」
「高市新総裁 市場の見方/利上げ後ずれ/株には追い風/物価上昇に警戒」
▽3面
「高市氏『積極財政』鮮明に/物価対策 赤字企業の賃上げ支援/金融政策『政府に責任』」
「維新『打診あれば参加』/連立協議 国民は政策実現見極め」
「トランプ大統領来日へ/関税合意覆さず」
「民主主義の『矛盾』克服を」桃井裕理・政策報道ユニット長
▽社会面
準トップ「『新風を』『政策、女性視点で』/自民総裁に高市氏 党員、期待と注文」
▽社説
「自民総裁選に問う 高市氏は難局打開へ政治再生急げ」/女性リーダーの時代に/安定と協調に軸足を

【産経新聞】
▽1面
「自民新総裁 高市氏/初の女性首相誕生へ/決選投票 小泉氏破る 15日にも/『新しい時代を刻んだ』」
「野党と早期連立意欲/就任会見 政党名は言及せず」
「もう『やり直し』許されぬ」酒井充・編集局次長兼政治部長
▽2、3面見開き「高市流 弱点を克服」「小泉節 封印が裏目」
※2面
「安全運転も党員票伸び悩む」
海外反応:中国・韓国・米国
※3面
「『党員の声』麻生氏流れ作る」「バイク乗り回すドラマー」
「連立拡大 相手は/野党とのパイプ乏しく」
▽4面(総合)
「高市総裁『ワークライフバランス破棄』宣言」
▽社会面見開き「女性総裁 扉開いた」「拉致解決 今度こそ」
※社会面
「『働いていく』信念のショートヘア」
「地元歓喜『日本の夜明けだ』」
※第2社会面
「『日本の怒りを言葉にしてほしい』」
「早紀江さん『心込めて取り組んで』」
▽社説(「主張」)
「高市自民新総裁 全身全霊で危機克服を 政治の安定を取り戻したい」/女性首相誕生期待する/保守政党の原点に返れ

【東京新聞】
▽1面
「高市氏 自民新総裁/決選投票 小泉氏を破る/女性初の首相へ/裏金議員の起用 排除せず」
「『国民政党』の自覚取り戻せ」関口克己・政治部長
「『全員に馬車馬のように働いてもらう。私もワークライフバランスを捨てる』/高市氏、党モーレツ化を宣言」
▽2、3面見開き「『政治とカネ』にフタ」「連立拡大 絡む思惑」
※2面・核心
「高市氏意欲 維新は前向き」「公明硬化 右傾化に危機感」
「高市氏 掲げる経済政策は?/『財政出動で強く』/物価高政策に赤字国債容認」
「トランプ氏と会談へ/就任直後 外交日程めじろ押し」
※3面
「党内融和優先 内向き議論」「『鉄の女』を尊敬・タカ派的言動で波紋」
「『馬車馬…国民には強いないで』ネット反応」
「『ガラスの天井』やっと…/小泉氏『力不足』」
▽社会面
トップ「私たちの声に向き合って」コメ政策、排外主義、選択的別姓、若者世代
▽社説
「自民新総裁に高市氏 党の体質こそ変えねば」/裏金が「決着済み」とは/対立煽らぬ外交姿勢を/野党は政権を監視せよ

山本五十六は中国での戦火拡大をどんな思いで見ていたのか~日中戦争からアジア太平洋戦争への連続性の視点

 8月の終わりに新潟県長岡市を日帰りで訪ねました。日本の敗戦から80年の今年、見ておきたいと思った場所がありました。山本五十六記念館です。
 山本五十六は旧日本海軍の軍人。1941年12月、米国、英国を相手に開戦した当時の連合艦隊の司令長官でした。実戦部隊のトップです。戦死後に元帥に列せられました。「アジア太平洋戦争」とも呼ばれるこの戦争を通じて、今日でも広く名前が知られている軍人の一人だと思います。
 各国の海軍が戦艦の主砲の大きさを競い合っていた往時にあって、早くから、航空機の優位性を見抜き、海軍の航空部隊の育成に力を注いだこと、米国の駐在武官の当時に米国の工業生産力を知り、対米戦の回避を信条としていたこと、海軍省次官の当時には米内光政大臣、井上成美軍務局長とのトリオで、ドイツ、イタリアとの三国軍事同盟に「米国との戦争を招く」として反対を貫いたことなどが、一般には知られていると思います。
 山本は1943年4月、南方の最前線を視察中に、ソロモン諸島ブーゲンビル島の上空で、搭乗機が米軍機に撃墜され、戦死しました。長岡市の記念館には、その搭乗機、一式陸上攻撃機の主翼の一部が展示されています。
 記念館で購入した展示図録の説明によると、山本の生誕100年の1984年、「山本元帥景迎会」がブーゲンビル島のジャングルを訪ね、搭乗機の残骸の前で慰霊祭を行いました。その後1989年に、現地政府の好意で、左翼の一部が長岡に運ばれたとのことです。
 館内は撮影禁止ですので写真は撮影していません。記念館の公式サイトに、写真が載っています。
※山本五十六記念館トップ
http://yamamoto-isoroku.com/

 当時の海軍機でよく見られた塗装だった濃緑色の翼に描かれた赤い日の丸。撃墜時の衝撃を物語るように、あちこちが引き裂かれた傷だらけの金属片です。傍らには、山本が座っていた座席も展示されていました。あの戦争が確かにあったことを実感しました。貴重な展示です。

 本意は対米戦に反対であったとしても、実戦部隊のトップとして否応なく作戦を立案しなければならない立場でした。戦争が避けられなくなると、当時としては常識破りだった空母機動部隊を主力にしたハワイ・真珠湾への奇襲攻撃に踏み切り、最期は最前線での戦死でした。
 開戦後、米国は国力に物を言わせて空母や航空機を増産し、日本海軍は物量で対抗できなくなっていきます。山本が掲げた空母機動部隊中心の海軍は、日本ではなく米国が実現させました。
 これらの経緯から、山本に対しては、ある種の「悲運の名将」のニュアンスの文脈で語られることが少なくないように思います。
 わたし自身も長く、そのような認識でいました。最近、別の側面から見れば、山本という軍人の歴史的な評価、さらには日中戦争からアジア太平洋戦争へと至る日本の戦争の歴史的な意味あいは違って見えてくるのではないか、と考えるようになっています。
 きっかけは、このブログの一つ前の記事で紹介した岩波新書「南京事件 新版」(笠原十九司)です。

news-worker.hatenablog.com

 この記事では、以下のようなことを書きました。

▽対米戦への連続性
 本書の「南京事件」の表題は広義の呼び方です。日本軍の残虐行為は、南京占領後だけではないし陸軍部隊によるものだけでもない、との視点です。南京への進撃途中にも残虐行為はありました。さかのぼれば、盧溝橋事件の当初は現地解決が図られていたのに、戦火は上海に飛び火し、さらに全面戦争へと戦火が拡大していく過程には、海軍が大きく関与していました。南京侵攻に先立つ海軍航空部隊による南京の戦略爆撃は、住民への無差別殺戮行為です。海軍の関与をも重視した、より広い視野で「南京事件」としてとらえる視点は重要だと感じます。
 太平洋戦争開戦前の海軍と言えば、米内光政海軍大臣、山本五十六次官の当時に、日独伊の三国同盟締結に反対を貫いていたことが知られています。米国との戦争を招く、というのが主な理由でした。「不戦」「非戦」を志向していたイメージがあります。
 しかし、実際には海軍が日中間の戦火拡大に重要な役割を担い、その果てに対米戦争に至りました。日中戦争と太平洋戦争は連続しており、対米英開戦と同時に日本が命名した「大東亜戦争」の呼称は、戦争の性格をよく表しています。
 米国との戦争、つまり世界大戦に進むことを回避するのなら、中国との戦争の拡大を避けるべきだったのではないか、と感じます。陸軍に比べて「平和的・開明的・国際的」だったとの「海軍善玉イメージ」(本書「新版に寄せて」より)は史実に反すると感じます。
 こうした視点に立てば、「戦争体験の継承」の上でも、太平洋戦争に先立つ日中戦争の実相に目を向けることの意義は大きいとあらためて感じます。

 盧溝橋事件から上海事変、そして南京攻略へと戦火が拡大し、中国との全面戦争に進んで行ったのは1937年のこと。当時、山本は海軍次官でした。海軍省は軍政を担当します。軍事作戦である軍令は天皇直属の軍令部の担当でした。陸軍では参謀本部です。
 中国での作戦行動に対し、海軍省にいる山本は直接の当事者ではありませんでした。戦火の拡大に直接、口を挟む立場ではなく、その権限もなかったはずです。そうだとしても、中国との戦争が抜き差しならない状況に陥っていけば、やがては米国と衝突せざる得ないことが分からなかったはずはなかったのではないか、と感じます。
 南京を始め中国の都市を爆撃した海軍の陸上攻撃機は、山本が生みの親とされます。この「戦略爆撃」は後に米軍が取り入れ、太平洋戦争の末期にはB29の大編隊が日本中の主だった都市を焦土にし、非戦闘員である住民が犠牲になりました。山本の出身地の長岡も、45年8月1日深夜から2日未明にかけて空襲を受け、犠牲者は1480人余りに上ったとされます。
 戦争の結末を山本自身は知ることがありませんでしたが、中国との戦争で、陸軍だけでなく自らが育成に尽力した海軍航空部隊も戦火を拡大させていった、つまりは結果的にせよ、米国との戦争へつながる道をひたすら進んで行ったさまを、どんな思いで見ていたのか。それいかんでは、軍人としての山本五十六のイメージも変わってくるかもしれないと感じます。

 敗戦から80年がたって、直接あの戦争を体験した世代がいなくなるのも間もなくです。その中で、このブログの一つ前の記事でも触れたように、沖縄戦や南京事件を巡って、歴史否定の言辞を公然と口にする国会議員が現れています。歴史から教訓を導き、社会で共有することが必要だと痛感します。「戦争体験の継承」と言ったときに、新聞などマスメディアの報道でも、これまでは米国との戦争が大半を占めていたように感じます。米国、英国との太平洋戦争に先立つ日中戦争からの連続性の視点で、あらためて戦争の歴史をとらえ直し、社会で共有することが必要ではないか-。この夏の終わりに、そんなことを考えています。

圧倒的な研究成果の厚みと、対米戦争への連続性の視点~読書:「南京事件 新版」(笠原十九司、岩波新書)

 ことしは1945年に日本の無条件降伏で第2次世界大戦が終結して80年です。8月6日、9日の広島、長崎の原爆の日から15日の「敗戦の日」にかけて、マスメディアでも戦争体験の継承をめぐる報道が目に付きました。例年と異なると感じたのは、史実を認めようとしない「歴史否定」とも呼ぶべき言説が、右派の政治家に広がっていることです。
 自民党の西田昌司参院議員は、沖縄の「ひめゆりの塔」の展示に対して「歴史の書き換え」と言い放ちました。批判を受けて謝罪したかのようでしたが、真意は、話した場所が沖縄だったことがまずかった、話した内容は間違っていない、ということのようです。
 参院選で14議席を獲得した参政党は8月15日、国会議員18人、地方議員70人が靖国神社を参拝。境内で晴れがましく集合写真を撮影する様は、これまでの政治家の靖国参拝では見なかった光景です。この集団の“軽さ”を感じずにはいられません。その参政党の初鹿野裕樹参院議員は、1937年の南京事件を「なかった」と公言。神谷宗幣代表も同調しています。
 戦争の史実を認めないことが「愛国」である、とのいびつな思考の政治家が選挙で選ばれてしまうことをどう考えればいいのか。それらの政治家を批判してすむことではありません。敗戦から80年がたち、直接戦争を経験した人たちがまもなくいなくなります。その中で歴史認識が社会で共有できなくなっていることが、本質ではないかと感じます。歴史否定の参政党の支持率は、参院選後も落ちていません。歴史認識をめぐって社会の分断が進みかねません。

 そんなことを考えていたこの夏、岩波新書の「南京事件 新版」を読みました。
 https://www.iwanami.co.jp/book/b10136584.html

www.iwanami.co.jp

 日本は1937年7月7日の盧溝橋事件を発端に、中国との戦争に入りました。その年の12月、中華民国が首都を置いていた南京を攻撃し占領。その際に、日本軍が捕虜や住民を虐殺した「南京大虐殺」については、史実として概括的に知っていたつもりでした。本書によって、戦闘の経過や虐殺の詳しい記録などを、知識としてあらためて系統的に整理することができました。
 なんとなく、「南京事件はなかったのではないか」と漠然と感じている人には、特に奨めたい一冊です。
 読後の感想をいくつか書きとめておきます。

▽圧倒的な史料や証言

 本書で圧倒されるのは、日本軍の残虐行為の態様です。特に被害者の証言は、決定的な証拠です。ほかにも南京に駐在していた米国人記者らによる当時の報道や、日本軍部隊の戦闘記録、南京での遺体の埋葬の記録をはじめ、現存する史料・資料を駆使して、全容に迫っています。
 本書で示されているのは、事件のアウトラインかもしれませんが、その背景には膨大な史料・資料と、研究者らによる実態解明の真摯な営みがあることが容易に見て取れます。歴史学のアプローチによるこの研究成果の厚みの前には、「虐殺はなかった」との言辞はまったく意味を持ちません。
 「結びにかえて」の中で著者の笠原十九司さんは、「南京大虐殺」「南京事件」があったかどうかの歴史事実をめぐる「論争」は、圧倒的な史料や証言が発掘された結果、1990年代前半には決着していたのに、90年代後半からは、政治家による歴史教科書や学校教育への統制により「論争の政治化」が進められてきたと指摘しています。
 右派政治家のほか、マスメディアの一部も含めて現在流布している「南京事件はなかった」との言説は、つまりは政治的なプロパガンダだということです。歴史学の検証には到底耐えられません。そのことは本書を読めば容易に理解できます。
 「南京大虐殺はなかった」との言辞には、「自虐史観」の呼び方が必ずと言っていいほどセットになっています。政治的なレッテル張りで、歴史に真摯に向き合い、教訓を得ようとする姿勢とは正反対です。歴史の冒涜に等しいと思います。

▽対米戦への連続性

 本書の「南京事件」の表題は広義の呼び方です。日本軍の残虐行為は、南京占領後だけではないし陸軍部隊によるものだけでもない、との視点です。南京への進撃途中にも残虐行為はありました。さかのぼれば、盧溝橋事件の当初は現地解決が図られていたのに、戦火は上海に飛び火し、さらに全面戦争へと戦火が拡大していく過程には、海軍が大きく関与していました。南京侵攻に先立つ海軍航空部隊による南京の戦略爆撃は、住民への無差別殺戮行為です。海軍の関与をも重視した、より広い視野で「南京事件」としてとらえる視点は重要だと感じます。
 太平洋戦争開戦前の海軍と言えば、米内光政海軍大臣、山本五十六次官の当時に、日独伊の三国同盟締結に反対を貫いていたことが知られています。米国との戦争を招く、というのが主な理由でした。「不戦」「非戦」を志向していたイメージがあります。
しかし、実際には海軍が日中間の戦火拡大に重要な役割を担い、その果てに対米戦争に至りました。日中戦争と太平洋戦争は連続しており、対米英開戦と同時に日本が命名した「大東亜戦争」の呼称は、戦争の性格をよく表しています。
 米国との戦争、つまり世界大戦に進むことを回避するのなら、中国との戦争の拡大を避けるべきだったのではないか、と感じます。陸軍に比べて「平和的・開明的・国際的」だったとの「海軍善玉イメージ」(本書「新版に寄せて」より)は史実に反すると感じます。
 こうした視点に立てば、「戦争体験の継承」の上でも、太平洋戦争に先立つ日中戦争の実相に目を向けることの意義は大きいとあらためて感じます。

 本書の発行日はことし7月30日。歴史否定の動きに対抗する試みだと思いますが、「蛮行はどのように生じたのか」と印刷された帯の裏面には、南京事件を巡る典型的な歴史否定の言説が五つ挙げられており、それぞれ簡潔な指摘と、その記述が本書のどのページにあるかが記されています。
 例えば「当時、南京には20万人しかいなかった」。その後の南京の人口は25万人に増えているから、虐殺などあり得なかったとの文脈で持ち出されています。参政党の初鹿野参院議員も主張しています。この言辞に対しては「20万人は南京城内の安全区の人口です。被害のあった南京市全体の人口ではありません」と指摘しています。本書をめくっていけば、詳細な記述があります。

 事実に対する意見は個々人の自由ですが、事実が共有されないことは民主主義を危うくします。とりわけ現代史の分野では深刻な問題です。現実の政治的主張と容易に結びつき、社会の分断を深めるからです。まずは事実の共有が社会で必要です。
 その意味で、なんとなく、「南京事件はなかったのではないか」と漠然と感じている人には、特にお奨めする一冊です。

「共通のアイデンティーは育ちにくい」(沖縄タイムス)、「戦後日本の矛盾が沖縄に集中」「国民の理解不十分」(琉球新報)~敗戦80年、沖縄の新聞の本土への視線

 一つ前の記事の続きです。
 1945年の敗戦から80年の8月です。地方紙、ブロック紙が8月15日付、16日付で掲載した関連の社説、論説をネット上の各紙のサイトで見てみました。
 目を引くのは沖縄の2紙、沖縄タイムスと琉球新報です。
 それぞれ、見出しと本文の一部を書きとめておきます。

▽沖縄タイムス
・8月15日付「戦後80年の『8・15』 今こそ『不戦』の誓いを」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1649391

 空襲や原爆によって被害を受け、米軍占領前に終戦を迎えた本土と、地上戦で破壊し尽くされ米軍占領下で終戦を迎えた沖縄。
 共通の歴史体験に基づく「集合的記憶」のないところに、共通のアイデンティティーは育ちにくい。
 45年12月には帝国議会で「改正衆議院議員選挙法」が公布され、付則で沖縄県民の選挙権が停止された。新憲法は県民代表不在の国会で成立した。
 「8月15日に天皇の聖断によって終戦を迎えた」との語りは、こてんぱんにやられ降伏した、という事実をオブラートに包む。
 9月2日という降伏調印式の日付は急速に忘れられた。敗戦という言葉さえ終戦に置き換えられ、あまり使われなくなっている。
 中国と戦争を続けてきたという事実さえ若い世代では忘れられつつある。
 加害者は忘却し、被害者は記憶を継承する。その結果、両者の歴史認識の溝は深まっていく。
 急速に世界の軍事化が進む今ほど、歴史対話が求められる時はない。

・8月16日付「全国戦没者追悼式 戦争の『反省』形にせよ」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1650108

 戦争体験者が少なくなる中、歴史的事実を歪(わい)曲(きょく)化するような発言が相次いでいる。
 ひめゆりの塔の展示に関して「歴史の書き換え」と言い放った参院議員もいる。
 同じ過ちを繰り返さないようにするため、今こそ過去の「加害」と「被害」の両方をしっかりと見つめ直す時だ。

▽琉球新報
・8月15日付「敗戦から80年 平和を守る決意新たに」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-4543046.html

 日本国憲法は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と記す。国会議員は憲法の尊重を義務づけられているが、それを無視するような議員の発言が相次ぐ。
 首相経験者である自民党最高顧問は中国を念頭に、日本と米国、台湾に「戦う覚悟」が求められていると主張した。ひめゆりの塔の展示に関して「歴史の書き換え」と述べた自民党参院議員もいる。7月の参院選では「核武装が最も安上がり」と発言した参政党候補が当選した。沖縄戦体験者、広島、長崎の被爆者に顔向けできるのか。許されざる発言である。
 (中略)
 日本世論調査会の全国世論調査で沖縄の米軍基地について「大きく減らすべきだ」が48%と最も多かったが「現状のままでよい」も42%となった。同じ調査で6割が日米安全保障体制を「今のままでよい」と答えた。
 沖縄は戦後27年間の米統治を経て1972年に日本復帰したが、米軍はいまだに沖縄に駐留している。外国軍隊を沖縄へと押しつけ復興を遂げた戦後日本の矛盾が沖縄に集中している。沖縄の現状に対する国民の理解は不十分だ。
 「新しい戦前」となることを沖縄は拒む。「戦後」は終わったのかとの問いも発し続けたい。

 沖縄タイムス、琉球新報ともに、日本本土の新聞とは一線を画した沖縄の視点を感じます。
 80年前の沖縄戦は日本軍にとって、米軍の侵攻を退けるという意味の防衛戦ではありませんでした。米軍にできるだけ損害を与え、本土決戦の準備時間を稼ぐ意味がありました。日本軍による住民の殺害さえありました。
 それから80年。沖縄の施政権は53年前に返還されましたが、日本にある米軍専用施設の7割は今も沖縄に集中しています。沖縄の民意の反対にもかかわらず、日本政府は辺野古への新基地建設を強行。騒音や米軍関係者の犯罪などの基地被害が続いています。
 敗戦から今日までの「80年」の時間の流れは、日本本土と沖縄とでは、その内容は大きく異なっている、同じ時間を共有してきたとは言えないのではないか。そんなことを改めて考えました。80年前、日本の敗戦で終わった戦争の記憶と教訓を受け継ぐだけでなく、その後の80年間を振り返ることも必要だと思います。

 そのほかの各紙では、全国紙と同じように戦争体験の継承を課題として指摘する内容が目立ちました。以下に、ネット上の各紙のサイトで全文を読める社説、論説の見出しとリンク先をまとめました。歴史を否定するような政治勢力の言動への懸念も、いくつもの社説、論説が記しています。一部はその内容を書きとめておきます。

▽北海道新聞
・8月15日付「敗戦から80年の日本 平和国家の歩みを次世代に」/加害の事実忘れるな/独善の歴史観危うい/繁栄の影に目凝らす
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1198952/

 この国の政治は戦争責任を追及する作業を自らは行わず、曖昧にしてきた。そのせいでもあろう。沖縄にある「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」と述べるなど、歴史をゆがめる発言が政治家から出る。
 戦争体験の風化と交流サイト(SNS)の普及に伴い、事実によらない独善的な歴史観が広がっていく懸念が拭えない。
 それは偏狭なナショナリズムと化し、参院選で表れた排外主義の風潮と呼応しながら再び国を誤らせる可能性がある。
 1931年の満州事変から国際連盟脱退に至る過程で新聞は軍部の強硬論をあおり、国民は熱狂的に強硬路線を支持した。
 メディアが形成する世論と政治の相乗作用によって戦争への坂を転げ落ちた。SNS時代に警鐘として学ぶ必要がある。

・8月16日付「戦後80年 首相『反省』式辞 また加害責任は素通りか」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1199271/

▽東奥日報
・8月15日付「記憶つなぐ営み続けたい/80回目の『終戦の日』」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/2088610

▽秋田魁新報
・8月15日付「終戦から80年 平和への歩み再確認を」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20250815AK0004/

▽福島民報
・8月15日付「【戦後80年 終戦の日】自立の思考を築きたい」
 https://www.minpo.jp/news/detail/20250815126353
・8月16日付「【戦後80年 次の節目へ】語り継ぐ決意強く」
 https://www.minpo.jp/news/detail/20250816126370

▽福島民友
・8月15日付「戦後80年/惨禍の記憶と教訓を後世に」
 https://www.minyu-net.com/news/detail/2025081508353839686

▽下野新聞
・8月15日付「【戦後80年】記憶の風化食い止めよ」
 https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/1171464

▽新潟日報
・8月15日付「終戦の日 非戦の誓い未来へつなぐ」/貴重な証言次世代に/政治監視し平和守る/
 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/670361

 気がかりなのは、歴史を否定したり、軽視したりする政治家が見受けられることだ。
 自民党の参院議員は、沖縄戦の慰霊碑「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」などと語った。慰霊碑を訪問したのは何十年も前で、曖昧な記憶を基にした発言だった。
 沖縄県議団が決議文で「沖縄戦の実相を認識せず、歴史を修正しようとするものだ」と批判したのは当然だ。
 先の通常国会では、日本学術会議を来年、特殊法人に移行させる新法が成立した。
 これまでの法にあった「平和的復興」をうたう前文や、「独立して職務を行う」との条文の文言は消え、首相任命の監事や評価委員を新設する。
 学術会議は、科学者が政府と一体となって先の戦争を遂行した反省から出発した。その原点が法人化後も守られるのか、今後も見ていくことが重要だ。
 政治家が都合よく歴史を変えれば、ゆがんだ政策が生まれかねない。歴史の教訓から目を背ける政治は、再び選択を誤る恐れをはらむ。
 なぜ戦争を阻止できなかったのか、反省を打ち出すことが必要だ。石破茂首相は戦後80年に際し、「首相談話」を発表すべきである。
 私たちも平和を守る責任を担っている。政治を監視し、声を上げ続けねばならない。

▽信濃毎日新聞
・8月15日付「戦後80年の民主主義 土台の腐食が進んでいる」/「ウラ」の言論/加速する分断/検証と継承こそ
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2025081500201

 戦争を肌で知る人が減る中、戦争が自らに関係のない「歴史」になり、「日本は悪くなかった」という国民感情が少しずつ目立つようになっているのは確かだろう。
 日本の民主主義は、戦後の人々の間にあった「戦争に関わることへの強い拒否感」などを背景に社会に定着したとされる。
 雑誌「世界」が2022年11月号で編んだ特集「戦後民主主義に賭ける」で、神戸市外国語大の山本昭宏准教授が論じている。
 山本准教授はその中で「広く浅い平和主義は保守政党の政治家たちやその支持層にも一定程度は浸透していたと言える」とする。
先の戦争への認識が揺らぐ中、この民主主義の土台に「きしみ」が生まれている。
 顕著なのが7月の参院選だ。
 作家の保阪正康氏は共同通信配信の評論で、参院選で「社会のルールが崩壊した」と位置づけた。
 戦後社会の「オモテの言論」は非戦や人権といった民主的価値を前提としてきた。それに対し、参院選では弱者保護への批判や排外主義的言説、復古的価値への回帰論という「ウラの言論の鼓吹者」が、「オモテ」に「公然と異議を申し立てた」とする。
 戦前・戦中の社会は、この「『オモテ』と『ウラ』が(今と)逆だった」と保阪氏。国家主義的な言論が戦後80年を経て、再び「オモテ」になる懸念は拭えない。

・8月16日付「首相の追悼式辞 戦争の歴史さらに直視を」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2025081600162

▽中日新聞・東京新聞
・8月15日付「終戦の日に考える 戦い終わらせる難しさ」/昭和天皇が異例の懇請/犠牲の9割、44年以降に
 https://www.chunichi.co.jp/article/1116047
・8月16日付「首相の『反省』 個人でなく政府が示せ」
 https://www.chunichi.co.jp/article/1116615

▽福井新聞
・8月15日付「戦後80年『終戦の日』 平和維持 政治は緊張感を」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/2384011#goog_rewarded

 これら当時の人々のぎりぎりの行動で導かれた和平から80年が過ぎた。石破茂首相は同盟国・米国に対し「なめてもらっては困る」と言った。同盟外交で平和を維持する国として「絶対に表で言ってはならない」(ジャーナリスト・手嶋龍一氏)との批判がある。同盟を危うくするからだ。
 参院選で躍進した新興政党が公表している憲法構想案には、国民主権や基本的人権を軽んじていると懸念の声が上がる。戦前の反省が忘れられたかのようだ。
 平和な日々の連続が、平和を維持する重大さへの緊張感を政治から奪っていないか。平和の決意を新たにすることが、80年の節目に求められている。

▽京都新聞
・8月15日付「終戦80年に思う 焼け跡からの不戦、貫く日本に」/殺し殺されての敗戦/危うい歴史修正主義/平和へ継承と対話を
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1542552#goog_rewarded

 1998年5月、自民党訪中団に同行取材した。のちに国家主席となる胡錦濤副主席ら中国要人との会談後、向かったのは南京である。団長だった野中広務党幹事長代理の強い意向だった。
 「南京大虐殺記念館」では、南京事件(1937年)の生々しい惨状を伝える写真や資料を見て回り、献花をささげた。自民首脳クラスの訪問は初めてで、その後もない。党内の反対や、自らの事務所に相次いだ脅迫電話にも野中氏は「あの戦争を経験した政治家のけじめだ」と折れなかった。
(中略)
 南京事件は多くの証言や記録が研究され、政府は公式見解で「日本軍による非戦闘員の殺害、略奪行為があったことは否定できない」とする。犠牲者は中国側が「30万人」、日本側の研究では「20万人を上限に4万人、2万人などの推計がある」としている。
 だが、SNS(交流サイト)などでは、死者数の開きなどを都合良く解釈して南京事件や侵略自体を「なかった」とする言説も飛び交う。日本軍を悪者にするのは「自虐史観」などとして史実に向き合わず、意図的にゆがめる「歴史修正主義」にほかならない。
5月に、沖縄・ひめゆり平和祈念資料館の展示を巡り、曖昧な記憶を元に「日本軍が入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そして米国が入ってきて沖縄が解放されたと、そういう文脈で書いている」とした西田昌司参院議員(京都)の発言も、この延長線にあるといえよう。「自分たちの納得できる歴史をつくらないと」と続けた言葉に本質をみる。

・8月16日付「千玄室さん逝く 一碗の茶、広げた平和の交流」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1543134#goog_rewarded

▽神戸新聞
・8月15日付「戦後80年/市民の実践で記憶をつなぐ」
 https://www.kobe-np.co.jp/opinion/202508/0019351013.shtml

▽山陽新聞
・8月15日付「終戦の日 空襲被害者の救済議論を」
 https://www.sanyonews.jp/article/1776817

▽中国新聞
・8月15日付「終戦の日 反省と不戦の決意、示さねば」
 https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/695885

 戦後50年に村山富市首相は、植民地支配と侵略に「痛切な反省と心からのおわび」を表明。60年の小泉純一郎首相も踏襲した。70年の安倍晋三首相は「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」としながら、侵略の主体が明確ではなく、植民地支配も歴史的事実の中で語られただけだった。
 節目節目に反省と不戦の決意を内外に示す意義は大きい。戦後80年も、終戦の日に談話として閣議決定するのが筋だ。戦没者を追悼し、不戦を誓う日として定着している。安倍談話で曖昧にされた部分を埋める必要もあろう。
 これに対し、自民党の保守派は、安倍談話で加害の「謝罪外交」に区切りがついたとして新たな談話や見解に反対する。だが、過ちを忘れぬ誓いを新たにすることが「謝罪外交」なのだろうか。
 歴史修正主義や右傾化の風潮は拡大している。自民党議員が沖縄戦の「ひめゆりの塔」の展示を「歴史の書き換え」と発言、「核武装は安上がり」と語る議員も現れた。
 首相側は準備不足もあり、「石破おろし」の動きも見極めながら首相個人の見解として発出を探る。だが政局ベースで語るべきではない。
 首相が誰であろうと、政府として戦後80年の節目に戦争を総括し、教訓にどう向き合うかを示すべきだ。政権延命や選挙の顔のすげ替えより大事な政治の使命ではないか。

・8月16日付「終戦80年 『戦後』を守り続けなければ」
 https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/696334

▽高知新聞
・8月15日付「【終戦から80年】物言える平和国家を望む」
 https://www.kochinews.co.jp/article/detail/897777

 戦没者の冥福を祈るとともに、戦争で肉親や友人を失い、反戦平和を懇願して戦後の日本をつくりあげてきた戦争体験世代の思いを受け継ぐ決意を新たにしたい。戦争の教訓と平和国家の継承は、戦後世代の最大の使命と言える。
 ただ、今年は戦後世代が大多数になった国会議員の発言が物議を醸した。自民党の西田昌司参院議員が沖縄で「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」とし、「自分たちが納得できる歴史をつくらないと日本は独立できない」と述べた。
 作家の保阪正康さんは本紙で「史実を検証しない勉強不足」「独り善がりの解釈を吐く傲岸(ごうがん)不遜」などと指弾。「怒りより悲しみの方が大きい」と批判している。
 惨禍への反省から戦争を放棄する憲法を樹立した平和国家として、物を言えているかも心もとない。
 石破茂首相は戦後50年から10年ごとに続いてきた閣議決定による「首相談話」の策定を見送った。
 自民党内では保守派を中心に、安倍晋三元首相による戦後70年談話で「謝罪外交」に区切りが付いているとの考えが根強い。大戦の検証に思い入れが強いとされる石破首相の見解表明にも反対の圧力がかかる。対応はまだ見通せない。

▽西日本新聞
・8月15日付「終戦から80年 不戦のペンを握り続ける」/全員に忘れない義務/加害と被害を越えて
 https://www.nishinippon.co.jp/item/1388152/

 今年の長崎平和宣言で鈴木史朗市長は「対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化しています」と懸念を示しました。拍車をかけるのが、皮肉にもデジタル環境を逆用した情報統制の動きです。
 戦時下ロシアのプロパガンダ、中国のネット監視、米大統領は報道を「フェイク」と批判します。
 分断の空気は日本にも忍び寄ります。長崎原爆の日、福岡市の街頭に「自虐史観反対」の声が響きました。交流サイトを駆使して躍進した政党の演説でした。
 なぜ、先の大戦で300万人以上の国民の命が失われ、アジアの人々に多大な犠牲を強いたのか。世界で紛争が繰り返されるのか。
 偏った歴史観が広がる今だからこそ、過去と誠実に向き合った国民的議論が必要です。10年ごとの首相談話はその契機になっていました。見送るのなら残念です。

※以下は、ネット上で見出しのみ確認しました。いずれも8月15日付です。
▽河北新報「戦後80年の誓い 真実を見極め平和の継承を」
▽山形新聞「終戦の日 記憶を未来に語り継ぐ」
▽神奈川新聞「終戦の日 主体的な平和希求こそ」
▽北日本新聞「終戦記念日/一人の力は小さくとも」
▽北國新聞「【戦後80年を迎えて】記憶引き継ぐ誓い新たに」
▽山梨日日新聞「[終戦80年 わだつみのこえ]戦争は絶対に繰り返さない」
▽静岡新聞「戦後80年 終戦の日 軍拡の流れに歯止めを」
▽山陰中央新報「終戦の日 変わらぬ誓いを未来へ」
▽徳島新聞「終戦から80年 戦前回帰 許してはならぬ」
▽愛媛新聞「終戦の日 非戦貫くために何をなすべきか」
▽佐賀新聞「『終戦の日』から80年 問われる『平和主義』の内実」
▽熊本日日新聞「戦後80年 不戦の旗を掲げ続けたい」
▽大分合同新聞「80年目の『終戦の日』 記憶の継承、今が正念場」
▽宮崎日日新聞「戦後80年『終戦の日』」

 

「歴史を見過ごさないために」(朝日新聞)、「平和つくる行動を今こそ」(毎日新聞)、「80年続いた平和を次の世代に」(読売新聞)~敗戦から80年、在京紙の報道の記録

 日本の敗戦から80年のことし8月15日、各地で追悼式典が開かれたと報じられています。東京発行の新聞各紙の16日付朝刊は、東京・日本武道館で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式の様子を始め、「敗戦80年」の関連記事を複数のページにまたがって掲載しました。1面トップで扱ったのは、朝日、毎日、読売、産経、東京の5紙。日経新聞は1面の2番手(準トップ)でした。各紙の1面の主な見出しは以下の通りです。

・朝日新聞「80年 平和継ぐ覚悟/追悼式 戦後生まれ半数超す」/「首相式辞に『反省』13年ぶり」/「天皇陛下 次世代に託す思い」
・毎日新聞「平和へ 決意刻む/首相式辞 13年ぶり『反省』/戦後80年 終戦の日」
・読売新聞「終戦80年 平和誓う/陛下『苦難語り継ぐ』/戦没者追悼式/参列遺族 戦後生まれ53%」/「首相 式辞に『反省』13年ぶり言及」/戦後80年 昭和百年 家族の記憶5「引き揚げ 夫婦作家に影/藤原てい・新田次郎 と次男の藤原正彦・妻の美子さん」
・産経新聞「終戦80年 平和誓う/陛下『戦中・戦後の苦難 語り継ぐ』/戦没者追悼式」/「首相式辞 13年ぶり『反省』/石破氏『見解』、発出時期調整」
・東京新聞「不戦80年 これからも」/戦後80年私のことば「終戦の年 少年の日記-8月『下』 甘いキャラメル 平和の味」
・日経新聞「『戦争の反省 胸に刻む』/『進む道を間違えない』/戦後80年 終戦の日式辞/首相、不戦継承の思い込め」

 戦争を直接経験した世代がいなくなるのも、そう先のことではありません。戦争体験の継承が社会の課題になっていることが、各紙の見出しに反映されているように感じます。

 各紙とも15日付や16日付の社説でも、「敗戦80年」を取り上げました。その中で目を引いたのは、朝日新聞の15日付社説です。米国や英国との太平洋戦争の以前から、日本が中国と戦争していたことに焦点を当てています。
▽朝日新聞
・8月15日付「戦後80年と日本 歴史を見過ごさないために」/対米戦だけでなく/大義なき日中戦争/すれ違う歴史認識
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S16281637.html
 書き出しは以下の通りです。

 80年前に日本の敗北で終わった戦争を振り返るとき、思い浮かぶものは何だろう。真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦。硫黄島の戦い。東京大空襲、沖縄戦。広島、長崎への原爆投下。これらはいずれも対米戦だ。戦いが終わった時点で中国に100万人を超す日本の将兵がいたこと、日本と戦う連合国に中国が含まれていたことが忘れられがちではないだろうか。

 ■対米戦だけでなく

 日中戦争は1937年7月に始まった。12月には日本軍が中国の当時の首都南京を占領、多くの市民を殺害する南京事件を起こした。中国の国民党政権は首都を重慶に移し抵抗を続ける。高校の歴史教科書の説明はここまでか、40年ごろで終わるものが多い。

 中国との戦争を巡っては、7月の参院選で当選した参政党の議員が、南京虐殺はなかったとの趣旨の主張をしています。神谷宗幣代表も同調しています。日本政府が、犠牲者の人数はともかく「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」と公式に見解を表明しているのにもかかわらずです。
※参考 外務省:アジア 歴史問題Q&A
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/

 史実を否定する、直視しようとしない人たちは以前からいました。しかし、敗戦から80年の節目の年に、国会で無視できない地位を占めるようになるとは、思いもしませんでした。
 歪んだ歴史観や、排外主義をあおる政治勢力が支持を集めていることに対しては、他紙も民主主義を危うくするとの懸念を記しています。戦争の歴史の継承は、まさに社会的な課題だと感じます。

 以下に全国紙5紙の「敗戦80年」に関連する社説、論説に見出しを書きとめておきます。いずれも、各紙のサイトで全文を読むことができます。朝日、毎日、読売、日経の4紙は、本文の一部を書きとめておきます。

■朝日新聞
・8月15日付「戦後80年と日本 歴史を見過ごさないために」/対米戦だけでなく/大義なき日中戦争/すれ違う歴史認識
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S16281637.html

 対中国戦を忘れがちな日本と、抗日戦を強調する中国。このすれ違いが、日中間の歴史問題の根底にあったのではないか。中国側による歴史の政治利用は事実の誇張や無視を伴いがちで、距離を置くべきであるとしても、史実に無関心であることは避けたい。
 戦争をめぐる歴史を直視することは決して隣国対策ではない。他国に武力を用いず、国際協調主義を歩んできた戦後日本の大事な原点である。
 時間とともに社会の記憶は薄れていくが、「80年が過ぎたからこそ歴史として書ける」と広中さんは前向きに捉えている。「戦争に関わった当事者がいなくなることで、フラットに戦争を総括できる段階になったと思う」
 中国から太平洋へと戦線を広げた歴史には、まだ掘り起こしを待つ事実があるだろう。シンガポール、フィリピンを含む東南アジアにも日本軍の爪痕が残る。過ちを含む史実を伝えることは後の世代の務めだ。見過ごしてきたことはないか、不断の問い直しを続けたい。

・8月16日付「終戦の日と首相 平和国家 未来像語る時」
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S16282273.html

 きのうは石破内閣の閣僚である加藤勝信財務相、小泉進次郎農林水産相のほか、自民の高市早苗、小林鷹之、萩生田光一氏らが靖国神社に参拝した。参院選で躍進した参政党は、国と地方の議員が大挙して参拝した。
 戦前の軍国主義を支えた国家神道の中心的施設に、政治指導者が参拝することは、戦争への反省を忘れ、過去を正当化しようとしていると見られても仕方あるまい。
 戦争体験者が減り、記憶の風化とともに、実相が正しく伝わらず、歴史の美化や改ざんがまかり通る。とりわけ参政は、戦後の歴史認識や歴史教育に異論を唱え、核武装に言及した議員もいる。
 多大な犠牲の上に築かれた戦後の歩みを顧みることなく、不都合な事実から目を背けていては、同じ過ちが繰り返されかねない。首相はきのう、「分断を排して寛容を鼓(こ)し、より良い未来を切り拓(ひら)く」とも述べた。そのための具体的構想を、自らの言葉で語る必要がある。

■毎日新聞
・8月15日付「戦後80年 終戦の日 平和つくる行動を今こそ」/まかり通る強者の論理/「自国第一」から決別を
 https://mainichi.jp/articles/20250815/ddm/002/070/056000c

 トランプ政権が世界の安定に背を向ける今、問われているのは、戦後日本の歩みを踏まえ、自ら平和を創出する構想力である。
 焦眉(しょうび)の急は秩序の立て直しだ。グローバルサウスに耳を傾け、公正な国際ルールを作る。日本の国力低下を嘆くのでなく、「中堅国が小国と手を携えて存在感を発揮できる国連」(中満泉・国連事務次長)の機能を強化すべきだ。
 自由貿易体制を守らなければならない。東南アジア諸国や欧州連合(EU)と対話を深め、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を拡大するのは理にかなう。
 東アジアに安定をもたらす環境整備も急がれる。日本は信頼の醸成に向け、地域対話の枠組み創設を提唱すべき立場にある。
 肝要なのは、戦前に見られたような「日本中心のアジア主義」の押しつけでなく、対等なパートナーとして協働する姿勢だ。

・8月16日付「『終戦の日』談話見送り 首相は反省と教訓明示を」
 https://mainichi.jp/articles/20250816/ddm/002/070/059000c

 法の支配に基づく戦後秩序は、崩壊の危機に直面している。世界では戦火が絶えず、「自国第一主義」のような内向きな考えが各国で広がっている。
 国内の政治家からは、沖縄戦などの史実をゆがめる発言が繰り返されている。唯一の戦争被爆国でありながら、核兵器の保有を「安上がりだ」と主張する人物が国会議員となった。
 戦争体験者が減り、戦後生まれの世代が大半を占める時代を迎えた。記憶の継承は困難となり、風化が危ぶまれている。
 こうした状況だからこそ、政治指導者が戦争を巡る認識を示し、国民や国際社会と共有する意義は大きいはずだ。
 首相は戦後日本の不戦の歩みを踏まえ、世界の平和構築に力を尽くすとのメッセージを打ち出すべきだ。

■読売新聞
・8月15日付「戦後80年 平和の回復に向け先頭に立て/日本外交の構想力が問われる」/国連の立て直しが急務/ポピュリズム広がる/「力の空白」どう回避
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20250814-OYT1T50280/

 日本は長年、政府開発援助(ODA)などを通じて途上国に協力してきた。中東諸国とも良好な関係にある。そうした蓄積を生かし、紛争当事国への働きかけも強めなければならない。
 国連安保理は、米国の影響力の低下やロシアの暴挙によって機能不全に陥っている。
 国連総会の決議に法的拘束力はないが、ロシアなどが総会決議を順守するよう、日本は加盟国と協力して国際世論の形成に力を尽くしていくことが重要だ。
 (中略)
国際情勢は先を見通しにくくなっている。トランプ米大統領は「米国第一」を掲げ、同盟国にまで高い関税をかけた。
 欧州では、移民や難民の受け入れ政策への不満から、排外的なポピュリズム(大衆迎合主義)が横行し、戦後の発展を担った穏健な中道勢力は後退している。
 日本も例外ではない。戦後長く主要な立場にあった既成政党が国民の信頼を失い、代わりに、排外主義のような主張を掲げた野党の新興勢力が台頭し始めた。
 岐路にある民主主義をどう立て直していくかは、日本を含む各国にとって重い課題だ。
 民主主義国がどこも内向きになっている現状は、「力の空白」を招きかねない。領土や資源を不当に奪おうとする勢力が、一層力を増す恐れがある。

・8月16日付「終戦の日 80年続いた平和を次の世代に」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20250815-OYT1T50303/

 追悼式に参列した遺族は、戦後世代が初めて半数を超えた。一方、軍人恩給を受給する元兵士は今年1000人を下回った。80年という歳月は、戦争を、同時代史から歴史へと変えつつある。
 大戦の末期、フィリピン・ルソン島の激戦地・バレテ峠で戦った鳥取県の兵士らが1968年に設立した「バレテ会」は今年、ホームページを開設した。
 会員の高齢化に伴い、来春解散するため、活動の記録を残すのが目的だ。バレテ峠の慰霊碑は地元の行政機関が管理するという。
 ただ、こうした例は少ない。海外では近年、訪れる人もなく、荒廃が進む慰霊碑の管理が課題となっている。建立した戦友会などの解散で放置され、撤去を求められているケースもある。
 国は、国内外の慰霊碑の管理状態を調査している。維持が難しい場合は撤去する必要もあろう。
 一方で、惨禍の歴史を伝える取り組みは一層重要となる。
 戦後世代が、戦中・戦後の暮らしや労苦を学び、学校などで伝える「語り部」の活動が各地に広がっている。戦争体験者が健在なうちに、さらに育成を進めたい。

■日経新聞
・8月16日付「戦後80年の警鐘を平和への誓いに」/なぜ戦争は起きたのか/無責任体制に堕すな
 https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK143IH0U5A810C2000000/

 国民は開戦を歓迎し、すっきりした解放感が広がった。近現代史研究の辻田真佐憲氏は近著「『あの戦争』は何だったのか」で、明治以来抱えてきた自画像のねじれが解消したからだとみる。
 日本はいち早く列強入りした。だが欧米には差別を受け、アジアには植民地支配は欧米と同類と批判される。このもやもやした思いが、米国に対峙する開戦で振り払われたという見方だ。
 これは外国人への不満を選挙で晴らすのに似て危うい。国際社会では、イスラエルとの関係のように矛盾や曖昧さは国家につきものだ。居心地の悪さに耐えながら、その時々で複雑な方程式を解くのが政治の役割である。
 戦後日本も平和憲法と自衛隊、被爆国と米国の核の傘への依存という矛盾を抱える。平和国家を唱えるとき、戦争が絶えぬ現実をきちんと踏まえてきただろうか。自らの歩みを顧み、国際秩序の再構築にどう貢献するかを考えるのも戦後80年の意義である。「戦後」を終わらせてはならない。

■産経新聞
・8月15日付「主張」特別編・榊原智論説委員長「日本断罪から決別したい 靖国神社参拝で慰霊と顕彰を」/人種平等に力尽くした/「戦後平和主義」の限界
 https://www.sankei.com/article/20250815-3TODN6CFWRLPLHXMYTZDBA4S6U/

 

「近現代史160年」の視野でとらえる靖国神社~「非業の死」に差を付ける意味は見いだせない

 1945年8月15日正午、昭和天皇が無条件降伏の受け入れを告げる音声がラジオで全国に流れました。9月の降伏文書調印で、第2次世界大戦は日本の敗戦で終結しました。1931年の満州事変にさかのぼれば、15年間にわたって日本は戦争をしていました。敗戦から80年がたった現在、あの戦争を巡る歴史観と教訓の継承と共有という意味では、日本の社会に危うさを感じます。国家に殉じた軍人や軍属を祀るとされる靖国神社を巡る歴史観は、その端的な一例です。
 敗戦から80年のことし8月15日も、現職閣僚では加藤勝信財務相、小泉進次郎農相が靖国神社に参拝しました。国会議員の集団参拝もありました。政教分離の観点から、国会議員の集団参拝には論議がありますが、それはひとまず置いて、ここでは靖国神社を巡る歴史観の観点から考えてみます。

 1945年8月の敗戦からの「80年」という時間軸をさかのぼってみます。1945年からさらに80年前は1865年。幕末の動乱期でした。靖国神社の「由緒」によると、源流である東京招魂社が建てられたのは1869(明治2)年6月29日です。この年の5月、新政府軍と旧幕府軍などの内戦である戊辰戦争が北海道・函館での戦いを最後に終結していました。靖国神社は戊辰戦争の新政府軍戦没者を祀ったのが始まりです。
 戊辰戦争が終わった後も、「不平士族の反乱」として、内戦は各地で続きました。1877(明治10)年の西南戦争がその最後です。薩摩軍の支柱であり、鹿児島で自決した西郷隆盛は、維新の元勲でありながら靖国神社には祀られていません。靖国神社の歴史観に則して言えば、西郷は国家に弓を引いた「逆賊」の扱いです。
 日本の近現代史をこの「160年」の視野で眺めてみたときに、幕末から西南戦争まで10年余り内戦が続いたことを巡って、「官軍」「賊軍」で線を引き、死者の扱いに差をつけることには今日、何ら意味は見出せないと感じます。
 最後の内戦だった西南戦争で、最大の激戦地だった熊本県の田原坂を訪ねたことがあります。「明治150年」だった2018年のことです。

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 現地には薩摩軍、政府軍の犠牲者計約1万4千人の慰霊塔が建っていました。双方を分け隔てることをしない姿勢は、虚心坦懐に歴史と向き合い、歴史に学ぶことに通じるのだと感じました。

 戊辰戦争では、新政府軍の戦没者が手厚く葬送され、死後も栄誉を受けた一方で、「賊軍」の戦没者は差別的というほかない扱いを受けました。そのことを今日に伝える史跡として、函館の「碧血碑」や静岡県・清水の「壮士墓」があります。
 函館では前述の通り、戊辰戦争で最後の戦闘が行われました。清水では、幕府軍の軍艦咸臨丸が嵐に遭い漂着。乗組員は新政府軍との戦闘で戦死したり、捕虜になったりしました。新政府軍は切り殺した乗組員の遺体を海に投げ込んだとされます。
 函館でも清水でも、新政府軍は「賊軍」戦死者の遺体の収容を許しませんでした。朽ち果てるままだった遺体を、死ねばみな平等とばかりに処罰を覚悟で収容し、弔ったのはいずれも市井の人々でした。
 「碧血碑」は、旧幕府軍の榎本武揚、大鳥圭介らが出獄後の明治8年、函館山のふもとに慰霊のために建てました。「壮士墓」は、「清水の次郎長」(山本長五郎)が咸臨丸の戦死者を埋葬した場所。次郎長の行いに感激した旧幕臣の山岡鉄舟が「壮士墓」を揮毫して次郎長に与えたと伝わります。
 それぞれ現地を訪ねた際のことは、このブログでも紹介しました。

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 幕末から160年の視野で歴史に謙虚に向き合うなら、戊辰戦争や西南戦争の戦死者は新政府軍であれ賊軍であれ、日本が近代国家の道を歩む過程で非業の死を遂げたという意味では、何ら変わりがないと感じます。今日もなお、片方のみを「神」として祀る靖国神社は、政治的な文脈でとらえるなら「差別」を今日になお残し続けている場所でもあるように思います。そしてもう一つ、靖国神社に祀られているのは、軍人、軍属です。同じ戦没者であっても、空襲被害者などの民間人は対象外です。
 靖国神社への参拝は、民間人であれば何ら問題はありません。実際に足を運んでみて、ここが死者との「約束の場所」であることも実感しました。しかし、全国民を代表する立場である国会議員が、いくら「私人として」であっても、国会議員と分かる形で参拝していい場所とは思えません。「信教の自由」を理由に「どうしても」というのなら、最低限、議員バッジを外すべきだろうと思います。

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 政治家の靖国神社参拝で、ことし特に気になるのは、党所属の国会議員がそろって8月15日に参拝することを予告していた参政党です。7月の参院選では、「日本人ファースト」を掲げて支持を集め14人が当選しました。今では国会議員18人、地方議員150人以上の政治勢力です。掲げる憲法観にいくつもの疑問を感じざるを得ないことは、このブログでも繰り返し触れてきました。歴史観も同様です。特異な歴史観があって、特異な憲法観が形作られているのかもしれません。
 参政党は今年5月、「次は私たちの番だ」と訴えるポスターを発表しています。以下のリンク先から見ることができます。
https://sanseito.jp/news/n3158/

sanseito.jp

 アニメ風のイラストで聖徳太子、天武天皇、北条時宗、徳川家康、西郷隆盛、そして特攻隊員が日の丸を囲むように描かれています。「これ以上、日本を壊すな!」「次は私たちの番だ」。歴史上の著名な人物たち、そして特攻隊員に続くのは自分たちである、ということだと受け止めるほかありません。
 戦死した特攻隊員は靖国神社に合祀されています。しかし、一緒に描かれている西郷隆盛は前述の通り、靖国神社の扱いは「逆賊」です。参政党の国会議員が集団で靖国神社に参拝することと、「『逆賊』の後に続く私たち」という歴史観の整合性はどうなっているのか。深刻な矛盾を感じます。

 この記事をここまで書いたところで、参政党が「終戦80年談話」を公表していることに気付きました。
 ▼「参政党 終戦80年談話」
 https://sanseito.jp/statement_on_the_80th/

sanseito.jp

 事実に反する内容があります。

 この節目の年、参議院議員選挙が行われ、長らく戦後日本の政治を牽引してきた自民党が、結党以来初めて衆参両院で過半数を割りました。
 その一方で、「日本人ファースト」を掲げる我が参政党が、多くの国民の支持をいただきました。

 これまでも、衆参両院で自民党が過半数を切った時期はありました。
 それはさておいても、以下の部分にはやはり疑問を感じざるを得ません。

その中で、
今こそ私たちは明治維新からの160年、
大東亜戦争終結からの80年を
総括しなければなりません。

先人は何を思い、いかに戦ったのか。
歴史の光と影を学び、
二度と国民を戦禍にさらすことなく、
グローバリズムの荒波を乗り越え、
命を懸けて護られた「日本」を未来へと繋ぐ――。
それが、今を生きる私たちの使命です。

 「明治維新からの160年」の歴史の中で、戦争で非業の死を遂げた「先人」は靖国神社に祀られている人々だけではありません。日本の近現代史に対する深い考察もないのだとしたら、集団での靖国神社参拝は、底の浅いパフォーマンスに過ぎないとすら感じます。