一つ前の記事の続きです。
1945年の敗戦から80年の8月です。地方紙、ブロック紙が8月15日付、16日付で掲載した関連の社説、論説をネット上の各紙のサイトで見てみました。
目を引くのは沖縄の2紙、沖縄タイムスと琉球新報です。
それぞれ、見出しと本文の一部を書きとめておきます。
▽沖縄タイムス
・8月15日付「戦後80年の『8・15』 今こそ『不戦』の誓いを」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1649391
空襲や原爆によって被害を受け、米軍占領前に終戦を迎えた本土と、地上戦で破壊し尽くされ米軍占領下で終戦を迎えた沖縄。
共通の歴史体験に基づく「集合的記憶」のないところに、共通のアイデンティティーは育ちにくい。
45年12月には帝国議会で「改正衆議院議員選挙法」が公布され、付則で沖縄県民の選挙権が停止された。新憲法は県民代表不在の国会で成立した。
「8月15日に天皇の聖断によって終戦を迎えた」との語りは、こてんぱんにやられ降伏した、という事実をオブラートに包む。
9月2日という降伏調印式の日付は急速に忘れられた。敗戦という言葉さえ終戦に置き換えられ、あまり使われなくなっている。
中国と戦争を続けてきたという事実さえ若い世代では忘れられつつある。
加害者は忘却し、被害者は記憶を継承する。その結果、両者の歴史認識の溝は深まっていく。
急速に世界の軍事化が進む今ほど、歴史対話が求められる時はない。
・8月16日付「全国戦没者追悼式 戦争の『反省』形にせよ」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1650108
戦争体験者が少なくなる中、歴史的事実を歪(わい)曲(きょく)化するような発言が相次いでいる。
ひめゆりの塔の展示に関して「歴史の書き換え」と言い放った参院議員もいる。
同じ過ちを繰り返さないようにするため、今こそ過去の「加害」と「被害」の両方をしっかりと見つめ直す時だ。
▽琉球新報
・8月15日付「敗戦から80年 平和を守る決意新たに」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-4543046.html
日本国憲法は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と記す。国会議員は憲法の尊重を義務づけられているが、それを無視するような議員の発言が相次ぐ。
首相経験者である自民党最高顧問は中国を念頭に、日本と米国、台湾に「戦う覚悟」が求められていると主張した。ひめゆりの塔の展示に関して「歴史の書き換え」と述べた自民党参院議員もいる。7月の参院選では「核武装が最も安上がり」と発言した参政党候補が当選した。沖縄戦体験者、広島、長崎の被爆者に顔向けできるのか。許されざる発言である。
(中略)
日本世論調査会の全国世論調査で沖縄の米軍基地について「大きく減らすべきだ」が48%と最も多かったが「現状のままでよい」も42%となった。同じ調査で6割が日米安全保障体制を「今のままでよい」と答えた。
沖縄は戦後27年間の米統治を経て1972年に日本復帰したが、米軍はいまだに沖縄に駐留している。外国軍隊を沖縄へと押しつけ復興を遂げた戦後日本の矛盾が沖縄に集中している。沖縄の現状に対する国民の理解は不十分だ。
「新しい戦前」となることを沖縄は拒む。「戦後」は終わったのかとの問いも発し続けたい。
沖縄タイムス、琉球新報ともに、日本本土の新聞とは一線を画した沖縄の視点を感じます。
80年前の沖縄戦は日本軍にとって、米軍の侵攻を退けるという意味の防衛戦ではありませんでした。米軍にできるだけ損害を与え、本土決戦の準備時間を稼ぐ意味がありました。日本軍による住民の殺害さえありました。
それから80年。沖縄の施政権は53年前に返還されましたが、日本にある米軍専用施設の7割は今も沖縄に集中しています。沖縄の民意の反対にもかかわらず、日本政府は辺野古への新基地建設を強行。騒音や米軍関係者の犯罪などの基地被害が続いています。
敗戦から今日までの「80年」の時間の流れは、日本本土と沖縄とでは、その内容は大きく異なっている、同じ時間を共有してきたとは言えないのではないか。そんなことを改めて考えました。80年前、日本の敗戦で終わった戦争の記憶と教訓を受け継ぐだけでなく、その後の80年間を振り返ることも必要だと思います。
そのほかの各紙では、全国紙と同じように戦争体験の継承を課題として指摘する内容が目立ちました。以下に、ネット上の各紙のサイトで全文を読める社説、論説の見出しとリンク先をまとめました。歴史を否定するような政治勢力の言動への懸念も、いくつもの社説、論説が記しています。一部はその内容を書きとめておきます。
▽北海道新聞
・8月15日付「敗戦から80年の日本 平和国家の歩みを次世代に」/加害の事実忘れるな/独善の歴史観危うい/繁栄の影に目凝らす
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1198952/
この国の政治は戦争責任を追及する作業を自らは行わず、曖昧にしてきた。そのせいでもあろう。沖縄にある「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」と述べるなど、歴史をゆがめる発言が政治家から出る。
戦争体験の風化と交流サイト(SNS)の普及に伴い、事実によらない独善的な歴史観が広がっていく懸念が拭えない。
それは偏狭なナショナリズムと化し、参院選で表れた排外主義の風潮と呼応しながら再び国を誤らせる可能性がある。
1931年の満州事変から国際連盟脱退に至る過程で新聞は軍部の強硬論をあおり、国民は熱狂的に強硬路線を支持した。
メディアが形成する世論と政治の相乗作用によって戦争への坂を転げ落ちた。SNS時代に警鐘として学ぶ必要がある。
・8月16日付「戦後80年 首相『反省』式辞 また加害責任は素通りか」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1199271/
▽東奥日報
・8月15日付「記憶つなぐ営み続けたい/80回目の『終戦の日』」
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/2088610
▽秋田魁新報
・8月15日付「終戦から80年 平和への歩み再確認を」
https://www.sakigake.jp/news/article/20250815AK0004/
▽福島民報
・8月15日付「【戦後80年 終戦の日】自立の思考を築きたい」
https://www.minpo.jp/news/detail/20250815126353
・8月16日付「【戦後80年 次の節目へ】語り継ぐ決意強く」
https://www.minpo.jp/news/detail/20250816126370
▽福島民友
・8月15日付「戦後80年/惨禍の記憶と教訓を後世に」
https://www.minyu-net.com/news/detail/2025081508353839686
▽下野新聞
・8月15日付「【戦後80年】記憶の風化食い止めよ」
https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/1171464
▽新潟日報
・8月15日付「終戦の日 非戦の誓い未来へつなぐ」/貴重な証言次世代に/政治監視し平和守る/
https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/670361
気がかりなのは、歴史を否定したり、軽視したりする政治家が見受けられることだ。
自民党の参院議員は、沖縄戦の慰霊碑「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」などと語った。慰霊碑を訪問したのは何十年も前で、曖昧な記憶を基にした発言だった。
沖縄県議団が決議文で「沖縄戦の実相を認識せず、歴史を修正しようとするものだ」と批判したのは当然だ。
先の通常国会では、日本学術会議を来年、特殊法人に移行させる新法が成立した。
これまでの法にあった「平和的復興」をうたう前文や、「独立して職務を行う」との条文の文言は消え、首相任命の監事や評価委員を新設する。
学術会議は、科学者が政府と一体となって先の戦争を遂行した反省から出発した。その原点が法人化後も守られるのか、今後も見ていくことが重要だ。
政治家が都合よく歴史を変えれば、ゆがんだ政策が生まれかねない。歴史の教訓から目を背ける政治は、再び選択を誤る恐れをはらむ。
なぜ戦争を阻止できなかったのか、反省を打ち出すことが必要だ。石破茂首相は戦後80年に際し、「首相談話」を発表すべきである。
私たちも平和を守る責任を担っている。政治を監視し、声を上げ続けねばならない。
▽信濃毎日新聞
・8月15日付「戦後80年の民主主義 土台の腐食が進んでいる」/「ウラ」の言論/加速する分断/検証と継承こそ
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2025081500201
戦争を肌で知る人が減る中、戦争が自らに関係のない「歴史」になり、「日本は悪くなかった」という国民感情が少しずつ目立つようになっているのは確かだろう。
日本の民主主義は、戦後の人々の間にあった「戦争に関わることへの強い拒否感」などを背景に社会に定着したとされる。
雑誌「世界」が2022年11月号で編んだ特集「戦後民主主義に賭ける」で、神戸市外国語大の山本昭宏准教授が論じている。
山本准教授はその中で「広く浅い平和主義は保守政党の政治家たちやその支持層にも一定程度は浸透していたと言える」とする。
先の戦争への認識が揺らぐ中、この民主主義の土台に「きしみ」が生まれている。
顕著なのが7月の参院選だ。
作家の保阪正康氏は共同通信配信の評論で、参院選で「社会のルールが崩壊した」と位置づけた。
戦後社会の「オモテの言論」は非戦や人権といった民主的価値を前提としてきた。それに対し、参院選では弱者保護への批判や排外主義的言説、復古的価値への回帰論という「ウラの言論の鼓吹者」が、「オモテ」に「公然と異議を申し立てた」とする。
戦前・戦中の社会は、この「『オモテ』と『ウラ』が(今と)逆だった」と保阪氏。国家主義的な言論が戦後80年を経て、再び「オモテ」になる懸念は拭えない。
・8月16日付「首相の追悼式辞 戦争の歴史さらに直視を」
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2025081600162
▽中日新聞・東京新聞
・8月15日付「終戦の日に考える 戦い終わらせる難しさ」/昭和天皇が異例の懇請/犠牲の9割、44年以降に
https://www.chunichi.co.jp/article/1116047
・8月16日付「首相の『反省』 個人でなく政府が示せ」
https://www.chunichi.co.jp/article/1116615
▽福井新聞
・8月15日付「戦後80年『終戦の日』 平和維持 政治は緊張感を」
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/2384011#goog_rewarded
これら当時の人々のぎりぎりの行動で導かれた和平から80年が過ぎた。石破茂首相は同盟国・米国に対し「なめてもらっては困る」と言った。同盟外交で平和を維持する国として「絶対に表で言ってはならない」(ジャーナリスト・手嶋龍一氏)との批判がある。同盟を危うくするからだ。
参院選で躍進した新興政党が公表している憲法構想案には、国民主権や基本的人権を軽んじていると懸念の声が上がる。戦前の反省が忘れられたかのようだ。
平和な日々の連続が、平和を維持する重大さへの緊張感を政治から奪っていないか。平和の決意を新たにすることが、80年の節目に求められている。
▽京都新聞
・8月15日付「終戦80年に思う 焼け跡からの不戦、貫く日本に」/殺し殺されての敗戦/危うい歴史修正主義/平和へ継承と対話を
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1542552#goog_rewarded
1998年5月、自民党訪中団に同行取材した。のちに国家主席となる胡錦濤副主席ら中国要人との会談後、向かったのは南京である。団長だった野中広務党幹事長代理の強い意向だった。
「南京大虐殺記念館」では、南京事件(1937年)の生々しい惨状を伝える写真や資料を見て回り、献花をささげた。自民首脳クラスの訪問は初めてで、その後もない。党内の反対や、自らの事務所に相次いだ脅迫電話にも野中氏は「あの戦争を経験した政治家のけじめだ」と折れなかった。
(中略)
南京事件は多くの証言や記録が研究され、政府は公式見解で「日本軍による非戦闘員の殺害、略奪行為があったことは否定できない」とする。犠牲者は中国側が「30万人」、日本側の研究では「20万人を上限に4万人、2万人などの推計がある」としている。
だが、SNS(交流サイト)などでは、死者数の開きなどを都合良く解釈して南京事件や侵略自体を「なかった」とする言説も飛び交う。日本軍を悪者にするのは「自虐史観」などとして史実に向き合わず、意図的にゆがめる「歴史修正主義」にほかならない。
5月に、沖縄・ひめゆり平和祈念資料館の展示を巡り、曖昧な記憶を元に「日本軍が入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そして米国が入ってきて沖縄が解放されたと、そういう文脈で書いている」とした西田昌司参院議員(京都)の発言も、この延長線にあるといえよう。「自分たちの納得できる歴史をつくらないと」と続けた言葉に本質をみる。
・8月16日付「千玄室さん逝く 一碗の茶、広げた平和の交流」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1543134#goog_rewarded
▽神戸新聞
・8月15日付「戦後80年/市民の実践で記憶をつなぐ」
https://www.kobe-np.co.jp/opinion/202508/0019351013.shtml
▽山陽新聞
・8月15日付「終戦の日 空襲被害者の救済議論を」
https://www.sanyonews.jp/article/1776817
▽中国新聞
・8月15日付「終戦の日 反省と不戦の決意、示さねば」
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/695885
戦後50年に村山富市首相は、植民地支配と侵略に「痛切な反省と心からのおわび」を表明。60年の小泉純一郎首相も踏襲した。70年の安倍晋三首相は「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」としながら、侵略の主体が明確ではなく、植民地支配も歴史的事実の中で語られただけだった。
節目節目に反省と不戦の決意を内外に示す意義は大きい。戦後80年も、終戦の日に談話として閣議決定するのが筋だ。戦没者を追悼し、不戦を誓う日として定着している。安倍談話で曖昧にされた部分を埋める必要もあろう。
これに対し、自民党の保守派は、安倍談話で加害の「謝罪外交」に区切りがついたとして新たな談話や見解に反対する。だが、過ちを忘れぬ誓いを新たにすることが「謝罪外交」なのだろうか。
歴史修正主義や右傾化の風潮は拡大している。自民党議員が沖縄戦の「ひめゆりの塔」の展示を「歴史の書き換え」と発言、「核武装は安上がり」と語る議員も現れた。
首相側は準備不足もあり、「石破おろし」の動きも見極めながら首相個人の見解として発出を探る。だが政局ベースで語るべきではない。
首相が誰であろうと、政府として戦後80年の節目に戦争を総括し、教訓にどう向き合うかを示すべきだ。政権延命や選挙の顔のすげ替えより大事な政治の使命ではないか。
・8月16日付「終戦80年 『戦後』を守り続けなければ」
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/696334
▽高知新聞
・8月15日付「【終戦から80年】物言える平和国家を望む」
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/897777
戦没者の冥福を祈るとともに、戦争で肉親や友人を失い、反戦平和を懇願して戦後の日本をつくりあげてきた戦争体験世代の思いを受け継ぐ決意を新たにしたい。戦争の教訓と平和国家の継承は、戦後世代の最大の使命と言える。
ただ、今年は戦後世代が大多数になった国会議員の発言が物議を醸した。自民党の西田昌司参院議員が沖縄で「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」とし、「自分たちが納得できる歴史をつくらないと日本は独立できない」と述べた。
作家の保阪正康さんは本紙で「史実を検証しない勉強不足」「独り善がりの解釈を吐く傲岸(ごうがん)不遜」などと指弾。「怒りより悲しみの方が大きい」と批判している。
惨禍への反省から戦争を放棄する憲法を樹立した平和国家として、物を言えているかも心もとない。
石破茂首相は戦後50年から10年ごとに続いてきた閣議決定による「首相談話」の策定を見送った。
自民党内では保守派を中心に、安倍晋三元首相による戦後70年談話で「謝罪外交」に区切りが付いているとの考えが根強い。大戦の検証に思い入れが強いとされる石破首相の見解表明にも反対の圧力がかかる。対応はまだ見通せない。
▽西日本新聞
・8月15日付「終戦から80年 不戦のペンを握り続ける」/全員に忘れない義務/加害と被害を越えて
https://www.nishinippon.co.jp/item/1388152/
今年の長崎平和宣言で鈴木史朗市長は「対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化しています」と懸念を示しました。拍車をかけるのが、皮肉にもデジタル環境を逆用した情報統制の動きです。
戦時下ロシアのプロパガンダ、中国のネット監視、米大統領は報道を「フェイク」と批判します。
分断の空気は日本にも忍び寄ります。長崎原爆の日、福岡市の街頭に「自虐史観反対」の声が響きました。交流サイトを駆使して躍進した政党の演説でした。
なぜ、先の大戦で300万人以上の国民の命が失われ、アジアの人々に多大な犠牲を強いたのか。世界で紛争が繰り返されるのか。
偏った歴史観が広がる今だからこそ、過去と誠実に向き合った国民的議論が必要です。10年ごとの首相談話はその契機になっていました。見送るのなら残念です。
※以下は、ネット上で見出しのみ確認しました。いずれも8月15日付です。
▽河北新報「戦後80年の誓い 真実を見極め平和の継承を」
▽山形新聞「終戦の日 記憶を未来に語り継ぐ」
▽神奈川新聞「終戦の日 主体的な平和希求こそ」
▽北日本新聞「終戦記念日/一人の力は小さくとも」
▽北國新聞「【戦後80年を迎えて】記憶引き継ぐ誓い新たに」
▽山梨日日新聞「[終戦80年 わだつみのこえ]戦争は絶対に繰り返さない」
▽静岡新聞「戦後80年 終戦の日 軍拡の流れに歯止めを」
▽山陰中央新報「終戦の日 変わらぬ誓いを未来へ」
▽徳島新聞「終戦から80年 戦前回帰 許してはならぬ」
▽愛媛新聞「終戦の日 非戦貫くために何をなすべきか」
▽佐賀新聞「『終戦の日』から80年 問われる『平和主義』の内実」
▽熊本日日新聞「戦後80年 不戦の旗を掲げ続けたい」
▽大分合同新聞「80年目の『終戦の日』 記憶の継承、今が正念場」
▽宮崎日日新聞「戦後80年『終戦の日』」