維新の元勲とともに合祀された西園寺公望、吉田茂~国葬の歴史的系譜と「神格化」

 安倍晋三元首相の国葬にわたしが反対であることは、何度かこのブログで表明しています。理由は①法令に規定がない国葬を内閣府設置法に基づき閣議決定で実施できるとするのは拡大解釈が行き過ぎており、法治を逸脱している②全額国費で賄うことは弔意の強制を意味し憲法違反の疑いが極めて強い③憲法や国会を軽視した安倍政治は社会に分断の深刻化を残しており、国を挙げての葬儀の対象にはふさわしくない―などです。国葬を巡って、もう一つ、気になっていることがあります。「神格化」です。法治の逸脱や違憲の疑い、安倍政治の負の遺産をいわば「理」の問題とするなら、「情」の問題と言えるかもしれません。近代日本の国葬の歴史的系譜をさかのぼってたどっているうちに、国葬は対象者の神格化と親和性が高いのではないか、と気付きました。このまま国葬を実施すれば、その後は安倍元首相を「護国の神」と祀り上げるような動きが出るかもしれない、と感じます。

 日本国憲法の施行により1947年末で失効した国葬令は、天皇、上皇や皇族の葬儀を国葬とすることを定め、次に「國家ニ偉功アル者」を国葬とすることがある、と定めていました。明治以降、国葬は国家に多大な貢献をした功労者に対し、天皇や皇族に準じた扱いで弔う性格があったのだと、わたしは理解しています。1945年8月の敗戦までの日本は、国家神道という“国教”の制度下にありました。明治天皇が死後、明治神宮に祀られたように、天皇制は神格化と不可分でしたので、国葬の対象者もまた神格化に近いところにあったのは当然かもしれません。
 昭和の国葬の対象者のうち皇室以外は、東郷平八郎、西園寺公望、山本五十六、吉田茂の4人です。うち東郷と山本は海軍元帥、軍人です。東郷は死後、東郷神社に祀られ、山本にもそうした動きがあったと伝えられます(後述します)。旧日本軍は天皇の軍隊であり、戦死者は靖国神社に神として祀られたように、神格化と極めて高い親和性がありました。第2次大戦末期、生還が望めない体当たりの「特攻」が、軍事的な合理性を欠いているにもかかわらず組織的に継続されました。「死んで護国の神になる」との想念が、人命尊重の倫理観を薄れさせていたのではないかとも感じます。
 では、文官、政治家だった西園寺公望、吉田茂はどうだったのでしょうか。特に吉田茂の死去は1967年で敗戦から20年以上もたった後のことです。本人はクリスチャンだったともされ、およそ神格化とは無縁なのかもしれないと思ったのですが、調べていて、意外なことを知りました。祭神として神社が建立される、というほど明白ではないのですが、神格化と呼べなくもないことがありました。
 神奈川県大磯町に、吉田茂の自宅跡地が保存されています。建物は2009年に火災で焼失しましたがその後、復元されて公開されています。その広大な敷地の一角に「七賢堂(しちけんどう)」という建物があり、国の登録有形文化財に登録されています。「七賢」とは、木戸孝允、大久保利通、岩倉具視、三条実美、伊藤博文、西園寺公望、吉田茂のこと。この7人を祀った堂です。

【写真 旧吉田茂邸の敷地内にある「七賢堂」】

 現地を訪ねてみました。JR東海道線の大磯駅からバスで10分ほど。「城下公園前」のバス停で降りてすぐ、国道1号に面して「県立城下公園 旧吉田茂邸地区」があります。約9千坪という広大な敷地の一角、林の中に七賢堂は建っています。案内板には以下の説明が書かれています。明治36年は1903年です。

 七賢堂(しちけんどう)は明治三十六年、伊藤博文の自邸、大磯の「滄浪閣(そうろうかく)」に建立されたものです。はじめ、明治維新の元勲のうち岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允の四人が祀られた「四賢堂」でした。その後、伊藤博文が祀られ、昭和三十五年には吉田茂がこの地に移設し、西園寺公望を合祀し、吉田茂本人も死後に合祀され、現在の「七賢堂」となりました。
 正面の扁額(へんがく)「七賢堂」の文字は、佐藤栄作の揮毫(きごう)によるものです。

 復元された邸宅の中にも、七賢堂に関連した写真展示がありました。説明に以下のくだりがありました。

 吉田は五賢堂移転を契機として、伊藤博文の祥月命日である10月26日前後に毎年「五賢堂祭(ごけんどうさい)」を挙行しました。
 五賢堂祭では毎年、神官による祭典とガーデンパーティが行われ、五賢堂に合祀されていた人物の遺族や関係者のほか、吉田とつながりのある政財界の要人たちを含め、200人程度が吉田邸に集まりました。

 1965年の五賢堂祭の模様として、庭のテーブルで吉田茂が招待客らと談笑する写真が展示されていました。
 現在の七賢堂はどうなのか、邸宅の職員の方に聞いてみました。年に一度、堂の扉を開けて中を公開しているものの、神官が来ての祭典は行っていないとのこと。「自治体(神奈川県)が管理しているので、宗教色を帯びた行事は行わないようです」と聞いて、なるほどと思いました。
 吉田茂が西園寺公望を合祀したこと、かつては「神官による祭典=宗教行事」を行っていた堂に今は吉田茂も合祀されていることは、ごくプライベートな範囲のことなのかもしれませんが、西園寺公望も吉田茂も神格化されていると言えば言えなくはない、と思います。わたしには驚きでした。
 ※大磯町郷土資料館・旧吉田茂邸
 http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyuyoshidatei/info/index.html

【写真 旧吉田茂邸の敷地内にある吉田茂の像】

 「七賢堂」の扁額を佐藤栄作が揮毫していたことも興味深く感じます。吉田茂の門下生であり、首相として吉田茂の国葬を取り仕切ったのが佐藤栄作だったからです。展示資料の中には、吉田邸を訪れた際の佐藤の写真もありました。五賢堂祭のことも当然、佐藤は知っていたと思われます。佐藤の中で、吉田を国葬で送ることと、吉田が明治の元勲とともに神として合祀されることは、ごく自然に受け入れられていたと考えても、無理はないように思います。
 佐藤栄作は安倍晋三元首相の祖父である岸信介元首相の弟です。安倍元首相から見れば大叔父に当たります。山口県の出身。維新の元勲との関係で言えば、長州閥の流れにあります。七賢堂の元の四賢堂を建てた伊藤博文も長州閥、当初から祀られた4人のうちの木戸孝允も長州閥の大立者でした。
 長州閥と神格化を考えた時にもう一人、思い当たるのは乃木希典です。陸軍大将として日露戦争の旅順攻略戦の指揮官でした。明治天皇に殉じて自死。東京・赤坂の私邸に隣接して乃木神社が建立され、祭神として祀られています。乃木の同郷の朋友で、日露戦争では陸軍の現地派遣軍の参謀長を務めた児玉源太郎も死後、神奈川県・江の島に児玉神社が建立されています。

【写真 東京・赤坂の乃木神社】

 ※乃木神社トップ
  https://nogijinja.or.jp/
 ※児玉神社トップ
  https://www.kodamajinja.or.jp/

 明治期以降の長州出身者の神格化をたどっていくと、行き着くのは吉田松陰です。山口県・萩の私塾「松下村塾」の門下生から維新の元勲を輩出したことは広く知られています。幕末の幕府による弾圧、安政の大獄で刑死。遺体は高杉晋作や伊藤博文らによって、長州藩主の別邸があった東京・世田谷に改葬されました。その地に明治15(1882)年、松陰神社が建立されました。

【写真 東京・世田谷の松陰神社】

【写真 松蔭神社の一角にある吉田松陰の墓所】
 ※松陰神社トップ
  https://www.shoinjinja.org/
 「松陰神社鎮座の由来について」
  https://www.shoinjinja.org/history/yurai/

 国葬の対象になった東郷平八郎と山本五十六についても、もう少し触れておきます。
ウイキペディア「東郷平八郎」には、出典は不明ですが、「東郷自身は生前の乃木神社建立時、(陸軍に対抗するために)将来自身を祭る神社の設立される計画を聞いて驚き、『やめてほしい』と強く懇願した。願いは聞き入れられず結局、没後に神社は建立されている」との逸話が紹介されています。東郷は薩摩閥でした。海軍は薩摩、陸軍は長州が主流でした。

【写真】東京・原宿の東郷神社。日本海海戦で東郷平八郎が乗艦する戦艦「三笠」に掲げたZ旗が社殿にもかかっています
※東郷神社トップ
 https://togojinja.or.jp/

 山本五十六は太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官で、新潟県・長岡の出身でした。戊辰戦争では長岡藩は新政府軍と激戦を展開した“逆賊”でした。山本は1943年4月、最前線を視察中にパプアニューギニアのブーゲンビル島で搭乗機が撃墜され戦死しました。国葬は、戦意高揚の狙いもあったのだと思います。その後、地元の長岡で、山本神社をつくろうとの動きがあったものの、山本と志を同じくしていた米内光政や、海軍兵学校以来の親友だった堀悌吉が「山本は決して喜ばない」と言ってやめさせた、との逸話が、阿川弘之さんの小説「米内光政」に紹介されています。山本は海軍省次官の時、大臣だった米内、軍務局長だった井上成美とともに、日独伊の三国軍事同盟締結に徹底的に反対していました。

 日本には古くから「御霊信仰」があります。天災や疫病の流行などを、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた「怨霊」のたたりとして恐れ、神として祀って「御霊」となして、たたりを免れ平穏と安寧を得ようとする信仰です。菅原道真を学問の神として祭る天神信仰は今も身近な例だと思います。こうした歴史的な精神風土もあって、国家の功労者の神格化は明治以降、日本社会に根を張ったようにも思えます。そう考えると、ひとたび国葬で送られた対象者が、容易に神格化へと結びつくのは何ら不思議ではありません(国葬の対象になると神格化される、との因果関係を言いたいのではありません)。
 信教の自由に照らせば、何を神として信仰するかは個々人の自由でしょう。問題は、政治家を神格化することによって、その政治家の政治的な業績を、批判を含めて自由に論じることがはばかられるような雰囲気が社会に醸し出されることです。神格化が現実の政治や社会に影響を及ぼすようなことは、あってはならないことです。