ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

朝日新聞が「沈黙」の自己検証を第三者の意見とともに公表~教訓を明確にし組織内に徹底させるために

 旧ジャニーズ事務所元社長の性加害と「マスメディアの沈黙」を巡って、朝日新聞が12月25日付の朝刊紙面に、社内の聞き取り調査の結果と第三者機関「メディアと倫理委員会」の意見や指摘を掲載しました。
 記事によると、調査の対象は週刊文春が連載でジャニーズ事務所を追及した1999~2000年、性加害に対する週刊文春の報道の真実性が裁判で認定された03~04年、元社長が死去した19年の各時期を中心に、芸能を担当する文化部と性暴力などを取材する社会部に在籍した記者やデスク、部長らです。また、英BBCがドキュメンタリー番組を放映し、被害者の証言や日本社会の沈黙をリポートした今年3月以降については、国際報道、社会、文化各部のデスクと編集局長室の担当補佐が中心です。計58人に聞き、55人から回答を得たとのことです。朝日新聞は「検証」の用語を使っていませんが、一応の組織的な自己検証と呼びうるように思います。テレビ各局に遅れましたが、大手新聞の一つが自己検証結果を公表したこと自体は、その内容はともかく、評価に値すると思います。
 紙面では最後にコンテンツ統括担当の役員の見解も掲載しており、朝日新聞社としての編集権を踏まえての自己検証と理解しています。こうした自己検証と、第三者機関(委員会)の活用は、わたしがこのブログで主張してきたことです。ジャニーズ事務所と直接、取材上の関係を持っていた他の大手紙や通信社でも可能です。反省すべきはテレビで新聞にその必要はない、などと考えているのだとすれば、はなはだ疑問です。新聞はテレビほどジャニーズ事務所との関係が深くなかったのだから、性加害に対して忖度なく追及できたはず、とも言いうるからです。そのこともこのブログで書いてきました。
 朝日以外の新聞通信各社も、今からでも自己検証に取り組み、教訓を明確にして公表することは可能なはずです。そうしてこそ教訓は組織内に徹底させることができます。そうでなくして、この先どうやって組織ジャーナリズムとして社会の信頼を得ていこうというのか。新聞界は産業としても岐路に立っているさなかです。組織ジャーナリズムの立て直しがなくて、何の生き残りでしょうか。決して大げさな物言いではありません。長く組織ジャーナリズムの中で働いた、「マスメディアの沈黙」の当事者世代の一人として、反省や自戒とともにそう思います。
 ※参考過去記事 

news-worker.hatenablog.com

 朝日新聞の社内調査結果と「メディアと倫理委員会」の議論の概要は、ネット上でも無料で全文を読むことができます。紙面ではまるまる1ページを割いています。
 ※朝日新聞デジタル「ジャニーズ報道、問われる『沈黙』 朝日新聞『メディアと倫理委員会』」
  https://digital.asahi.com/articles/DA3S15824526.html

 社内調査の結果に対して、「メディアと倫理委員会」の委員からは厳しい指摘が出たようです。重要だと感じた部分を書きとめておきます。

「問題の核心は、芸能事務所と新聞の関係ではない。圧倒的に強い事務所とテレビの密接な関係を背景に、少年に対する性加害が繰り返されたのはメディアの生態系の問題だ。そのような構造的問題を取り上げて警鐘を鳴らすという新聞の任務をテレビとの関係で放棄していたのではないか」。(宍戸常寿委員=東大大学院教授)

 前述のように、相対的に新聞の方が疑惑を追及できたのではないか、との論点にも通じる指摘です。「新聞の任務をテレビとの関係で放棄」とは、新聞社とテレビ局の「クロスオーナーシップ」の問題ととらえれば分かりやすいかもしれません。新聞社とテレビ局が株を持ち合って「系列」の関係にあるのは、国際的に見ても日本独特の事情です。このクロスオーナーシップのために、新聞はテレビを批判しない、テレビも新聞批判はしないことが暗黙の前提のようになっている、との指摘は以前からありました。記者クラブの閉鎖性とともに批判も受けてきました。今回の「マスメディアの沈黙」を巡っても、この古くて新しい論点が顕在化しているというべきだろうと考えています。

「聞き取り調査で出てきた記事にできなかった理由がみな皮相的だ。抵抗できない少年たちを相手に自分の欲望を満たすだけのために苦痛を与え、多くの人たちの人生を壊した。犯罪以前の人として許されない行為だ。今から考えてこうすべきだったという視点が検証には欠かせない」。(二子石謙輔委員=セブン銀行特別顧問)

 わたし自身にも当事者性がある論点です。1999年から2004年にかけて、わたしは勤務先の通信社で支局デスク、社会部デスクを務めていました。週刊文春の報道のことは知識として頭の中にあったと記憶しています。しかし、自らが報道すべきことだとの意識は皆無でした。「芸能ゴシップだと考えていた」「自分たちが報じるテーマだとは思わなかった」などの述懐は、テレビ局の報道局に在籍していたデスクや記者経験者にも共通しています。それをもって「当時はそれが普通の感覚だった」と、つまりは「仕方がなかった」と考えがちですが、そんなことでは反省にもならないし、教訓を残すことにもならない。そのことを知るべきなのだとあらためて思います。検証に第三者の視点を入れることの意味はここにもあります。

「外からは、癒着していたから報道しないとしか見えない。ジャニーズに限った話ではなくて、IOC(国際オリンピック委員会)など社会的権力、本来の権力である警察なども、『変なことを書けば俺たちにだけ教えてくれないかも』とならないか。メディアコントロールの問題は意識すべきだ」。森亮二委員(弁護士)

 ジャニーズ事務所元社長の性加害を巡る「マスメディアの沈黙」の問題に普遍性があることの指摘です。政治、経済、国際、社会など、どの分野でも当てはまることです。現在、自民党のパーティー券裏金事件を東京地検特捜部が捜査中です。捜査情報を得たいがために、「検察礼賛」に陥ることがあってはならないと、このブログでも書いてきました。例示されている警察は、全国で大勢の記者が動向を取材しています。忖度を振り切って報じる、との意思と姿勢を徹底させる上でも、第三者を交えた検証には意義があります。

【写真】朝日新聞の検証紙面(一部)