ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「文章作法」と新聞

 東京近郊の大学で非常勤講師を務めている「文章作法」の年明け最初の授業が先日、ありました。「年明け最初」と言っても、次回が最終回。この大学での2年間の任期が間もなく終わります。
 授業では、履修生たちに冬休みの宿題として小論文を課していました。テーマは「ニュースを社会で共有することの意義」。この日の授業で講評を行う予定でしたが、元日に能登半島地震の発生があり、その報道に接した履修生たちもいろいろ思うところがあったようです。わたしが想定していなかった興味深い視点の文章を提出してきた履修生もいました。一人一人に納得がいく文章を書き上げてもらい、わたしもしっかり読みたいと思い、締め切りを延ばしました。それぞれ、時間が許す限り推敲を重ねたうえで再提出してもらい、講評は最終回の授業で行うことにしました。
 文章には読み手がいて、伝えたい内容があります。つまり、文章はコミュニケーションです。深いコミュニケーションを取るには、伝え手と読み手の間に、社会で何が起きているか、社会がどうなっているかについて、共通の知識、理解があることが役立ちます。授業では毎回、社会と向き合う視点を鍛える一助として、新聞紙面を元に、時々のニュースの読み解き方を解説してきました。新聞紙面を使っているのは、同じ出来事でも新聞によって取り上げ方が異なることが視覚的にも分かりやすいこと、その体験を通じて、多様な価値観が社会にあるとはどういうことかを理解してもらえるのではないかと考えるからです。この日は、1月3日付の東京発行の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)を教室に持ち込みました。
 元日に能登半島地震があり、2日には羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機の衝突・炎上事故がありました。新聞社は元日の新聞制作を休んでおり、2日付紙面は発行されていません。この二つの大ニュースはいずれも3日付紙面が初報でした。どちらを1面トップにするか。東京発行6紙は能登半島地震2紙(朝日、毎日)、羽田の事故4紙(読売、日経、産経、東京)に分かれました。
 新聞はニュースを重要度の順に格付けして伝えるメディアです。各紙が1面トップに据えるのは、その日の紙面に掲載する全ニュースの中で最重要と判断したニュースです。能登地震と羽田の事故と、それぞれにどのようなニュースバリューがあったか、履修生たちにも考えてもらいました。どちらの判断が正しいか、ということではありません。多様な判断が社会に併存していること自体が価値だと説明しました。ブランケット判と呼ばれる大きなスペースに、新聞ごとに異なる見出しや写真のレイアウトで視覚的にも訴求する新聞は、各紙の違いを見比べることによって、そうした価値観の多様さを体感することができるメディアです。
 わたし自身は、1月3日当日は、ニュースとしては新しい羽田事故がトップだろうと思っていました。しかし今は、被害の規模、報道すべきテーマ、検証すべき課題が多岐に、かつ長期にわたることなどから、やはり地震がトップだったかな、と、考えが変わっています。そんなことも率直に話しました。

 震災、地震報道と記者の取材についても少し話しました。折しも1月17日は阪神・淡路大震災から29年の日でした。履修生たちが生まれる前の出来事です。その後も、東日本大震災をはじめ各地で大きな地震があり、報道もさまざまな経験を積んできています。それまでの災害取材の経験から、能登半島地震で現地の初期の映像、特に家屋や建物の倒壊状況を見ただけで、大変な犠牲者が出ていることを見抜いていた記者やデスクもいる、という話もしました。
 わたし自身を振り返れば、災害取材を中心になって担当する社会部に長く所属しながら、実は災害の現場取材はほとんど経験がありません。1995年の神戸・淡路大震災の時は東京の社会部の中堅どころの記者でした。先輩や同僚が、神戸や大阪へ次々に応援に向かう中で、わたしは残留を命じられ、現場取材に行く機会はありませんでした(ちなみに、この年はオウム真理教をめぐる一連の捜査もありましたが、やはり山梨・上九一色村などの現場取材にも行っていません)。2011年3月11日の東日本大震災の時は、3月1日付で東京本社から大阪支社の管理職に異動したばかりでした。被災地で取材する同僚や東京本社のバックアップに努める日々でした。
 大規模な災害だからといっても、記者が全員、現場に行くわけではありません。危険な現場で記者や写真記者が安全を確保しながら取材を進めるためには、食事や休息の確保をはじめとして、後方をしっかり固めることも必要です。そのために必要な仕事もたくさんあります。災害のほかに報じるべき出来事も日々、起きています。現場と後方の役割分担といったことも含めて、組織ジャーナリズムだからできる取材と報道があります。授業では、そんな話もしました。

 冬休みを挟んで久しぶりのキャンパスは冬景色でした。次回は最後の授業になります。履修生たちの提出作をしっかり読み込んで、一人一人にフィードバックし、実のある学びを得たとの実感を持ってもらおうと思っています。

 能登半島地震は、時間が経つにつれ被害の実相がだんだんと明らかになり、検証の課題も浮かびつつあるように感じます。亡くなられた方々に改めて哀悼の意を表し、被災された方々にお見舞い申し上げます。それぞれの人が、今いる場所で、できることを続ける支援の形もあると考えています。