ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「最期は本名で」の真意は何だったのか~「狼煙を見よ 東アジア反日武装戦線“狼”部隊」(松下竜一)が描く検事の説得に思うこと

 先週1月26日、驚きのニュースに接しました。神奈川県内の病院に入院している男性が、1974年8月の三菱重工爆破事件など、74年から75年にかけて起きたいわゆる「連続企業爆破事件」の一部に関与したとして指名手配されている「桐島聡」を名乗っている、との内容でした。末期の胃がんで1月29日朝、死亡しました。「最期は本名で迎えたい」と話していたとのことです。同一人物なら70歳。確認は取れていないようですが、「本名」を名乗ったことは広く報じられました。願いは叶ったのでしょうか。
 報道を総合すると、男性は「内田洋」の名前で数十年前から神奈川県藤沢市の工務店で、住み込みで働いていました。金融機関の口座は持たず、給料は現金で受け取っていました。約1年前から通院し、今年になって入院。25日になって「桐島聡」を自称したとのことです。「桐島聡」本人であれば、指名手配から約半世紀を逮捕されることなく“逃げ切った”ということになります。
 三菱重工爆破事件が起きた時、わたしは中学3年生中学2年生でした。夏休みの終わりの8月30日、東京で大きな爆発事件があり死傷者が多数出ているとニュースで知りました。「東京は怖いな」と思いましたが、遠く離れた九州の中学生にそれ以上の感情はなかったように思います。警視庁は翌75年5月19日、メンバー7人を一斉に逮捕しました。朝刊に「逮捕へ」の特ダネ記事を掲載していた産経新聞は、「捜査妨害」の口実を与えないよう、当該地区への配達を遅らせた、という事件報道の歴史に残る出来事もあったのですが、そうしたことを知ったのも後年、通信社に就職し記者になってからでした。

 この「東アジア反日武装戦線」と一連の企業爆破事件に多少なりとも関心が高まったきっかけは、一冊の本でした。作家、松下竜一のノンフィクション「狼煙を見よ 東アジア反日武装戦線“狼”部隊」です。手元の河出書房新社刊の単行本の奥付を見ると、1987年1月に発行、同年10月に3刷とありますので、88年ごろに購入して読んだのだと思います。東アジア反日武装戦線のメンバーのうち、三菱重工本社爆破を実行した「狼」部隊の中心人物、大道寺将司を中心に、グループの軌跡や逮捕後の苦悩などを丁寧に追った作品です。

 「桐島聡」を名乗る男性が「最期は本名で迎えたい」と口にしたと知って、思い起こしたのは同書に描かれた大道寺将司の取り調べの様子です。
 彼は取り調べで全面自供に至りました。もともと、グループはほかの新左翼勢力とは異なり、法廷闘争に重きを置いていませんでした。逮捕されたら自死を選ぶために青酸入りカプセルを所持していましたが、逮捕当日は自宅に置き忘れていました。
 同書によると、メンバーたちは、三菱重工爆破で同社とは無関係の通行人らを含めて想定外の死傷者を出したことに内心では苦悩していました。取り調べでそこを突かれました。

「世間では君たちのことを爆弾マニアとか、生命感覚を喪失させた理論も思想もない連中であるといっている。君はそれでいいのか、残念だとは思わないのか。これを防ぐ途は、君が自ら真実を明らかにする以外にないはずだ」
「被害者が爆弾マニアによって死傷させられたのか、それとも革命思想や理論に基づいた者たちによって死傷させられたのかによって、彼らは救われるか救われないかが決まるのだ。もし君が真実を明らかにするならば、死傷者の中に救われる人が出てくるのだ。君は供述して彼らを救ってやる義務と責任があるのだ」
「君たちの戦いは終わった。君たちの任務は完了したのだ。総括すべきじゃないか」

 以上は、同書に収録されている取り調べ担当の検事、高橋武生の説得の言葉です。同書によると、大道寺将司だけでなく、他のメンバーも黙秘を貫くことなく早期に自供したとのことです。
 大道寺将司は死刑確定後、病気で死亡しました。日本赤軍が起こしたハイジャック事件で、超法規的措置として妻の大道寺あや子らが釈放され日本赤軍と合流する、といった出来事もありました。それらのことを「桐島聡」は報道で間違いなく知っていたはずです。検事の説得も含めて知っていたのかもしれません。

 「最期は本名で」とは、自分は最後まで逃げ切ってみせた、ということを歴史に残したかったのか。そうではなくて、何らか過去を総括したかったのかもしれない、とも思います。爆弾事件に至った思いや心情などを残しておきたい、ということだったのか。大道寺夫婦の軌跡は「狼煙を見よ」という優れた作品によって後世に残ります。犯罪は犯罪として、「桐島聡」が何かを語り残せば、それも歴史の記録になっていたはずです。いずれにせよ、もはや「最期は本名で」の真意は想像するしかありません。

 高橋検事は後年、東京地検検事正、福岡高検検事長を経て証券取引等監視委員会の委員長を務め、2013年2月に他界しました。東京地検次席検事の時に、わたしは社会部で検察担当の記者でした。
 東京地検のNO2の次席検事は重職で、特捜部の検事や法務官僚として早くから頭角を現した逸材が就くとされるポストでした。その意味では、記者たちの間で知られていた存在ではありませんでした。「今度の次席は公安畑らしい」と聞き、どこかで見た名前だと思い、やがて大道寺将司の取り調べ検事だったことに気付き、「狼煙を見よ」を読み返した記憶があります。遠くに感じていた爆弾闘争の時代のことが、少し身近になったように感じられました。
 次席検事はスポークスマン役なので、検察担当の記者とはよく顔を合わせます。事件から20年近くがたっていましたが、松下竜一が作中で描写した通りのオールバック姿でした。雑談の折りに、事件のことに水を向けたこともありますが、多くは語りませんでした。ただ、検事として峻烈と言っていいほど自らを厳しく律している、と感じました。爆弾闘争が激しかったあの時代に、公安検事として「人の生き死に」にかかわってきたとの自負の表れでもあったのだろうと思います。

 「桐島聡」がかかわった爆弾事件は半世紀も前のことです。関心があるのは一定の年代より上の層かと思っていたら、そうでもないようです。公開手配のポスターは至る所で目にします。若い世代でも、あの長髪に眼鏡をかけた顔はなじみがある、との解説を目にして、なるほどと思いました。マスメディアも連日、続報をつなぎました。世代を問わずよく読まれ、話題に上ったのではないでしょうか。

※追記 2024年1月31日8時50分
 ▽「後悔している」
 「桐島聡」を名乗り死亡した男性が、警視庁公安部の事情聴取に対し、東アジア反日武装戦線が起こした一連の事件について「後悔している」と話していた、との続報が目にとまりました。
※共同通信「『後悔』と桐島容疑者名乗った男 連続企業爆破など一連の事件に」=2024年1月30日
https://www.47news.jp/10460646.html

 「そうだろうなあ」と思う内容です。ただし、公安警察経由の伝聞情報であることには留意が必要だろうと思います。東アジア反日武装戦線のメンバーは、日本赤軍のハイジャック事件で超法規的措置で釈放された2人が逃亡中です。公安当局としては、情報戦、心理戦もさまざまに考えているはずです。

 ▽「大義は一面の真実」

 「桐島聡」が「最期は本名で迎えたい」と話していたことについて、オウム真理教をテーマにした映画「A」などで知られる森達也監督は「切なさを感じた」「オウム真理教事件の死刑囚や連合赤軍の関係者と同様、恐らく悩みながら、後悔しながらの半生だったのではないか」と話しています。共同通信の配信記事が、各地の地方紙の30日付朝刊に掲載されています。
 「爆弾闘争という手法は許されないが、その大義は一面の真実でもあった」「メディアや社会が単なる凶暴で冷酷な『テロリスト』が見つかった事案として今回の件を扱うのは違和感がある」としています。そして、政治に関心がない若い人に向けて「ぜひ記憶にとどめてほしい。かつての同世代の人たちが、米国との付き合い方、太平洋戦争で侵略したアジアへの補償や謝罪について、真剣に考えていたということを」と結んでいます。
 森監督の言葉に、前掲の松下竜一の著書「狼煙を見よ」を最初に読んだ時のことを思い出しました。大道寺夫婦は北海道の釧路の出身でした。大道寺将司の行動の原点に、地元でアイヌが就職などで差別を受けていることを知り、歴史的な問題意識を深めていった体験があることを同書で松下は指摘しています。爆弾闘争の方法論は全く容認できませんが、問題意識には共感する部分が少なくないように感じました。
 確かに「大義は一面の真実」であったのだろうと思います。