ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

自由主義者の戦没学生、上原良司の「所感」のこと

 大学の非常勤講師として、文章の書き方(文書作法)を大学生に教えるようになって3年です。この夏はその延長というか、課外活動というか、学生有志の勉強会でも指導しました。学生の1人は終戦の日に靖国神社の資料館「遊就館」を訪ねた経験を作文に書きました。戦死者の遺書を読み、何万人もの戦死の、その一つ一つの生に物語があったことを認識したこと、戦争の悲劇を繰り返してはいけないと感じたことをつづっていました。そして自問自答でした。「戦争をしてはいけない」。子どものころからそう教わってきたが、その先を考えたことはあっただろうか、と。戦死者は美しく描かれる、だが一面から見た物語だけでなく、多方面から事実を学び、未来のために行動するのが、今を生きる自分たちの責任だと結んでいました。
 この作文を読んで思い出した文章があります。慶応大経済学部から学徒出陣で陸軍士官となり、1945年5月11日、特攻隊として沖縄の米軍機動部隊に航空機で突入して戦死した上原良司が残した「所感」です。岩波文庫の「新版 きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記」の最初に収録されています。

 上原は両親あての「遺書」も残しており、同じく「きけ わだつみのこえ」に収録されています。「所感」はそれとは別に、出撃前夜に書かれました。
 大学生活では、イタリアでムッソリーニのファシズムに反対した歴史哲学者ベネデット・クローチェに熱中していたとされます。「所感」ではそのクローチェに触れながら、「自由の勝利は明白な事」「権力主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実」として、イタリア、ドイツの敗北を挙げ、以下のように記しています。

 真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、過去において歴史が示したごとく、未来永久に自由の偉大さを証明して行くと思われます。自己の信念の正しかった事、この事はあるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。

 特攻隊のパイロットは一器械に過ぎない、との友人の言葉を紹介しながらつづられた以下の言葉は、まさに「遺言」です。

 一器械である吾人は何もいう権利もありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。

そして、結び近くによく知られた一節があります。

 明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

 自由にものを言うことができなかったあの当時に、最後まで理性と知性と合理的思考を失わず、自分の思うところを率直につづった内容に、今も読むたびに胸が詰まり、涙を抑えられません。

 生還を期すことができない特攻は、生みの親とされる海軍の大西瀧治郎中将自身が「統率の外道」と呼んでいました。そこまで追い込まれたのなら、一日も早く停戦と講和に進むべきでした。そうならずに戦争が続き、戦場では前途有為の若者たちの命が奪われ、やがて日本中の都市が空襲で灰燼に帰し、沖縄の地上戦や広島、長崎の原爆投下で、おびただしい住民の命が失われました。日本はアジア全域で加害者の立場でした。それに加えて、視点を変えれば、戦争による自国民への加害もあったのだと感じます。
 靖国神社は戦死者を神格化しています。それによって「自国民への加害」はあいまいになってしまうように感じます。上原良司は、自身がその中に加えられることを受け入れたでしょうか。「願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです」との最後の言葉に対して、今を生きる私たちは、どうやれば応えていけるでしょうか。

 作文の勉強会の学生たちに「きけ わだつみのこえ」を紹介しました。約80年前、自分たちと同じ年頃の若者たちが、自分の力ではどうしようもできずに生を奪われました。その戦没学生たちが残した言葉を、まずは知ってほしいと思います。

※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com