メディア総合研究所(メディア総研)が隔月で編集、発行してきた「放送レポート」が、11月1日付発行の317号で休刊となりました。その最後の1冊が先日、手元に届きました。
創刊号は1972年1月号。もともと、民間放送局の労働組合の連合体である産業別労組の民放労連(日本民間放送労働組合連合会)が発行母体でした。編集長の岩崎貞明さんも、民放キー局で単組委員長を務められ、その後、放送局を退職してメディア総合研究所の専従に移られていました。
わたしは新聞労連委員長を務めた当時(2004年7月~06年7月)に、民放労連や岩崎さん、メディア総研の皆さんとも活動を共にする機会をいただくようになりました。「放送レポート」にも何度か、座談会などで発言を載せていただいたり、寄稿させていただいたりしました。
中でも、通信社の大先輩でもあり、新聞労連の先輩でもあったジャーナリスト原寿雄さんを追悼する座談会に加えていただいたことは、ジャーナリズムの世界で先達が遺してくれたものを再確認する機会になり、わたしにとっても有意義な経験でした。
「検察とマスメディア」「司法とマスメディア」をテーマにした同誌の特集も、わたし自身、かつては社会部記者として検察事件や裁判を担当していたこともあり、意義が深いものでした。特集で指摘されている課題は、今もなお変わらないと感じます。
最終号では「休刊に寄せて」のページがあり、何人かの方の所感が掲載されています。原寿雄さんをしのぶ座談会でご一緒させていただいた上智大名誉教授の石川旺さんの寄稿が印象に残ります。
かつては多数存在していたメディア研究誌の多くが休刊、廃刊となったことについて、石川さんは「メディア研究というものがメディアの実践現場から顧みられなくなったのが原因の一つ」と指摘し、具体的な事例を挙げています。
石川さんが触れているのは主に放送メディアですが、新聞についても同様のことが言えるのではないかと感じます。メディア研究の成果、とりわけジャーナリズムのありようをめぐる考察や指摘が新聞社・通信社の報道現場にどこまで生かされているのか。そのことは、現役の時間を終えたわたしを含めて先行世代にも当事者性があります。忸怩たる思いがあります。
