記者クラブ

「ジャーナリズムを担うのは誰か」〜Journalism6月号に寄稿しました

10日発売された朝日新聞社ジャーナリスト学校発行の月刊誌「Journalism」6月号の「メディア・リポート」の「新聞」に、記者会見の開放問題についての小文「ジャーナリズムを担うのは誰か 新たな段階の記者会見開放」を寄稿しました。ネットで読むことがで…

紙面、取材組織、記者クラブの「三位一体」的な縦割り〜ネット以前と同じ新聞メディア

明治学院大社会学部での非常勤講師は24日が3回目の講義でした。初回の概論紹介に続き第2回(17日)から本論ということで、計4回分をめどに「可視化されるマスメディア」をテーマに話を進めています。 ここで言う「マスメディア」は新聞と放送に特化し…

北方ジャーナル「渦中にいない人たちの意見」〜記者クラブ問題それ自体の可視化

以前のエントリーで、北海道の地域誌「北方ジャーナル」に掲載されている記者クラブ問題の連載企画「倶楽部は踊る」に、わたしのコメントが載ったことをお知らせしましたが、同誌4月号が連載第11回として、「記者クラブ問題の渦中にいない人たち」の意見…

新聞労連が「記者会見の全面開放宣言」〜個々の記者の後ろ支えになればいい

新聞労連(日本新聞労働組合連合)新聞研究部が4日、「記者会見の全面開放宣言〜記者クラブ改革へ踏み出そう〜」を公表しました。今週、日本新聞協会にも提出するようです。 昨年の衆院選の前から民主党が首相や閣僚らの記者会見の全面オープン化を事実上の…

新聞が培ったジャーナリズムの今後の居場所〜ネットに抜かれた日に考えたこと

※「新聞ジャーナリズムの居場所〜ネットに抜かれた日に考えたこと」から改題しました(2010年2月24日午後0時半) ここのところ、このブログのエントリーに新聞産業の沈滞と先行きのいっそうの苦境感、その中でのジャーナリズムとジャーナリストのあ…

記者会見開放で「北方ジャーナル」の取材を受けました

先日、北海道・札幌で発行されている地域雑誌「北方ジャーナル」から記者会見の開放問題で取材を受けました。その記事が掲載された同誌3月号が手元に届きました。筆者は元地方紙記者でフリーランスの小笠原淳さん。同誌で「倶楽部は踊る―記者クラブはどこへ…

公人の疑惑報道のルール

「現実の悪意の法理」と呼ぶ、ということを知りました。米国では、公人に対するマスメディアの報道が名誉棄損にあたるかどうかが争われた場合、一般の人の場合よりもマスメディア側の挙証責任のハードルが低くなる、と聞いていましたが、その考え方のことで…

「労を惜しんではいけない記者会見の開放」〜Journalism1月号に寄稿

朝日新聞社のジャーナリスト学校が編集している月刊誌「Journalism」1月号のメディア・リポートに「労を惜しんではいけない記者会見の開放」と題した小文を寄稿しました。12日発売です。 ※Journalism1月号 特集「テレビはどこに向かうのか」 http://www.a…

なぜ記者クラブが会見を主催するのか〜総務省と外務省の開放に差

あらかじめ明らかにしておくと、わたしは個人的には、記者クラブはないよりはあった方がいいと考えています。廃止か存続かではなく、ありようが問題です。 政権交代後の閣僚記者会見の開放をめぐって、どうにも気になる動きが年明け早々に起きました。原口一…

報道する側の主体性が問われる〜記者クラブ問題にも記者会見開放にも欠かせない視点

気付くのが遅れましたが、鳩山政権になって出てきた閣僚記者会見の開放の動きをめぐって、産経新聞が10月30日付朝刊(同紙の東京本社エリアでは夕刊はありませんが)の紙面で新聞記者出身の識者2人の大型インタビュー記事を掲載しました。記者クラブの…

記者会見の開放は進めるべきだ〜やっぱりマスメディアも記者も「見られて」いる

衆院選の民主党圧勝を受けた鳩山連立内閣の発足から16日で1カ月が経ちました。大型公共事業の見直しの象徴になった観がある八ツ場ダム問題など、閣僚が次々に前政権の政策や方針の転換を表明し、この週末にかけての数日は、来年度予算の概算要求のやり直…