ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

記者会見の開放は進めるべきだ〜やっぱりマスメディアも記者も「見られて」いる

 衆院選民主党圧勝を受けた鳩山連立内閣の発足から16日で1カ月が経ちました。大型公共事業の見直しの象徴になった観がある八ツ場ダム問題など、閣僚が次々に前政権の政策や方針の転換を表明し、この週末にかけての数日は、来年度予算の概算要求のやり直しや、補正予算の減額による見直しなどが大きなニュースとして報じられました。政権交代による「変化」が随所に感じられます。そうしたニュースの一つひとつを新聞や放送の既存マスメディアはよく伝えていると思いますが、一方で変化が始まっているのに新聞や放送が十分には伝えていない、あるいは伝えることに及び腰になっていると感じていることがあります。閣僚の記者会見「開放」問題です。日本新聞協会は記者会見は記者クラブが主催することを重視する見解を表明しています。対して外務省など「会見は大臣ないしは役所の主催」と位置づけている省庁もあり、この記者会見開放は現在もしばしば記者クラブのメンバーシップの開放と混同されて、あるいは未整理のまま論議されています。記者クラブに対しては以前から閉鎖的だとの批判が強く、そうしたことが新聞や放送にとっては会見開放問題を論じる際に、心理面でハードルの高さにつながっているのかもしれません。
 そんなことを考えていた折り、毎日新聞と読売新聞が新聞週間にあわせて15日付朝刊に、この問題の特集記事を大きく掲載しました。毎日は「新政権 記者会見検証」として2ページ、読売は「基礎からわかる記者クラブ」として1ページとそれぞれ力作だと思います。わたしは以前のエントリーで、マスメディアとそこで働く個々の記者は、自分たちも社会から「見られて」いることを自覚すべきだと書きましたが、現在進んでいる新政権報道にもこのことは当てはまります。新政権になって何が起きているのかということ自体に加えて、それを伝えるマスメディアや報道のありようも社会の関心事になっているということです。記者会見や記者クラブをめぐって何が起きているかをマスメディアが報じていなくても、読者や視聴者はネットを通じて知ることができますし、ネットで知った読者や視聴者はマスメディアが報じないことをどう考えるかということに、マスメディアの側は思いをいたすべきだと思います。 記者会見の開放問題については、毎日や読売に先んじて朝日新聞も「メディア」の記事で取り上げていましたが、今後も各マスメディアが継続してニュースとして取り上げてほしいと思います。
 ※毎日新聞の特集記事はネットで読むことができます。
 特集:新政権、記者会見検証(その1) 「政治主導」巡り混乱
 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20091015ddm010010140000c.html
 特集:新政権、記者会見検証(その2止) メディア側、続く模索
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091015ddm010010152000c.html
※参考過去エントリー
 「マスメディアも『見られて』いる自覚が必要〜ウィニー事件のNHK記者取材問題の報じられ方」
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20091011/1255221338
 「記者の取材も『見られて』いる〜ウィニー事件のNHK記者取材問題の教訓」
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20091012/1255324058

 以下は記者会見の開放問題に対する私見になりますが、あらかじめ明らかにしておくと、わたし自身は「記者クラブは必要で問題は運用にある」との個人的な考えを持っています。そして、まずは記者会見の開放を、記者クラブのありよう、中でもメンバーシップの問題とは切り分けて考え、会見の開放はどんどん進めるべきではないかと考えています。
 今さらわたしがここで説明するまでもないのですが、この1カ月ほどの推移を振り返ってみると、まず9月16日に首相官邸で行われた鳩山由紀夫首相の就任記者会見の際、官邸の記者クラブ加盟メディア以外で出席できたのが雑誌と海外メディアにとどまり、ネットメディアやフリーランスのジャーナリストが排除されたことに対して、民主党鳩山首相の「公約破り」として、記者クラブ非加盟のメディアやフリーランスのジャーナリストらを中心に大きな批判が起きました。民主党は党幹部らの会見は記者クラブ加盟の有無を問わず全て開放していましたし、政権を獲った際には首相会見も同様にオープンにすると表明していたからです。
 これらの批判はネット上で容易に見ることができます。ネット上のニュース・メディアであるJcastニュースは次のような記事を9月16日当日にアップしています。
 「首相記者会見『オープンにする』 鳩山政権『公約』破り、ネット『締め出し』」
 http://www.j-cast.com/2009/09/16049793.html
 また個人によるネット上の情報発信のほんの一例として、週刊朝日山口一臣編集長のブログエントリーを紹介します。
 「新聞が書かない民主党の『公約破り』」
 http://www.the-journal.jp/contents/yamaguchi/2009/09/post_90.html
 山口編集長のエントリーにもあるように、民主党鳩山首相への批判は多くの場合、記者クラブとそこに加盟するマスメディアへの批判を含み、その点も含めてネット上ではたくさんの支持を得ていました。
 また、ビデオ・ジャーナリストの神保哲生氏は、自身のブログでこの問題に再三触れる中で、以下のように記者会見のオープン化への具体的な道筋も打ち出しています。ちなみに、神保氏は記者クラブの解体などとはひと言も言っていません。
 「記者会見をオープンにするのは簡単なことですよ」
 http://www.jimbo.tv/commentary/000583.php
 繰り返しになりますが、山口氏の記事にしても神保氏の記事にしても、これらはネット上で見ることのできる「ほんの一例」です。一方の新聞や放送のマスメディアでは、鳩山首相の会見への雑誌と海外メディアの出席すらほとんど記事になっておらず、数少ない報道も雑誌と海外メディアの出席を「開放」と位置づけるなど、記者クラブ加盟マスメディアと非加盟のメディアなどとの理解はかけ離れていました。代わって記者クラブ加盟メディアが大きく取り上げたのは、新政権が官僚の記者会見を禁止した問題でした。これはこれで権力監視の観点からは見過ごすことができない大きな問題なのですが、こうした記者クラブ加盟マスメディアの姿勢は、「既得権の確保に躍起になっている」との批判を招く余地があったことは否定できないと思います。
 ※山口編集長が紹介している民主党各層へのマスメディアによる工作については、真偽の程はわたしには分かりません。神保氏はブログの別のエントリーで、山口氏とは違う話ですが、鳩山首相の記者会見のオープン化を阻んだのは平野官房長官だったと指摘しています。
 「記者会見クローズの主犯と鳩山さんとリバイアサンの関係」
 http://www.jimbo.tv/commentary/000585.php


 首相官邸の記者会見場を使った鳩山首相の会見はその後は開かれておらず、会見の開放をどうするかは現在も首相官邸記者クラブで協議が続いているようですが、閣僚の記者会見問題は各省庁でも動きが起きています。対照的な例としてネット上でもよく紹介されているのが、岡田克也外相の強い意向で記者クラブ側の慎重姿勢を押し切ってネットメディアやフリーランス・ジャーナリストにも大臣会見を開放した外務省と、亀井静香金融担当大臣の強い要請がありながら記者クラブ側が開放に応じず、亀井大臣が記者会見を記者クラブ向けと記者クラブ非加盟のメディアなどに向けての2回行った金融庁です。この2例は先に紹介した毎日新聞の特集記事も比較的詳しく紹介しています。また外務省の場合は、記者クラブとの事前の話し合いの経緯も含めて、外務省のホームページに一定程度、経緯や会見出席の資格、手続きが公開されています。金融庁はホームページに亀井大臣の2回の記者会見のやり取りを公開しています。
 ※外務省HP「大臣会見に関する基本的な方針について(会見参加の事前登録開始)」
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/oshirase/21/osrs_0925.html
 ※金融庁HP「記者会見」
 http://www.fsa.go.jp/common/conference/index.html
 岡田大臣と亀井大臣とで、どうしてこんなに結果が分かれたのかと言えば、記者会見の主催を大臣とするのか記者クラブとするのかに行き着くのだろうと思います。記者クラブ側は「大臣会見は記者クラブの主催」との認識では外務省、金融庁とも同じなのに、大臣側は金融庁では亀井大臣が記者クラブ側の認識を容認しているのに対して、外務省は岡田大臣が「大臣会見は大臣の主催」との見解で押し切っていることです。
 外務省のケースで言えば、大臣会見の開放の必要性を重視すれば、岡田大臣の対応は英断と評価されるのかもしれません。記者クラブの自己変革を待たずに会見の開放が実現したこと自体、政権交代による変化の一つでもあるのですが、一方で角度を変えてみれば、記者クラブの運営に政治が介入してきたことは否定できませんし、大臣や外務省による会見出席者の恣意的な選別の恐れも残ります。対して、会見を2回実施することとした金融庁の亀井大臣の対応は、「記者会見は記者クラブの主催」という記者クラブ側の見解を尊重した苦肉の策とみることもできるかもしれません(ただし亀井大臣の本意ではないことは言うまでもないでしょう)。

 ここで日本新聞協会の記者クラブに対する見解の一部を引用します。この見解は個々の記者クラブに対しても、また協会に加盟するマスメディアの組織内記者にも強制力を持っているわけではないと受け止めていますし、この見解を金科玉条のごとくに扱うのもそれはそれで問題だと考えています。しかし、記者クラブに加盟している記者は少なくともその内容を知り、理解しておく必要はあるものですし、この見解が求めている程度の「開放」は当然に実現されていいものだという意味において、尊重したいと考えています(全文は新聞協会のサイトに掲載されていますが、このブログを読んでくれているわたしの同僚である現場の記者たちに、こういうものがあるということを知り、目を通してほしいとの考えから、このエントリーの末尾にも全文を引用しておきます)。
 新聞協会の見解(正式名称は「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」)のうち、直接、記者会見に言及したくだりは以下の通りです。

 記者クラブが主催して行うものの一つに、記者会見があります。公的機関が主催する会見を一律に否定するものではないが、運営などが公的機関の一方的判断によって左右されてしまう危険性をはらんでいます。その意味で、記者会見を記者クラブが主催するのは重要なことです。記者クラブは国民の知る権利に応えるために、記者会見を取材の場として積極的に活用すべきです。
 記者会見参加者をクラブの構成員に一律に限定するのは適当ではありません。より開かれた会見を、それぞれの記者クラブの実情に合わせて追求していくべきです。公的機関が主催する会見は、当然のことながら、報道に携わる者すべてに開かれたものであるべきです。

 また見解の「解説」では以下のように述べています。

3.記者会見
 ネット社会の急速な進展に伴って、公的機関がホームページで情報を直接発信したり、インターネットを通じて記者会見を一方的に通告、設営する傾向が強まっている。多種多様な情報が氾濫(はんらん)する中で批判を避け、行政側にとって都合が良い情報だけを流す風潮を報道機関は厳しくチェックしていかなければならない。97年見解は公的機関の記者クラブがかかわる記者会見について「原則としてクラブ側が主催する」とした。新見解はネット社会到来という時代状況を踏まえ公的機関が主催する記者会見を一律に否定しないことにした。
 しかし、公的機関による恣意(しい)的な運用を防ぐ意味から、記者会見を記者クラブが主催することの重要性を強調した。記者クラブは日常の取材活動の中で適切な会見設営に努力し、行政責任者などに疑問点、問題点を直接ただす機会の場をもっと積極的に活用して国民の知る権利に応えていくべきである。その際、当局側出席者、時期、場所、時間、回数など会見の運営に主導的にかかわり、情報公開を働きかける記者クラブの存在理由を具体的な形で内外に示す必要がある。記者会見はクラブ構成員以外も参加できるよう、記者クラブの実情を考慮に入れ努めていかなければならない。

 「記者会見参加者をクラブの構成員に一律に限定するのは適当ではありません」と明記し「記者会見はクラブ構成員以外も参加できるよう、記者クラブの実情を考慮に入れ努めていかなければならない」と解説していることを、現場の記者はどう受け止めればいいのか。わたしは、記者クラブのメンバーシップの開放と記者会見の開放とを明確に分けて対応することを要請していると読み取っていますし、そのこと自体は合理的な考え方だと思います。
 記者会見は記者クラブが主催することを重視しつつ「クラブ構成員以外も参加できるよう、記者クラブの実情を考慮に入れ努めていかなければならない」という観点から、わたしが現段階での一つのモデルとなりうると注目しているのは、法務省記者クラブの例です。読売や毎日の特集記事でも紹介(毎日は省庁ごとの記者会見対応をまとめた一覧表の中で紹介)されていますが、閣議後の法務大臣の記者会見などは記者クラブの主催であることを前提として、クラブ非加盟のメディアやジャーナリストから参加の要請があった場合は、報道やジャーナリズム活動に一定の実績があると判断できれば原則として参加を認めることを、記者クラブの総意として申し合わせました。新政権発足後、実際にフリーランスのジャーナリストや海外メディアが大臣の記者会見に参加し、質問も行っていますが、何ら混乱もないようです。
 法務省のケースに限ったことではなく、一般に報道やジャーナリズム活動の実績をどう判断するのかは明確な一線を引くのは難しく、むしろ一線を引くことに弊害があるかもしれません。ただの興味本位の場合や、私怨や私的利害に基づく質問を企図していることが明らかな場合などを除いて、基本的にはどんどん受け入れていいのではないかとわたしは考えています。そうやって個別ケースを積み上げていく中で、おのずとだれもが納得できる常識的な判断の基準が明確になっていくはずです。記者会見の開放によってトラブルが発生したならそのときに対応すればいいのであって、起こってもいないトラブルを理由に門戸を閉ざすべきではないでしょう。少なくとも、政治主導で押し切られるよりは、はるかにマシなはずです。
 また、記者会見を舞台にそうやって開放の実績を積み重ねていけば、もう一つの、複雑で大きな問題である記者クラブそのもののありようの問題も、議論の深化が可能になっていくのではないかと思います。記者クラブに対しては日本以外にこうした制度が見当たらないこともあって不要論、廃止論も根強くあるのですが、一方で公権力に情報公開を迫ってきた歴史的な経緯を持っていることも事実です。存続か廃止かといった二者択一の発想で結論を急ぐべきではないと思います。
 いずれにしても、記者会見の開放がどんな推移をたどるのか、さらには記者クラブをめぐる諸々の議論の行方も、政権交代を機にそれ自体がニュース価値を持ち始めています。最初に触れたことの繰り返しになりますが、何よりマスメディアとそこで働く記者は、自身が今や社会から「見られて」いることを今一度自覚すべきだと思います。

※参考 新聞協会の記者クラブの見解の全文

記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解


2002年(平成14年)1月17日第610回編集委員会
2006年(平成18年)3月9日第656回編集委員会一部改定


 日本新聞協会編集委員会は、「記者クラブ」についての新たな見解を2002年にまとめました。インターネットの普及によるメディアの多様化や情報公開法の施行などで、報道を取り巻く環境は大きく変化しています。一方、記者クラブや記者会見のあり方については、様々な意見や批判もあります。新見解をまとめるに当たり、そうした声にも謙虚に耳を傾けました。その後のさらなるインターネットの普及や多メディア状況を踏まえ、2002年見解の記者クラブの構成に関する部分を改めて確認、補足するため、同見解および解説に若干の修正を加えました。私たちは、記者クラブの目的や役割について広く理解を得るとともに、この見解に沿って、より信頼される記者クラブを実現したいと考えています。


取材・報道のための組織
 記者クラブは、公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される「取材・報道のための自主的な組織」です。
 日本の報道界は、情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた歴史があります。記者クラブは、言論・報道の自由を求め日本の報道界が一世紀以上かけて培ってきた組織・制度なのです。国民の「知る権利」と密接にかかわる記者クラブの目的は、現代においても変わりはありません。
 インターネットの急速な普及・発展により、公的機関をはじめ、既存の報道機関以外が自在に情報を発信することがいまや常態化しており、記者クラブに対し、既存のメディア以外からの入会申請や、会見への出席希望が寄せられるようになりました。
 記者クラブは、その構成員や記者会見出席者が、クラブの活動目的など本見解とクラブの実情に照らして適正かどうか、判断しなくてはなりません。
 また、情報が氾濫(はんらん)する現代では、公的機関が自らのホームページで直接、情報を発信するケースも増え、情報の選定が公的機関側の一方的判断に委ねられかねない時代とも言えます。報道倫理に基づく取材に裏付けられた確かな情報こそがますます求められる時代にあって、記者クラブは、公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務を負っています。クラブ構成員や記者会見出席者は、こうした重要な役割を果たすよう求められます。
 記者クラブ制度には、公的機関などが保有する情報へのアクセスを容易にするという側面もあります。その結果、迅速・的確な報道が可能になり、さらにそれを手掛かりに、より深い取材や報道を行うことができるのです。
 誘拐事件での報道協定など、人命や人権にかかわる取材・報道上の調整機能も、記者クラブの役割の一つです。市民からの情報発信に対しても、記者クラブは開かれています。


より開かれた存在に
 記者クラブは、「開かれた存在」であるべきです。日本新聞協会には国内の新聞社・通信社・放送局の多くが加わっています。記者クラブは、こうした日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された記者などで構成されます。外国報道機関に対しても開かれており、現に外国報道機関の記者が加入するクラブは増えつつあります。
 記者クラブが「取材・報道のための自主的な組織」である以上、それを構成する者はまず、報道という公共的な目的を共有していなければなりません。記者クラブの運営に、一定の責任を負うことも求められます。
 そして最も重要なのは、報道倫理の厳守です。日本新聞協会は新聞倫理綱領で、報道の自由とそれに伴う重い責任や、正確で公正な報道、人権の尊重などを掲げています。これらは、基本的な報道倫理です。公的機関側に一致して情報開示を求めるなど取材・報道のための組織としての機能が十分発揮されるためにも、記者クラブは、こうした報道倫理を厳守する者によって構成される必要があります。
 記者クラブが主催して行うものの一つに、記者会見があります。公的機関が主催する会見を一律に否定するものではないが、運営などが公的機関の一方的判断によって左右されてしまう危険性をはらんでいます。その意味で、記者会見を記者クラブが主催するのは重要なことです。記者クラブは国民の知る権利に応えるために、記者会見を取材の場として積極的に活用すべきです。
 記者会見参加者をクラブの構成員に一律に限定するのは適当ではありません。より開かれた会見を、それぞれの記者クラブの実情に合わせて追求していくべきです。公的機関が主催する会見は、当然のことながら、報道に携わる者すべてに開かれたものであるべきです。


記者室はなぜ必要か
 報道機関は、公的機関などへの継続的な取材を通じ、国民の知る権利に応える重要な責任を負っています。一方、公的機関には国民への情報開示義務と説明責任があります。このような関係から、公的機関にかかわる情報を迅速・的確に報道するためのワーキングルームとして公的機関が記者室を設置することは、行政上の責務であると言えます。常時利用可能な記者室があり公的機関に近接して継続取材ができることは、公権力の行使をチェックし、秘匿された情報を発掘していく上でも、大いに意味のあることです。
 ここで注意しなければならないのは、取材・報道のための組織である記者クラブとスペースとしての記者室は、別個のものだということです。したがって、記者室を記者クラブ加盟社のみが使う理由はありません。取材の継続性などによる必要度の違いも勘案しながら、適正な利用を図っていく必要があります。
 記者室が公有財産の目的外使用に該当しないことは、裁判所の判決や旧大蔵省通達でも認められています。ただし、利用に付随してかかる諸経費については、報道側が応分の負担をすべきです。


記者は切磋琢磨を
 この見解は直接的には公的機関における記者クラブを対象にしたものですが、全国の記者クラブがこれを基本的な指針としながら自主的にクラブ運営を行うことを期待します。
 言うまでもなく、取材・報道は自由な競争が基本です。記者クラブに属する記者は、クラブの目的と役割を正しく理解し、より質の高い報道を求めて切磋琢磨(せっさたくま)していかなければなりません


【解説】
 記者クラブ制度の目的やあるべき姿などについて、日本新聞協会編集委員会はこれまで、全国の記者クラブの基本的指針となる統一見解を数次にわたり示してきた。しかし昨今、報道を取り巻く環境は激変しており、ジャーナリズム一般に対する国民の目も一段と厳しくなっている。
 こうした現状認識を踏まえ、編集委員会は、報道界に対する国民の信頼を維持し記者クラブ制度への理解を深めるため、「記者クラブ問題検討小委員会」を設置して、記者クラブの位置付けをはじめ総合的な見直しを行った。
 その結果、記者クラブを「取材・報道のための自主的な組織」として積極的かつ前向きに位置付けるべきである、との結論に達した。また、「閉鎖的」「横並び体質」「特権意識」などという記者クラブへの批判にも、謙虚に耳を傾け、改めるべきものは改めることにした。と同時に、事実誤認などに基づく批判については誤解が解消されるよう、2002年見解の中で説明を加えた。
 2002年見解をまとめた後、インターネットを利用したメディアはますます普及し、メディア環境は変化を続けている。こうした状況を踏まえ、記者クラブ問題検討小委員会は2002年見解に示された記者クラブの意義、役割をあらためて確認するとともに、2006年に本見解を補足した。それは、新たなメディアからの記者クラブへの加盟申請や記者会見への出席要請に対して、報道という公共的な目的を共有し、報道倫理を堅持する報道機関、記者クラブの意義・役割を理解・尊重し、運営に責任を負う報道機関には、クラブは「開かれた存在」であり続けることを確認するためである。
 記者クラブ構成員には、報道機関の役割がますます重要になっていることをあらためて認識し、クラブの適切な運営に当たることが望まれる。

1.目的と役割
 記者クラブは1890年(明治23年)、帝国議会が開会した際に、傍聴取材を要求する記者たちが「議会出入り記者団」(のちに「同盟記者倶楽部」)を結成したことに始まる。これをきっかけに情報を隠ぺいする体質の根強い官庁に対して報道機関側が記者クラブをつくり、公権力に対して情報公開を求める動きが広がった。
 しかし、記者クラブはその後、第二次大戦の戦時統制下で残念ながら発表だけを報ずることを余儀なくされた。戦後、記者クラブについて日本新聞協会の見解は時代状況の変遷に伴って変化してきた。「記者クラブに関する新聞協会の方針」(1949年・昭和24年)では「記者クラブは各公共機関に配属された記者の有志が相集まり、親睦社交を目的として組織するものとし、取材上の問題には一切関与せぬこととする」と定められた。占領軍の意向が強く反映したものだった。
 戦後30年余たった1978年(昭和53年)の「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」では「その目的はこれを構成する記者が、日常の取材活動を通じて相互の啓発と親睦をはかることにある」へと性格付けが一部変わった。さらに、97年(平成9年)編集委員会見解では「取材拠点」と位置付けた。「親睦・社交」「相互啓発・親睦」から「取材拠点」への変化だった。
 今回、「取材・報道のための自主的な組織」とした主な理由は、(1)性格をより明確にする(2)「記者室」との概念の混同を避ける―の2点である。
 97年の見解は、記者クラブの「性格、目的など」について、「公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする『取材拠点』として、機能的な取材・報道活動を可能にし、国民にニュースを的確、迅速に伝えることを目的とする」―と規定してきた。しかし、「取材拠点」との表現は“場”のイメージが強く、ワーキングルームとしての記者室との混同を招きやすい。
 このため、記者クラブと記者室との区別を明確にした上で、改めて「組織としての記者クラブ」を規定した。記者クラブの機能・役割は、(1)公的情報の迅速・的確な報道(2)公権力の監視と情報公開の促進(3)誘拐報道協定など人命・人権にかかわる取材・報道上の調整(4)市民からの情報提供の共同の窓口―である。
 重ねて強調しておきたいのは、記者クラブは公権力に情報公開を迫る組織として誕生した歴史があるということである。インターネットの普及が著しい現在、公的機関のホームページ上での広報が増え、これに対して電子メールなどを通じた質疑・取材が多用されるようになり、公的機関内に常駐する機会が少なくなることも今後は予想される。だがその結果、記者やメディアが分断され、共同して当局に情報公開を迫るなどの力がそがれる危険性もある。そうした意味でも記者クラブの今日的な意義は依然大きいものがある。
 記者クラブは、記者の個人としての活動を前提としながら「記者たちの共同した力」を発揮するべき組織である。個々の活動をクラブが縛ることはあってはならない。

2.組織と構成
 記者クラブの開放性については、97年の見解で、「可能な限り『開かれた存在』であるべきだ」とされてきた。新しい見解は、この原則を引き継いだ上で、「日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された記者など」で構成されるとしている。
 記者クラブの構成については、この見解が日本新聞協会編集委員会が取りまとめたものであり、はじめに新聞協会加盟の新聞、通信、放送各社を、次いで新聞協会に加盟していないがほとんど同じような業務をしている報道機関を「これに準ずるもの」として定義付けた。
 外国の報道機関については、すでに多くの記者クラブに加盟している実績があり「閉鎖的」との批判には当たらないと考える。外国報道機関の加盟基準としては、(1)外務省発行の外国記者証を保有する記者(2)日本新聞協会加盟社と同様の、またはそれに準ずる報道業務を営む外国報道機関の記者―の2条件を満たしていることが望ましい。
 また、報道活動に長く携わり一定の実績を有するジャーナリストにも、門戸は開かれるべきだろう。
 報道機関やジャーナリストが、新たにクラブに加盟する場合は、それぞれの記者クラブの運営に委ねるべきで、参加形態も、常駐、非常駐、オブザーバー加盟など、それぞれのクラブの事情に応じた弾力的な運用が考えられる。
 その場合、記者クラブは「取材・報道のための組織」であり、そこに加盟する者は、報道という公共的な目的を共有していなければならない。
 また、記者クラブは「自主的な組織」である以上、当局との折衝・調整、会員間の連絡、総会などクラブ運営全般にかかわる幹事業務をはじめ、クラブ構成員としてクラブの運営に一定の責任を負うことが求められる。
 そして何よりも、報道倫理の厳守が強く求められる。日本新聞協会は、2000年(平成12年)6月に、新しい新聞倫理綱領を制定し、「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」「人権の尊重」「品格と節度」を厳守すべき事項とした。新聞協会は、加盟する会員にこの倫理綱領を守ることを定款で義務付けている。
 このように、記者クラブを構成する報道機関やジャーナリストは、報道という公共的な目的を共有し、一定の責任と報道倫理の厳守が強く求められている。

3.記者会見
 ネット社会の急速な進展に伴って、公的機関がホームページで情報を直接発信したり、インターネットを通じて記者会見を一方的に通告、設営する傾向が強まっている。多種多様な情報が氾濫(はんらん)する中で批判を避け、行政側にとって都合が良い情報だけを流す風潮を報道機関は厳しくチェックしていかなければならない。97年見解は公的機関の記者クラブがかかわる記者会見について「原則としてクラブ側が主催する」とした。新見解はネット社会到来という時代状況を踏まえ公的機関が主催する記者会見を一律に否定しないことにした。
 しかし、公的機関による恣意(しい)的な運用を防ぐ意味から、記者会見を記者クラブが主催することの重要性を強調した。記者クラブは日常の取材活動の中で適切な会見設営に努力し、行政責任者などに疑問点、問題点を直接ただす機会の場をもっと積極的に活用して国民の知る権利に応えていくべきである。その際、当局側出席者、時期、場所、時間、回数など会見の運営に主導的にかかわり、情報公開を働きかける記者クラブの存在理由を具体的な形で内外に示す必要がある。記者会見はクラブ構成員以外も参加できるよう、記者クラブの実情を考慮に入れ努めていかなければならない。

4.協定と調整
 取材・報道は自由な競争が基本である。しかし、公的機関によるレクチャーの内容が複雑で理解や分析に時間を要するもの、また補足、裏付け取材が必要で、そのまま報道すると弊害があると考えられるものなどについては「正確で質の高い報道を期す」という理由から解禁時間を設けることが実態的に行われている。
 本来、報道協定と呼べるものは被害者の生命、安全に配慮して報道各社間で結ぶ誘拐報道協定、日本新聞協会が各社間協定や申し合わせとして正式に認めている叙位・叙勲・文化勲章文化功労者などの報道に限られる。解禁時間を設定する協定は、限定的に適用すべきであって、仮にも自由な取材・報道を妨げるようなことがあってはならない。
 また、記者クラブ側は取材先からの取材・報道規制につながる申し入れに応じてはならない。行政側や警察・検察なども安易にこうした申し入れをすべきでないと考える。
 一方、集団的過熱取材による事件・事故などの当事者や関係者に対する不当な人権、プライバシー侵害が予想され、または実際にそうした苦情が申し立てられた場合、記者クラブは解決のため積極的に調整機能を果たさなければならない。

5.記者室
 記者室は、報道機関と公的機関それぞれの責務である「国民の知る権利に応える」ために必要な、公的機関内に設けられたジャーナリストのワーキングルームである。97年見解では、記者室は報道機関側が公的機関に要求できる権利としていたが、今回は「行政上の責務」とし、公的機関側が情報開示義務と説明責任をこれまで以上に果たしていく必要があることを明確にした。同時に報道側には、ニュースの迅速・的確な伝達や多面的・多角的な補強取材、その後の系統的なフォロー報道のためだけでなく、秘匿された情報の粘り強い発掘などのため、記者室を効果的に活用することが求められている。記者室は、こうした取材活動を担い、情報公開を迫る前線基地と位置付けられる。もっとも、さまざまな公的機関があるから、記者室を実際に設置するかどうかは、その公的機関と報道側で協議する。
 記者室の利用については、組織としての記者クラブとスペースとしての記者室は別個の存在という立場から、記者クラブ以上に開かれていなければならないことを確認した。公的機関は、記者クラブ非加盟のジャーナリストのためのワーキングルームについても積極的に対応すべきである。
 行政側が記者室を設置・提供することの根拠については、京都府庁舎内の記者室設置が行政財産の目的外使用に当たるかどうかが問われた訴訟の判決で、京都地裁が1992年(平成4年)2月に、「記者室の供用は、京都府の公用に供するもので、行政財産の目的内使用」との判断を示し確定している。また、1958年(昭和33年)1月に旧大蔵省管財局長通達で「国の事務、事業の遂行のため、国が当該施設を提供する」対象の一つに新聞記者室をあげ、「庁舎の目的外使用には当たらない」との判断が出されている。これらにならい、公的機関の多くは、公的な情報を国民や地域住民に広く知らせる広報活動の一環として記者室を設けており、記者会見場が併設されている公的機関も少なくない。
 記者室利用に付随して生じる諸経費については、実情に応じて実費を負担する記者クラブが増えている。今回の見解では、諸経費は「報道側が応分の負担をする」という基本姿勢を確認した。

6.紛争処理
 記者クラブにかかわる紛争事案は過去生じた各社間協定に対する違反、解禁時間違反、取材・報道上の紛争などである。
 こうした紛争の処理に関する取り決めとしては1970年(昭和45年)の編集委員会決定がある。この決定は、(1)紛争等はクラブ加盟各社幹部で構成される特別委員会で処理する(2)特別委員会の構成および運営は別記の基準による(3)特別委員会の決定に異議があるときは、編集委員会幹事会に異議申し立てを行うことができる(4)異議申し立てを審議し、決定が下されるまで特別委員会の決定は有効である―と定めている。
 記者クラブの歴史的経緯を考えると、紛争等の処理はこの決定を適用していくことが適当である。

(注)特別委員会の構成、運営に関する基準は次の通りである。
1.構成
特別委員会は各記者クラブ加盟社の主管部長または支局長以上の編集幹部によって構成する。
クラブ加盟社が多数の場合などで、加盟社の幹部により特別委員会を構成することが困難であれば、互選により特別委員会委員を限定することができる。
2.招集
記者クラブに協定違反その他取材・報道上の原因で紛争が生じた場合は、クラブ幹事または必要に応じクラブ員が自社の編集幹部を通じて特別委員会に報告することとする。
当該クラブ幹事社の特別委員会委員は事件の処理について協議の上必要と認めた場合は、各委員を招集し、特別委員会を開催する。ただし、あらかじめ特別委員会幹事が決まっている場合は、同幹事が特別委員会を招集する。
3.審理
 特別委員会は委員総数の過半数の出席によって成立し、議決には出席者の3分の2以上の賛成を要する。
審理に当たっては、当事者から直接事情を聴取した上で、措置を決定する。
4.本規定の適用
 この規定の解釈、運用に疑義を生じた場合は、編集委員会で審議決定する。