ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

正当化を閣議決定~続・記者会見の質問制限 ※追記あり 「追記2」まで更新

 首相官邸が昨年12月28日、官邸報道室長名で記者クラブである「内閣記者会」に対し、東京新聞記者の菅義偉・官房長官の記者会見での質問を「事実誤認」「度重なる問題行為」として、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」「このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と申し入れた「質問制限」問題についての続きです。2月5日にアップした記事「新聞労連の声明『首相官邸の質問制限に抗議する』」の最後の追記から1週間がたちますので、追記ではなく新しい記事をアップします。今後も備忘を含めて随時、この記事に追記します。
news-worker.hatenablog.com

 この問題で自由党の山本太郎参院議員が質問主意書で「記者の質問権のみならず国民の知る権利をも侵害されかねない状況だ」と指摘したのに対し、政府は2月15日、答弁書を閣議決定しました。共同通信の記事によると「必ずしも簡潔とは言えない質問が少なからずある。今後とも長官の日程管理の観点からやむを得ない場合、司会者がこれまでと同様に協力呼び掛けなどを通じて、円滑な進行に協力を求める」「(注:記者会見は)内閣記者会が主催するもので、政府が一方的に質問を制限できる立場にない。あくまで協力依頼にすぎない」との内容です。
 あくまでも昨年末の申し入れは正当との主張です。「司会者の協力呼び掛け」とは、記者が質問途中であっても、首相官邸報道室長が質問を切り上げるようにせかす、記者から見れば質問を邪魔されるということで、今後もそのことに変わりはないと宣言したことにほかならないように思います。「円滑な進行」とはだれのどんな利益のための「円滑」なのでしょうか。
 ※47news=共同通信「東京新聞記者の会見で閣議決定/司会者、今後も『協力』呼び掛け」2019年2月15日
 https://this.kiji.is/468986028385305697?c=39546741839462401

 この答弁書に対して、朝日新聞政治部の記者(休職中)でもある新聞労連委員長の南彰さんが批判を加えています。ツイッターへの投稿を、賛同の意を込めて紹介します。

  朝日新聞は2月16日付の朝刊第3社会面の「メディアタイムズ」で、この問題を巡るリポート(「官邸、質問に矛先なお/東京新聞記者巡り『取材じゃない。決め打ち』」)を掲載しました。内閣記者会に加盟している新聞各紙やNHK、共同通信にも取材してコメントを載せています。引用して書きとめておきます。
・東京新聞「質問の前提として、その時点で把握していた事実関係や情報を述べた。通常の取材であり、『決め打ち』とは考えていない。官邸側から指摘が相次いでいることへの見解は、近日中に紙面でお示しする」
・産経新聞「内閣記者会の対応以上のコメントはない」
・読売新聞「一般論として、事実に基づかない質問は適当ではないが、記者会が個別の質問を制限することはできないと考える」
・毎日とNHK「『記者の質問を制限することはできないと考える』との趣旨の回答を寄せた」
・共同通信「記者会見は国民の知る権利に応えるための場で、参加する記者の質問が制限されたり、不当な圧力が加えられたりすることはあってはならないと考えている

 

▼追記 2019年2月18日22時45分
 首相官邸による東京新聞記者の質問制限問題について、信濃毎日新聞が18日付の社説で取り上げました。京都新聞も17日付の社説の中で触れています。それぞれ一部を引用して紹介します。

※信濃毎日新聞「官邸の質問制限 『知る権利』を侵害する」=2019年2月18日
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190218/KT190216ETI090003000.php

 首相、官房長官、各省の大臣ら、政府の中枢にいる政治家が会見で記者の質問に答える理由は何だろう。
 それは、憲法が国民に保障する「知る権利」を実現する役割をメディアが担っているからだ。
 記者会見は政治家が国民に対する説明責任を果たす場でもある。会見に応じなかったり質問を制約したりするのは、憲法に照らして望ましくない。
 (中略)
 質問内容が事実誤認に基づくなら、官邸はその旨を指摘して正しい情報を開示すればいいだけの話だ。「問題意識の共有」を求めるのは筋違いである。
 新聞、通信社の労組でつくる日本新聞労働組合連合(新聞労連)はこの問題で抗議声明を出している。それによると、官房長官会見では記者が質問しているときに司会役の報道室長が「簡潔にお願いします」などと数秒おきに述べ、妨害しているという。
 声明は「意に沿わぬ記者を排除するのは国民の知る権利を狭める」と指摘。質問制限が「悪(あ)しき前例として日本各地に広まることを危惧する」と述べる。
 (中略)
 居丈高に「事実誤認」と攻撃する政府の姿勢は、辺野古の問題で報道機関全体を威圧し、萎縮させることを狙っていると受け取られても仕方ない。

※京都新聞「長期政権の緩み  放言と異論封じが際立つ」=2019年2月17日
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190217_4.html

 安倍首相は常々、自身に対する野党からの批判に「印象操作だ」と気色ばんで反発することがある。その批判は自分自身にも当てはまるのではないか。
 首相周辺も同様だ。首相官邸が昨年末、菅義偉官房長官の記者会見で「特定の記者が事実誤認の質問をした」として、「事実を踏まえた質問」を要請する文書を内閣記者会(記者クラブ)に出した。
 記者は会見でさまざまな角度から質問し事実や課題を浮かび上がらせる。質問を封じるような要請は本末転倒である。質問が事実でなければ丁寧に説明するのが政府の役割ではないか。
 (中略)
 安倍政権は今月23日で吉田茂政権を抜き戦後単独2位の長期政権となり、11月には憲政史上最長になる。無思慮な発言は長期政権のおごりと緩みから来ている。
 歴史に名を残すためには、何が必要か。首相や政権幹部は深く考え直してもらいたい。

 この問題では朝日新聞が2月8日付で、次いで北海道新聞が同10日付で社説を掲載しています。
※朝日新聞「官房長官会見 『質問制限』容認できぬ」=2019年2月8日
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13884468.html?iref=editorial_backnumber

 しかし、記者会見はそもそも、当局に事実関係を確認する場であり、質問に誤りがあったとしても、その場で正せばすむ話だ。特定の記者を標的に、質問の制限を求めるような今回のやり方は不当であり、容認できない。政権の意に沿わない記者の排除、選別にもつながりかねない。
 (中略)
 文書が内閣記者会に「問題意識の共有」を求めたのも、筋違いだ。報道機関の役割は、権力が適正に行使されているかをチェックすることであり、記者会側が「質問を制限することはできない」と応じたのは当然だ。
 官房長官は、平日は原則、午前と午後の2回、記者会見に応じている。政府のスポークスマンとして、国民への説明責任を重んじればこそではないのか。記者の自由な質問を阻害することは、国民の「知る権利」の侵害でもあると知るべきだ。
 (中略)
 森友・加計学園の問題や統計不正など、不祥事が起きても、真相解明に後ろ向きな対応を繰り返しているのが安倍政権だ。今回の件も、国民の疑問に正面から向き合わない姿勢の表れにほかならない。

※北海道新聞「官邸の質問制限 『知る権利』狭める恐れ」=2019年2月10日
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/275348?rct=c_editorial

 報道機関の務めは権力監視である。疑問をぶつけなければその役割は果たせない。質問に異議があるなら反論すればいいだけだ。
 記者の選別は許されない。
 「質問制限」ではなく、むしろ積極的に答えるのが政府のあるべき対応ではないのか。
 日本新聞労働組合連合(新聞労連)は先週、抗議の声明を出し「悪(あ)しき前例として日本各地に広まることも危惧する」と指摘した。
 憲法は「表現の自由」を基本的人権の一つとし、それによって国民の「知る権利」を保障している。その権利を狭めるようなことがあってはならない。

  また、新聞労連のほか民放労連や出版労連などでつくる日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)も18日、抗議の声明を発表しました。

 

▼追記2 2019年2月19日20時50分
 首相官邸側から、事実誤認に基づく質問をする記者として事実上名指しされた望月衣塑子記者が所属する東京新聞が、19日付の社説で取り上げました。中日新聞の社説も同一です。新聞労連が2月5日に抗議声明を発してちょうど2週間です。
 一部を引用して紹介します。
 ※東京新聞・中日新聞「記者会見の質問 知る権利を守るために」=2019年2月19日
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019021902000183.html

 記者会見での記者の質問は、国民の知る権利を守るために、報道機関として当然の行為だ。権力側が、自らに都合の悪い質問をする記者を排除しようとするのなら、断じて看過することはできない。
 なぜ今、こうしたことに言及せざるを得ないのか、経緯を振り返る必要があるだろう。
 (中略)
 憲法は「表現の自由」を基本的人権の一つとして、国民の「知る権利」を保障している。
 官邸報道室は申し入れに「質問権や知る権利を制限する意図は全くない」としているが、政府に都合の悪い質問をしないよう期待しているのなら見過ごせない。
 申し入れがあっても、質問を制限されないことは、知る権利を尊重する立場からは当然だ。
 菅氏はかつて会見で安倍晋三首相の友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設を「総理の意向だ」と伝えられたとする文部科学省文書を「怪文書みたいではないか」と語ったことがある。
 その後、文書は存在することが分かった。政府が常に正しいことを明らかにするとは限らない。一般に権力は、都合の悪いことは隠すというのが歴史の教訓である。
 権力を監視し、政府が隠そうとする事実を明らかにするのは報道機関の使命だ。私たち自身、あらためて肝に銘じたい。

 書き出しで「自らに都合の悪い質問をする記者を排除しようとするのなら」と、官邸側の意図を巡って留保をつけた表現になっているのは、官邸側が「質問権や知る権利を制限する意図は全くない」と弁明しているからでしょうか。 

 琉球新報も19日付の社説で取り上げています。
 ※琉球新報「官邸の質問制限 国民の知る権利の侵害だ」=2019年2月19日
  https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-877385.html

 記者会に文書を出すまでもなく、会見の場で情報を公開し、記者が納得するまで説明を尽くせば済む話である。それが政府の当然の責務だ。記者に非があるかのような指摘は明らかに筋違いである。事実が明確でない情報について記者が質問する事例はよくあることだ。
 質問を制限するかのような文書を記者会に出した行為は望月記者を狙い撃ちにし、質問を封じる取材妨害と言われても仕方がない。実際、望月記者は「文書は私や社への制止的圧力だ」との見解を示している。
 この高圧的な政府の対応は、度重なる県の申し入れや確認を無視し、辺野古の埋め立てを強行している姿勢と重なる。辺野古新基地へのオスプレイ配備計画や大浦湾側の軟弱地盤の存在など、隠していた事実が後に判明した事例は枚挙にいとまがない。現政権は国民の知る権利に不誠実と言わざるを得ない。
 報道機関は憲法が保障する国民の知る権利の奉仕者である。記者会への官邸の申し入れはその権利を侵害する行為だ。これによって記者が萎縮し厳しい質問を控えることは断じてあってはならない。

 一方、共同通信は19日付朝刊の新聞掲載用に、この問題の経緯を振り返り、識者のコメントなども盛り込んだリポートを送信しました。全国の地方紙に掲載されているのではないかと思います。一部を引用して紹介します。

「事実でないなら、そう答えればいいだけだ」。問題に注目する作家の平野啓一郎さんは指摘する。「事実でない質問をした記者の排除が許されるなら、政府は都合の悪い問題は全て事実でないと言うだろう」
 望月記者の質問中、上村室長が数秒ごとに「簡潔に」「結論を」と遮ることにも平野さんは「陰湿で見るに堪えない。正しい態度と胸を張れるのか」と批判した。
 (中略)
 新聞労連の南彰委員長は「危機感がある。地方行政や警察の取材現場に波及しかねない。現場の記者がおかしいと声を上げることが、国民の権利を守る最大の力になるはずだ」と訴えた。
 成城大の西土彰一郎教授(メディア法)は、クラブが主催する会見の進行を官邸側が務めていることに触れ「官邸には『会見を開いてやっている』との意識が感じられるが、権力者が取材に応じるのは義務だ。メディアの分断が図られており、記者が連帯して抗議するべきだ」と指摘した。