ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

北方ジャーナル「渦中にいない人たちの意見」〜記者クラブ問題それ自体の可視化


 以前のエントリーで、北海道の地域誌「北方ジャーナル」に掲載されている記者クラブ問題の連載企画「倶楽部は踊る」に、わたしのコメントが載ったことをお知らせしましたが、同誌4月号が連載第11回として、「記者クラブ問題の渦中にいない人たち」の意見を紹介する特集「『記者クラブ、どうですか』―この人たちに訊いてみた。」を掲載しています。登場するのはいずれも北海道の5人の方。それぞれに(1)記者クラブ、いる?いらない?(2)記者会見、どうする?(3)メディアって何?―の3つを尋ねています。
 東京の政府機関関係の記者クラブをめぐっては、3月26日に首相官邸で行われた鳩山由紀夫首相の記者会見が初めて記者クラブ非加盟のメディアやフリーランス・ジャーナリストに広く開放される出来事がありましたが、省庁ごとにまだバラつきも残っています。総じて記者クラブ問題は、クラブ加盟の新聞・放送の既存メディアと非加盟の雑誌、ネットメディアやフリーランス・ジャーナリストとの対立構図が目立ちがちです。また、開放の方法論については、基本的にいずれかのメディア団体に所属するメディア企業の一員か寄稿者であることを参加資格にしています。日本新聞協会加盟のマスメディアかそれに準じるメディアの所属という従来の参加資格から広がりはしましたが、プロに限るという枠組み自体は変更がなく、NPOや個人ブロガーは排除されていることに変わりはない、との指摘もあります。
 今回の北方ジャーナル誌の企画のような視点は、記者クラブ加盟メディアと非加盟メディアの対立構図、NPOや個人ブロガーの排除など、現在記者クラブをめぐって起きていることそれ自体の可視化が意識されるという意味で「なるほど」と思う点も少なくありません。
 同誌の記事で紹介された5人は、ススキノ探偵シリーズなどハードボイルド小説を多く手がける小説家の東直己さん、北海道のネットニュース「ブレーン・ニュース・ネットワーク」報道部長の東直哉さん、民俗学者で札幌国際大教授の大月隆寛さん、将来は新聞記者志望の北海道大2年の庄井友輝さん、政治学者で北海道大大学院准教授の中島岳志さんです。ここでは、印象に残った指摘の中から3点を紹介します。

 小説家 東直己さん
(「メディアって何?」に対して)
 報道って、受け手には検証不能なんです。ウラの取りようがない。メディアというのは、まさにその「検証不能性」で商売してる、オマンマを喰ってるものなんでしょう。読者の信頼に支えられて成り立っている。
 journalって、もともとは航海日誌を意味する言葉だったんですね。航海の記録には、どこに岩礁があったとか、どこの天気は荒れていたとか、その時その船に乗っていなければ得られなかった情報が、つぶさに記されている。それは広く発表され、共有される前提で残されたんです、みんなの財産としてね。(中略)たとえ船が遭難・沈没し、船長はじめ乗組員が死んでしまっても、ジャーナルだけは何とか残そうとした。これ、霊媒の言葉と同じなんですよ。検証不能だから、日誌を信用するしかない。
 そして、その信頼というのは、読み手がつくっていくものなんですね。権力者とか裁判所とかが決めることじゃないんです。(中略)
 現在のメディアを取り巻く状況は、これからごく短いうちに激変すると思います。十年ぐらいでガラッと変わるんじゃないでしょうか。みんがケータイを持って、ネットを通じて役所や企業の“一次情報と思われるもの”に平等にアクセスできるようになる。メディアを介した間接情報・間接物語受容が、あっけなく直接報道・直接物語消費に転換してしまう。いわば、直接民主制の時代が来る。そして、その「直接民主制」は、明らかに今の「間接民主制」よりも劣悪なものになるだろう、と私は思ってます。
 今こそ、メディアはちゃんとしないといけないんですよ。私が最も好きなメディアは週刊誌なんですが、このごろの週刊誌、しっかりした調査報道をやっているとはとても思えないですよね。物事の深いところに迫る調査報道を誰も手がけなくなったら、もうそんな国に住んでいたくはないなあ、と思います。

 ネットニュース編集者 東直哉さん
(「記者クラブ、いる?いらない?」に対して)
 われわれメディアではなく読者にとっては、どうなのか。やはり「あってもなくてもいい」ということになると思います。
 読者の最大の関心は、報道内容の質にあります。記者クラブ加盟社の記者は、検察だと次席検事、警察署だと副署長が発表したニュースをベースに報じますが、その「事実」が法廷で覆される場合がありますよね。だから諸刃の剣とも言えます。私は地元の記者クラブ問題を取材し、報道したことがあります。記者室の無償提供など役所の便宜供与を明らかにしたんですが、ぜひとも取材したいネタではなかった。われわれが考えるほど読者はこの問題に関心を持っていない、と思います。
 記者クラブがなくなることで記事がよくなるなら、なくしたほうがいい。あったほうが読者の利益に適うのなら、あったほうがいい。どちらにしろ、決めるのは読者であってメディアではない、と私は思います。

 民俗学者 大月隆寛さん
(「記者会見、どうする?」に対して)
 記者会見を開放して、何かがよくなるの?あれ、政権交代と同じだと思うんだけどね。とにかく交代すりゃよくなる、って思わされてたわけじゃん。でも、代えてみたら言わんこっちゃない、自民党と全然違わないじゃん。記者会見の話、それとまったくおんなじ。開けばよくなるって、本気で思ってる?「正しいこと」やったらほんとによくなると思う?たとえば「北方ジャーナル」はああいう閉鎖性を批判してるわけ?でも自分たちが会見に参加できるようになったら、絶対そのうち記者クラブの連中とおんなじことするよ。政治家と癒着して、同業者と談合するよ。今ある「正しい」が空論だっていうのは、そういうこと。語る時、常にexcept me なんだよ。会見で飛び交っている言葉も、全部そうじゃん。取材するほうもされるほうも。
 なぜ開放が唯一無二の正義であるかのように言われるのか、まずそこがさっぱりわかんないね。ほんとに、あの政権交代と同じなんだってば。

 さて、冒頭で触れた鳩山由紀夫首相の26日の記者会見について、首相官邸記者クラブ加盟メディアの報道は分かれました。東京都内発行の新聞各紙では、ネットメディアの記者やフリーランスのジャーナリストらが初めて参加したことを記事で伝えたのは朝日、毎日、産経、東京の4紙。共同通信時事通信も伝えています。対して読売、日経両紙は報じていません。ガ島通信の藤代裕之さんが詳しいエントリーをアップしています。わたしが考えていることがほぼ含まれています。一読をお奨めします。
※ガ島通信「首相記者会見の『オープン化』を新聞各社はどう伝えたか」
 http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20100327/1269698802

 質疑応答で「質問はない」という質問者がいたことには、わたしは少なからず違和感があります。記者会見や記者クラブの開放をめぐる議論では、開放に消極的な意見の中に必ず「報道目的以外の者が紛れ込むのをどうやって防ぐのか」という懸念が含まれています。「質問はない」として自らの意思のみを表明した質問者の存在が、今後、開放に対する消極意見を勢いづかせることを危惧しています。
 ちなみに、首相記者会見の開放が決まった際に記事を掲載したのは朝日、東京の2紙だけでした。東京は共同通信の配信記事でした。繰り返し、このブログで書いてきていることですが、新聞が書かないことでも読者はネットを通じて知りうる社会になっています。マスメディアが報じないことは社会的に「なかった」ことと同じ、という時代ではなくなっています。そうした社会状況を踏まえた上でもなお、首相の記者会見開放を一行も伝えないとの判断であれば、それなりの編集方針というほかないのかもしれません。それも新聞メディアの多様性かもしれませんが、わたし個人としてはやはり疑問に感じます。
 首相の記者会見の参加資格については、首相官邸のホームページに記載されています。
首相官邸鳩山内閣総理大臣記者会見への参加について」
 http://www.kantei.go.jp/jp/notice/20100324/index.html

鳩山内閣総理大臣の記者会見については、今後、以下のいずれかに該当し、事前登録を行った方は、参加することができることといたします。

  1. (社)日本専門新聞協会会員社に所属する記者 (国会記者記章の保持者)
  2. (社)日本雑誌協会会員社に所属する記者(国会記者記章の保持者)
  3. 外務省が発行する外国記者登録証の保持者
  4. 日本インターネット報道協会法人会員社に所属する記者で、十分な活動実績・実態を有する者
  5. 上記1、2、4の企業又は(社)日本新聞協会会員社が発行する媒体に署名記事等を提供し、十分な活動実績・実態を有する者

 NPOや個人ブロガーなど非営利メディアが対象外という意味では、「開放」とは言っても参加資格に制限を設けていることに変わりはないでしょう。昨年9月に岡田外務相が自らの記者会見を開放した際に始まり、他省庁でも追随している発想です。この点についてブログ「Parsleyの『添え物は添え物らしく』」に以下のエントリーがあります。
※「記者に開放じゃ『オープン』じゃないよ!」
http://yaplog.jp/parsleymood/archive/923

 記者会見や記者クラブのありようをめぐる今後の議論の際に、留意しておきたい論点です。