「権威高める手法に警戒を」(琉球新報)~即位礼の新聞各紙 社説・論説の記録(22日付)

 「令和」の新天皇が内外に即位を宣言する「即位礼正殿の儀」が10月22日午後、国事行為として皇居・宮殿で行われました。儀式に宗教色がぬぐえないこと、玉座(高御座)の天皇よりも一段低い場所に立つ首相の発声で「天皇陛下万歳」が唱和されることなどから、日本国憲法の国民主権や政教分離の原則に反するとの批判は絶えません。この即位礼に対して、新聞各紙が22日付の社説・論説でどのように論じているか、ネットなどで可能な範囲でチェックしてみました(中日新聞・東京新聞は21日付で掲載)。いくつかのブロック紙・地方紙は、憲法との兼ね合いで疑義を示しています。
 その中でも「権威高める手法に警戒を」との見出しを取った琉球新報の社説が指摘している以下の諸点は、明治になって日本に統合された沖縄の現代史を踏まえた視点として、日本本土でも広く知られていいのではないかと感じました。
 「天皇個々の思いや行動とは別に、権威を高めることにより国民統合の仕組みとして機能する象徴天皇制の在り方を考える必要がある。権威の高まりは時の権力者に利用される危うい面もある」
 「沖縄の民意を無視して新基地建設を進める政府の圧政を埋め合わせているとの見方は説得力がある」
 「即位儀式が持つ政治的意味を、主権者である国民の目線と、天皇制から犠牲を強いられてきた沖縄の目線の、両方で冷静に捉える必要がある。象徴と言いながら過度に権威を高める手法は警戒すべきだ」

 一方、全国紙で22日付社説で取り上げたのは日経新聞と産経新聞でした。日経新聞は「政教分離の規定からも妥当なものであろう」とし、産経新聞はより強く、違憲との指摘に反論しています。

 以下に、目にとまった社説・論説の一部を引用して書きとめておきます。ネット上の各紙サイトで読めるもの(10月23日朝の段階)は、リンクも張っています。

【10月21日付】
▼中日新聞・東京新聞「即位の儀式 象徴天皇にふさわしく」
 https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019102102000092.html

 西欧の戴冠式に相当する儀式で、自らの即位を国内外に宣明する意味があるといえども、憲法と天皇の関係がきちんと捉えられないと、国民に誤解を与えかねない。その注意は必要である。
 そもそも天皇の存在は、憲法で「日本国民の総意に基づく」と根拠を示している。天照大神の天孫降臨の神勅による古い時代の天皇とは、根本的に異なる。だが、即位礼は神話に由来する玉座「高御座」から即位を宣言する形式を採る。「憲法の国民主権、政教分離の原則と両立しない」とする声も出てくるゆえんだ。
 「万歳」の光景も単なる祝福の意ばかりなのか。戦前回帰と受け止められないよう細心の気遣いを要する。来月の大嘗祭も神道形式で行われる宗教色の濃い儀式であり、政教分離原則との整合性に疑義が示されている。
 皇位継承という伝統の重さは十分に理解する。それでも天皇と神道との接近、あるいは天皇の権威を高める効果がないかも考慮すべきだ。象徴天皇制にふさわしくありたい。

【10月22日付】
▼北海道新聞「即位礼正殿の儀 象徴にふさわしい姿に」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/356896?rct=c_editorial

 一連の儀式は現憲法下で2回目となる。政府は、前回の平成の代替わりの際、憲法上の検討を十分に行ったうえで儀式が行われたとして、基本的な考えや内容を踏襲した。
 しかしながら、宗教色を拭えない儀式への公費支出や儀式の内容について、政教分離や国民主権の観点から憲法違反の疑念を指摘する声は絶えない。議論を尽くしたとは言いがたい。
 天皇の地位は主権者である国民の総意に基づく。象徴天皇にふさわしい儀式とは何か。伝統の継承とともに、現代に適した在り方を探る作業を怠ってはならない。
 (中略)
 国事行為として行うのであれば、宗教性を排除する必要がある。神話由来の剣璽等を使用するのであれば、皇室行事として行い、公費を支出しないのが筋だろう。
 高御座は、天皇陛下の立ち位置が床から高さ約1メートル。首相が、低い位置から祝いの言葉を述べるのは、国民主権に適さないとの指摘もある。
 儀式の性格に曖昧さを残すようなことは避けるべきだ。前例踏襲では国民の議論も深まらず、いずれは皇室の在り方についての関心低下にもつながりかねない。

▼福島民友新聞「きょう即位の礼/心つなぐ象徴であり続けて」
 https://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20191022-426296.php

 平成の時代は阪神・淡路大震災や東日本大震災など大きな災害が相次いだ。皇太子時代の陛下は震災と東京電力福島第1原発事故後の本県を3度訪問されている。避難所で被災者に声を掛けられたり、原発事故を受けて広野町に新設されたふたば未来学園高の生徒たちの様子を視察されたりして、災害に苦しむ人に寄り添う姿勢を大事にされてきた。
 陛下は皇太子時代に、「国民と接する機会を広く持つよう心掛けてきた。こうしたことは、今後とも自分の活動の大きな柱として大切にしていきたい」と述べられている。今後も被災地訪問などの活動に力を入れられることだろう。
 被災地の訪問は、上皇さまが天皇在位時に精力的に取り組まれてきた活動だ。皇室の活動の中でも国民の支持が高い活動の一つだろう。被災地に上皇さまをはじめとする皇族が訪れることで被災者は強く勇気づけられた。令和の時代も陛下の心配りが被災地の心の支えとなる。

▼北國新聞「外交舞台の即位礼 中韓との転機になるか」

 170カ国以上の元首や政府高官が参列する天皇陛下の「即位礼正殿の儀」は、格好の外交の場であり、安倍晋三首相は21日から25日までの5日間で、約50カ国の政府要人と会談する。会談時間は短いが、2国間の外交課題や国際問題について、日本の方針や立場を直接伝え、理解を得るよい機会である。

▼神戸新聞「即位の礼/皇室のあり方考える日に」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201910/0012809774.shtml

 古式や伝統は大切にしなければならない。ただ、政府は11月に行われる「大嘗祭(だいじょうさい)」を「公的な皇室行事」と位置づけ、国費支出を決めた。これも前回の踏襲だが、神道形式の色濃い儀式で、憲法の政教分離原則に反する疑いがぬぐえない。
 前回の「大嘗祭」では「違憲性を否定できない」とする大阪高裁の判決が確定している。安倍政権の姿勢は問題を先送りしただけといえる。
 さらに、政府は「正殿の儀」に合わせ約55万人に恩赦を実施する。罰金刑で制限された資格の「復権」が中心で、前回の250万人から絞り込んだ。
 だが、一律に罪を減じることへの国民の理解は十分とはいえず、共同通信の全国調査でも「反対」が6割を占めている。
 祝祭ムードが高まる中、十分な議論を回避して自らの考えを押し通す。そうした政府の姿勢は今回も批判を免れない。

▼山陽新聞「きょう即位の礼 新時代の象徴天皇像を」
 https://www.sanyonews.jp/article/951322?rct=shasetsu

 今回の儀式は、新憲法下で初めて執り行われた平成の代替わり時の形式を踏襲する形となる。ただ、天皇が首相ら三権の長を見下ろす形で即位を宣言する形式が、憲法が定めた国民主権に反するとの指摘もされてきた。
 来月、五穀豊穣(ほうじょう)と国の安寧を祈って行われる重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」についても、皇嗣(こうし)秋篠宮さまが以前、宮内庁に対して、宗教色が強いとして国費支出への反対意見を伝えた経緯が判明している。
 司法の場では、儀式は明治時代に制定され、今は廃止された「登極令」などを踏襲しており、国家神道の色彩が濃く憲法の政教分離規定違反の疑いを否定できない点や、国民主権の趣旨にふさわしくない点があると大阪高裁が指摘した。判決は確定済みだ。
 政府は、平成の代替わりの際に議論は尽くしたとして、是非について深入りを避けたが、疑義を解消できぬままでは将来に禍根を残す。時代に即した代替わり儀式の在り方について不断に議論を重ねていく必要があろう。

▼徳島新聞「新天皇即位礼 新たな象徴像 発信の好機」
 https://www.topics.or.jp/articles/-/273764

 儀式の準備と並行して二つの大きな出来事があった。いずれも、令和皇室の進路に影響を与えるだろう。台風19号の甚大な被害と、ラグビー日本代表の奮闘である。
 (中略)
 もう一つの出来事は、ラグビー日本代表の健闘と国民の熱い声援である。国際化時代を印象付け、令和皇室の活躍の広がりを示唆している。
 いろいろな国籍の個性豊かな選手が君が代を歌い、桜のジャージーに誇りを持ち死力を尽くした。改めて「日本人とは何か」を考えさせられる。
 急激な国際化が進み、外国人労働者の受け入れも加速している。宗教や文化、言葉の違いなど、多様性を尊重する機運は強まっていく。日本という国の輪郭が揺らぐとき、「日本国民統合の象徴」としての役割は、かえって大きくなるのではないか。
 わが国にゆかりを求める人々との絆を深め、愛される日本を築いていく。国際社会に日本をアピールし、世界平和や地球環境の維持に貢献する。それには、皇室の存在と国際感覚に富む両陛下の力が重要になる。

▼西日本新聞「即位の礼 『令和』の精神を国内外へ」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/553102/

 現行憲法で「国民統合の象徴」と規定される天皇の地位や役割と、元号「令和」に込められた恒久平和の願いを、世界に改めて伝える好機である。
 新元号「令和」は、すべて物事を行うのによい月を意味する「令月」と、対立や乱が治まる「和らぐ」にちなむ。国民一人一人も、皇室や国のありように思いを致す一日としたい。
 今回の即位礼は平成をほぼ踏襲した形で行われる。戦前と通底し、神道の色合いも濃い。他の宗教関係者や専門家には、政教分離を定めた憲法下でふさわしいのか疑問を持つ人もいるだろう。そんな声も包み込みながら、あるべき皇室の姿を考える機会にもできるはずだ。

▼琉球新報「天皇即位の儀式 権威高める手法に警戒を」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1012326.html

 沖縄は天皇の権威の犠牲になる歴史を歩んだ。琉球併合に至る過程で、明治政府は、中国皇帝が琉球国王を任命する冊封をまねて天皇も任命権があるかのように振る舞い、天皇の命令に従わない琉球を「処分」した。沖縄戦では皇民化教育の下で動員された多くの住民が犠牲になった。戦後は米国による軍事占領を望む「天皇メッセージ」が米側に伝えられ、米国統治下に置かれた。
 こうした歴史を考慮してか、上皇さまは沖縄への思いが深いといわれる。
 一方で、天皇個々の思いや行動とは別に、権威を高めることにより国民統合の仕組みとして機能する象徴天皇制の在り方を考える必要がある。権威の高まりは時の権力者に利用される危うい面もある。
 豊見山和行琉球大教授は「象徴天皇制が持っている仕組みや機能が、一面では政治的問題や軍事基地の矛盾を見えなくしてはいないか」と本紙の識者座談会で述べた。沖縄の民意を無視して新基地建設を進める政府の圧政を埋め合わせているとの見方は説得力がある。
 即位儀式が持つ政治的意味を、主権者である国民の目線と、天皇制から犠牲を強いられてきた沖縄の目線の、両方で冷静に捉える必要がある。象徴と言いながら過度に権威を高める手法は警戒すべきだ。

▼日経新聞「天皇陛下の『即位の礼』を迎えて」

 午後1時からの即位礼正殿の儀では、皇居・宮殿「松の間」に置かれた玉座「高御座(たかみくら)」で天皇陛下が即位を宣明され、その後、安倍晋三首相がお祝いの辞を述べ、万歳三唱する。
 戦前、昭和天皇の即位の礼に際し、当時の首相は一段低い庭で万歳を唱えたという。
 しかし、日本国憲法の下で初となった平成の式典では、国民主権の観点から、玉座の場所と同じ松の間に変更された。万歳の前にも「ご即位を祝して」との言葉を添え、趣旨を明確にしている。安倍首相もこれにならうようだ。
 憲法の理念から施された平成の変更点は他にもあり、今回もほぼ踏襲されるという。政教分離の規定からも妥当なものであろう。

▼産経新聞(【主張】)「即位の礼 国民と歩まれる『象徴』に 新時代を素直にお祝いしたい」/伝統と文化示す機会だ/国柄に沿う憲法解釈を
https://www.sankei.com/column/news/191022/clm1910220002-n1.html 

 平成の御代(みよ)替わりをおおむね踏襲した今回の即位の礼に対して、一部から、現憲法に反するとの指摘が出ている。もっと素直にお祝いできないものか。
 即位礼正殿の儀で、三種の神器のうち剣と璽が置かれることなどは憲法の政教分離原則に反し、高御座の陛下に首相らが万歳を唱えるのは憲法の国民主権に触れるのだという。いずれも誤った憲法解釈に基づく謬見(びゅうけん)である。
 天皇にとって、祈り、宮中の祭祀(さいし)は本質的、伝統的役割である。歴代天皇は「国安かれ、民安かれ」と祈ってこられた。儀式から神道の色彩を消せば、天皇が天皇でなくなってしまう。
 政教分離の原則は、宗教戦争に明け暮れた欧州の悲惨な歴史を踏まえ、政治権力と宗教の分離を求めるものだ。権威を帯びても権力を振るわず、宗教団体を持たれない天皇の祭祀、儀式に杓子(しゃくし)定規に当てはめては、天皇を戴(いただ)く憲法の精神に反する。
 日本の国柄の特徴は、代々の天皇と国民が共に歩み、長い歴史を紡いできた点にある。
 これを反映して憲法第1章は天皇の章となっている。天皇は、「象徴」という極めて重い位置付けの立憲君主といえる。
 「万歳」によって君主の即位をお祝いし、長寿を祈るのは北東アジアにおける常識的な儀礼であり、国民主権と矛盾すると考えるのは憲法を曲解している。
 これからも11月の大嘗祭(だいじょうさい)、来年4月の秋篠宮殿下の「立皇嗣の礼」など重要行事が続く。つつがなく挙行できるよう準備してもらいたい。