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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

続・即位礼の新聞各紙 社説・論説の記録(23日付)

 前回の記事の続きになります。少し時間がたってしまいましたが、令和の新天皇の「即位礼正殿の儀」に対して、翌10月23日付で新聞各紙が社説、論説でどのように論じたか、ネットなどで可能な限り見てみました(前回の記事は10月22日付の社説、論説でした)。儀式に宗教色がぬぐえないこと、玉座(高御座)の天皇よりも一段低い場所に立つ首相の発声で「天皇陛下万歳」が唱和されることなどに、憲法違反との批判が絶えないことに触れているかどうかに注目しました。
 全国紙では、朝日新聞、毎日新聞が、憲法違反との指摘がある以上、もっと時間を掛けて検討すべきだった、との論調です。ただ、毎日新聞は最後にひと言触れただけで、憲法違反の疑いそのものをきちんと指摘しているかと言えば、必ずしもそうではない印象を受けました。
 22日付で社説を掲載した日経新聞と産経新聞は、憲法違反に当たらないとの主張。23日付の読売新聞も間接的な表現ながら、憲法上の問題はないとの内容でした。地方紙では北國新聞が同じようなトーンでした。
 憲法違反の疑いがあることについては、信濃毎日新聞などいくつかの地方紙の指摘が丁寧で明快でした。

 以下に、確認できた23日付の社説、論説の見出しを書きとめておきます。憲法違反との指摘に触れているものは、反論も含めて一部を引用しています。また現時点でネット上で読めるものは、リンクも張っています。

【23日付】
▼朝日新聞「即位の礼 前例踏襲が残した課題」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S14228225.html?iref=editorial_backnumber

 他方で、今回の代替わりにあたっての政府の事の進め方には大きな疑問がある。開かれた議論を避け、異論には耳をふさいで、多くを「前例踏襲」で押し通そうという姿勢だ。
 正殿の儀をめぐっても、天孫降臨神話に由来する高御座(たかみくら)に陛下が立ち、国民の代表である三権の長を見おろす形をとることや、いわゆる三種の神器のうち剣と璽(じ)(勾玉〈まがたま〉)が脇に置かれることに、以前から「国民主権や政教分離原則にそぐわない」との指摘があった。
 だが政府は「前回検討済み」として、見直しを拒んだ。前回の式典のあり方に対し、大阪高裁から疑義が表明された経緯などには目を向けず、天皇の権威を高めるために明治になって作られた形式にこだわった。
 (中略)
 恩赦も実施された。要件を絞って対象者は前回の約5分の1(55万人)になったものの、司法の判断を行政が一方的に覆す措置に反対論も根強かった。まして皇室の慶弔と結びつけば、支配者が慈悲を施すかのような色彩を帯びる。犯罪被害者を守り、その思いを大事にしようという社会の要請にも反する。それでも先例が優先された。
 来月に予定されている大嘗祭(だいじょうさい)の執り行い方も同様だ。
 (中略)
 どれも国の基本である憲法にかかわる話だ。誠実さを著しく欠く対応と言わざるを得ない。
 上皇さまが退位の意向を示唆するメッセージを発したのは3年前だ。議論の時間は十分あったのに政治は怠慢・不作為を決めこんだ。華やかな式典の陰で多くの課題が積み残された。

▼毎日新聞「陛下の即位の礼 多様性尊ぶ国民の象徴に」
 https://mainichi.jp/articles/20191023/ddm/005/070/040000c

 即位の儀式をめぐっては、宗教色を伴うとして憲法の政教分離原則との整合性を問う声もある。政府が十分な議論を避け、合計わずか1時間あまりの会合で前例踏襲を決めたことには問題が残った。

▼読売新聞「即位の礼 伝統儀式の挙行を祝いたい」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20191022-OYT1T50220/

 陛下は高御座と呼ばれる壇に昇られ、「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」と誓われた。
 即位の儀式は千数百年前に始まったとされる。陛下は伝統を受け継ぎつつ、国民主権の憲法の下で、国民の幸せを希求する姿勢を改めて示されたと言えよう。
 (中略)
 今回の即位礼は、憲法で定める国事行為として、皇室典範の規定により行われたものだ。象徴天皇制を定めた憲法下では、平成に続き2度目となる。
 戦前の昭和天皇の即位礼では、当時の首相が中庭まで降りて天皇を仰ぎ見ながら万歳を発声した。これに対し、安倍首相はこの日、陛下と同じ殿上に立ち、お祝いの寿詞よごとを述べ、万歳三唱した。
 今回、憲法の国民主権との整合性を取った平成の即位礼の内容を踏襲したのは理解できる。

▼産経新聞(「主張」)「即位ご宣明 国柄を誇り『令和』築こう」
 https://www.sankei.com/column/news/191023/clm1910230002-n1.html

 皇陛下は即位を内外に宣明され、国民の幸せと世界の平和を常に願い、象徴としてのつとめを果たす、ご決意を述べられた。心強いお言葉である。即位をお祝いするとともに、そのお心を国民もしっかり受け止め、令和の歴史を刻んでいきたい。
 (中略)
 来年には、天皇陛下が名誉総裁をつとめられる東京五輪・パラリンピックを控えている。海外からの日本の歴史文化への関心もさらに高まるだろう。歴代天皇、皇室と国民が強い絆で結ばれてきた日本の国柄を国民は一層理解し、心一つに新時代の歩を進めたい。

▼河北新報「即位礼正殿の儀/令和にふさわしい皇室像を」
 https://www.kahoku.co.jp/editorial/20191023_01.html

▼東奥日報「象徴天皇制 議論高めたい/即位の礼」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/266252

▼デーリー東北(時評)
 https://www.daily-tohoku.news/archives/24788

 天皇陛下の即位をお祝いするが、儀式はこれで良いのだろうか。皇居・宮殿で挙行された「即位礼正殿の議」は1990年の平成代替わりの先例を安易に踏襲しすぎたきらいがある。神話に由来する高御座や三種の神器の剣と勾玉の使用などが、憲法の政教分離の原則や国民主権と抵触する懸念があり、今も憲法問題は解決済みではない。
 一代一度の重要儀式に皇室の伝統を生かすのは自然だ。平安絵馬さながらで美しい。しかし政府の式典委員会は突っ込んだ議論もなしに前例踏襲を決定した。末永く国民に親しまれる皇室を願うのならば、諸儀式の細目などを国会で検討し、論議を尽くすべきだ。
 特に今回は考慮すべき多くの事情がある。地震、台風など自然災害に直面している国民感情を軽視できないし、財政赤字は深刻。経費削減、儀式の簡素化は不可避だ。そのような折、いかに憲法に基づく天皇の国事行為とはいえ、180カ国余の代表ら2千人以上を招待し、さらに祝宴「饗宴の儀」に約2600人も招いたのは妥当だったのか、疑問が残る。

▼秋田魁新報「即位の礼 皇位継承議論の契機に」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20191023AK0015/

▼山形新聞「天皇陛下、即位の礼 皇位の安定継承も重要」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20191023.inc

▼岩手日報「即位の礼 国民の苦難に寄り添い」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/10/23/66712

 即位の礼は、三種の神器の安置などを巡り、憲法が定める政教分離の原則や国民主権に反するとの声もある。同時に行われた政令恩赦についても批判が出ている。
 天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基(もとづ)く」。憲法1条を読み返したい。象徴の在り方を決めるのは主権者・国民であることも、この機に改めて確認したい。

▼福島民報「【即位宣言のお言葉】思いを深く胸に刻む」
 https://www.minpo.jp/news/moredetail/2019102368838

▼茨城新聞「即位の礼 国民的議論を高めたい」
▼山梨日日新聞「【天皇陛下 即位の礼】象徴の在り方 国民的議論を」

▼信濃毎日新聞「即位の儀式 踏襲は政府の責任放棄」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20191023/KT191022ETI090004000.php

 政府の対応には問題が残った。「正殿の儀」などは前回に引き続いて国事行為として行われた。議論を深めることなく、様式もほぼ前回を踏襲している。
 儀式には、憲法に反するという指摘が根強い。まず政教分離だ。高御座は天孫降臨神話に由来する。皇室の祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)が授けたと神話で伝わる「三種の神器」の剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))も高御座に安置した。天皇に神話的な権威を与えかねない。
 明治以降、国家と結び付いた国家神道で天皇を神として崇拝し、天皇が治める国家への忠誠を国民に強いた。その結果、戦争で多くの国民の命が失われた。
 現憲法は国などに宗教的活動を禁止し、天皇の地位を「日本国民の総意に基く」と規定した。儀式は憲法の規定や精神に合わない。
 次に国民主権の問題だ。陛下は約1メートルの壇上から、安倍晋三首相を見下ろす形で、万歳三唱を受けた。主権は国民にある。位置関係は憲法にそぐわない。
 平成への代替わりでは、政府が首相の立ち位置を中庭から床上に変え、服装も衣冠束帯から、えんび服に変更し宗教色を薄めた。
 それでも大阪高裁は1995年の違憲訴訟の判決で、請求は退けたものの、政教分離規定違反との疑いを否定できないと指摘。首相の立ち位置も「憲法にふさわしくないと思われる」と言及した。
 儀式の骨格は、明治期の1909年に儀式の細目を定めた登極令(とうきょくれい)に基づく。現在に合っているのか検証するのが当然だ。

▼新潟日報「即位の礼 平和願う強い意思世界へ」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20191023502834.html

 陛下は古式装束をまとい、天孫降臨神話に由来する「高御座(たかみくら)」に上り、即位を宣言した。
 戦前の様式に倣い、現行憲法下で初めて催された平成時を踏襲した。
 これには、天皇に神話的権威を与え、高い位置から首相らを見下ろす形になるなどとして、憲法が定める国民主権や政教分離の原則に反するとの声が前回からあった。
 11月14、15日に皇居で執り行われる一世一度限りの重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」についても、宗教色が強く、国費の支出は政教分離に反するとの批判がある。
 政府は正殿の儀に合わせて政令恩赦「復権令」を公布、即日実施したが、世論調査で反対が60・2%に上るなど国民の理解は得られていない。
 政府は同じやり方に固執するのではなく、時代の変化や国民感情を見据えながら、必要があれば見直すことをためらうべきではない。

▼北國新聞「即位礼正殿の儀 国民の幸せ願う心伝わった」

 正殿の儀で陛下は神話に由来する玉座「高御座(たかみくら)」に上って即位を宣言した。神話的な権威を印象付け、国民の代表である首相を見下ろす形式に対しては、憲法が定める政教分離や国民主権に反するという批判も出る。しかし、国民に寄り添うと語った陛下の真摯な姿勢は、多くの国民から温かく受け入れられたのではないか。
 即位の重要な儀式で古式装束の「黄櫨染袍(こうろぜんのほう)」をまとった陛下の姿からは、新しい時代の皇室のあり方を探りながら、綿々と受け継がれた伝統を大切にする思いも伝わってきた。

▼福井新聞「即位の礼 新たな象徴像へ一歩一歩」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/958864

 一方で、儀式の在り方など課題も残った。代替わりに際して時間があったのにもかかわらず、準備委員会は3回、計1時間余の会合で「前例」踏襲を決めた。このため、政教分離など憲法に触れかねない要素も踏襲された格好だ。

▼京都新聞「即位の儀式 課題残した議論なき踏襲」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/49061

 一方で、天孫降臨神話に由来する玉座から国民を見下ろす形となる儀式のあり方には、憲法に定めた国民主権や象徴天皇制と矛盾するとの指摘も根強い。
 即位礼正殿の儀は、国内外の賓客を招いての「饗宴(きょうえん)の儀」や延期されたパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」とともに憲法上の国事行為とされ、国費が充てられた。
 皇室儀式は宗教的性格を持ったものも多く、政教分離との関係がしばしば問題となる。
 上皇さまの事実上の退位表明から陛下の即位まで、十分な時間があった。憲法の趣旨と儀式のあり方について、国民的な議論が必要だったのではないか。
 しかし政府は、平成の代替わり時の前例を踏襲する方針を早々に決めてしまった。さまざまな意見が出ないうちに、異論を封じ込めたようにもみえる。
 (中略)
 儀式に関する本質的な問題を無視するのは、こうした議論が皇室のあり方への問いかけにつながり、安倍晋三政権が否定的な女性宮家創設や女系天皇実現などの論争に発展するのを避けるためではないのか。
 政府がこんな姿勢では、安定的な皇位継承の議論にも入れない。憲法が定める象徴天皇制の将来を危うくしかねない。

▼中国新聞「即位の礼 象徴天皇、探り続けねば」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=581779&comment_sub_id=0&category_id=142

 一連の行事は、政府の意向で約30年前の平成の代替わりをほぼ踏襲した。古式や伝統にのっとれば妥当かもしれない。とはいえ、時代は移り変わり、国民の意識も変化している。柔軟な発想がもっと必要ではないか。
 憲法1条は、天皇を「日本国民統合の象徴」と位置づける。その在り方を私たちも問い続けなければならない。
 (中略)
 高御座から見下ろす形で即位を宣言し、首相の発声に続いて参列者が万歳三唱した。国民に寄り添う象徴天皇の姿とは隔たりがある。万歳は祝意を表しただけにすぎないとしても、戦前回帰と受け止められないように丁寧な説明が必要だ。
 三種の神器のうち剣と勾玉(まがたま)をそばに置くスタイルも含め、政教分離に反するとの指摘も専門家から絶えない。本番まで準備期間は十分あったのだから、時代に即した儀式のありようをもっと議論できたはずだ。
 費用総額は前回より3割増の163億円に上る見通しだ。人件費や資材価格が高くなっているとはいえ、国の財政状況を考えれば議論の余地がある。

▼山陰中央新報「即位の礼/国民的議論を高めたい」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1571797688555/index.html

▼愛媛新聞「即位の儀式 象徴にふさわしい姿深く議論を」

 即位礼では陛下が玉座「高御座(たかみくら)」から宣言し、三種の神器のうち剣と璽(じ)が使われた。前回の時も、これら調度品は宗教色が濃いとして、憲法が定める国民主権や政教分離の原則に反するとの異論があったが、政府は早々に前例踏襲を決めた。
 高御座は古事記や日本書紀の天孫降臨神話に由来し、剣と璽は天皇に神話的権威を与えるとの指摘がある。政府には退位特例法が2年前に成立した後も、こうした課題を検討する時間があった。議論らしい議論をしなかったのは政治の怠慢と言われても仕方がない。
 来月には一世一度限りの重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」が皇居である。神道形式で執り行われるため、政教分離の原則に反するとして国費の支出に反対する訴訟も起きている。秋篠宮さまも昨年秋の会見で、国費ではなく天皇家のお手元金で賄うべきだとの思いを明かされたが、国に見直しの動きはうかがえなかった。
 天皇の地位は「国民の総意に基づく」と憲法に定められている。一人でも多くの国民が、わだかまりなく祝える儀式を目指すことが肝要だ。国民の象徴にふさわしい様式はどうあるべきか。将来の代替わりも見据え、国会で議論を続けていかなければならない。

▼大分合同新聞「即位の礼 皇室の在り方に国民的議論を」

▼宮崎日日新聞「即位礼正殿の儀 安定継承に国民的議論必要」
 http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_41669.html

▼佐賀新聞「即位の礼 国民的議論を高めたい」 ※共同通信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/444689

▼熊本日日新聞「即位の礼 象徴天皇の新たな起点に」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/1231727/

 一方で「正殿の儀」など代替わりの行事の多くは前例踏襲となった。伝統重視とされているが、その内容の多くは天皇が神格化された明治期に形づくられた。政教分離など戦後憲法との整合性の問題は、今回もくすぶったままだ。
 特に今回の前例踏襲で多くの国民が違和感を抱いたのが、「正殿の儀」に合わせ実施された恩赦だろう。共同通信社が今月5、6日に行った世論調査では、賛成の24・8%に対し、反対は60・2%にも及んだ。
 三権分立の枠を政府が政令で一方的に外す恩赦に、国民の反対を押し切ってまで実施する意味はあるのか。これも明治憲法下で天皇の大権によると規定されていた行為を引き継いだものである。時代に即した方法を検討すべきだ。

▼南日本新聞「[即位の礼] 皇室の姿 考える契機に」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=111645

▼沖縄タイムス「[即位の礼]新たな時代の象徴像を」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/487946 

 新憲法下で2度目の即位の儀式だ。陛下は、天孫降臨伝説を模したとされる玉座「高御座(たかみくら)」に上り、神話に由来する「三種の神器」のうち、剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))が用いられた。内閣の助言と承認が必要な国事行為にもかかわらず、神道の宗教色が強く、憲法が定める政教分離に反するという批判が根強い。
 政教分離は、戦前の国家神道が軍国主義の精神的基盤になったことへの反省が背景にある。伝統儀式であっても、憲法との整合性が問われるのは当然だ。
 高御座に上った陛下を前に安倍晋三首相がお祝いの言葉を述べた。首相ら三権の長が見上げる形は国民主権の観点から疑問視されている。
 政府は前回の様式を踏襲するだけで、現憲法の象徴天皇に見合う儀式のあり方についての検証と議論を尽くしたといえない。
 11月に予定されている「大嘗祭(だいじょうさい)」は新天皇が即位した年の収穫物を神々に供え、自ら祈る儀式だ。神道色が強く、国事行為ではなく、皇室行為とされている。宮廷費が充てられるが、国費であることには変わりはない。
 前回の大嘗祭について、1995年、大阪高裁は「儀式への国庫支出は政教分離規定に違反するのではないかとの疑いは否定できない」という判決を出している。
 皇嗣(こうし)秋篠宮さまも「宗教色が強い。それを国費で賄うことが適当かどうか」と発言した。憲法上の疑義が生じないあり方を求めたい。

 

 10月23日付の東京発行新聞6紙の朝刊は、いずれも即位礼正殿の儀が1面トップでした。

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