安倍晋三首相が8月28日、辞任することを記者会見で表明しました。持病の潰瘍性大腸炎が再発したこと、政治判断を誤ることがあってはならないと考えたことが理由だと説明しました。職務を続けることも考えたとのことですが、賢明な結論だと思います。病気のことはお気の毒に思います。治療に努めていただきたいと思います。
史上最長の政権の幕切れとあって、東京発行の新聞各紙は29日付の朝刊で各紙とも1面、総合面、政治、経済、国際、社会各面それぞれで大きく扱いました。社説のほか、政治部長や編集幹部の署名評論も載せました。約7年8カ月にわたる第2次安倍政権の功罪は今後、多方面から様々に検証がなされることと思いますが、29日付朝刊での各紙社説や政治部長らの評価は、業績を積極的、肯定的にとらえ、その方針の継続を求める論調と、強硬姿勢が目立った政治手法をあらためて批判し、転換を求める論調、業績の是と非を峻別しようとした論調とに分かれたように感じます。例えば社説の見出し一つでも、産経新聞の社説(「主張」)の「『安倍政治』を発射台にせよ」は、安倍政治の継承を打ち出していますし、朝日新聞の「『安倍政治』の弊害 清算の時」はこれと対照的です。毎日新聞、東京新聞も、政権の功罪で言えば「罪」の指摘に比重があるように感じます。一方で読売新聞は、外交や安全保障などの政策については積極評価ながら、新型コロナウイルス対策については厳しい評価です。これまで安倍政権に対して、読売新聞は産経新聞とともに政権支持を鮮明にすることが多く、朝日、毎日、東京の3紙との対比で、在京各紙の2極化がしばしばみられました。マスメディアの論調が2極化したということ自体、安倍政権下での日本社会の特徴の一つでしたが、29日付朝刊では、読売と産経の論調に少し温度差を感じました。
特定秘密保護法や安保法制、共謀罪など、世論を二分するテーマで、安倍政権は国会の議席数を背景に強硬姿勢を取り、強引に可決させてきました。肯定的に評価するなら「決められる政治」であり、「政治の安定」を誇ったということなのだろうと思います。しかし、そのことが社会に根深い「分断」をもたらしたのも確かだと思います。安倍政権を支持する意見、批判する意見の双方とも相手を攻撃し、多分に感情を交えて批判する様は、例えばSNS上では珍しくもない光景になっています。そこに対話は成立しにくくなっています。
異なった意見同士が交わることが困難になっている、その原因が安倍政権の政治姿勢と手法にあることを如実に示した情景として、わたしが思い出すのは、安倍首相の「こんな人たち」発言です。2017年7月2日投開票の東京都議選で、選挙運動最終日の同1日、安倍首相は東京・秋葉原で街頭演説を行いました。聴衆の一角から「帰れ」「辞めろ」のコールが起きました。安倍首相がその人たちの方を指さしながら「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」と言い放ったエピソードです。一国の首相であれば、例え自分を支持していない、批判している人であっても、自国の住民、市民であれば守る責任があるはずです。しかし、そういう人たちを明確に敵視する発言でした。これでは社会の分断は埋めようがありません。
辞任表明の記者会見で安倍首相は、冒頭発言の最後を「国民の皆様、8年近くにわたりまして、本当にありがとうございました」との言葉で結びました。この「国民」の中に、かつて「こんな人たち」と言い放った人たち、あるいは国会前で「アベ政治を許さない」のプラカードを掲げた人たちが含まれているのか、尋ねてみたいと思いました。
※参考過去記事
https://news-worker.hatenablog.com/entry/2017/07/04/085919
在京各紙の29日付の紙面に戻ると、社説や評論で安倍政治を評価するにしても批判するにしても、アベノミクス、外交、拉致問題、共謀罪、安保法制、モリカケ・桜を見る会などには各紙それぞれに触れながら、しかし、米軍基地をめぐる沖縄の辺野古沖の埋め立て強行には言及がありませんでした。
このブログでは何度も触れていることですが、ほかの地域では考えにくいことが、沖縄では在日米軍を巡って起きています。地元の民意を押し切って、警察力まで行使して国策が強行されています。軟弱地盤の存在という不都合な事実を覆い隠しようもなくなってもなお、です。沖縄以外、こんなことは他の地域では考えられないという意味で「差別」との批判は免れないと思いますし、これこそ安倍政権の功罪の「罪」の最たるものとわたしは考えています。安倍首相の辞任表明のタイミングで、この「罪」が在京紙の政治報道でほとんど取り上げられなかったことを極めて残念に思います。
安倍政権の「功」として、トランプ米大統領と安倍首相の信頼関係に基づく日米同盟の安定と強化を挙げる意見があります。その裏返しにあるのが辺野古の問題です。安倍政治の検証というこの機会に、あらためて日本本土に住む日本国の主権者がわが事としてとらえるべき問題です。そのために本土のマスメディアが何を伝えるのかは、大きな課題の一つだと思います。
以下は、29日付朝刊の東京発行各紙の1面の主な記事の見出しと、社説、政治部長らの署名評論の見出しです。これだけでも各紙ごとの論調の違いがうかがえるのではないかと思います。
【朝日新聞】
1面トップ「安倍首相 辞任表明/『持病再発、負託に応えられない』/新首相 来月に選出」
1面「1強政治の『負の遺産』教訓に」栗原健太郎・政治部長
社説「最長政権 突然の幕へ 『安倍政治』の弊害 清算の時」/行き詰まりは明らか/安定基盤を生かせず/『分断』『忖度』克服を
【毎日新聞】
1面トップ「安倍首相 辞任表明/今月上旬 持病再発/『国民におわび』」
1面「総裁選 党員投票せず/自民 岸田・石破ら4氏意欲」
1面「次に進む道 探る時」小松浩・主筆
社説「安倍首相が辞任表明 行き詰った末の幕引き」/迷走続いたコロナ対応/難局乗り切る体制急務
【読売新聞】
1面トップ「安倍首相辞任表明/コロナ下 持病悪化/後任 菅・岸田・石破氏の名/最長政権7年8カ月」
1面「感染拡大 対応苦しむ」
1面「国論二分の課題 挑んだ」「『断固さ』薄れ 求心力低下」(2面)橋本五郎・特別編集委員(「総括 安倍政権」)
社説「首相退陣表明 危機対処へ政治空白を避けよ/政策遂行に強力な体制が要る」/長期政権の功績大きい/総裁選で活発な論争を/感染症対策の実行急務
【日経新聞】
1面トップ「安倍首相 辞任/持病再発で職務困難/『政治判断 誤れない』/来月中旬までに総裁選」
1面「政策遂行 切れ目なく」吉野直也・政治部長
社説「コロナ禍に政治空白は許されない」/円滑な政権移行を/業績は『政治の安定』
【産経新聞】
1面トップ「安倍首相 辞任表明/持病悪化 7年8カ月で幕/後任候補 菅・石破・岸田氏ら/『コロナめど』『拉致未解決 痛恨』」
1面「総裁選 来月15日軸/党員投票せず簡素化 検討」
1面「国難に立ち向かう体制づくり急務」佐々木美恵・政治部長
社説(「主張」)「首相の退陣表明 速やかに自民党総裁選を/『安倍政治』を発射台にせよ」/多くの仕事成し遂げた/憲法改正は実現できず
【東京新聞】
1面トップ「安倍首相 退陣」/「一強と分断の7年8カ月」「潰瘍性大腸炎 再発/『国民の負託 応えられず』/後任決定まで職務」
1面・高山晶一・政治部長
社説「首相退陣表明 『安倍政治』の転換こそ」/任期途中2度目の辞任/憲法軽視の「一強政権」/速やかに国民の信問え
もう一つ、新聞各紙の報道を巡って考えることがあります。
安倍首相の健康問題は8月17日、首相が慶応大病院に行ったことで社会の大きな関心事になりました。第1次政権では、持病を理由にした突然の退陣は「放り投げ」とも批判されていたので、当然のことだと思います。新聞の政治取材にとっても、第1次政権のことを教訓にすれば、取材テーマとして首相の健康状態の優先順位は決して低くないはずです。
しかし、その後の10日間ほど、新聞は独自取材に基づく情報を社会に発信することはほとんどありませんでした。週刊誌が首相の病状に迫る情報を発信しても、新聞はそれらの週刊誌報道への政界の反応程度しか報じていませんでした。この間、新聞以外にもこうした週刊誌の情報に接していた人たちから見れば、首相の辞任表明は十分に予想されることだったのではないかと思いますし、新聞が「突然退場」「急な決断」といったトーンを強調していることにも、違和感をぬぐえない読者は少なくないのでは、と思います。
結果論であるとしても、「首相の病状」という事実に迫った雑誌メディアに新聞メディアは遅れを取りました。伝統的に新聞の世界では、新聞と雑誌は異なった場所で勝負している、との意識があります。言葉を変えれば、新聞と雑誌は役割が違う、ということかもしれません。新聞は新聞同士の間で「抜いた抜かれた」の取材競争に明け暮れてきました。これは政治取材に限らず、かつてわたしが身を置いた事件取材でもそうです。だから、「首相の病状」を新聞が発信できなかったことにも、新聞側にはさして問題だととらえる意識はないかもしれません。まして「病気」は個人のプライバシーそのものです。雑誌のように軽々には扱えない、という意識もあるかもしれません。
ただこの10日ほどの間、安倍首相の病状が社会の最大の関心の一つであったことは間違いありません。その関心に応えたのは雑誌メディアだったことも間違いありません。新聞が読まれなくなったと言われて久しいのですが、加えて、知りたい情報がそこにはない、と受け止められるとしたら、極めて残念です。
新聞は組織ジャーナリズムのメディアです。そして、紙の新聞がやがてはデジタル中心の情報発信に移行するとしても、組織ジャーナリズムの役割は変わるところがないはずです。デジタル空間での情報発信に、もはや新聞同士の「勝った、負けた」は意味のないことです。新聞が培ってきた組織ジャーナリズムの良い面をどう残し、さらに発展させていくのか。そんなことも考えています。