ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

沖縄県知事、翁長雄志氏の訃報

 沖縄県知事の翁長雄志氏の訃報に接しました。膵臓がんで闘病中のところ8月8日午後6時34分、入院先の病院で永眠されたとのことです。享年67歳。つつしんで哀悼の意を表します。
 いろいろな思いがあります。
 翁長氏は確固とした世界観と歴史観を備えた政治家でした。おびただしい住民が犠牲になった沖縄戦、それに続いて米国の統治下に置かれた戦後の苦難の日々はもちろんのこと、明治期の琉球処分、さらには薩摩・島津の侵攻にさかのぼるまで、沖縄には沖縄固有の歴史があります。そうした歴史を踏まえた、翁長氏の重厚な数々の言葉から、沖縄の基地集中の問題が、沖縄の人たちの自己決定権の問題であることにあらためて気付かされました。
 翁長氏が公約に掲げた辺野古への新基地建設への反対は、沖縄の民意の所在は明らかなのに、それでも日本政府が建設を強行するような事態に対して、同じようなことが日本の中で沖縄以外にはないことを問うものだったと思います。翁長氏が問い続けていたのはまさに沖縄の人々の自己決定権でした。問い続けていた先は沖縄への基地集中政策を変えようとしない日本政府だけではなく、そうした日本政府のままでよしとする沖縄県外、日本本土の日本国民だったのだとも思います。
 翁長氏の訃報に接して、日本本土に住む日本国民の一人として、わたしの気持ちの中にあるのは、うまく形容のできないざらざらとした感情です。強いて言えば、うしろめたさに近いでしょうか。翁長氏が時々に発した言葉は、このブログでも書きとめてきました。それらを今、読み返してみながら、何も変わらない日本本土の一員である自分自身に対する嫌気、ふがいなさといった感情も胸の中に去来しています。これらの感情、気持ちを忘れることのないよう、自らを戒め、律していきたいと思います。

 

【追記】2018年8月10日
 翁長氏の死去翌日の9日付で沖縄タイムス、琉球新報が掲載した社説や、東京発行の新聞6紙の扱いをまとめアップしました。 

news-worker.hatenablog.com

広島県知事「お隣ご一家を家ごと吹き飛ばす爆弾」の例え

 広島市で8月6日に開かれた原爆の日の平和祈念式典で、広島県の湯崎英彦知事があいさつの中で核抑止論を批判しました。「簡単に子供に説明するとすれば,このようなものではないでしょうか」と前置きして指摘した核抑止論の本質が、例えとして、まさに子どもに説明するのにちょうどよく、分かりやすいと感じます。当該部分を中心に引用して紹介します。 

 「いいかい,うちとお隣さんは仲が悪いけど,もし何かあれば,お隣のご一家全員を家ごと吹き飛ばす爆弾が仕掛けてあって,そのボタンはいつでも押せるようになってるし,お隣さんもうちを吹き飛ばす爆弾を仕掛けてある。一家全滅はお互い,いやだろ。だからお隣さんはうちに手を出すことはしないし,うちもお隣に失礼はしない。決して大喧嘩にはならないんだ。爆弾は多分誤作動しないし,誤ってボタンを押すこともないと思う。だからお前は安心して暮らしていればいいんだよ。」
 一体どれだけの大人が本気で子供たちにこのような説明をできるというのでしょうか。
 良き大人がするべきは,お隣が確実に吹き飛ぶよう爆弾に工夫をこらすことではなく,爆弾はなくてもお隣と大喧嘩しないようにするにはどうすればよいか考え,それを実行することではないでしょうか。
 私たちは,二度も実際に一家を吹き飛ばされ,そして今なおそのために傷ついた多くの人々を抱える唯一の国民として,核抑止のくびきを乗り越え,新たな安全保障の在り方を構築するため,世界の叡智を集めていくべきです。 

 あいさつの全文は広島県のサイトで読むことができます。
 ※「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式における知事あいさつについて」=2018年8月6日
 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/52/30heiwakinensikitentijiaisatu.html

 湯崎氏は通産官僚出身で3期目。知事1期目だった2010年10月、第3子誕生後に、都道府県知事として初めて「育児休暇」を取って話題になりました。ウイキペディアの記載によると、同年11月29日の定例記者会見で、10月26日から11月25日までの1カ月の間に取得した育児休暇は、計12日間でのべ約20時間だったと公表。育児の重要性をPRするうえで効果があったと自己評価したとのことです。
 ※ウイキペディア「湯崎英彦」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E5%B4%8E%E8%8B%B1%E5%BD%A6

 東京発行の新聞各紙の7日付朝刊には、湯崎氏のあいさつに触れた記事やあいさつ全文、要旨などは見当たりませんでした。広島原爆の日のマスメディアの報道は、ある種、パターン化したところがあり、報道の柱になる記事の「本記」では、まず広島市長の平和宣言、次に内閣総理大臣のあいさつの紹介が中心です。この二つは全文や要旨を掲載するのがおおむねどの新聞も共通しています。小学生が読み上げる「平和への誓い」を全文掲載する新聞もありましたが、限られた紙幅に、広島県知事のあいさつまで即日載せるスペースはありません。ただ、ことしの湯崎氏のあいさつは、後日でもいいので記事化して伝えるだけの価値があると思います。 

杉田水脈議員の考え方「問題ある」83%(JNN調査)、自民の対応「問題ある」61%(朝日調査)

 どこかマスメディアが世論調査で聞かないのかと思っていたら、TBS系列のJNNが8月4、5日に実施した調査で質問しました。自民党の杉田水脈衆院議員のLGBT差別寄稿とそれに対する自民党の対応についてです。質問と回答は以下の通りです。

▼自民党の杉田水脈衆院議員が、レズビアンやゲイなど性的少数者=LGBTについて「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がない」などと月刊誌に寄稿し行政支援に疑問を呈しました。
 あなたは杉田氏の考えについてどう思いますか。一つだけ選んでください。
 非常に問題がある 52%
 ある程度問題がある 31%
 あまり問題はない 9%
 まったく問題ない 9%
 (答えない・わからない) 5%

▼自民党の二階幹事長は杉田議員の寄稿について、「いろいろな考え方の人がいる」などと述べるにとどめ、静観する姿勢です。
 あなたは二階氏の姿勢に納得できますか、できませんか。
 納得できる 25%
 納得できない 63%
 (答えない・わからない) 12%

 杉田議員の「考え方」に対しては、「問題がある」が「非常に」「ある程度」を合わせて83%と、「問題はない」の計18%を圧倒しました。杉田議員の寄稿を問題視しない自民党の二階幹事長の姿勢についても、「納得できない」63%が「納得できる」25%を大幅に上回っています。
 かねてこのブログで指摘している通り、杉田議員の主張もさることながら、杉田議員を比例代表で擁立しながら、今回の差別寄稿を「指導した」で済ませている自民党の措置も公党としては問題が多いと思うのですが、JNNの調査ではこの点には触れていません。後続の調査に期待したいと思います。
 安倍晋三内閣の支持率は43・8%で前月の調査より0・7ポイント増、不支持率は54・0%で前月比1・8ポイント減でした。
 8月3~5日にNHKが実施した世論調査の結果も報じられています。内閣支持率、不支持率はともに41%。支持率は前月比で3ポイント減、不支持率は2ポイント増です。

 以下は参考過去記事です。

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com

※追記 2018年8月7日8時40分
 朝日新聞が8月4、5日に実施した世論調査の結果も報じられています。杉田水脈議員のLGBT差別寄稿に関しては以下の質問と回答状況でした。

◆自民党の杉田水脈衆議院議員が、男性同士や女性同士のカップルについて、「子どもを作らない、つまり生産性がない」と雑誌に書きました。これに対し、自民党は、最初は静観していましたが、性的少数者への差別だとの批判が高まり、あとになって、今後十分に注意するよう杉田議員を指導したと公表しました。あなたは、自民党の一連の対応は問題があると思いますか。問題はないと思いますか。
 問題がある 61%
 問題はない 26%
 その他・答えない 13%

 朝日の記事によると、自民支持層でも「問題がある」が47%で、「問題はない」38%を上回り、男女別では、男性が「問題がある」59%、「問題はない」30%、女性は「問題がある」62%、「問題はない」22%。年代別では、60代が「問題がある」が72%と高く、年代を問わず、「問題がある」が半数以上だったとのことです。
 内閣支持率は前月と同じ38%、不支持率は41%で前月比2ポイント減でした。

被爆者の願い「核廃絶」と被爆国の役割~広島原爆投下から73年、新聞各紙の社説

 広島に原爆が投下されてから今年8月6日で73年。6日付の新聞各紙朝刊には関連の社説が並びました。手元の紙面、およびネット上のサイトで読める範囲でチェックしてみました。
 東京発行の全国紙では、朝日新聞、毎日新聞は「核廃絶」を課題として掲げ、国連で採択された核兵器禁止条約に参加しない日本政府に批判的です。日経新聞も「核不拡散や核軍縮で日本は特別な役割がある」と指摘しました。
 読売新聞は「核廃絶」を「究極の理想」としつつも、北朝鮮の核開発を挙げて「日本に対する核の脅威が続く間、米国の抑止力に頼る現実を受け入れざるを得ない」としています。
 産経新聞は北朝鮮の脅威を強調し、「核の惨禍に見舞われないよう、日本はあらゆる手立てを尽くさなくてはならない。地上配備型迎撃システム『イージス・アショア』の導入を進めつつ、敵基地攻撃能力を持つ議論も前進させたい」と、他紙にはない論調が目を引きます。
 地方紙、ブロック紙の社説では、昨年の国連での核兵器禁止条約の策定や、条約策定の原動力になった国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のノーベル平和賞受賞など、核廃絶へ向けた大きな動きがあることを強調し、日本は唯一の被爆国として大きな役割を果たすよう求めている点がおおむね共通しています。被爆者の核廃絶の願いを実現させるよう訴えるとともに、被爆者の高齢化と減少が進む中で、被爆体験の継承の必要性も強調しています。

 以下に全国紙5紙(朝日、毎日、読売、日経、産経)の社説の一部を引用して書きとめておきます。いずれも8月6日付です。

▼朝日新聞「原爆投下から73年 核廃絶へ市民の連帯を」危うい不拡散体制/意義深い核禁条約/被爆者の思い継承を
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13623681.html?ref=editorial_backnumber 

  「米国全域が射程圏にあり、核のボタンが机の上にある」「私の方がずっと強力だ。こちらのボタンは確実に作動する」
 背筋の凍る応酬だった。北朝鮮と米国の対立とともに迎えた2018年は、核時代の危うさを世界に知らしめた。
 両国の首脳はその後、握手の初対面を演じたが、非核化への具体的な進展はまだみえない。不確実さを増す国際政治に核のボタンが預けられている現実をどうすればいいのか。
 広島に原爆が投下されて、きょうで73年になる。筆舌に尽くしがたい惨禍を繰り返してならぬと誓った被爆者らの願いは、まだ約束されないままだ。
 オバマ大統領が広島を訪れたのは、つい2年前。その米国の政権交代で、核の廃絶をめざす風景は一変したかのようだ。
 ただ、希望の光もある。昨年からの核兵器禁止条約の動きである。古い国家の論理に対抗して、国境を超えた人間の力を束ねて変化をめざす潮流だ。
 「人道」という人類共通の価値観を信じて行動する市民のネットワークが、今年も世界と日本で根を張り続ける。その発想と連帯をもっと育てたい。
 核をめぐる風景を変える道はそこに開けるのではないか。 

▼毎日新聞「きょう広島『原爆の日』 『核廃絶』受け継ぐ教育を」
 https://mainichi.jp/articles/20180806/ddm/005/070/063000c 

  被爆者の声がか細くなるにつれ、それをしっかりと受け継ぐ教育がますます重要になっている。
 被爆地は平和教育への取り組みに熱心だ。広島市は小学校から高校まで12年間のプログラムで、発達段階に応じた平和の学びを実践する。長崎市は今年、小中学生が被爆者らから証言を聞くだけでなく対話を重視する授業を始めた。
 平和を学ぶ大切さは日本のすべての子供にとっても同じだ。被爆地に立ち、被爆者の証言に耳を傾けることで、戦争がどういうものかを感覚的に知ることができる。
 しかし、広島市によると、昨年に広島を訪れた修学旅行生は32万人で、ピークだった1980年代半ばの6割弱まで落ち込んでいる。
 被爆地での体験を一過性にしないことも大事だ。戦争は死傷者だけでなく都市や自然の破壊、多くの難民や社会の貧困をもたらす。戦争を防ぐにはどうすればいいかという議論をクラスで交わすこともできよう。
 世界に核兵器の恐ろしさを知ってもらうことは政府の責任だ。しかし、安倍政権は「核の傘」を提供する米国の意向に沿って昨年、国連で採択された核兵器禁止条約に背を向けた。その後も核保有国と非保有国の橋渡し役となると言いつつ、具体的な成果は一向に見えてこない。
 昨年、核兵器禁止条約採択に貢献した国際NGOがノーベル平和賞を受賞した。核廃絶への姿勢が後退したという疑念を拭い去ることができなければ、唯一の被爆国というテコを日本は失うことになる。 

▼読売新聞「原爆忌 核戦争のリスク減らす戦略を」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20180805-OYT1T50072.html 

 今年6月の米朝首脳会談で、金正恩朝鮮労働党委員長は非核化への決意を示し、米朝の軍事衝突の危機は遠のいた。
 だが、核放棄の道筋が付いたわけではない。北朝鮮を核拡散防止条約(NPT)に復帰させ、完全な非核化まで圧力をかけ続けることが不可欠である。
 トランプ米政権が戦略的かつ粘り強く対北交渉を進められるよう、日本政府は韓国と連携し、全力で支援しなければならない。中国、ロシアに制裁を解除しないよう説得することも重要だ。
 NPTで核保有を認められた米露英仏中に続き、1990年代にインドやパキスタンが核武装した。イスラエルは核を保持したとされる。北朝鮮も、国連安全保障理事会の決議を再三、無視して核開発を進めてきた。
 核廃絶という究極の理想を目指すには、北朝鮮の核放棄をその第一歩とすべきである。米国をはじめとする各国、国際機関の決意と能力が試されている。
 日本に対する核の脅威が続く間、米国の抑止力に頼る現実を受け入れざるを得ない。
 昨年7月に採択された核兵器禁止条約は核兵器の生産、保有、使用を禁じる内容だ。核保有国はもとより、日本なども参加していない。世界の厳しい安全保障環境は条約の目指す姿と相いれない。批准が進まないのは当然だろう。
 核軍縮を目指す立場から、日本は核保有国と非保有国の橋渡し役を担うことが求められる。 

▼日経新聞「被爆国として核の恐ろしさ伝え続けたい」
 https://www.nikkei.com/article/DGXKZO33829570V00C18A8PE8000/ 

 2度の原爆でその年のうちに21万人が亡くなった。今なお後遺症に苦しむ被爆者もいる。知られていないと嘆くよりも、教えたり、伝えたりする場を増やすべきである。戦争が繰り返された近現代史の「考える歴史教育」は重要だ。
 日本は唯一の戦争被爆国でありながら、安全保障で米国の「核の傘」に頼っている。政府は国連の核兵器禁止条約にも消極的だ。東西冷戦構造の下ではすませてこられた曖昧な立ち位置が、国際秩序の変化で浮き彫りになってきた。
 核不拡散や核軍縮で日本は特別な役割がある。「核の傘」やアジアへの戦争責任の議論とは切り離し、核の恐ろしさについて国内外で発信を強めていくのが大事だ。
 原爆投下後の広島を舞台にした「父と暮せば」(井上ひさしさん作)の一節がある。
 「だから被害者意識からではなく、世界54億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、『知らないふり』をすることは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである」。日本が果たしていくべき使命を、鎮魂の日にあらためて考えたい。 

▼産経新聞「原爆の日 平和守る現実的な議論を」
 http://www.sankei.com/column/news/180806/clm1808060002-n1.html 

 核兵器廃絶の願いは誰も否定しない。しかし、日本を核兵器で現実に脅かしているものは何か。目をそらしてはならない。
 北朝鮮の融和姿勢にごまかされてはいけない。米朝首脳会談後も大陸間弾道ミサイルを製造している兆候が米国で報じられた。ポンペオ米国務長官は北朝鮮が核分裂性物質の生産を続けていることを認めた。
 日本に対する脅威は去っていない。それにどう備えるかを考えるべきである。
 核兵器の使用を踏みとどまらせるのは、核抑止力である。米国やその核の傘の下にある日本が核兵器禁止条約に入っていないのは、妥当な選択といえる。
 核の惨禍に見舞われないよう、日本はあらゆる手立てを尽くさなくてはならない。地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の導入を進めつつ、敵基地攻撃能力を持つ議論も前進させたい。
 日本では、唯一の戦争被爆国という歴史から、核抑止に関する議論をタブー視する風潮が長く続いてきた。「反核平和」の名の下に、左翼政治色の強い運動が繰り広げられてきた。
 だが、思考停止や政治運動は国民の安全をもたらさない。
 犠牲者に示すべきは、日本を子々孫々にまで守り伝える決意と行動であろう。 

 以下は地方紙、ブロック紙の社説です。見出しのほか、一部は本文を引用して書きとめておきます。

【8月6日付】
▼北海道新聞「原爆投下から73年 『核禁止』の重み再認識を」米の危ういディール/見えない日本の行動/全世界を枠組み内に
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/215830?rct=c_editorial 

 自分たちが体験した地獄のような苦しみは、もうほかのだれにもさせたくない―。
 被爆者の切なる願いは世界中の市民に共感を持って受け入れられ、「核兵器なき世界」を目指す原動力となってきた。
 米国は73年前のきょう、広島に、9日には長崎に原爆を投下した。この年のうちに計21万人が死亡し、生き延びた人々も放射線の重い後遺症に苦しんでいる。
 昨年、被爆者の「受け入れがたい苦痛と被害を心に留める」と明記した核兵器禁止条約が、国連で採択された。
 被爆者とともに条約実現に貢献した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)には、ノーベル平和賞が贈られた。
 にもかかわらず、世界には米国、ロシアを中心になお1万4千発以上の核兵器がある。朝鮮半島の非核化も予断を許さない。
 広島市の松井一実市長はきょう読み上げる平和宣言で「世界で自国第一主義が台頭し、冷戦期の緊張関係が再現しかねない」と懸念を表明する。
 こうした状況だからこそ、唯一の戦争被爆国である日本の果たすべき役割がある。
 ひたすら米国の「核の傘」への依存を強めるのではなく、核兵器の非人道性を粘り強く訴え、核廃絶を主導しなければならない。 

▼河北新報「広島原爆の日/被爆国日本の役割、今こそ」
 https://www.kahoku.co.jp/editorial/20180806_01.html
▼岩手日報「核廃絶と次世代 『変革をもたらす力』に」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/8/6/20011
▼茨城新聞「原爆の日 遠くなる体験、心に刻もう」
▼中日新聞(東京新聞)「『韓国のヒロシマ』から 原爆忌に考える」人は過ちを繰り返す/記録にとどめ何度でも
 http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018080602000108.html 

 広島、長崎、そして韓国の原爆資料館。被爆者の命の証しに触れる場所。伝えたい言葉はきっと同じです。「過ちを二度と繰り返してはなりません」-。
 慶尚南道陜川(ハプチョン)郡-。釜山(プサン)から北西へ車でおよそ二時間半。山間にたたずむ人口六万人ほどの小都市は「韓国のヒロシマ」とも呼ばれています。
 広島と長崎の被爆者の約一割が、朝鮮半島出身者。広島で三万五千人、長崎では一万五千人が、あの原爆の犠牲になりました。
 韓国人被爆者の六割が、陜川出身だったと言われています。現在韓国国内には、約二千五百人の被爆者が住んでおり、うち約六百人が陜川で暮らしています。
 日本の植民地支配下で、陜川から釜山、釜山から長崎や下関に至る陸路と海路が整備され、徴用や徴兵だけでなく、同郷のつてを頼って多くの人が、職を求めて家族とともに、長崎の造船所や広島の軍需工場などに渡ったからでもありました。
 その「韓国のヒロシマ」に昨年の八月六日、陜川原爆資料館が開設されたのです。

 ▼福井新聞「広島、長崎原爆忌 被爆者の声を受け止めよ」
 http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/672125 

 自民党総裁選3選を目指し、宿願の憲法改正へと突き進む構えを見せる安倍晋三首相に、被爆者は警戒感を強めている。9条改正に忍び寄る戦争の影を感じているのだろう。安倍政権はそうした思いに真摯(しんし)に向き合わなければならない。
 共同通信社が全国の被爆者に核禁条約について尋ねたアンケートで、条約を「評価する」が80・2%に上り、79歳の女性は「被爆者の訴えが世界の人々の心をうごかした。長年の努力が認められた」と歓迎。矛先は見向きもしようとしない日本政府に向かい「参加すべきだ」も80・8%に達した。「被爆者の長年の活動を無視した行為」「世界に率先して参加すべきだ」と厳しい意見が相次いだ。
 (中略)
 被爆者意識を逆なでしたのが、米の新指針に対して日本政府が「抑止力が強化される」と高く評価したことだ。安倍首相は昨年の広島の原爆死没者慰霊式で「核兵器国と非核兵器国双方に働きかけを行う」「NPTが意義あるものとなるよう、積極的に貢献する」と公言したが、口先だけであることは明白だ。
 被爆者の多くが9条改憲案に反対している。理由として最も多かったのが「二度と戦争をしないため」だ。6月の米朝首脳会談で北朝鮮の脅威は減じたが、安倍政権は防衛装備の増強を見直そうとはしていない。唯一の被爆国として、被爆者の願いに寄り添い、平和を受け継ぐ責務を改めて胸に刻まなければならないのは誰なのか。 

▼京都新聞「原爆の日  鈍すぎる『核』への感度」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20180806_4.html 

 福島第1原発事故を経て、私たちは原爆に加え、原発という新たな核問題を抱え込んでいる。
 人間にとって核とは何か-との問いに、答えは出せていない。
 原発事故ではいまだ多くの避難者がおり、汚染された国土の一部を元に戻すことも見通せない。
 それなのに、核と国民生活について深い議論もされないまま、原発が相次いで再稼働されている。使用済み核燃料などの処理にめどが立たず、核兵器に転用可能なプルトニウムもたまり続けている。
 身近にある「核の脅威」に対してすら、政治の感度は鈍い。これでは、核廃絶を求める国際的な潮流に取り残され続けてしまう。
 6月の米朝首脳会談で、北朝鮮による核攻撃の危機は遠のいたかにみえる。だが米国は年明けに示した新たな核戦略指針で「使える核兵器」の開発に踏み出した。
 小型化で爆発力を抑えるというが、被害が限定されるため安易な使用を誘発しないか。被害が甚大なゆえに相手にも使用をためらわせる核抑止論さえ揺るがし、核攻撃の危機を常態化させかねない。
 日本政府は「抑止力が強化される」と歓迎した。「核大国の代弁者」との国際的な受け止めを是認するつもりなのだろうか。 

▼神戸新聞「原爆の日/アトムが流した涙のわけは」/「第三の被ばく」の影/飼い慣らせない猛獣
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201808/0011515873.shtml 

 鉄腕アトムは、兵庫ゆかりの漫画家・手塚治虫さんが生み出したヒーローだ。男の子の姿をしたロボットで、10万馬力で人間を守る。
 アニメの主題歌にあるように「心やさしい」アトムが、涙を流して空を飛ぶ1こま漫画がある。地上では漁民たちが怒りをあらわにしている。人間の味方であるはずのアトムが、人間に追われているのである。
 手塚さんはなぜ、そんな悲しい絵を描いたのか。作品に込められたメッセージを、「原爆の日」と重ねて読み解きたい。
 漫画のタイトルは「第5福竜丸」。絵の中には同じ名前の漁船が。背景の白い雲はきのこ雲の形をしている。よく見ると、アトムは燃料の燃えかすのようなものを排出している。
 米国が太平洋・ビキニ環礁で行った水爆実験で日本の漁船が被ばくしたのは1954年のことだ。800を超える被害漁船の1隻が静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」だった。
 (中略)
 テレビのアニメ放映が一段落した段階で、手塚さんは作品を描き上げた。水爆実験で被害を受けた漁民らは、核の申し子であるアトムに怨嗟(えんさ)の声を上げる。「ボクは正義の味方と思っていたのになあ」というアトムの嘆きが、胸に突き刺さる。
 核兵器は非人道的だが、「死の灰」などの廃棄物を生み出す「平和利用」も罪深い-。自ら生み育てたアトムを泣かせることで、核そのものへの違和感を表現する。作者として呻吟(しんぎん)する思いであったに違いない。
 手塚さんが亡くなって今年で29年。漫画に託したメッセージはさらに重みを増している。 

▼中国新聞「ヒロシマ73年 被爆国の役割、自覚しよう」北東アジアに変化/核軍縮へ前向きに/爆心遺構の公開へ
http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=454544&comment_sub_id=0&category_id=142
▼山陰中央新報「原爆の日/一人一人が心に刻もう」
▼徳島新聞「原爆の日 『核なき世界』へ範を示せ」
 http://www.topics.or.jp/articles/-/82983
▼高知新聞「【原爆の日】核廃絶の願い諦めない」
 https://www.kochinews.co.jp/article/205075/ 

 日本政府も唯一の被爆国として毎年、国連に核兵器廃絶決議案を提出する一方、「核の傘」を優先する方針は変えず、核禁止条約への署名を拒む。そればかりか、安倍政権はトランプ政権の強硬方針を容認する場面も目立つ。
 米国の太平洋・ビキニ環礁水爆実験を巡り、高知県の元船員らが訴えた被ばく訴訟の判決で高知地裁は、国が被害を「矮小(わいしょう)化」させていた可能性を指摘した。日本政府の戦後の対米姿勢の一端をうかがわせよう。
 核軍縮の国際議論の中で、日本は核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任してきたのではなかったか。被爆者、被爆地の苦痛、核兵器の残虐性、非人道性を伝え、核廃絶を導く役割を担う。世界に平和の橋をつなぐ作業である。
 被爆者のサーローさんはこうも呼び掛けた。「がれきの中で聞いた声を繰り返します。諦めないで。光に向かって、はい続けて」。あの焦土の夏から立ち上がってきた国民の矜持(きょうじ)を代弁する。核廃絶へ隅々から声を上げ続けたい。 

▼西日本新聞「広島原爆の日 『核は絶対悪』掲げて進め」北の「非核化」足踏み/大国の核軍拡競争も/国際法の枠組み必要
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/438974/ 

 広島と長崎に原爆が投下されて73年目の夏を迎えた。きょう6日は「広島原爆の日」である。
 この1年、北朝鮮の核問題が大きく動く一方、核保有国は核軍縮の流れを逆転させた。核を取り巻く世界情勢は流動化している。
 高齢化する被爆者の悲願である「核なき世界」の入り口は見えているのか。唯一の戦争被爆国である日本の役割は何か。慰霊と追悼の日に、あらためて考えたい。
 (中略)
 米国の「核の傘」に頼る日本政府は、相変わらず核抑止論に固執し、核兵器禁止条約への署名を拒否している。しかし、被爆者の体験を真摯(しんし)に聴けば「核は絶対悪」の確信にたどり着くはずだ。
 主体的に北東アジアの核軍縮の将来像を描くとともに、「核は絶対悪」を掲げて核廃絶を目指し世界をリードする。それが唯一の戦争被爆国、日本政府の役目だ。被爆者たちの悲願に向けて、日本政府は限りない努力をしてほしい。 

▼佐賀新聞「原爆の日 遠くなる体験、心に刻もう」
▼熊本日日新聞「原爆の日 問われる日本の『核廃絶』」矛盾した姿勢に逆風/核に頼らぬ安全保障/被爆者の声を聞け
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/583822/
▼沖縄タイムス「[広島原爆の日]核廃絶の訴え広げよう」
 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/294191 

 原爆の巨大な破壊力や非人道性を機会あるごとに語り続け、核廃絶を粘り強く訴えてきたのは被爆者である。
 昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約は前文でうたっている。
 「核兵器使用の犠牲者(ヒバクシャ)と核兵器実験の被害者にもたらされた受け入れがたい苦痛と被害を心にとめる」
 だが、唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核保有国が参加しない核禁条約に冷淡で、会議に参加せず署名もせず、背中を向け続ける。
 昨年、広島での式典に出席した安倍晋三首相は、あいさつで条約には一切触れなかった。実効性がないとの理由からだ。
 3日後の8月9日、長崎の式典でも条約に触れず、無視を決めこんだ。被爆者代表が安倍首相に詰め寄り、怒りをぶちまけた。「あなたはどこの国の総理ですか」
 共同通信が6月から7月にかけて、全国各地の被爆者を対象に実施したアンケートでは「日本政府は条約に参加すべきだ」との回答が8割にのぼっている。
 核廃絶をめざす被爆者の声は、世界には届くのに、足元の政府には届かない。 

▼琉球新報「原爆投下73年 核の傘脱し条約批准を」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-776368.html 

 核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任する日本は、いまだ行動を起こしていない。口先では核兵器反対を唱えながら、米国の核の傘を肯定し、安住している。自己矛盾から目を覚ました方がいい。
 冷戦時代の遺物でしかない核抑止力の思考とは決別すべきだ。いったん核が使われたら被害は計り知れない。
 共同通信の被爆者アンケートでは、回答者1450人中8割が政府に条約への参加を望んでいる。被爆者の悲願の結晶である条約を拒むのは被爆者への裏切りと言える。
 政府は被爆体験を広く国際社会に伝え、核廃絶を訴えていくべきだ。条約批准の方にこそ被爆国としてのリーダーシップを発揮してほしい。 

 信濃毎日新聞は長野県知事選、愛媛新聞は豪雨水害1カ月がそれぞれ6日付のため、1日早く5日付で社説を掲載したようです。

【8月5日付】
▼信濃毎日新聞「原爆の日 核廃絶への意志を共に」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180805/KT180803ETI090011000.php
▼愛媛新聞「あす広島原爆の日 『核なき世界』へ市民の力結集を」

f:id:news-worker:20180806220532j:plain

【写真】東京発行各紙の8月6日夕刊1面

衆院議長の異例の所感

 少し時間がたちましたが、記録の意味でも書きとめておこうと思います。
 通常国会閉会後の7月31日、大島理森衆院議長が国会内で記者会見し、安倍晋三政権に反省と改善と促す所感を明らかにしました。三権の長の一人である衆院議長のこのような会見は異例とのことです。

 ※47news=共同通信「衆院議長、安倍政権に異例の所感 『民主主義根幹揺るがす』」2018年7月31日
  https://this.kiji.is/396948562141660257?c=39546741839462401 

 大島理森衆院議長は31日、国会内で記者会見し、相次ぐ政権不祥事が問題となった通常国会を振り返り、安倍政権に反省と改善を促す異例の所感を公表した。森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざんや自衛隊日報隠蔽などを挙げ「民主主義の根幹を揺るがす問題だ。立法府の判断を誤らせる恐れがある」と指摘。菅義偉官房長官に所感を渡し、再発防止のための制度構築を求めたと明らかにした。 

 日本社会の民主主義が危機的な状況にあることの証左の一つのように思えます。しかし、マスメディアの取り上げ方がその危機の大きさに見合っていたか。マスメディアがその危機をどう認識しているのかも問われているようです。ジャーナリストの江川紹子さんがツイッターにこんな投稿をしているのを見て、そう思いました。

twitter.com

 この大島議長の所感に対しては、毎日新聞と中日新聞・東京新聞の社説が目に止まりました。一部を引用して書きとめておきます。
・毎日新聞「大島衆院議長が異例の所感 常識をあえて説く深刻さ」=8月2日付
 https://mainichi.jp/articles/20180802/ddm/005/070/057000c 

 大島理森衆院議長が先の通常国会を振り返る異例の所感を公表した。
 政府による公文書の改ざんや隠蔽(いんぺい)、誤ったデータの提供などが相次いだことについて「民主的な行政監視、国民の負託を受けた行政執行といった点から、民主主義の根幹を揺るがす問題」と指摘した。
 そのうえで議長は行政府と立法府の双方に自省を求めている。
 議院内閣制のもとでは、国民が民主的な手続きによって国会議員を選び、その多数派から首相を選出することにより、内閣の持つ行政権に正当性が付与される。主権を有する国民からの委任の連鎖だ。
 だからこそ国会は立法権のみならず、国民に代わって行政を監視する権限を持つ。内閣は自らの生みの親である国会に対し、行政権の行使について連帯責任を負うのである。
 所感は特別なことを言っているわけではない。国政に参画する者であれば当然わきまえておくべき常識だ。それをあえて唱えなければならないところに問題の深刻さがある。
 国民を代表する立法府を行政府が欺いていたにもかかわらず、内閣はその責任を一部の官僚に押しつけ、だれも政治責任を取らない。
 立法府の側では与党が一貫して真相究明や責任追及に消極的だった。与党である前に議会人であるという自覚が極めて乏しい。その結果、立法府と行政府をつなぐ責任の糸がぷっつりと切れてしまった。 

・中日新聞・東京新聞「衆院議長『苦言』 国民からの声と聞け」=8月2日付
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018080202000169.html

  立法府は危機にある。三権の長の一人がようやく、そう認識するに至った。大島理森衆院議長が七月二十二日に閉会した「今国会を振り返っての所感」を公表した。注目すべきはその内容である。
 財務省の森友問題を巡る決裁文書の改ざん▽厚生労働省による裁量労働制に関する不適切なデータの提示▽防衛省の陸上自衛隊の海外派遣部隊の日報に関するずさんな文書管理-を挙げ、これらは法律制定や行政監視における立法府の判断を誤らせる恐れがあり、議院内閣制の基本的な前提を揺るがす、と厳しく指摘した。
 「国権の最高機関」であり「国の唯一の立法機関」の国会が、法律を誤りなく制定し、行政監視の責務を果たすには、行政府たる内閣が国会に対し、行政情報を正しく伝えることが大前提だ。
 しかし、国有地が格安で売却された森友学園の問題を巡り、財務省は国会に改ざんした文書を提出し、当時の佐川宣寿理財局長は国会で虚偽答弁を繰り返した。その後の証人喚問では偽証も指摘される。行政府の側がこんなことを繰り返せば、国会がまともに国政調査の機能を果たせるわけがない。
 法案審議も同様だ。新しい法律をつくるには、その必要性を示す「立法事実」が必要だが、それが不適切なデータに基づくものならば、国民に不利益な、誤った法律をつくることになりかねない。
 大島議長の指摘はまっとうで、国民の多くが同じ問題意識を持っていることだろう。所感は、菅義偉官房長官に渡されたという。安倍晋三首相はじめ行政府の側は、議長の指摘を国民からの声と重く受け止め、真剣に対応すべきだ。

※追記 2018年8月5日20時55分
 岩手日報の5日付の社説で取り上げていました。
・岩手日報「衆院議長の所感 これはただ事ではない」(8月5日付)
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/8/5/19949 

 所感の表明は、閉幕から約10日後の先月31日だった。政府が公文書管理の在り方を見直して再発防止策をまとめ、財務省が新人事を発表したタイミング。一連の幕引きムードに対し、依然として政権に厳しい世論を大島氏が強く意識したのは間違いない。
 これを「ガス抜き」にとどめるか、深刻に捉えるかは、ひとえに政府、与党次第。9月改選が迫る自民党総裁選に向けた動きが本格化する折、直接的に首相を選ぶ政権党の責任として大島氏の課題認識を共有し、政策論議に反映させるべきだろう。
 (中略)
 大島氏は衆院青森2区選出で、当選12回。自民党幹事長や農水相などを歴任した。昨年10月の衆院選後は、安倍首相(党総裁)の判断で「1期で交代」の慣例によらず、議長に再選された経緯がある。その重鎮の政権への苦言。これはただ事ではないと思うのが、当然の反応だ。 

  

これで終わりにはできない~杉田水脈議員LGBT差別、自民「見解」への新聞各紙社説

 杉田水脈衆院議員のLGBT差別寄稿の続きです。
 杉田議員を指導したという自民党の「見解」が示され、それに対して杉田議員からは謝罪も反省もないコメントが示されました。自民党総裁の安倍晋三首相はぶら下がり取材に応じましたが、話した内容はまるで他人ごとのよう。8月4日付の新聞各紙でもこの問題を取り上げた社説がありました。その内容は杉田議員と自民党への批判、疑問で共通しています。やはり、これで終結とはならないように思います。
 以下に、確認できた社説のそれぞれ一部を引用して書きとめておきます。

・朝日新聞「LGBT 自民の本気度を疑う」 

https://www.asahi.com/articles/DA3S13620657.html?ref=editorial_backnumber

 杉田氏とは一線を画し、LGBTに寄り添う党の姿勢を示したが、額面通りには受け取れない。自民党はどこまで本気でこの問題に取り組もうとしているのか。
 たしかに、一人の所属議員の言動に党が見解を示すのは異例ではある。だが、二階俊博幹事長が「人それぞれ政治的立場、色んな人生観もある」と問題視しない考えを示すなど、当初の反応は鈍かった。
 これに対し、党本部前で大規模な抗議集会が開かれ、海外メディアも批判的に報じた。石破茂・元幹事長は「そんな心ないことを自民党は許してはならない」と語り、9月の党総裁選のテーマにも浮かんだ。内外の批判に追い込まれ、党見解で収束を図っただけではないか。
 「指導」の内実はつまびらかでない。杉田氏は「真摯(しんし)に受け止め、今後研鑽(けんさん)につとめて参りたい」とコメントしたが、撤回や謝罪はしていない。安倍首相も、人権と多様性が尊重される社会づくりが「政府与党の方針」と述べるだけで、杉田氏の主張への考えを自らの言葉で語ることはなかった。
 杉田氏への批判が広がっているさなか、同党の谷川とむ衆院議員はインターネット放送の番組で、同性愛を念頭に「趣味みたいなもの」と発言した。
 谷川氏は、一昨年に党が作成した「性的指向・性同一性(性自認)に関するQ&A」に目を通さなかったのか。そこには、はっきりと「本人の意思や趣味の問題であるとして片付けてしまうことは、誤りです」と書かれている。議員らに配り、周知する狙いだったが、2年たっても浸透していない。 

 

・毎日新聞「自民党が杉田議員を『指導』 形だけ取り繕う空々しさ」  

https://mainichi.jp/articles/20180804/ddm/005/070/120000c 

 見解は党のホームページに掲載されている。ただし、誰が杉田氏を指導したのかの記載はない。
 韓国訪問中だった二階俊博幹事長は「知らない」とひとごとのように語った。先月には「人それぞれ、いろんな人生観もある」と杉田氏をかばうような発言もしている。
 自民党がこの問題に及び腰なのは安倍晋三首相と杉田氏の「近さ」をおもんぱかったからではないか。
 もともと自民党ではなかった杉田氏が衆院選比例中国ブロックの名簿順位で優遇されたのは、首相の後押しがあったからだとされる。
 批判の矛先が首相に向かい始めたため、慌てて火消しを図ったようにも見える。党見解の発表は首相が宮城県を視察した当日で、同行記者団から認識を問われて「党として既に見解を表明している」とかわした。
 一連の動きからくみ取れるのは、自民党内の人権感度の鈍さではないか。多様性を尊重する世界的な潮流から取り残されているように思えてならない。その体質は谷川とむ衆院議員が同性愛は「趣味みたいなもの」と発言したことにも表れている。
 自民党は2016年参院選と昨年の衆院選でLGBTに関する理解増進法の議員立法を公約に盛り込んだが、具体化していない。今回の党見解では「真摯かつ慎重に議論」と積極的なのかどうかも疑わしい説明がわざわざ添えられている。
 批判をかわそうと形だけ取り繕うから、余計に空々しく聞こえる。 

 

・山形新聞「自民議員の『排除の論理』 少数者にも価値はある」
 http://yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20180804.inc 

 2年前の7月には、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負う事件が発生した。殺人罪などで起訴された元職員植松聖被告は、共同通信の接見取材に対し「あれしか方法はなかった」と自己を正当化している。さらに、やまゆり園での勤務を通して「障害者は生きていくのに金がかかる」と考えるようになり、意思疎通が困難な障害者は「社会からいなくなった方が良いと気付いた」と、殺意を抱くようになった経緯を述べている。
 植松被告の言動はあまりにも極端だ。ただし「生きていくのに金がかかる」、つまり「生産性がない」ような人に積極的価値を見いだそうとしない点では、杉田氏の主張と共通する部分があるのではないか。
 半面、相模原殺傷事件に関しては次のような話がある。事件で顔や首を切られ負傷した40代女性は重度の自閉症だ。50代の兄は高校1年の時に、その妹に救われた。兄がいじめを受けて不登校になった際、邪険にしても妹は何度も体を密着させてきたのだという。寄り添い続けてくれた妹に接するうち、逃げずに学校に戻ることを決めた。そして今、兄は福祉団体で働いている。「生きていくのに金がかかる」「生産性がない」といった言葉が見落としている部分がいかに多いかを示す一例である。
 杉田氏が寄稿した雑誌を発行するのが大手出版社なのもふに落ちない。強者よりも弱者の意見をくみ取るのが、雑誌や出版社の本来的な在り方だったはずだ。 

 

・京都新聞「LGBT寄稿  正しい認識を共有せよ」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20180804_4.html 

 杉田氏の寄稿は「『LGBT』支援の度が過ぎる」というタイトルだが、そもそも認識が間違っている。
 LGBT支援の本質は、特別扱いではなく、権利の保障である。男女の区別と異性愛に基づく従来の社会制度を、多様な性のあり方に応じたものにしよう、ということだ。同性の結婚などを認める流れが国際的に広がっているが、それに伴い誰かの権利が削られるということはない。
 杉田氏は、日本は寛容な社会で差別はあまりない、とも書いているが、LGBTに対する社会の無理解が、生きづらさを助長している実態を知らないのだろうか。
 思春期に自らの性的指向について悩む人の中には、自殺を考える人も多いことが、さまざな研究から明らかになっている。
 国会議員の役割は本来、こうした問題を抱える人たちの声を国政に届けることである。
 自民党は杉田氏に対し「問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現がある」として、注意するよう指導し、党見解をホームページに掲載した。
 これで十分ということなのだろうか。杉田氏の寄稿は、間違った認識に基づく攻撃的な内容だ。注意を促して済むとは思えない。
 二階俊博幹事長は「人それぞれ、いろんな人生観がある」「大げさに騒がない方がいい」などと繰り返すが、このような姿勢が、差別を深刻化させていることに気づいてもらいたい。
 安倍晋三首相は「人権と多様性が尊重される社会をつくるのは当然」と話すが、人ごとのような印象を受ける。杉田氏を公認した党総裁として、説明責任を果たしてほしい。 

 

・山陽新聞「LGBT寄稿 自民党の姿勢が問われる」
 http://www.sanyonews.jp/article/763004/1/?rct=shasetsu 

 自民党の対応はお粗末すぎた。二階俊博幹事長は当初、「人生観もいろいろある」などと寄稿を容認するかのような発言をした。杉田氏も批判を受けた当初、自身のツイッターで「先輩議員から『間違ったことを言っていないから、胸を張っていれば良い』と声を掛けられた」などと記し、党の責任を問う声が一気に高まった。
 自民党は1日付の党ホームページで、寄稿は「問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現がある」と認め、杉田氏に「今後、十分に注意するよう指導した」と公表した。だが、杉田氏は「真摯(しんし)に受け止める」などとするコメントを発表しただけで、撤回や謝罪はしていない。国会議員である以上、公の場で説明するべきではないか。
 杉田氏は日本維新の会や次世代の党を経て、昨年の衆院選で自民党の公認を得て、比例中国ブロックで当選した。杉田氏は今回と同様の主張を以前から繰り返していた。自民党は寄稿は党の見解と異なると強調しているが、比例名簿で、杉田氏を比例単独候補の最上位に掲載した党の責任は免れないだろう。 

 

・西日本新聞「LGBT発言 政権党の人権感覚を問う」
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/438585/ 

 党見解の公表と歩調を合わせるように、この問題に関する発言を控えてきた安倍晋三首相(党総裁)も2日になってようやく「人権、多様性が尊重される社会を目指すのは当然だ。政府、与党の方針でもある」と記者団に語った。
 これが、月刊誌の発売から2週間後の対応である。遅きに失した感は否めない。さらに、党本部による「指導」で済む問題なのか。首相の発言も一般論の域を出ていない。
 党見解を受けて杉田氏は「真摯(しんし)に受け止め、研鑽(けんさん)に努めていく」との談話を出したが、謝罪もなければ撤回もしなかった。
 憲法が保障する国民の基本的な人権に関わる問題である。しかも、党の見解や選挙公約にも明らかに違反する言動なのに、この程度の対応でよしとするのか。断じて看過できない。
 政権を担う政党の人権感覚を改めて問いただしたい。  

  この問題については以下の過去記事も参照いただければ幸いです。

news-worker.hatenablog.com

 

news-worker.hatenablog.com

自民党は杉田水脈議員に何をどう指導したのか

 自民党の杉田水脈衆院議員が7月18日発売の月刊誌「新潮45」に「『LGBT』支援の度が過ぎる」とのタイトルで、性的少数者(LGBT)に対する差別的な論考を寄稿した問題で、自民党が8月1日付で見解をホームページに掲載しました。全文を引用します。

※「LGBTに関するわが党の政策について」
 https://www.jimin.jp/news/policy/137893.html 

LGBTに関するわが党の政策について

2018年8月1日
自由民主党

 わが党のLGBTに関する政策については、「性的指向・性自認に関する特命委員会」において議論され、平成28年5月、「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」が取りまとめられ、同年7月の参議院選挙及び昨年の衆議院総選挙の公約に明記されたところです。わが党は、公約に掲げたように性的な多様性を受容する社会の実現を目指し、性的指向・性自認に関する正しい理解の増進を目的とした議員立法の制定に取り組んでいます。
 今回の杉田水脈議員の寄稿文に関しては、個人的な意見とは言え、問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実であり、本人には今後、十分に注意するよう指導したところです。
 わが党は、今後ともこの課題について、各国の法制度等を調査研究しつつ、真摯かつ慎重に議論を進め、議員立法の制定を目指していく所存です。
 皆様のご理解とご協力をお願いいたします。 

 「見解」には「基本的な考え方」やそのパンフレットなどのPDFファイルも添付されています。
 共同通信の報道によると、自民党総裁である安倍晋三首相は8月2日、記者団に対し「人権が尊重され、多様性が尊重される社会を目指すのは当然だ」「政府、与党の方針でもある」と述べました。杉田議員は、指導を受けたことを明らかにし「真摯に受け止め、研さんに努めていく」と事務所を通じてコメントしたとのことです。
 このブログの以前の記事(「杉田水脈議員の差別主張を容認する自民党を批判~新聞各紙の社説」)に書きとめたとおり、自民党の二階俊博幹事長は7月24日の記者会見で「党は右から左まで各方面の人が集まって成り立っている。人それぞれ、政治的立場はもとより人生観もいろいろある」と述べ、静観する方針を表明していました。今回の見解の公表は、方針の転換のようにも見えるかもしれませんが、わたしは疑問を感じています。

news-worker.hatenablog.com

 自民党は杉田議員の寄稿の内容を差別ととらえているのかどうかが不明です。寄稿が及ぼす問題の深刻さをどの程度だとみているのかはっきりしません。杉田議員のコメントにも謝罪の文言はなく、寄稿に記した主張の撤回の表明もありません。なかなか批判がやまず、海外のメディアも報じるに至って、とりあえず杉田議員の寄稿の是非には踏み込まずに、自民党が多様性を受容する社会の実現を政策に掲げていることを強調して批判をかわそうとしているのではないか、という風にも思えます。朝日新聞の報道によると、杉田議員は後に削除するものの、自身のツイッターで、党内の「大臣クラスを始め、先輩方」から「間違ったこと言ってないんだから、胸張ってればいいよ」「杉田さんはそのままでいいからね」と声をかけられたとし、「自民党の懐の深さを感じます」と投稿していたとのことです。杉田議員自身、今でも「間違ったことは言っていない」と考えているのではないでしょうか。あいまいなコメントになっているのは、そのためではないでしょうか。
 杉田議員の寄稿に対してなぜ批判がやまないかと言えば、それ自体がLGBT当事者への差別であり人権侵害であることはもちろん、その考え方はLGBT当事者の社会からの排除や抹殺を容認する思考にまで行き着きかねないこと、杉田議員の思考にならうなら対象もLGBTに限らず、同じように「生産性」がない障害者や高齢者にも広がっていくのではないかとの危惧が社会に広がり、共有されているからです。杉田議員の寄稿が差別には当たらないというのであれば、自民党も杉田議員もそう説明するべきです。差別に当たると判断するのであれば、自民党は「指導」というあいまいな措置ではなく、公党としての責任ではっきりした処分を行うべきだと思います。そもそも、自民党は杉田議員に対し、何をどう十分注意するように指導したのでしょうか。

 東京発行の新聞各紙の中では、朝日新聞と東京新聞が自民党の見解を8月2日の夕刊で報じました。ここでは翌3日付朝刊での各紙の扱いを書きとめておきます。1面掲載は朝日新聞と東京新聞。朝日新聞が時時刻刻で取り上げているのが目を引きました。

・朝日新聞
1面「自民、杉田議員に指導/LGBT団体『不十分』」
2面・時時刻刻「LGBTへの理解 進まぬ自民」「『生産性ない』主張 杉田議員に指導/批判2週間 追い込まれ『見解』」「二階氏『大げさに騒がないほうがいい』/内外の潮流 党内と落差」

・毎日新聞
社会面・囲み記事「問題発言 自民火消し/杉田氏を注意指導・HPで『配慮欠いた』/『生産性ない』『趣味みたいなもの』」

・読売新聞
4面(政治面)「自民、杉田議員を指導/HPで公表『理解不足、配慮欠く』/『生産性ない』」/「『自民の潜在的体質』国民・大塚共同代表」

・日経新聞
4面(政治面)「自民、杉田議員を指導/首相『多様性尊重は当然』/『LGBT、生産性ない』発言」

・産経新聞
5面(総合面)「首相『多様性尊重は当然』/自民、『生産性ない』杉田氏指導」

・東京新聞
1面「LGBTに冷たい自民/謝罪、撤回求めず口頭指導/杉田氏『生産性ない』/
谷川氏『同性愛 趣味みたい』」
2面「『指導、遅きに失した』/杉田氏LGBT寄稿 野党が批判」/「『大げさに騒がず』谷川氏発言に二階氏」

伊丹万作が遺した警句「だまされる罪」

 伊丹万作という戦前に活躍した映画監督、脚本家がいます。同じく映画人として活躍した故伊丹十三さんの父親です。グーグルで「伊丹万作」を検索すると、1ページ目にこのブログの5年前の記事が表示されることに気付きました(2018年8月1日現在)。このブログの中では、今も比較的よく読まれている1本のようです。

※「伊丹万作『戦争責任者の問題』と憲法96条〜『だまされる罪』と立憲主義」=2013年5月7日

news-worker.hatenablog.com

 この小文は、安倍晋三首相が、改憲の発議には衆参両院の3分2以上が必要という憲法96条の規定を改めて、発議のハードルを下げようと言い出していた時期に書きました。もう5年もたったのかと思うと同時に、1946年当時に伊丹が遺した「だまされることの罪」という警句は今日、安倍晋三首相のもとで政権や与党の倫理や規律と言ったものが底割れしているように思える中で、なお一層広く知られていいと感じます。
 ほんの一例を挙げれば、森友学園への国有地売却を巡り、財務省が公文書を改ざんし国会でも虚偽の答弁をした。しかし、その中心になったとされる元局長は罪に問われず、偽証罪の告発も見送られました。財務省では女性記者に対する次官のセクハラもありましたが、麻生太郎財務相はろくに責任らしい責任を取らず、職を辞することもありません。与党を巡る最近の問題では、自民党の杉田水脈衆院議員のLGBT差別投稿を自民党は放置しています。このような状況でも、マスメディアの世論調査では内閣支持率は悪くても30%台半ば程度で下げ止まります。政権運営には支障もなく、安倍首相は3選を目指す自民党総裁選の準備に余念がありません。
 おかしなことがいくつも起きているのに、責任の所在が明らかにならないー。森友学園や加計学園の問題で言えば、安倍内閣支持層はそもそもこれらの問題に関心がない、という世論調査の分析結果もありました。伊丹は「『だまされていた』という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである」と書き残しています。5年前のブログ記事と「戦争責任者の問題」を読み返すにつけ、今の日本社会をどう見るか、伊丹に聞いてみたくなります。

オウム真理教の13人執行を機に死刑制度を考える~新聞各紙の社説の記録

 地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教の事件で、松本智津夫(教祖名・麻原彰晃)ら7人の死刑が7月6日に執行されたのに続き、7月26日に6人の死刑が執行されました。オウム真理教事件の確定死刑囚13人全員の処刑が、わずか1カ月足らずのうちに行われたことになります。社会的にも大きな関心を集める重大な国家権力の行使にもかかわらず、なぜこの時期か、なぜ13人全員なのか、先に確定した別の事件の死刑囚もいるのになぜ13人なのか、などの疑問に、日本政府はまともに答えようとしていません。
 7人と6人という同時執行の人数、あるいは合計の13人という人数は、戦前の大逆事件や二・二六事件、敗戦後の東京裁判を経てのA級戦犯の処刑にさかのぼらなければ例を見ない大量処刑です。オウム真理教の一連の事件とともに歴史的な出来事と位置付けていいでしょう。死刑が国家の名と権限において行われることを考えると、民主主義を掲げる社会でありながら、その執行を巡る国家権力の判断が明らかにされない、ひとたび死刑が確定すると後はブラックボックス、闇の中ということに批判が起きるのも当然だと思います。
 その後の新聞各紙の社説では、事件を風化させず教訓を社会で受け継いでいくことの重要性を強調する論調の一方で、死刑制度のあり方や是非論に踏み込んだ論調も目に付きます。欧州連合(EU)に加盟するには、死刑廃止国であるのが条件になっていることや、OECD加盟国でも、死刑制度があるのは日本と韓国・米国だけであることなど、国際的な比較の観点を示した社説も少なくありません。そうした社説を読みながら、死刑制度の是非について社会的な議論を深めるには、やはりまず情報公開が必要であると感じます。

f:id:news-worker:20180731231041j:plain

※写真は東京発行の新聞各紙の7月27日付朝刊


 以下は、目に止まった新聞各紙の社説です。うち死刑制度の是非について踏み込んでいる社説は、関係部分を引用しています。

【7月27日付】
・毎日新聞「死刑執行されたオウム事件 政府の手で報告書作成を」
・産経新聞「オウム死刑執行 反省は生かされているか」
http://www.sankei.com/column/news/180727/clm1807270001-n1.html 

 上川陽子法相は「法治国家であり、確定した判決の執行は、厳正に行われなくてはならない」と強調した。今年1月、元信者の高橋克也受刑者の無期懲役が最高裁で確定し一連のオウム裁判は終結した。刑の執行を妨げるものは事実上、なくなっていた。
 刑事訴訟法の定めにより、法相の命令によって執行を粛々と進めるのは、当然の責務である。 

・東奥日報「検証と教訓の継承が必要/オウム6人死刑執行」
・秋田魁新報「オウム全死刑執行 テロ犯罪を防ぐ教訓に」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20180727AK0008/ 

 今回の死刑執行に伴い、死刑制度の在り方も改めて問われている。国内世論が死刑容認に傾いたのはオウム事件の存在が大きかった。一方で15年に政府の世論調査で「終身刑を導入した場合の死刑制度の是非」について初めて質問したところ、死刑容認派は80%から51%に減少した。死刑制度の存廃について議論する好機と捉えたい。 

・山形新聞「オウム全死刑囚の刑執行 事件の教訓胸に刻もう」
・山梨日日新聞「[オウム全13人死刑執行]続く被害 検証と継承怠るな」
・信濃毎日新聞「オウム死刑執行 政府に説明を求める」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180727/KT180726ETI090007000.php 

 かたくなな秘密主義は、手続きの公正さに疑義を抱かせる。かつて執行の事実さえ伏せていた時期を経て、事後に名前を公表するようにはなったが、執行に至る経緯は依然、覆い隠されている。
 地下鉄サリン事件をはじめオウムによる一連の事件は多くの死傷者を出した。死刑が定められた現行法の下では、免れる理由を見いだせない重大な犯罪である。
 ただ、死刑は国家が人の命を奪う究極の刑罰だ。今回の大量執行には国際社会からも厳しい目が向けられている。そのことも踏まえ、死刑制度について、あらためて議論を深める契機にしたい。
 国連は1989年に死刑廃止条約を採択した。事実上の廃止を含め140以上の国が死刑をなくしている。先進国で残しているのは日本と米国の一部の州だけだ。
 日本でも、政府が存続の理由としてきた「国民の大多数の支持」に変化の兆しがある。内閣府の世論調査では、終身刑が導入されれば廃止して構わないと答えた人が4割近くに上った。
 裁判員に選ばれれば、誰もが死刑に向き合う可能性がある。制度のあり方や存廃について、広く社会で議論することが欠かせない。情報公開はその土台である。オウム事件の死刑執行について、政府は口を閉ざしてはならない。 

・中日新聞・東京新聞「オウムの死刑 制度の在り方の論議も」
 http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018072702000116.html 

 法務省は一連の執行順序についての理由をほとんど説明しないでいる。不透明だといわざるを得ない。「執行は当然」という遺族の方々の心情はもっともである。それでも心神喪失が疑われたり、再審申し立てやその準備の段階にある場合はどう判断しているのか、それを国民に説明しない姿勢には疑問を持つ。
 死刑は国家権力の最大の行使でもあるからだ。一〇年の千葉景子法相時代は報道機関に刑場の公開をしたこともあるが、それ以降はそんな雰囲気も消えてしまった。
 近代刑事法は「あだ討ち」を否定し、犯罪への応報と更生をめざしている。かつ死刑囚の冤罪(えんざい)が明らかになった事例もある。
 世界百四十二カ国は死刑の廃止・停止であり、欧州連合(EU)に加盟するには、死刑廃止国であるのが条件になっている。OECD加盟国でも、死刑制度があるのは日本と韓国・米国だけだ。でも韓国はずっと執行がない事実上の廃止国である。米国も十九州が廃止、四州が停止を宣言している。つまり、死刑を忠実に実行しているのは日本だけなのだ。
 誤った司法判断なら取り返しの付かない究極の刑罰であり、究極の人権を奪う刑罰でもある。内閣府の世論調査では「死刑もやむを得ない」が八割だが、うち四割は「状況が変われば将来的には死刑を廃止してもよい」。終身刑の導入なら「死刑を廃止する方がよい」が四割である。
 国連からは死刑廃止の勧告を何度も受け続けている。もっと国際的な批判を真面目に受け止めた方がよかろう。 

・福井新聞「オウム全死刑囚、刑執行 若者に教訓を伝え続けよ」
 http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/629720 

 社会への鬱屈(うっくつ)とした思いから若者が反社会的な行動に走る構図は、東京・秋葉原や神奈川・相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件とも共通しているのではないか。最近では会員制交流サイト(SNS)が居場所や不満のはけ口になり、サイトを通じて過激な思想に感化され、暴走する恐れもある。
 国はそうした若者の救済、受け皿作りを主導する必要がある。だが、今回の刑執行では「平成の事件は平成のうちに区切りを付ける」の大方針のもと、ふたをしてしまおうとの姿勢が如実に伝わる。
 上川陽子法相は「命を奪われた被害者やご遺族、一命を取り留めた方々の恐怖、苦しみ、悲しみは想像を絶する」と述べた。世論や遺族・被害者の思いを前面に、死刑制度の存続を改めて示したといえる。わずか20日間で13人の刑執行は異例であり、国際的に死刑廃止の流れが進む中、内外で批判が高まっている。
 問題なのは、判決から執行に至るまでの過程がほとんど明らかにされていないことだ。死刑の廃止か、容認か、どちらかの立場を取るにしても、国民が十分な情報に基づいて議論を深められるよう、環境を整える必要がある。さらに、オウム事件の公判記録を早急に公文書館に移管するなど、研究者らの活用に資するよう配慮すべきだ。 

・京都新聞「オウム死刑執行  懸念される事件の風化」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20180727_4.html 

 国際的に死刑廃止の流れがある中、短期間に13人もの死刑を執行したのは極めて異例である。今回の執行を節目に、死刑存廃の議論の行方も注目される。
 法務省は死刑制度を存続させる根拠に国民世論の支持や、被害者、遺族の思いを掲げている。今回の執行は未曽有の事件に強い姿勢を示したといえる。
 だが、先進国には世論の支持にもかかわらず廃止した国もある。
 6日の執行は各国や人権団体が批判し、欧州連合(EU)などが「死刑廃止を視野に入れた執行停止の導入を(日本に)呼び掛ける」とする声明を出した。批判をどう受け止めたのだろう。
 死刑制度を巡る情報が十分開示されていないことも問題だ。制度の賛否とは違う次元の問題として、国民一人一人が制度に向き合い、議論を深める時期に来ているのではないか。 

・愛媛新聞「オウム全死刑囚執行 未曽有のテロ 風化は許されない」
・南日本新聞「[死刑制度] 情報公開し存廃議論を」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=94258 

 記者会見で上川法相は「慎重な判断を重ねた」と強調したが、執行に至った経過はほとんど明らかにしていない。
 なぜ今の時期なのか。先に刑が確定した死刑囚がいるのに飛び越えて執行したのはなぜか。「訴訟能力がない」との指摘もあった松本元死刑囚の執行時の精神状態はどうだったか。疑問は多々ある。
 とりわけ松本元死刑囚は96年に始まった裁判の途中から意味不明の発言を繰り返し、やがて一言も発しなくなった。判決が確定した後は、家族も面会できなくなる異例の経過をたどった。
 上川法相は「医師の診療を受けさせるなど慎重な配慮がなされている」と一般論を述べたが、松本元死刑囚の精神状態をどのように判定したのか。適正手続きの観点からも詳しく説明すべきだろう。
 内閣府が2015年に公表した世論調査で死刑制度を容認する人は80%を超えたが、終身刑を導入した場合の是非を質問すると死刑容認派は51%に減った。
 死刑は国家が国民の命を奪う「究極の刑罰」である。冤罪(えんざい)の被害者に刑を執行してしまえば取り返しがつかない。終身刑の導入も検討してはどうか。
 今回の執行を機に死刑の存廃論議が高まることを期待したい。
 裁判員裁判で一般市民が死刑と向き合う機会はこれからも増えていく。究極の判断を迫る以上、死刑囚の処遇や執行に至る法務当局内の議論など、幅広い情報公開が不可欠である。 

【7月28日付】
・神奈川新聞「死刑制度 情報得て議論深めたい」

【7月29日付】
・北海道新聞「死刑制度 情報公開し議論深化を」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/213328?rct=c_editorial 

 法務省は1998年から執行の事実を公表しているが、開示するのは死刑囚の氏名や犯罪内容、執行施設にとどまっている。
 上川陽子法相は今回、「なぜ、この時期の執行か」「執行を7人と6人に分けたが、基準は何か」などの疑問には答えなかった。
 情報公開に、あまりに後ろ向きではないか。検討し、判断する材料が乏しいことが、死刑制度を巡る国民的な議論が必ずしも高まらない要因と言えよう。
 政府は昨年、長年の慣習に反して、再審請求中だった死刑囚への執行を再開した。是非の議論がある中で、犯行当時少年だった死刑囚へも執行された。
 ある程度抑制的だった姿勢に変化が兆している。運用がなし崩しに変わるのは容認できない。
 政府は世論の支持を死刑制度維持の大きな理由に挙げる。
 確かに内閣府の最新の世論調査によると、死刑制度を容認する人は80%を占めている。
 だが、仮釈放のない終身刑を導入した場合を問うと、死刑を「廃止しない方がよい」は51%、「廃止する方がよい」は37%となり、賛否の差は縮まる。
 死刑廃止の世界的な流れが世論に影響している側面もあろう。政府は、さまざまな意見をくみ取る努力を怠ってはならない。 

【7月30日付】
・琉球新報「死刑制度の存廃 終身刑含め議論進めたい」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-771369.html 

 オウム事件は残忍卑劣な未曽有の事件だっただけに、死刑はやむを得ないと考える国民は多いだろう。被害者遺族も多くが厳罰を望んでいた。愛する家族の命を奪われた心情は十分に理解できる。
 ただ、今回の13人死刑執行には不透明な部分が多い。なぜこの時期か。来年の改元を前に「平成の事件は平成のうちに決着を」という意向が働いたともされる。
 再審請求中が10人いたにもかかわらず、執行に踏み切ったのはなぜか。元教祖の松本智津夫死刑囚の精神状態はどうだったのか。政府は国民への説明責任を果たしていない。議論する上での判断材料が不足している。
 世界はどうか。国際人権団体アムネスティー・インターナショナルによると、17年現在、死刑制度廃止国が106、実質廃止国が36の計142カ国ある。存続国は56カ国あるものの、17年に執行したのは23カ国だった。
 先進国で死刑を続けているのは日本と米国(州によっては廃止)だけだ。韓国は制度自体はあるが約20年間執行していない。欧州連合(EU)は死刑廃止が加盟条件だ。
 国連の02年調査で「死刑が終身刑よりも大きな抑止力を持つことを科学的に裏付ける証拠はない」との結論が出ている。人口当たりの殺人発生率の低さが世界1~3位のオーストリア、ノルウェー、スペインはいずれも死刑を廃止している。
 上川陽子法相は「死刑廃止は現状では適当ではない」と発言している。死刑容認の国民世論も背景にあるようだ。
 内閣府の14年の世論調査によると、死刑容認派は80%、廃止派は9%だった。ただ「終身刑を導入した場合」を聞くと、容認派は51%に減り、廃止派は37%に増え、差は大幅に縮まった。
 現行制度では死刑と無期懲役の差が大き過ぎる。終身刑導入を具体的に検討する時期ではないか。 

 なお、13人処刑後に実施された各メディアの世論調査の中には死刑制度について尋ねたものがあります。結果を以下に書きとめておきます。 

 ・産経新聞・FNN=7月21~22日実施
 オウム真理教の元教祖ら7人の死刑が執行されたが、死刑制度に賛成か、反対か
 賛成 80・6%
 反対 12・2%
 その他 7・2%

 
 ・毎日新聞=7月28~29日実施
 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら13人に死刑が執行されました。海外では死刑制度を廃止した国が多くなっています。日本の死刑制度は今後どうした方がよいと思いますか。
  続けた方がよい 59%
  廃止した方がよい 10%
  わからない 22%

基地建設強行「理不尽」「差別」と訴える沖縄2紙~辺野古「承認撤回」の各紙社説

 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画を巡り、沖縄県の翁長雄志知事が7月27日、前知事が出した沿岸部の埋め立て承認を撤回する手続きに入ることを表明しました。その際に、東京発行の新聞各紙がどのように報じたかは、このブログの以前の記事で紹介しました。ここでは、新聞各紙の社説の動向を目に止まった範囲で書きとめておきます。とりわけ、「理不尽」「差別」などの強い表現を用いながら、他の地域にはみられない基地建設の強行が沖縄だけで続くことのおかしさを訴える沖縄タイムス、琉球新報の2紙の主張は、直接は日本政府、安倍晋三政権への批判ながら、沖縄県外の日本本土に住む日本国の有権者の一人として、わがこととして受け止めなければならないと考えています。

・沖縄タイムス「[辺野古撤回手続き]正当性を内外に訴えよ」7月28日付
 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/290206 

 法廷で再び国と争うことになる重い決断であるが、国は勝訴を見越して平然としている。
 本来問われるべきは、問答無用の姿勢で工事を強行し、知事をここまで追い詰めた国の行政の公正・公平性であり、あまりにも理不尽な基地の恒久的押しつけである。
 負担軽減と言いながらその自覚すらないことに深い危惧の念を覚える。
 (中略)
 国の主張する「正当性」が日本全体を覆うようになれば、沖縄の言い分はかき消され、「安全保障は国の専権事項」だという言葉だけが基地受け入れの論理として定着することになる。
 「国の専権事項」というお決まりの言葉を使って、普天間飛行場の代替施設を九州に持って行かないのはなぜなのか。
 日米地位協定が優先される結果、情報開示は不十分で、事故が起きても基地内への立ち入り調査ができず、飛行制限に関する約束事も抜け穴だらけ。沖縄の現実は受忍限度を超えている。
 「『沖縄県民のこころを一つにする政治』を力の限り実現したい」と翁長知事は言う(『戦う民意』)。知事の苦悩に満ちた決断を冷笑するような日本の政治状況は危うい。
 沖縄の主張の「正当性」を幅広く内外に発信していくことが今ほど切実に求められているときはない。

・琉球新報「埋め立て撤回表明 新基地建設断念求める」7月28日付
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-770334.html 

 翁長雄志知事が辺野古埋め立て承認の撤回を表明した。新基地建設を強行してきた政府はさまざまな対抗措置を準備しているとみられ、再び司法の場での争いになると予想される。政府がやるべきことは、長年基地の過重負担に苦しんでいる沖縄の状況を是正することである。知事が民意を背に決断したことを尊重し、辺野古新基地建設を断念すべきだ。
 (中略)
 そもそも国土の0・6%にすぎない沖縄県に全国の米軍専用施設面積の約70%が集中していることが問題の根本だ。基地の過重負担を強いながら、基地縮小を求める県民大多数の民意を無視し、貴重な自然を破壊する工事を強行する。このようなことが沖縄以外でできるだろうか。
 辺野古に新基地を建設することについて自民党の石破茂元幹事長でさえ「ベストでもベターでもない。ワーストではないという言い方しかできない」と述べた。ワーストでない所なら沖縄以外にいくらでもあるはずだ。普天間飛行場の代替施設がどうしても必要と言うなら、沖縄以外に求めるべきである。他県には決して振りかざさない強権を沖縄には突き付ける。二重基準であり、差別そのものだ。
 知事の決断を多くの県民が支持している。その民意に向き合うよう改めて政府に求める。建設強行に未来はない。

 以下は日本本土の新聞各紙の社説の中で、目に付いたものです。読売、産経は翁長知事に批判的ですが、朝日、毎日のほか地方紙、ブロック紙はいずれも日本政府に批判的です。ただ、沖縄の民意を尊重し、翁長知事とよく話し合うよう政府に求めてはいますが、沖縄県外への基地建設の主張までには至っていません。

・朝日新聞「辺野古工事 目にあまる政府の背信」
・毎日新聞「辺野古埋め立て工事 知事選を待った方がよい」
・読売新聞「辺野古移設問題 承認撤回は政治利用が過ぎる」
・産経新聞「辺野古埋め立て 知事は「承認撤回」中止を」

・北海道新聞「辺野古承認撤回 工事阻止への重い決断」
・信濃毎日新聞「辺野古撤回 工事を止め話し合いを」
・中国新聞「辺野古承認の撤回表明 強行する国の責任重い」民意に耳傾けよ/環境面でも問題/県民投票も視野
・愛媛新聞「辺野古承認撤回 移設は『唯一の解決策』ではない」
・南日本新聞「[辺野古撤回へ] 政府は沖縄の声を聞け」
(以上、7月28日付)
・茨城新聞「沖縄・辺野古承認撤回 住民の意向問う機会を」
(7月30日付)

 ほかに中日新聞(東京新聞)は7月25付で「「沖縄県民投票 あなたならどう投票?」の社説を掲載しています。

 自宅で郵送購読している琉球新報の7月27日付、28日付の紙面が手元に届きました。

f:id:news-worker:20180731084714j:plain 

※追記 2018年7月31日21時25分
 チェック漏れの熊本日日新聞、北國新聞のほか、7月31日付掲載の社説もありました。以下の通りです。
 北國新聞は翁長知事に批判的、ほかは日本政府に批判的です。 

・熊本日日新聞「辺野古承認撤回 沖縄の疑問に答えるべきだ」(7月28日付)
・北國新聞「辺野古の承認撤回 行き過ぎた権限行使では」(7月29日付)
・中日新聞・東京新聞「辺野古工事 国は真摯な話し合いを」(7月31日付)
・山形新聞「沖縄・辺野古承認撤回へ 住民の声に耳傾けたい」(7月31日付)
・新潟日報「辺野古承認撤回 沖縄の声に真摯な対応を」(7月31日付)
・京都新聞「辺野古『撤回』  話し合いに戻るべきだ」(7月31日付)
・神戸新聞「辺野古承認撤回/国は立ち止まって再考を」(7月31日付)

※追記2 2018年8月4日12時45分
 8月3日付でさらに3紙の掲載がありました。いずれも日本政府に批判的です。
・福井新聞「辺野古承認撤回へ 国は沖縄の声に耳傾けよ」(8月3日付)
・西日本新聞「辺野古承認撤回 国は立ち止まる度量持て」(8月3日付)
・宮崎日日新聞「沖縄・辺野古承認撤回 政府は地元の意向尊重せよ」(8月3日付)

 沖縄2紙以外でこれまでに社説掲載を確認した新聞のまとめです。
▼沖縄県の翁長知事に批判的(3紙)
 読売新聞、産経新聞、北國新聞
▼日本政府・安倍政権に批判的(17紙)
 朝日新聞、毎日新聞、北海道新聞、山形新聞、茨城新聞、信濃毎日新聞、新潟日報、福井新聞、中日新聞(東京新聞)、京都新聞、神戸新聞、中国新聞、愛媛新聞、西日本新聞、熊本日日新聞、宮崎日日新聞、南日本新聞