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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「知らしむべからず」の姿勢は変わらない~日本学術会議の会員非任命は検事長定年延長の再来

 最初に報道に接した時から既視感がありました。菅義偉首相が、日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人を任命しなかった件のことです。その後、政府が日本学術会議法の解釈を変更していたことが明らかになりました。できるはずがないことをやる、批判に対しては「法解釈を変更した」と開き直る―。法解釈の変更について、客観的で信頼に足りる記録が残っていないようなら、東京高検検事長の定年延長とまったく同じです。首相が変わっても、手続きの透明性や正当性といった民主主義、法治主義の根幹を軽視する政権の体質は安倍晋三首相当時と変わりがない、ということなのでしょうか。菅氏が「安倍政治」を政権の要である官房長官として支えていた分、その姿勢は自身が首相になっていっそう「純化」した、と言ってもいいように思います。今回、6人を任命しなかった理由の説明を政権がかたくなに拒んでいることも含めて、菅政権の「民には知らしむべからず」の姿勢が鮮明になりました。
 この件を巡っては「学問の自由」の侵害に当たるとの指摘が強くある一方で、日本学術会議のありように疑問を示し、改革が必要だとして菅首相の措置を支持する言説も目にします。日本学術会議のありようという論点は軽視できないと思いますが、政治による乱暴な人事介入と一緒くたでは、かえって論点がぼやけ、混乱してしまいます。日本学術会議の改革や将来像は、この会員任命の問題とは切り分けて、丁寧に議論すればいいと思います。また、「学問の自由」を守るとの意味合いでも、6人を任命しなかった理由を問うこともさることながら、時の首相による恣意的な選別がそもそも適法な手続きとして許されるのかどうかが、まず問われるべきです。「学問の自由」という抽象的なテーマ以前に、違法か適法かという具体的で明確な問題がまずあります。
 東京高検検事長の定年延長への批判が、ツイッターデモをはじめとした民意の大きなうねりにつながったことは記憶に新しいところです。それまで、安保法制や「共謀罪」創設など、世論の賛否が二分されていたテーマに対し、安倍政権が国会採決を強行しても世論の反発はほどなく納まっていました。しかし、検事長の定年延長ではそうはならず、安倍内閣の支持率は以後、どの世論調査でも低迷を続けました。検察トップに意のままにできそうな人物を据えたいがために、法解釈を自分たちの知らないところで変更してまでゴリ押ししようとしようとしたのではないか。安倍政権に対して、社会の人々が他人事ではない直接的な危機感を持ったことの表れではなかったかと、わたしはみています。今回の日本学術会議の会員任命の問題は、この検事長定年延長と同じ構造であり、再来です。
 かつて国会で政府は、首相は推薦された会員候補はそのまま任命する、と明言していました。どういう経緯でその法解釈がくつがえったのか、くつがえさなければならないどんな事情があったのか。その解釈変更の記録は残っているのか。マスメディアの報道はまず、それらの点を事実として明らかにすることが必要だと思います。

 以下に、細かくなりますが、備忘を兼ねて具体的な論点をいくつか書きとめておきます。
 わたしが最初に感じたのは「任命しない、などということが可能なのか」ということでした。この点に関して、弁護士の渡辺輝人さんが早々にヤフーニュースに、日本学術会議法の解釈に対する以下の論考をアップされました。
 ※「菅総理による日本学術会議の委員の任命拒絶は違法の可能性」
 https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/20201001-00201090/

news.yahoo.co.jp

 まず加藤官房長官が10月1日の記者会見で以下のように発言したことを紹介しています。
 「もともとこの法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっておりますから、まあ、それの範囲の中で行われているということでありますから、まあ、これが直ちに学問の自由の侵害ということにはつながらないという風に考えています。」
 これに対して、選挙により日本学術会議の会員を選ぶ制度に代わり、現在の推薦制度が導入された1983年の国会審議の政府委員の答弁を紹介しています。
 「私どもは、実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。確かに誤解を受けるのは、推薦制という言葉とそれから総理大臣の任命という言葉は結びついているものですから、中身をなかなか御理解できない方は、何か多数推薦されたうちから総理大臣がいい人を選ぶのじゃないか、そういう印象を与えているのじゃないかという感じが最近私もしてまいったのですが、仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません。」
 国会でここまで明確に政府が答弁しているのに、加藤官房長官の発言は不可解です。「検事長の定年延長のときと同じように、また『解釈を変更した』と言い出すのではないか」と思っていたら、その通りでした。翌10月2日、内閣法制局は野党への説明の中で、2018年と今年9月の2度にわたり、学術会議を所管する内閣府と、同法の解釈について協議したことを認めたと報じられています。朝日新聞の記事によると、会議から推薦された人を、必ず任命する義務はないことを法制局として了承したという、とのことです。

 日本学術会議法も見てみました。
 ※http://www.scj.go.jp/ja/scj/kisoku/01.pdf

第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
(以下略)

 「内閣総理大臣が任命する」となっていて、「任命できる」とはなっていません。一方で、会員の身分を巡る法の別の条文は次のようになっています。

 第二十五条 内閣総理大臣は、会員から病気その他やむを得ない事由による辞職の申出があつたときは、日本学術会議の同意を得て、その辞職を承認することができる。
(昭五八法六五・全改)
第二十六条 内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができる。

 ここでは「内閣総理大臣は~ことができる」と「できる」との表現を用いています。「できない」ことも可能であると受け取るのが普通の読み方です。ですから、総理大臣の任命では「任命する」となっていて「任命できる」という表現になっていないことは、1983年当時の政府答弁とも符合する事情のようにも感じます。
 さらに、日本学術会議法の前文も次のようになっています。

 日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。

 「科学者の総意」の下で設立されているのだから、そこに「政治」が介入する余地はない、というのが普通の読み方でしょう。

 内閣総理大臣の会員の任命権をめぐるこの法律の構成は、既にいろいろな方が指摘していますが、憲法が天皇の国事行為として規定する内閣総理大臣の任命と同じです。

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

 天皇が憲法に基づいて首相を任命しないことができるなどとは、誰も考えないでしょう。内閣法制局の見解を聞いてみたいと思います。

 この問題に対して、東京発行の新聞各紙の扱いは二分されているようです。初報段階の10月2日付朝刊では、東京新聞は1面トップ、朝日新聞、毎日新聞も1面の扱いでした。一方で読売新聞は第3社会面、産経新聞は政治面でした。政府の法解釈変更が明らかになった後の3日付朝刊でも、朝日、毎日、東京はそろって続報を1面トップで扱いましたが、読売、産経はそれぞれ政治面、総合面でした。

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【写真】10月3日付の東京発行各紙朝刊1面 

 関連の報道では、京都新聞が任命されなかった当事者の一人である立命館大法科大学院の松宮孝明教授の長文のインタビューをサイトにアップしています。問題点が明確に指摘されています。

「『この政権、とんでもないところに手を出してきた』 学術会議任命見送られた松宮教授」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/368847

www.kyoto-np.co.jp

 「とんでもないところに手を出してきた」。その通りだと感じます。菅首相は、検事長の定年延長問題から何か学んだことはないのでしょうか。

 

「代わり映えのなさ」が「コロナ優先」民意とマッチ~菅義偉政権の高支持率

 退陣した安倍晋三氏の後任の自民党総裁、首相に、安倍政権で長く官房長官の地位にあった菅義偉氏が選出され、新内閣が9月16日発足しました。直後にマスメディア各社が実施した世論調査では、内閣支持率は60%台半ばから70%超と高い水準でした。安倍政権末期の支持率の伸び悩みや、とりわけ新型コロナウイルス対策に批判が多かったことから、安倍政権の政策を受け継ぐと宣言した菅政権の高支持率は意外な気もします。
 ただ、各社の調査の個別の設問と回答状況を追ってみると、菅内閣の最優先の課題に挙がったのはいずれの調査でも「コロナ対策」です。安倍政権の経済政策(アベノミクス)を引き継ぐことに対しては、調査によって評価は分かれており、ましてや安倍前首相がこだわっていた憲法改正はほとんど問題にもなっていません。その一方で、森友学園や加計学園、桜を見る会の問題の再調査や真相解明を求める意見は根強く、麻生太郎副総理・財務相の再任や、自民党の二階俊博幹事長の留任に対しての評価も低く、決して菅政権を積極的に評価しているわけではないようです。
 菅内閣に対しては、その顔ぶれに代わり映えがなく「安倍晋三がいない安倍内閣」(共産党の小池晃書記局長)との酷評もあります。しかし、その代わり映えのなさ自体が、コロナ禍の下で急激な変化を望まない民意に絶妙にマッチしているのかもしれないと感じます。長かった「アベ政治」が終わり、野党の側でも与党への「対案」ではなく「対抗軸」を打ち出そうとする新生・立憲民主党が発足しました。考えようによっては、政治のありようを民意に問う機会かもしれませんが、各社の調査では、民意は早期の衆院選を望んでいません。結局のところ、高い支持率には「今は変化よりもコロナ対策」との多くの人たちの考えがにじみ出ているようで、いわば消極的な支持と言えるのではないかと感じます。

 以下は各調査の菅内閣支持率と不支持率です。
▼毎日新聞・社会調査研究センター・JNN 9月17日実施
 支持  64%
 不支持 27%
▼朝日新聞 9月16、17日実施
 支持  65%
 不支持 13%
▼日経新聞・テレビ東京 9月16、17日実施
 支持  74%
 不支持 17%
▼共同通信 9月16、17日実施
 支持  66.4%
 不支持 16.2%

 順番が前後しますが、16日の菅内閣の発足を翌17日付の東京発行新聞各紙の朝刊は1面トップで大きく扱いました。ただ、久しぶりの新首相だというのに、各紙の紙面からは期待感や躍動感といったものが感じられませんでした。自民党総裁選が始まる前に、党内の各派閥が競うように菅氏支持を打ち出し、あっという間に大勢が決してしまったことは「打算の結果」としか言いようがありません。打算の寄り集まりなので、何かあれば離散も早いかもしれません。わたしが新内閣に感じるのは「不安」です。色々な意味で「大丈夫か」という不安があります。

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 以下に、各紙の1面の主な記事と編集幹部らの署名評論、社説の主な見出しを書きとめておきます。

▼朝日新聞
「菅内閣発足/8人再任・派閥配慮の『安全運転』/桜を見る会『来年以降は中止』表明」
社説「菅『継承』内閣が発足 安倍政治の焼き直しはご免だ」/暫定色払拭するには/見えぬ国家ビジョン/解散よりコロナ対応

▼毎日新聞
「軽症と改革 旗印/『縦割り110番』指示/菅内閣発足」
「菅ビジョン聞きたい」高塚保・編集編成局次長
社説「菅義偉・新内閣が発足 まず強引な手法の転換を」/政権の骨格は変わらず/解散前には論戦が必要

▼読売新聞
「菅内閣発足/『行政の縦割り打破』/コロナ、経済対策 最優先」
「改革に突破力と説得力」伊藤俊行・編集委員
社説「菅内閣発足 経済復活へ困難な課題に挑め 改革の全体像と手順を明確に」/国民の理解が不可欠/成長戦略をどう描くか/衆院解散の時期が焦点

▼日経新聞
「規制改革へ縦割り打破/菅内閣が発足/コロナ対応・経済 両立」
社説「迅速と丁寧を両立させた政治主導を」経済・コロナは続投/地方の活性化に期待

▼産経新聞
「菅内閣発足『継承と前進』/コロナ・経済 最優先/拉致解決『不退転の決意』」
「『NASA政権』国民に信を問え/対中政策は腹くくり国益第一で」乾正人・論説委員長

▼東京新聞
「菅内閣発足/安倍政権の継承『私の使命』/自民に来月総選挙論」
「誰も置き去りにしない政治を」豊田洋一・論説副主幹
社説「菅内閣が始動 国民全体の奉仕者たれ」/女性閣僚起用、前進なく/忖度がはびこる可能性/分断の政治に終止符を

 

※追記 2020年9月22日19時30分
 読売新聞社が9月19、20両日に実施した世論調査では、菅内閣支持率は74%、不支持率は14%でした。優先して取り組んでほしい政策や課題は「新型コロナウイルス対策」が最多の34%。衆院解散・総選挙については「任期満了まで行う必要はない」が59%に上っています。読売新聞は、自民党内に早期解散論が高まっていると伝えていますが、支持率の数値の高さだけに目を奪われて、民意を読み違えている可能性が否定できません。危うさを感じます。

政治報道と世論調査相互の検証が課題ではないか~安倍内閣支持が急上昇、「アベ政治」7割が評価、「後任にふさわしい」菅氏が逆転

 安倍晋三首相の退陣表明後、自民党の総裁選実施に合わせてマスメディア各社が電話世論調査を実施しています。その結果を見ていて、政治報道と世論調査の相互の意義、あるいは相関関係を巡って感じることが多々あります。雑駁ですが、いくつか書きとめておきます。

 ■内閣支持率が急上昇、理由がよく分からない
 まず、安倍晋三内閣の支持率です。安倍首相の辞任表明は8月28日でした。同29、30日両日に実施した共同通信の調査を始め、いずれも「支持」が跳ね上がって「不支持」が大幅に減り、支持が不支持を上回りました。

※カッコ内は前回比
▽共同通信 8月29~30日 前回は8月22~23日
  支持  56.9%(20.9ポイント増)
  不支持 34.9%(14.2ポイント減)
▽読売新聞 9月4~6日 前回は8月7~9日
  支持  52%(15ポイント増)
  不支持 38%(16ポイント減)
▽JNN 9月5~6日 前回は8月1~2日
  支持  62.4%(26.9ポイント増)
  不支持 36.2%(27.0ポイント減)
▽毎日新聞・社会調査研究センター 9月8日 前回は8月22日
  支持  50%(16ポイント増)
  不支持 42%(17ポイント減)

 ことしに入ってからの安倍内閣支持率は、新型コロナ対策への不評からか、支持率が伸びず、不支持が支持を上回る状況が続いていました。それが、安倍首相が持病の再発を理由に退陣を表明したとたんに、この変動です。安倍首相は、当面のコロナ対策を決めたタイミングでの退陣の決断と説明しましたが、そのコロナ対策が高く評価されたとは考えにくいです。「病のため、志半ばで去る」という説明への同情が、「支持」の回答に表れた可能性はありそうです。あるいは、退陣表明の直前まで、安倍氏の健康状態については週刊誌が詳細に報じていました。「もう辞めるしかなにのではないか」と多くの人が思っていたところに退陣表明があり、「よく決断した」と、「辞める」こと自体を評価した人が多いのかもしれません。
 また、内閣を支持するか否かは、各社とも毎回、最初に尋ねているのですが、8月29、30日の共同通信の調査では、退陣表明への評価や次の総裁候補についての質問の後で尋ねています。いつもと尋ね方も異なっているので、結果に対しての評価はなおさら難しいように思います。
 いずれにしてもこの内閣支持率の劇的な回復をどう読み解けばいいのか、よく分かりませんし、調査したマスメディアの側もあまり触れていません。なお、朝日新聞の9月2、3日の調査では内閣支持率の質問はありませんし、共同通信も9月8、9日の調査では落としています。

 ■「安倍政治」の7年8カ月、7割が評価
 もう一つ、驚いたのは「安倍政治」に対する評価です。調査によって文言は異なりますが、いくつかの調査が、第2次安倍内閣以降の7年8カ月を評価するかしないかを尋ねています。結果は以下の通りです。

▽共同通信 8月29~30日
  評価する 21.2%
  ある程度評価する 50.1%
  あまり評価しない 18.4%
  評価しない 9.6%
  ※「評価する」計71.3% 「評価しない」計28.0%
▽日経新聞・テレビ東京 8月29~30日
  「評価する」「どちらかといえば評価する」計74%
  「評価しない」「どちらかといえば評価しない」計24%
▽朝日新聞 9月2~3日
  大いに評価する 17%
  ある程度評価する 54%
  あまり評価しない 19%
  まったく評価しない 9%
  ※「評価する」計71% 「評価しない」計28%
▽読売新聞 9月4~6日
  大いに評価する  19%
  多少は評価する  55%
  あまり評価しない 16%
  全く評価しない   8%
  ※「評価する」計74% 「評価しない」計24%
▽JNN 9月5~6日
  非常に評価する 12%
  ある程度評価する 59%
  あまり評価しない 22%
  まったく評価しない 6%
  ※「評価する」計71% 「評価しない」28%

 各調査そろって「評価する」がおおむね7割に上り、「評価しない」は4分の1前後にとどまります。調査の違いによるブレが見られません。「安倍政治」がこれだけ高い評価を得ていることには驚きがありますが、その要因、理由となると、内閣支持率の急上昇と同様によく分かりません。今年に入って内閣支持率は伸び悩んでいましたが、それは新型コロナウイルスへの対応のまずさが主な要因であって、それを除けば高評価に値する政権だった、という民意の受け止めなのでしょうか。
 興味深いのは毎日新聞と社会調査研究センターの調査(9月8日)です。「安倍政治」をひとくくりではなく、「新型コロナウイルス対策」「経済政策」「社会保障政策」「外交・安全保障政策」と「安倍首相の政治姿勢」の五つに分けて尋ねています。「評価する」が「評価しない」を上回ったのは「経済政策」「外交・安全保障政策」「安倍首相の政治姿勢」の三つ。評価の数値が最も高かったのは「外交・安全保障政策」で57%ですが、政治姿勢では「評価する」43%に対し「評価しない」39%で、これは拮抗と見ることもできそうです。いずれにせよ、「安倍政治」の評価をざっくりトータルで尋ねた場合とで、これだけ大きな違いがあります。

 ■世論の支持、あっという間に菅氏がトップに
 現状の国会の議席数では、自民党総裁がほぼ自動的に首相になります。各調査とも次の自民党総裁、首相(ポスト安倍)にだれがふさわしいかを尋ねています。調査によってはかなりの人数の個人名を選択肢に挙げているのですが、ここでは総裁選に実際に出馬した石破茂氏、岸田文雄氏、菅義偉氏の3人について見てみます(敬称略)。

▽共同通信 8月29~30日
  石破茂  34.3%
  岸田文雄  7.5%
  菅義偉  14.3%
▽日経新聞・テレビ東京 8月29~30日
  石破茂  28%
  岸田文雄  6%
  菅義偉  11%
▽朝日新聞 9月2~3日
  石破茂  25%
  岸田文雄  5%
  菅義偉  38%
▽読売新聞 9月4~6日
  菅義偉  46%
  石破茂  33%
  岸田文雄  9%
▽JNN 9月5~6日
  石破茂  27%
  岸田文雄  6%
  菅義偉  48%
▽共同通信 9月8、9日
  石破茂  30.9%
  菅義偉  50.2%
  岸田文雄  8.0%
▽毎日新聞・社会調査研究センター 9月9日
 (投票できるとしたらだれに投票するか)
  石破茂  36%
  菅義偉  44%
  岸田文雄  9%

 安倍首相の退陣表明直後の8月29、30日の2件の調査では石破氏が菅氏にダブルスコア以上の差をつけていました。世論の期待は石破氏がトップでした。しかし9月に入ると逆転し、菅氏は石破氏に10~20ポイントの差をつけています。菅氏が総裁選に出馬すると報じられ始めたのは8月31日。以後、自民党の主要派閥が競うように菅氏支持を打ち出すさまが連日報道されました。そして総裁選が実際に始まったころには、地方票も含めて菅氏優位は動かない状況が出来上がり、それがまた連日報じられました。そうした中での短期間での世論の変化です。
 一時は総裁選出馬を否定していた菅氏が一転、出馬することになり、一気に有力候補とみなされた、ということかもしれません。一方で、自民党内での派閥間の駆け引きによって菅氏優位の状況は生まれており、結局は党内有力者による密室での後任決定ではないのか、との批判もあります。世論調査で菅氏への期待が急上昇したことは、こうした批判に対して、菅氏自身をはじめとした当事者たちが「それは当たらない」と否定する格好の材料になるように思えます。
 これは仮説ですが、世論の期待が石破氏から菅氏へと短期間で逆転したことの背景に、菅氏の総裁選出馬や党内情勢が連日大きく報じられたことがあり、意図していたわけではないものの結果として「密室での後任選び」への批判よりも、菅氏への好感度を高めることになった可能性はないのでしょうか。そして「これが世論だ」として、その調査結果が現実の総裁選に様々に影響している可能性はどうでしょうか。政治報道と世論調査の相互の役割の検証も、マスメディア自身の課題ではないかと感じています。

「ついに沖縄とまっとうな関係築けず」(沖縄タイムス)~「安倍政治」 地方紙・ブロック紙の社説、論評

 安倍晋三首相が8月28日に辞任を表明したことに対し、地方紙・ブロック紙も翌29日付の社説、論説で論評しています。ネットでチェックできたものについて、見出しを書きとめておきます。9月2日夜の時点で内容を読むことができる社説、論説は、リンクも張っておきます。
 目立つのは「強権」「独善」「忖度」「ゆがみ」「ひずみ」といったマイナス評価のキーワードです。全体として、「安倍政治」への厳しい評価が多いように感じました。
 その中で、特に目を引いたのは中国新聞の社説「負の政治遺産どうする」の中の次の一節です。世論調査では、安倍内閣の支持率は一時的に落ちても、すこしたてば回復するパターンを繰り返してきました。安倍政治の長期化は民意が支持した結果でもあったのです。「安倍政治」を批判するだけでは、検証、総括としては不十分だと感じます。

 これらのあしき政治手法や姿勢は、安倍1強の長期政権が作りだしたものだ。その中で、政治に対する国民の意識も鈍ってきた面があるかもしれない。新内閣には政治の刷新、悪弊の一掃が求められるだろう。国民もまた政治を見る目を改める必要がありそうだ。

 このブログの前回の記事でも書きましたが、安倍政治が残した社会の分断の中でも、もっとも深刻な一つは、米軍普天間飛行場移設に伴う辺野古沿岸部の埋め立て強行など、沖縄の基地の集中を巡ってです。沖縄タイムス、琉球新報の沖縄の2紙は、「安倍首相は任期中、ついに沖縄とまっとうな関係を築くことができなかった」(沖縄タイムス)などと、とりわけ厳しい評価です。
 安倍後継の自民党の総裁選びは、あれよと言う間に菅義偉官房長官が党内の主要派閥の支持を取り付け、優位に立っています。その菅氏は、安倍政権で沖縄対応の責任者でした。仮に菅政権が誕生したとして、辺野古をはじめとして、沖縄に一方的に負担増を強いる基本姿勢の転換は期待できないように思います。それを了とするのか、了としていいのか。やはり問われるのは、日本本土に住むこの国の主権者だろうと思います。

■8月29日付の各紙の社説、論説
▼北海道新聞「安倍首相が退陣表明 強権と隠蔽体質の果てに」/数の力で禍根を残す/「私物化」疑惑消えぬ/後継選び論戦尽くせ
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/454861?rct=c_editorial
▼河北新報「安倍首相退陣表明/目立った強権 熟議に戻せ」
 https://www.kahoku.co.jp/editorial/20200829_01.html
▼東奥日報「ひずみ生んだ『1強』政治/安倍首相 辞意表明」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/401360
▼秋田魁新報「安倍首相辞意 政治的空白は許されぬ」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20200829AK0012/
▼山形新聞「安倍首相退陣 ひずみ生んだ1強政治」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20200829.inc
▼福島民報「【安倍首相退陣表明】政治空白をつくるな」
 https://www.minpo.jp/news/moredetail/2020082978446
▼福島民友新聞「首相退陣表明/空白避け政治を前に進めよ」
 https://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20200829-531200.php
▼茨城新聞「安倍首相退陣 ひずみ生んだ1強政治」
▼山梨日日新聞「[安倍首相退陣表明]薄れた立憲主義を取り戻せ」
▼信濃毎日新聞「首相が退陣表明 政治の劣化を進めた責任」/遅きに失した判断/看板掛け替えの害/民主主義の再構築を
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20200829/KT200828ETI090010000.php
▼新潟日報「安倍首相辞意 唐突な『投げ出し』またも」/暮らし混乱させるな/独善の踏襲では困る/拉致問題解決に力を
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20200829564649.html
▼中日新聞・東京新聞「『安倍政治』の転換こそ 首相退陣表明」/任期途中2度目の辞任/憲法軽視の「一強政権」/速やかに国民の信問え
 https://www.chunichi.co.jp/article/111796?rct=editorial
▼北日本新聞「安倍首相の辞任表明/難題克服する新体制を」
▼北國新聞「安倍首相が辞意 経済政策、外交に不安材料」
▼福井新聞「安倍首相退陣表明 『1強』のもろさあらわに」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1153894
▼京都新聞「安倍首相の辞意 国民への責任は果たせたか」/問題から逃げている/過剰な「忖度」生んだ/功罪の議論もなしに
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/348117
▼神戸新聞「首相退陣表明/『1強』の弊害を改める契機に」/「官邸主導」の検証を/骨太の政策議論こそ
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202008/0013644882.shtml
▼山陽新聞「安倍首相辞任 長期政権にも達成感なく」
 https://www.sanyonews.jp/article/1046255?rct=shasetsu
▼中国新聞「安倍首相の退陣表明 負の政治遺産どうする」/前回は投げ出し/自ら「成果」強調/道半ばの政策も
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=676193&comment_sub_id=0&category_id=142
▼山陰中央新報「安倍首相退陣/ひずみ生んだ1強政治」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1598666708006/index.html
▼愛媛新聞「首相辞意表明 1強政治 おごりやひずみ招いた」
▼徳島新聞「安倍首相退陣 政権の行き詰まり響く」
▼高知新聞「【安倍首相退陣】ゆがみ生んだ1強政治」
 https://www.kochinews.co.jp/article/393162/
▼西日本新聞「安倍首相が辞意 ポスト『1強政治』へ号砲」/安定とゆがみの明暗/揺らぐ政権の座標軸
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/639877/
▼宮崎日日新聞「安倍首相退陣表明 『1強』生んだひずみ総括を」
 https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_47023.html
▼佐賀新聞「安倍首相退陣 ひずみ生んだ1強政治」(共同通信)
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/566956
▼熊本日日新聞「首相辞意表明 政策の遅滞は許されない」/響いたコロナ対応/ポスト安倍は誰に/対話重視へ転換を
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/1583249/
▼南日本新聞「[首相退陣表明] ひずみ生んだ1強政治」/議論の機会を喪失/難題の道筋示せず
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=124872
▼沖縄タイムス「[安倍首相 辞意表明] 後継者は県との対話を」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/623672

 通算の在任期間が8年を超えるというのに、安倍首相は任期中、ついに沖縄とまっとうな関係を築くことができなかった。
 米軍普天間飛行場の返還合意を実現した橋本龍太郎元首相や、サミットの沖縄誘致を決断した小渕恵三元首相と比べたとき、その違いが際立つ。
 橋本氏や小渕氏、そして野中広務元官房長官らは県民の戦争体験や戦後の米軍統治下の苦難を理解していた。
 だが、戦後生まれの安倍首相には、沖縄の歴史に向き合う姿勢がほとんど感じられなかった。
 菅義偉官房長官にも言えることだが、何度でも足を運んで話し合いを重ね、接点を見いだす、という「寄り添う姿勢」が感じられない。 
 安倍首相の辞意表明を、県との関係改善、計画見直しの機会にすべきである。

▼琉球新報「首相辞任表明 民意尊ぶ政治の復権を」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1181527.html

 沖縄には国内の米軍専用施設の約7割が集中し、米軍による事件や事故が相次ぐ。今年6月23日の「慰霊の日」に首相はビデオ映像を通じて「基地負担の軽減に向け、確実に結果を出す決意だ」と述べた。「唯一の解決策」として、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設を強行する。対米交渉で辺野古以外の解決策を見いだそうとしなかった。
 米軍基地問題に対する県政の姿勢によって沖縄関係予算を増減させ、県を通さず国が市町村に直接交付する「沖縄振興特定事業推進費」を創設、地域の分断を図ろうとした。「アメとムチ」の政策である。
 辺野古の問題で昨年12月、埋め立て海域の約70メートルより深い軟弱地盤への対処などのため、総工費が当初計画の約2・7倍の約9300億円とする計画見直し案を発表した。しかし、技術的にも財政的にも完成は見通せない。
 安倍首相の大叔父に当たる佐藤栄作首相は、琉球政府の屋良朝苗主席に対し「本土の(基地)負担を沖縄に負わすようなことはしない」(1971年)と明言した。だが約束は今も果たされていない。
 安倍政権は、国政選挙や知事選挙、県民投票などで辺野古新基地建設反対の民意が示されても無視してきた。民主主義を形骸化させ、少数の国民に基地の負担を押し付けてはばからない政権として、歴史に名が刻まれるだろう。

 

感謝の対象に「こんな人たち」は入っているのか~根深い分断残した「安倍政治」の功罪

 安倍晋三首相が8月28日、辞任することを記者会見で表明しました。持病の潰瘍性大腸炎が再発したこと、政治判断を誤ることがあってはならないと考えたことが理由だと説明しました。職務を続けることも考えたとのことですが、賢明な結論だと思います。病気のことはお気の毒に思います。治療に努めていただきたいと思います。
 史上最長の政権の幕切れとあって、東京発行の新聞各紙は29日付の朝刊で各紙とも1面、総合面、政治、経済、国際、社会各面それぞれで大きく扱いました。社説のほか、政治部長や編集幹部の署名評論も載せました。約7年8カ月にわたる第2次安倍政権の功罪は今後、多方面から様々に検証がなされることと思いますが、29日付朝刊での各紙社説や政治部長らの評価は、業績を積極的、肯定的にとらえ、その方針の継続を求める論調と、強硬姿勢が目立った政治手法をあらためて批判し、転換を求める論調、業績の是と非を峻別しようとした論調とに分かれたように感じます。例えば社説の見出し一つでも、産経新聞の社説(「主張」)の「『安倍政治』を発射台にせよ」は、安倍政治の継承を打ち出していますし、朝日新聞の「『安倍政治』の弊害 清算の時」はこれと対照的です。毎日新聞、東京新聞も、政権の功罪で言えば「罪」の指摘に比重があるように感じます。一方で読売新聞は、外交や安全保障などの政策については積極評価ながら、新型コロナウイルス対策については厳しい評価です。これまで安倍政権に対して、読売新聞は産経新聞とともに政権支持を鮮明にすることが多く、朝日、毎日、東京の3紙との対比で、在京各紙の2極化がしばしばみられました。マスメディアの論調が2極化したということ自体、安倍政権下での日本社会の特徴の一つでしたが、29日付朝刊では、読売と産経の論調に少し温度差を感じました。
 特定秘密保護法や安保法制、共謀罪など、世論を二分するテーマで、安倍政権は国会の議席数を背景に強硬姿勢を取り、強引に可決させてきました。肯定的に評価するなら「決められる政治」であり、「政治の安定」を誇ったということなのだろうと思います。しかし、そのことが社会に根深い「分断」をもたらしたのも確かだと思います。安倍政権を支持する意見、批判する意見の双方とも相手を攻撃し、多分に感情を交えて批判する様は、例えばSNS上では珍しくもない光景になっています。そこに対話は成立しにくくなっています。
 異なった意見同士が交わることが困難になっている、その原因が安倍政権の政治姿勢と手法にあることを如実に示した情景として、わたしが思い出すのは、安倍首相の「こんな人たち」発言です。2017年7月2日投開票の東京都議選で、選挙運動最終日の同1日、安倍首相は東京・秋葉原で街頭演説を行いました。聴衆の一角から「帰れ」「辞めろ」のコールが起きました。安倍首相がその人たちの方を指さしながら「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」と言い放ったエピソードです。一国の首相であれば、例え自分を支持していない、批判している人であっても、自国の住民、市民であれば守る責任があるはずです。しかし、そういう人たちを明確に敵視する発言でした。これでは社会の分断は埋めようがありません。
 辞任表明の記者会見で安倍首相は、冒頭発言の最後を「国民の皆様、8年近くにわたりまして、本当にありがとうございました」との言葉で結びました。この「国民」の中に、かつて「こんな人たち」と言い放った人たち、あるいは国会前で「アベ政治を許さない」のプラカードを掲げた人たちが含まれているのか、尋ねてみたいと思いました。
※参考過去記事
https://news-worker.hatenablog.com/entry/2017/07/04/085919

news-worker.hatenablog.com

 在京各紙の29日付の紙面に戻ると、社説や評論で安倍政治を評価するにしても批判するにしても、アベノミクス、外交、拉致問題、共謀罪、安保法制、モリカケ・桜を見る会などには各紙それぞれに触れながら、しかし、米軍基地をめぐる沖縄の辺野古沖の埋め立て強行には言及がありませんでした。
 このブログでは何度も触れていることですが、ほかの地域では考えにくいことが、沖縄では在日米軍を巡って起きています。地元の民意を押し切って、警察力まで行使して国策が強行されています。軟弱地盤の存在という不都合な事実を覆い隠しようもなくなってもなお、です。沖縄以外、こんなことは他の地域では考えられないという意味で「差別」との批判は免れないと思いますし、これこそ安倍政権の功罪の「罪」の最たるものとわたしは考えています。安倍首相の辞任表明のタイミングで、この「罪」が在京紙の政治報道でほとんど取り上げられなかったことを極めて残念に思います。
 安倍政権の「功」として、トランプ米大統領と安倍首相の信頼関係に基づく日米同盟の安定と強化を挙げる意見があります。その裏返しにあるのが辺野古の問題です。安倍政治の検証というこの機会に、あらためて日本本土に住む日本国の主権者がわが事としてとらえるべき問題です。そのために本土のマスメディアが何を伝えるのかは、大きな課題の一つだと思います。

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 以下は、29日付朝刊の東京発行各紙の1面の主な記事の見出しと、社説、政治部長らの署名評論の見出しです。これだけでも各紙ごとの論調の違いがうかがえるのではないかと思います。
【朝日新聞】
1面トップ「安倍首相 辞任表明/『持病再発、負託に応えられない』/新首相 来月に選出」
1面「1強政治の『負の遺産』教訓に」栗原健太郎・政治部長
社説「最長政権 突然の幕へ 『安倍政治』の弊害 清算の時」/行き詰まりは明らか/安定基盤を生かせず/『分断』『忖度』克服を

【毎日新聞】
1面トップ「安倍首相 辞任表明/今月上旬 持病再発/『国民におわび』」
1面「総裁選 党員投票せず/自民 岸田・石破ら4氏意欲」
1面「次に進む道 探る時」小松浩・主筆
社説「安倍首相が辞任表明 行き詰った末の幕引き」/迷走続いたコロナ対応/難局乗り切る体制急務

【読売新聞】
1面トップ「安倍首相辞任表明/コロナ下 持病悪化/後任 菅・岸田・石破氏の名/最長政権7年8カ月」
1面「感染拡大 対応苦しむ」
1面「国論二分の課題 挑んだ」「『断固さ』薄れ 求心力低下」(2面)橋本五郎・特別編集委員(「総括 安倍政権」)
社説「首相退陣表明 危機対処へ政治空白を避けよ/政策遂行に強力な体制が要る」/長期政権の功績大きい/総裁選で活発な論争を/感染症対策の実行急務

【日経新聞】
1面トップ「安倍首相 辞任/持病再発で職務困難/『政治判断 誤れない』/来月中旬までに総裁選」
1面「政策遂行 切れ目なく」吉野直也・政治部長
社説「コロナ禍に政治空白は許されない」/円滑な政権移行を/業績は『政治の安定』

【産経新聞】
1面トップ「安倍首相 辞任表明/持病悪化 7年8カ月で幕/後任候補 菅・石破・岸田氏ら/『コロナめど』『拉致未解決 痛恨』」
1面「総裁選 来月15日軸/党員投票せず簡素化 検討」
1面「国難に立ち向かう体制づくり急務」佐々木美恵・政治部長
社説(「主張」)「首相の退陣表明 速やかに自民党総裁選を/『安倍政治』を発射台にせよ」/多くの仕事成し遂げた/憲法改正は実現できず

【東京新聞】
1面トップ「安倍首相 退陣」/「一強と分断の7年8カ月」「潰瘍性大腸炎 再発/『国民の負託 応えられず』/後任決定まで職務」
1面・高山晶一・政治部長
社説「首相退陣表明 『安倍政治』の転換こそ」/任期途中2度目の辞任/憲法軽視の「一強政権」/速やかに国民の信問え

 もう一つ、新聞各紙の報道を巡って考えることがあります。
 安倍首相の健康問題は8月17日、首相が慶応大病院に行ったことで社会の大きな関心事になりました。第1次政権では、持病を理由にした突然の退陣は「放り投げ」とも批判されていたので、当然のことだと思います。新聞の政治取材にとっても、第1次政権のことを教訓にすれば、取材テーマとして首相の健康状態の優先順位は決して低くないはずです。
 しかし、その後の10日間ほど、新聞は独自取材に基づく情報を社会に発信することはほとんどありませんでした。週刊誌が首相の病状に迫る情報を発信しても、新聞はそれらの週刊誌報道への政界の反応程度しか報じていませんでした。この間、新聞以外にもこうした週刊誌の情報に接していた人たちから見れば、首相の辞任表明は十分に予想されることだったのではないかと思いますし、新聞が「突然退場」「急な決断」といったトーンを強調していることにも、違和感をぬぐえない読者は少なくないのでは、と思います。
 結果論であるとしても、「首相の病状」という事実に迫った雑誌メディアに新聞メディアは遅れを取りました。伝統的に新聞の世界では、新聞と雑誌は異なった場所で勝負している、との意識があります。言葉を変えれば、新聞と雑誌は役割が違う、ということかもしれません。新聞は新聞同士の間で「抜いた抜かれた」の取材競争に明け暮れてきました。これは政治取材に限らず、かつてわたしが身を置いた事件取材でもそうです。だから、「首相の病状」を新聞が発信できなかったことにも、新聞側にはさして問題だととらえる意識はないかもしれません。まして「病気」は個人のプライバシーそのものです。雑誌のように軽々には扱えない、という意識もあるかもしれません。
 ただこの10日ほどの間、安倍首相の病状が社会の最大の関心の一つであったことは間違いありません。その関心に応えたのは雑誌メディアだったことも間違いありません。新聞が読まれなくなったと言われて久しいのですが、加えて、知りたい情報がそこにはない、と受け止められるとしたら、極めて残念です。
 新聞は組織ジャーナリズムのメディアです。そして、紙の新聞がやがてはデジタル中心の情報発信に移行するとしても、組織ジャーナリズムの役割は変わるところがないはずです。デジタル空間での情報発信に、もはや新聞同士の「勝った、負けた」は意味のないことです。新聞が培ってきた組織ジャーナリズムの良い面をどう残し、さらに発展させていくのか。そんなことも考えています。

水木しげるさん「総員玉砕せよ!」の“事実を超える真実”~戦争による死を美化しない

 8月15日は、日本の敗戦で第2次世界大戦が終結して75年の日でした。わたしが今、危惧するのは、社会で戦争体験の継承が難しくなっていることです。特に戦没者を「尊い犠牲」と美化し「その上に今日の日本の繁栄がある」と位置付けることは、戦争の実相を覆い隠し、やがては、日本が再び戦争をできる国になることにつながりかねない恐れがあります。そうさせてはならない、との思いとともに、漫画家の故水木しげるさんの作品「総員玉砕せよ!」のことを書きとめておきます。

 水木さんは陸軍に召集され、ニューギニア戦線ラバウルに出征し、米軍の攻撃で左腕を失ったことはよく知られています。戦後、代表作の「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめとした妖怪漫画で活躍する傍ら、戦争を題材とする作品群も残しています。「総員玉砕せよ!」はその代表作。あらすじは以下の通りです。 

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

 

 水木さん自身である主人公は丸山二等兵。昭和18年末、楠木正成に心酔する若い少佐の大隊長に率いられる500名の支隊はニューブリテン島のバイエンに上陸し陣地を構えます。やがて連合軍の攻撃が始まり、丸山二等兵の上官である中隊長の中尉は、陣地を捨てて高地にこもり、持久戦を展開するよう主張しますが、大隊長は玉砕を主張。切り込みを敢行した結果、大隊長は戦死しました。生き残った者は撤退し、重傷を負った中隊長はその途中で自決します。
 ラバウルの本隊司令部では支隊から玉砕の電信を受け、全員死んだものとして大本営にも報告していました。生存者数十名がいるとの知らせに、「敵前逃亡はラバウル全軍の面汚し」とされ、“処理”のために参謀の中佐が派遣されます。出発の前夜、バイエン生き残りの軍医の中尉がラバウルを訪れて部下の命乞いをしますが、参謀に面罵され、軍医は自決しました。
 バイエン支隊の生き残りは「生きてはならぬ人間」。参謀は尋問で2人の小隊長の少尉に生き残ったことを責めます。2人は逡巡した末に責任を取って自決し、残りの下士官と兵81人は再突撃を行い、全員死にます。その直前に「玉砕を見届け報告する冷たい義務がある」として引こうとした参謀も流れ弾に当たって死にました。

 あとがきで水木さんは「九十パーセントは事実」と書いています。実際には再突撃はなく、80人近くが生き延びています。ウイキペディア「総員玉砕せよ!」によると、「1度目の玉砕で生き残った者たちは、ヤンマー守備隊に編入されて再び玉砕することはなかった。しかし、元々この配置は次の戦闘で全員突撃して戦死することを強く期待したものであり、結果として以降は本格的な戦闘がないまま終戦を迎えた」とのことです。また、あとがきで水木さんは「参謀はテキトウなときに上手に逃げます」と書いています。
 しかし軍医は、実在のモデルも自決したとのことです。作中では、参謀とのやり取りがこんな風に描かれています。

 「参謀どの とうてい勝ち目のない大部隊にどうして小部隊を突入させ 果ては玉砕させるのですか」
 「時をかせぐのだ」
 「なんですか 時って」
 「後方を固め戦力を充実させるのだ」
 「後方を固めるのになにも なにも玉砕する必要はないでしょう 玉砕させずにそれを考えるのが作戦というものじゃないですか 玉砕で前途有為な人材を失ってなにが戦力ですか」
 「バカ者―ッ」 ※顔を殴りつける
 「貴様も軍人のはしくれなら言うべき言葉も知ってるだろう」
 「私は医者です。軍人なんかじゃない あなたがたは意味もないのにやたらに人を殺したがる 一種の狂人ですよ もっと冷静に大局的にものを考えたらどうですか」
 「きさま 虫けらのような命がおしくてほざくのか」
 「もっと命を大事にしたらどうですか」
 
 「人情におぼれて作戦が立てられるか」
 「参謀どのッ 日本以外の軍隊では戦って俘虜になることをゆるされていますが どうして我が軍にはそれがないのです それがないから無茶苦茶な玉砕ということになるのです」
 「貴様それでも日本人か」
 「命を尊んでいるだけです」
 「女女しいこというな」
 「女女しくきこえましたか 男らしくなかったですかな」
 「なんだと 貴様 上官に対する言葉を知らんなあ」
 「参謀どの もうやめましょう さっき参謀長どのになぐられましたから」
 「ふん」

 このやりとりの後、軍医は拳銃で自殺します。遺体を前に参謀は「おしいことしたな まだまだ使えたのになあ」とひと言。「まだまだ使えた」とは、生き残りの八十数人を再突撃させるための役どころがあったということでしょうか。遺体は火葬され、参謀は遺骨とともに生き残りの部隊のもとへ赴きます。

 わたしの手元にあるのは講談社文庫版の第10刷(2007年7月発行)です。巻末の足立倫行氏の解説によると、最初の玉砕当時、水木さん自身は左腕を失う戦傷で後方に移送されており、戦闘には参加していませんでした。「総員玉砕せよ!」の構成は、前半が水木さん(=丸山二等兵)が体験した部隊の日常、後半は負傷した水木さんがいなくなった後の部隊の実話であり、最後だけ2度目の玉砕があったように作り変えたということになります。この方法について、足立氏は「“事実を超える真実”を描くことに成功した」と指摘しています。フィクション混じりでも、ここに描かれているのは水木さん自身が体験した戦争のリアルなのだろうと思います。あとがきを水木さんは「ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う」と結んでいます。

 この記事の冒頭で、戦没者を尊い犠牲と美化することの危うさを書きました。具体的に言えば、例えば航空機に爆弾を搭載し、パイロットが敵艦に体当たりを図る航空特攻です。生還を予定しないことに対して、生みの親とされる大西瀧治郎・海軍中将自身が「統率の外道」と口にしていたとされます。「総員玉砕せよ!」の中で、水木さんが軍医に言わせた「玉砕させずにそれを考えるのが作戦というものじゃないですか」とは、まさにこのことに通じます。生身の人間が爆弾もろとも体当たりするしかないところまで追い込まれているのなら、もはやそれは作戦ではありません。自殺の強要です。無念の死以外の何物でもないはずです。勝てないどころか、戦争として成り立っていないのですから、そこで終わりにしなければなりませんでした。無数の無念の死に報いるのは、その死を美化することではなくて、二度と戦争をしないこと、その決意を守り続けることだと思います。

 ことしの8月15日には、安倍晋三内閣の閣僚が4年ぶりに靖国神社に参拝しました。しかも一挙に4人です。顔ぶれは小泉進次郎環境相、高市早苗総務相、萩生田光一文部科学相、衛藤晟一沖縄北方担当相。靖国神社には極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪とされ処刑されたA級戦犯が合祀されています。閣僚の参拝は、いくら「私人の立場」と強調したところで、個人による戦没者の追悼とは違った意味が生じます。
 好むと好まざるとを問わず、日本は事実として敗戦国であり、それを前提に日本は戦後、主権を回復して国際社会に復帰しました。戦争放棄と軍備不保持を定めた憲法を持つことも、国際的に広く知られ、敬意も受けています。閣僚の靖国神社参拝は、そうした歴史と立場を日本政府がどう考えているのか、その認識に疑念を生じさせかねません。中国や韓国が反発するから問題なのではありません。4人もの閣僚の参拝は、内閣支持率が回復しない中で、岩盤支持層をつなぎとめたいことの表れなのかもしれませんが、戦争による死の美化に通じる危うさがあるように思います。

 ことし秋にわたしは勤務先の通信社を定年退職します。雇用形態を変えて職場には残ることになりそうですが、マスメディアで働く現役の職業人としての最後の8月を過ごしています。日本の敗戦で終わったあの長い戦争は、75年たって歴史にしてしまっておしまいではありません。戦争の同じ体験はできないかもしれませんが、追体験は可能なはずです。それはマスメディアのジャーナリズムの大きな役割と責任の一つでもあるだろうと、あらためて感じています。その目的は、戦争をさせないこと、起きてしまった戦争は一刻も早くやめさせることです。マスメディアの後続世代のがんばりに期待していますし、今後もわたしなりの考察と関わり方を模索していこうと思います。 

35年の時の長さを思う~日航ジャンボ機墜落当日のこと

 35年前の夜、日本航空の東京発大阪行き123便のボーイング747型機、通称ジャンボジェットが群馬県・御巣鷹山中に墜落し、乗客乗員520人が死亡しました。事故機は、その以前に着陸時に機体後部を滑走路に接触させる「尻もち」事故を起こしていました。損傷した圧力隔壁の修理が十分ではなく、飛行で繰り返し負荷がかかった末に破壊されたことが事故原因として推定されています。現在でも、単独機の航空事故の死者数としては世界最多であり、何年たっても、空の安全のために決して忘れてはならない事故です。
 その日、1985年8月12日は、現場取材に出た記者たちは言うに及ばず、およそ新聞記者であれば、所属部署や担当、任地を問わず、あるいは休暇中であっても、慌ただしく、落ち着かない一晩を過ごしたはずです。
 わたしはと言えば、通信社で記者として働き出して3年目。初任地の青森支局にいました。下北半島に生息するカモシカや北限のサルに関心があり、自然保護グループに同行して生態調査を2泊3日で取材していました。ジャンボ機墜落はその2日目の夜だったように記憶しています。
 宿舎はユースホステルでテレビはなし。場所柄、酒も置いてありません。サルやカモシカの生態に合わせて行動するので、朝は4時起床と極端に早かったと思います。1日目の夜はさっさと就寝し、2日目は早朝からの藪漕ぎ(山の中、道なき道を藪をかき分けながらサルの群れを追う)で疲れ果てて、やはり早くに寝ていました。もちろんスマホもガラケーさえもなく、一般家庭では黒いダイヤル電話がまだ普通の時代。ちなみに下北半島では、ちょっと山に入るとポケットベルは圏外だったように記憶しています。墜落事故を知ったのは翌朝、宿に届いた地元紙によってでした。1面トップの大見出しでした。
 新聞記者でありながら、あの事故を翌朝の朝刊を見るまで知らなかったというのは、いくら何でも、と今も思います。さすがに、わたしぐらいではないでしょうか。

 あれから35年。今年は新型コロナウイルスの感染拡大で、事故現場への登山は遺族だけとなったようですが、新聞各紙の12日夕刊は、慰霊の営みを大きく報じました。
 当時の青年記者も秋には定年です。過ぎた時間の長さを感じます。

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首相官邸の質問妨害に新聞労連が抗議声明~安倍首相インタビューではメディアを選別

 安倍晋三首相が8月6日に訪問先の広島市で行った記者会見の際、質問を続けていた朝日新聞記者に対し、首相官邸報道室の男性職員が「だめだよもう。終わり、終わり」と制止しながら腕をつかんだとして、朝日新聞社が首相官邸に「質問機会を奪う行為になりかねず、容認できない」として抗議しました。この官邸職員の行動に対して、新聞労連が南彰委員長名で抗議声明を7日に公表しました。何が問題なのかがよく分かると感じましたので、全文を紹介します。

労連声明:首相官邸の質問妨害に抗議する
 安倍晋三首相が8月6日に広島市内で行った記者会見で、質問を続けていた朝日新聞記者が、首相官邸報道室の職員から「だめだよもう。終わり、終わり」と制止され、腕をつかまれる事件が起きました。記者の質問を実力行使で封じ、「報道の自由」や「知る権利」を侵害する許しがたい行為です。首相官邸に強く抗議します。

 この日の首相記者会見は、内閣記者会(官邸記者クラブ)が開催を求めてきたにもかかわらず、首相側が会見に応じない状態が続いた末に、毎年恒例の平和記念式典出席に合わせて、49日ぶりに開かれたものでした。記者会から「幹事社以外の質問にも応じるように」と要請されていたにもかかわらず、首相側は事前に準備された幹事社質問にだけ応じて、15分あまりで記者会見を一方的に打ち切ろうとしました。その後、記者が「なぜ50日近く十分に時間を取った正式な会見を開かないんでしょうか」「(今日の会見時間は)十分な時間だとお考えでしょうか」「(国会の)閉会中審査には出られるのでしょうか」と重ねた質問はいずれも国民・市民の疑問を反映したまっとうなものです。首相は「節目節目で会見をさせていただきたい」とその一部にしか答えていないにもかかわらず、官邸の職員が制止に踏み切りました。

 記者が様々な角度から質問をぶつけ、見解を問いただすことは、為政者のプロパガンダや一方的な発信を防ぎ、国民・市民の「知る権利」を保障するための大切な営みです。しかし、官邸の記者会見を巡っては近年、事前に通告された質問だけに答えて終了したり、官邸の意に沿わない記者の質問を妨害したりすることが繰り返されてきました。緊急事態宣言を理由に狭めた「1社1人」という人数制限も宣言解除後も続けており、国内外から批判を浴びています。官邸の権限が増大する一方で、説明の場が失われたままという現状は、民主主義の健全な発展を阻害するゆゆしき状況です。

 官邸側は今回の事件について、「速やかな移動を促すべく職員が注意喚起を行ったが、腕をつかむことはしていない。今後とも、記者会見の円滑な運営を心掛ける所存」と妨害行為を正当化しています。驚くべきことです。自らの行為を真摯に反省し、オープンで公正な記者会見の運営に見直すよう求めます。また、再質問も行える十分な質疑時間を確保し、フリージャーナリストも含めた質問権を保障した首相記者会見を行うよう改めて求めます。

2020年8月7日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 南  彰

  http://shimbunroren.or.jp/200807statement/

 安倍首相の記者会見は実に49日ぶりのことでした。広島の原爆の日には毎年、記者会見を行っており、いわば「恒例」の場ですが、時間はわずか15分余り。新型コロナウイルスへの対応一つを取っても、「GO TO トラベル」の迷走や感染者の急増など、首相の口からじかに見解を聞きたいことは山積みです。それは記者個人の関心ではなく、社会全体で共有したい情報です。会見を短時間で打ち切った理由として、官邸側は広島空港に移動する時間が迫っていたことを挙げているようですが、それは本末転倒。広島で十分な会見時間が取れないのであれば、この49日間にいくらでも会見に応じる時間はあったはずでしょう。

 新聞労連委員長の南さんは近著「政治部不信 権力とメディアの関係を問い直す」(朝日新書)の中で、安倍首相の記者会見への消極姿勢と表裏一体ではないか、と感じるデータも明らかにしています。安倍首相のメディア別の単独インタビューの回数です。第2次安倍政権が発足してから、ことし5月17日までに行われた首相単独インタビューの回数は以下の通りとのことです。

1 産経新聞(夕刊フジ含む) 32回
2 NHK 22回
3 日本テレビ(読売テレビ含む) 11回
4 日本経済新聞 8回
5 読売新聞 7回
6 毎日新聞、TBS、山口新聞 5回
9 月刊Hanada、テレビ東京、テレビ朝日(BS含む)、共同通信、ウォール・ストリート・ジャーナル 4回

 ちなみに朝日新聞は3回。ここまで差が大きいと、安倍首相は取材に応じるメディアを意図的に選別していると言うほかないように思います。

※同書の当該部分はネット上のサイト「AERA dot.」(アエラドット)で読むことができます
「産経新聞32回、NHK22回に朝日新聞は3回…官邸が進める露骨な『メディア選別』の弊害」
https://dot.asahi.com/dot/2020073100012.html

dot.asahi.com 

政治部不信 権力とメディアの関係を問い直す

政治部不信 権力とメディアの関係を問い直す

  • 作者:南 彰
  • 発売日: 2020/07/13
  • メディア: Kindle版
 

 

戦争と平和を考える特別の新聞~「ヒロシマ新聞」から「しんけん平和新聞」へ

 8月になりました。この十数年来、わたしにとっては戦争と平和を考える特別な時間です。

 広島市に本社を置く中国新聞社の従業員でつくる中国新聞労働組合は戦後50年の1995年8月、「ヒロシマ新聞」を制作しました。原爆投下によって、中国新聞社は45年8月7日付の新聞を発行できませんでした。その空白の紙面を、中国新聞労組の組合員が、現代の視点で原爆禍を報じるとしたらこんな紙面になるだろうと考えつくった新聞です。

 その紙面が、制作から25年たって、ことし8月1日から広島市中区の平和記念公園内の被爆建物レストハウスで販売されているそうです。中国新聞の記事によると、A4判のバッグ型クリアファイルに説明書とともに入れ、5千セットを作ったとのことです。1セット550円。 

※中国新聞「45年8月7日付の本社労組製作新聞 レストハウスで販売」=2020年7月31日

 https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=667728&comment_sub_id=0&category_id=256

www.chugoku-np.co.jp

 わたしはこの「ヒロシマ新聞」のことを2004年に新聞労連の委員長職に就いて知りました。紙面には被爆地の新聞記者たちの思いがぎっしり詰まっているように思いました。戦後60年を翌年に控え、その年の秋には沖縄の琉球新報社が、沖縄戦を同じように現代の視点で報じる「沖縄戦新聞」の発行を始めていました。沖縄戦を同じ日付で再現して毎週、再現新聞として紙面化する試みでした。新聞労連でも戦後60年の企画を何かやりたいと考えたときに、頭に浮かんだのがヒロシマ新聞であり、沖縄戦新聞でした。「新聞産業の労働組合なのだから、新聞を作ろう」と、2005年に「しんけん平和新聞」創刊号を作りました。

 1945年8月の敗戦を、現代の視点でわたしたちが報じたらこのような記事になる、という紙面でした。新聞労連の活動の一つに、新聞紙面のジャーナリズムや取材・報道の倫理などを対象にした「新聞研究」があり、略して「新研(しんけん)」と呼びます。題号はここから取りました。「真剣に平和を考える、そのための新聞に」という思いも込めていました。1面トップには「日本が無条件降伏」「ポツダム宣言受諾」「15年戦争 2000万人犠牲」の見出しが並びました。中国新聞労組、長崎新聞労組、新聞労連沖縄地連にも参加してもらい、それぞれ2ページずつを作ってもらいました。また、加盟労組のいくつかは、それぞれの地域での戦争を同じように現代の視点でとらえた記事にして送ってくれました。全国の新聞労組が参加してこの紙面を作ること自体が運動であり、作った紙面を社会に広げていくことが第2の運動だと呼びかけました。翌年の第2号は、1947年5月3日の日本国憲法施行をテーマにしました。

 わたしは2年で委員長を退任しましたが、この企画は1年に1号ずつ、10年間続きました。今は労働組合に所属していない働き方の身ですが、労働者の地位と待遇の向上を求める労働運動は、平和のための運動でもある、との考えは変わりません。

 中国新聞労組は戦後60年の2005年、「ヒロシマ新聞」をデジタル化しています。記事がウエッブで読めます。

 http://www.hiroshima-shinbun.com/top.html 

 以下は新聞労連委員長当時に運営していた旧ブログで「しんけん平和新聞」を紹介した記事です。

※ブログ「ニュースワーカー」

 「しんけん平和新聞」=2005年8月3日

 https://newsworker.exblog.jp/2422562/

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 「しんけん平和新聞第2号」=2006年4月29日

 https://newsworker.exblog.jp/3845882/

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「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」に賛同

 東京高検検事長だった黒川弘務氏の定年延長問題は、週刊文春が新聞記者との賭けマージャンを報じ、黒川氏が辞職することで政治的なイシューとしては立ち消えの形になりました。検察庁法改正案も廃案になっています。しかし、黒川氏と繰り返しマージャンをしていたのが新聞社の記者と社員であったことは、新聞記者と公権力の間合い、マスメディアによる公権力の監視のありよう、さらには新聞記者の仕事と働き方を巡って、さまざまな問題が明るみに出されたように思います。
 この問題を巡って先週、「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」が公表されました。取りまとめたのは現役の取材記者やジャーナリズム研究者たちです。日本新聞協会に加盟する新聞・通信・放送129社の編集局長・報道局長に送付したとのことです。賛同人には現役の記者らたくさんの方が名を連ねています。この提言の中では五つの問題点を指摘した上で、タイトルにあるように六つの提言を行っています。わたし個人の賛同の意を込めて、それぞれを引用して、ここで紹介します。

 提言の全文は、noteの以下のページで読むことができます。
 ※「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」
 https://note.com/journalism2020/n/n3b4c1e0648e0

▽五つの問題点
●権力との癒着・同質化:水面下の情報を得ようとするあまり、権力と同質化し、ジャーナリズムの健全な権力監視機能を後退させ、民主主義の基盤を揺るがしていないか。 

●記者会見の形骸化:オフレコ取材に過剰に依存し、記者会見で本来質問すべきことを聞かなかったり、予定調和になったりしていないか。また、情報公開制度の活用を軽視していないか。

●組織の多様性の欠如:早朝夜間の自宅訪問、および公人を囲んだ飲食などを共にする「懇談」形式での取材の常態化が、長時間労働やセクシュアルハラスメントの温床となってはいないか。また、日本人男性会社員記者中心のムラ社会的取材体制を固定化し、視点の多様性を阻害していないか。

●市民への説明不足:どういった原則や手法に基づいて取材・編集しているかが読者・視聴者に伝わらず、ジャーナリズムへの信頼を損ねていないか。取材の難しさ、情報源の秘匿の大切さを含め、可能な限り説明を尽くし、一般市民の信頼を得るための努力をしているか。

●社会的に重要なテーマの取りこぼし:発表情報の先取りに人員を割く結果、独自の視点に基づいた調査報道や、市民の生活実感に根差した報道が後回しになっていないか。

 

▽六つの提言
●報道機関は権力と一線を画し、一丸となって、あらゆる公的機関にさらなる情報公開の徹底を求める。具体的には、市民の知る権利の保障の一環として開かれている記者会見など、公の場で責任ある発言をするよう求め、公文書の保存と公開の徹底化を図るよう要請する。市民やフリーランス記者に開かれ、外部によって検証可能な報道を増やすべく、組織の壁を超えて改善を目指す。

●各報道機関は、社会からの信頼を取り戻すため、取材・編集手法に関する報道倫理のガイドラインを制定し、公開する。その際、記者が萎縮して裏取り取材を控えたり、調査報道の企画を躊躇したりしないよう、社会的な信頼と困難な取材を両立できるようにしっかり説明を尽くす。また、組織の不正をただすために声を上げた内部通報者や情報提供者が決して不利益を被らない社会の実現を目指す。

●各報道機関は、社会から真に要請されているジャーナリズムの実現のために、当局取材に集中している現状の人員配置、およびその他取材全般に関わるリソースの配分を見直す。

●記者は、取材源を匿名にする場合は、匿名使用の必要性について上記ガイドラインを参照する。とくに、権力者を安易に匿名化する一方、立場の弱い市民らには実名を求めるような二重基準は認められないことに十分留意する。

●現在批判されている取材慣行は、長時間労働の常態化につながっている。この労働環境は、日本人男性中心の均質的な企業文化から生まれ、女性をはじめ多様な立場の人たちの活躍を妨げてきた。こうした反省の上に立ち、報道機関はもとより、メディア産業全体が、様々な属性や経歴の人を起用し、多様性ある言論・表現空間の実現を目指す。

●これらの施策について、過去の報道の検証も踏まえた記者教育ならびに多様性を尊重する倫理研修を強化すると共に、読者・視聴者や外部識者との意見交換の場を増やすことによって報道機関の説明責任を果たす。