ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「女性の広報官として期待」発言と「飲み会を絶対断らない」働き方が示す日本のジェンダー状況~菅首相の「女性」強調を報じきれないマスメディア

 総務省の幹部ら11人が、菅義偉首相の長男が勤める「東北新社」から国家公務員倫理規定に違反する接待を受けていたとして2月24日に処分を受けました。公務員が業者から受ける接待は過去には贈収賄事件として立件されたこともあるのに、総務省官僚の倫理感覚のマヒぶりには驚きます。加えて、放送行政にゆがみが生じていなかったか、その調査が後回しというのもおかしな話です。菅首相の長男が絡み、舞台は菅首相がかつて大臣を務め、今も大きな影響力を持つ総務省ということで、菅首相と政権への波及を最小限にとどめたい、との思惑が早期の処分に透けて見えます。以上のことはここでわたしがあれこれ言及するまでもなく、マスメディアでも厳しい論調が目立ちます。わたしが書きとめておきたいのは、総務省総務審議官当時に東北新社から1回7万円超もの接待を受けていた山田真貴子・内閣広報官のことです。

 ▽なぜ「女性」を強調

 一つは、菅首相が山田広報官を更迭していないないことについてです。山田広報官が職を降りる事態となれば、当然、総務省の現職官僚たちの進退も焦点になります。広報官に任命した菅首相自身の責任問題も浮上します。菅首相としてはあくまでも総務省の問題であることにして収めたいということなのでしょう。見過ごせないのは、菅首相がその理由に「女性」を挙げたことです。
 24日に菅首相は記者団の取材に応じ、山田内閣広報官の留任を問われて「深く反省して、お詫び申し上げています。そういう中で、やはり女性の広報官として期待しておりますので、そのまま専念してほしい。私はこういうふうに思っています」と答えました。
 ※首相官邸「山田真貴子内閣広報官の任命責任等についての会見」=2021年2月24日
 https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0224kaiken.html
 (動画では開始5分あたりにこの発言があります)

 この発言を最初に見たのは東京新聞のサイトの記事でした。
 ※「菅首相『女性広報官として期待』/7万円接待の山田真貴子氏を続投の考え」=2021年2月24日
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/87916

 どうしてここで「女性」を強調するのか。強く違和感を覚えました。
 国家公務員が利害関係者から接待を受けてはならないことに男女の別は関係ありません。ましてや1回で7万円超の金額は、処分を受けた11人と比べても突出した高額です。懲戒処分相当の、しかも公務員倫理に反した違反行為があった官僚が、内閣の広報部門の責任者に適格かどうか、社会一般の感覚は極めて厳しいはずです。総務省勤務当時のことであって現在の職務とは関係ない、との理屈では収まらないことは、菅首相もよく分かっているはずです。折しも、森喜朗・前五輪組織委員会会長の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などの発言で、ジェンダーに対する社会の関心が高まっているさなかです。「女性」の広報官はほかにおいていない、と「女性」を強調すれば、批判をかわせると考えたのでしょうか。自分の都合に合わせて「女性」を持ち出し強調する、そのこと自体が「女性」を下に見る発想です。菅首相のジェンダーの意識、自覚はその程度であることをさらけ出した発言です。

 ▽本当に必要な働き方改革

 もう一つは、山田広報官が昨年、若者向けの動画メッセ―の中で「飲み会を絶対に断らない女としてやってきた」と話していたとの逸話についてです。「イベントやプロジェクトに誘われたら絶対に断らない。飲み会も断らない。出会うチャンスを愚直に広げてほしい」とも話していたと報じられています。東北新社の7万円超の接待は、動画配信の約7カ月前だったとのことです。
 ※時事通信「『飲み会絶対断らない女』/山田真貴子氏、昨年の動画で公言」=2021年2月24日
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2021022400547&g=pol 

 山田広報官は1984年4月に旧郵政省に入省しています。男女雇用機会均等法の制定は翌85年、施行は86年でした。女性のキャリア官僚の先駆者の一人であり、これまでの職業人の歩みには様々なことがあったのだろうと思います。同世代の男性として、その点は軽く考えてはいけないと思っています(わたしが通信社に記者職で入社したのは83年でした。同期に女性の記者職はいません)。そのことを踏まえた上なのですが、「飲み会」を絶対に断らないことができる働き方とはどんな働き方でしょうか。
 酒席で培った人間関係が仕事に役立つ、あるいは仕事に必須であるのは、男は外で仕事、女は専業主婦で家事・育児を担う、という家族モデルが一般的だったころに定着した、いわば古い働き方ではないのでしょうか。人にはそれぞれ事情があります。しかし、事情のいかんによらず、仕事で能力を発揮でき、やりがいも得られること。自分の時間、家庭・家族の時間とのバランスを保って働き続けることができること。男女の別なく、そうした働き方を目指し、必要な公助も整えていくのが、今、本当に必要な「働き方改革」のはずです。決してだれもができるわけではない「飲み会を絶対に断らない」働き方を実践することができた山田広報官を、菅首相が「女性」として評価する構図を俯瞰して眺めるとき、日本社会のジェンダー平等に向けたハードルの高さを感じます。

 ▽マスメディアのジェンダー意識

 先述の通り、菅首相の「女性の広報官として期待している」との発言にわたしは強い違和感を覚えました。それ以上に衝撃を受けたのは、ごく一部の新聞しかこの発言を伝えていないことです。
 翌25日付の東京発行各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)朝刊の紙面で「女性の広報官として期待している」との発言を明記したのは、わずかに朝日新聞だけでした。サイトには記事を載せていた東京新聞も、紙面には見当たりませんでした。
 民主主義社会では政治家が何を考え、何を話すのかは重要なニュースです。それによって有権者の投票行動が決まるからです。中でも首相の発言は極めて重要です。在京のマスメディアが首相官邸に相当数の記者を配置して取材しているのも、突き詰めれば有権者の投票行動に資する情報を取材して、提供するためです。先述のように「女性の広報官として」のひと言は菅首相のジェンダー意識がどの程度のものかが分かる重要な発言でした。伝えるに値するニュースだったと思います。
 ジェンダー平等を巡っては、新聞社も経営幹部、編集幹部の女性比率が極めて低いことが指摘されています。その改善も課題です。

【追記】2021年3月2日1時15分 ※3月2日8時に一部を加筆修正しました

 山田真貴子内閣広報官が3月1日付で辞表を提出し、持ち回り閣議で辞職が決まりました。2月28日に体調不良で入院し、入院先から杉田和博官房副長官に辞意を伝えたとのことです。
 症状や容態は明らかではありませんが、辞職の理由が「体調不良」だけなのかどうか、いろいろ憶測を呼ぶのは仕方がないと思います。
 7万円超の接待が明らかになった当初、本人は辞職の意思を固めていた、との報道がありました。それが本当なら、続投は首相の命令だったのでしょうし、山田広報官は不本意だったかもしれません。国会でも野党に追及を受け、本当に体調を崩してしまったのか。あるいは、山田広報官の続投へ強い批判があるのを見て、首相官邸サイドが何事かを画策したのか。いずれにせよ、接待問題の責任を取っての辞任ではないので、総務省の他の接待官僚の更迭を迫られることにはなりそうもなく、その意味では菅首相へのダメージは限定的かもしれません。
 国家公務員は公僕であり、社会全体への奉仕が職責です。山田広報官にはぜひとも、東北新社と自身や総務省の間で何があったかを、後日で構わないので証言してほしいと思います。

【追記2】2021年3月2日9時10分

 「菅首相『女性の広報官として期待』発言と『飲み会を絶対断らない』働き方」から改題しました。

【追記3】2021年3月2日9時40分

 高度経済成長を推進した旧経済産業省の官僚たちがモデルの小説です。佐橋滋がモデルの主人公の信念は「国家の経済政策は政財界の思惑や利害に左右されてはならない」。かつての官僚機構が良かったかどうかは別として、すっかり変質したのは間違いがないように思います。 

官僚たちの夏 (新潮文庫)

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中村哲さんと「花と龍」と「川筋気質」

 福岡県の南部、筑後地方の地域文化誌「あげな・どげな」という雑誌を、同郷の知人にいただきました。2012年創刊で年2回発行。第18号(2020年夏)と第19号(2021年冬)に、アフガニスタンで2019年12月に銃撃を受け亡くなったペシャワール会の中村哲さんの特集記事が載っています。そのうち第19号の「中村哲の源流(ルーツ)―若松に発する血脈」を興味深く読みました。筆者は火野葦平資料館の坂口博さんです。
 1946年9月生まれの中村哲さんは、一般には福岡市出身で通っていますが、福岡市で生まれてすぐに家族は福岡県若松市、現在の北九州市若松区に移住し、小学校1年生までを過ごしたそうです。

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 記事によると、父親の中村勉は、石炭の積み出し港として栄えた若松で戦前、港湾労働者の労働運動の活動家でした。治安維持法違反で検挙され有罪判決も受けました。その勉と家族を助けたのが、港湾荷役業「玉井組」の玉井家でした。哲さんの母親の秀子は玉井家の娘。秀子の両親、哲さんにとっては祖父母の玉井金五郎、マン夫妻は、作家火野葦平の「花と龍」の実名モデル、そして火野葦平、本名・玉井勝則は金五郎、マン夫妻の長男。つまり哲さんからみて火野葦平は母の兄(伯父)になります。
 わたしは「花と龍」は今まで、高倉健主演の映画のイメージ(映画も見ていないので本当に勝手なイメージなのですが)しかなく、勝手に任侠ものだと思っていました。まったく違うようです。「非暴力を通しながら、港湾労働者の正義を貫き、生活補償を獲得していく物語」。三井や三菱などの石炭大資本に対抗して、労働者の生活を守ろうとした生き方だったとのことです。
 豊前(中心は小倉)と筑前(中心は福岡)の双方にまたがる田川や飯塚、直方などの一帯は「筑豊」と呼ばれ、明治以後、日本有数の産炭地でした。その地方を流れる遠賀川(おんががわ)は、鉄道開通前は石炭輸送にも使われていました。この遠賀川の流域や、石炭輸送の終着点だった若松などに見られる気質を「川筋(かわすじ)気質」と呼びます。特集記事では「『弱きを扶け、強きをくじく』の義侠心が基本です」「一方的な弱者救済ではなく、相互扶助を基本とします。弱者がお互いに助け合うことがなければ成立しません」と紹介しています。そして「その血脈は金五郎・マン夫妻、勉・秀子夫妻を通じて中村哲に流れています」と紹介しています。

 ※ウイキペディア「遠賀川」

 わたしは北九州市の八幡の生まれ育ちですが、父方の出は祖父が遠賀川の河口に近い水巻という町、祖母は今の飯塚の出身でした。「川筋者」「川筋気質」は子どものころからなじんでいた言葉でした。
 若松は洞海湾を挟んで八幡の対岸になります。八幡の皿倉山という山に登れば、手前に八幡製鉄所を中心とする工場群、そして対岸の若松の街並みを望むことができました。わたしが子どものころはちょうど日本は戦後の高度成長期でした。記憶に残っている八幡の工業地帯も若松の港も、活気に満ちていました。若松からも対岸の八幡の山並みを望めたのだろうと思います。アフガニスタンの地に根を下ろして、住民が自活できるように支援を続け、実績も残した中村哲さんに「川筋者」の血が流れていたこと、戦後の若松や八幡の風景を中村さんも目にしていたのであろうことを知って、ちょっと感動しました。
 さっそく「花と龍」や中村さんの著書「天、共に在り」を買い求め、読むことにしました。あらためて、中村さんの偉業をしのびたいと思います。 

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

  • 作者:中村 哲
  • 発売日: 2013/10/24
  • メディア: 単行本
 

  「あげな・どげな」は広告を取らず、購読者に依拠した雑誌作りを掲げたものの、継続は困難として次号20号で終刊とのことです。基金を設立して後継雑誌を発行する計画があり、現在、基金への参加を呼びかけています。わたしは高校の3年間を筑後の久留米市で過ごしました。ささやかですが、協力させていただくことにしました。 

Agena Dogena(あげな・どげな) 19号

Agena Dogena(あげな・どげな) 19号

  • 発売日: 2021/01/10
  • メディア: 雑誌
 

 

橋本聖子議員の組織委会長就任に「政治利用五輪」を危惧~アスリート出身といえども「密室」体質から逃れられない

 東京五輪パラリンピック組織委員会の新会長に2月18日、自民党所属の橋本聖子参院議員が選出されました。橋本新会長は閣僚が兼職を禁じられているために五輪相は辞職したものの、翌19日の午前までは、自民党離党も、参院議員辞職もともに考えていないようでした。19日午後に一転して自民党に離党届を提出。野党が政治的中立性を問題視したためのようですが、それでも議員は辞職しないようです。
 組織委の会長選出に当たっては、森喜朗前会長の女性差別発言と辞任の経緯からジェンダー平等の観点が注目され、次にお粗末だった川淵三郎氏の「密室で受諾、一転辞退」劇から過程の透明性が注目され、さらには橋本議員自身の男子選手へのキス強要ハラスメントの過去にも焦点が当たりました。しかし、わたしは事ここに至っての最大の論点は、露骨な五輪の政治利用ではないかと考えています。
 もともと五輪招致の始まりは石原慎太郎元東京都知事の執念でした。誘致に際しては安倍晋三前首相の「アンダーコントロール」の嘘(実際には打つ手がなく増え続けている汚染水を始めとして、東京電力福島第一原発の状況を「コントロールできている」と強弁)が交じり、その安倍前首相は大会を自らの政治的レガシーとすべく躍起になっていました。安倍前首相の政策の継承を掲げる菅義偉現首相も、支持率が低迷する中で政権浮揚を五輪に期待していることは周知の事実です。内幕検証もののリポートは、新聞の政治報道の得意分野ですが、19日付の各紙の記事を読むと、後任会長に乗り気でなかった橋本議員が、スポーツ界ではなく菅首相の意向を中心とした「政治」の圧力で、新会長受諾に追い込まれて行った様子がよく分かります。
 就任の記者会見で橋本議員は議員辞職しないことについて「IOCにも国にも認めてもらっている」と述べました。この時点では、自民党離党も口にしていませんでした。自民党所属の参院議員のままであることを前提に、会長職を引き受けたということです。何よりも、森前会長を「特別な存在」と言い、これからも助言をあおぐと公言しました。重要な発言です。
 森前会長は安倍前首相と同じ自民党細田派に所属していた政治家であり、アスリートだった橋本議員を政界入りさせた当事者です。議員を引退しても影響力の大きさは変わりません。橋本、森の新旧会長は、連絡を取るとすればたぶん電話とか二人切りで会うことになるのでしょう。「密室」の中で森前会長の意向がまかり通るのではないか、との危惧があります。アスリート出身といえども自民党政治家の系譜に連なる限り、「密室」体質からは逃れられないように思います。五輪相という閣僚からの横滑りの上、離党したとはいえ自民党公認で当選した参院議員のままでは、菅首相にも逆らえないでしょう。このまま東京大会を開催すれば、露骨な政治利用五輪になりかねません。

 橋本新会長選出を東京発行の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)は19日付朝刊でそろって1面トップで報じました。しかし橋本新会長が自民党所属の参院議員のままであることに対して、五輪の政治的中立性の観点から焦点を当てた記事はわずかでした。各紙の1面の見出しでは、東京新聞の「水面下 首相が影響力」が目立つだけ。「政治的中立」を見出しに取った記事と言えば、読売新聞2面の「橋下氏『政治的中立』強調」(2段見出し)があるぐらいで、ほかは社説、論説で触れている程度です。橋下会長は自民党を離党しましたが、主たる要因は野党から批判が上がったことであって、マスメディアのジャーナリズムは正面から指摘できていませんでした。そのことを、マスメディアは自覚しておいた方がいいと思います。

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 今にして思えば、東京大会はもともと、誘致の当時から政治色を濃厚に帯びていました。調整型の大物政治家だった森前会長が組織委発足時からトップに就いていたのはその象徴だったのでしょうが、むしろ政治色が全面にわたって出てしまったことで、わたし自身も含めて、政治的中立性への感覚がマヒしていたようにも思います。わたし自身にとっても反省点です。新聞の中でも全国紙5紙は大会スポンサーの立場もあります。森前会長の女性差別発言では、スポンサーがはっきりモノを言うかどうかも注目されました。「政治的中立性」に対して、各紙はスポンサーとしても、というより、スポンサーだからこそ毅然とした姿勢を見せるべきだと思います。今からでも。

 ほかに2点ほど、書きとめておきます。

  • 橋本新会長が就任会見で「復興」や「被災地」に触れたのは質疑の最後の最後、現在の日本社会の課題を列挙する中でした。19日付の新聞各紙にも「復興五輪」の言葉は見当たりません。「復興五輪」とは何だったのでしょうか。間もなく東日本大震災、福島第一原発事故から10年です。東京大会の誘致によって、復興は進んだのか否か。あらためて検証するのもマスメディアのジャーナリズムの課題のはずです。
  • 19日付各紙朝刊で目を引いたのは、各紙の「橋本聖子氏」にかかる枕ことばです。「五輪相だった橋本聖子氏」「五輪相を務めてきた橋本聖子氏」でおおむねそろっているところに、朝日新聞は「冬夏合せて7度五輪に出場した橋本聖子氏」との表記でした。アスリート出身という点を強調する意図なのかもしれませんが、「五輪の政治利用」が見えにくくなるようにも感じます。このブログの記事の書き出しでは試みに「自民党所属の橋本聖子参院議員」と表記してみました。

 森前会長が組織委発足時からトップにいたことには政治的に大きな意味合いがあったのだと思います。「五輪の政治的中立性」という抽象的な理念の問題だけではなく実態としても、日本的な政治風土を色濃く反映した運営になってしまっています。そのことにはっきり気付かされる論考を目にしました。筆者の安田秀一さんは法政大アメフト部監督も務めたスポーツビジネスの企業家。東京大会を巡る違和感のうまく言葉にできなかった部分が、すっきり頭に入りました。一読をお奨めします。以下に一部を引用します。

 ※日経電子版「森氏辞任に考える 日本社会に残る無意味な風習 ドーム社長 安田秀一」
  https://www.nikkei.com/article/DGXZQODH151PP0V10C21A2000000/

www.nikkei.com 

政治家は税金を配分するのが仕事ですので、どこかで「俺が持ってきたお金」という勘違いをしてしまうのだと思います。そしてスポーツ団体側も補助金を配分してくれる政治家におもねるようになり、大小さまざまな利権が生まれてしまうのです。
 日本オリンピック委員会(JOC)関連の会議に参加している若い関係者からよく愚痴を聞きました。
 「安田さん、こんなに日本の財政がピンチなのに、いまだに『東京五輪に向けて予算を獲得しよう! えいえいおー!』ですよ。結局、スポーツ業界ではお金を稼ぐ人材じゃなくて、税金をたくさん使う人が偉いんです。これじゃ世界に勝てるはずがないです」

 

森喜朗会長の女性蔑視発言とマスメディアの当事者性(その4)~後任人事報道ミスリードの背景にあるもの

 新聞各紙、通信社、放送局などマスメディアにとって、大きな課題が残りました。東京五輪パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の辞任と、後任会長を巡る報道のことです。
 女性蔑視発言にもかかわらず、在任を続けていた森会長が辞任する意向とのニュースは2月11日、建国記念の日の正午過ぎから各マスメディアがネット上で相次いで速報しました。この日の早朝、森会長の地元、石川県の北國新聞が「森氏『腹は決まった』 女性発言問題 会長辞任か、12日説明 五輪組織委の懇談会で」との見出しの記事を自社サイトにアップ。森会長が同紙の取材に「私の腹は決まっている。12日に皆さんにしっかり話したい」「東京五輪を前に進めるためなら、自分はいつ辞めてもいい」と話したとの内容で、記事は「辞任する方向とみられる」としていました。
 11日は各メディアとも早い時間帯から森会長の動向を追っていたのだと思います。わたしの手元の記録では、毎日新聞がネット上で12時5分に「速報」で「辞意」と報じ、報知新聞が12時25分に「辞意固める」、共同通信12時28分「辞意」、NHK12時36分「辞意固める」といったように、各メディアが次々に速報しました。前後して民放(日本テレビのようですがわたしは直接確認していません)が「後任に川淵三郎氏」と報じ、これも各メディアが追随。報道陣の取材に応じた川淵氏が、森会長と会い要請を受けたこと、受諾を伝えたことなどを明らかにしたこともあって、11日のうちには後任会長は川淵氏であることが確定したかのような報道が相次ぎました。
 12日付の東京発行の新聞各紙朝刊も、この流れのままの紙面でした。しかし、実際にはまったく違った経緯をたどりました。12日午後になって、川淵氏が一転して会長職を辞退する意向との報道が流れ、午後3時からの組織委の緊急会合で、川淵氏自身が辞退を表明しました。話は前後しますが、新聞各紙の13日付の検証記事によると、森会長が後任を指名する「密室人事」に批判が高まっていることを菅義偉首相が憂慮し、その意向を受けてか、組織委の武藤敏郎事務総長が11日夜、川淵氏に何度か電話。川淵氏はその夜のうちに「辞退」を決めた―ということのようです。しかし報道は12日午後まで「後任は川淵氏」のままでした。

 以下に12日付の東京発行新聞各紙の1面の主な見出しを書きとめておきます。

▼朝日新聞「五輪組織委会長 辞意/女性蔑視発言で引責/川淵氏を後任指名、受諾/相談役で残留へ」/「『女性共同会長』案 受け入れず」
▼毎日新聞「森会長辞任へ/『女性蔑視』引責/きょう表明 後任に川淵氏/五輪組織委」/「小池氏発言で急転/機先制し後任指名」
▼読売新聞「森会長辞任へ/『女性蔑視』発言 引責/後任 川淵氏を指名/開催5カ月前 異例事態」/「疑念招く『密室人事』」
▼日経新聞「森会長、辞任へ/五輪組織委 後任に川淵氏/『女性蔑視』発言」
▼産経新聞「東京五輪 森会長辞意/発言引責 きょう表明/開幕まで5カ月/川淵氏、後任前向き」/「傷ついた機運 再び高められるか」
▼東京新聞「森組織委会長 辞任へ/女性蔑視発言 引責/東京五輪・パラ 後任に川淵氏/きょう表明」/「署名14万件・デモ 市民の声が動かす」

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 後任の部分の見出しを並べてみると以下の通りです。

朝日「川淵氏を後任指名、受諾」
毎日「後任に川淵氏」
読売「後任 川淵氏を指名」
日経「後任に川淵氏」
産経「川淵氏、後任前向き」
東京「後任に川淵氏」

 普通に眺めれば、川淵氏が後任であることは事実上の決定事項であるかのようです。
 「森会長が辞意」の確定報をリードした毎日新聞も、1面のサイド記事「小池氏発言で急転/機先制し後任指名」では、組織委理事の一人が「辞任する会長が後任を指名するなんてあり得ない」と不信感をあらわにしていることを紹介しながら、結びは「禅譲劇もまた『密室』で幕を閉じた」と、これで後任選出は終わり、という書きぶりでした。

 結果として、新聞各紙を始めマスメディアの見立ては外れました。川淵氏が要請を受諾したと大っぴらに明かし、意欲満々なところを見せていたこともあり、これを誤報と呼ぶのは酷かもしれません。しかし、後任は川淵氏で決まりであるかのようにミスリードしてしまったことは事実です。そもそも、辞める会長には、後任を指名する権限はありません。その指名が密室で行われることも疑問です。「後任・川淵」はそうしたいくつもの問題をはらんでいました。にもかかわらず、既成事実同然に報道していたことを、マスメディアは軽視するべきではないだろうと思います。
 12日付の在京紙各紙の報道で、かろうじて救いがあったと思うのは、読売新聞が1面に載せた政治部次長の署名入りの「疑念招く『密室人事』」の記事です。森会長の辞任が遅きに失したことを指摘した上で、「後任・川淵」に対しても以下のように批判しています。

 さらに疑問なのは、森氏が辞任の意思や理由などを自ら公に説明していない段階で、川淵三郎・日本サッカー協会相談役に後任会長への就任を要請したことだ。混乱を招いた森氏本人による「密室での後継指名」という印象がぬぐえない。
 新会長選びは、世界の目も意識し、適正な手続きにのっとって進めるべきだ。

 川淵氏が後任会長職を断念せざるを得なかった要因は、女性蔑視を反省しているようには見えない森会長が後任を選ぶ、それも密室でのやり取りで、ということに対する世論の批判に行き着くように思います。マスメディアも、仮にナマの動きは動きとして伝えるとしても、事態がどう決着するかという「落としどころ」や「着地点」を探ることばかりに躍起になるのではなく、現在進んでいる動きにおかしな点はないのか、手続きの逸脱や不正はないのかをチェックすることを自らの役割としてもっと意識していれば、報道のトーンは変わっていた可能性があるように思います。「後任・川淵」への批判や疑問は、11日のうちからSNSなどでは渦巻いていました。マスメディアとその情報の受け手、世論との間に、意識の乖離があったことは否定できないと思います。

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【写真】後任人事は白紙であることを伝える13日付の東京発行各紙朝刊

 新聞・通信、放送などのマスメディアは長らく、「落としどころ」や「着地点」を各社で競うように探り、報じてきました。わたし自身もそうした中に身を置いていました。事件報道であれば、検察や警察がいつ、だれを逮捕するのかに最大の関心と労力をつぎ込んでいました。他社よりも早く報じることは、取材の成果としての勝敗が分かりやすく、所属するマスメディア組織内での評価にもつながります。
 政治報道をめぐり、かつて先輩記者から聞かされたことがあります。「われわれ政治記者の究極のテーマは、次の首相はだれか、ってことだ」。昭和の終わりのころです。インターネットが普及する以前、新聞やテレビが報じないことは、社会にとっては「ない」ことと同じでした。新聞や放送は、取材で分かったことだけを伝えればよく、わたし自身もそのことに特に疑問を抱くことはありませんでした。
 しかし、ネットが社会の基本的なインフラとして定着した今は、だれもが情報発信できます。マスメディアが報じない情報も社会に流通します。マスメディアがどんな取材をしているのかも「見える化」されてしまいます。そして、マスメディアの報道への疑問や批判も、瞬時に社会で共有されます。マスメディアは今回の一件を「仕方がなかった」で済ませることなく、教訓として今後に生かす必要があります。大事なのは、同じ失敗を繰り返さないことであり、民意、世論と向き合うことだろうと思います。

 ここで京都新聞のコラムを一部引用して紹介しておきます。
 「五輪組織委の人事報道『ミスリード』 メディアの責任も忘れずにいたい」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/506775

 後任は川淵三郎氏-。
 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が周囲に辞意を伝えた11日午後から、主要な新聞、通信社、テレビを含め各マスメディアは、後任人事が決まったかのような前提で大々的に報じた。
 だがこの「密室人事」は一転、12日になって白紙となった。前日に記者団の取材に応じた川淵氏が、森氏からの依頼を受諾した経緯や意気込みを語っていた口ぶりに引っ張られたことはあろうが、私を含めてメディアの人間は慎重であるべきだった。批判をする前に「ミスリード」した責任を忘れてはならないと思う。

 現役を退いたとはいえ、今もなおマスメディアの内部で働いている一人として、わたしもこの反省を共有したいと思います。

森喜朗会長の女性蔑視発言とマスメディアの当事者性(その3)~大会スポンサーにそろって名を連ねる全国紙

 東京五輪パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言を巡って、2月7日に更新したこのブログの記事では、この問題をマスメディアがどう報じるかも日本社会のジェンダーの現状の一端を示している、その意味でマスメディアには当事者性がある、とのわたしの認識を紹介しました。マスメディアの中でも全国紙にはもう一つ、大会スポンサーとしての当事者性もあります。朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社、日経新聞社は東京大会のオフィシャルパートナー、産経新聞社はオフィシャルサポーターです。ほかにブロック紙の北海道新聞社がオフィシャルサポーターに名を連ねています。

※大会組織委 公式サイト「スポンサー一覧」
 https://tokyo2020.org/ja/organising-committee/marketing/sponsors/

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【写真】大会組織委の公式サイト

 森会長の発言に対して、全国紙5紙とも社説、論説では批判しているものの、森会長が残留することに対しては、表現に差が見られました。明瞭に「辞任を求める」と主張したのは朝日新聞(5日付)だけで、他紙は「もってまわった」感がぬぐえない、と2月7日の記事でわたしは書きました。
 https://news-worker.hatenablog.com/entry/2021/02/07/130810

news-worker.hatenablog.com

 その後、毎日新聞は9日付の社説で再度、森発言を取り上げ、「辞任すべきだ」と主張しました。
※「森会長の続投論 『仕方がない』は、やめよう」
 https://mainichi.jp/articles/20210209/ddm/005/070/132000c

 だが、撤回や謝罪で済む問題ではない。五輪憲章はあらゆる差別を認めない。それに反する認識を持つ人が、トップに座り続けることは許されない。辞任すべきだ。

 組織委員会は8日、大会スポンサー向けに森発言を巡るオンラインの説明会を開いています。そのことを9日付朝刊で毎日新聞と朝日新聞が報じています。大会スポンサーは当然、五輪の理念に共鳴する立場です。毎日、朝日ともに記事では、自社が社説で森会長の辞任を求めていることにも触れました。推測ですが、毎日新聞社は、大会スポンサーとしても明白なメッセージを社会に発するべきだと考え、2本目の社説掲載に至ったのかもしれません。

 読売新聞、日経新聞、産経新聞も、毎日、朝日のようなストレートな表現ではありませんが、森会長は職を降りるべきであることを社説で主張しています。

 読売新聞・6日付「発言の影響を踏まえて、身の処し方を再考すべきではないか」
 日経新聞・5日付「撤回することは当然だが、それだけですむことではないだろう」
 産経新聞・6日付「森氏がトップに立つことが開催機運の障害となっている現実を、組織委は自覚してほしい」

 オピニオンの主張であれ、五輪大会スポンサーとしての表明であれ、マスメディアが森会長の発言と進退へのスタンスを明らかにしたことは、マスメディア自身のジェンダーギャップの解消にとっても、少なからず意味のあることだと思います。
 新聞労連などマスメディア関連の産別労組などでつくる日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が2020年3月に公表した調査結果によると、調査対象の新聞社・通信社の執行役員を含む役員計397人(37社)のうち女性は17人(4.03%)、管理職計4565人(38社)のうち女性は352人(7.71%)でした。女性記者が記者全体に占める比率22%と比べても、決定権を持つ役員、管理職の女性比率はいまだ著しく低いのが実態です。
 森会長の女性蔑視発言に対して、新聞各社が社説、論説で強い姿勢を提示し、あるいは五輪大会のスポンサーとしても森会長の辞任を求めることを明白にした以上、自らが抱えるジェンダーギャップの解消にも努めるのは当然のことです。そうでなければ、書いていること、主張していることと、やっていることが違うということになります。
 地方紙、ブロック紙も含めて、今回の社説、論説を自らのジェンダー平等への社会への約束ととらえ、退路を断つ覚悟で取り組みが進めば、それぞれの報道も多様性が増して豊かになり、そのことがまた働き方として、仕事として多様さを増していく、いい循環が生まれることも期待できるのではないかと思います。社会に対して約束を掲げることには、それだけの重い意味があるはずです。

 ※森発言に対する地方紙、ブロック紙の社説、論説(2月7日付まで)は以下の記事にまとめています。
 https://news-worker.hatenablog.com/entry/2021/02/08/085726 

news-worker.hatenablog.com

 

森喜朗会長が辞意~ジェンダー不平等解消への改めての出発点に

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が辞任する見通しとなりました。2月3日に「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言し、4日には記者会見で発言を取り消し謝罪を口にしながらも、何が問われているかの自覚がうかがえず、居座りへ批判が高まっていました。ネット上でざっと検索した限りですが、マスメディアのサイトで2月11日の正午前から「辞任の方向で調整」との情報が流れ、毎日新聞が12時5分に「速報」で「辞意」、報知新聞が12時25分に「辞意固める」、共同通信12時28分「辞意」、NHK12時36分「辞意固める」といったように、各メディアが次々に速報しました。12日に開かれる組織委の会合で、森会長自身が辞意を表明する見通しで、後任は日本サッカー協会元会長の川淵三郎氏(84歳)で調整中と報じられています。
 「辞意」の確定報の速さが目立つ毎日新聞は、問題の発言があった翌日の4日午前中に森会長に直接取材し、森会長が「辞任」に言及したことをサイトで報じていました。森会長はこの段階で辞任するつもりだったのに、組織委事務局長らの説得で翻意し、4日午後の記者会見で辞任を否定した―とのストーリーも報じられています。
 4日の記者会見では謝罪を口にしながらも「邪魔だと言われれば、おっしゃる通り、老害が粗大ごみになったのかもしれないから、掃いてもらえばいいんじゃないか」との言葉も出ていました。発言を反省していれば、到底口にできる言葉ではありません。本人がそこまで言っているのに、組織委員会からも、日本オリンピック委員会(JOC)からも、日本政府や開催自治体の東京都からも、辞任を求める動きは出ませんでした。自民党などからは「撤回して謝罪したのだからいいじゃないか」と、森会長を擁護する声も聞かれました。こうした状況はそのまま、ジェンダーを巡る日本社会の現状と、不平等の解消のハードルが高いことを如実に示しているように思います。
 国際オリンピック委員会(IOC)も4日の記者会見をもって「この問題は決着」と表明していました。その後、森会長残留への批判の高まりを意識したのか、「森会長の発言は極めて不適切」との強い非難の声明を出し直しました。批判はスポンサーからも寄せられていたようです。IOCがいったんは「決着」を表明したことは、IOCがもっとも重視しているのは何なのか、現代の五輪のありようを考える好機であるようにも思います。
 森会長に辞任を迫ったのは民意のうねりでした。ジェンダーの何がどう問題なのかに改めて気付いた人も少なくなかったはずです。人は往々にして、自分が差別する側に立っていることに無意識、無自覚であり、そのことが差別の解消を困難にしています。その点であらゆる差別は通底していることに、わたし自身も改めて認識を深めました。自分が差別する側であることを自覚するのには心理的な抵抗があって当然ですが、その自覚なしには前に進めません。いい機会だと思います。森会長の辞任で終わりではなく、日本社会のジェンダー不平等をどう解消していくのか、その取り組みの改めての出発点になればいいと思います。

続・森喜朗会長の女性蔑視発言とマスメディアの当事者性~地方紙・ブロック紙の社説、論説の記録

 一つ前の記事(「森喜朗会長の女性蔑視発言とマスメディアの当事者性」)の続きです。
 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が2月3日に「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言し、4日には記者会見で発言を取り消し謝罪を口にしながらも辞任は否定したことに対して、地方紙、ブロック紙が社説、論説でどのように取り上げているか、ネットで確認できる限りですが、見てみました。
 5日付で取り上げたのは信濃毎日新聞、中日新聞・東京新聞、沖縄タイムス、琉球新報の4紙。6日付になるとぐんと増えて17紙です。その大半は森会長が組織委のトップには不適格であるとしています。中でも琉球新報は「組織委会長を辞任せよ」との見出しを掲げ、「森氏に大会運営の責任者の資格はない。ただちに会長を辞任すべきだ」と明快です。琉球新報と沖縄のもう一つの地元紙、沖縄タイムスとがそろって会見の翌日付で迅速に社説で取り上げたことは、沖縄が過剰な基地集中という不平等を強いられていることと無関係ではないと感じます。ほかに同日付で取り上げた地方紙、ブロック紙は信濃毎日新聞と中日新聞・東京新聞でした。
 6日付では河北新報が「早急に辞任を」と見出しに掲げ、京都新聞や神戸新聞、中国新聞などが「辞任に値する」「ただちに辞任すべきだ」と「辞任」を求めています。

 以下にネット上の各紙サイトで確認できた社説、論説の見出しと、森会長の進退に関する部分を引用して書きとめておきます。9日朝の段階でサイト上で読めるものは、リンクも張っておきます。

【2月5日付】
▼信濃毎日新聞「森氏の発言 組織委会長の資格あるか」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2021020500132

 森氏の発言は五輪の理念を軽視している。会長の資格があるのか疑問だ。コロナ禍で開催が危ぶまれている東京五輪を巡る世論の動向に影響を与える可能性もある。
 (中略)
 組織委が「国民の理解と歓迎のもとでの五輪」を目指すなら、国民や国際社会の理解を得られるけじめをつけるべきだ。

▼中日新聞・東京新聞「森氏女性蔑視 五輪の顔として適任か」
 https://www.chunichi.co.jp/article/196980?rct=editorial

 謝罪会見で発言を撤回したが、大会の「顔」として適任なのか。疑問は解消されないままだ。
 (中略)
 森氏は辞任を否定したが、会長は大会の意義を深く理解する人物であるべきだ。 

 ▼沖縄タイムス「[森氏の女性蔑視発言] 『五輪の顔』任せられぬ」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/703001

 「女は黙ってろ」と言っているに等しい時代錯誤の発言である。こうした価値観を持つ人に、「多様性と調和」をコンセプトとする東京五輪のリーダーは任せられない。

▼琉球新報「森氏の女性蔑視発言 組織委会長を辞任せよ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1267127.html

 批判を浴びて発言を撤回して謝罪したが、それでは済まされない。森氏に大会運営の責任者の資格はない。ただちに会長を辞任すべきだ。
 (中略)
 東京五輪・パラリンピック組織委員会は、森氏に辞任を迫ることで自浄作用を働かせ、オリンピックの精神を共有していることを内外に示してもらいたい。 

【2月6日付】
▼北海道新聞「森喜朗氏の発言 五輪トップに不適格だ」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/508741?rct=c_editorial

 東京大会の実務を担うトップにふさわしくなく、辞任すべきだとの声がやまない。当然だろう。
 森氏は、会長としての適格性が厳しく問われる局面に立たされていると自覚しなければならない。

▼河北新報「森会長の女性蔑視発言/五輪の妨げ 早急に辞任を」
 https://kahoku.news/articles/20210205khn000043.html

 しかも会見で居直りとも取れる態度を見せ、国内外から厳しい批判にさらされている。森氏は会長職を続けると表明しているが、五輪開催の妨げにしかならない。早急に辞任することを求める。

▼東奥日報「あまりにも不用意・不適切/森会長の女性蔑視発言」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/472197

 会長として不適格で、発言は辞任に値する。
 (中略)
 森氏は辞任する考えはないと言い切った。しかし今後、会長にとどまることでさまざまな悪影響が表れれば、身の処し方を再考する機会があるのではないか。

▼山形新聞「森氏の女性蔑視発言 会長職にとどまるのか」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/?par1=20210206.inc

 森氏は辞任する考えはないと言い切った。しかし、会長にとどまることでさまざまな悪影響が表れてくるようであれば身の処し方を再考する必要があろう。 

▼山梨日日新聞「[森会長の女性蔑視発言]「わきまえず」言う不適格だ」※会員限定
▼北日本新聞「森氏の女性蔑視発言/「五輪の顔」に不適格だ」※会員限定

▼福井新聞「森会長の問題発言 女性の社会参画に反する」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1256053

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言が波紋を広げている。女性理事を増やす日本オリンピック委員会(JOC)の方針に対して述べ、後に「不適切な発言」と謝罪し撤回したが、国会などで辞任を求める厳しい声も上がっている。女性の社会参画が進む世界の流れに逆行する問題発言であり、重く受けとめる必要がある。

▼京都新聞「女性蔑視発言 時流に逆行、許されぬ」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/498970

 五輪の理念を否定する発言は多言語で配信され、瞬く間に世界に広がった。新型コロナウイルスの感染拡大で開催が危ぶまれる中、自らの言動でさらに逆風を強めた森氏は辞任に値する。

▼神戸新聞「森氏の女性蔑視/「五輪の顔」には不適格だ」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202102/0014059202.shtml

 釈明会見では、質問する記者に「面白おかしくしたいから聞いているんだろ」と開き直るような態度も見せた。問題の本質に目を向けておらず、組織委トップとしての資質に欠ける。「五輪の顔」としてふさわしくない。直ちに辞任すべきだ。

▼山陽新聞「森会長の蔑視発言 五輪への“逆風”は深刻だ」
 https://www.sanyonews.jp/article/1097776?rct=shasetsu

 コロナ禍の中での五輪・パラ開催については、疑問を呈する声も多い。国民の理解を得て、アスリートが輝ける大会にするための「顔」をどうするか。組織委の姿勢が問われよう。

▼中国新聞「森会長発言の波紋 『五輪の顔』の資格なし」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=724718&comment_sub_id=0&category_id=142

 もはや「五輪の顔」の資格はない。

  (中略)
 当初の発言もさることながら、その後の釈明や振る舞いまでが元首相でもある公人の立場にふさわしくない。謝罪するはずの会見で気色ばむなど、事の重大性を自覚していない。
 自らの発言がどれだけの影響を及ぼすのか分からない人に、今の立場は任せられまい。即刻辞任する選択肢しかない。

▼山陰中央新報「森会長発言/不適格で辞任に値する」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1612578189437/index.html

 森氏は辞任する考えはないと言い切った。しかし、会長にとどまることでさまざまな悪影響が今後表れれば、身の処し方を再考する機会があるのではないか。会長として不適格で、発言は辞任に値する。 

 ▼高知新聞「【女性蔑視発言】森氏は五輪の顔に適さぬ」
 https://www.kochinews.co.jp/article/433269/

 森氏は辞任を否定しながら、「自分からどうしようという気持ちはない」と述べている。
 菅義偉首相は、国会で「五輪の重要な理念である男女共同参画と全く異なる」と述べた。ならば、五輪の理念を重視して森氏に辞任を求めるべきである。 

▼西日本新聞「森氏の蔑視発言 根深い性差別の解消図れ」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/689058/

 森氏は発言を撤回して謝罪したが、五輪運営の最高責任者として資質に欠けると言わざるを得ない。辞任にも値しよう。
 森氏はこれまでも女性を侮辱するようなものをはじめ失言や問題発言を繰り返してきた。それでも、今回の問題を個人の資質で済ませてはならない。
 現に、JOCの会議では森氏をいさめる発言はなく、笑いも漏れたという。発言に違和を感じながらも事を荒立ててはならないと受け流す。今もそれをよしとする風潮が残る。そうした振る舞いこそが、差別や偏見を温存すると考えるべきだ。

▼大分合同新聞「森会長の女性蔑視発言 職に不適格で辞任に値する」 ※会員限定

▼宮崎日日新聞「森氏女性蔑視発言 釈明逆効果で会長不適格だ」
 https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_51091.html

 森会長は辞任する考えはないと言い切った。しかし、会長にとどまることで悪影響が今後表れる可能性もある。身の処し方を再考する機会である。

▼佐賀新聞「森会長発言 不適格で辞任に値する」 ※共同通信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/630288

 森氏は辞任する考えはないと言い切った。しかし、会長にとどまることでさまざまな悪影響が今後表れれば、身の処し方を再考する機会があるのではないか。会長として不適格で、発言は辞任に値する。

【2月7日付】
▼茨城新聞「森会長発言 不適格で辞任に値する」 ※当日のみ公開

 森氏は辞任する考えはないと言い切った。しかし、会長にとどまることでさまざまな悪影響が今後表れれば、身の処し方を再考する機会があるのではないか。会長として不適格で、発言は辞任に値する。

▼新潟日報「女性蔑視発言 トップの資質欠く森会長」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20210207597443.html

 女性を蔑視し、国際社会からの信用にも傷を付ける深刻な発言だ。撤回し謝罪したが、反省の色はまるでうかがえない。
 五輪精神に著しくもとる内容でもある。大会準備の中心を担う組織のトップとして資質を欠くと断じざるを得ない。
 (中略)
 菅義偉首相は5日の衆院予算委員会で発言を「五輪の重要な理念である男女共同参画と全く異なる」としたが、政府内に辞任を求める動きはない。
 このままトップを任せられるのか。政府は後手に回らぬよう冷静な判断を下すべきだ。

▼愛媛新聞「森氏の女性蔑視発言 五輪パラの顔にふさわしくない」 ※当日のみ公開

 会議が長いことや競争意識が強いことは性別と関係ないのは言うまでもなく、偏見を伴う発言に国内外から批判が高まるのは当然である。多様性の尊重をうたう五輪の「顔」としてふさわしくなく、かじ取り役を任せるに値しない。
 (中略)
 森氏の発言について菅義偉首相は「あってはならない」と述べたが、具体的な行動で示すべきだ。ここに至って本人をその立場に居続けさせることは開催国としての見識が疑われる。

 

森喜朗会長の女性蔑視発言とマスメディアの当事者性

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が2月3日、日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会であいさつした際に「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言した問題で、森会長は4日に記者会見し、発言を撤回しました。報道によると「不愉快な思いをされた皆さまには、おわびを申し上げたい」と話したようですが、その後の記者団との質疑を見ると、発言の何が問われているのか分かっているようには到底思えません。「女性は」とひとくくりにしてネガティブにとらえるのは女性蔑視です。加えて、会議で活発に議論が交わされることに対する嫌悪も露わでした。組織委では女性が「わきまえて」いるとの表現を使っていることに、その感情がよく表れています。
 男女平等は日本社会だけでなく、世界的にも最重要課題の一つであり、五輪・パラリンピックの組織委トップの発言、認識としてはアウト、その任に不適格であるのは明らかだと思うのですが、森会長は辞任を否定しました。4日の会見では「邪魔だと言われれば、おっしゃる通り、老害が粗大ごみになったのかもしれないから、掃いてもらえばいいんじゃないか」と、居直るような発言もありました。本人がそこまで言うのであれば、JOCでも日本政府でも、開催自治体の東京都でもいいのですが、だれかが森会長に辞職を迫っても良さそうに思いますが、その動きはありません。むしろ、森会長は4日朝、辞職を決意していたのに、周囲が「余人をもって代えがたい」と強く慰留し、本人も考えを改めた、とのストーリーが広がっています。あげくに国際オリンピック委員会(IOC)まで「この問題は決着」と公式に表明しました。
 差別を傍観することは、差別に加担するに等しいことです。ここに至っては、問題は二つだと思います。森会長の差別発言それ自体と、森会長が辞めない、周囲が辞めさせることができないことです。森会長が会長職にとどまることは、森会長の女性蔑視、女性差別が容認されたも同然です。そしてJOCも日本政府も東京都も、その差別に加担しているのも同然です。五輪、パラリンピックにとっても、男女平等を目指す、という当たり前のことを共有できないまま東京大会を開催することは、歴史的な汚点です。
 誤りをただすのに遅すぎるということはありません。今からでもいいので、森会長の退場というけじめが必要だと思います。SNSなどを見れば、森会長の退場を求める民意は圧倒的です。

 森会長の発言を巡るこうした状況は、日本社会のジェンダーギャップの現状をよく示しているように思います。そして、マスメディアがこの問題をどう報じているか、新聞各紙が社説や論説でどのような主張を表明しているのかも、日本社会のジェンダーの状況の一端を示すものであるように思います。日本社会のジェンダーギャップを映し出すという意味で、マスメディアにも当事者性がある、ということです。
 そうした考えから、森会長の4日の記者会見を東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙)がどう報じたか、5日付朝刊の各紙の紙面(主な見出し)を記録することにしました(後掲)。それぞれの紙面での扱い方、記事の数とボリューム(情報量)、見出しの表現などから、それぞれの新聞のスタンスのようなものが読み取れるのではないかと思います。
 1面トップ、すなわちこの日の紙面の中で最重要のニュースとして扱ったのは、朝日、毎日、東京の3紙。読売、日経も1面ですが3番手以降の扱い。産経は2面でした。記事の多さ(情報量)では東京新聞が1面、総合面、スポーツ面、特報面、社会面見開きと展開しているのが目を引きました。朝日、毎日も社会面をほぼこのニュースで埋めています。
 社説で取り上げたのは4紙。見出しは以下の通りです。
・朝日新聞「女性差別発言 森会長の辞任を求める」
・毎日新聞「森会長の女性蔑視発言 五輪責任者として失格だ」
・日経新聞「あまりにお粗末な森五輪会長の女性発言」
・東京新聞・中日新聞「森氏女性蔑視 五輪の顔として適任か」
 朝日は「辞任を求める」と見出しでストレートに掲げています。ほか3紙も森会長が会長職にとどまることに疑問を呈していますが、表現は間接的です。

 毎日「五輪精神を傷つける自らの発言が開催への障害となっていることを自覚すべきだ。一連の言動は、東京大会を率いる責任者としては失格だ」
 日経「撤回することは当然だが、それだけですむことではないだろう」
 東京・中日「森氏は辞任を否定したが、会長は大会の意義を深く理解する人物であるべきだ」

 読売、産経は1日遅れて6日付の社説で取り上げました。
・読売新聞「森氏の女性発言 五輪会長として不見識すぎる」

 森氏は辞任を否定しているが、大会運営を担う組織のトップとして、自覚を欠いている。開幕を5か月半後に控えたこの時期に、失言で混乱を招いた責任は重い。発言の影響を踏まえて、身の処し方を再考すべきではないか。

・産経新聞(「主張」)「森氏の問題発言 組織委もJOCも猛省を」

 森氏がトップに立つことが開催機運の障害となっている現実を、組織委は自覚してほしい。

 即座に明瞭に森会長の辞任を求めたのは朝日だけです。ジェンダーギャップの解消が社会にとって最重要課題の一つであるからこそ、分かりやすい表現が必要だと思うのですが、他紙の「もってまわった」感がぬぐえない表現は、そのまま新聞界が内包しているジェンダーギャップを反映しているようにも感じます。

 森会長がこのまま組織委会長職にとどまり続けるのか、そのことをマスメディアはどう報じるのか。引き続き注視します。

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 以下は東京発行各紙の2月5日付朝刊の記録です。
【朝日新聞】
▽1面
トップ「森会長。発言撤回し謝罪/女性が多い会議、時間がかかる/辞任は否定/五輪組織委」
「『あってはならない』/首相、森会長の発言に」
▽15面(スポーツ)
「現役選手『撤回は無意味』」/「競技団体役員1615人 女性は15%/笹川スポーツ財団調査」
「森会長『老害が粗大ごみになったら掃いてもらえば』」質疑応答
▽社会面
トップ「森会長 撤回で終わり?/いらだち隠せず 強まる逆風」/「『多様性、すべて否定された』JOC理事」/「性差別に『怒り』 海外メディア批判」
「五輪憲章に反する発言」日本スポーツとジェンダー学会会長の中京大・來田享子教授(五輪史)/「日本に残る価値観体現」コラムニスト小田嶋隆さん

【毎日新聞】
▽1面
トップ「森氏『女性蔑視』批判の嵐/政財界 海外メディアも/五輪会合『女性が多い会議は時間がかかる』/発言撤回 辞任否定」
▽3面
クローズアップ「東京五輪開催に逆風/権限集中 歯止めなく」「『二人三脚』政権痛手」「大会理念に逆行」
▽18面(スポーツ)
記者会見要旨「『老害、粗大ゴミになったのかも』/『私も話長い方』」
「議論の否定に重なる」JOC理事・山口香氏/「差別につながる偏見」プロサッカー下山田志帆選手/「半端な会見 反発増す」広報コンサルタント山口明雄氏
▽社会面
トップ「森氏謝罪会見 逆効果/『心配ありがとう』『だから撤回と言っている』」
「『#森氏 引退してください』/ツイッターでトレンド入り/発言皮肉り『私たちはわきまえない』」
「『気持ちそがれた』/ボランティア辞退続々」

【読売新聞】
▽1面
「森会長が発言撤回/『女性多いと…』辞任は否定/五輪組織委」
「『あってはならない』首相」
▽3面
スキャナー「火種次々 首相防戦」「長男の接待疑惑・森会長発言/衆院予算委」
▽14面(スポーツ)
「組織委・森会長 3日の発言要旨」/「ラグビー協会が森氏発言で談話」
▽社会面
準トップ「東京五輪へ影響 懸念/森会長発言 国内外から批判」

【日経新聞】
▽1面
「森氏、発言を謝罪/国内外で批判、辞任は否定/『女性蔑視』」
▽2面
「女性活躍の潮流に逆行/森氏発言 首相『あってはならぬ』」
「アスリート置き去りに」日本オリンピック委員会(JOC)理事を務める山口香・筑波大教授/「海外からの批判は当然」国際法務や企業統治に詳しい牛島信弁護士
▽社会面
トップ「『怒り』『機運台無し』/森氏発言 関係者ら批判」/記者会見 一問一答

【産経新聞】
▽2面
「森会長、『女性』発言を陳謝/不適切と撤回 辞任否定」/「欧米メディア『女性蔑視』と報道」
▽16面(スポーツ)
「JOC『森氏問題 決着』/不適切発言、早期収拾図る」(ジュネーブ共同)/「スポーツ界から厳しい声相次ぐ」
▽第2社会面
「『粗大ゴミなら掃いてもらえばいい』/森会長謝罪 一問一答」/女性理事に関する発言/「五輪 別の意味で世界に話題/小池知事『私も困惑、真意は?』」
※1面コラム産経抄「晩節を汚さない賢明な判断を望むばかりである」

【東京新聞】
▽1面
トップ「森会長 蔑視発言を謝罪/『女性理事たくさんいると時間かかる』/五輪組織委 辞任は否定/コロナ禍の開催に逆風」
「怒りある・撤回で済まぬ・組織に蔓延・不適切な人あらわ/選手・識者 失望、批判」
JOC臨時評議員会の森氏の発言要旨(3日)/「JOC『問題は決着』声明」
▽2面
核心「五輪の『顔』時代に逆行/『女性理事任用』議論の場で森氏発言」「『大会の信用に関わる』女性理事の山口香さん」
「海外でも批判噴出/森氏発言『性差別』『時代遅れ』」/「『大変困惑』都知事が不快感」/「『あってはならない』橋本五輪相 森氏に苦言」/「日商・三村会頭『極めて残念』」
▽19面(スポーツ)
「五輪への反発拡大/スポーツ界にも辞任論/IOCは男女平等推進」
記者の目「消えたアスリートファースト」多園尚樹記者
▽特報面
「懲りない森氏/問われる資質/性差別発言『世界に顔向けできぬ』」/「スポーツ界に根を張る/なぜ組織委会長に 発端は『体協』会長職/過去にも度々 底流に『上から目線』」
▽社会面(見開き)
「会長に不適? 承っておく」「邪魔なら掃いてもらえば/女性登用 数字で無理しない方がいい」(記者会見4日)/「女性は競争意識が強い。思いのままどんどん言う」(臨時評議員会3日)
「謝罪のち開き直り」「面白おかしくしたいのか」
「『謝る気ない』批判、あきれ SNS・街の声」/「『辞退者出るかも』聖火ランナー失望」 

※追記 2月8日9時10分

 地方紙、ブロック紙の社説もまとめました。

news-worker.hatenablog.com

新聞記者は「血の粛清」後、プロとして残れるのか(再掲)

 一つ前の記事(新聞記者は「消える仕事」か~週刊東洋経済の特集「1億人の『職業地図』」)の続きです。
 週刊東洋経済と週刊ダイヤモンドはひところ、競うように新聞やテレビの産業としての先行きの暗さを特集してきました。わたしが手元に控えている限りの記録ですが、特集のタイトルは以下の通りです。

「新聞・テレビ複合不況」        (2008年12月ダイヤモンド)
「テレビ・新聞陥落!」         (2009年1月東洋経済)
「新聞・テレビ断末魔」         (2010年2月東洋経済)
「激烈!メディア覇権戦争」       (2010年7月東洋経済)
「新聞・テレビ勝者なき消耗戦」      (2011年1月ダイヤモンド)
「新聞・テレビ動乱」           (2014年10月東洋経済)
「4つの格差が決めるメディアの新序列」 (2018年10月ダイヤモンド)

 「陥落!」ときて次に「断末魔」となったのは今から11年前のことでした。その後は「絶命」とでもするのだろうか、などと思っていましたが、新聞の産業としての先行きのなさに目新しさはなく、今や両誌では、新聞やテレビは単独の特集にはなりえないのかもしれません。
 一つ前の記事で紹介した「新聞記者は『消える仕事』の一つ」だという東洋経済の特集記事を読みながら、このブログの関連しそうな過去記事を久しぶりにあれこれ読み返してみました。そのうちの1本を紹介します。2010年当時、話題になった1冊、「フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略」の読後感です。著者のクリス・アンダーソン氏は「ロングテール」という言葉を世に知らしめたことで知られます。

 ※新聞記者は「血の粛清」後、プロとして残れるのか~読書「フリーからお金を生みだす新戦略」=2010年2月13日 

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 この本の内容を大ざっぱにまとめると、「ネット上では情報を含めてサービスは無料(フリー)との流れが進んでいるけれども、それは悪いことではない。まず無料でサービスを提供し、大勢の人たちの評判と評価を勝ち取ること。次に機能を高めたプレミアム版を用意すれば、ユーザーの何人かはそちらに移行する。一部の有料顧客が他の顧客の無料分を負担する。デジタル技術とインターネットが複製コストを限りなく下げるのと、それ故に無料ユーザー数が非常に多くなるので、うち数%でも有料に移行すれば十分な収益が見込める」ということになります。
 しかし、当時まだ40代後半だったわたしがもっとも強烈な印象を受けたのは、「フリー」はプロとアマを同じ土俵に上げること、それによってプロのジャーナリストは仕事がなくなっていくこと、しかし、プロのジャーナリストには新しい役割が待っていること等々の指摘でした。一例として挙げられていたのは、プロがその能力を使ってライターではなく編集者兼コーチとなり、アマチュアが自分たちのコミュニティ内で活躍できるように教育していくことです。金銭以外のために記事を書くアマチュアを指導することで、プロは収入を得ることができる、というわけです。そうやってジャーナリズムをプロだけでなくアマチュアも担うことになれば、ジャーナリズムは豊かになり、社会にとってはいいことです。
 このブログ記事を書いてから11年がたち、日本でも新聞記者が「消える仕事」の一つとして挙げられていますが、トレーニングを積んだ新聞記者のスキルが社会に有用であることには変わりはないように思います。例えばファクトチェックの問題です。11年前に比べてデマ情報の拡散は深刻さを増しています。裏付け取材がマスメディアに期待されているようですが、例えばプロがアマチュアに裏取り取材のスキルを伝授して、ファクトチェックを担う人材のすそ野を広げる、といった発想があってもいいはずだと考えています。
 仮に新聞社が自己変革できないまま推移し、「新聞」という組織ジャーナリズムのモデル、「新聞社」というジャーナリズム組織のモデルがいよいよ立ち行かなくなったとしても、個々の新聞記者が身に着けているスキルは様々に生かせる場があるだろうと思います。

新聞記者は「消える仕事」か~週刊東洋経済の特集「1億人の『職業地図』」

 週刊東洋経済の1月30日号が「消える仕事、残る仕事 1億人の『職業地図』」という特集を掲載しています。「消える仕事」18業種の一つに「新聞記者」が挙げられているので、購入して読んでみました。

 記事は業種ごとに平均年収や業界規模などを紹介。業界の最新事情と、2030年に予想される姿を記載しています。
 「新聞記者」の項の業界最新事情は、毎日新聞の発行部数が中日新聞に一時逆転されたこと、朝日新聞が希望退職を募集したこと、全国紙で支局の削減などの縮小均衡が止まらないことを列挙しています。
 「2030年の新聞記者」は以下の通りです。

 無料のヤフーニュース等が普及し、新聞の発行部数は、00年の5371万部から20年に3509万部へ激減。宅配網の維持等課題も多い。夜討ち朝駆けのブラックな体質は若者からも敬遠される。本業不振を不動産業で埋める収益構造が常態化しよう。

 「2030年」と言いながら、内容は2020~21年の現状が中心で見出しとちょっとずれている気がしますが、新聞社の経営環境が厳しさを増しているのは事実です。星五つを満点とする将来性スコアは、星二つです。「業界TOPIC」のひとコマでは米ニューヨークタイムズを取り上げ、電子版が拡大してデジタル収入が紙を上回り、「将来は紙全廃へ」と紹介しています。
 日本の新聞社のうちデジタル展開で確固とした経営モデルを持っているのは日経新聞だけです。他の新聞社は試行錯誤が続いています。「紙全廃へ」と一言では済ませられません。
 新聞社が本業(新聞発行)の売り上げ減を当面は不動産などの副業収入で補うしかない、という議論も、発行部数の減少傾向が顕著になったここ十数年は折に触れ耳にしてきました。
 総じて特集記事に目新しさはなく、「新聞記者」が先行きの暗い業種である、ということがただ強調されているようにも感じられ、37年間、新聞の仕事をしてきた一人として残念に思います。「週刊東洋経済」が経済専門誌であることを考えれば、「新聞記者」を取り上げながら実際は新聞産業に対する論評に終始しているのも仕方がないかもしれません。

 新聞社の収入は長らく、新聞の購読料と新聞に掲載する広告の広告料の二つが柱でした。広告料の単価は発行部数に左右されますので、新聞社の経営にとって部数は多いほどいいわけです。「ウインドウズ95」の登場によって、インターネットの普及が本格的に始まったのが1995年。新聞の発行部数が減少傾向に転じたことがはっきりするのはそれから数年遅れて、21世紀に入った辺りからです。以来、部数減はずっと続いています。特にこの1年は一気に272万部も落ち、総発行部数の7.2%減です(新聞協会のまとめによる)。新聞社の経営の見地からは、週刊東洋経済の特集が指摘している通り、先行きは明るいものではありません。
 しかし、「新聞記者」を個人の仕事として、働き方の一つとしてとらえると、別の風景も見えるのではないかと思います。
 新聞は組織ジャーナリズムのモデルの一つです。新聞記者は新聞社に記者職として採用された後、取材や記事執筆などのトレーニングを実地に重ねながら成長します。新聞社は多くの記者を擁し、組織的に取材を展開してその成果を新聞という情報パッケージにして社会に送り出してきました。こうした組織ジャーナリズム自体は今もなお社会に必要だと思いますし、新聞記者という仕事の醍醐味でもあるのだろうと思います。
 新聞社にとって紙の新聞の後のモデルは、デジタルであるのは間違いありません。しかしデジタル空間では新聞社の情報も個人の情報発信も原理的にはフラットです。そして近年では、例えば東京高検検事長と新聞記者、新聞社社員が一緒に賭けマージャンに興じていた問題など、社会の一般的な感覚と新聞社内の感覚の乖離がSNSなどを通じて可視化される事例も目に付くようになっています。新聞社が新たな組織ジャーナリズムのモデルを手にするには、マネタイズだけではなく、職業倫理の面でもこうした社会との乖離を一つずつ埋めていくことが必要ですし、それは簡単には進まないと思います。しかしその課題を克服し、「やはり社会に組織ジャーナリズムは必要だ」と社会の人々に思ってもらえるようになれば、「2030年の新聞記者」(そのときには「新聞記者」という呼び方は変わっているかもしれませんが)は社会に貢献する、やりがいのある仕事であるだろうと思います。

※参考 日本新聞協会「新聞の発行部数と世帯数の推移」

https://www.pressnet.or.jp/data/circulation/circulation01.php 

 

週刊東洋経済 2021年1/30号 [雑誌]

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 【追記】2021年1月31日8時50分

 関連する続報をアップしました。 

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