ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「大垣夜行」の思い出

 旧国鉄時代、東京駅を深夜に出て東海道線を西に向かい、岐阜県の大垣駅に早朝に着く普通電車がありました。1996(平成8)年に全席指定の快速「ムーンライトながら」となり、2009年3月以降は夏休み期間などに限定した臨時列車となりました。そのムーライトながらの運転が終了したとのニュースを目にしました。
 ※共同通信「JR夜行快速『ながら』終了/バスと競合、車両老朽化」=2021年1月22日
 https://this.kiji.is/725270835080871936?c=39546741839462401

 JR東日本と東海は22日、夜行列車の快速「ムーンライトながら」(東京―大垣)の運転を終了したと明らかにした。春、夏、冬の臨時列車として走らせてきたが、高速バスとの競合や旧国鉄時代の車両「185系」の老朽化に伴い、今後は運行しないことを決めた。昨年3月29日の上り列車がラストランとなった。

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 1970年代の半ば、中学を卒業して高校入学までの間の春休み、当時住んでいた北九州市から初めて東京を訪ねました。帰りに前身の「大垣夜行」に乗りました。大垣で普通列車の西明石行きに接続していて、京都からは新幹線に乗り換えて北九州に帰りました。鉄道好きの間で有名だったこの夜行列車に乗ったのは好奇心からでしたが、リクライニングシートもない硬いイスでは熟睡と行かず、何度も何度も目が覚めました。大垣で乗り換えた後、とにかく眠かった記憶があります。
 2回目は東京で大学生活を送っていた1年生の秋だったと記憶しています。関西に一人旅に行くのに、思い立ってこの夜行列車を選びました。乗車券だけで乗れる安さが魅力でした。このときは静岡辺りから尻が痛くなり、我慢できずにとうとう名古屋でギブアップ。始発の新幹線に乗り継ぎました。
 当時は座席指定ではなく、湘南色と呼ばれる緑とオレンジの塗装の通勤電車の車両でした。東京や新橋からは帰宅の酔客もたくさん乗って来て、小田原辺りまでは混雑していました。グリーン車が1両連結されていて、早い時間からホームに行列ができていました。
 旧国鉄時代には、こうした安く乗れる長距離列車がたくさん走っていました。東京・上野駅からは東北や北陸へ向けて、特急だけではなく急行もありました。周遊券を使えば急行の自由席には追加料金なし、つまり急行券を買わなくても乗れました。ただし、上野から青森まで、東北線経由で11時間ぐらいかかりました。今なら新幹線で東京~新青森は3時間です。わたしが記者になって青森に赴任したのは1983年。既に新幹線は大宮~盛岡間が開業し、この区間の昼間の特急、急行は姿を消していましたが、上野~青森間の夜行列車は往時より数は減ったものの健在でした。夜のうちに安く移動できる夜行急行は、節約と時間の有効利用にはうってつけでした。

 今日では陸路の長距離移動は新幹線利用が当たり前になっていますが、これらの列車のことを考えると、あらためて特急料金の高さに気付きます。時間に金を払うわけですが、その新幹線は新型コロナウイルスの感染拡大で乗客が激減しました。1960年代の高度成長期以降、日本社会は「より速く、より遠くへ」の価値観にさして疑問も持たず進んできましたが、このままでいいのかと、コロナが問い掛けているような気もしています。

「辺野古新基地に自衛隊常駐を極秘合意」沖縄タイムスと共同通信が合同取材~新基地の位置付け明確に

 1月25日付の沖縄タイムスに、陸上自衛隊と米海兵隊が、辺野古新基地に陸自の離島防衛部隊「水陸機動団」を常駐させることで2015年、極秘に合意していたことが分かった、との記事が掲載されました。「沖縄タイムスと共同通信の合同取材に日米両政府関係者が証言した」とのことです。共同通信からも同趣旨の記事が配信されており、沖縄のもう一つの地元紙、琉球新報をはじめ全国の地方紙に掲載されました。
 沖縄タイムスの記事はネットで読めます。
 ※沖縄タイムス「辺野古の新基地に自衛隊を常駐 海兵隊と自衛隊のトップが極秘合意」=2021年1月25日
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/697461

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 辺野古新基地について、日本政府は米軍が使用すると説明してきています。しかし、記事では「政府内には陸自常駐が表面化すれば沖縄の一層の批判を招くとの判断があり、計画は一時凍結されている」としています。実際は辺野古新基地で日米の軍事組織の一体化が進み、仮に米海兵隊の駐留が縮小、撤退となっても、自衛隊が米軍の役割を補完することになります。辺野古新基地の位置付けが、従来の日本政府の説明とは異なることを明らかにした報道として、意義は大きいと思います。
 沖縄タイムスはサイト上で「沖縄タイムスと共同通信が初の合同取材」のサイド記事も掲載し、取材、報道の経緯を説明しています。マスメディアの取材、報道の新たな試みとしても、取材の経緯の開示という意味でも意義があると思います。

 陸自と米海兵隊の極秘合意に対して、琉球新報は25日付で、沖縄タイムスも26日付でそれぞれ社説で取り上げています。地域の住民が自分たちの未来を自分たちで決めることができるのかどうか。沖縄には自己決定権がないことを、日本本土に住む日本人、主権者はどう考えるのかが問われています。

 ※琉球新報「シュワブ共同使用合意 文民統制逸脱する暴挙だ」
  https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1261432.html

 そもそも南西諸島への自衛隊配備強化は沖縄にとって新たな基地負担となっている。県内の自衛隊施設面積は18年現在で、沖縄の日本復帰時の約4.3倍に上っており、先島などへの陸自配備が進めば、さらに拡大する。
 政府が言う「沖縄の基地負担軽減」はもはや絵空事である。キャンプ・シュワブでは、政府が新基地建設を強行している。県民投票で投票者の7割が埋め立てに反対し、軟弱地盤のある大浦湾側で着工の見通しも立っていないにもかかわらずにだ。
 辺野古新基地は将来、陸自基地になると陸自幹部は見込む。文民統制を逸脱した合意によって、先の大戦のように沖縄に犠牲を強いることは決して許されない。軍部の暴走を許した昭和史が沖縄戦の悲劇を招いたことを忘れてはならない。沖縄が戦後76年間も過重な基地負担を押し付けられ、危険と隣り合わせの環境に置かれることを拒否する。

 ※沖縄タイムス「[辺野古に陸自部隊]軍事要塞化を拒否する」
  https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/697914 

 負担軽減の掛け声とは裏腹に、宮古・八重山、沖縄本島、奄美に至るまで軍事化が急速に進む。
 懸念されるのは沖縄が戦場になることを前提にした作戦計画が立てられ、訓練が重ねられていることだ。
 昨年11月、徳之島で行われた大規模な訓練は、同島の防災センターを「野戦病院」と位置付けた戦時の医療訓練だった。
 離島が戦場になったとき、住民にどのような事態が起きるか。戦傷者の発生を想定した何とも生々しい訓練は、沖縄戦の女子学徒隊を想起させるものがある。
 沖縄戦で起きたことを沖縄の人々は戦後76年たっても忘れていない。私たちは沖縄が戦場となることを前提にした軍事要塞化に反対する。
 軍事力偏重の安全保障政策は他国との緊張を高め、思わぬ事態を招きかねない。
 沖縄の歴史経験を真に生かすことができるかどうかが、切実に問われている。

 

自粛警察ではなく本物の警察が出てきた~マスク拒否の乗客を4カ月後に逮捕、3日で起訴

 気になる事件です。マスク非着用を巡って、自粛警察ではなく本物の警察が出てきました。
 昨年9月、釧路空港から関西空港に向かっていたピーチ・アビエーション機内で、新型コロナウイルス対策のためのマスク着用を拒否してトラブルとなり、運航を妨げたなどとして、茨城県内の34歳の男性が1月19日、威力業務妨害、傷害、航空法違反の疑いで、大阪府警に逮捕されました。共同通信の配信記事によると、逮捕容疑は「昨年9月7日、釧路発関西行きの機内で、女性乗務員の左腕に暴行を加えて捻挫を負わせ、乗務員らを大声で威圧して航空機を遅延させるなど、ピーチ社の業務を妨害した疑い」とのことです(マスクを着用しなかったことが逮捕容疑になっているわけではありません)。
 ※共同通信「マスク拒否の大学職員を逮捕/ピーチ機の運航妨げた疑い」=2021年1月19日
 https://this.kiji.is/724154013476847616?c=39546741839462401

 逮捕3日後の22日、大阪地検は男性を起訴しています。
 ※共同通信「機内でマスク着用拒否の男を起訴/ピーチ機運航妨害の罪」=2021年1月22日
 https://this.kiji.is/725193494272884736?c=39546741839462401

 この男性は昨年9月、共同通信記者の取材に応じています。その際の長文の記事を現在もネット上で読むことができます。
 ※47news「マスクしないと飛行機は乗れないの?/降ろされた男性、ピーチ機上で経験した一部始終を語る」=2020年9月16日
 https://this.kiji.is/678494451161810017?c=39546741839462401

 このインタビューの中で、男性は機内での出来事を詳細に話しています。以下、大ざっぱな要約です。

 ・身体的な理由で長時間マスクをするのが難しく、普段からしていない。具体的な病名を明らかにしないのは「その症状なら着けられるだろう」という暗黙の強制につながってしまうから。
 ・行きのジェットスター便では、空港で着用が困難な人は申し出るようアナウンスがあったので事前に申告した。機内でもマスクをしないことでトラブルはなかった。
 ・ピーチ機では繰り返しマスクの着用を要請されたが着けない理由は聞かれなかった。同じ列に座っていた乗客の男性から「気持ち悪い。こんなんと一緒に乗られへん。あっち行け」との暴言があり、強く抗議をした。
 ・客室乗務員は「マスクを着けないと航空の安全を保つことはできない」と強制してきた。抗議せず認めてしまうと他の人にも同じ対応をしてしまうので、その場で抗議する必要があると思った。乗客の暴言も同じ。マスクをしない人への差別や偏見は許せなかった。
 ・座席から客室乗務員に、先ほどの乗客が謝罪したのか、マスクの着用についてピーチの運航約款ではどのように定められているのかを質問した。抗議を続けると、機内後方の客室乗務員の詰め所に案内され、そこでも同様の質問を続けた。
 ・新潟空港に到着後、機内にピーチの職員3人と見守りの警察官が入ってきた。飛行機から降りるつもりはなかったが、事情の説明が長くなってしまうと思い、誤解を解くために自主的に機外に出ることにした。警察による拘束や事情聴取は一切ない。新潟県警の警察官からは、何も法律に触れることはないと説明を受けた。
 ・耳が少し聞こえづらく、そのため、声が大きい。運航中はエンジン音がうるさく、相手の声はマスクで聞き取りづらかったので、何度も聞き返すうちに自然と大きくなってしまった。声が大きいという注意に対しては、その場で謝罪している。
 ・質問の口調が強くなってしまったことは反省しているが、内容は簡単な確認。運航に支障を来すとは思わない。それなのにクレーマーのように捉えられ、声が大きい、威圧的と難癖を付けて追いやったのは、マスクをしない私を排除する同調圧力によるものだと思う。

 男性が自ら話している内容を踏まえても、客室乗務員に対しマスク着用の要請の根拠を大きな声でしつこく尋ねたことは事実のようです。客室乗務員は保安要員でもあり、1人の乗客の対応にかかりきりになるわけにはいきません。「運航に支障を来すとは思わない」とは男性の主観であって、機長が法に基づく権限を行使したからには、運航に支障があったのかどうかをあれこれ論じてもさして意味はないように思います。
 わたしが気になるのは、4カ月もたった後に大阪府警が乗り出してきて、男性が逮捕された点です。
 当日は新潟県警が関与しています。機内に警察官が入っているのですから、運航に支障があり、安全確保に差し迫った危険があったのであれば、新潟県警がその場で逮捕するなり、あるいは任意で捜査を続ければよかったのではないかと思います。しかし男性は、新潟県警の警察官からは、法律に触れることは何もないと説明を受けたと取材に答えています。
 一般に逮捕は、証拠隠滅や逃亡の恐れがある場合に認められます。男性はこれだけ詳細に取材に答え、その記録がネット上でだれでも閲覧可能な状態で残っているのに、どう証拠を隠滅する恐れがあるのか。この点は、容疑を否認していることと分けて考えるべきだろうと思います。
 また、男性はマスク着用の拒否について、ほかにもホテルや公共施設でも持論を主張してトラブルになっていたことが報じられています。ネット上でもツイッターのアカウントを開設して自ら情報発信しています。いわば信念に基づいた行動や発信であって、逃亡の恐れがどの程度あったのか、少なからず疑問です。
 さらに、男性は逮捕された後、取り調べに対して供述を拒否したようです。すると大阪地検はすぐに起訴。男性のツイッターへの投稿によると、起訴当日の22日のうちには保釈されたようです。つまりは、身柄を拘束してまで取り調べる必要がどこまであったのか、と疑問を感じざるを得ません。仮に刑事事件として立件に相当する事案だとしても、任意の在宅捜査でも十分だったのではないか。なにより、4カ月もたっての逮捕に唐突感はぬぐえません。
 ここで気になるのは1月19日という逮捕のタイミングです。前日18日、新型コロナウイルス対策の法制に罰則を盛り込む改正案を菅義偉政権が取りまとめ、自民、公明両党に提示していました。マスメディアでも大きく取り上げられ、新聞では19日付のいくつかの朝刊紙面では1面に掲載されています。①緊急事態宣言の対象地域で事業者が休業や営業時間短縮の命令に従わない場合は行政罰の50万円以下の過料を科すことができる②感染者が入院を拒否した場合などには懲役刑などの刑事罰を科すことができる―が柱です。そして、この罰則導入には野党から反対意見が出ているほか、世論調査を見ても慎重意見が目立っています。
 そういうさなかでの男性の逮捕でした。刑事罰が導入されるということは、警察による捜査が行われるようになることを意味します。自らの信条を主張してマスク着用拒否を押し通すような行為は、確かに迷惑かもしれません。だからといって、逮捕されても当然だ、と考えるかどうかは別の問題です。男性の逮捕は「捜査の対象になるのはこういう危険な人物です。善良な市民の皆さんは大丈夫」と警察が社会にアピールし、将来の捜査をやりやすくしようとする目的があったのではないか。わたしはそう感じるのですが、うがった見方でしょうか。
 逮捕容疑には、客室乗務員の腕に暴行を加えて捻挫させた傷害容疑も含まれていますが、男性のインタビューではそうした話は出てきません。一般に傷害罪が適用されるのは、故意の暴行の結果、相手がけがをした場合です。男性は客室乗務員を呼び止める際などに腕をつかんのだかもしれませんが、そうだとしたら故意の暴行と呼べるのか。分からないことは多々あります。容疑に傷害が加わることで、トラブルは傷害事件となり、イメージは異なってきます。先述のように当日、機内には新潟県警の警察官が入っています。そのときに被害の申告はなかったのでしょうか。
 コロナ対応を巡っては、こんなニュースもあります。やはり罰則導入を先取りするかのような動きに思えます。
 ※共同通信「埼玉県、時短応じない店に警察官/3%が営業継続」=2021年1月22日
 https://this.kiji.is/725314081825636352?c=39546741839462401

 埼玉県の大野元裕知事は22日の新型コロナウイルス対策本部会議で、営業時間の短縮要請に応じない飲食店に対し、県警と連携して協力を呼び掛けると明らかにした。県によると、警察官が県職員と一緒に飲食店を訪れる手法を検討している。繰り返し要請しても応じないケースなどを想定している。
 (中略)
 大野知事は記者団に「国から警察と協力体制を組むよう要請があった」と話した。

 逮捕までの4カ月間、大阪府警や大阪地検とピーチ社の間で何があったのか。その経緯を検証する報道を期待しています。

米バイデン大統領が掲げる社会の「結束」「団結」と「民主主義」の再建~分断の根深さとマスメディアの役割を考える

 米国のジョー・バイデン新大統領が1月20日(日本時間21日未明)、就任しました。「米国第一」を掲げたトランプ前大統領の4年間は、米国社会では分断が深まり、国際社会には混乱がもたらされました。分断と混乱の修復という新大統領の課題は明らかではあるのですが、昨年の大統領選ではバイデン氏の得票8100万票余に対しトランプ氏も7400万票余を獲得したほか、トランプ氏が選挙で不正が行われたと主張し続けているためか、共和党支持層の75%がバイデン氏は大統領選に正当に勝利したわけではないと考えている、との最近の米世論調査の結果も報じられています。米大統領の就任式は、前任者も立ち会い、連邦議会議事堂周辺で数十万人が見守るのが恒例ですが、今回はトランプ前大統領の姿はありませんでした。2週間前、トランプ支持の集会の参加者らが警備の警官隊を押し切って議事堂になだれ込んだ事件の記憶も生々しい中で、就任式には新大統領を祝福する群衆の歓声もなく、州兵2万5千人が警備にあたる厳戒ぶりが、そのまま新政権の前途の多難を表しているように感じました。
 日本のマスメディアも新大統領の就任を大きく報じました。時差の関係で、新聞各紙に就任演説の内容が盛り込まれたのは21日付夕刊ですが、21日付朝刊から未来形の記事ながら新政権発足を大きく掲載。翌22日付朝刊では演説の全文なども含めて、詳細に伝えています。

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写真:22日付の東京発行各紙朝刊

 以下に、東京発行各紙の22日付朝刊の1面と、署名評論(連載企画を含む)、社説の見出しを書きとめておきます。
■朝日新聞
1面トップ「『米国民結束に全霊』/バイデン大統領就任/パリ協定・WHO 国際協調へ回帰」
1面「民主主義 立て直す責任」沢村互・アメリカ総局長
■毎日新聞
1面トップ「米国団結へ全霊/バイデン大統領演説/パリ協定復帰に署名」
1面「事実重んじる社会に」古本陽荘・北米総局長
社説「バイデン大統領就任 米国の結束どう取り戻す」/超党派を政治の基本に/「トランプ」再来阻止を
■読売新聞
1面トップ「分断から団結へ/米バイデン政権始動/コロナ・気候変動 大統領令15本」
1面「同盟深化 戦略的に」飯塚恵子編集委員(論考バイデン政権・上)
社説「バイデン氏就任 米国の結束と底力が試される/民主主義と国際協調の舵を取れ」/まずはコロナと経済だ/超党派の合意の実現を/同盟強化の知恵絞ろう
■日経新聞
1面トップ「環境・外交 政策大転換/バイデン政権始動/大統領令15本署名」
1面「民主主義はよみがえるか/消えぬ『トランプの残像』」菅野幹雄・ワシントン支局長(混沌のアメリカ 試練の新大統領・上)
社説「米政権と連携して国際秩序の再建を」
■産経新聞
1面「バイデン氏 パリ協定復帰署名/政策転換 初日に17文書/大統領就任『米国結束に全霊』/『コロナ克服』誓い」
1面「民主主義陣営の道しるべたれ」黒瀬悦成・ワシントン支局長
社説(「主張」)「バイデン新大統領 自由世界の団結主導を/中国への厳しい姿勢変えるな」/日豪印との連携を貫け/TPP復帰が試金石だ
■東京新聞
1面「『再び世界と関わり合う』/バイデン米大統領始動/パリ協定復帰など17件署名」
1面「国民結束へ試練」岩田仲弘・アメリカ総局長
社説「バイデン政権発足 米国の再建がかかる」/トランプ派と向き合う/コロナ禍が示す不公正/外交は信頼回復から

 各紙を見比べると、バイデン大統領が演説で多用した「unity」を見出しに取っているのが目立ちます。「結束」と翻訳したのは朝日、日経、産経、東京、「団結」と訳したのは毎日、読売です。各紙によると、バイデン大統領はこの言葉を演説の中で8回ないし9回使ったとのこと。もう一つ、「民主主義」(democracy)も11回を数えたとのことです。
 ちなみに4年前、トランプ前大統領の就任時の報道のキーワードは「米国第一」でした。

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写真:2017年1月22日付の東京発行各紙朝刊

 ※参考過去記事
▽「『米国第一』突っ走るトランプ政権―新大統領就任、在京紙22日の報道と沖縄2紙社説」=2017年1月23日 

news-worker.hatenablog.com

▽「『自国第一』『分断』『予測不能』『「高まる緊張』~米トランプ政権が始動」=2017年1月21日 

news-worker.hatenablog.com

 「米国第一」を掲げたトランプ前大統領の4年間の後、米国では社会の「結束」「団結」と「民主主義」の再建が課題として残されました。副大統領に女性、黒人、アジア系で初のカマラ・ハリス氏が就いたことは、多様性を重視しながら、課題の克服に向かう新政権の姿勢の象徴でしょう。対米関係を政府が「同盟」と位置付ける日本にとっても、この多様性の重視がいい影響をもたらすように期待したいのですが、果たしてどうでしょうか。
 中でも気になるのは、辺野古の新基地建設など、沖縄への米軍基地集中の問題です。沖縄の人々は新基地に反対する意思を繰り返し、明確に示しています。しかし、技術的にも軟弱な地盤の存在が明らかになっているのにもかかわらず、計画は強行されています。およそ、沖縄以外には日本のどこでも起こり得ないようなことが続いています。地域の自己決定権がどこであれ保障されること。それも多様性が担保されることの一つであるはずです。社会に分断を招くトランプ的なものを問うのであれば、日本社会ではこの沖縄への基地集中の問題も根っこでつながっている課題だと思います。バイデン政権の対日政策と日本政府の外交を報じる中で、課題が課題として社会で広く共有されるようになるために、日本のマスメディアの役割も問われると思います。

 昨年の大統領選で大規模な不正が行われたと考える人は、日本にも少なからずいます。SNSへの投稿などを見ると、多くの人は同時に「マスメディアは真実を伝えていない」とも感じているようです。「ネトウヨの陰謀論」と片付けるのではなく、マスメディアにはまだやれることがあるように思います。取材態勢や取材自体の公開です。
 日本の新聞社や通信社がどれだけの記者を米国に配置して、どんな取材をしているか。提携している米国の報道機関からどのような形で記事や情報を受け取り、それをどのように自社の報道に反映させているのか。そして米国の報道機関は、米国内でどのような取材を展開しているのか。取材した結果だけを報じるのではなく、そうしたことをも伝えることで、マスメディアが真偽不明の情報の確認に努め、何を報じるかを厳格に判断していることが理解されるようになるのではないかと思います。
 これまでは新聞なら紙面のスペース、放送なら時間という制約があり、伝える内容には限りがありました。しかしデジタル空間にはそうした制約はありません。マスメディアの報道をデジタルで展開するなら、取材の可視化は必須のことだと思います。

 意見の相違を認め合うことは民主主義の基本ですが、それぞれの意見が異なるにしても、前提になる「事実」は共有していなければなりません。事実ではないことを「事実である」と主張することは、意見の相違とは異なります。インターネットの普及とSNSの登場によって、社会の情報流通は爆発的に増えました。何が事実か、ファクトチェックの重要さが増していますが、ひとつの風説がデマと検証されても、その検証結果を知らないまま風説を信じ込む人がいれば、デマの拡散は止まりません。今日的な分断の根深さの一端がここにあるように思います。

 

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写真:東京発行各紙の21日夕刊

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写真:東京発行各紙の21日付朝刊

コロナ特措法「罰則、強制力」議論は菅政権の失政隠しではないのか

 新型コロナウイルス特別措置法に基づく2度目の緊急事態宣言が1月7日、東京、千葉、埼玉、神奈川の4都県を対象に発出されました。期間は1月8日から2月7日まで。感染拡大防止の急所である飲食に対策の重点を置くとのことで、飲食店の営業を午後8時までとすることを要請し、応じない飲食店は業者名を公表できるとしています。菅義偉首相は7日の記者会見で「1カ月後には必ず事態を改善させる」として、国民への協力を要請しました。
 緊急事態宣言を発出することの当否はともかく置くとして、年末年始に東京の感染者が爆発的と言ってもいいほどに急増するまで、菅政権に宣言に備えた準備が何もなかったことについては、このブログの一つ前の記事で触れました。加えて、年末以降の感染者の急増がどうして起きているのか、その要因を菅政権はどうとらえているのかもよく分かりません。急ごしらえの対策で感染拡大を抑え込めるのか、疑問です。
 菅首相は会見で、特措法を改正し罰則などによって強制力を付与する方向性も明言しましたが、これもこのタイミングには違和感があります。現在の爆発的な感染拡大の要因ははっきり示されておらず、強制力によって収束に持ち込めるかどうかは分かりません。
 ここ1カ月ほどを振り返ると、感染症の専門家や医師会が警告していたにもかかわらず、菅政権はGoToキャンペーンを強行し、ようやく年末年始に限って停止しました。飲食店を対象にした「GoToイート」もありました。首相自身はと言えば連夜の会合出席。自民党の二階俊博幹事長もステーキ店で会合を主催していました。党内の各派閥も忘年会を予定していたものの、さすがに相次いで中止。これも立ち消えになったようですが、つい先日は国会議員の会食のルールを与野党で取り決める、という動きもありました。
 感染が収束せず、行動変容が必要と指摘されているさなかのGoToキャンペーンと、政治の側の緊張感を欠いた振る舞いとが相まって、社会に「実は今まで通りでも大丈夫」との誤ったメッセージが拡散されたのではないでしょうか。それが最近の爆発的な感染者の増加につながっていると考えるのは、さほど不合理ではないように思います。
 それなのにここで罰則、強制力の議論が持ち出されると、現在の感染拡大の原因が、あたかも要請に従わずに深夜営業を続ける飲食店にあるかのような雰囲気が醸成されることを危惧します。飲食店の側に立って考えてみれば、GoToイートで政府が需要をあおっていたのに、わずか1カ月足らずの間に、午後8時閉店の要請に従わなければ店名をさらす、となったのです。あまりの急激な、しかも一方的な変化に困惑するばかりでしょう。
 感染者が入院を拒否したりした場合にも刑事罰を科すことも政府内で検討されているとも伝えられています。菅政権が自らの失政を目立たなくするために、意図的にこのタイミングで罰則や強制力の必要性を強調し始めた、と考えるのはうがち過ぎでしょうか。
 どうしても罰則、強制力の議論が必要だとしても、それは現在の状況が収束した後のことでしょう。そもそも、特措法改正を国会で審議する機会は昨年秋にありました。今、このタイミングで性急に立法化を進めようとする動きには警戒が必要です。マスメディアにとっても大きな課題です。

 宣言発出翌日の1月8日付の東京発行新聞各紙の朝刊は、そろって1面トップの扱いでした。7日の東京都の感染者は2447人でした。

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緊急事態宣言になぜこんなに時間がかかる

 新型コロナウイルスの感染拡大に対応するため、東京都と千葉、埼玉、神奈川3県を対象に、特措法に基づく緊急事態宣言が発出される見通しとなりました。昨年4月7日以来、2度目になります。菅義偉首相が1月4日、年頭の記者会見で、発出の検討に入ることを表明しました。報道によると、7日にも発出とのことです。菅首相はかねて緊急事態宣言には消極的でした。経済活動を継続させることを重視しているようです。しかし年末年始の期間中にも感染者数は拡大傾向で、昨年12月31日には東京都でこれまで最多の1337人に上りました。1月2日には小池百合子・東京都知事と千葉、埼玉、神奈川3県の知事が政府に緊急事態宣言発出の検討を要請していました。
 政府の方針転換の内幕を、5日付の東京発行新聞各紙はそれぞれ、総合面の大型のサイド記事で伝えています。大筋で共通している経緯は、菅政権としては緊急事態宣言を出さずとも感染拡大の“急所”である飲食の場に一層の対応を取れば効果が見込めると考えていた→しかし東京都の小池知事は、飲食店の協力を得られる見通しがないとして、これを受け入れなかった→政府も東京都も手をこまねている中で年末年始に感染がさらに拡大→内閣支持率の低下もあって首相は4知事の要請を受け入れざるを得なくなった―との流れです。
 興味深いのは、与党や政府の中に、感染拡大が止まらない主な要因は小池知事が強い飲食店対策を取らなかったことなのに、小池知事が宣言発出を政府に迫ったことで、政府が後手に回ったとの印象が強まってしまった、との見方があることです。読売新聞は「政府高官は『国が泥をかぶり、都は責任を回避する流れをうまく作られてしまった』と唇をかんだ」と描写しています。朝日新聞も「政権内では、4知事の要請を主導した東京都の小池百合子知事への『うらみ節』も噴き出す」として、「自民党幹部」の「小池さんはさらなる時短に応じなかった。だから東京都で感染者が増えた」との「不快感」を紹介しています。
 新型コロナウイルスは感染が拡大しているばかりでなく、昨年12月以降は死者も急増していました。いわば、人命を間に置いて菅首相と小池都知事が互いに相手への責任転嫁に腐心しているような構図が見て取れます。しかし、それ以上にわたしが危ういと感じるのは、菅政権の危機管理態勢です。知事4人が政府に緊急事態宣言の検討を要請したのは1月2日でした。7日の発出までに5日もかかるとは、どうしたことでしょうか。何も準備をしていなかったと疑わざるを得ません。
 昨年4月の前回は、安倍晋三首相(当時)が発出を決めたと一斉に報じられたのが4月6日。翌7日に宣言は出ました。その直前の数日間、じりじりした状態が続いていたので、準備に要した時間が数日程度はあったのだろうと思います。今回も即日の発出は無理かもしれませんが、前回から得た教訓を生かすなりして、もう少し早くすることはできないのでしょうか。出す、出さないは最後の判断だとして、仮に今、出すならどんな内容にするのか、それを日々検討して、情勢の変化に応じてその都度、上書きして備えておくのが危機管理の常道のはずです。危機は突然再来したわけではなく、継続中なのです。仮に首相が緊急事態宣言は出したくないと考えていたとしても、出さざるを得ない場合に備えて準備をしておくかどうかは別の問題です。あらゆる手立てを尽くすということには、そうしたことも含まれるはずです。特措法の改正にしても、昨年の秋に国会で審議する時間は十分にあったはずです。
 人の命を守る、ということへの政権の姿勢、本気さに根本的な疑問を感じます。菅首相の言葉が心に響かないのは、原稿を棒読みするからだけではないように感じます。

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 以下に、東京発行各紙の5日付朝刊のうち、総合面の大型サイド記事の見出しと、社説の見出しを書きとめておきます。

▼朝日新聞
2面・時時刻刻「緊急事態 後手の末」「首相一転 都知事らに押し切られ」「宣言の効果 疑問視も」
社説「宣言再発出へ 対策の全体像速やかに」

▼毎日新聞
2面・焦点「政権 窮余の一手」「支持率減『外圧』屈し」「4都県 支援取り付け」「医療逼迫 専門家『後手』」
社説「首相が緊急額宣言へ もっと明確なメッセージを」/目立つ責任転嫁の姿勢/国会は直ちに召集を

▼読売新聞
3面・スキャナー「熟慮ギリギリまで/首相、知事要請受け『切り札』」「特措法改正 改めて意欲/罰則 根強い慎重論」
社説「緊急事態宣言へ 危機感の共有で感染症抑えよ/雇用や生活を守る施策が必要だ」/医療提供体制の充実を/事業者支援を手厚く/国のメッセージが大切

▼産経新聞
3面「首相一転 発令やむなし/回避腐心 都の協力得られず」「厳しい規制の大阪 減少傾向」
社説(「主張」)「緊急宣言発令へ 『一点突破』では不十分だ」

▼東京新聞
2面・核心「首相 後追いの再宣言」「知事や視界に押され転換 発令へ」「特措法改正は来月か 対応迷走」
社説「緊急事態再宣言へ 心に響く誠実な言葉で」/政府の判断に後手の印象/強いメッセージでなく/民主主義再生のために

「弱い立場の人が取り残される脆弱性を放置しない政治を」(沖縄タイムス)「民主政治に命を吹き込めるのは主権者」(中国新聞)~コロナ禍の新年、新聞各紙の社説、論説の記録

 元日付の新聞各紙の社説、論説を、それぞれのネット上のサイトで見てみました。新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない中で、コロナ禍によってあぶり出された課題をどう克服し、どのような社会を目指すのかを探る内容のものが目立ちます。
 中でも目を引いたのは、次代を担う世代の困難な状況に焦点を当てたいくつかの社説(信濃毎日新聞「コロナ禍の若者たち 新たな進路へかじを共に」、沖縄タイムス「『コロナ後』見据え つながり 支え合う年に」など)です。親の失業やアルバイト先の休業で学費が払えない高校生や大学生らはその典型です。
 コロナによるわたしたちの社会の変化は一過性のものではないでしょう。対応も5年、10年、さらにその先をも見据えることが必要です。特に家庭環境の違いなど、本人の努力ではどうしようもない要因で若者の間の格差が広っていくような事態は放置できません。「弱い立場にある人が最も大きな影響を受け、取り残されるという、脆弱性を放置しない政治を今こそ実現したい」(沖縄タイムス)との指摘は同感です。
 多くの社説、論説が菅義偉首相の「まず自助」との政治姿勢に疑問を投げかけています。コロナ下で窮状に置かれた人を誰一人として取り残さないためには、やはり今は「まず公助」が必要ではないかと思います。
 折しもことしは衆院選が予定されています。中国新聞の社説(「コロナ禍の年初に 足元から政治変えよう」)は「衆愚や専制に陥りやすい民主主義に、命を吹き込めるのは、主権者である私たちだけである」と、毎日新聞の社説(「コロナ下の民主政治 再生の可能性にかける時」)は「民主政治は間違える。けれども、自分たちで修正できるのも民主政治のメリットだ。手間はかかっても、その難しさを乗り越えていく1年にしたい」と説いています。その通りだと感じます。為政者が事態に対応できない時には、批判して終わりなのではなく、取って代わることができる政治勢力を育てるのも、有権者、主権者の責任であるように思います。
 このほか地方紙の社説、論説では、コロナ禍で東京一極集中の脆弱さが露呈したことを指摘し、その是正と地方創生への取り組みを求める内容のものも目に付きました。
 単一の個別テーマに絞ったものの中では、産経新聞の論説委員長の署名評論「中国共産党をもう助けるな」や、東京五輪を開催すべきだと強調する北國新聞の「コロナ乗り越え五輪に夢を」を興味深く読みました。

 以下に各紙の社説、論説の見出しを書きとめておきます。サイト上で全文が読めるものはリンクも張りました。

【全国紙5紙】
▼朝日新聞「核・気候・コロナ 文明への問いの波頭に立つ」/牙をむく巨大リスク/世界は覚醒できるか/未来の当事者が動く
 https://www.asahi.com/articles/DA3S14750259.html

▼毎日新聞「臨む’21 コロナ下の民主政治 再生の可能性にかける時」/危機強める「再封建化」/気づきを変革に生かす
 https://mainichi.jp/articles/20210101/ddm/002/070/041000c

▼読売新聞「平和で活力ある社会築きたい 英知と勇気で苦難乗り越える」/感染抑止が最優先課題/世界は変動期に入った/国力の充実を目指せ/人材の流出を防ごう/政治の信頼は国の礎だ
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210101-OYT1T50040/

▼日経新聞「2021年を再起動の年にしよう」 ※会員限定
▼産経新聞「【年のはじめに】中国共産党をもう助けるな 論説委員長・乾正人」/私は「親中派」だった/歴史は繰り返すのか
 https://www.sankei.com/column/news/210101/clm2101010001-n1.html

【地方紙・ブロック紙】
▼北海道新聞「コロナの先へ1 人と人の連帯を強めたい」/文明脅かすウイルス/民主主義見つめ直す/無関係ではいられぬ
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/497315?rct=c_editorial

▼河北新報「コロナ禍の新年/共助広げ、苦難克服しよう」
 https://kahoku.news/articles/20201231khn000015.html

▼東奥日報「前向きに活路見いだそう/コロナ禍の新年」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/457914

▼秋田魁新報「新年を迎えて コロナ乗り越える年に」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20210101AK0011/

▼山形新聞「コロナ下で迎えた『選択の年』 暮らし再構築の契機に」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/?par1=20210101.inc

▼福島民報「【2021年を迎えて】新しい社会の構築を」
 https://www.minpo.jp/news/moredetail/2021010182318

▼福島民友新聞「新年を迎えて/難局克服し次代につなごう」
 https://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20210101-572704.php

▼茨城新聞「新年を迎えて 『コロナ後』を見据えて」 ※公開は当日のみ
▼神奈川新聞「新年に寄せて 『ウィズ』の先を描こう」 ※会員限定
▼信濃毎日新聞「コロナ禍の若者たち 新たな針路へかじを共に」/次の世代にツケが/10年後を仮想する/きっかけは足元で
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2021010100089

▼新潟日報「2021年を迎えて 新しい日常 支え合い力に」/スペイン風邪の教訓/上から目線ではなく/弱さでつながる社会
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20210101590700.html

▼中日新聞・東京新聞「コロナ港から船が出る 年のはじめに考える」/分断、対立の時を超え/人間性を心にとどめよ/流れに取り残されるな
 https://www.chunichi.co.jp/article/179205?rct=editorial

▼北日本新聞「新たな年に/災い絶つ社会の実現を」 ※会員限定
▼北國新聞「新たな年に コロナ乗り越え五輪に夢を」 ※公開は当日のみ

https://www.hokkoku.co.jp/_syasetu/syasetu.htm

▼福井新聞「2021年展望 協調、共助で乗り越えねば」/「重要性増す」提言/ワクチン接種本格化/一義的「公助」急務
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1235149

▼京都新聞「新しい年に 分断と憎悪を乗り越えねば<展望2021>」/恐怖をあおる手法も/批判だけでは済まぬ/権力の監視が切実に
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/460004

▼神戸新聞「明日への道しるべ/持続可能な未来への分かれ道」/AIが予測する未来/兵庫に適した分散型
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202101/0013977772.shtml

▼山陽新聞「一極集中解消へ 地方創生に魂を吹き込め」/田中角栄氏の時代/流れ変えたコロナ/国、地方がともに
 https://www.sanyonews.jp/article/1086688?rct=shasetsu

▼中国新聞「コロナ禍の年初に 足元から政治変えよう」/揺らぐ民主主義/けじめないまま/ツケが私たちに
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=714289&comment_sub_id=0&category_id=142

▼愛媛新聞「コロナに向き合う 多様性を尊重し他者への寛容を」 ※公開は当日のみ
▼徳島新聞「新年を迎えて わが事主義で課題解決を 地域再生の主体となろう」 ※会員限定
▼高知新聞「【年初に 展望】不確実性に立ち向かおう」
 https://www.kochinews.co.jp/article/425537/

▼西日本新聞「コロナ禍を越えて 一隅にも光が届く社会に」/不公平をあぶり出す/守り伝えるべきもの/ゆがみを正す機会に
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/678371/

▼大分合同新聞「2021年の始めに 逆境を変化への足がかりに」
 https://www.oita-press.co.jp/1042000000/2042002000/2021/01/JD0059879172

▼宮崎日日新聞「コロナ禍の新年 心と社会に幸せの種まこう」/大きな「天秤」/本県の追い風にも
 https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_50135.html

▼佐賀新聞「コロナ禍の新年 解なき事態に耐える力を」
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/617907

▼熊本日日新聞「新しい年を迎えて 市民感覚を研ぎ澄まそう」/分断された超大国/かすむ一国二制度/継承された危うさ
 https://kumanichi.com/opinion/syasetsu/id48079

▼南日本新聞「[新年を迎えて] 多様性受容する社会に」/停滞する女性登用/コロナと腸内環境
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=130751

▼沖縄タイムス「[「コロナ後」見据え] つながり 支え合う年に」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/686784

▼琉球新報「新年を迎えて 自立へ共に踏み出そう」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1250111.html

凡庸な人間と「一粒の麦」の生き方~新たなスタートの年に

 新しい年、2021年を迎えました。本年もよろしくお願いいたします。

 昨年10月に還暦を迎え、勤務先の通信社を定年退職しました。もうしばらくは雇用延長で同じ会社で働くとは言え、組織ジャーナリズムの一端に身を置いて過ごした現役の時間は終わりました。
 大学を卒業して通信社に入社し、記者として働き始めたのは1983年のことでした。この37年余を振り返って思うのは、凡庸としか言いようのない記者人生だったな、ということです。特ダネを取るわけでもなく、鋭い視点で社会に問題提起するような記事を書けるわけでもない。多少は要領がいいところはあったかもしれません。ちょっとしたまとめ仕事(例えば、他の記者が手分けして取材した結果を手元に集めて、1本の記事にまとめる作業)などは、デスクの指示通りにそつなくこなしていました。しかし、ただそれだけのことです。それなのに、自分では仕事ができるつもりでいました。今だから分かることですが、何より不幸だったのは、自分の生き方が会社と一体化していたこと、いわば人生を所属組織の中に埋め込んでいるかのような働き方をし、そのことに対して何ら疑問を感じていなかったことです。

 転機は30代の終わりでした。初めてデスクになり、仕切りを任されていた持ち場で、競合他社にその部署ではこれ以上の特ダネはない、というほどの大きな特ダネを連続して抜かれました。気が重い後追い取材ばかりの日々の中で、所属組織の中枢部からは当然のごとく、叱咤が飛んできます。自信を失って、果ては精神状態の危機を自覚するまでになりました。そうなって初めて、自分の凡庸さと弱さに気付きました。そのままでは、人としての存在自体すら危うくなっていたかもしれません。しかし同時に、それまでは考えたこともなかった想念のようなものが、ふっと頭に浮かびました。「ダメなら会社を辞めればいい」「自分には会社を辞める自由がある」。そのことを自覚できた時に、精神の安定を取り戻せたように思います。
 その後、社内の労働組合の役選(役員選考)で委員長職への打診を受けました。迷わず引き受けることにしました。あの時の苦しさ、つらさを思い出しながら、組織の中で働くことの意味、組織と個人の関係を自分なりにとらえ直すことができるかもしれないと思いました。「組織と個人」の問題意識はその後、新聞産業の産別労組である新聞労連(日本新聞労働組合連合)の委員長を務める中で、いよいよ強まりました。労組専従の任期を終えて復職し、やがて管理職となって労組を離脱した後も、この「組織と個人」は変わらぬ問題意識として、わたしの中にありました。

 新聞労連の委員長当時、海外の労働組合と交流する機会が何度かありました。日本のように、企業ごとに労働組合が組織されているのは珍しく、多くは業種ごと、職種ごとに、所属企業の枠を超えて労組が結成されています。日本の企業内労組のメンバーシップは同じ企業の従業員であることですが、海外では同じ仕事をしている労働者であることです。基本は個人です。一人ひとりはとても弱い存在ですが、だからこそ団結することが重要で、その権利も手厚く保護されているのだということを、海外の労組との交流の中で学びました。
 ジャーナリズムにしても、記者一人ひとりの力には限りがあるとしても、組織で動くことで強さが生まれるのだと、今は考えています。では仮に、その組織ジャーナリズムないしはジャーナリズム組織がうまく機能しなくなったときには、どうすればいいのか。その中で働く個々人の頑張りが問われるにしても、一人ひとりは弱い存在です。その一人ひとりが強くあるためには何が必要か―。引き続き、そのことをわたし自身の考察テーマとして、具体的なことを考えていきたいと思っています。

 あらためて思うのは「一粒の麦」の生き方、元警察官僚の故松橋忠光さんのことです。11年前、わたしが50歳になる年の初めに、このブログで紹介しました。
※「『わが罪はつねにわが前にあり』故松橋忠光さんのこと~『一粒の麦』の生き方」=2010年1月4日 

news-worker.hatenablog.com

 20代の駆け出し記者の当時に、様々な教えをいただきました。凡庸な上に自分自身を勘違いしていたこともあって、当時は理解できていなかったことも少なくありません。今は松橋さんの言葉の一つ一つがよく分かります。
 松橋さんの著書「わが罪はつねにわが前にあり」の最初のページに引用されている聖書の二つの言葉を再録しておきます。 

 われはわが愆(とが)を知る、わが罪はつねにわが前にあり
 なんじの救のよろこびを我にかへし自由の霊をあたへて我をたもちたまへ
 詩篇 第五一篇第三節・第一二節

 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、いつまでも一粒のままである。しかし、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者はそれを失うが、この世で自分の命を顧みない人は、それを保って永遠の生命に至る。
 共同訳ヨハンネスによる福音第一二章第二四節・第二五節

  凡庸な人間なりに「一粒の麦」の生き方にならってみたい。ことしをその改めてのスタートとしたいと思います。

「桜」疑惑の本質は安倍前首相による公権力の私物化~検察の捜査への根本的な疑問とマスメディアの課題

 安倍晋三首相当時の「桜を見る会」前夜祭(夕食会)の経費補填問題で、東京地検特捜部は12月24日午前、安倍前首相を嫌疑不十分で不起訴とし、公設第1秘書を政治資金規正法の不記載罪で略式起訴としました。東京簡裁は秘書に罰金100万円の略式命令を出し、秘書はただちに納付。これで検察の捜査と刑事処分は終結しました。安倍前首相は24日夕、自民党担当記者に限定して記者会見し、翌25日には衆参両院の議院運営委員会に出席しましたが、既に報じられている通り、議員辞職は否定。夕食会の経費補填についても詳細は明かされないままです。首相在任時から、「責任はわたしにある」と言いながら、一度として責任を取らなかった言葉の軽さ、無責任ぶりをまたも目にしている思いがしています。
 しかし、こうなることは十分に予想できたことでした。だからこそ、検察の捜査が安倍前首相本人に切り込むことが何よりも重要でした。それが言い逃れを許さない、もっとも現実的で有効な方策であり、だからこそ世論にも検察への期待があったはずです。結果的に、安倍前首相は自身が不起訴になったこと(「嫌疑なし」ではないにもかかわらず)を最大限に使って、国会議員の地位にとどまろうとしています。検察は世論の期待を裏切ったばかりでなく、前首相の“居直り”に手を貸したのも同然の状態になってしまっています。

 ▽「権力犯罪」に金額の多寡は問題ではない
 わたしは、安倍前首相を不起訴とした検察の対応の焦点は二つあるととらえています。一つは捜査と不起訴の結論そのものへの疑問、もう一つはその判断の説明のありようです。
 最初の捜査と不起訴の結論についてです。この点については法曹の専門家からも様々に批判が出ていますので、わたしが多くを書くまでもありません。一つだけ書きとめておくとすれば、この「桜を見る会」を巡っては様々な疑惑が指摘されており、夕食会の経費補填はその一部に過ぎない、ということです。疑惑の本質は、「内閣総理大臣が各界において功績、功労のあった方々を招き、日頃の御苦労を慰労するとともに、親しく懇談する内閣の公的行事」(安倍内閣の答弁書)である「桜を見る会」に、恣意的、組織的に首相の後援会会員を招いていたこと、つまりは自らの選挙区の有権者を、自分を選挙で支持しているというだけの理由で、内閣の公的行事に大量に招待していたということであり、首相の職務と権限の私物化に等しい、という点にあります。いわば現職の首相による「権力犯罪」の性格を帯びています。
 夕食会の経費補填の捜査も、そういう事情を重視するなら、おのずと前首相の関与が最大の焦点になるはずです。仮に前首相の関与があったとすれば、政治家と秘書の関係に鑑みれば、処罰されるべきは前首相本人であって、秘書の立件はその立場に照らして酷に過ぎるとさえ感じます。そのような大きな意味を持つ事件を、形式的な単純ミスを含めたほかの規正法違反の事例と同列に置く必要はないはずですし、同列に論じるべきではないと思います。
 不記載の額の多寡にかかわらず、家宅捜索などの強制捜査を含めて捜査を尽くし、社会一般の常識にかなった結論を得ることを、わたしは検察に期待していました。検察部内の議論として、不記載の額が少ないので本来は立件に値しないとの意見があったことが報じられていますが、それは意図的に問題を小さく収めようとする、ためにする議論であるようにしか思えません。報道によれば、検察内には、国民目線に立ってあえて秘書を略式起訴し、必ずしも必要がない前首相本人の事情聴取にも踏み切った、との自画自賛があるようですが、世論とは大きな乖離、落差があります。
 同じ24日、新聞記者との賭けマージャンで辞職した黒川弘務・元東京高検検事長を「起訴相当」とする検察審査会の議決が報じられました。元検事長を起訴しなかった検察の判断と社会一般の常識との乖離がこういう形で表れたと言うべきでしょう。
 付言すると、あっさりと罰金刑を言い渡した東京簡裁の判断にも疑問を感じます。罰則に罰金しかなく、刑罰の選択ができないのならともかく、不記載罪には禁固刑の規定もあります。正式裁判を開いて違法行為の全容や情状のすべてを審理し、刑罰を決めるべきではなかったか。その過程で、前首相と安倍事務所スタッフとのやり取りも明らかになったかもしれません。
 罰金刑を受けた第1秘書のことなのかどうか、判然としませんが、前首相から補填の有無を尋ねられた秘書は、確信的に虚偽を伝えた上、果ては「国会でも虚偽の答弁を貫いてもらうしかないと思った」との趣旨のことを周辺に話していると報じられていました。第1秘書もその意思を共有していたとすれば、犯情は極めて悪質であり、略式起訴で済ませていい事例ではないように思います。

 ▽不誠実な検察の説明
 もう一つの、検察による説明の問題です。
 安倍前首相を不起訴とし、第1秘書だけを略式起訴した検察の判断には疑問と批判があります。検察はそれらの批判に応え、疑問を解消するように努めることが必要です。私人同士の間の、例えば痴情のもつれのような事件ならいざ知らず、この事件の本質は「公権力の私物化」「権力犯罪」です。社会の信頼を得られる検察であるには、社会の人々の目に見える、耳に届く形で、検察自らが説明を尽くすことが必要です。
 そのような考えとともに、東京地検が前首相の不起訴を報道陣に対してどのように説明したのか、東京発行の新聞各紙の報道を見てみましたが、意味のある説明は見当たりません。わたし自身の多少の取材経験も加味すると、公式にはろくな説明がなかったと考えざるを得ません。
 報道によると、処分の発表は24日午後2時から東京地検の山元裕史・次席検事が行いました。安倍前首相を不起訴としたことの説明を、読売新聞は社会面の記事の中で以下のように伝えています。

 また、山元次席検事は、「嫌疑不十分」で不起訴とした安倍氏についても「容疑者」として扱い、黙秘権を告知して事情聴取を行ったと説明。その上で「(不記載の)共謀を認めるに足りる証拠がなかった」と述べた。

 「捜査したが証拠がないので不起訴にした」ということのようですが、前述のとおり、「権力犯罪」の性格を帯びている事例なのに、その重大さ、深刻さに見合うだけの捜査を尽くしたのか、はなはだ疑問です。そもそも「証拠がない」との説明は不誠実です。例えて言うなら、医師が患者の死因を聞かれて「呼吸が止まったこと」と答えるようなものです。
 夕食会の費用について、ホテルが出した明細書にはどんな記載があったのか、補填の原資はだれがどうやって用意したのか、といった事実関係を検察は押さえているはずです。それらの事実関係を踏まえて、安倍前首相の関与をどう判断したのか。捜査を尽くしたというのなら、説明して然るべきです。繰り返しになりますが、「公権力の私物化」の性格を帯びた事件です。
 一般的に検察は、容疑者を訴追した段階では「公判に差し支える」ことを理由に、捜査結果の詳しい説明は避けようとしますが、それも今回は当てはまりません。検察自身が、公判は不要と判断しているからこその略式起訴だからです。仮に、次席検事の発表の時点では、簡裁の略式命令が出ておらず、正式裁判の可能性もあったというのなら、第1秘書の罰金納付が終わった今からでも、説明をやり直してもいいと思います。

 ▽説明責任を問うのはマスメディアの役割
 この検察による説明の問題は、マスメディアの検察取材と表裏一体です。公権力のありようを巡る事件で、それ自体が公権力である検察に、自身の権限行使である捜査をきちんと説明させることも、今やマスメディアの役割、課題であるように思います。
 かつてのわたし自身の記者経験を振り返ってみると、検察幹部の発言を直接引用できるオンレコの記者会見は機会自体が少なく、しかも何を聞いても検察幹部からは「捜査に支障がある」「公判で明らかにしていく(この場では答えない)」との答えしか返ってこないのが常でした。しかしわたし自身は、そのことを本気で「おかしい」と思うでもなく、検察幹部の間を個別に、記者会見だけでは分からない背景事情などを取材して回っていました。
 検察内部への食い込み取材に意味がないわけではありません。むしろ「権力の監視」のためには今もなお必要なことだろうと思います。しかし、オンレコで検察が発信する情報が絞られている状況では、オフレコ取材や匿名でしか書けない取材ばかりになると、検察にとって都合のいい情報しか社会に流れないことになりかねません。これまでの流儀を改めて、検察幹部にカメラの前で話させることは容易ではありませんが、マスメディアの今日的な課題だと考えています。検察も公権力である以上、説明責任があります。
 元検事長のマージャン問題では、同席していた新聞記者らは「不起訴不当」でした。記者たちの行為も、社会一般の常識からは理解を得られなかったとわたしは受け止めています。密室での違法行為は、元検事長と記者らの「秘密の共有」です。どんな人間関係でも、そうした秘密を共有する関係になってしまえば最強ですが、そこに緊張関係はなくなります。こうした「すり寄り型」の取材は、記者に対するハラスメントの土壌にもなっています。記者の働き方の観点からも見直しが必要です。記者の一人ひとりが心身ともに健康で働き続けることができなければ、組織ジャーナリズムは成り立ち得ません。

「桜を見る会」検察捜査への疑問とマスメディアの報道に思うこと ※追記 あれよという間に略式命令、罰金100万円

※12月23日までの動きを踏まえて書きました

 安倍晋三首相当時の「桜を見る会」前夜祭(夕食会)の経費補填問題で、東京地検特捜部が12月21日に安倍前首相を事情聴取したと報じられました。新聞、テレビの各メディアは一斉に「第一秘書を略式起訴」「前首相は不起訴」と報じており、検察の捜査の着地点が明確になっています。検察の捜査に対して、あるいはマスメディアの検察取材に対して、個人的に思うところをいくつか、書きとめておきます。

 ▽「秘書にだまされた」で捜査は終わるのか
 安倍前首相の聴取は、捜査の実務上は必ずしも必要なかったが、国民の視線を意識してあえて行った、との解説が報道では目に付きます。このブログの以前の記事でも触れましたが、かつて佐川急便事件では、5億円のヤミ献金を受け取っていた金丸信・元自民党副総裁を聴取なしの略式起訴とし、罰金20万円で終結したことが世論の批判を招き、東京・霞が関にある検察合同庁舎の「検察庁」の石碑にペンキがかけられました。安倍前首相の聴取は、検察にしてみれば「国民の皆さん、ここまでやりましたからね、分かってくださいね(ペンキ投げないでくださいね)」ということなのでしょう。安倍前首相を不起訴とした場合、告発人が検察審査会に審査を申し立てる可能性もあります。その際、捜査は尽くしたと主張する材料にもなります。

 しかし「国民の視線」を意識するというなら、安倍前首相が国会で繰り返し、何度も虚偽の事実を答弁しておきながら、今になって「秘書にだまされました」では通らないのではないか、との疑問に答える結果を出すことが必要ではないでしょうか。前首相には、途中で再度、秘書に事実関係をただすなりして、答弁を訂正する機会はいくらでもあったのです。最後まで秘書にだまされ通した、という主張は、ごく一般的な社会通念に照らしても信じがたいことです。
 捜査を尽くして秘書の供述を突き崩し、真相に迫ってこそ、検察への信頼は維持されるはずです。秘書は前首相に虚偽の内容を報告したと供述しているとされています。その供述自体が虚偽ではないと判断する理由が分かりません。前首相をだましたとの秘書の供述そのままに、前首相にも「秘書にだまされた」と、その確認を求めたのに過ぎないのであれば子どもの使い同然です。見せかけの形だけの聴取、もっと言えば、前首相側と検察の手打ちの儀式だったことになります。前首相は「わたしの関与がなかったことは検察当局に証明していただいた」と開き直ることができます。
 前首相が秘書にだまされていたと判断する理由を「当事者たちがそう供述しているから」という以上に、明瞭に社会に提示しない限り、「検察は捜査を尽くしたのか」との批判は免れ得ません。

 ただし、供述を突き崩すとなると、密室での強迫的で強引な取り調べを容認することになりかねない、との危惧もあるでしょう。ならばどうすればいいのか。政治資金規正法の改正が一つの方向だと思います。なぜ秘書の立件にとどまり、前首相の罪を問えないのかは、法律の仕組みで言えば、規正法に収支報告書への不記載罪の処罰対象として明記されているのが会計責任者らであって、政治家本人が含まれていないからです。政治家本人は、会計責任者と共謀が認められた場合にしか立件できないということになっています。ならば、会計責任者とともに政治家本人も処罰の対象になるように法改正をするのが、一つの方法だろうと思います。自民党がそんな法改正を容認しないだろうと思いますが、世論次第ではないでしょうか。それこそ「身を切る覚悟の改革」のはずです。

 ▽「周辺関係者」を実名で報じる
 これまでの経緯を振り返ると、読売新聞が「安倍前首相秘書ら聴取」と報じたのが11月23日でした。翌24日夜に「安倍前首相の周辺関係者」が、「経費の補填と収支報告書への不記載は秘書が独断で行った」「前首相には虚偽の報告をしていた」「前首相は経費の補填を知らなかった」との趣旨のことをメディアの取材に対して話しました。この情報の出方を振り返ると、最も速くネット上のサイトに記事をアップしたのはNHKと毎日新聞で、NHK19時24分、毎日新聞19時26分でほぼ同時でした。その後、同じ人物かどうかは分かりませんが、安倍前首相サイドの関係者の話として、他社も次々に報じ、このストーリーは一夜のうちに流布しました。
 「安倍前首相の周辺関係者」が意図していなければ(意図的に複数のマスメディアに同時に情報を流していなければ)、同時に同内容の詳細な記事が流れる、というようなことは起こり得ません。その意図とは「全部秘書がやったこと」「安倍本人は何も知らなかった」との印象を広めることでしょう。マスメディアはまんまとその印象操作に使われてしまった観があります。
 しかし、だからと言って、この情報をまったく報じないわけにもいかなかったことも確かです。ではどうするべきだったのか。わたしは「安倍前首相周辺関係者」を実名にする報じ方があったのではないかと考えています。本当にこの通りなら、本来は安倍前首相自身が記者会見を開くなりして、自身が公の場で説明しなければならない内容です。前首相サイドの「関係者」を匿名で保護しなければならない公益性はありません。仮にあったとしても、相当に低いはずです。犯罪被害者を実名で報じることへの批判がある「実名報道原則」ともかかわってくる論点です。

 ▽捜査の着地点
 この「安倍前首相周辺関係者」による情報操作は、実は検察にとっても渡りに船だったのではないかと、わたしは疑いを持って見ています。黒川・高検検事長の定年延長問題があった当時、検察は広島の河井元法相夫妻の選挙違反事件の捜査を精力的に進めていました。しかし、黒川氏が記者との賭けマージャンで辞職し、検事総長人事が法務検察内の既定方針に復したとたんに、捜査は元法相夫妻の立件のみに収れんしていきました。巨額資金を提供していた自民党本部に対しても、元法相夫妻から現金を受け取った広島の地元政界に対しても、捜査は中途半端なままだったとの印象があります。仮に、検事総長人事を政治から法務検察の手に取り戻したことで、以後は政治との間になるべく摩擦を生みたくないと考えているのだとしたら、「桜」の経費補填も秘書の立件で止めておきたい、と考えたとしても不思議はありません。立件しない理由はいくらでも並べることができます。
 それがあまりにうがった見方だとしても、元法相夫妻への捜査の過程で、大手鶏卵業者から政界への資金提供が判明し、現在は吉川貴盛・元農相への捜査が進んでいます。検察にとっては、前首相の関与の立証は極めて困難である上に、不記載の金額からみても略式起訴しか望めない「桜」前夜祭の経費補填はさっさと手じまいして、独自捜査が大きく“育った”元農相の事件を優先して進めたい、との意向なのかもしれません。
 検察は、捜査中の事件について当事者がマスメディアの取材に応じることを極端に嫌います。しかし、この「安倍前首相周辺関係者」の動きについて、検察が激怒した、という形跡は見当たりません。検察が捜査の着地点を探っていたのだとすれば、このストーリーはうってつけのものだったのではないかと思います。

 ▽「なぜ」の姿勢
 わたし自身、30代の前半の時期に、検察事件の取材を担当していました。30年近くも前のことです。そのときの反省も込めて言えば、マスメディアは検察の代弁者で終わってはいけません。なぜ検察は安倍前首相本人を起訴しないのか、マスメディアは様々に解説していますが、その大方は検察の立場を説明して終わっているように感じます。確かに社会面には、関係地の反応や街の声も取材して紹介しているかもしれませんが、それは本質ではないと思います。
 ジャーナリズムとは、まず問いを立てること、とは、わたしが故原寿雄さんから受けた教えの一つですが、それに習うなら、検察取材も検察の説明のひとつひとつに対して「なぜ」「なぜ」「なぜ」と疑いを持つ、その姿勢が問われるのだと思います。30年近く前のわたし自身はと言えば、検察の見解をしたり顔で解説して仕事をしたつもりになっていました。周囲に「お前の仕事はその程度のことなのか」と問うてくる人もいませんでした。知らずのうちに、発想が検察と同化してしまっていたのだと思います。恥ずべきことだと考えています。
 23日付の東京発行新聞各紙の中で、東京新聞が1面に「秘書の『独断』でいいのか」との見出しの解説記事を掲載しているのを目にして、検察の代弁ばかりではないことに少し希望を感じました。筆者は池田悌一記者。結びの段落は以下の通りです。
 「不記載は秘書の独断だったという趣旨の安倍氏らの説明こそ、真に受けていいのか。真相解明に向けた安倍氏の消極姿勢への疑問も残る。特捜部は最後まで捜査を尽くし、何が真実なのか見極めなければいけない」
 検察の最終的な刑事処分がどうなるか、検察がどんな説明をするのか、マスメディアはどう伝えるのか、注視しようと思います。

 ▽人間の煩悩より多い虚偽答弁
 さて、安倍前首相が不起訴になっても、政治上の責任は別です。前首相が行った虚偽の可能性がある国会答弁は118回に上ることが報じられています。秘書のウソを見抜けず、だまされたまま国会で、人間の煩悩の数よりも多く虚偽の事実を答弁し続けていた、ということだけで、首相はおろか国会議員の適性さえ欠いていることは明らかです。議員辞職に値すると思います。

【追記】2020年12月24日10時50分
 東京地検が24日午前、安倍前首相を不起訴、公設第一秘書を略式起訴とする刑事処分を出しました。社会に対して、どのような説明をするのか、あるいは説明しないのか、注視します。
※共同通信「安倍前首相を不起訴に、特捜部/『桜』公設第1秘書は略式起訴」=2020年12月24日

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【追記】2020年12月24日17時40分
 あれよという間に略式命令まで出ました。罰金100万円の納付で終わりです。
 簡裁の裁判官の判断次第で、正式裁判の選択肢もあったのに、極めて残念です。

 ※共同通信「安倍氏の秘書に罰金100万円/東京簡裁、夕食会費の不記載で」=2020年12月24日

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