ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

中村哲さんと「花と龍」と「川筋気質」

 福岡県の南部、筑後地方の地域文化誌「あげな・どげな」という雑誌を、同郷の知人にいただきました。2012年創刊で年2回発行。第18号(2020年夏)と第19号(2021年冬)に、アフガニスタンで2019年12月に銃撃を受け亡くなったペシャワール会の中村哲さんの特集記事が載っています。そのうち第19号の「中村哲の源流(ルーツ)―若松に発する血脈」を興味深く読みました。筆者は火野葦平資料館の坂口博さんです。
 1946年9月生まれの中村哲さんは、一般には福岡市出身で通っていますが、福岡市で生まれてすぐに家族は福岡県若松市、現在の北九州市若松区に移住し、小学校1年生までを過ごしたそうです。

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 記事によると、父親の中村勉は、石炭の積み出し港として栄えた若松で戦前、港湾労働者の労働運動の活動家でした。治安維持法違反で検挙され有罪判決も受けました。その勉と家族を助けたのが、港湾荷役業「玉井組」の玉井家でした。哲さんの母親の秀子は玉井家の娘。秀子の両親、哲さんにとっては祖父母の玉井金五郎、マン夫妻は、作家火野葦平の「花と龍」の実名モデル、そして火野葦平、本名・玉井勝則は金五郎、マン夫妻の長男。つまり哲さんからみて火野葦平は母の兄(伯父)になります。
 わたしは「花と龍」は今まで、高倉健主演の映画のイメージ(映画も見ていないので本当に勝手なイメージなのですが)しかなく、勝手に任侠ものだと思っていました。まったく違うようです。「非暴力を通しながら、港湾労働者の正義を貫き、生活補償を獲得していく物語」。三井や三菱などの石炭大資本に対抗して、労働者の生活を守ろうとした生き方だったとのことです。
 豊前(中心は小倉)と筑前(中心は福岡)の双方にまたがる田川や飯塚、直方などの一帯は「筑豊」と呼ばれ、明治以後、日本有数の産炭地でした。その地方を流れる遠賀川(おんががわ)は、鉄道開通前は石炭輸送にも使われていました。この遠賀川の流域や、石炭輸送の終着点だった若松などに見られる気質を「川筋(かわすじ)気質」と呼びます。特集記事では「『弱きを扶け、強きをくじく』の義侠心が基本です」「一方的な弱者救済ではなく、相互扶助を基本とします。弱者がお互いに助け合うことがなければ成立しません」と紹介しています。そして「その血脈は金五郎・マン夫妻、勉・秀子夫妻を通じて中村哲に流れています」と紹介しています。

 ※ウイキペディア「遠賀川」

 わたしは北九州市の八幡の生まれ育ちですが、父方の出は祖父が遠賀川の河口に近い水巻という町、祖母は今の飯塚の出身でした。「川筋者」「川筋気質」は子どものころからなじんでいた言葉でした。
 若松は洞海湾を挟んで八幡の対岸になります。八幡の皿倉山という山に登れば、手前に八幡製鉄所を中心とする工場群、そして対岸の若松の街並みを望むことができました。わたしが子どものころはちょうど日本は戦後の高度成長期でした。記憶に残っている八幡の工業地帯も若松の港も、活気に満ちていました。若松からも対岸の八幡の山並みを望めたのだろうと思います。アフガニスタンの地に根を下ろして、住民が自活できるように支援を続け、実績も残した中村哲さんに「川筋者」の血が流れていたこと、戦後の若松や八幡の風景を中村さんも目にしていたのであろうことを知って、ちょっと感動しました。
 さっそく「花と龍」や中村さんの著書「天、共に在り」を買い求め、読むことにしました。あらためて、中村さんの偉業をしのびたいと思います。 

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

  • 作者:中村 哲
  • 発売日: 2013/10/24
  • メディア: 単行本
 

  「あげな・どげな」は広告を取らず、購読者に依拠した雑誌作りを掲げたものの、継続は困難として次号20号で終刊とのことです。基金を設立して後継雑誌を発行する計画があり、現在、基金への参加を呼びかけています。わたしは高校の3年間を筑後の久留米市で過ごしました。ささやかですが、協力させていただくことにしました。 

Agena Dogena(あげな・どげな) 19号

Agena Dogena(あげな・どげな) 19号

  • 発売日: 2021/01/10
  • メディア: 雑誌