ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

新聞が書かなくても読者は知っていることがある〜ネット時代の新聞ジャーナリズム

※エキサイト版「ニュース・ワーカー2」から転記です。http://newswork2.exblog.jp/8149490/
 4月から毎週土曜日の午前中に行っている明治学院大学社会学部での講義は昨日(6月21日)が10回目でした。開講した当初は長丁場をどう乗り切るか不安がありましたが、気付いてみれば残りはあと3回です。
 昨日からは「ネット社会、多メディア社会と新聞ジャーナリズム」のテーマに入りました。
 日本の新聞は産業としてみれば、1980年代まで右肩上がりの成長を続けていました。ビジネスモデルとして見ると、まず読者からの購読料があり、次いで広告媒体としての広告料があります。新聞社と購読者の間には、新聞社ごとに系列化された販売店網があり、それが戸別配達と新たな購読者獲得を支えています。販売店には、折り込み広告(チラシ)という独自収入もあり、扱い部数が増えれば独自収入も増える仕組みです。このビジネスモデルを総体として見ると、発行部数が増えれば新聞社は購読料収入も広告料収入も増え、販売店も折り込み広告が増えることになります。必然的に、新聞社経営は「部数第一主義」となり、この経営方針が長らく続いてきました。そこから強引な勧誘方法が社会問題にもなっていたりしました。
 しかし近年、このビジネスモデルでは立ち行かないことがはっきりしてきています。要因としては部数の伸び悩み、あるいは広告媒体としての地位の低下があり、また販売店網の維持と密接にかかわる再販制度にも90年代半ば以降、たびたび見直し議論が浮上しています。ちなみに再販問題とは、「再販売価格維持制度」をめぐる問題です。商品の取引では通常、メーカーや卸から仕入れたものをいくらで消費者に販売(再販売)するかは小売業者の自由ですが、新聞は販売店(小売業者)の販売価格を新聞社(メーカー)が指定することができ、独禁法の適用除外商品になっています。
 この新聞経営のビジネスモデルにかげりが見え始め、やがて限界がはっきりし始めた時期は、ちょうど90年代半ば以降、インターネットが日本社会にも普及、発展していった時期と重なります。ネット上に流れているニュース記事はだれでも無料で読めるためか、新聞産業内には「新聞が売れなくなったのはネットのため」といった見方や、さらにはネット上の掲示板やブログなどの表現活動を「便所の落書き」などと見下す風潮が根強く残っていると感じています。一方で、新聞経営が従来のビジネスモデルのほかに収益モデルを見出す必要性に迫られているのも、今や明白ですし、この点については新聞産業の中でも共通認識になっていると思います。
 ネット社会と新聞、あるいは新聞ジャーナリズムを考える際には、わたしは「新聞経営」と「新聞ジャーナリズム」の2つの側面があると思っています。「企業としての新聞社」と「メディアとしての新聞」と言ってもいいかもしれません。この2つの混同は避けなければなりません。ジャーナリズムの面で言えば新聞の強みは「組織の取材力」だと思います。しかし「だから紙メディアの新聞のほうがネット言論よりもすぐれている」というものでもないですし、ネット上での収益を追求するあまりに組織取材がおかしくなるようでは本末転倒になってしまうとも思います。

 講義では以上の状況を前提として、 ネットと新聞ジャーナリズムについて話していくつもりですが、結論めいたことをあえて先に言うと、新聞(マスメディアと言い換えてもいいかもしれません)が伝えていないことも読者はネットで知っているのが今日の状況だということです。言い方を変えれば、今までは新聞が書かないことは、社会にとっては「なかったことと同じ」だったのかもしれませんが、今はそうではありません。新聞が書いてこなかったことを、ネットを通じて知っている人たちをも読者と想定して、さて新聞はこれから何をどのように書いていけばいいのかが問われているのだと考えています。 
 昨日の講義では、以前のエントリ「『何が起きたか』を伝えるのは誰か〜秋葉原・無差別殺傷事件で思うこと」に沿って、秋葉原の無差別殺傷事件の現場で起きたことを題材に、新聞を含めたマスメディアのメディアとしての「正統性」が問われている状況を話しました。秋葉原の事件の現場で、携帯電話のカメラで写真を撮りながらも、救護活動に加わらなかった人が少なからずいたことに批判も出ていますが、その批判を、現場で取材活動を展開したマスメディアに当てはめた場合、マスメディアはきちんと答えられるのか。その「正統性」が問われているのだと思います。
 引き続き、ネット社会の中での新聞ジャーナリズムの在り方についてわたしなりの考えを整理しながら、次回以降の講義を進めていきたいと考えています。