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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

労働組合は奮起のとき〜連合・高木会長インタビュー記事

 朝日新聞の14日付朝刊の第1面に「非正規の大量解雇 大企業が特に問題」の見出しで、労働組合ナショナルセンター連合」(日本労働組合総連合会)の高木剛会長のインタビュー記事が掲載されています。朝日のサイトでは紙面よりも長い全文がアップされています。サイトの記事の見出しは「大企業の非正規大量解雇、許されない」となっていて、紙面よりもインパクトが強くなっています。内容は、米国に端を発する金融不安が世界的な経済危機を呼び、日本でも非正規雇用の人たちの解雇が相次いでいる中で、春闘を控えて高木会長が考えや連合の方針を語っているのですが、わたしは次のくだりに目が留まりました。

非正規労働者はどう身を守ればいいのでしょうか?
 非正規の人に対しても、経営者が解雇回避の努力を尽くしたかどうかなど、正社員と同様な整理解雇の原則が適用されるべきだ。ただ、非正規の人たちに自分でそれを交渉せよというのは酷だ。企業の労働組合がそれは言っていかねばならない。自分たちが切られる立場になった時にも同じ武器で闘うのだから。

 わたし自身の労働組合の経験からも、「企業の労働組合がそれは言っていかねばならない」というのはその通りで、正論だと思います。
 既存の労働組合、それも企業内組合の組合員はとかく「組合は組合員の権利を守るためにある」と考えがちです。それは完全に間違っているとまでは言いませんが、仮に「組合は組合員の権利を守るためにだけある」と考えるのならば、それは間違っています。
 労働組合はそれ自体が労働者の団結権を具体化した「権利の行使」にほかなりません。労働組合という権利を手にすることによって、団結権から交渉権、行動権と次の権利を手にすることができます。これらのいわゆる労働3権は、労働者であればだれでも手にできるはずの権利ですが、実態はそうではありません。特にこの10年ほどの間に急増した派遣社員契約社員などの非正規雇用の人たちには、身近に加入できる労働組合がなく、無権利の状態に置かれている人びとが大半を占めていると言っていいと思います。たった一人で、自分の力だけで企業に立ち向かうのは容易なことではありません。そうした人たちを既存の企業内労働組合が支援することは、実は当該の労組と組合員の権利を守り、拡大していくことにつながる意味もあるのです。同じ職場で隣りで働いている人を、その人が労働組合の組合員ではないからといって見殺しにすれば、次に自分に解雇通告が来たときに「既に派遣社員契約社員は解雇した。あらゆる手立ては尽くした。あなたに辞めてもらうしかない」と会社に言わせることを許してしまうでしょう。
 連合の傘下組合は当たり前のことですが企業内組合が主流で、しかもいわゆる労使協調の度合いが強いところも少なくないため、高木会長も言葉使いに気をつかっているようですが、既存の労組が組合員の雇用を守ろうとするなら、非正規労働者の雇用を守る手助けをすることが遠回りのようでも結局は一番の近道です。さらには、正社員だけの企業内組合というあり方についても、今日の雇用・労働環境で最適なのか、論議が深まっていいと思います。
 ついでながら「組合は組合員の権利を守るためにだけある」という発想の延長線上で「だから労働組合は政治的な課題には首を突っ込むべきではない」となりがちです。しかし雇用の問題に限定して考えてみても、もともと労使の2者関係だけに収まるものではなく、時々の政策にも大きく左右されます。労働運動が政治とのかかわりを求めていくのは必然ともいえ、国際労働機関(ILO)も協議の枠組みは「政労使」の3者構成です。平和や護憲の問題にしても、歴史的に見ても戦時社会で労働者の権利が保護されるかは疑問で、ILO憲章の前文にもそうした問題意識が強く反映されています。ILO憲章前文はILO駐日事務所のホームページに日本語訳があります(関連して以前のエントリーも参照いただければ幸いです)。

 朝日のインタビューでは、連合が来春闘方針に8年ぶりのベースアップ(ベア)要求を盛り込んだことも尋ねています。このご時勢で一般の理解は得にくいでしょうが、高木会長は物価上昇で給料が目減りした分の補てんであることを強調し「『賃上げも雇用も』が当然で、優先順位はつかない」と説明しています。わたしは、正社員組合のベア要求の正当性、合理性は、その組合が非正規雇用の人たちの雇用を守り、権利を拡大していくためにどこまで本気で取り組むかと実は表裏一体の関係にあると考えています。
 インタビューで実は一番読み応えがあって面白いのは、紙面にはなくネットだけに出ている一番最後のやり取りです。「労使協調路線の浸透で本当の意味で闘えるのでしょうか」との質問に、高木会長は、経営側が組合に対して高をくくっているとした上で「正社員がそこまで追い込まれていないのか、論理的にも経営側に飼いならされたのか。嫌がることもやらないのに組合の主張をのませることはできない」と述べています。まさに「労働組合奮起のとき」ではないでしょうか。