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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

想像を超える橋下代表の9条観

 大阪市長で地域政党「大阪維新の会」の橋下徹代表が、自らの憲法観の一端を明らかにしました。24日にツイッターで、安全保障に関連して、憲法9条をどうするかは2年間の議論の期間を置いて国民投票にかけるのがよい、との私見を披露しました。同日夜の記者団とのいわゆる「ぶら下がり」取材では、さらに踏み込んで、9条について「他人が困っている時に、自分が嫌なことはやりませんよという価値観だ。自己犠牲しないというのなら、僕は別の国に住もうかと思う」(産経新聞webの記事)と言及。ただ、9条改定への賛否自体は明らかにしなかったと伝えられています。9条改定を国民投票にかけるとの提案は、維新の会の事実上の政権公約「維新八策」に盛り込まれるとも伝えられています。
※産経新聞サイト「憲法9条改正の是非『国民投票で決定を』 2年間熟議を提案」
 http://sankei.jp.msn.com/region/news/120224/osk12022422130011-n1.htm
 ネットで検索した限りですが、他紙やNHKもこの「9条国民投票案」を報じています。橋下氏の9条観を紹介している記事もあります。
※毎日新聞 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120225k0000m010119000c.html
※読売新聞 http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120225-OYO1T00263.htm?from=main3
※NHK http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120224/k10013275891000.html

 さて、24日の橋下氏の一連のツイートの中で、わたしは次のツイートに引っかかりました。何度読んでも、意味がよく分からなかったからです。

@t_ishin 橋下徹
世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172897650386010112

 橋下氏が夜のぶら下がり取材で、9条について「他人が困っている時に、自分が嫌なことはやりませんよという価値観」とコメントしたことを知って、ようやく「ああ、そういうことか」と分かりました。橋下氏自身は、9条を改定すべきか否か、改定するとしたら、軍隊の保持を認めるのか、交戦権まで踏み込むのかなどには言及しなかったようですが、現行の9条に否定的な考えを持っていることは明らかになったわけです。
 次期衆院選での大阪維新の会の国政進出は現実味を帯びています。そうした中で、わたしは何度かこのブログに、橋下氏の憲法観が社会に知られてしかるべきだし、マスメディアはそれをていねいに報じるべきだと、書いてきました。今回、橋下氏の9条観が社会に知られるようになったことは、社会の人たちの判断材料が増えたという意味で、意義深いと思います。在阪の新聞各紙が、ネットではなく紙面でどのように報じたのかは、後日検証してみようと思います。

 さて9条問題を国民投票で、との案はともかくとして、「他人が困っている時に、自分が嫌なことはやりませんよという価値観」との橋下氏の9条観です。社会には、9条に対するネガティブな考え方が多々あることは承知していますが、東日本大震災のがれき処理に関連づけて、というのは、わたしの想像を超えていました。正直なところ、こういう考え方があることに驚きました。がれき処理が進まないのは、9条が原因となって、被災地以外の地域が「自分が嫌なことはやらない」というスタンスでいるためなのか、どういう事実を踏まえてそう考えているのか、もう少し橋下氏の考え方をていねいに知りたい、というのが正直な気持ちです。

 9条の理念は戦争放棄と戦力の不保持であり、人類史的には戦力不保持に先進的な意味があるとわたしは理解しています。戦後の平和運動が「一国平和」に傾きがちだったとの批判的な指摘はありますが、それは9条自体の問題ではなく、運動の構築の問題です。日本国と日本国民は決して「戦力行使=戦争」を紛争の解決手段とはしないし、困っている他人を助ける場合も同じだ、というのが、前文をも含めた日本国憲法の理念だと考えています。
 橋下氏のツイートと記者団への発言で思い起こしたのは、小泉純一郎氏が首相当時の2003年12月、イラクへの自衛隊派遣を決めた際の小泉氏の記者会見です。「自衛隊の戦地派遣であり違憲だ」との指摘に対し、小泉氏は憲法前文を盾に押し切りました。首相官邸のホームページに、記録が残っています(グーグル検索でヒットしました)。関連部分を引用します。
※小泉内閣総理大臣記者会見[イラク人道復興支援特措法に基づく対応措置に関する基本計画について]平成15年12月9日
 http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2003/12/09press.html

 私は、このイラク復興人道支援に対して、多くの国民からも不安なり、あるいは自衛隊を派遣することに対して反対の意見があることは承知しております。ここで自衛隊派遣は憲法に違反するという声があるのも聞いております。
 しかし、憲法をよく読んでいただきたい。憲法の前文、全部の文章ではありません。最初に述べられた、前の文、前文の一部を再度読み上げます。
 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
 まさに日本国として、日本国民として、この憲法の理念に沿った活動が国際社会から求められているんだと私は思っております。
 この憲法の精神、理念に合致する行動に自衛隊の諸君も活躍してもらいたい。これは大義名分にかなうし、我が国が自分のことだけ考えているのではない、イラクの安定、平和的な発展というのはイラク自身にとって最も必要だし、日本国にとっても必要であります。世界の安全のためにも必要であります。
(中略)
 まさに今、日本がどのようなイラク復興支援に取り組むか、それは憲法の前文にあるように、日本国の理念、国家としての意思が問われているんだと思います。日本国民の精神が試されているんだと思います。危険だからといって人的な貢献をしない、金だけ出せばいいという状況にはないと思います。

 今、あらためて会見記録を読み返してみて、小泉氏が「危険だからといって人的な貢献をしない、金だけ出せばいいという状況にはない」と主張していたことに目が留まりました。橋下氏が「(9条は)他人が困っている時に、自分が嫌なことはやりませんよという価値観だ」と話したことと、もしかしたら底流で通じているものがあるのかもしれないという気がしています。小泉氏は9条へは言及せずに憲法前文を引き合いにし、片や橋下氏は9条へのネガティブな見方をストレートに表しているのですが、「貢献」「自己犠牲」といったキーワードで、共通しているものがあるようにも思えます。本当にそうなのかどうかは、もう少し橋下氏の憲法観が明らかになってから整理してみたいと思います。生存権とか内面の自由とか、橋下氏の考え方を聞いてみたいテーマはまだまだあります。マスメディアは引き続き、橋下氏の憲法観をていねいに報じるべきだと思います。

 備忘を兼ねて、以下に24日の橋下氏の憲法に関するツイートを引用します。冒頭で、産経新聞の「正論」と「屋山さん」「佐々さん」の名前が出てきます。佐々淳行氏、屋山太郎氏のことのようです。両氏の「正論」も産経新聞のサイトにアップされていました。同時に読むと、ツイートの流れが理解しやすいかもしれません。

※【正論】初代内閣安全保障室長・佐々淳行 「維新」の「船中八策」に異議あり
2012.2.24 03:04
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120224/stt12022403050008-n1.htm

※【正論】評論家・屋山太郎 橋下氏の突破力は小沢氏の対極
2012.2.23 03:04
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120223/lcl12022303050000-n1.htm

@t_ishin 橋下徹
産経新聞にはリーダー論から正論からで、色々と論じてもらっている。正論は前回の屋山さんに続いて佐々さんと連続してもらった。佐々さんのご意見も厳しいご意見ではあるが、役立たずの学者意見とは全く異なり、国家の安全を取り仕切ってこられた実務者の視点で迫力あるご意見です。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172896003740016640 

@t_ishin 橋下徹
佐々さんのご主張はまさに正論。内容自体に反論はありません。ただし、今の日本が動くようにするためにはどうすべきかの観点から、僕は次のように考えています。まだ維新の案として確定したものではありません。佐々さんの言われるように、日本は国家安全保障が弱い。これは全てに響いてきています。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172897039846350848

@t_ishin 橋下徹
世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172897650386010112

@t_ishin 橋下徹
この憲法9条について、国民的議論をして結着を付けない限り、国家安全保障についての政策議論をしても何も決まりません。国家の大きな方針が固まっていないのですから。しかし憲法9条議論や国家安全保障議論をしても結局憲法改正は非現実ということで何も動かない。学者議論に終始。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172898258513969152

@t_ishin 橋下徹
だから僕は仕組みを考えます。決定でき、責任を負う民主主義の観点から。憲法96条の改正はしっかりとやり、憲法9条については国民投票を考えています。2年間の議論期間を設けて国民投票。この2年の間に徹底した国民議論をやる。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172898648907186178

@t_ishin 橋下徹
これまでの議論は決定が前提となっていないから、役立たず学者議論で終わってしまう。その議論でかれこれ何十年経つのか。決定できる民主主義の議論は決定が前提の議論。そして期限も切る。2年の期間で、最後は国民投票。この仕組みを作って、そして国民的に議論をする。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172898977992290305

@t_ishin 橋下徹
朝日新聞、毎日新聞、弁護士会や反維新の会の役立たず自称インテリは9条を守る大キャンペーンを張れば良い。産経新聞、読売新聞は9条改正大キャンペーンを張れば良い。2年後の国民投票に向かって。そして国民投票で結果が出れば、国民はその方向で進む。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172899588380962816

@t_ishin 橋下徹
自分の意見と異なる結果が出ても、それでも国民投票の結果に従う。これが決定できる民主主義だと思う。9条問題はいくら議論しても国民全員で一致はあり得ない。だから国民投票で国のあり方を国民が決める。そのために2年間は徹底して議論をし尽くす。意見のある者は徹底して政治活動をする。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172899987146022912

@t_ishin 橋下徹
その上で国民投票の結果が出たら、国民はそれに従う。そんな流れを僕は考えているのです。佐々さん、そう言うことで、今維新の八策にあえて安全保障については入れていません。憲法9条についての国民の意思が固まっていない以上、ここで安全保障政策について論じても画餅に帰するかなと。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172900447345065985

@t_ishin 橋下徹
憲法9条について国民意思が確定していない日本において、それを確定するというのが僕の考えです。あくまでもシステム論です。まずはその決定できる仕組みを作る。仕組みができれば、次に実体論に入る。実体論から先に入ると、その賛否によって決定できる仕組みすら作ることができません。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172900987206512640

@t_ishin 橋下徹
まずは憲法9条について国民意思を固める仕組み作りが先決だと思います。佐々さん、またご意見下さい。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/172901128609071105

 一夜明けて25日午前にも憲法に関して橋下氏はツイートしました。

@t_ishin 橋下徹
政治は学者や論説委員の議論と違う。決定しなければならない。実行しなければならない。自民党が憲法改正案を出すらしいが、本当にこのようなやり方で憲法問題が結着すると考えているのであろうか?憲法改正案を選挙の公約に掲げて、仮に自民党が勝ったとしても、選挙が全てでないと言われる。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/173204460464635904

@t_ishin 橋下徹
自民党に投票したけど、憲法問題は違うと必ず言われる。政策等であれば、選挙結果に従って欲しいと言えるだろうが、憲法の本質的価値に触れるところまでそれを言えるだろうか?首相公選、参議院の廃止は、分かりやすいので選挙になじむ。しかし憲法9条はどうだろう?これは選挙になじまないと思う。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/173205114461487105

@t_ishin 橋下徹
政治には自分の価値観を前面に出すことと、国民の価値を束ねることの2つの側面があると思う。これは領域、状況によって使い分けるものであり、その使い分けもまた政治と言える。自称インテリは後者ばかりを言う。それでは現実の課題は解決しない。議論ばかり。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/173205736711659522

@t_ishin 橋下徹
しかし憲法9条問題こそは、国民の価値を束ねて行くことが政治の役割だと思う。自らの価値を前面に出すのではなく、国民に潜在化している価値を顕在化していく作業。単なる議論で終わるのではなく一定の結論を出す。そういう意味では、憲法9条問題は選挙で決するのではなく、国民投票にかけるべきだ。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/173206395720708097

@t_ishin 橋下徹
選挙の争点には、憲法9条の中身・実体面・改正案を掲げるのではなく、憲法9条問題に結着を付けるプロセス、仕組み、手法、手続きを掲げるべきだと思う。この点は、今後維新の会で議論していきます。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/173206925704572928

@t_ishin 橋下徹
簡単に言えば、憲法9条は色々な政治公約の一つとして選挙で決めるのではなく、憲法9条だけを取り上げる国民投票で決めましょうということです。この問題はある種の白紙委任で政治家に委ねるわけにはいかないと思う。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/173208070976061441

@t_ishin 橋下徹
一定期間を定めて国民的大議論。そして国民投票の結果には皆で従う。反対の結果が出た国民も国民投票の結果に従う。だからこそ自分の主義主張がある人は一定期間内に徹底して国民に訴えかける。その上で結果が出たなら潔くその結果に従う。これが決定できる民主主義だと思う。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/173208528868212736

@t_ishin 橋下徹
憲法9条については国民的大議論を巻き起こす裏方役が政治家の役割だ。政治家が憲法9条について自分の価値観を前面に出せば出すほど、憲法9条問題は決着しない。政治家は学者と違う。自分の考えを控えることが決定のための必要条件なら自分の考えを押し殺す。決定こそ政治だ。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/173209224673902592

@t_ishin 橋下徹
佐々さん、幕末の世は民主主義ではありませんでした。ですから坂本竜馬は船中八策で国家安全保障のことを一人で決しました。しかし、今の世は国民主権です。国家安全保障を決するのも国民です。憲法9条問題は、国民全員が坂本竜馬です。その裏方を引き受けるのが政治だと思います。
https://twitter.com/#!/t_ishin/status/173210239452188672