ことし2024年のノーベル平和賞は、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が受賞することが10月11日、ノルウェーのノーベル賞委員会から発表されました。東京発行の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の各紙)は12日付朝刊で、いずれも1面トップで報じました。ただし、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞の3紙が、紙面の横幅をいっぱいに使った大きな見出しを立て、1面全部をこのニュースに充てているのに対して、読売新聞、産経新聞、日経新聞は相対的に見出しが小さく、1面にほかの記事も入れています。
経済専門紙の日経はともかく、朝日、毎日、東京の3紙と読売、産経の2紙には、このニュースの扱い方に差があります。顕著に表れているのは社説です。朝日、毎日、東京(中日新聞と共通)は、唯一の被爆国の日本が核兵器廃絶に主体的に役割を果たすべきだと強調。核兵器禁止条約に加盟せず、締約国会義へのオブザーバー参加すら拒否するなど、核廃絶に対し消極的な姿勢を取り続けている日本政府を批判しています。日経も日本政府に「今回の受賞をてこに、より積極的な役割を果たすべきだ。全ての核開発や使用を禁じる核兵器禁止条約へのオブザーバー参加をはじめ、あらゆる方策を探る必要がある」と求めています。
これに対し、読売は日本の課題として「核使用を容認するかのような風潮を食い止めるための国際世論形成に向けて、先頭に立つべきだ」と主張してはいますが、日本政府に対する直接的な批判はありません。産経は「被団協の受賞を喜びたい」としながら、「中露、北朝鮮という反日的な核保有の専制国家に囲まれた日本は、核兵器廃絶の理想を追求すると同時に、核抑止策を講ずることも欠かせない」としています。核兵器廃絶を「理想」と呼び、「核抑止」として核兵器の存在を正当化する主張は、日本を含むG7の立場に合致してはいても、被爆者の訴えとは相いれないように感じます。
以下に6紙の1面トップの本記、1面の他の記事と社説のそれぞれの見出しをまとめました。
各紙の報道を見て思うことを書きとめておきます。
■沈黙のまま世を去った被爆者
このブログの一つ前の記事で書いたことに関連します。今でこそ、被爆者の訴えは広く知られていますが、最初からそうだったわけではありません。敗戦後の占領下、報道統制によって原爆の惨禍の実相が知られることはありませんでした。加えて被爆者に対する差別があり、被爆者は沈黙するしかありませんでした。その間に、あまたの被爆者が世を去りました。無念はいかばかりだったか、と思います。
各紙とも、戦後の報道管制を経て、1954年、米国の水爆実験でマグロ漁船「第五福竜丸」が被爆したことを契機に、56年に日本被団協が結成されたことなどを通史的に紹介してはいます。その間にも被爆者は苦痛と絶望のうちに次々と亡くなっていました。
被爆者が高齢であり、被爆体験の継承が課題になっていることはよく報じられています。体験を語り続けた被爆者とともに、何も訴えることができないまま亡くなっていった被爆者のことも、社会の記憶と記録にとどめたいと思います。それはマスメディアの組織ジャーナリズムの役割と責任です。
■「核兵器廃絶」「ノーベル賞」「日本」
日本に関連するノーベル平和賞の受賞は、非核3原則の佐藤栄作元首相以来です。そのことはよく報じられていますが、佐藤元首相に関しては、沖縄返還に際して、今日の米国への思いやり予算の源流になる密約を交わしていたことなどが明らかになっています。功罪をめぐる歴史の評価は必ずしも定まっていないと感じます。
「核兵器廃絶」「ノーベル賞」「日本」ということなら、佐藤元首相よりも知られていい受賞者がいます。1949年に日本人として初めてノーベル賞を受賞した物理学者の湯川秀樹博士です。核廃絶運動にも力を注ぎ、哲学者・バートランド・ラッセルと物理学者・アルベルト・アインシュタインが中心となって、核兵器廃絶と科学技術の平和利用を訴えた1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」に名前を連ねたことでも知られます。
湯川博士に触れた報道は見当たりませんが、核抑止論という核兵器保有の肯定が社会に根強くある中で、被団協の平和賞受賞の折に、湯川博士の事績もあらためて広く知られていいと思います。
以下に6紙の社説の一部を書きとめておきます。各紙とも、ネット上のそれぞれのサイトで、無料で全文読むことができます。
▼朝日新聞「平和賞に日本被団協 核廃絶への新たな力に」/息長い証言、実を結ぶ/核依存深める世界/日本への期待と責任
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16056886.html
広島選出の岸田前首相は昨年のG7広島サミットで「核兵器のない世界」を訴え、核軍縮のための「広島ビジョン」をまとめた。
だが、その岸田政権下で米国の核への依存はかえって深まった。核禁条約への署名・批准には背を向け、オブザーバー参加も否定した。続く石破首相は、自民党総裁に選出前、米国との核共有や地域への核の持ち込みを検討する必要性に言及。核廃絶への意思はうかがえない。
日本がなすべきは、核依存のドミノにくみすることではない。
▼毎日新聞「日本被団協に平和賞 高まる核リスクへの警鐘」/ヒバクシャの声世界に/日本が役割果たす時だ
https://mainichi.jp/articles/20241012/ddm/005/070/110000c
唯一の戦争被爆国として、日本が国際社会で果たす役割は大きいはずだ。にもかかわらず、政府の動きは鈍い。
核兵器禁止条約に加盟しないだけでなく、締約国会議へのオブザーバー参加にも後ろ向きだ。
「保有国と非保有国の懸け橋になる」ことを掲げながら、行動は伴っていない。東アジアの安全保障環境の悪化を理由に、米国の「核の傘」を含む抑止力の強化を推し進めている。
広島市で昨年開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)は、「核兵器のない世界」を目標に掲げたが、「防衛目的の役割」を肯定し、被爆者を失望させた。
▼読売新聞「ノーベル平和賞 核の脅し封じる契機としたい」
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20241012-OYT1T50030/
日本は、核廃絶への努力をこれまで以上に積極的に進める責任を負ったといえる。
特に日本は、核兵器の使用がどれほど残虐な被害を人類に及ぼすかを体験した立場にある。核使用を容認するかのような風潮を食い止めるための国際世論形成に向けて、先頭に立つべきだ。
▼日経新聞「ノーベル平和賞に結実した被爆者の訴え」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK11BIC0R11C24A0000000/
核軍縮の動きが停滞する中、問われるのが日本政府の行動だ。今回の受賞をてこに、より積極的な役割を果たすべきだ。全ての核開発や使用を禁じる核兵器禁止条約へのオブザーバー参加をはじめ、あらゆる方策を探る必要がある。
日本被団協は「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に運動を続けてきた。これからもその誓いは変わらない。唯一の戦争被爆国として、我々は一丸となって核なき世界を目指す努力を積み重ねていく必要がある。
▼産経新聞「被団協へ平和賞 核の脅威に対する警鐘だ」
https://www.sankei.com/article/20241012-6VYRQZZUPRP2ZMSGLGV7SRVENE/
これらの国々(引用者注:ロシア、北朝鮮、中国)は日本と異なり戦争被爆国ではない。被団協が悲劇的な被爆体験を、日本のみならず世界の人々へ伝え、核兵器使用を諫(いさ)める空気を広めてきた意義は大きい。どの国の指導者であれ、核兵器を使用すれば全人類から非難されるリスクを高めるからである。
ただし、ノーベル賞委員会が言うように世界で今、核兵器使用のタブーが損なわれかねない状況にあるのも事実だ。中露、北朝鮮という反日的な核保有の専制国家に囲まれた日本は、核兵器廃絶の理想を追求すると同時に、核抑止策を講ずることも欠かせない。二度と日本に、そして世界に、核兵器が使用されることがあってはならない。
▼中日新聞・東京新聞「ノーベル平和賞 被爆者の声を抑止力に」
https://www.chunichi.co.jp/article/970668
米国の「核の傘」の下にある日本は唯一の戦争被爆国として「核のない世界」を訴えながら、核兵器禁止条約への署名・批准を拒み続けている。被団協が求めてきた、批准国のような義務のない「オブザーバー参加」さえ見送り続けている。
石破茂首相は外遊先のラオスで受賞決定の知らせを受けて「極めて意義深い」と述べた。真に「意義深く」するためには、まず国としてその思いを受け止め、被団協が成立の原動力になった核兵器禁止条約への参加に踏み切るべきだ。さらに、国の指定区域の外で被爆した「被爆体験者」を被爆者と認めて、すべてのヒバクシャに補償の道をひらくべきである。