広島、長崎への原爆投下から79年の今年、核廃絶を願う世界中の人々と、核兵器を有用とする核保有国やその同盟国の為政側との間には、依然として深い溝があることを痛感させられました。米英など日本を除くG7各国とEUが、8月9日の長崎の平和祈念式典に大使級の出席を見送ったことです。式典には領事など別の代表を派遣しましたが、大使への招待に対するボイコットです。
長崎市がイスラエルを招待しなかったことは、ウクライナ侵攻を続けているロシアやその同盟国のベラルーシと同じ扱いだとして、反発したと報じられています。ロシアが主権国家を侵略しているのに対し、イスラエルのガザ侵攻は自衛権の行使で事情が異なる、ということのようです。しかし、4万人近くにも上るとされるガザ地区の住民の犠牲は到底容認できません。
ロシアはウクライナ侵攻で核兵器を威迫に使っています。イスラエルも事実上の核保有国とみなされており、閣僚がガザでの核兵器の行使も選択肢の一つと口にしたことがありました。イスラエル政府の公式な見解ではないにしても、見過ごせません。
G7各国の大使級出席のボイコットで思い起こすのは昨年のG7広島サミットです。ここで採択された「広島ビジョン」は、「核兵器のない世界」を究極の目標としながら、「我々の安全保障政策は核兵器が存在する限りにおいて防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し戦争や威圧を防止すべきとの理解に基づく」として、核による抑止は必要である、有用であると明確に認めていました。今のところ「核廃絶」を本気で目指す考えはない、ということです。「核兵器のない世界」を目標とすることについて、わざわざ「究極」を付けていることの意味がここにありました。
核保有国とその同盟国にとっては、同盟の維持と結束こそが最重要であることを、今回の大使級ボイコットでも改めて見せつけられた思いがします。昨年、G7の首脳が広島に集まり、原爆資料館まで訪ねながら、核廃絶と平和な世界を願う被爆者の思いは一向に届いていなかったのだな、と感じます。被爆地の広島を貸座敷にした岸田文雄首相は、今回の大使級ボイコットについてもG7各国に寄り添ったのでしょう。あまりの他人事感に、いったいどこの国の首相なのか、と思います。
もともと今年の原爆の日は、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻の二つの戦火が進行中であることに加え、日本も米国の核兵器への依存を強める「拡大抑止」に踏み込んでいる中で迎えました。唯一の被爆国であり、非戦の憲法を持つ国のマスメディアはどんな認識と意識で報道したのか。新聞各紙の社説、論説を記録しておきます。ネット上の各紙のサイトで見出しや全文を読めるものが対象です。全国紙、地方紙を問わず、核廃絶を訴える論調が目に付きます。
広島の地元紙の中国新聞は、6日付、7日付、9日付の3回、関連の社説を掲載しました。広島は岸田首相の選挙区です。「『核兵器のない世界』を唱える戦争被爆国が、他国の核兵器に依存する矛盾が際立つ」と日本の現状を指摘し、核抑止論を乗り越えるための行動を求めています。長崎のG7各国の大使級参加ボイコットに対しては、「米英などはガザの停戦を求めつつ、基本的にはイスラエル側に立つ。その姿勢が露骨に持ち込まれることには違和感がある。連名の書簡など行き過ぎだろう」としています。
他紙も大使級のボイコットには批判的なトーンが主流です。全国紙では「被爆地の式典 納得できぬ米英の欠席」(朝日新聞10日付)、「原爆式典と米欧大使 欠席判断は極めて遺憾だ」(毎日新聞10日付)の見出しが目を引きます。地方紙でも、以下のような指摘があります。
「被爆国の国民感情として、厳粛に営まれる追悼の場に露骨な国際圧力をかけられたようで違和感を禁じ得ない」(東奥日報ほか)
「イスラエルが招待されないことを欠席の理由にするのは道理にもとる。とりわけ、原爆を投下した米国が背を向けることは、被爆者をないがしろにする態度と言うほかない」(信濃毎日新聞)
「各国がパレスチナ問題を巡る対立の構図を持ち込み、核廃絶を願う被爆者の思いを踏みにじることは看過できない」(神戸新聞)
社論として拡大抑止を支持の読売新聞も「イスラエルの攻撃が自衛権行使の範囲を逸脱しているのは明白だ」(10日付「長崎原爆の日 中東情勢に翻弄された式典」)と指摘しています。
そんな中で産経新聞は10日付の社説(「主張」)「イスラエル不招待 長崎市長の判断は残念だ」で、他紙とまったく異なった主張を展開しました。長崎市がイスラエルを招待しなかったことに疑問を投げかけ、イスラエルをロシアと同列に扱うことになるとのボイコット理由について「この懸念は道理にかなっている」としています。特に目を引いたのは以下の部分です。
ロシアは国連憲章などの国際法に明確に反する侵略国だ。
一方、イスラエルはハマスに奇襲攻撃された被害者で自衛行動中だ。昨年10月のハマスの大規模奇襲では数千発のロケット弾を浴びた。侵入したハマスの兵士は約1200人の市民を殺害し200人以上を人質にした。パレスチナ自治区ガザの戦闘でハマスは、民間人や人質を「人間の盾」とする卑劣な戦術をとっている。ガザでの民間人の側杖(そばづえ)被害でイスラエルが批判されているのは事実だが、侵略者ロシアとは立場が根本的に異なる。また、ロシアは核攻撃の脅しを重ねているが、イスラエルは核恫喝(どうかつ)をしていない。
ガザの住民のおびただしい犠牲を「側杖被害」と言い切ってしまうことに少なからず驚きました。「側杖」とは一般的に「けんかのそばにいて打ち合う杖で打たれること。転じて、自分と関係のないことのために被害を受けること。とばっちり」(デジタル大辞泉)の意味です。
以下に、各紙の関連の社説の見出しのほか、地方紙については、サイトで全文が読めるものはリンクと本文の一部も書きとめておきます。
【全国紙】
■朝日新聞
・6日付「被爆79年の世界 核リスクの高まりにあらがう」
・10日付「被爆地の式典 納得できぬ米英の欠席」
■毎日新聞
・6日付「’24平和考 原爆の日 核兵器に『ノー』をもっと」/新しい軍拡競争の時代/「抑止神話」広がる疑念
・10日付「原爆式典と米欧大使 欠席判断は極めて遺憾だ」
■読売新聞
・7日付「原爆忌 被害者の肉声伝えていきたい」
・10日付「長崎原爆の日 中東情勢に翻弄された式典」
■日経新聞
・9日付「分断越え非核への道を確かに」
■産経新聞
・6日付「原爆の日 平和式典で厳粛な祈りを」
・10日付「イスラエル不招待 長崎市長の判断は残念だ」
【地方紙】
■中国新聞
・6日付「ヒロシマ79年 核抑止論、乗り越える行動を」/核のボタンに手/軍縮から軍拡へ/被爆者なき時代
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/507673
日本は東アジアの緊張を受け、安全保障を米国の核戦力に頼る姿勢を一段と強める。日米両政府が合意した拡大抑止の連携強化がそうだ。「核兵器のない世界」を唱える戦争被爆国が、他国の核兵器に依存する矛盾が際立つ。
しかし、非人道兵器による脅し合いは国と国民を守る手段にはなり得ない。国際社会がそう決意した証しが核兵器禁止条約だ。日本が果たすべきは核抑止論を乗り越える行動である。先制不使用を含む核の役割低減の国際合意を積み上げる。その議論を主導することが、今こそ求められよう。日本が核の傘から出る近道ともなる。
・7日付「岸田首相と8・6 核なき世界への針路、再考を」
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/508327
式典後の記者会見の発言には驚かされた。米国が核兵器を含む戦力で日本防衛に関与する「拡大抑止」について、「国民の命や暮らしを守るため大変重要」と評価した。さらに、その評価が核なき世界を目指す道筋に逆行しないとの認識も示した。東アジアの安全保障環境は確かに厳しい。しかし、米国の差し出す「核の傘」をありがたがっていて、核廃絶に向けた議論を主導できるのだろうか。
被爆者7団体が連名で首相に提出した要望書は怒りに満ちていた。
昨年の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)でまとめられた核軍縮文書「広島ビジョン」が、核抑止論を肯定していることに落胆が収まらないと表明。5月に米国が実施した臨界前核実験に抗議しないのは核なき世界を目指す姿勢と矛盾すると指摘した。
被爆者の不満の背景には、日本が米国の核政策に従属していることがある。「主張すべきは主張する主体性」を求めたのは当然だ。
・9日付「長崎式典と米欧大使 『招待』の意味、問い直そう」
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/509556
米英などはガザの停戦を求めつつ、基本的にはイスラエル側に立つ。その姿勢が露骨に持ち込まれることには違和感がある。連名の書簡など行き過ぎだろう。国際情勢がどうあれ、少なくとも原爆を落とした米国は広島と長崎の式典にできる限り、高官を出席させるべきではないか。
(中略)
一つ言えるのは式典の主催は広島市、長崎市であり、あくまで自主的な判断に基づくべきだということだ。ウクライナ侵攻後の2022年、ロシアなどを招くのを見送った際は外務省の招待反対が影響したとされる。本来は横やりを入れられる話ではない。
一連の問題を踏まえ、考えることは多い。そもそも8月6日と9日には何のために式典を営み、誰を招くのか。
原爆犠牲者を悼む場であることは疑いない。各国の代表に核廃絶・核軍縮と平和構築を発信する意味もまた強まっている。核保有国と同盟国が持ち出す「核抑止論」からの脱却を式典で正面から唱え始めたのが象徴的だろう。
その点でも国際政治と決して無縁ではない。ヒロシマ・ナガサキの式典こそ、最前線との見方もできよう。
目の前の状況にかかわらず全ての国・地域を招くべきだという意見がある。被爆80年に向け、広島市は海外代表の招待基準を見直す方針を示した。被爆地と世界がどう思いを共有していくか。原点に立ち返って議論を深めたい。
■北海道新聞
・6日付「79年目の『原爆の日』 『核なき世界』を諦めない」/人類脅かすどう喝だ/抑止論では破滅導く/日本が廃絶主導せよ
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1047493/
ロシアは昨年10月、隣国ベラルーシに戦術核兵器を配備した。今年5月から核の使用を想定した合同演習を行っている。
広島、長崎以降の世界は、核は「使えない兵器」であり「使う」と威嚇することさえタブーとしてきた。プーチン氏による核使用の威嚇は、人類への挑戦だと言うほかない。
パレスチナ自治区ガザで戦闘を続けるイスラエルは事実上、核兵器の保有国だ。昨年11月には閣僚がガザに核爆弾を落とすのも選択肢だと発言した。
イスラエルの蛮行が、対立するイランを刺激して再び核開発を進める懸念もある。
アジアでは中国が急速に核戦力を増強し、実戦配備も進めている。核・ミサイル開発を加速させる北朝鮮には、ロシアの支援が取り沙汰されている。
核兵器は「持った者勝ち」であるとの誤った認識を広げてはならない。決して使用してはならないし威嚇にも使えない、とする強固な規範を確立する取り組みが急務である。
■東奥日報 9日付「慰霊にふさわしい行動か/長崎式典 米欧大使欠席」
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1835590
米英に加え、フランス、ドイツ、カナダ、イタリアの計6カ国大使と欧州連合(EU)代表が同一行動を取った。被爆国の国民感情として、厳粛に営まれる追悼の場に露骨な国際圧力をかけられたようで違和感を禁じ得ない。各国間でどのような話し合いがあったのか明らかにすべきだ。
特に米国は原爆投下の当事者であり、エマニュエル駐日大使の言動は他国と比べて一層の重みを持つ。6日に広島の式典に参加する際、エマニュエル氏は次のようなメッセージを発していた。
「悲劇と苦難の廃虚から立ち上がった広島市は、全世界に不屈の精神と団結の光を届ける灯台です。式典への参列は広島市民が教えてくれる教訓が決して忘れられないようにするための一個人の責務である」。長崎式典への欠席と整合性が取れるだろうか。
(中略)
日本政府が「長崎市の判断」などとしてこの問題を傍観しているのも看過できない。唯一の被爆国として世界に非戦のメッセージを発する役割を果たしていないと言わざるを得ない。
広島選出で「核兵器のない世界」を掲げる岸田文雄首相は今こそ、培ってきた米英などとの緊密な関係を発揮し、被爆地の思いに応える式典の実現に尽力すべきだ。
■秋田魁新報
・6日付「原爆の日 矛盾乗り越え核廃絶を」
https://www.sakigake.jp/news/article/20240806AK0006/
広島、長崎両市では平和式典にウクライナ侵攻後、ロシアとベラルーシを招くのを見合わせている。長崎市はことし、イスラエルを招かず、パレスチナは出席の見込みだ。
一方、広島市は「一刻も早い停戦を求める」との文言を盛り込んだ招待状をイスラエルに出した。「全ての国の招待が原則」と説明している。しかしこれはロシアなどに対する姿勢とは異なる判断。被爆地も矛盾を抱えている。
ウクライナやガザでは、通常兵器によって子どもを含む多くの市民の命が奪われている。核兵器が使われた場合の被害はさらに想像を絶する。紛争当事国にこそ被爆地の生の声を届ける意義が大きいといえよう。
ロシアやウクライナ、イスラエル、パレスチナがそろって出席するなら、平和式典の重みは格段に増すだろう。決して核兵器を使ってはならないという被爆地からのメッセージをより多くの国や地域に伝えられる機会を大切にしたい。
■山形新聞 9日付「長崎原爆式典の欧米対応 慰霊にふさわしくない」
■福島民報 6日付「【原爆の日】次代への責任問われる」
https://www.minpo.jp/news/moredetail/20240806118394
岸田文雄首相はG7広島サミット(先進7カ国首脳会議)で、核兵器のない世界の実現を強調する共同文書の取りまとめを主導した経緯がある。一方で、防衛目的の保有を正当化した文書の矛盾も指摘された。それでも、核廃絶を不変の目標に据えてG7、とりわけ日本が国際社会への働きかけを強めようとしているなら、道はまだある。核兵器のない世界をいくらうたっても、努力の痕跡が見えない中では実効性が疑われる。
■神奈川新聞 6日付「原爆の日 核廃絶への針路今こそ」
■山梨日日新聞
・6日付「【原爆の日】3度許すまじ 世界の上に」
・7日付「【核なき世界への覚悟】拡大抑止より全面禁止こそ」
・9日付「【長崎原爆式典の欧米対応】慰霊にふさわしい行動か」
■信濃毎日新聞
・6日付「広島原爆の日 抑止への依存 廃絶に逆行」
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2024080600174
核保有国であるロシアやイスラエルの無謀な軍事行動によって核戦争が現実の脅威となり、核軍縮を滞らせている。状況が困難であればこそ、廃絶の歩みを後退させるわけにいかない。
広島は今日、長崎は9日に原爆の日を迎える。核兵器がもたらす惨禍を知る被爆国として、核廃絶を率先する政府の責務は重い。にもかかわらず、逆行して核抑止への依存を強める現状を、厳しく問わなければならない。
・10日付「米大使らの欠席 被爆者に背を向けている」
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2024081000300
イスラエルが招待されないことを欠席の理由にするのは道理にもとる。とりわけ、原爆を投下した米国が背を向けることは、被爆者をないがしろにする態度と言うほかない。英国やフランスも、核保有国として原爆の被害に向き合う責任を果たしていない。
広島市は、ロシアとベラルーシを招かない一方、イスラエルを招待し、長崎と対応が分かれた。どの国を招き、どの国を招くべきでないか。線引きをせず全ての国を呼んで、被爆地として伝えるべきことを伝えればいいとする意見もうなずける面がある。
誰のため、何のために、原爆の日の式典はあるのか。被爆地の訴えを世界にどう届け続けるか。来年は原爆投下から80年になる。広島、長崎だけでなく、被爆国の主権者として一人一人が掘り下げて考え、核廃絶への確かな歩みにつなげる機会にしたい。
■新潟日報 6日付「原爆の日 世界を核廃絶へ導かねば」
https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/453727
日本は7月、米国が核を含む戦力で日本防衛に関与する「拡大抑止」の強化に合意した。米国の「核の傘」を軸にした抑止力強化をアピールする方針に転換したが、効果は見通せず、軍拡競争が進むリスクをはらむ。
核の傘に守られることが、核兵器のない世界を目指す動きと矛盾することは明白といえる。
広島や長崎の被爆者は「核兵器廃絶に逆行する動きだ」と批判する。核の傘に頼らずに、外交努力で平和を築いていくことを政府に求めているのは、当然だ。
■中日新聞・東京新聞
・6日付「原爆忌に考える 『語り継ぐ人』になる」/悲しみを短歌にぶつけ/バトンを渡したからね
https://www.chunichi.co.jp/article/939284?rct=editorial
79回目の原爆忌の今日6日、一冊の歌集が世に出ます。広島市などの書店に並ぶ予定で、インターネットでの購入も可能です。
タイトルは「ひろしまを想(おも)う」(レタープレス)。著者は、同市安佐南区在住の切明(きりあけ)千枝子さん(94)。15歳の時、爆心地から南東約2キロで被爆しました。
当時切明さんは、県立広島第二高等女学校(現・広島皆実高校)の4年生。その日、勤労動員先の軍用たばこ工場から休みをもらい、けがの治療のために医院へ行く途中、すさまじい閃光(せんこう)とともに地面にたたきつけられて、倒壊した家屋の下敷きになりました。
■北日本新聞 6日付「原爆資料館/『負の遺産』に学ぶ時だ」
■北國新聞 10日付「【長崎平和式典】政治を持ち込んだのは疑問」
■福井新聞 6日付「79年目の『原爆の日』 継承へ次世代の力不可欠」
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/2101915
被爆者の訴えが結実したのが21年発効の核兵器禁止条約だが、日本政府はオブザーバーとしても加わっていない。被爆者の全国組織である日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に参加する36都道府県の団体に共同通信社が実施したアンケートで、約4割が会の存続に向けた課題として「会員の高齢化」を挙げている。約8割が「運営に被爆2世や被爆者以外が関わっている」と回答するように、運動の継承のためには次世代の力が不可欠だ。
■京都新聞
・6日付「原爆の日 『核抑止』の悪循環から脱却を」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1307394
昨年の先進7カ国首脳会議(広島サミット)の宣言では、「核兵器のない世界」を目指すとしながら、核抑止を正当化した。岸田文雄首相は今年4月、米議会で演説したが、核廃絶を具体的に訴えなかった。今も臨界前核実験を続ける米国への働きかけができていない。
それどころか日本は先月、米国と外務・防衛担当閣僚の会合を開き、核を含む戦力で同盟国への攻撃に対抗する「拡大抑止」の強化を確認し、「核の傘」の誇示へと傾いている。
広島選出の岸田氏は核保有国と非保有国の「橋渡し役」を言うばかりで、米国追従の外交姿勢が目に余る。
・9日付「米欧大使の欠席 あまねく平和の発信を」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1310196
エマニュエル駐日米大使は、一方のパレスチナが招待されていて「式典が政治化された」と説明し、英国大使も欠席を表明した。
だが、昨秋以降の大規模衝突はイスラム組織ハマスの奇襲が引き金とはいえ、イスラエルの侵攻でガザ側の死者が4万人近くと突出し、民間人犠牲が甚だしい。
一方的にイスラエルを擁護する米欧の立場を持ち込み、押し付ける方が政治利用ではないのか。
(中略)
ロシアの非道な侵略は言語道断だが、「自衛」を名目に何ら民間人犠牲を顧みないイスラエルが免罪されることはあり得ない。
国際司法裁判所はガザ攻撃による「ジェノサイド(民族大量虐殺)」を防ぐよう警告したが、米国などは国連で非難や即時停戦の決議を妨げてきた。ロシアを断罪しながらイスラエルを支援する「二重基準」が、世界で信用低下を招いていることを自覚すべきだ。
平和的な生存権と核の非人道性を毅然と発信していく姿勢が日本政府に問われる。
■神戸新聞
・6日付「広島原爆の日/国境や世代超え認識を一つに」/神戸から問う「神話」/敵も味方も傷つける
https://www.kobe-np.co.jp/opinion/202408/0017973956.shtml
広島に原爆が投下されてきょうで79年になる。被爆した人たちが年々鬼籍に入る中、被爆地の外でも記憶の継承が課題になっている。
そんな中、兵庫県を拠点に活動する2人に焦点を当てたい。戦争を知らない大学院生と、奇跡的に生き延びた被爆者。被害、加害の立場を超え、核兵器への共通認識を培う試みを広げる必要がある。
神戸大大学院生の西岡孔貴(こうき)さん(26)は神戸で原爆の痕跡を追い、実相を突き詰めようとしている。
・9日付「長崎原爆の日/矛盾を乗り越え核廃絶を」
https://www.kobe-np.co.jp/opinion/202408/0017986919.shtml
広島、長崎両市での平和式典は核兵器の残虐性を再認識し、恒久平和を祈念する場として定着している。各国がパレスチナ問題を巡る対立の構図を持ち込み、核廃絶を願う被爆者の思いを踏みにじることは看過できない。
広島市は6日の式典にイスラエルを招いた一方、パレスチナは招待しなかった。G7やEUの大使は参列した。両市の対応が分かれ各国を戸惑わせた側面は否めない。G7は事前に懸念を示す書簡を送っており、鈴木市長は各国の理解を得るための丁寧な説明を尽くすべきだった。
理解に苦しむのが政府の対応だ。林芳正官房長官は「(式典は)長崎市の主催であり、政府としてコメントする立場にない」と述べた。平和を願う式典への不参加の広がりは避けなければならない。政府はもっと主体的に関与すべきだ。
パレスチナ自治区ガザでは、通常兵器で子どもを含む多くの市民の命が奪われている。にもかかわらず、核兵器使用の主張も聞かれる。関係各国にこそ被爆地の生の声を届ける意義は大きいのではないか。
政府はパレスチナ、イスラエル双方との友好関係を強調するが、停戦や和平に実効性のある策を打ち出せていない。親イスラエルの欧米に忖度(そんたく)するような曖昧な姿勢が両市の対応の差を生んだとも言える。
■山陽新聞 6日付「広島原爆の日 人類の岐路 AI兵器でも」
https://www.sanyonews.jp/article/1592091
火薬、核兵器に次ぐ「第3の軍事革命」になると指摘されているのが、人工知能(AI)を使って人間の判断に基づかず敵を攻撃する自律型致死兵器システム(LAWS)だ。実用化されれば、武力行使の判断が瞬時に下り、一気に紛争化する恐れがある。
昨年末の国連総会で「対応が急務」と決議され、規制へ向けた会議が今春開かれるなど、ルールづくりが模索されている。来日したオ氏の孫は6月、核兵器の国際管理を呼びかけた祖父の声に「今こそ耳を傾けるべきだ」と記者会見で述べ、AIの軍事転用も危惧した。核軍縮の再構築とともに、AI兵器の国際管理が切に求められる。
■山陰中央新報 7日付「原爆の日 継承へ 次世代の力必要」
■愛媛新聞 6日付「原爆の日 『核なき世界』への決意を新たに」
■徳島新聞
・6日付「原爆の日『核なき世界』へ道筋示せ」
・10日付「長崎平和式典 米欧大使の欠席は残念だ」
■高知新聞
6日付「【原爆の日】核廃絶の道停滞させるな」
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/768520
ウクライナへの侵攻を続けるロシアは、戦術核兵器の使用を想定した演習を繰り返すなど、核兵器の使用をちらつかせている。
中東では、事実上の核保有国であるイスラエルがパレスチナ自治区ガザで戦闘を続ける。先日起きたイスラム組織ハマスの最高指導者の殺害を受け、イスラエルとイランの緊張も急激に高まっている。イランも核開発を拡大している。
中国は核戦力を強化し、北朝鮮も核弾頭の搭載が可能なミサイル開発を進める。米国は核爆発を伴わない臨界前核実験を実施した。
「核には核で対抗する」という核抑止論が世界中で力を持ち、核軍拡が加速している。
一方で、核軍縮の動きは進んでいない。
(中略)
日本政府は、核兵器を全面的に違法化する核兵器禁止条約も批准せず、締約国会議にオブザーバー参加していない。
核廃絶の機運をいま一度高めるとともに核保有国に対し、停滞している核軍縮の再開を強く促す。唯一の戦争被爆国として核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任する日本に求められるのは、こうした地道で具体的な取り組みではないか。
■西日本新聞
・6日付「核兵器なき世界 被爆国の決意が欠かせぬ」/海外の市民に訴える/強まる「核の傘」依存
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1243911/
「ウクライナが核を持っていないから、ロシアは攻めてきた」。こうした考えで核兵器の抑止力が正当化される現実がある。ロシアやイスラエルからは、核で攻撃対象を威嚇する発言が聞こえてくるありさまだ。
核兵器を使ってはならない。この人道的規範が軽んじられる状況を座視してはならない。
広島にG7首脳を招いた日本はこの1年、核兵器廃絶へどのような努力をしてきたのか。
・9日付「被爆者の記録 生きた証し核廃絶の力に」/ケロイドにかみそり/犠牲者に背中押され
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1245334/
きょうの平和祈念式典は、日本を除く先進7カ国(G7)と欧州連合(EU)の駐日大使が出席しないことになった。世界で絶えることのない紛争の影響だ。各国がそろって核兵器廃絶へ向かうことが困難な現実も確かにある。
それでも、私たちは被爆の記憶と記録を継ぐ営みを続けなくてはならない。世界に共感が広がり、いつの日か核兵器をなくす力になると信じている。
■大分合同新聞
・6日付「原爆の日 次世代の力合わせ継承を」
・9日付「長崎原爆式典の欧米対応 慰霊にふさわしい行動か」
■宮崎日日新聞 10日付「長崎原爆の日 米英大使らの欠席に違和感」
■佐賀新聞
・6日付「原爆の日 次世代の力合わせ継承を」
・9日付「長崎原爆式典の欧米対応 慰霊にふさわしい行動か」
■熊本日日新聞 6日付「原爆の日 核抑止論にあらがう力を」
■南日本新聞
・8日付「[広島長崎原爆忌] 「核には核」に待ったを
・10日付「[G7大使欠席] 被爆地の声聞くべきだ」
■沖縄タイムス
・6日付「きょう広島原爆の日 戦争終わらせ核軍縮を」
・9日付「長崎式典 G7大使欠席 受け入れ難い『圧力』だ」
■琉球新報
・6日付「広島原爆投下79年 核抑止論も『絶対悪』だ」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-3344604.html
世論にも懸念を抱かざるを得ない。日本世論調査会が3日までにまとめた全国郵送世論調査で、政府が基本姿勢とする非核三原則(核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」)について「堅持するべきだ」が75%と、昨年より5ポイント低下した。逆に「堅持する必要はない」が5ポイント増の24%になった。核兵器の開発、保有への抵抗感も弱まっているのだろうか。
ウクライナ侵攻を続けるロシアがNATOに対して核の威嚇を行い、核保有国とされるイスラエルが中東全域に戦火を拡大しかねない情勢にある。東アジアの緊張もあり、国民世論が揺さぶられているようだ。しかし、核兵器の開発も保有も、抑止力に頼ることも、使用の正当化につながる。「絶対悪」という意味を考えるべきである。
(中略)
日本は、被爆者の声に耳を傾け、原爆投下を戦争犯罪とし、米政府に謝罪を求めるべきである。そして破綻の危険をはらむ核抑止論を捨てて、核兵器禁止条約に参加し、外交による平和を目指して核廃絶をリードすべきである。
・9日付「長崎原爆投下79年 核廃絶実現へ役割果たせ」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-3353654.html
広島、長崎両市、被爆者が訴えるのは、各国が立場の違いを超え、核廃絶への機運を高めることだ。長崎の平和式典への参加で、中東を巡る国際的対立が露呈した形となったのは残念である。
(中略)
広島市の松井市長は平和宣言で来年の核禁条約締約国会議にオブザーバー参加し、締約国となるよう求めたが、政府は応じようとはしない。
逆に核兵器を含めた米国の戦力で日本防衛に関与する「拡大抑止」の強化に日本政府は懸命である。
日本がこのまま米国追従を貫けば、核なき世界への議論で説得力を失う。核廃絶に向け主権国家の在り方が問われている。迫られているのは政府だけではない。原爆の悲劇を知る国民として、忌日の誓いにとどめず、不断の取り組みを政府に促す必要がある。