一つ前の記事(「戦後史のアイコン『長嶋茂雄』~訃報を伝える視点と在京紙の報道の記録」)の続きです。
元プロ野球選手、元監督の長嶋茂雄さんの訃報を、東京発行の新聞各紙が大きく掲載したことを巡って、東京新聞が6月7日付朝刊に掲載した「ぎろんの森」というコラムが目にとまりました。書き出しで、6月4日付朝刊に「長嶋さんを悼む 時代照らしたミスター」の見出しの社説を掲載したことに触れて、書き出しで以下のように述べています。
本紙を発行する中日新聞社はプロ野球中日ドラゴンズのオーナー会社であり、巨人のオーナー会社である読売新聞とはライバル関係にありますが、論説室は長嶋さんの功績について議論し、社説を掲載すべきだと判断しました。
筆者が調べた限り、本紙がドラゴンズの選手や監督経験者の訃報を社説で扱ったことはありませんので、他チームの選手や監督経験者の訃報に関して社説を掲載するのは極めて異例と言えます。
4日付の東京新聞朝刊は、長嶋さんの訃報を1面トップで扱い、社説を含めて関連記事を計6ページに掲載しました。ライバル紙がオーナーであるライバル球団の元選手、監督を賞賛する社説の掲載だけではなく、報道全体が異例と感じるほど大きな扱いでした。しかも東京新聞に限ったことではなく、巨人のオーナー会社が発行する読売新聞はともかくとして、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞も東京新聞と変わりはなかったと思います。
この異例の大きな報道に対しての違和感は、少なからず社会で共有されているのではないか。東京新聞の「ぎろんの森」を全文読んでみて、そう感じます。
「ぎろんの森」は、在京各紙がそろって社説で長嶋さんの訃報を取り上げていることを紹介し、読者からも長嶋さんを悼む声が寄せられていることにも触れています。大きな報道になったことには理由がある、ということなのだと思います。
ただし、このコラム掲載の主眼はその後の部分なのだろうと感じます。この大きな報道に対して、読者から疑問、批判が寄せられていることがうかがえます。
「長嶋さんの記事ばかり」「政治とか韓国大統領選とかほかにも載せる記事があるのではないか」。東京新聞はこうした読者の指摘と誠実に向き合い、社説を含む紙面づくりに生かしたいと考えます。
長嶋さんの訃報を大きく扱うことで、ほかのニュースをおろそかにしたわけではありません。権力の監視や不正を追及する姿勢に変わりはないことを、読者の皆さんにあらためてお伝えします。
同じ4日付の紙面には、政治や韓国大統領選の記事も掲載されていました。「ほかのニュースをおろそかにしたわけではない」のは、新聞の作り手、情報を社会に送り出す側の主観としては、その通りなのだと思います。ただし、情報の受け手には必ずしも理解を得られていない。このコラムを掲載したのは、あらためて説明しなければならないほどに、異論や批判が直接、届いたのではないかと推察しています。それでも、読者に見解をていねいに説明しようとする姿勢には共感します。
あらためて思うのは、東京発行の新聞各紙が、日経新聞をのぞいてこの訃報を1面トップに据え、大量の関連記事を多くのページに渡って掲載したこと、その報道の底流にあったのは、社会の人たちが例外なく故人を慕っていた、故人が社会全体から愛されていた、との価値観だったことの意味です。
長嶋さんが現役選手として活躍したのは1960年代から70年代初め。日本は敗戦の混乱から抜け出して、高度成長経済の真っただ中でした。個人の趣味や娯楽は今ほどには多様化しておらず、その中で野球は相撲と並ぶ人気のプロスポーツでした。子どもが好きなものとして「巨人、大鵬、卵焼き」のフレーズがあったことを思い出します。
社会の関心が高く、職場や学校で共通の話題になることが当たり前だったプロ野球は、マスメディアにとっても大きな報道テーマでした。中でも巨人の人気の高さは、読売新聞系列の日本テレビが全国ネットで中継していたことが大きく寄与していたはずです。
個人的な記憶をたどれば、福岡県で過ごしていた小学生のころ、地元には福岡市に本拠を置く西鉄ライオンズがありました。周囲の同年代の少年たちはライオンズを応援していたかと言えばそうでもなく、巨人ファンが圧倒的に多数派でした。やはり、テレビ中継が巨人戦ばかりだったからなのだろうと思います(わたしが目にしていた範囲でのことです)。
巨人の試合の結果を翌朝、新聞紙面でじっくり読むというファンも少なくなかったはずです。読売新聞は人気があったはずです。「アンチ巨人」であっても、結局は巨人の動向が気になる点では、巨人ファンと変わりません。「対巨人戦は特別」「長嶋には全力で向かっていく」。セ・リーグの他球団の投手らがそんなことを口にするのを報道で見た記憶もあります。巨人やスター選手と新聞やテレビはある意味、相互に支え合うような関係だったのだろうと思います。当時、マスメディアはまさに「マス」の関心に応えようとしていたのだと思います。
長嶋さんの訃報の大きな扱いに戻ると、日経新聞をのぞく在京各紙がそろって大きく扱ったことに対して、一部とはいえ新聞社が紙面で見解を説明しなければならなくなったことは、それだけ社会の人たちの意識が多様化していることを示しているのだと受け止めています。社会に「かつてのようなマス」はもうありません。