国民投票は容認でも、安倍政権下での改正には反対が多数?~改憲めぐる世論の動向

 10月4日に開会した第200回臨時国会の冒頭、安倍晋三首相は所信表明演説で、憲法改正に意欲を見せました。演説の最後に、以下のように述べました。

 今を生きる私たちもまた、令和の新しい時代、その先の未来を見据えながら、この国の目指す形、その理想をしっかりと掲げるべき時です。
 現状に甘んずることなく、未来を見据えながら、教育、働き方、社会保障、我が国の社会システム全般を改革していく。令和の時代の新しい国創りを、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
 その道しるべは、憲法です。令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会ではないでしょうか。私たち国会議員が二百回に及ぶその歴史の上に、しっかりと議論していく。皆さん、国民への責任を果たそうではありませんか。

 ※首相官邸「第二百回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説」
  https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/1004shoshinhyomei.html

 7月の参院選では自ら憲法改正を訴えていた経緯もあり、これまでも「憲法改正の議論は行うべきだというのが国民の声だ」と主張しています。長期政権ではあるのですが、これといった業績が見当たらないようにも見える中で、首相在任中に何としても憲法改正を、という意欲はますます強まっているのでしょう。
 では「国民の声」はどうなのか。それを探る手がかかりの一つとして、最近の世論調査の結果をまとめておきます。9月の内閣改造後にメディア各社が実施した世論調査の中で、直接、憲法改正に触れた設問と回答は以下のものがありました。


■朝日新聞 9月14~15日実施
 安倍政権のもとで憲法改正をすることに、賛成ですか。
 賛成 33%
 反対 44%

■読売新聞 9月13~15日実施
 あなたは、今後、国会の憲法審査会で、憲法改正に向けた議論が活発に行われることを、期待しますか、期待しませんか。
 期待する 56%
 期待しない 34%

■日経新聞・テレビ東京 9月11~12日実施
 安倍首相が2021年9月の党総裁任期までに憲法改正の国民投票をしたいと表明していることに対して
 賛成 58%
 反対 32%

■共同通信 9月11~12日実施 ※前回は8月17~18日
 あなたは、安倍首相の下での憲法改正に賛成ですか、反対ですか。
 賛成 38.8%(前回比3.3ポイント増)
 反対 47.1%(前回比5.1ポイント減)

 朝日新聞調査と共同通信調査が、安倍首相のもとでの憲法改正への賛否を尋ねています。答えはともに、反対が賛成を上回っていますが、過半数には達していません。その一方で、日経新聞・テレビ東京の調査では、安倍首相が2021年9月の党総裁任期までに憲法改正の国民投票をしたいと表明していることに対して、58%が賛成と答えています。安倍首相のもとで国民投票を行うのはいいが、実際に憲法を改正するのは反対ということでしょうか。国会での改憲論議の行方とともに、今後の民意にも注目したいと思います。

 

日韓のメディア労組が共同宣言「事実に基づいた報道で、国境を越えて平和と人権が尊重される社会を目指そう」

 新聞労連や民放労連、出版労連など日本のメディア関連労組でつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」(略称MIC)と韓国のテレビ、新聞などメディア労働者の「全国言論労働組合」(略称NUM=National Union of Mediaworkers)が9月27日、共同宣言を発表しました。全文を紹介します。
 MICの公式サイトからもPDFファイルでダウンロードできます。
 ※http://www.union-net.or.jp/mic/

●日韓両国のメディア労働者共同宣言
―事実に基づいた報道で、国境を越えて平和と人権が尊重される社会を目指そう―

 歴史問題に端を発した日韓両国の政治対立が、さまざまな分野での交流を引き裂き、両国の距離を遠ざけている。
 歴史の事実に目を背ける者に、未来は語れない。
 過去の反省なしには、未来を論じることはできない。
 排外的な言説や偏狭なナショナリズムが幅をきかせ、市民のかけがえのない人権や、平和、友好関係が踏みにじられることがあってはならない。いまこそ、こつこつと積み上げた事実を正しく、自由に報道していくという私たちメディア労働者の本分が問われている。

 今日、日本の「マスコミ文化情報労組会議」と韓国の「全国言論労働組合」に集うメディア労働者たちは、平和と人権を守り、民主主義を支えるメディアの本来の責務をもう一度自覚して、次のように宣言する。

一、我々は今後、あらゆる報道で事実を追求するジャーナリズムの本分を守り、平和と人権が尊重される社会を目指す。

一、平和や人権が踏みにじられた過去の過ちを繰り返すことがないよう、ナショナリズムを助長する報道には加担しない。

2019年9月27日
日本マスコミ文化情報労組会議
韓國 全国言論労働組合

 

 日韓両国政府の関係は過去最悪で、日本社会の一部にも韓国を激しい表現で批判する論調があります。そういう時に、日韓のメディア労組が連帯し、「国境を越えて平和と人権が尊重される社会を目指す」と宣言したことには少なからぬ意義があると思います。

 MICとNUMには交流と連帯の歴史があります。戦後50年の1995年に両者は東京で交流の場を持ち、10年後の2005年8月には韓国・ソウルで、共同のシンポジウムを開催しました。当時、わたしもMIC議長として参加しました。
 以下はわたしが2005年当時に運営していたブログに書いた記事です。今、読み直しても、基本的な問題意識は変わっていません。

※ブログ「ニュース・ワーカー」
・「日韓言論シンポ」=2005年8月17日
 https://newsworker.exblog.jp/2515494/
・「ソウルの8月15日」=2005年8月16日
 https://newsworker.exblog.jp/2506593/
・「長崎での日韓交流」=2005年8月12日
 https://newsworker.exblog.jp/2483219/

改造で安倍内閣の支持率は上がったのか

 9月11日の安倍晋三内閣の改造後にマスメディア各社が実施した世論調査の結果が、相次ぎ報じられています。一般的に、内閣の顔ぶれが変わると清新なイメージが生まれ支持率が上がる、というのが定説のようです。しかし今回はちょっと事情が異なるようです。
 全国紙系と通信社の計6件の世論調査結果で、前回比で支持率がアップしたのは朝日新聞、毎日新聞、産経新聞・FNN、共同通信の4件。上昇幅は毎日新聞では10ポイントもあり、他の3件も5~6ポイントの上昇です。これだけなら、定説通り内閣改造による政権浮揚効果があった、と評価することも可能かもしれません。しかし、日経新聞・テレビ東京の調査では支持率、不支持率とも「横ばい」(日経の記事の表現)。読売新聞の調査では支持率は5ポイントのダウンでした。
 この違いの要因の一つは、前回の調査の時期にあるようです。支持率がアップした4件の調査で、前回調査の時期がもっとも遅かったのは共同通信の8月17、18日。朝日新聞は7月で、毎日新聞は3カ月前の6月です。これに対して、日経新聞・テレビ東京の前回調査は8月30日~9月1日、読売新聞は8月23~25日です。見かけ上のことをおおざっぱに言えば、改造直後の安倍内閣支持率は、8月中旬以前と比べれば5ポイント以上アップしているが、8月下旬以降との比較では横ばい、ないしダウンしている、ということです。
 内閣改造と支持率の関係に絞って考えれば、3カ月前と比べるよりも、改造直前と比べてどうなったかの方に、より意味があるように思えます。わずか3週間前と比べて「5ポイントダウン」(読売新聞調査)、10日前と比べて「横ばい」(日経新聞・テレビ東京調査)は、安倍政権にとっては実は少なからずショックを受ける結果なのではないでしょうか。
 ただし、横ばい、ないしダウンの要因はよく分かりません。日経・テレビ東京、読売の両調査とも、内閣改造を「評価する」が45、6%あり、「評価しない」を12~15ポイント上回っています。内閣改造それ自体が評価されていないわけではないようです。
 調査結果を分析した読売新聞のサイド記事(9月16日付朝刊2面)は「安全保障上の危機が強まると内閣支持率は上がる傾向がある」とし、前回調査の時期が、韓国が日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決定した直後で、参院選後の7月22~23日実施の前々回調査の53%から5ポイント上昇していたことを紹介しています。今回は支持率が下がったと言っても、その前に安全保障上の要因で上昇があり、7月調査と比べれば同水準。政権運営にとって不安材料にはならない、ということでしょうか。

 6件の調査結果の支持率の水準自体は48~59%と高く、また不支持率との差も17~29ポイントあり、安倍首相の強気の政権運営は続きそうです。

 以下に、6件の世論調査結果の内閣支持率を書きとめておきます。
【9月14~15日実施】
▼朝日新聞
 支持  48%(6P増)
 不支持 31%(4P減)
 ※前回は7月22~23日実施

▼毎日新聞
 支持  50%(10P増)
 不支持 28%(9P減)
 関心ない21%(±0)
 ※前回は6月15~16日実施

▼産経新聞・FNN
 支持  51.7%(5.1P増)
 不支持 31.9%(6.2P減)
 ※前回は8月3~4日実施

【9月13~15日実施】
▼読売新聞
 支持  53%(5P減)
 不支持 35%(5P増)
 ※前回は8月23~25日実施

【9月11~12日実施】
▼日経新聞・テレビ東京
 支持  59%(「横ばい」=1P増)
 不支持 33%(「横ばい」=±0)
 ※前回は8月30日~9月1日実施

▼共同通信
 支持  55.4%(5.1P増)
 不支持 25.7%(8.9P減)
 ※前回は8月17~18日実施

新聞労連が声明「『嫌韓』あおり報道はやめよう」

 新聞労連(日本新聞労働組合連合)が9月6日、声明「『嫌韓』あおり報道はやめよう」を発表しました。マスメディア関係団体からの動きとして、意義は大きいと思います。全文を紹介します。

 ※http://www.shinbunroren.or.jp/seimei/20190906.html

「嫌韓」あおり報道はやめよう

2019年9月6日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 南 彰


 他国への憎悪や差別をあおる報道をやめよう。
 国籍や民族などの属性を一括りにして、「病気」や「犯罪者」といったレッテルを貼る差別主義者に手を貸すのはもうやめよう。

 先月末、テレビの情報番組で、コメンテーターの大学教授が「路上で日本人の女性観光客を襲うなんていうのは、世界で韓国しかありませんよ」と発言した。他の出演者が注意したにもかかわらず、韓国に「反日」のレッテルを貼りながら、「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しないといかん」などと訴える姿が放映され続けた。憎悪や犯罪を助長した番組の映像はいまもなお、ネット上で拡散されている。

 今月に入っても、大手週刊誌が「怒りを抑えられない韓国人という病理」という特集を組んだ。批判を浴び、編集部が「お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります」と弁明したが、正面から非を認めることを避けている。新聞も他人事ではない。日韓対立の時流に乗ろうと、「厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らない」という扇情的な見出しがつけられたこの週刊誌の広告が掲載されるなど、記事や広告、読者投稿のあり方が問われている。

 日韓対立の背景には、過去の過ちや複雑な歴史的経緯がある。それにもかかわらず、政府は、自らの正当性を主張するための情報発信に躍起だ。政府の主張の問題点や弱点に触れようとすると、「国益を害するのか」「反日か」と牽制する政治家や役人もいる。

 でも、押し込まれないようにしよう。
「国益」や「ナショナリズム」が幅をきかせ、真実を伝える報道が封じられた末に、悲惨な結果を招いた戦前の過ちを繰り返してはならない。そして、時流に抗うどころか、商業主義でナショナリズムをあおり立てていった報道の罪を忘れてはならない。

 私たちの社会はいま、観光や労働の目的で多くの外国籍の人が訪れたり、移り住んだりする状況が加速している。また、来年にはオリンピック・パラリンピックが開催され、日本社会の成熟度や価値観に国際社会の注目が集まる。排外的な言説や偏狭なナショナリズムは、私たちの社会の可能性を確実に奪うものであり、それを食い止めることが報道機関の責任だ。

 今こそ、「嫌韓」あおり報道と決別しよう。
 報道機関の中には、時流に抗い、倫理観や責任感を持って報道しようと努力している人がいる。新聞労連はそうした仲間を全力で応援する。
以上 

 

昭和天皇の「戦後責任」~「拝謁記」 沖縄の新聞の視点

 戦後、初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が昭和天皇とのやり取りを書き記していた「拝謁記」をNHKが遺族から入手し、その内容を8月16日に放送しました。NHKは同19日に「拝謁記」のうち自局で放送済みの部分を公開。これを元に新聞各紙も19日夕刊から20日付朝刊にかけて大きく報じました。NHKも新聞各紙も総じて報道は、昭和天皇が戦争を後悔し、敗戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に反省の気持ちを表明したいと強く希望しながら、当時の吉田茂首相の反対でかなわなかったことや、戦前のような軍隊の復活は否定しつつ、憲法改正と再軍備を口にしていたことが中心でした。
 そうした中で、これは注目されるべきだろうと思ったのは、沖縄の琉球新報、沖縄タイムス両紙の視点です。琉球新報は20日付の記事で、昭和天皇が1953年当時、全国各地で反米軍基地闘争が起きる中で、基地の存在が国全体のためにいいのなら一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことを大きく報じました。沖縄タイムスも翌21日付の記事で、この部分をクローズアップしています。
 両紙とも21日付の社説でも取り上げ、「昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3度切り捨てられている。根底にあるのは全体のためには一部の犠牲はやむを得ないという思考法だ」「こうした考え方は現在の沖縄の基地問題にも通じる」(琉球新報)、「米軍の駐留について『私ハむしろ 自国の防衛でない事ニ当る米軍ニハ 矢張り感謝し酬(むく)ゆる処なけれバならぬ位ニ思ふ』(53年6月)と語ったとの記録もあり、今につながる米国とのいびつな関係性を想起させる」(沖縄タイムス)と指摘しています。琉球新報の社説が「戦後責任も検証が必要だ」と掲げているように、昭和天皇を巡っては「戦争責任」だけではなく、「戦後責任」の問題もあるはずだと問うています。
 沖縄の両紙のような視点がなければ、昭和天皇の戦後の発言は歴史のひとコマとしての位置付けしかなされず、今日的な問題とのつながりを意識できないかもしれません。以下に両紙の報道の一部を書きとめておきます。

■琉球新報
「一部の犠牲やむを得ぬ 昭和天皇、米軍基地で言及 53年宮内庁長官『拝謁記』」=2019年8月20日
 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-974423.html

 【東京】初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりを詳細に記録した「拝謁(はいえつ)記」が19日、公開された。全国各地で反米軍基地闘争が起きる中、昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことが分かった。
 専門家は、共産主義の脅威に対する防波堤として、米国による琉球諸島の軍事占領を望んだ47年の「天皇メッセージと同じ路線だ」と指摘。沖縄戦の戦争責任や沖縄の米国統治について「反省していたかは疑問だ」と述べた。
 (中略)
 昭和天皇は「基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應尤(いちおうもっとも)と思ふ理由もあらうが全体の為ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ一部の犠牲となる人ニハ全体から補償するといふ事にしなければ国として存立して行く以上やりやうない話」だとした。戦力の不保持などをうたった日本国憲法を巡っては「憲法の美しい文句ニ捕ハれて何もせずに全体が駄目ニなれば一部も駄目ニなつて了(しま)ふ」との見方も示していた。
 同年6月1日の拝謁では「平和をいふなら一葦帯水(いちいたいすい)の千島や樺太から侵略の脅威となるものを先(ま)づ去つて貰ふ運動からして貰ひたい 現実を忘れた理想論ハ困る」と述べた。旧ソ連など共産主義への警戒感を強め、米軍基地反対運動に批判的な見解を示していた。

【社説】「昭和天皇『拝謁記』 戦後責任も検証が必要だ」=2019年8月21日
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-975015.html

 沖縄を巡り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。歴史を正しく継承していく上で、これらの検証は欠かせない。
 45年2月、近衛文麿元首相が国体護持の観点から「敗戦は必至」として早期和平を進言した。昭和天皇は、もう一度戦果を挙げなければ難しい―との見方を示す。米軍に多大な損害を与えることで講和に際し少しでも立場を有利にする意向だった。
 さらに、45年7月に和平工作のため天皇の特使として近衛元首相をソ連に送ろうとした際には沖縄放棄の方針が作成された。ソ連が特使の派遣を拒み、実現を見なかった。
 そして47年9月の「天皇メッセージ」である。琉球諸島の軍事占領の継続を米国に希望し、占領は日本に主権を残したまま「25年から50年、あるいはそれ以上」貸与するという擬制(フィクション)に基づくべきだ―としている。宮内府御用掛だった故寺崎英成氏を通じてシーボルトGHQ外交局長に伝えられた。
 既に新憲法が施行され「象徴」になっていたが、戦前の意識が残っていたのだろう。
 これまで見てきたように、昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3度切り捨てられている。根底にあるのは全体のためには一部の犠牲はやむを得ないという思考法だ。
 こうした考え方は現在の沖縄の基地問題にも通じる。
 日本の独立回復を祝う52年の式典で昭和天皇が戦争への後悔と反省を表明しようとしたところ、当時の吉田茂首相が反対し「お言葉」から削除されたという。だからといって昭和天皇の責任が薄れるものではない。
 戦争の責任は軍部だけに押し付けていい話ではない。天皇がもっと早く終戦を決意し、行動を起こしていれば、沖縄戦の多大な犠牲も、広島、長崎の原爆投下も、あるいは避けられたかもしれない。

■沖縄タイムス
「『一部の犠牲 やむを得ぬ』 昭和天皇、米軍駐留巡り 1953年記録 沖縄を切り離す『天皇メッセージ』と通底」=2019年8月21日
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460393

 【東京】初代宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇との詳細なやりとりを記録した資料「拝謁(はいえつ)記」の中で、1950年代に日本国内で基地反対闘争が激化しているさなか、昭和天皇が53年11月24日の拝謁で「一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬ」との認識を示していたことが20日までに分かった。拝謁記の中で昭和天皇は国防は米軍に頼らざるを得ないとの考えを度々言及している。識者は「戦後にロシアの共産主義の脅威を恐れ、米国が琉球諸島を軍事占領することを求めた47年9月の『天皇メッセージ』を踏まえたもの」と指摘する。

【社説】「[ 昭和天皇『拝謁記』] 今に続く『捨て石』発想」=2019年8月21日
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460401

 昭和天皇との対話を詳細に記録した貴重な資料の中で目を引くのが、基地問題に触れた記述だ。
 「全体の為ニ之がいゝと分れば 一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ 一部の犠牲となる人ニハ 全体から補償するといふ事ニしなければ 国として存立して行く以上 やりやうない話」(53年11月)とある。
 53年といえば、米軍統治下にあった沖縄では、米国民政府の「土地収用令」が公布され、「銃剣とブルドーザー」による土地の強制接収が始まったころだ。
 本土でも米軍基地反対闘争が起こっていた。反基地感情が高まり、本土の米海兵隊の多くが沖縄に移転した。
 「一部の犠牲」が沖縄に負わされる形で、今も、国土面積の0・6%にすぎない沖縄県に米軍専用施設の約70%が固定化されている。
 国の安全保障を沖縄が過重に担う現在につながる源流ともいえる言葉だ。
 戦時中、沖縄は本土防衛のための「捨て石」にされた。
 47年9月、昭和天皇が米側に伝えた「天皇メッセージ」では、「アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の-25年から50年ないしそれ以上の-貸与(リース)をする」と、昭和天皇自らが、沖縄を米国に差し出した。
 今回明らかになった「一部の犠牲はやむなし」の思考はこれらに通底するものだ。
 米軍の駐留について「私ハむしろ 自国の防衛でない事ニ当る米軍ニハ 矢張り感謝し酬(むく)ゆる処なけれバならぬ位ニ思ふ」(53年6月)と語ったとの記録もあり、今につながる米国とのいびつな関係性を想起させる。


 東京発行の新聞各紙についいても、8月20日付朝刊で「拝謁記」をどう報じたか、事実関係を中心にした本記の扱いと見出しを以下に書きとめておきます。

▽朝日新聞
1面準トップ「昭和天皇 終戦後の『言葉』/戦争『反省といふ字、入れねば』/改憲『軍備の点だけ公明正大に』/記録文書見つかる」

▽毎日新聞
1面トップ「昭和天皇 戦争への悔恨/『反省といふ字どうしても入れねば』/拝謁記 表明実現せず/再軍備言及『禁句です』」

▽読売新聞
1面「再軍備、憲法改正 言及/昭和天皇の会話記録公開」

▽日経新聞
第2社会面「昭和天皇、戦争『反省』望む/宮内庁初代長官が会話記録/52年式典お言葉 首相反対で削除」

▽産経新聞
1面「昭和天皇の発言明らかに/改憲は『公明正大に』/再軍備『やむをえず』/初代宮内庁長官『拝謁記』」

▽東京新聞
1面準トップ「昭和天皇の声 克明/戦争『反省』退位言及/再軍備を主張/初代宮内庁長官 拝謁記」

事実を歴史としてどう継承するのか~敗戦から74年の課題 付記・ブロック紙、地方紙の社説から

 日本の敗戦で第2次世界大戦が終結して74年。ことしの8月15日は、重苦しい気持ちで迎えました。
 一つは日本と韓国の政府間関係の悪化です。大きな要因は、元徴用工への賠償という歴史問題です。「日韓基本条約で解決済み」という主張があるにしても、日本はかつて朝鮮半島を植民地として支配した加害の側です。主張が対立するとしても、被害側に対して加害側は抑制的に振る舞い、粘り強く解決を目指すべきだろうと思うのですが、現時点で展望は見えません。
 韓国では8月15日は、植民地支配から解放され独立を回復した日として「光復節」と呼んでいます。政府式典での演説で文在寅大統領は「日本が対話と協力の道へ向かうなら、われわれは喜んで手を結ぶ」と述べ、日本に対話を呼び掛けたと報じられています(共同通信)。安倍晋三政権はどう答えるのでしょうか。
 歴史問題は、「あいちトリエンナーレ2019」の中の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった出来事でも影を落としています。韓国の彫刻家が制作した慰安婦を象徴した「平和の少女像」に対し、河村たかし・名古屋市長が「日本国民の心を踏みにじる行為」などと抗議。大阪市の松井一郎市長は慰安婦について「軍が関与して強制連行したということはなかった。朝日新聞が謝罪している」「デマの象徴である慰安婦像を行政が主催する展示会で展示すべきではない」と、記者団の囲み取材で話しました。「デマの象徴である慰安婦像」とは、慰安婦の存在そのものを否定したものではないのかもしれませんが、乱暴な表現です。強制連行があったかなかったかを離れても、慰安婦問題が問い掛ける今日的な意味は、戦争には必ずと言っていいほど性暴力が伴うという普遍的な問題であるとわたしは理解しています。しかし、企画展に抗議が殺到し中止に追い込まれた背景には、「日本国民の心」「デマの象徴」といった感情的な言辞が社会の中で少なくない支持を得る状況があるのでしょう。歴史的事実を社会で共有することが難しくなっているように感じます。
 例えですが、足を踏んだ側はそのことを忘れてしまうが、踏まれた側は覚えている、と言われます(殴った側、殴られた側の例えでも構いません)。加害側と被害側の意識の乖離が、日本の敗戦から74年たって今、日本社会の表層に噴き出しているように思えてなりません。例年この時期は、戦争体験の継承をマスメディアもテーマにしてきました。実際にはそれでは済まず、事実が事実として受け継がれない、歴史の歪曲を危惧しなければならない事態のように思います。事実に対してどういう意見を持つかは自由かもしれませんが、事実が社会で共有されない、あるいは事実が曲げられるなら、歴史から何も学ばない、学べないことになります。過去の事実を歴史としてどう共有し、受け継いでいくのかが、わたしたちの社会の課題であるように思います。

 そんなことを考えながら15日付の新聞各紙の社説、論説のうち、ネット上で読めるものに目を通してみました。特に地方紙、ブロック紙でいくつか印象に残るものがありました。一部を引用して書きとめておきます。

▼北海道新聞「きょう終戦の日 対話こそ平和紡ぐすべだ」/報復の連鎖に危うさ/改憲の時期ではない/多様な見方を重ねて
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/334901?rct=c_editorial

 戦後70年以上が経過しても消えない歴史問題は、東アジアの安定を損ねる火種と言える。
 ただ、その対処について一つのヒントがある。
 米コロンビア大のキャロル・グラック教授(歴史学)は歴史問題での対立を、「(過去の戦争に関する)国民の物語同士の衝突」と分析する。
 戦争の歴史をどう見るかは立ち位置によって変わる。国民の物語は自国側からの視点だけで、記憶は単純化されやすいため、相通ずることはなかなか難しいという。
 対立を和らげるには、相手の記憶を尊重しつつ、自らの記憶に多様な見方を加えていくことが重要になると教授は指摘する。
 そのために必要なのは、市民や学生も含めたさまざまなレベルでの対話や交流だ。
 日韓の対立が深まる中、両国の市民が友好のメッセージを交わす動きが見られた。政治的利害を超えて、相互理解を図る試みとして注目したい。
 まずは冷静になり、話す環境をつくり、胸襟を開く。それが平和を継続的に紡いでいくことにつながるに違いない。

▼信濃毎日新聞「終戦の日に 情動の正体を見極める」/安吾の見た大空襲/抜け落ちた事実は/考えて自らつかむ
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190815/KP190814ETI090008000.php

 東京圏で活動する市民団体「history for peace(ヒストリー・フォー・ピース)」代表の福島宏希さん(37)と、メンバーの桐山愛音さん(19)に話を聞いた。
 2年前に発足したばかりの団体で、福島さんを除く5人のメンバーは10代、20代だ。少数ながら戦争体験者から話を聞き、戦跡を巡る継承活動に力を入れる。空襲に遭った民間人への補償問題の勉強会も開いてきた。
 侵略戦争を肯定するような主張に福島さんは違和感を抱き、自分で戦史をたどり、ウェブサイトで発信していた。続けるうちに、実際に体験者に会い視野を広げたいと思うようになったという。
 「世の中に出回る情報は事実がそぎ落とされている。体験者から重い現実を聞くごとに、自分の中の戦争像がはっきりするようになった」と福島さんは話す。
 時々見る戦争映画には「日本の被害を描いた作品が多い。映像にはない面、日本は他国に何をしたのか。社会全体に掘り下げる動きがない」とも。
 いま世界を覆いつつある風潮にも通じる大切な指摘だ。
 (中略)
 桐山さんは高校2年の時に広島の平和記念公園を訪ね、原爆ドームで若いガイドの話を聞いた。「過去、現在、未来…。当たり前のつながりを初めて実感した。強烈な感情が刻まれて、歴史を学ぼうと思った」と言う。
 「history」に入ると、戦争孤児となった人を取材して記録をまとめた。今月開いた戦争体験者7人の話を聞く会では、運営の中心役を担っている。
 刻まれた強烈な感情とは何かを尋ねると、桐山さんは「うまく言葉にできない」と答えた。体験者と話をする前と後で、戦争との距離感が変わったのを桐山さんは感じている。史実を調べ、考え続けることで「刻まれた感情」は輪郭を帯びてくるのだろう。

▼新潟日報「終戦の日 歴史と向き合い平和守る」/記憶を風化させない/複眼的視点を持とう/若い世代に語り継ぐ
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190815488835.html

 上越市直江津には先の大戦で捕虜となった兵士の収容所があった。オーストラリア人捕虜約300人が暮らしたが、過酷な労働や劣悪な環境下で60人が死亡した。そこで働いていた日本人職員8人は戦後、戦犯として処刑された。
 上越日豪協会は1996年、収容所跡地の平和記念公園に平和友好像を建てた市民グループが母体となって発足した。毎年8月に公園で平和の集いを主催し、ことしも10日に開催した。
 元捕虜や遺族らとの交流や、子どもたちに平和の大切さを語り継ぐ活動も行っている。
 会は2年前、設立20周年の記念誌を作成した。オーストラリア人作家が捕虜を取材し、上越市で講演した内容が掲載されている。
 講演の中で、捕虜が当時書いていた日記が紹介されている。「収容所では下痢がまん延しており、非常に重症な患者もいる。ある者はひどく殴られた。おそらく今までで一番ひどい殴られ方だ」などと生々しい描写が続く。
 前会長の近藤芳一さんによると、相手側の視点に立った話は、日本人遺族らへの配慮もあり、会員の中には記念誌に掲載することに異論もあったという。
 近藤さんは「日本、オーストラリアそれぞれの視点を共有、統合した上で歴史を語ることが大切です。内向きな姿勢ではなく、互いの立場を理解することから、信頼関係が生まれてくる」と話す。
 「自国第一」を掲げる大国のリーダーに象徴されるように、相手の言い分や立場を軽んじる排外的な考え方が日本を含め各国で広がっているように見える。
 そうした中で、上越日豪協会の取り組みは、歴史を複眼的に見る大切さを教えてくれる。つらい過去を見つめ、反省すべき点を伝えていくことを忘れてはならない。

▼京都新聞「終戦の日に 『継承』の意味を問い直す時」/遺品が語る原爆被害/耳傾ける「同伴者」に/記憶が薄らぐ危うさ
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190815_3.html

 京滋を含めた各地で、戦争体験を記録したり、語り伝えたりする活動が行われている。戦禍を直接体験した人が減っていく中で、戦争の記憶が風化してしまうことを懸念する人は少なくない。
 ただ、すでに膨大な数の証言が書籍や映像などの形で蓄積されている。こうした記録は、体験者の「伝えたい」という思いだけでは完成しなかっただろう。その体験を「聴きたい、知らなければ」と考えた聞き手がいたからこそ、後世に伝わった面もあるはずだ。
 広島の被爆者が残した体験記や絵を詳細に分析した直野章子・広島市立大教授は、被爆体験の伝承は、証言に耳を傾ける「同伴者」なくして成立しない、と語る。
 聞き手は話をじっくり聴くことであらためて被害を認識し、原爆への疑念を強める。被爆者も体験を語ることで「再び被爆者をつくらない」との信念を形成する。
 直野さんは著書「原爆体験と戦後日本」で、継承されるべき被爆体験は「被爆者と被爆者でない者との共同作業の果実」であり、その継承の意味を「被爆者が同伴者とともに築いてきた理念を次世代に引き継ぐこと」と説く。
 戦争の直接体験者がいなくなった後に何を語り継いでいくべきかについての、新たな視点といえるだろう。体験者と同伴者の共同作業で生まれた証言や記録に触れることで、私たちも新たな同伴者として記憶をつないでいく役割を担うことができるかもしれない。

▼西日本新聞「終戦の日 歴史に学び『不戦』後世へ」/高齢者も戦争知らず/終わっていない悲劇/決して筆を曲げずに
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/535270/

 インターネット上では今、歴史資料を含めて膨大な情報が流れています。ところが日本人の視野はむしろ狭くなっている、と歴史家らは指摘します。自分の関心事だけを追い、全体像をつかんだり他者の立場を考えたりする想像力は低下している。その結果、「あの戦争は正しかった」といった言説を信じ、それを否定する人を「反日」呼ばわりする-。そうした風潮が目立つからです。
 今、米国をはじめ大国の「一国主義」が世界を席巻しています。国際協調の歩みは後退して排他主義が横行、テロや核開発の動きも拡散しています。日本の外交・安全保障政策は米国追従のままでよいのか。本来の役割を見失っていないか。記憶の風化が進む今こそ歴史から謙虚に学び、平和の尊さを見据える想像力が必要です。
 報道機関がかつて国家権力に屈し、軍国主義に加担した史実も消えることはありません。その反省に立てば、報道の最大の使命は「権力を監視し、日本に二度と戦争をさせないこと」に尽きます。
 時代がどう変わろうと、筆を曲げてはならない。そのことも私たちの誓いとして肝に銘じます。

▼沖縄タイムス「[「終戦の日」に]日韓共通の利益を探れ」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/458260

 あらためて思い起こしたいことがある。8月15日は終戦の日であると同時に大日本帝国が米国などの連合国に敗れ、崩壊した日だという点だ。
 日本の敗戦は、日本の植民地支配下にあった朝鮮の人々にとっては「解放」の日と位置付けられ、日本と戦った中国では抗日戦争勝利の日とされている。
 日本の敗戦によってアジアの人々はどのような戦後を迎えることになったのか。
 敗戦の暮れ、衆院議員選挙法の改正で、かつて「帝国臣民」だった在日朝鮮人や台湾人ら旧植民地出身者と、沖縄県民の選挙権が停止された。
 サンフランシスコ講和条約発効の際、旧植民地出身者は、国籍選択権を認められないまま日本国籍を失った。
 冷戦の顕在化によって朝鮮半島は南北に分断され、沖縄は復帰までの27年間、米軍統治下に置かれた。沖縄や韓国、台湾が反共軍事拠点として冷戦の最前線に置かれたことを忘れてはならない。
 終戦の日は、先の大戦の犠牲者を追悼し平和を祈念する日であるが、戦後、アジアの人々がたどった歴史体験にも目を向けたい。
 気がかりなのは、国交正常化以降、最悪ともいわれる日韓関係である。
 (中略)
 両国で「嫌韓」「反日」の感情が沸騰する現実は異常であり、若者の交流などを通して両国の国民感情を和らげていく努力が必要だ。

 15日は政府主催の全国戦没者追悼式が開かれ、5月に即位した現天皇が「深い反省」を口にしたと報じられています。東京発行の新聞各紙夕刊(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日経新聞、東京新聞)はそろって1面トップ。主見出しは、朝日、毎日、読売、東京は「平和」ないし「不戦」、「誓い」、「令和」でそろいました。昭和の戦争の体験を、平成に次いで令和の時代でも継いでいく、という意味を込めてのことでしょう。

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 わたしは、元号の「令和」を過度に強調しない方がいいと考えています。理由の一つは、知らずのうちに「戦争」を内向きに、つまり被害の側面ばかりを意識することにならないか、と思うからです。アジア各地での日本の加害を考えるのに、日本社会の時間の区切り方は関係がありません。
 もう一つは、天皇制と抜きがたく結びついている元号を所与の前提のように扱うことは、戦争と天皇制の問題、さらに言えば天皇の戦争責任の問題を見えづらくさせるのではないか、と考えるからです。

「展示再開」も論点に~「表現の不自由展」中止 新聞各紙の社説・論説の記録 ※追記:実行委対応にも疑問提示 追記2:読売新聞「主催する側にも甘さがあった」

 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった問題に対して、いくつかの新聞が社説・論説で取り上げています。ネット上のサイトで確認できたものを記録しておきます。
 企画展の中止が発表されたのは8月3日でした。わたしが確認した限りですが、もっとも早い社説は5日付の京都新聞、沖縄タイムス、琉球新報の地方紙3紙でした。うち2紙が沖縄の新聞だったことは特筆されていいように思います。京都新聞の社説は、「表現の自由」が侵害されたことで、対になる「知る権利」も奪われたと明瞭に指摘しています。
 次いで6日付で全国紙の朝日、毎日両紙と信濃毎日新聞が掲載。いずれも展示の中止を求めた河村たかし名古屋市長らの政治介入を批判しています。その一方で表現に違いはありますが、展示内容を考えれば抗議は予想できたのに主催者側の備えは十分だったのか、との疑問も提示している点も共通しています。
 7日付では確認できた範囲で9紙が掲載しました。このうち佐賀新聞は共同通信が配信した論説を署名入りで掲載。東奥日報、茨城新聞も同内容です(ほか6紙は産経新聞、北海道新聞、山梨日日=見出しのみ確認、新潟日報、中日新聞・東京新聞、高知新聞)。
 ここにきて「実行委は中止の判断に至る経緯を検証した上で、企画展を再開する道を探ってもらいたい」(北海道新聞)、「今回の件で表現活動を萎縮させないため、再展示も含め何ができるか考えてみる必要がある」(東奥日報、茨城新聞、佐賀新聞)と展示再開に言及した社説・論説が出てきました。このブログの一つ前の記事でも触れましたが、どうやったら展示を再開できるのか、という議論は、具体的に表現の自由をどう守るのか、という意味では核心的といってもいい論点だとわたしは考えています。
 おおむね各紙とも、展示作品の内容の是非には触れていません。その中で、産経新聞は一線を画しました。「企画展の在り方には大きな問題があった。『日本国の象徴であり日本国民の統合』である天皇や日本人へのヘイト行為としかいえない展示が多くあった」「今回の展示のようなヘイト行為が『表現の自由』の範囲内に収まるとは、到底、理解しがたい」と、展示と企画展への批判を前面に出し、そもそも「表現の自由」として保護される対象ではないと言い切っているのが目を引きます。

 以下に、各紙の社説・論説の一部を引用して書きとめておきます。一定期間、ネット上の各紙のサイトで全文を読むことができるものはリンクも張りました。

【8月5日付】
▼京都新聞「少女像展示中止  悪い前例にならないか」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190805_4.html

 実際に会場に足を運んでみると、入場制限が行われるほど観客が訪れていた。少女像には賛否両論あるが、展示が多くの人の関心を集めたのは事実だ。
 それだけに、暴力を示唆する抗議で中止に追い込まれたのは極めて残念だ。悪い前例になりかねない。強く懸念する。
 (中略)
 観客やスタッフを危険にさらさない、という判断は理解できる。しかし電話をした人の中に、会場で展示を見た人がどれほどいたのだろうか。ネットを通じて不正確で断片的な情報が広がったのが、実際ではないか。
 展示を見ていない人の声で、これから見学しようという人たちの知る権利や学ぶ権利が奪われた、ともいえる。
 河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官の対応にも疑問が残る。
 河村氏は「行政の立場を超えた展示」として中止を大村知事に求めた。菅氏は補助金交付を慎重にする考えを示した。
 両氏に従えば、憲法が禁じる検閲になりかねない。そもそも、政府や行政のトップは憲法を守る立場から脅迫的な抗議に苦言を呈すべきではなかったか。
 京都アニメーション放火殺人事件を示唆するファクスなどは、極めて不謹慎な脅迫だ。警察は厳しく取り締まってほしい。

▼沖縄タイムス「[愛知芸術祭 企画展中止]脅迫こそ批判すべきだ」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/454271

 自由な表現活動を抗議や脅迫から守るのが本来の行政や政治家の責務である。
 逆に会長代行の河村たかし名古屋市長は企画展の視察後、大村知事に抗議文を出し、少女像などの展示中止を求めた。政治的圧力である。
 芸術祭は文化庁の補助事業で、菅義偉官房長官は慎重に判断する考えを示した。憲法の「検閲は、これをしてはならない」に反しかねない。菅氏はテロ予告や抗議に対してこそ強く批判すべきである。
 (中略)
 「表現の不自由展・その後」は15年に東京で開かれた小規模な展覧会「表現の不自由展」が原形である。日本の「言論と表現の自由」が脅かされているのではないか、との危機感から始まった。
 今回の企画展は、その続編の位置付けだ。中止になったことで不自由展がまた一つ重ねられ、日本における表現の自由の後退が国際社会に示されたと言わざるを得ない。
 主義主張は違っても、作品によって喚起される問題を自由闊達(かったつ)に議論すること。これこそが健全で民主的な社会だ。表現の自由を萎縮(いしゅく)させ、奪う社会は極めて危険だ。

▼琉球新報「愛知芸術祭展示中止 『表現の自由』守る努力を」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-966044.html

 指摘しなければならないのは、政治家たちの振る舞いだ。実行委会長代行でもある河村たかし名古屋市長は「行政の立場を超えた展示が行われている」として大村知事に抗議文を出し少女像などの展示中止を求めた。松井一郎大阪市長(日本維新の会代表)は、事前に展示は問題だと河村氏に伝えていた。芸術祭は文化庁の補助事業だが、菅義偉官房長官は補助金交付を慎重に判断する考えを示した。
 自由な創作や表現活動を守るべき立場にある行政の責任者らのこうした言動は理解に苦しむ。日本ペンクラブは「政治的圧力そのもので、憲法21条2項が禁じる『検閲』にもつながる」と指摘している。
 日本は戦後、言論・表現の自由が封殺され道を誤った戦前の反省に立ち民主主義の歩みを続けてきたが、その基盤は決して強固ではない。展示中止の経緯を検証し、議論を深めなければならない。

【8月6日付】
▼朝日新聞「あいち企画展 中止招いた社会の病理」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S14128795.html?iref=editorial_backnumber

 市長が独自の考えに基づいて作品の是非を判断し、圧力を加える。それは権力の乱用に他ならない。憲法が表現の自由を保障している趣旨を理解しない行いで、到底正当化できない。
 菅官房長官や柴山昌彦文部科学相も、芸術祭への助成の見直しを示唆する発言をした。共通するのは「公的施設を使い、公金を受け取るのであれば、行政の意に沿わぬ表現をするべきではない」という発想である。
 明らかな間違いだ。税金は今の政治や社会のあり方に疑問を抱いている人も納める。そうした層も含む様々なニーズをくみ取り、社会の土台を整備・運営するために使われるものだ。
 まして問題とされたのは、多数決で当否を論じることのできない表現活動である。行政には、選任した芸術監督の裁量に判断を委ね、多様性を保障することに最大限の配慮をすることが求められる。その逆をゆく市長らの言動は、萎縮を招き、社会の活力を失わせるだけだ。
 主催者側にも顧みるべき点があるだろう。予想される抗議活動への備えは十分だったか。中止に至るまでの経緯や関係者への説明に不備はなかったか。丁寧に検証して、今後への教訓とすることが欠かせない。

▼毎日新聞「『表現の不自由展』中止 許されない暴力的脅しだ」
 https://mainichi.jp/articles/20190806/ddm/005/070/088000c

 自分たちと意見を異にする言論や表現を、テロまがいの暴力で排除しようというのは許されない行為だ。こういった風潮が社会にはびこっていることに強い危機感を覚える。
 政治家の対応にも問題がある。少女像を視察した河村たかし・名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる行為」などとして、展示の中止を求めた。
 また、菅義偉官房長官は、文化庁の補助金交付の是非について検討する考えを示した。
 暴力によって中止に追い込もうとした側が、政治家の発言を受けて勢いづいた可能性がある。
 作品の経緯からして、反発の声が上がることは十分予測できた。悪化する日韓関係も原因の一つと考えられる。
 津田さんは「想定が甘かったという批判は甘んじて受ける」と語る。万が一のリスクを回避しなければならないという考え方は理解できる。
 一方で、脅せば気に入らない催しをやめさせることができるという前例になったとすれば、残した禍根は小さくない。

▼信濃毎日新聞「表現の不自由展 自粛を広げないために」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190806/KT190805ETI090004000.php

 加えて見過ごせないのは、政治の介入だ。河村たかし名古屋市長は慰安婦問題が「事実でなかった可能性がある」として展示中止を要求していた。菅義偉官房長官は文化庁の補助金交付を慎重に判断する考えを示した。
 憲法が保障する表現の自由への理解を欠いている。政治家が国民の対立をあおるような振る舞いをしたという点でも問題だ。
 (中略)
 津田氏自身「抗議の殺到で中止せざるを得なくなることも予想していた」とする。日韓関係が悪化した時期に重なった事情はあるにせよ、事前の検討は十分になされたのか。展示が憎悪の感情をあおり、結果的に政治の介入を招いたとすれば責任は重い。
 今回の一件が表現活動を萎縮させたり、展示の自粛につながったりすることは避けなくてはならない。表現の自由について議論する格好の機会でもある。中止に至るまでの経緯と問題点を検証し、公表するよう実行委に求めたい。

【8月7日付】
▼産経新聞「愛知の企画展中止 ヘイトは『表現の自由』か」
 https://www.sankei.com/column/news/190807/clm1908070002-n1.html

 暴力や脅迫が決して許されないのは当然である。
 一方で、企画展の在り方には大きな問題があった。「日本国の象徴であり日本国民の統合」である天皇や日本人へのヘイト行為としかいえない展示が多くあった。
 バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像を展示した。昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画の題は「焼かれるべき絵」で、作品解説には「戦争責任を天皇という特定の人物だけでなく、日本人一般に広げる意味合いが生まれる」とあった。
 「慰安婦像」として知られる少女像も展示され、作品説明の英文に「Sexual Slavery」(性奴隷制)とあった。史実をねじ曲げた表現である。
 (中略)
 憲法第12条は国民に「表現の自由」などの憲法上の権利を濫用してはならないとし、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と記している。今回の展示のようなヘイト行為が「表現の自由」の範囲内に収まるとは、到底、理解しがたい。大村氏は開催を反省し、謝罪すべきだろう。県や名古屋市、文化庁の公金支出は論外である。
 芸術祭の津田大介芸術監督は表現の自由を議論する場としたかったと語ったが、世間を騒がせ、対立をあおる「炎上商法」のようにしかみえない。
 左右どちらの陣営であれ、ヘイト行為は「表現の自由」に含まれず、許されない。当然の常識を弁(わきま)えるべきである。

▼北海道新聞「芸術祭展示中止 憲法違反の疑いが強い」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/332702?rct=c_editorial

 表現の自由は、憲法が最大限に保障する民主主義の根幹である。想定を超えた事態とはいえ、圧力に屈する形になったのは残念だ。
 さらに問題なのは、企画展に対する政治家の介入だ。憲法の禁じる検閲にあたる疑いが強い。
 実行委は中止の判断に至る経緯を検証した上で、企画展を再開する道を探ってもらいたい。
 (中略)
 大村氏としても、警備を強化するなど、展示続行の努力がもっとあってもよかったのではないか。
 憲法は同時に、自由権の乱用を禁じている。企画展は特定の人々を傷つける意図はなく、作品撤去の事実を示したにすぎない。乱用には当たらないと考える。
 芸術祭は文化庁の補助事業だ。菅義偉官房長官は補助金交付の是非を検討するとしたが、表現の自由の擁護に努めてほしい。
 気になるのは、芸術監督の津田大介氏が「表現の自由が後退する前例を作った責任を重く受け止めている」と述べたことだ。
 これを前例にしてはならない。芸術祭の出品作家やさまざまな文化団体から、政治家の介入や展示中止への抗議が相次いでいる。
 憲法に基づき、作品に対する自由な意見交換の場をつくるべく、環境を整えて出直すのが筋だ。

▼東奥日報「表現の自由確保に努力を/慰安婦少女像の展示中止」※共同通信
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/230067
▼茨城新聞「少女像展示中止 表現の自由が傷ついた」※共同通信

▼山梨日日新聞「[少女像の展示中止]表現の不自由 前例にするな」

▼新潟日報「表現の不自由展 中止が招く萎縮を憂える」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190807487437.html

 大村知事は5日の会見で公権力こそ表現の自由を守るべきだとし、「公権力を行使する人が内容にいい悪いと言うことは憲法が禁じる検閲ととられても仕方ない」と述べた。
 これに対し、河村市長は「最低限の規制は必要」「(少女像は)日本人の心を踏みにじるものだ」などと反論した。
 自らの信条に基づくような一方的な物言いには、表現の自由の本質を理解しているのか疑問を抱かざるを得ない。
 菅義偉官房長官も芸術祭開幕翌日の2日の記者会見で、補助金交付を慎重に判断する考えを示していた。
 旧憲法の下では政府による検閲や言論弾圧が横行し、戦争に反対できない風潮を生んだ。その反省から、現憲法には表現の自由を保障し、検閲を禁じる21条が盛り込まれた。
 自らの主張を自由に唱える一方で、他者の考えもきちんと尊重する。こうした態度こそ、私たちが享受する表現の自由の基礎となるものだ。
 芸術祭の芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介氏は会見で「表現の自由を後退させてしまった」と語ったが、これまでも表現の自由は安泰だったわけではない。
 今回の中止を、表現の自由を守るためにこれからどう生かすのか。そこを考えることが、課せられた責任だろう。

▼中日新聞・東京新聞「『不自由展』中止 社会の自由への脅迫だ」
 https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019080702000121.html

 参加した芸術家から「作品を見る機会を人々から奪う」などとして、中止を批判する声があるのはもっともだ。だが、スタッフや来場者の安全を考えた上での苦渋の決断だったろう。この上は速やかで徹底的な捜査を求めたい。
 芸術監督のジャーナリスト・津田大介さんは「表現の自由が後退する事例をつくってしまった」と悔やむ。しかしこの国の表現の自由を巡る現状や「意に沿わない意見や活動は圧殺する」という風潮を白日の下にさらしただけでも、開催の意義はあったといえよう。
 河村たかし名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる」として少女像などの撤去を要請。菅義偉官房長官も、国の補助金交付について慎重に検討する考えを示した。これは、日本ペンクラブが声明で「憲法が禁じる『検閲』にもつながる」と厳しく批判したように、明らかな政治による圧力だ。
 政治や行政のトップは多様な意見や表現を尊び、暴力的行為を戒める立場にある。美術家の活動よりもテロ予告をこそ強く非難するべきだろう。
 国の内外を問わず、政治家による排他的な発言が「お墨付き」となり、ヘイト犯罪など昨今の極端な言動の下地になっているとすれば、憂慮すべき事態だ。
 現代のアートは、単に花鳥風月をめでるものではない。世界に存在する対立や危機、圧政や苦難を見る者の反発も覚悟で広く伝え、対話や解決の糸口を生んでいる。
 それを理解せずに「美術展を政治プロパガンダの場にするな」などと非難しても筋違いだろう。芸術家や美術館の関係者は、決して萎縮してはならない。

▼高知新聞「【表現の不自由展】中止は社会のゆがみ映す」
 https://www.kochinews.co.jp/article/298982/

 行政が主体の実行委が早々に圧力に屈したことも衝撃だ。防犯面などで関係機関との連携はできなかったのか。中止という最終手段しかなかったのだろうか。
 不自由展の実施団体は、実行委から一方的に中止を通告されたと非難している。事実であれば、これも禍根を残しかねない対応だ。
 実行委の会長代行である名古屋市の河村たかし市長の対応にも疑問を呈したい。河村市長は少女像などの撤去を求める抗議文を実行委会長の大村秀章県知事に出した。
 展示が「日本人の心を踏みにじるものだ」と指摘。県市、国の資金が活用されていることから「展示すべきではない」とも述べた。
 大村知事は、市長が「内容にいい悪いと言うことは憲法が禁じる検閲ととられても仕方ない」と強く批判している。当然だ。
 河村市長は従軍慰安婦問題が「事実でなかった可能性がある」との歴史認識に立つ。個人的にどのような見解を持とうが自由だが、市長として中止を求めれば、表現への弾圧ととられても仕方があるまい。
 まして税金は政治家や行政のものではなく国民のものだ。価値観が合わない人には使わせないという発想は許されない。

▼佐賀新聞「少女像展示中止 表現の自由が傷ついた」※共同通信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/410410 

展示内容から実行委も一定の反発は想定していたが、それを超える抗議が押し寄せた。「ガソリン携行缶を持って美術館に行く」と京都アニメーション放火殺人事件を連想させる内容のファクスまであった。ただ、それ以上に想定外だったのは河村氏の抗議だろう。
 中止発表後に改めて記者会見した大村氏は河村氏が展示中止を求めたことを「表現の自由を保障した憲法21条に違反する疑いが極めて濃厚ではないか」と批判。「検閲ととられても仕方ない」とした。これに対し、河村氏は「検閲ではない」と強調。少女像展示を巡り「数十万人に強制したという韓国側の主張を認めたことになる」「事実でなかった可能性がある」などと反論している。
 河村氏はかつて「南京大虐殺」はなかったのではないかと発言、南京市と名古屋市の交流停止に発展したことがある。今回の発言も不用意というほかない。行政が展示内容に口を挟むことが、どのような影響をもたらすかということには全く考えが及ばないようだ。
 今回の件で表現活動を萎縮させないため、再展示も含め何ができるか考えてみる必要がある。

 

※追記 2019年8月8日21時15分

 8月8日付新聞にも関連の社説、論説が掲載されました。ネット上で確認できたところでは8紙です。「実行委側に事前対応をはじめ準備不足や不備があったのは否めない」(中国新聞)、「事務局の対応も検証する必要がある。一定の反発を予測し人員を確保していたというが、結果的に足りなかった」(徳島新聞)、「警察との事前打ち合わせや、展示意図を丁寧に伝える姿勢は十分だったか。実行委に検証を求めたい」(西日本新聞)などと、実行委側の対応にも疑問を投げ掛ける内容が目立ちます。

【8月8日付】
▼神戸新聞「表現の不自由展/中止をあしき前例とせず」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201908/0012588447.shtml

 脅迫は犯罪である。違法行為は厳しく罪に問う。賠償も課する。それが法治国家の姿だ。
 愛知県はきのう被害届を出したが、警察はその前に「一線を越えれば取り締まる」と強い姿勢を示すべきだった。会場警備を厳重にする責任もあった。
 実際は事務局が過激な抗議の矢面に立ち、職員らが追い詰められたという。苦渋の選択だが、脅迫に屈した形になった。
 (中略)
 河村たかし名古屋市長が少女像の撤去を求めるなど、政治家の発言も問題を複雑にした。
 内容への賛否はあるだろう。だが「気に入らない」と首長や閣僚、議員らが口を挟むようでは戦前のような検閲国家になりかねない。見る機会を保障した上で議論を深めるのが筋だ。
 河村市長の要請に対し、大村知事は「表現の自由を保障した憲法21条に違反する疑いが濃厚」と指摘した。公費で補助する場合も、行政の規制は施設管理などにとどめるべきである。

▼中国新聞「「表現の不自由展」中止 卑劣な脅し、許されない」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=560323&comment_sub_id=0&category_id=142

 一方で、実行委側に事前対応をはじめ準備不足や不備があったのは否めない。折しも日韓関係が悪化し、「嫌韓」の世論が高まるタイミングでもあった。
 表現の自由について議論が深まることを企図しながら、脅迫行為に表現の自由が屈する―という前例をつくってしまったことが悔やまれる。
 しかも国際芸術祭が舞台である。日本では、表現の自由に対し、暴力的な言葉や行為が横行していることを海外に広める結果になった。それも公権力が介入しているのだから、イメージの悪化は避けられまい。
 今回の一件で、この国の内実が浮き彫りになった。根深い分断が存在する社会であり、暴力をちらつかせて相手の考えをつぶそうとする不寛容の風潮である。
 意見を異にする相手でもその考えに耳を傾け、話し合い、互いに尊重し合う―。それが多様性を認める寛容な社会の姿だ。だからこそ表現の自由が封じられた今回の件を深く憂慮する。脅迫や暴力の支配を許さぬために、この国の現状を見つめ直し議論すべきときである。

▼山陰中央新報「少女像展示中止/表現の自由が傷ついた」
 http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1565232128235/index.html

▼徳島新聞「不自由展中止 表現の自由への攻撃だ」
 https://www.topics.or.jp/articles/-/240730

 テロ予告や脅迫は犯罪であり、断じて許してはならない。警察は発信元を特定し、厳重に対処すべきだ。
 事務局の対応も検証する必要がある。一定の反発を予測し人員を確保していたというが、結果的に足りなかった。
 芸術祭の芸術監督を担うジャーナリストの津田大介氏は「展示を拒否された作品を見てもらい、表現の自由について考えてもらう趣旨だった」と語っている。
 作品の受け止め方は人それぞれ違って当然であり、意見を交わすことで理解が深まる。そうした議論自体を許容しない「表現の不自由」の現状を可視化しようとした試みは、意義があったと言える。
 実行委は開催意図の丁寧な説明や市民の安全確保など、中止を決める前にやるべきことがあったのではないか。

▼西日本新聞「少女像展示中止 『表現の自由』は守らねば」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/533693/

 企画展の狙いは、美術館などで展示不許可となった作品の鑑賞を通じ、表現の自由を巡る議論を促すことだった。反発が予想されたが実行委は「議論を起こすことに意義がある」と開催に踏み切った。趣旨と決断は是とするが脅迫に屈した「悪(あ)しき前例」となった事実は重い。こうした事態を想定した警察との事前打ち合わせや、展示意図を丁寧に伝える姿勢は十分だったか。実行委に検証を求めたい。
 表現の自由について議論を促すための美術展が暴力的な圧力でつぶされ、政治家もそれに関わった。前代未聞の出来事を、表現の自由や公権力との関係について、深く考える契機としなければならない。

▼熊本日日新聞「『不自由展』中止 『表現の場』脅かす事態だ」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/1145132/

 企画展が中止になったことを受け、出品作家を含む約70人のアーティストが抗議声明を発表。芸術祭の目的は「個々の意見や立場の違いを尊重し、すべての人びとに開かれた議論を実現するため」とし、中止によって作品を理解、読解するための議論も閉ざされてしまう、と指摘した。
 中止を決定する前に、多様な意見を交わす場を設ける試みがあっても良かったのではないか。今回の中止決定は「表現の自由」を萎縮させ、「表現の不自由」が現実にあることを図らずも印象づけてしまった。
 異なる意見を認めず、気に入らない表現活動を暴力的圧力でやめさせるような行為がまかり通ってはならない。あしき前例としないよう経緯を検証し教訓として残す努力が関係者には求められよう。

▼宮崎日日新聞「少女像展示中止 行政が表現を萎縮させるな」
 http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_40318.html

▼南日本新聞「[少女像展示中止] 表現の自由を守らねば」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=108813

 

※追記2 2019年8月9日22時15分
◇主催側の落ち度だけを取り上げる読売新聞
 これまで他紙に比べて扱いの小ささが目立っていた読売新聞が、9日付朝刊になって社説を掲載しました。見出しの通り、主催者側に落ち度があったとして批判する内容ですが、政治介入には言及がなく、政治介入が度を超えた抗議行動や脅迫行為を助長した疑いにも触れていません。主催者側の事前の備えは論点の一つですが、それのみを取り上げて批判する論調は、他紙と比べて特異だと感じます。一部を引用して書きとめておきます。

【8月9日付】
▼読売新聞「愛知企画展中止 主催する側にも甘さがあった」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190808-OYT1T50312/

 芸術祭は県や名古屋市が運営に関与し、予算も支出している。企画展には、少女像のほか、昭和天皇の肖像を用いた作品を燃やす映像もあった。特定の政治的メッセージを感じさせる作品だった。
 芸術作品における表現の自由は最大限、尊重されなければならない。ただ、行政が展覧会の運営に関わる以上、展示する作品やその方法について一定の責任を負うことも確かだろう。
 不特定多数の鑑賞者が想定される展覧会で、政治性の強い作品を、それを批判する側の視点を示さずに、一方的に展示すれば、行政が是認している印象を与えかねない。作品を不快に感じる人たちの反発をあおる可能性もある。
 (中略)
 大村氏は「とんがった芸術祭に」と要望し、芸術監督を務める津田大介氏に企画を委ねた。展示作品が物議を醸すことが予想されたのに、反発を感じる人への配慮や作品の見せ方の工夫について、検討が尽くされたとは言い難い。
 河村たかし名古屋市長は開幕後に少女像の展示などを批判したが、自らも実行委員会会長代行の立場にあったのではないか。
 主催者側の想定の甘さと不十分な準備が、結果的に、脅迫を受けて展覧会を中止する前例を作ったとも言える。その事実は重く受け止めなければならない。

 

「表現の不自由展・その後」中止、情報量に開き~続・在京紙の報道の記録

 一つ前の記事の続きです。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった問題です。
 トリエンナーレの実行委員会会長である大村秀章・愛知県知事は8月5日の記者会見で、あらためて「表現の不自由展・その後」の中止について説明しました。報道によると、大村知事は、慰安婦を象徴した「平和の少女像」について「日本人の心をふみにじる」として展示中止を求めた河村たかし・名古屋市長を、「表現の自由を保障した憲法21条に違反する疑いが極めて濃厚ではないか」と批判したとのことです。これに対し河村市長は5日の会見で「最低限の規制は必要」などと反論したと報じられています。
 愛知県知事と名古屋市長という地域の自治を代表する首長2人の見解が真っ向から食い違う、それも「表現の自由」を巡ってです。双方の主張に対して、社会にはさまざまな意見や考え方があるはずですし、仮に大村知事の説明を是としても、では本当に企画展の中止しか選択肢はなかったのか、という点についても、さまざまに意見、考え方があるはずです。
 「表現の不自由展・その後」の出展作品は会場から撤去されたわけではなく、展示スペースを封鎖した状態のようです。そうならば、展示を再開するという選択肢もあるはずで、どうやったら再開できるのか、という議論もあるでしょう。この点は、具体的に表現の自由をどう守るのか、という意味では核心的といってもいい論点だと思うのですが、マスメディアの報道でも決して焦点にはなっていません。
 表現行為は、その表現を享受することが可能であってこそ意味があるわけで、「表現の自由」は「知る権利」と対をなします。企画展の中止は「表現の自由」の侵害であり、同時に「知る権利」の侵害でもあって、表現者だけの問題にとどまりません。
 総じて言えば、この「表現の不自由展・その後」の中止は、いまだ終わっておらず現在進行の問題であるはずです。

 以上のような観点から、東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙)が8月6日付朝刊で、この問題の続報をどのように扱ったかの記録として、関連記事の見出しを書きとめておきます。前日の5日付と同じく、新聞によって扱いは分かれました。朝日、毎日、日経、東京が複数の記事を展開しているのに対し、読売、産経は知事や市長の会見を中心にした記事のみ。前日の紙面と合わせて見れば、朝日と読売では情報量にはかなりの差があります。

【朝日新聞】
▽24面(文化文芸)
・「抗議殺到で中止 悪しき前例/芸術祭 異なる背景知る機会/『表現の不自由展』」
▽社会面(27面)
・トップ「憲法21条違反か 応酬/表現の不自由展 政治家中止要請/大村知事と河村市長」
・「『政府万歳しか出せなくなる』/永田町からも危惧する声」
▽第2社会面(26面)
・「展示中止 どう考える/『嫌いでも尊重』が表現の自由/意見伝え 作者の意図も聞く」
・「韓国報道官『遺憾』」/「日本美術会が声明」
▽社説「あいち企画展 中止招いた社会の病理」

【毎日新聞】
▽3面
・クローズアップ「表現の自由 萎縮も/愛知芸術祭『少女像』展示中止/知事と名古屋市長 非難の応酬」/「問題提起こそ現代美術」/「撤去作品厚集め」異論の契機に
▽社説「『表現の不自由展』中止 許されない暴力的脅しだ」

【読売新聞】
▽第3社会面(27面)
・「『少女像』問題で愛知知事が反論 名古屋市長に」※見出し1段

【日経新聞】
▽第2社会面(36面)
・「表現の自由巡り波紋/愛知の芸術祭 少女像の展示中止/知事・名古屋市長が応酬」
・識者の見方「不寛容さ考える契機に」福田充・日本大教授(危機管理学)/「政治家発言は職権乱用」毛利嘉孝・東京芸術大教授(社会学)

【産経新聞】
▽第3社会面(20面)
・「愛知知事『憲法違反』/展示中止要請 河村市長『規制は必要』」※見出し2段

【東京新聞】
▽特報面(22、23面)
・「『表現の不自由展』中止の衝撃/脅迫に屈する『悪しき前例』/市長や政権 攻撃あおる/芸術監督・津田大介氏『文化に対する暴力テロ事件』」/「抗議殺到『リスク想定甘かった』/気に入らねば撤去 正当化/政治家 露骨な介入で脅し/実行委員『再開の道探れ』/『一線越えた』識者危機感」
▽社会面(25面)
・「不自由展中止 映画監督ら抗議/検閲につながりかねない」/「補助金発言の影響 菅長官『全くない』」

 6日付の各紙の記事の中で目を引いたのは、東京新聞の特報面です。抗議や脅迫が愛知県に相次ぐに至った経緯を整理して明らかにしています。一部を引用します。

 いったいこの中止事件、どんな顛末だったのか。
 まず七月三十一日、作家の百田尚樹氏らが、ツイッターで「なんで芸術祭に慰安婦少女像が? あ、芸術監督が津田大介氏か…。こいつ、ほんまに売国運動に必死やな」(百田氏)などと攻撃を開始。翌八月一日には、松井一郎大阪市長が、一般人のツイートに反応する形で、「にわかに信じがたい!河村市長に確かめてみよう」とツイートした。松井氏と河村たかし名古屋市長は政治的に近い。
 その河村氏は二日、「表現の不自由展」を視察した後、「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ。税金を使っているから、あたかも日本国全体がこれを認めたようにみえる」と述べ、大村秀章愛知県知事に即時中止を公文書で要請。菅義偉官房長官もこの日、「補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と述べた。
 こうした首長や政権幹部からの「問題視」に反応したのか、一日の開幕以降、県には抗議の電話やメールが殺到。電話は二日間で約四百件も。二日朝には「ガソリン携行缶を持って行く」などと、京都アニメーション放火事件を思わせる匿名のファクスも届いた。結果、三日夕になって大村知事は緊急記者会見し、「テロ予告、脅迫ととれる電話、メールが相次ぎ安全に運営されることが危惧される」などとして、同日限りでの中止を発表した。

 会場で実際に作品を見た人たちから抗議が相次ぐ、といった状況にはなかったことも合わせて考えれば、殺到した抗議や脅迫は、実際には作品を見ていない人たちが中心だったのではないかと感じます。

扱いが分かれた「表現の不自由展・その後」の中止~在京紙の報道の記録 付記・MIC声明「『表現の不自由展』が続けられる社会を取り戻そう」

 名古屋市など愛知県で8月1日に始まった芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の中の企画展「表現の不自由展・その後」の中止が3日、発表されました。この企画展には韓国の彫刻家が制作した慰安婦を象徴した「平和の少女像」が出展されており、2日に視察した河村たかし・名古屋市長が「日本国民の心を踏みにじる行為」などとして、展示の中止を求める抗議文を、トリエンナーレの実行委員会会長である大村秀章・愛知県知事に提出していました。
 大村知事は3日、記者会見し、中止の理由について「テロや脅迫とも取れる抗議があり、安全な運営が危ぶまれる状況だ」(共同通信の記事より)と説明し、津田大介・芸術監督も会見で「想定を超えた抗議があった。表現の自由を後退させてしまった」(同)と述べたと報じられています。これに対し「表現の不自由展・その後」の実行委員会は、中止の決定が一方的だったなどとして、反対と抗議の声明を発表しました。「少女像」の制作者キム・ウンソンさんは「日本が自ら『表現の不自由』を宣言したようなものだ」と話したと、韓国の聯合通信が伝えています。一方の河村市長は3日、記者団の取材に「やめれば済む問題ではない」と述べ、展示を決めた関係者に謝罪を求めたとのことです。
 ※47news=共同通信
 「日本が表現の不自由宣言 韓国の少女像制作者が反発」
  https://this.kiji.is/530378431171593313?c
 「名古屋市長、関係者に謝罪要求 少女像展示で」
  https://this.kiji.is/530378433990181985?c

 「あいちトリエンナーレ2019」の公式サイトには、「表現の不自由展・その後」の紹介(「作品解説」「作家解説」)が掲載されています。記録の意味も兼ねて、スクリーンショットの画像をここに保存しておきます。
 https://aichitriennale.jp/artwork/A23.html

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 この企画展の中止は、わたしたちの社会の「表現の自由」がどういう状況にあるのかを問い掛ける大きな出来事です。いくつかの質が異なる問題をはらんでおり、それぞれをていねいに見た上で、全体を見渡すことが必要ではないかと感じています。したがって、まず何が起きたのかが広く知られることが必要です。マスメディアがこの出来事をどう報じたか、その報じ方の意味は小さくありませんし、「表現の自由」はマスメディアにとっても他人事ではないのです。
 そうした観点から、東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙)が8月4日付朝刊でどう報じたか、扱いと記事の見出しを書きとめておきます。
 扱いは各紙それぞれに分かれました。1面トップで扱ったのは朝日新聞で、総合面、社会面にも記事を展開し、情報量も他紙と比べてそれだけ豊富です。ほかに1面に入れたのは東京新聞で、残りの4紙は社会面でした。毎日新聞は社会面トップ、識者談話も掲載しています。日経新聞、産経新聞は社会面準トップ。読売新聞は第2社会面でした。朝日新聞と読売新聞では、ニュースバリューの判断も情報量も相当の開きがあります。なお、各紙とも愛知県など東海地方では、東京とは違った紙面づくりになっている可能性があります。

【朝日新聞】
▽1面
・トップ「表現の不自由展 中止/テロ予告・脅迫相次ぐ/津田芸術監督『断腸の思い』」
・視点「許されない脅迫 考える場奪った」
▽2面
・時時刻刻「抗議・脅迫エスカレート/回線パンク『ガソリン缶餅お邪魔』ファクス/職員増強でも『もう無理』」/「『公金投入』理由に政治家が批判」
・「政治家の中止要求、検閲的行為」上智大学元教授の田島泰彦氏(メディア法)/「混乱を理由 反対派の思うつぼ」早稲田大学名誉教授の戸波江二氏(憲法学)
・会見やりとり「大村氏 卑劣で非人道的なメール・電話/津田氏 河村・菅氏発言、関係ない」
▽社会面(31面)
・準トップ「少女像に怒声・『終了』に落胆/表現の不自由展 多くは静かに鑑賞」
・「出展者『闘い続ける』」
・「『自由の気風萎縮させる』ペンクラブ声明」
・「#トリエンナーレを支持 継続望む声も」

【毎日新聞】
▽社会面(27面)
・トップ「少女像の展示中止/知事『脅迫受け安全考慮』/津田監督『表現の自由後退 自分の責任』/愛知芸術祭 わずか3日」/「企画実施団体が法的措置を検討」
・「日韓関係悪化 抗議想定超え」
・「事前の対策、必要だった」河本志朗・日本大教授(危機管理学)/「政治家の口出しに違和感」五十嵐太郎・東北大大学院教授(13年のあいちトリエンナーレ芸術監督)/「芸術の意義失う」ペンクラブ

【読売新聞】
▽第2社会面(34面)
・「『少女像』企画展 中止/愛知知事 脅迫受け『運営難しく』」
・「『自由が萎縮』ペンクラブ声明」

【日経新聞】
▽社会面(31面)
・準トップ「少女像の展示中止/慰安婦象徴『脅迫めいた抗議』/愛知の芸術祭」
・「展示続けるべき ペンクラブ声明」

【産経新聞】
▽社会面(25面)
・準トップ「慰安婦像展示を中止/抗議1400件『安全に支障』/愛知の芸術祭/企画『表現の不自由展』も」/「『中止決定一方的』実行委が抗議声明」
・「『やめて済む問題でない』名古屋市長 展示関係者に謝罪要求」
・「来場者『不快だった』『趣旨は賛同』」

【東京新聞】
▽1面
・「少女像展示の企画展 中止/津田氏『表現の自由後退』/愛知知事『安全のため』」※共同通信配信記事
・「政治的圧力 検閲につながる ペンクラブ声明」
▽社会面(27面)
・「『考える機会』脅かされた/展示中止 来場者『残念』『偏りも』」
・「『戦後最大の検閲』実行委が抗議声明」
・「『不寛容の表れ』『政治家の発言 危惧』識者の声」
・「少女像の制作者『不自由を宣言』」※ソウル共同

f:id:news-worker:20190804222258j:plain

 この「表現の不自由展・その後」の中止にわたしが感じることを少し書きとめておきます。
 一つは、中止とせざるを得ない緊急性、危険の切迫性です。その説明が十分ではないように思えます。例えば会場の警備についてトリエンナーレの実行委員会側は警察(愛知県警)とどういう折衝をしたのか。警察は、脅迫まがいの抗議に対する捜査などについてどういう姿勢なのか。仮に警察が警備や捜査に消極的だったとしたら、それはどうしてなのか。何か忖度のような力学が働いている可能性はないのか。マスメディアは警察のスタンスについても、突っ込んで取材し、報じていいと思います。
 もう一つは河村・名古屋市長の発言です。トリエンナーレの実行委員会会長代行とのことで、そうした立場で、警備上などの理由ではなく展示の内容を理由に中止を求める行為には、やはり大きな違和感があります。意図的なのかどうか、出展者側の出展意図と、展示中止を求める理由とはまったくかみ合っていません。何よりも違和感があるのは「日本国民」との用語を持ち出していることです。自治体の首長は自治体の行政に責任を持ちます。名古屋市にも日本国籍の市民ばかりでなく、永住外国人、在日コリアンの人たちも住んでいるはずですし、納税者であるはずです。市長が代表すべき人々とは、そうした人たちも含めてのことではないのでしょうか。

 「少女像」「慰安婦」は今回の出来事を象徴するキーワードです。折しも8月。74年前のこの季節に、アジア各地でおびただしい犠牲を出した末に日本の敗戦で第2次世界大戦が終わりました。「慰安婦」は、当時の「戦争をする国・日本」と分かちがたく結び付いています。8月2日には、日本政府が韓国を輸出優遇措置の対象国から除外することを閣議決定したニュースもありました。この外交面での日本と韓国の関係悪化も、もとをただせば日本の朝鮮半島の植民地支配の問題に行き着きます。「表現の自由」は「戦争と平和」の問題とも結びついており、企画展の中止や日韓の関係悪化は、わたしたちの社会が敗戦から74年たって大きな課題に直面していることを示しているようにも感じます。それは、歴史の教訓を社会でどう共有し継承していくのか、です。
 新聞など日本のマスメディアは時に「8月ジャーナリズム」と揶揄されながらも、この時期は戦争と平和を考える取り組みを続けてきました。ことしは、これらの現在進行のテーマにも果敢に取り組むべきだろうと思います。

 

 「表現の不自由展・その後」の中止に対して、日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)が4日、声明を発表しました。全文を載せておきます。 

「表現の不自由展」が続けられる社会を取り戻そう

2019年8月4日
日本マスコミ文化情報労組会議

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」がわずか3日間で展示中止に追い込まれました。展示中の慰安婦を表現した少女像などをめぐり、河村たかし・名古屋市長が展示中止を求める抗議文を大村秀章・愛知県知事(芸術祭実行委員会会長)に提出。日本政府も補助金交付決定にあたり内容を精査する考えを示すなか、主催者の事務局にテロ予告や脅迫・抗議の電話・メールなどが殺到した末の判断でした。
 行政が展覧会の内容に口を出し、意に沿わない表現を排除することになれば、事実上の「検閲」にあたります。メディア・文化・情報関連の労働組合で組織する私たちは、民主主義社会を支える「表現の自由」や「知る権利」を脅かす名古屋市長らの言動に抗議し、撤回を求めます。
 中止に追い込まれた企画展は、日本社会で近年、各地で表現の場を奪われた作品を集め、なぜそのようなことが起きたのかを一緒に考える展示でした。河村市長は、国際芸術祭の開催に税金が使われていることを理由に、「あたかも日本国全体がこれ(少女像)を認めたように見える」と述べていますが、行政は本来、「表現の自由」の多様性を担保する立場です。公権力が個々の表現内容の評価に踏み込んでいけば、社会から「表現の自由」や「言論の自由」は失われてしまいます。
 国際芸術祭の津田大介監督は開会前、「感情を揺さぶるのが芸術なのに、『誰かの感情を害する』という理由で、自由な表現が制限されるケースが増えている。政治的な主張をする企画展ではない。実物を見て、それぞれが判断する場を提供したい」と狙いを語っていました。日本社会の「表現の自由」の指標となる企画展が潰された事態を、私たちは非常に憂慮しています。また、民主主義社会をむしばむ卑劣なテロ予告や脅迫を非難しない政治家たちの姿勢も問題です。
 実物を見て、一人一人が主体的に判断できる環境をつくるのが筋だと考えます。
 私たちは企画展のメンバーや将来を担う表現者たちと連帯し、多様な表現・意見に寛容で、「表現の不自由展」を続けられる社会を取り戻すことを目指します。

 日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
(新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)

安倍首相演説にヤジの市民排除 警察に忖度はなかったか~新聞各紙の社説

 7月21日に投開票が行われた参院選では、札幌市で安倍晋三首相の街頭演説中に「安倍辞めろ」などと大きな声を上げた市民が警察官に強制的にその場から排除されたり、年金問題への疑問を書いたプラカードを掲げようとした市民がやはり警察官に阻止されたりした出来事がありました。以前の記事で書いたとおり、この参院選を通じてもっとも気になったことです。投票日前に北海道新聞、毎日新聞が社説で取り上げ、投票日を過ぎた後も、いくつかの地方紙がやはり社説で、警察の姿勢に「政権への忖度がなかったか」との趣旨の疑問を投げ掛けています。表現の自由を巡る重要な論点であり、私たちの社会が今、どういう状況にあるのかを考える上でも看過できない出来事だと思いますので、目に止まった社説からそれぞれ一部を引用して書きとめておきます。ネット上のサイトで読めるものはリンクを張っておきます(25日現在)。

▼北海道新聞:7月19日付「道警のヤジ排除 選挙ゆがめる過剰警備」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/326583?rct=c_editorial

 テレビなどの政見放送と違い、街頭演説は聴衆の生の反応を受けながら行われる。その中には支持だけでなく、批判の声があるのは当たり前だ。
 安倍首相は一昨年の東京都議選で、街頭のヤジに「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と反論した。そんなやりとりも有権者が投票する上で判断材料となる。
 自由な言論空間は最大限に確保されるべきであり、警察がむやみに介入するのは不適切である。
 道警は公選法違反の有無や、プラカード掲示制止の理由について調査中としている。市民が抱く疑念の重大性を認識し、早期に説明責任を果たしてほしい。
 警察の政治的中立の欠如は民主主義の根幹に関わる。真相究明は首相はじめ政治の責任でもある。

▼毎日新聞:7月20日付「北海道警のヤジ排除 政治的中立性が疑われる」
 https://mainichi.jp/articles/20190720/ddm/005/070/044000c

 2年前の東京都議選の最終日、東京・秋葉原での安倍首相の応援演説が思い出される。自身を批判する聴衆に対し、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と述べた。
 首相は批判に耳を傾けない、との指摘もある。首相は選挙運動を秋葉原の街頭演説で締めくくるのが恒例になっているが、規制線を張って批判する人を首相から遠ざけることが常態化している。
 仮に今回、北海道警が政権へのそんたくを理由に聴衆を排除したとすれば、警察の政治的中立性に疑問符がつくことになる。
 公共空間における警察の警備の重要性は言うまでもない。政治活動の現場でもそれは同じだ。ただし、警察が強権的に立ち回れば、参加する人たちが萎縮してしまう。警察はそうした事態を避けるよう抑制的な対応を心がけるべきだ。

▼神戸新聞:7月23日付「ヤジの強制排除/警察の姿勢に懸念が残る」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201907/0012539920.shtml

 街頭演説では聴衆から賛否の声が上がる。それがエスカレートすれば、公職選挙法の「選挙の自由妨害」として取り締まり対象となる。
 ただし判例では、大音声のスピーカーで演説を邪魔するなど悪質な場合に限られる。
 札幌市では、首相の周囲に大勢の支持者が詰めかけていた。応援の横断幕やプラカードが並ぶ中で何人かが肉声で抗議の声を上げたが、警察が介入するほどの異常な状況だったのか。
 むしろヤジなどへの行き過ぎた規制は憲法が保障する「表現の自由」を侵害しかねない。政治運動に関する対応は本来、できる限り抑制的であるべきだ。
 (中略)
 警察が忖度(そんたく)したと受け止める国民もいるだろう。この際、法を故意に逸脱すれば職権の乱用に当たるとの戒めを、組織全体で徹底してもらいたい。

▼京都新聞:7月24日付「首相演説とヤジ  警察の介入はおかしい」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190724_3.html

 気になるのは、警察が、異論に正面から向き合おうとしない傾向がある安倍政権に忖度(そんたく)したように見えることだ。
 選挙戦最終日に安倍氏が最後の演説をした東京・秋葉原では、警察が公道を鉄柵で囲い、動員された支持者以外を遠ざけた。
 安倍氏は2017年の東京都議選の応援演説で受けた「辞めろ」コールに、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」といきり立ち、批判を浴びた。その影響もあってだろう、今回の参院選で首相の街頭演説予定は、直前まで公表されなかった。
 警察が時の政権の意向を先取りして強権的に振る舞えば、逆に信用を失い、犯罪捜査などに支障が出かねない。法執行機関として、政治的中立が疑われる行為は、厳に慎んでもらいたい。

▼琉球新報:7月25日付「首相演説でやじ排除 警察は公平中正堅持せよ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-959799.html 

公権力が、政権を批判する国民の口を封じ、目をふさぐ。独裁国家で起きているような光景ではないか。
 そもそも、どのような法的根拠に基づいて聴衆を排除したのか。道警は「トラブルや犯罪予防」とコメントするだけで、詳しい説明を避けている。不可解極まりない。根拠もなく権力を行使できるのなら、警察は何をやっても許されることになる。
 (中略)
 背景に「首相に不快な思いをさせるわけにはいかない」「官邸サイドの不興を買いたくない」といった思惑があったのではないか。政権への忖度(そんたく)が強く疑われる。
 今回のケースが不問に付されるのなら、全国で同様の事例が横行し、人権が脅かされる恐れがある。再発防止を強く求めたい。
 警察の権力は絶大である。治安維持の名の下に言論を弾圧した過去の反省を踏まえ、現在の警察組織は成り立っている。職権の乱用は絶対にあってはならない。