新聞労連が声明「オープンな首相記者会見を求める」

 新聞労連が12月2日、声明「オープンな首相記者会見を求める」を発表しました。このブログの一つ前の記事で紹介した、「桜を見る会」を巡る安倍晋三首相の説明への民意の不信感にもつながってくる内容です。全文を引用して書きとめておきます。

 オープンな首相記者会見を求める

 国の税金を使って、首相が主催する「桜を見る会」をめぐる疑惑が深刻化している。

 政権幹部らの後援者を大量に招待して「私物化しているのではないか」という問題に加え、マルチ商法で知られる「ジャパンライフ」の元会長が招待されたり、反社会的勢力の関係者が参加したりしていた疑惑まで浮上している。

 政府は、公文書である招待者名簿を廃棄したことを盾に説明を拒んでいるが、税金の使われ方は、民主主義の根幹にかかわる。政府は、国民から預かった税金を公正に使用していることを説明する責任を負っており、今の政府の姿勢はその責任を放棄していることにほかならない。政府は、電子データの復元などあらゆる手段を講じて、国民・市民の疑問に答えるべきである。

 とりわけ、主催者であり、多くの招待客を招いている首相の説明責任は重い。

 安倍首相は11月15日に記者団のぶら下がり取材に応じ、「桜を見る会」前夜に行われた後援会の懇親会費について、政治資金収支報告書に記載のないことは「政治資金規正法上の違反には当たらない」と主張した。しかし、明細書などの合理的な裏付けは示されず、その後、記者団が投げかけている追加の質問にもほぼ応じていない。

 また、15日に官邸で行われたぶら下がり取材は、開始のわずか約10分前に官邸記者クラブに通知されたものだった。今回の問題を取材している社会部記者や、ネットメディア、フリーランスなどの記者の多くは参加することが困難で、公正さを欠く取材設定だった。

 新聞労連は2010年3月に「記者会見の全面開放宣言」を出している。そのなかで示した「質問をする機会はすべての取材者に与えられるべきだ」との原則に基づく記者会見を開き、説明責任を果たすことを求める。記者クラブが主催する記者会見の進行を官邸側が取り仕切ることによる問題が近年相次いでいる。公権力側が特定の取材者にだけ質問を認めたり、一方的に会見を打ち切ったりするなどの、恣意的な運用のない状態で、オープンな首相の記者会見を行うべきである。

 また、多岐にわたる疑惑を確認するには、十分な質疑時間の確保も必要だ。報道機関の対応にも厳しい視線が注がれており、報道各社は結束して、オープンで十分な時間を確保した首相記者会見の実現に全力を尽くすべきだ。

 2011年に民主党政権の菅直人内閣が平日に官邸で行われていたぶら下がり取材を中止して以降、首相に対する日常的な記者の質問の機会がなくなった。記者会見の回数も減少している。官邸の権限が増大する一方で、説明の場が失われたままという現状は、民主主義の健全な発展を阻害する。国民・市民の疑問への十分な説明を尽くすと共に、今回の事態を契機に、首相に対する日常的な質問機会を復活するよう求める。

2019年12月2日 
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 南  彰 

 ※新聞労連トップ http://shimbunroren.or.jp/

「桜を見る会」安倍首相の説明 「納得できない」「信頼できない」が圧倒~11月の世論調査から

 11月にマスメディア各社が実施した世論調査では、安倍晋三内閣の支持率の下落が目につきました。特に、首相主催の「桜を見る会」に首相の地元支援者が多く招待されていたことが国会でも追及されるようになった11月中旬以降の調査では、読売新聞、産経新聞・FNN、日経新聞・テレビ東京、共同通信の各調査で前月比5~7ポイントの減少。朝日新聞調査では支持率は横ばいでしたが、不支持は4ポイント増えました。
 「桜を見る会」を巡る個別の質問と回答を見ると、この問題を巡る安倍首相の説明に納得できるか、首相の発言を信頼できるかを、朝日新聞、日経新聞・テレビ東京、共同通信が質問しています。回答状況は、「納得できない」「信頼できない」がそろって7割近くに達しました。
 この「桜を見る会」の問題にわたしが思うのは、安倍政権が、都合が悪いことはなかったことにしてしまおうとしているのではないか、ということです。その一例が、招待者のリストは、会が終われば即座に廃棄することになっており、誰が出席していたかは今となっては分からない、との説明を繰り返している点です。「資料を廃棄したので分からない」との言い訳は、森友学園の国有地払い下げ問題でもありました。既視感があります。世論調査で安倍首相の説明が納得できない、信頼できないとの回答が、納得できる・信頼できるとの回答を圧倒しているのも、そうしたことの反映でしょう。
 自らの支持者を招待することは、民主党政権の時にも行われていた、との指摘もあります。そうだとしても、この「桜を見る会」の問題を過小評価すべきではないと思うのは、もっぱら、安倍首相や政権の側の説明の信頼性に疑問があるからです。この問題の報道を巡るマスメディアの課題もおのずと明らかだと言うべきでしょう。

 以下に、各調査結果のうち内閣支持率と、「桜を見る会」の関連の質問と回答状況を書きとめておきます。

▼内閣支持率

・共同通信 23~24日
  支持48.7%(5.4P減) 不支持38.1%(3.6P増)
・日経新聞・テレビ東京 22~24日
  支持 50%(7P減) 不支持 40%(4P増)
・朝日新聞 16~17日
  支持 44%(1P減) 不支持 36%(4P増)
・産経新聞・FNN 16~17日
  支持 45.1%(6.0P減) 不支持 37.7%(4.7P増)
・読売新聞 15~17日
  支持 49%(6P減) 不支持 36%(2P増)
・NHK 8~10日
  支持 47%(1P減) 不支持 35%(2P増)

▼「桜を見る会」

・共同通信
 安倍首相は「桜を見る会」の人選について、以前は関わりを否定していましたが、後日「意見を言うこともあった」と発言を修正しました。あなたは「桜を見る会」を巡る安倍首相の発言を信頼できますか、できませんか。
 信頼できる 21.4%
 信頼できない 69.4%

 政府は「桜を見る会」について来年は中止することを決め、予算や人数の見直しをする予定です。あなたは「桜を見る会」を将来的に続けた方がよいと思いますか、廃止した方がよいと思いますか。
 続けた方がよい 26.9%
 廃止した方がよい 64.7%

・日経新聞・テレビ東京
 (首相の支援者が多く招待されたことなどに関する安倍晋三首相の説明に)※質問文不明
 納得できない 69%
 納得できる 18%

・朝日新聞
 毎年春に首相が開く「桜を見る会」は国の税金が使われており、著名人のほかに安倍首相の地元の支援者も多く招待されていました。安倍さんの支援者が多く招待されていたことは、大きな問題だと思いますか。
 大きな問題だ 55%
 それほどでもない 39%

 「桜を見る会」について、安倍首相は「私は、招待者のとりまとめなどには関与していない」と説明しています。首相の説明に納得できますか。
 納得できる 23%
 納得できない 68%

・産経新聞・FNN
 首相主催の「桜を見る会」について
 来年度の桜を見る会の開催中止を決めた政府の判断を評価するか
 評価する 58.3%
 評価しない 32.2%

 招待の基準やプロセスなどを明確化した上で、再び開催してもよいと思うか
 開催してもよい 59.4%
 廃止すべきだ 33.8%

・読売新聞
 安倍首相が主催する「桜を見る会」に、首相の後援会関係者が多く招待されていたとの批判を受け、政府は来年度の会の中止を決めました。この問題を巡る政府の対応は、適切だったと思いますか、適切ではなかったと思いますか。
 適切だった 51%
 適切ではなかった 35%

 

「秋晴れ」「笑顔」「祝福」の祝賀パレード~平穏に進む代替わり

 令和の新天皇の即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」が11月10日、東京都心で行われました。沿道には11万9千人が集まり、警戒に当たった警察官は約2万6千人に上ったと報じられています。10日は新聞休刊日のため、東京発行各紙の11日付の朝刊はなく、このニュースの掲載は11日の夕刊になりました。各紙とも、1面で大きく扱っています。見出しには「秋晴れ」「笑顔」「祝福」といった言葉が目立ちました。
 毎日新聞の記事によると、このパレードは、即位した5月1日からの国事行為である「即位の礼」の最後の行事でした。テロやゲリラ事件もなく、平穏のうちに、平成から令和への代替わりは進んでいるように感じます。令和への代替わりの最大の特徴は、この「平穏」ということになるのかもしれません。昭和から平成への時は、必ずしもそうではありませんでした。

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 以下は平成3年(1991年)の警察白書の一節です。「極左暴力集団」は新聞では「過激派」と表記しています。

 極左暴力集団は、平成2年初頭から、「90年天皇・三里塚決戦」路線の下、皇室闘争に対する取組を一段と強め、127件の皇室闘争関連のテロ、ゲリラ事件を引き起こした。とりわけ、「即位礼正殿の儀」当日には、都内での34件を含め6都県下で40件、「大嘗宮の儀」当日にも7府県下で11件のテロ、ゲリラ事件を引き起こした。
 特に中核派は、全国各地において、新型迫撃弾、設置式爆弾、時限式発火装置等により、JR、地下鉄等の運行を妨害したり神社等を焼失させるなど、皇室関係施設以外にも攻撃対象を拡散した「無制限・無制約」のテロ、ゲリラを集中的に引き起こした。
 一方、革労協狭間派は、即位の礼・大嘗祭に向けた前段闘争において、時間をおいて爆発するなどのトリックを用いた爆弾で警視庁独身寮をねらい、警察官1人を殺害し、一般市民を含む7人に重軽傷を負わせる残忍なテロ事件を引き起こした。
https://www.npa.go.jp/hakusyo/h03/h030700.html

 11月10日は日曜日で、わたしも休日でした。思い立って、東京都中野区沼袋にある氷川神社を訪ねてみました。警察白書の中にも記述があるように、昭和から平成への代替わりでは神社もテロ、ゲリラの標的になりました。沼袋の氷川神社はその一つです。
 当時の報道によると、平成2年3月19日午前3時すぎ、本殿付近から出火し、木造平屋の本殿と倉庫計113平方メートルを全焼しました。けが人はいませんでした。ほぼ同時刻に、世田谷区船橋の神明神社、墨田区東向島の白髭神社でも出火し、本殿を全焼しました。いずれの神社の焼け跡からも乾電池、リード線などが見つかり、警視庁公安部は、時限発火装置を使った同時多発放火ゲリラ事件とみている、と報じていました。氷川神社と白鬚神社の宮司2人は、東京都神社庁が大嘗祭に向けて設けている「御大典奉祝特別委員会」の常任委員を務めていたとのことです。
 氷川神社はその2年前の昭和63年、昭和天皇の即位60年記念事業として、本殿を建てたばかりでした。それをゲリラ事件で失ったのですが、翌平成3年8月には再建します。それが現在の社殿です。

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 折しも七五三の時期で、神社には晴れ着の子どもを連れた家族らが次々に訪れていました。30年近く前のゲリラ事件を思わせるものはなく、警備の警察官の姿もありませんでした。平穏そのものの秋の1日の光景でした。

 平穏のうちに進む、平成から令和への代変わり。そのひとコマのスケッチとして、書きとめておきます。

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MICが声明「『公益性』を追加した助成金ルールの撤回を求める」

 新聞労連や民放労連、出版労連などメディアや文化関連の産業別労働組合でつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」(略称・MIC)が10月28日、声明「『公益性』を追加した助成金ルールの撤回を求める」を発表しました。

「公益性」を追加した助成金ルールの撤回を求める
2019年10月28日
日本マスコミ文化情報労組会議

 日本社会はいま、公権力の恣意的、独善的な判断によって、憲法に基づいた自由な文化・芸術活動が危機にさらされている。
 文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会(芸文振)」が、映画『宮本から君へ』への助成金交付を7月に取り消していたことが発覚した。
 その理由は、出演者の1人であるピエール瀧さんが麻薬取締法違反で有罪判決を受けたこと。映画の内容は薬物使用と全く無関係にもかかわらず、芸文振は「国が薬物使用を容認するようなメッセージを発信することになりかねない」と主張して、交付取り消しの判断を下した。さらに芸文振は9月27日、その判断を正当化するように芸術文化振興基金の助成金交付要綱に「公益性の観点」を追加。「公益性の観点」から助成金の交付が「不適当と認められる」場合には、交付内定を取り消すことができるようにした。
 定義が明記されていない「公益性」というあいまいな基準が拡大されると、公権力の恣意的な判断がまかり通るようになり、「検閲」につながる恐れがある。実際、芸文振は今回、ピエール瀧さんの出演シーンを「カットするなど編集できないか」と作品内容に介入しようとし、制作会社が「完成した作品の内容は改変できない」と断ると、1000万円の助成金不交付に踏み切った。改訂された交付要綱の内容は、舞台芸術、美術など映画以外の領域にも影響し、日本の文化・芸術にとって由々しき事態だ。メディア・文化・情報関連の職場で働く労働者がつくる「日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)」として、憲法21条で保障された「表現の自由」を脅かす芸文振の一連の対応に抗議するとともに、「公益性」を追加した交付要綱の撤回を求める。
 芸術文化振興基金は1990年、国際的に見て脆弱な文化予算を改善するために民間出資を入れて創設されたものだ。文化芸術基本法では、基本理念の筆頭に「文化芸術に関する施策の推進に当たっては,文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない」(同法第2条)と「自主性」を掲げており、提案者は法案審議の中で、「文化芸術活動における『表現の自由』ということは極めて重要なもので、憲法第21条で保障されている権利。法律案は、表現の自由を直接は明記してはおりませんが、文化芸術活動における表現の自由の保障という考え方を十分にあらわしている」(自民党の斉藤斗志二氏、2001年11月21日の文部科学委員会)と約束していた。
 芸文振の一連の対応は、憲法や立法の精神を踏みにじるものだ。また、制作段階では予測できない事情をもって公的助成が左右されるようになれば、安心して制作活動に取り組むことが難しくなる。
 文化芸術活動への補助金については、文化庁も9月26日に国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」への補助金の全額不交付を決めた。テロ予告などの不当な脅迫・攻撃から芸術祭を守ることに力を注ぐのではなく、「来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず,それらの事実を申告することなく採択の決定通知を受領した」(文化庁)と一方的な判断を下した。
 こうした公権力による恣意的、独善的な判断が続いては、日本社会において権力におもねらない自由な表現、文化・芸術活動が狭められる。
 MICは表現の自由を無視した公権力のあり方に対峙するとともに、公権力に屈せず「表現の自由」を守る人たちを応援する。

日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
(新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)

 「定義が明記されていない『公益性』というあいまいな基準が拡大されると、公権力の恣意的な判断がまかり通るようになり、『検閲』につながる恐れがある」との指摘に同感です。

※MIC http://www.union-net.or.jp/mic/

続・即位礼の新聞各紙 社説・論説の記録(23日付)

 前回の記事の続きになります。少し時間がたってしまいましたが、令和の新天皇の「即位礼正殿の儀」に対して、翌10月23日付で新聞各紙が社説、論説でどのように論じたか、ネットなどで可能な限り見てみました(前回の記事は10月22日付の社説、論説でした)。儀式に宗教色がぬぐえないこと、玉座(高御座)の天皇よりも一段低い場所に立つ首相の発声で「天皇陛下万歳」が唱和されることなどに、憲法違反との批判が絶えないことに触れているかどうかに注目しました。
 全国紙では、朝日新聞、毎日新聞が、憲法違反との指摘がある以上、もっと時間を掛けて検討すべきだった、との論調です。ただ、毎日新聞は最後にひと言触れただけで、憲法違反の疑いそのものをきちんと指摘しているかと言えば、必ずしもそうではない印象を受けました。
 22日付で社説を掲載した日経新聞と産経新聞は、憲法違反に当たらないとの主張。23日付の読売新聞も間接的な表現ながら、憲法上の問題はないとの内容でした。地方紙では北國新聞が同じようなトーンでした。
 憲法違反の疑いがあることについては、信濃毎日新聞などいくつかの地方紙の指摘が丁寧で明快でした。

 以下に、確認できた23日付の社説、論説の見出しを書きとめておきます。憲法違反との指摘に触れているものは、反論も含めて一部を引用しています。また現時点でネット上で読めるものは、リンクも張っています。

【23日付】
▼朝日新聞「即位の礼 前例踏襲が残した課題」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S14228225.html?iref=editorial_backnumber

 他方で、今回の代替わりにあたっての政府の事の進め方には大きな疑問がある。開かれた議論を避け、異論には耳をふさいで、多くを「前例踏襲」で押し通そうという姿勢だ。
 正殿の儀をめぐっても、天孫降臨神話に由来する高御座(たかみくら)に陛下が立ち、国民の代表である三権の長を見おろす形をとることや、いわゆる三種の神器のうち剣と璽(じ)(勾玉〈まがたま〉)が脇に置かれることに、以前から「国民主権や政教分離原則にそぐわない」との指摘があった。
 だが政府は「前回検討済み」として、見直しを拒んだ。前回の式典のあり方に対し、大阪高裁から疑義が表明された経緯などには目を向けず、天皇の権威を高めるために明治になって作られた形式にこだわった。
 (中略)
 恩赦も実施された。要件を絞って対象者は前回の約5分の1(55万人)になったものの、司法の判断を行政が一方的に覆す措置に反対論も根強かった。まして皇室の慶弔と結びつけば、支配者が慈悲を施すかのような色彩を帯びる。犯罪被害者を守り、その思いを大事にしようという社会の要請にも反する。それでも先例が優先された。
 来月に予定されている大嘗祭(だいじょうさい)の執り行い方も同様だ。
 (中略)
 どれも国の基本である憲法にかかわる話だ。誠実さを著しく欠く対応と言わざるを得ない。
 上皇さまが退位の意向を示唆するメッセージを発したのは3年前だ。議論の時間は十分あったのに政治は怠慢・不作為を決めこんだ。華やかな式典の陰で多くの課題が積み残された。

▼毎日新聞「陛下の即位の礼 多様性尊ぶ国民の象徴に」
 https://mainichi.jp/articles/20191023/ddm/005/070/040000c

 即位の儀式をめぐっては、宗教色を伴うとして憲法の政教分離原則との整合性を問う声もある。政府が十分な議論を避け、合計わずか1時間あまりの会合で前例踏襲を決めたことには問題が残った。

▼読売新聞「即位の礼 伝統儀式の挙行を祝いたい」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20191022-OYT1T50220/

 陛下は高御座と呼ばれる壇に昇られ、「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」と誓われた。
 即位の儀式は千数百年前に始まったとされる。陛下は伝統を受け継ぎつつ、国民主権の憲法の下で、国民の幸せを希求する姿勢を改めて示されたと言えよう。
 (中略)
 今回の即位礼は、憲法で定める国事行為として、皇室典範の規定により行われたものだ。象徴天皇制を定めた憲法下では、平成に続き2度目となる。
 戦前の昭和天皇の即位礼では、当時の首相が中庭まで降りて天皇を仰ぎ見ながら万歳を発声した。これに対し、安倍首相はこの日、陛下と同じ殿上に立ち、お祝いの寿詞よごとを述べ、万歳三唱した。
 今回、憲法の国民主権との整合性を取った平成の即位礼の内容を踏襲したのは理解できる。

▼産経新聞(「主張」)「即位ご宣明 国柄を誇り『令和』築こう」
 https://www.sankei.com/column/news/191023/clm1910230002-n1.html

 皇陛下は即位を内外に宣明され、国民の幸せと世界の平和を常に願い、象徴としてのつとめを果たす、ご決意を述べられた。心強いお言葉である。即位をお祝いするとともに、そのお心を国民もしっかり受け止め、令和の歴史を刻んでいきたい。
 (中略)
 来年には、天皇陛下が名誉総裁をつとめられる東京五輪・パラリンピックを控えている。海外からの日本の歴史文化への関心もさらに高まるだろう。歴代天皇、皇室と国民が強い絆で結ばれてきた日本の国柄を国民は一層理解し、心一つに新時代の歩を進めたい。

▼河北新報「即位礼正殿の儀/令和にふさわしい皇室像を」
 https://www.kahoku.co.jp/editorial/20191023_01.html

▼東奥日報「象徴天皇制 議論高めたい/即位の礼」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/266252

▼デーリー東北(時評)
 https://www.daily-tohoku.news/archives/24788

 天皇陛下の即位をお祝いするが、儀式はこれで良いのだろうか。皇居・宮殿で挙行された「即位礼正殿の議」は1990年の平成代替わりの先例を安易に踏襲しすぎたきらいがある。神話に由来する高御座や三種の神器の剣と勾玉の使用などが、憲法の政教分離の原則や国民主権と抵触する懸念があり、今も憲法問題は解決済みではない。
 一代一度の重要儀式に皇室の伝統を生かすのは自然だ。平安絵馬さながらで美しい。しかし政府の式典委員会は突っ込んだ議論もなしに前例踏襲を決定した。末永く国民に親しまれる皇室を願うのならば、諸儀式の細目などを国会で検討し、論議を尽くすべきだ。
 特に今回は考慮すべき多くの事情がある。地震、台風など自然災害に直面している国民感情を軽視できないし、財政赤字は深刻。経費削減、儀式の簡素化は不可避だ。そのような折、いかに憲法に基づく天皇の国事行為とはいえ、180カ国余の代表ら2千人以上を招待し、さらに祝宴「饗宴の儀」に約2600人も招いたのは妥当だったのか、疑問が残る。

▼秋田魁新報「即位の礼 皇位継承議論の契機に」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20191023AK0015/

▼山形新聞「天皇陛下、即位の礼 皇位の安定継承も重要」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20191023.inc

▼岩手日報「即位の礼 国民の苦難に寄り添い」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/10/23/66712

 即位の礼は、三種の神器の安置などを巡り、憲法が定める政教分離の原則や国民主権に反するとの声もある。同時に行われた政令恩赦についても批判が出ている。
 天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基(もとづ)く」。憲法1条を読み返したい。象徴の在り方を決めるのは主権者・国民であることも、この機に改めて確認したい。

▼福島民報「【即位宣言のお言葉】思いを深く胸に刻む」
 https://www.minpo.jp/news/moredetail/2019102368838

▼茨城新聞「即位の礼 国民的議論を高めたい」
▼山梨日日新聞「【天皇陛下 即位の礼】象徴の在り方 国民的議論を」

▼信濃毎日新聞「即位の儀式 踏襲は政府の責任放棄」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20191023/KT191022ETI090004000.php

 政府の対応には問題が残った。「正殿の儀」などは前回に引き続いて国事行為として行われた。議論を深めることなく、様式もほぼ前回を踏襲している。
 儀式には、憲法に反するという指摘が根強い。まず政教分離だ。高御座は天孫降臨神話に由来する。皇室の祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)が授けたと神話で伝わる「三種の神器」の剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))も高御座に安置した。天皇に神話的な権威を与えかねない。
 明治以降、国家と結び付いた国家神道で天皇を神として崇拝し、天皇が治める国家への忠誠を国民に強いた。その結果、戦争で多くの国民の命が失われた。
 現憲法は国などに宗教的活動を禁止し、天皇の地位を「日本国民の総意に基く」と規定した。儀式は憲法の規定や精神に合わない。
 次に国民主権の問題だ。陛下は約1メートルの壇上から、安倍晋三首相を見下ろす形で、万歳三唱を受けた。主権は国民にある。位置関係は憲法にそぐわない。
 平成への代替わりでは、政府が首相の立ち位置を中庭から床上に変え、服装も衣冠束帯から、えんび服に変更し宗教色を薄めた。
 それでも大阪高裁は1995年の違憲訴訟の判決で、請求は退けたものの、政教分離規定違反との疑いを否定できないと指摘。首相の立ち位置も「憲法にふさわしくないと思われる」と言及した。
 儀式の骨格は、明治期の1909年に儀式の細目を定めた登極令(とうきょくれい)に基づく。現在に合っているのか検証するのが当然だ。

▼新潟日報「即位の礼 平和願う強い意思世界へ」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20191023502834.html

 陛下は古式装束をまとい、天孫降臨神話に由来する「高御座(たかみくら)」に上り、即位を宣言した。
 戦前の様式に倣い、現行憲法下で初めて催された平成時を踏襲した。
 これには、天皇に神話的権威を与え、高い位置から首相らを見下ろす形になるなどとして、憲法が定める国民主権や政教分離の原則に反するとの声が前回からあった。
 11月14、15日に皇居で執り行われる一世一度限りの重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」についても、宗教色が強く、国費の支出は政教分離に反するとの批判がある。
 政府は正殿の儀に合わせて政令恩赦「復権令」を公布、即日実施したが、世論調査で反対が60・2%に上るなど国民の理解は得られていない。
 政府は同じやり方に固執するのではなく、時代の変化や国民感情を見据えながら、必要があれば見直すことをためらうべきではない。

▼北國新聞「即位礼正殿の儀 国民の幸せ願う心伝わった」

 正殿の儀で陛下は神話に由来する玉座「高御座(たかみくら)」に上って即位を宣言した。神話的な権威を印象付け、国民の代表である首相を見下ろす形式に対しては、憲法が定める政教分離や国民主権に反するという批判も出る。しかし、国民に寄り添うと語った陛下の真摯な姿勢は、多くの国民から温かく受け入れられたのではないか。
 即位の重要な儀式で古式装束の「黄櫨染袍(こうろぜんのほう)」をまとった陛下の姿からは、新しい時代の皇室のあり方を探りながら、綿々と受け継がれた伝統を大切にする思いも伝わってきた。

▼福井新聞「即位の礼 新たな象徴像へ一歩一歩」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/958864

 一方で、儀式の在り方など課題も残った。代替わりに際して時間があったのにもかかわらず、準備委員会は3回、計1時間余の会合で「前例」踏襲を決めた。このため、政教分離など憲法に触れかねない要素も踏襲された格好だ。

▼京都新聞「即位の儀式 課題残した議論なき踏襲」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/49061

 一方で、天孫降臨神話に由来する玉座から国民を見下ろす形となる儀式のあり方には、憲法に定めた国民主権や象徴天皇制と矛盾するとの指摘も根強い。
 即位礼正殿の儀は、国内外の賓客を招いての「饗宴(きょうえん)の儀」や延期されたパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」とともに憲法上の国事行為とされ、国費が充てられた。
 皇室儀式は宗教的性格を持ったものも多く、政教分離との関係がしばしば問題となる。
 上皇さまの事実上の退位表明から陛下の即位まで、十分な時間があった。憲法の趣旨と儀式のあり方について、国民的な議論が必要だったのではないか。
 しかし政府は、平成の代替わり時の前例を踏襲する方針を早々に決めてしまった。さまざまな意見が出ないうちに、異論を封じ込めたようにもみえる。
 (中略)
 儀式に関する本質的な問題を無視するのは、こうした議論が皇室のあり方への問いかけにつながり、安倍晋三政権が否定的な女性宮家創設や女系天皇実現などの論争に発展するのを避けるためではないのか。
 政府がこんな姿勢では、安定的な皇位継承の議論にも入れない。憲法が定める象徴天皇制の将来を危うくしかねない。

▼中国新聞「即位の礼 象徴天皇、探り続けねば」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=581779&comment_sub_id=0&category_id=142

 一連の行事は、政府の意向で約30年前の平成の代替わりをほぼ踏襲した。古式や伝統にのっとれば妥当かもしれない。とはいえ、時代は移り変わり、国民の意識も変化している。柔軟な発想がもっと必要ではないか。
 憲法1条は、天皇を「日本国民統合の象徴」と位置づける。その在り方を私たちも問い続けなければならない。
 (中略)
 高御座から見下ろす形で即位を宣言し、首相の発声に続いて参列者が万歳三唱した。国民に寄り添う象徴天皇の姿とは隔たりがある。万歳は祝意を表しただけにすぎないとしても、戦前回帰と受け止められないように丁寧な説明が必要だ。
 三種の神器のうち剣と勾玉(まがたま)をそばに置くスタイルも含め、政教分離に反するとの指摘も専門家から絶えない。本番まで準備期間は十分あったのだから、時代に即した儀式のありようをもっと議論できたはずだ。
 費用総額は前回より3割増の163億円に上る見通しだ。人件費や資材価格が高くなっているとはいえ、国の財政状況を考えれば議論の余地がある。

▼山陰中央新報「即位の礼/国民的議論を高めたい」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1571797688555/index.html

▼愛媛新聞「即位の儀式 象徴にふさわしい姿深く議論を」

 即位礼では陛下が玉座「高御座(たかみくら)」から宣言し、三種の神器のうち剣と璽(じ)が使われた。前回の時も、これら調度品は宗教色が濃いとして、憲法が定める国民主権や政教分離の原則に反するとの異論があったが、政府は早々に前例踏襲を決めた。
 高御座は古事記や日本書紀の天孫降臨神話に由来し、剣と璽は天皇に神話的権威を与えるとの指摘がある。政府には退位特例法が2年前に成立した後も、こうした課題を検討する時間があった。議論らしい議論をしなかったのは政治の怠慢と言われても仕方がない。
 来月には一世一度限りの重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」が皇居である。神道形式で執り行われるため、政教分離の原則に反するとして国費の支出に反対する訴訟も起きている。秋篠宮さまも昨年秋の会見で、国費ではなく天皇家のお手元金で賄うべきだとの思いを明かされたが、国に見直しの動きはうかがえなかった。
 天皇の地位は「国民の総意に基づく」と憲法に定められている。一人でも多くの国民が、わだかまりなく祝える儀式を目指すことが肝要だ。国民の象徴にふさわしい様式はどうあるべきか。将来の代替わりも見据え、国会で議論を続けていかなければならない。

▼大分合同新聞「即位の礼 皇室の在り方に国民的議論を」

▼宮崎日日新聞「即位礼正殿の儀 安定継承に国民的議論必要」
 http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_41669.html

▼佐賀新聞「即位の礼 国民的議論を高めたい」 ※共同通信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/444689

▼熊本日日新聞「即位の礼 象徴天皇の新たな起点に」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/1231727/

 一方で「正殿の儀」など代替わりの行事の多くは前例踏襲となった。伝統重視とされているが、その内容の多くは天皇が神格化された明治期に形づくられた。政教分離など戦後憲法との整合性の問題は、今回もくすぶったままだ。
 特に今回の前例踏襲で多くの国民が違和感を抱いたのが、「正殿の儀」に合わせ実施された恩赦だろう。共同通信社が今月5、6日に行った世論調査では、賛成の24・8%に対し、反対は60・2%にも及んだ。
 三権分立の枠を政府が政令で一方的に外す恩赦に、国民の反対を押し切ってまで実施する意味はあるのか。これも明治憲法下で天皇の大権によると規定されていた行為を引き継いだものである。時代に即した方法を検討すべきだ。

▼南日本新聞「[即位の礼] 皇室の姿 考える契機に」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=111645

▼沖縄タイムス「[即位の礼]新たな時代の象徴像を」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/487946 

 新憲法下で2度目の即位の儀式だ。陛下は、天孫降臨伝説を模したとされる玉座「高御座(たかみくら)」に上り、神話に由来する「三種の神器」のうち、剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))が用いられた。内閣の助言と承認が必要な国事行為にもかかわらず、神道の宗教色が強く、憲法が定める政教分離に反するという批判が根強い。
 政教分離は、戦前の国家神道が軍国主義の精神的基盤になったことへの反省が背景にある。伝統儀式であっても、憲法との整合性が問われるのは当然だ。
 高御座に上った陛下を前に安倍晋三首相がお祝いの言葉を述べた。首相ら三権の長が見上げる形は国民主権の観点から疑問視されている。
 政府は前回の様式を踏襲するだけで、現憲法の象徴天皇に見合う儀式のあり方についての検証と議論を尽くしたといえない。
 11月に予定されている「大嘗祭(だいじょうさい)」は新天皇が即位した年の収穫物を神々に供え、自ら祈る儀式だ。神道色が強く、国事行為ではなく、皇室行為とされている。宮廷費が充てられるが、国費であることには変わりはない。
 前回の大嘗祭について、1995年、大阪高裁は「儀式への国庫支出は政教分離規定に違反するのではないかとの疑いは否定できない」という判決を出している。
 皇嗣(こうし)秋篠宮さまも「宗教色が強い。それを国費で賄うことが適当かどうか」と発言した。憲法上の疑義が生じないあり方を求めたい。

 

 10月23日付の東京発行新聞6紙の朝刊は、いずれも即位礼正殿の儀が1面トップでした。

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「権威高める手法に警戒を」(琉球新報)~即位礼の新聞各紙 社説・論説の記録(22日付)

 「令和」の新天皇が内外に即位を宣言する「即位礼正殿の儀」が10月22日午後、国事行為として皇居・宮殿で行われました。儀式に宗教色がぬぐえないこと、玉座(高御座)の天皇よりも一段低い場所に立つ首相の発声で「天皇陛下万歳」が唱和されることなどから、日本国憲法の国民主権や政教分離の原則に反するとの批判は絶えません。この即位礼に対して、新聞各紙が22日付の社説・論説でどのように論じているか、ネットなどで可能な範囲でチェックしてみました(中日新聞・東京新聞は21日付で掲載)。いくつかのブロック紙・地方紙は、憲法との兼ね合いで疑義を示しています。
 その中でも「権威高める手法に警戒を」との見出しを取った琉球新報の社説が指摘している以下の諸点は、明治になって日本に統合された沖縄の現代史を踏まえた視点として、日本本土でも広く知られていいのではないかと感じました。
 「天皇個々の思いや行動とは別に、権威を高めることにより国民統合の仕組みとして機能する象徴天皇制の在り方を考える必要がある。権威の高まりは時の権力者に利用される危うい面もある」
 「沖縄の民意を無視して新基地建設を進める政府の圧政を埋め合わせているとの見方は説得力がある」
 「即位儀式が持つ政治的意味を、主権者である国民の目線と、天皇制から犠牲を強いられてきた沖縄の目線の、両方で冷静に捉える必要がある。象徴と言いながら過度に権威を高める手法は警戒すべきだ」

 一方、全国紙で22日付社説で取り上げたのは日経新聞と産経新聞でした。日経新聞は「政教分離の規定からも妥当なものであろう」とし、産経新聞はより強く、違憲との指摘に反論しています。

 以下に、目にとまった社説・論説の一部を引用して書きとめておきます。ネット上の各紙サイトで読めるもの(10月23日朝の段階)は、リンクも張っています。

【10月21日付】
▼中日新聞・東京新聞「即位の儀式 象徴天皇にふさわしく」
 https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019102102000092.html

 西欧の戴冠式に相当する儀式で、自らの即位を国内外に宣明する意味があるといえども、憲法と天皇の関係がきちんと捉えられないと、国民に誤解を与えかねない。その注意は必要である。
 そもそも天皇の存在は、憲法で「日本国民の総意に基づく」と根拠を示している。天照大神の天孫降臨の神勅による古い時代の天皇とは、根本的に異なる。だが、即位礼は神話に由来する玉座「高御座」から即位を宣言する形式を採る。「憲法の国民主権、政教分離の原則と両立しない」とする声も出てくるゆえんだ。
 「万歳」の光景も単なる祝福の意ばかりなのか。戦前回帰と受け止められないよう細心の気遣いを要する。来月の大嘗祭も神道形式で行われる宗教色の濃い儀式であり、政教分離原則との整合性に疑義が示されている。
 皇位継承という伝統の重さは十分に理解する。それでも天皇と神道との接近、あるいは天皇の権威を高める効果がないかも考慮すべきだ。象徴天皇制にふさわしくありたい。

【10月22日付】
▼北海道新聞「即位礼正殿の儀 象徴にふさわしい姿に」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/356896?rct=c_editorial

 一連の儀式は現憲法下で2回目となる。政府は、前回の平成の代替わりの際、憲法上の検討を十分に行ったうえで儀式が行われたとして、基本的な考えや内容を踏襲した。
 しかしながら、宗教色を拭えない儀式への公費支出や儀式の内容について、政教分離や国民主権の観点から憲法違反の疑念を指摘する声は絶えない。議論を尽くしたとは言いがたい。
 天皇の地位は主権者である国民の総意に基づく。象徴天皇にふさわしい儀式とは何か。伝統の継承とともに、現代に適した在り方を探る作業を怠ってはならない。
 (中略)
 国事行為として行うのであれば、宗教性を排除する必要がある。神話由来の剣璽等を使用するのであれば、皇室行事として行い、公費を支出しないのが筋だろう。
 高御座は、天皇陛下の立ち位置が床から高さ約1メートル。首相が、低い位置から祝いの言葉を述べるのは、国民主権に適さないとの指摘もある。
 儀式の性格に曖昧さを残すようなことは避けるべきだ。前例踏襲では国民の議論も深まらず、いずれは皇室の在り方についての関心低下にもつながりかねない。

▼福島民友新聞「きょう即位の礼/心つなぐ象徴であり続けて」
 https://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20191022-426296.php

 平成の時代は阪神・淡路大震災や東日本大震災など大きな災害が相次いだ。皇太子時代の陛下は震災と東京電力福島第1原発事故後の本県を3度訪問されている。避難所で被災者に声を掛けられたり、原発事故を受けて広野町に新設されたふたば未来学園高の生徒たちの様子を視察されたりして、災害に苦しむ人に寄り添う姿勢を大事にされてきた。
 陛下は皇太子時代に、「国民と接する機会を広く持つよう心掛けてきた。こうしたことは、今後とも自分の活動の大きな柱として大切にしていきたい」と述べられている。今後も被災地訪問などの活動に力を入れられることだろう。
 被災地の訪問は、上皇さまが天皇在位時に精力的に取り組まれてきた活動だ。皇室の活動の中でも国民の支持が高い活動の一つだろう。被災地に上皇さまをはじめとする皇族が訪れることで被災者は強く勇気づけられた。令和の時代も陛下の心配りが被災地の心の支えとなる。

▼北國新聞「外交舞台の即位礼 中韓との転機になるか」

 170カ国以上の元首や政府高官が参列する天皇陛下の「即位礼正殿の儀」は、格好の外交の場であり、安倍晋三首相は21日から25日までの5日間で、約50カ国の政府要人と会談する。会談時間は短いが、2国間の外交課題や国際問題について、日本の方針や立場を直接伝え、理解を得るよい機会である。

▼神戸新聞「即位の礼/皇室のあり方考える日に」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201910/0012809774.shtml

 古式や伝統は大切にしなければならない。ただ、政府は11月に行われる「大嘗祭(だいじょうさい)」を「公的な皇室行事」と位置づけ、国費支出を決めた。これも前回の踏襲だが、神道形式の色濃い儀式で、憲法の政教分離原則に反する疑いがぬぐえない。
 前回の「大嘗祭」では「違憲性を否定できない」とする大阪高裁の判決が確定している。安倍政権の姿勢は問題を先送りしただけといえる。
 さらに、政府は「正殿の儀」に合わせ約55万人に恩赦を実施する。罰金刑で制限された資格の「復権」が中心で、前回の250万人から絞り込んだ。
 だが、一律に罪を減じることへの国民の理解は十分とはいえず、共同通信の全国調査でも「反対」が6割を占めている。
 祝祭ムードが高まる中、十分な議論を回避して自らの考えを押し通す。そうした政府の姿勢は今回も批判を免れない。

▼山陽新聞「きょう即位の礼 新時代の象徴天皇像を」
 https://www.sanyonews.jp/article/951322?rct=shasetsu

 今回の儀式は、新憲法下で初めて執り行われた平成の代替わり時の形式を踏襲する形となる。ただ、天皇が首相ら三権の長を見下ろす形で即位を宣言する形式が、憲法が定めた国民主権に反するとの指摘もされてきた。
 来月、五穀豊穣(ほうじょう)と国の安寧を祈って行われる重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」についても、皇嗣(こうし)秋篠宮さまが以前、宮内庁に対して、宗教色が強いとして国費支出への反対意見を伝えた経緯が判明している。
 司法の場では、儀式は明治時代に制定され、今は廃止された「登極令」などを踏襲しており、国家神道の色彩が濃く憲法の政教分離規定違反の疑いを否定できない点や、国民主権の趣旨にふさわしくない点があると大阪高裁が指摘した。判決は確定済みだ。
 政府は、平成の代替わりの際に議論は尽くしたとして、是非について深入りを避けたが、疑義を解消できぬままでは将来に禍根を残す。時代に即した代替わり儀式の在り方について不断に議論を重ねていく必要があろう。

▼徳島新聞「新天皇即位礼 新たな象徴像 発信の好機」
 https://www.topics.or.jp/articles/-/273764

 儀式の準備と並行して二つの大きな出来事があった。いずれも、令和皇室の進路に影響を与えるだろう。台風19号の甚大な被害と、ラグビー日本代表の奮闘である。
 (中略)
 もう一つの出来事は、ラグビー日本代表の健闘と国民の熱い声援である。国際化時代を印象付け、令和皇室の活躍の広がりを示唆している。
 いろいろな国籍の個性豊かな選手が君が代を歌い、桜のジャージーに誇りを持ち死力を尽くした。改めて「日本人とは何か」を考えさせられる。
 急激な国際化が進み、外国人労働者の受け入れも加速している。宗教や文化、言葉の違いなど、多様性を尊重する機運は強まっていく。日本という国の輪郭が揺らぐとき、「日本国民統合の象徴」としての役割は、かえって大きくなるのではないか。
 わが国にゆかりを求める人々との絆を深め、愛される日本を築いていく。国際社会に日本をアピールし、世界平和や地球環境の維持に貢献する。それには、皇室の存在と国際感覚に富む両陛下の力が重要になる。

▼西日本新聞「即位の礼 『令和』の精神を国内外へ」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/553102/

 現行憲法で「国民統合の象徴」と規定される天皇の地位や役割と、元号「令和」に込められた恒久平和の願いを、世界に改めて伝える好機である。
 新元号「令和」は、すべて物事を行うのによい月を意味する「令月」と、対立や乱が治まる「和らぐ」にちなむ。国民一人一人も、皇室や国のありように思いを致す一日としたい。
 今回の即位礼は平成をほぼ踏襲した形で行われる。戦前と通底し、神道の色合いも濃い。他の宗教関係者や専門家には、政教分離を定めた憲法下でふさわしいのか疑問を持つ人もいるだろう。そんな声も包み込みながら、あるべき皇室の姿を考える機会にもできるはずだ。

▼琉球新報「天皇即位の儀式 権威高める手法に警戒を」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1012326.html

 沖縄は天皇の権威の犠牲になる歴史を歩んだ。琉球併合に至る過程で、明治政府は、中国皇帝が琉球国王を任命する冊封をまねて天皇も任命権があるかのように振る舞い、天皇の命令に従わない琉球を「処分」した。沖縄戦では皇民化教育の下で動員された多くの住民が犠牲になった。戦後は米国による軍事占領を望む「天皇メッセージ」が米側に伝えられ、米国統治下に置かれた。
 こうした歴史を考慮してか、上皇さまは沖縄への思いが深いといわれる。
 一方で、天皇個々の思いや行動とは別に、権威を高めることにより国民統合の仕組みとして機能する象徴天皇制の在り方を考える必要がある。権威の高まりは時の権力者に利用される危うい面もある。
 豊見山和行琉球大教授は「象徴天皇制が持っている仕組みや機能が、一面では政治的問題や軍事基地の矛盾を見えなくしてはいないか」と本紙の識者座談会で述べた。沖縄の民意を無視して新基地建設を進める政府の圧政を埋め合わせているとの見方は説得力がある。
 即位儀式が持つ政治的意味を、主権者である国民の目線と、天皇制から犠牲を強いられてきた沖縄の目線の、両方で冷静に捉える必要がある。象徴と言いながら過度に権威を高める手法は警戒すべきだ。

▼日経新聞「天皇陛下の『即位の礼』を迎えて」

 午後1時からの即位礼正殿の儀では、皇居・宮殿「松の間」に置かれた玉座「高御座(たかみくら)」で天皇陛下が即位を宣明され、その後、安倍晋三首相がお祝いの辞を述べ、万歳三唱する。
 戦前、昭和天皇の即位の礼に際し、当時の首相は一段低い庭で万歳を唱えたという。
 しかし、日本国憲法の下で初となった平成の式典では、国民主権の観点から、玉座の場所と同じ松の間に変更された。万歳の前にも「ご即位を祝して」との言葉を添え、趣旨を明確にしている。安倍首相もこれにならうようだ。
 憲法の理念から施された平成の変更点は他にもあり、今回もほぼ踏襲されるという。政教分離の規定からも妥当なものであろう。

▼産経新聞(【主張】)「即位の礼 国民と歩まれる『象徴』に 新時代を素直にお祝いしたい」/伝統と文化示す機会だ/国柄に沿う憲法解釈を
https://www.sankei.com/column/news/191022/clm1910220002-n1.html 

 平成の御代(みよ)替わりをおおむね踏襲した今回の即位の礼に対して、一部から、現憲法に反するとの指摘が出ている。もっと素直にお祝いできないものか。
 即位礼正殿の儀で、三種の神器のうち剣と璽が置かれることなどは憲法の政教分離原則に反し、高御座の陛下に首相らが万歳を唱えるのは憲法の国民主権に触れるのだという。いずれも誤った憲法解釈に基づく謬見(びゅうけん)である。
 天皇にとって、祈り、宮中の祭祀(さいし)は本質的、伝統的役割である。歴代天皇は「国安かれ、民安かれ」と祈ってこられた。儀式から神道の色彩を消せば、天皇が天皇でなくなってしまう。
 政教分離の原則は、宗教戦争に明け暮れた欧州の悲惨な歴史を踏まえ、政治権力と宗教の分離を求めるものだ。権威を帯びても権力を振るわず、宗教団体を持たれない天皇の祭祀、儀式に杓子(しゃくし)定規に当てはめては、天皇を戴(いただ)く憲法の精神に反する。
 日本の国柄の特徴は、代々の天皇と国民が共に歩み、長い歴史を紡いできた点にある。
 これを反映して憲法第1章は天皇の章となっている。天皇は、「象徴」という極めて重い位置付けの立憲君主といえる。
 「万歳」によって君主の即位をお祝いし、長寿を祈るのは北東アジアにおける常識的な儀礼であり、国民主権と矛盾すると考えるのは憲法を曲解している。
 これからも11月の大嘗祭(だいじょうさい)、来年4月の秋篠宮殿下の「立皇嗣の礼」など重要行事が続く。つつがなく挙行できるよう準備してもらいたい。

 

国民投票は容認でも、安倍政権下での改正には反対が多数?~改憲めぐる世論の動向

 10月4日に開会した第200回臨時国会の冒頭、安倍晋三首相は所信表明演説で、憲法改正に意欲を見せました。演説の最後に、以下のように述べました。

 今を生きる私たちもまた、令和の新しい時代、その先の未来を見据えながら、この国の目指す形、その理想をしっかりと掲げるべき時です。
 現状に甘んずることなく、未来を見据えながら、教育、働き方、社会保障、我が国の社会システム全般を改革していく。令和の時代の新しい国創りを、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
 その道しるべは、憲法です。令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会ではないでしょうか。私たち国会議員が二百回に及ぶその歴史の上に、しっかりと議論していく。皆さん、国民への責任を果たそうではありませんか。

 ※首相官邸「第二百回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説」
  https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/1004shoshinhyomei.html

 7月の参院選では自ら憲法改正を訴えていた経緯もあり、これまでも「憲法改正の議論は行うべきだというのが国民の声だ」と主張しています。長期政権ではあるのですが、これといった業績が見当たらないようにも見える中で、首相在任中に何としても憲法改正を、という意欲はますます強まっているのでしょう。
 では「国民の声」はどうなのか。それを探る手がかかりの一つとして、最近の世論調査の結果をまとめておきます。9月の内閣改造後にメディア各社が実施した世論調査の中で、直接、憲法改正に触れた設問と回答は以下のものがありました。


■朝日新聞 9月14~15日実施
 安倍政権のもとで憲法改正をすることに、賛成ですか。
 賛成 33%
 反対 44%

■読売新聞 9月13~15日実施
 あなたは、今後、国会の憲法審査会で、憲法改正に向けた議論が活発に行われることを、期待しますか、期待しませんか。
 期待する 56%
 期待しない 34%

■日経新聞・テレビ東京 9月11~12日実施
 安倍首相が2021年9月の党総裁任期までに憲法改正の国民投票をしたいと表明していることに対して
 賛成 58%
 反対 32%

■共同通信 9月11~12日実施 ※前回は8月17~18日
 あなたは、安倍首相の下での憲法改正に賛成ですか、反対ですか。
 賛成 38.8%(前回比3.3ポイント増)
 反対 47.1%(前回比5.1ポイント減)

 朝日新聞調査と共同通信調査が、安倍首相のもとでの憲法改正への賛否を尋ねています。答えはともに、反対が賛成を上回っていますが、過半数には達していません。その一方で、日経新聞・テレビ東京の調査では、安倍首相が2021年9月の党総裁任期までに憲法改正の国民投票をしたいと表明していることに対して、58%が賛成と答えています。安倍首相のもとで国民投票を行うのはいいが、実際に憲法を改正するのは反対ということでしょうか。国会での改憲論議の行方とともに、今後の民意にも注目したいと思います。

 

日韓のメディア労組が共同宣言「事実に基づいた報道で、国境を越えて平和と人権が尊重される社会を目指そう」

 新聞労連や民放労連、出版労連など日本のメディア関連労組でつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」(略称MIC)と韓国のテレビ、新聞などメディア労働者の「全国言論労働組合」(略称NUM=National Union of Mediaworkers)が9月27日、共同宣言を発表しました。全文を紹介します。
 MICの公式サイトからもPDFファイルでダウンロードできます。
 ※http://www.union-net.or.jp/mic/

●日韓両国のメディア労働者共同宣言
―事実に基づいた報道で、国境を越えて平和と人権が尊重される社会を目指そう―

 歴史問題に端を発した日韓両国の政治対立が、さまざまな分野での交流を引き裂き、両国の距離を遠ざけている。
 歴史の事実に目を背ける者に、未来は語れない。
 過去の反省なしには、未来を論じることはできない。
 排外的な言説や偏狭なナショナリズムが幅をきかせ、市民のかけがえのない人権や、平和、友好関係が踏みにじられることがあってはならない。いまこそ、こつこつと積み上げた事実を正しく、自由に報道していくという私たちメディア労働者の本分が問われている。

 今日、日本の「マスコミ文化情報労組会議」と韓国の「全国言論労働組合」に集うメディア労働者たちは、平和と人権を守り、民主主義を支えるメディアの本来の責務をもう一度自覚して、次のように宣言する。

一、我々は今後、あらゆる報道で事実を追求するジャーナリズムの本分を守り、平和と人権が尊重される社会を目指す。

一、平和や人権が踏みにじられた過去の過ちを繰り返すことがないよう、ナショナリズムを助長する報道には加担しない。

2019年9月27日
日本マスコミ文化情報労組会議
韓國 全国言論労働組合

 

 日韓両国政府の関係は過去最悪で、日本社会の一部にも韓国を激しい表現で批判する論調があります。そういう時に、日韓のメディア労組が連帯し、「国境を越えて平和と人権が尊重される社会を目指す」と宣言したことには少なからぬ意義があると思います。

 MICとNUMには交流と連帯の歴史があります。戦後50年の1995年に両者は東京で交流の場を持ち、10年後の2005年8月には韓国・ソウルで、共同のシンポジウムを開催しました。当時、わたしもMIC議長として参加しました。
 以下はわたしが2005年当時に運営していたブログに書いた記事です。今、読み直しても、基本的な問題意識は変わっていません。

※ブログ「ニュース・ワーカー」
・「日韓言論シンポ」=2005年8月17日
 https://newsworker.exblog.jp/2515494/
・「ソウルの8月15日」=2005年8月16日
 https://newsworker.exblog.jp/2506593/
・「長崎での日韓交流」=2005年8月12日
 https://newsworker.exblog.jp/2483219/

改造で安倍内閣の支持率は上がったのか

 9月11日の安倍晋三内閣の改造後にマスメディア各社が実施した世論調査の結果が、相次ぎ報じられています。一般的に、内閣の顔ぶれが変わると清新なイメージが生まれ支持率が上がる、というのが定説のようです。しかし今回はちょっと事情が異なるようです。
 全国紙系と通信社の計6件の世論調査結果で、前回比で支持率がアップしたのは朝日新聞、毎日新聞、産経新聞・FNN、共同通信の4件。上昇幅は毎日新聞では10ポイントもあり、他の3件も5~6ポイントの上昇です。これだけなら、定説通り内閣改造による政権浮揚効果があった、と評価することも可能かもしれません。しかし、日経新聞・テレビ東京の調査では支持率、不支持率とも「横ばい」(日経の記事の表現)。読売新聞の調査では支持率は5ポイントのダウンでした。
 この違いの要因の一つは、前回の調査の時期にあるようです。支持率がアップした4件の調査で、前回調査の時期がもっとも遅かったのは共同通信の8月17、18日。朝日新聞は7月で、毎日新聞は3カ月前の6月です。これに対して、日経新聞・テレビ東京の前回調査は8月30日~9月1日、読売新聞は8月23~25日です。見かけ上のことをおおざっぱに言えば、改造直後の安倍内閣支持率は、8月中旬以前と比べれば5ポイント以上アップしているが、8月下旬以降との比較では横ばい、ないしダウンしている、ということです。
 内閣改造と支持率の関係に絞って考えれば、3カ月前と比べるよりも、改造直前と比べてどうなったかの方に、より意味があるように思えます。わずか3週間前と比べて「5ポイントダウン」(読売新聞調査)、10日前と比べて「横ばい」(日経新聞・テレビ東京調査)は、安倍政権にとっては実は少なからずショックを受ける結果なのではないでしょうか。
 ただし、横ばい、ないしダウンの要因はよく分かりません。日経・テレビ東京、読売の両調査とも、内閣改造を「評価する」が45、6%あり、「評価しない」を12~15ポイント上回っています。内閣改造それ自体が評価されていないわけではないようです。
 調査結果を分析した読売新聞のサイド記事(9月16日付朝刊2面)は「安全保障上の危機が強まると内閣支持率は上がる傾向がある」とし、前回調査の時期が、韓国が日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決定した直後で、参院選後の7月22~23日実施の前々回調査の53%から5ポイント上昇していたことを紹介しています。今回は支持率が下がったと言っても、その前に安全保障上の要因で上昇があり、7月調査と比べれば同水準。政権運営にとって不安材料にはならない、ということでしょうか。

 6件の調査結果の支持率の水準自体は48~59%と高く、また不支持率との差も17~29ポイントあり、安倍首相の強気の政権運営は続きそうです。

 以下に、6件の世論調査結果の内閣支持率を書きとめておきます。
【9月14~15日実施】
▼朝日新聞
 支持  48%(6P増)
 不支持 31%(4P減)
 ※前回は7月22~23日実施

▼毎日新聞
 支持  50%(10P増)
 不支持 28%(9P減)
 関心ない21%(±0)
 ※前回は6月15~16日実施

▼産経新聞・FNN
 支持  51.7%(5.1P増)
 不支持 31.9%(6.2P減)
 ※前回は8月3~4日実施

【9月13~15日実施】
▼読売新聞
 支持  53%(5P減)
 不支持 35%(5P増)
 ※前回は8月23~25日実施

【9月11~12日実施】
▼日経新聞・テレビ東京
 支持  59%(「横ばい」=1P増)
 不支持 33%(「横ばい」=±0)
 ※前回は8月30日~9月1日実施

▼共同通信
 支持  55.4%(5.1P増)
 不支持 25.7%(8.9P減)
 ※前回は8月17~18日実施

新聞労連が声明「『嫌韓』あおり報道はやめよう」

 新聞労連(日本新聞労働組合連合)が9月6日、声明「『嫌韓』あおり報道はやめよう」を発表しました。マスメディア関係団体からの動きとして、意義は大きいと思います。全文を紹介します。

 ※http://www.shinbunroren.or.jp/seimei/20190906.html

「嫌韓」あおり報道はやめよう

2019年9月6日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 南 彰


 他国への憎悪や差別をあおる報道をやめよう。
 国籍や民族などの属性を一括りにして、「病気」や「犯罪者」といったレッテルを貼る差別主義者に手を貸すのはもうやめよう。

 先月末、テレビの情報番組で、コメンテーターの大学教授が「路上で日本人の女性観光客を襲うなんていうのは、世界で韓国しかありませんよ」と発言した。他の出演者が注意したにもかかわらず、韓国に「反日」のレッテルを貼りながら、「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しないといかん」などと訴える姿が放映され続けた。憎悪や犯罪を助長した番組の映像はいまもなお、ネット上で拡散されている。

 今月に入っても、大手週刊誌が「怒りを抑えられない韓国人という病理」という特集を組んだ。批判を浴び、編集部が「お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります」と弁明したが、正面から非を認めることを避けている。新聞も他人事ではない。日韓対立の時流に乗ろうと、「厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らない」という扇情的な見出しがつけられたこの週刊誌の広告が掲載されるなど、記事や広告、読者投稿のあり方が問われている。

 日韓対立の背景には、過去の過ちや複雑な歴史的経緯がある。それにもかかわらず、政府は、自らの正当性を主張するための情報発信に躍起だ。政府の主張の問題点や弱点に触れようとすると、「国益を害するのか」「反日か」と牽制する政治家や役人もいる。

 でも、押し込まれないようにしよう。
「国益」や「ナショナリズム」が幅をきかせ、真実を伝える報道が封じられた末に、悲惨な結果を招いた戦前の過ちを繰り返してはならない。そして、時流に抗うどころか、商業主義でナショナリズムをあおり立てていった報道の罪を忘れてはならない。

 私たちの社会はいま、観光や労働の目的で多くの外国籍の人が訪れたり、移り住んだりする状況が加速している。また、来年にはオリンピック・パラリンピックが開催され、日本社会の成熟度や価値観に国際社会の注目が集まる。排外的な言説や偏狭なナショナリズムは、私たちの社会の可能性を確実に奪うものであり、それを食い止めることが報道機関の責任だ。

 今こそ、「嫌韓」あおり報道と決別しよう。
 報道機関の中には、時流に抗い、倫理観や責任感を持って報道しようと努力している人がいる。新聞労連はそうした仲間を全力で応援する。
以上