特定の幹部検察官の定年を内閣、法相の判断で延長できる特例を設けた検察庁法改正案は、当初与党が目指したとされる週内の衆院内閣委での採決には至らず、週明けに持ち越しになりました。8日以降、ツイッターでは法案に反対するハッシュタグが次々に生まれ、投稿が続いています。コロナ禍の中でのバーチャルデモとして、民意の新しい表現方法が生まれつつある(あるいは生まれた)と言っていいように感じます。15日には松尾邦弘・元検事総長ら検察OBが、黒川弘務・東京高検検事長の定年延長を違法・無効と指摘し、検察庁法改正案に反対する意見書を法務省に提出。「法が終わるところ、暴政が始まる」との政治思想家ジョン・ロックの著「統治二論」の言葉を引用した意見書は、マスメディアでも大きく報じられました。
そうした中で、新聞各紙も断続的に社説、論説で改正案を取り上げています。ここでは5月14日以降の社説、論説について、可能な範囲で見てみました。「やはり撤回しかない」(朝日新聞)、「拙速な改正は禍根を残す」(日経新聞)、「国民の理解を得られるか」(北國新聞)、「強行は憲政史に汚点残す」(琉球新報)など、批判的ないしは懐疑的な見出しが並びます。
以下に、内容を読むことができたものは一部を引用して書きとめておきます。17日午前の段階でネット上で読むことができるものは、リンクも張っておきます。
5月13日以前の社説、論説については、以下の過去記事にまとめてあります。
【5月17日付】
・南日本新聞「[検察官定年延長] 広がる反対 受け止めよ」
https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=119684
検察は行政機構の一部だが、強力な権限を持ち、時には政権の疑惑にメスを入れる。だからこそ高い独立性と中立性が要る。特別法の検察庁法が設けられているのもそのためである。
今回のような特例規定を設ければ、時の政権が人事で検察に介入できる恣意(しい)的な運用の恐れがあることは、日弁連はじめ多くの法曹関係者、識者が指摘している。
黒川氏の定年延長に際して、政府は立法府の手続きを踏まないばかりか文書にも残さず、口頭で内閣法制局や人事院の決裁を得たとする。およそ「法の支配」と呼べないやり方は批判されて当然だろう。
安倍晋三首相は衆院本会議や会見の場で改正案について「恣意的な人事が行われることはない」と繰り返す。それでも国民の納得が得られないのは、全てここから始まっている。
検察が厳正中立であることは国民の信頼の源泉に違いない。インターネットなどを通して関心が広がったのも、それが損なわれることを懸念するからではないか。「法治国家」の存在意義が問われている。
【5月16日付】
・朝日新聞「検察庁法改正 やはり撤回しかない」
https://www.asahi.com/articles/DA3S14477736.html
戦後つくられた検察庁法は「検事総長は65歳、その他の検察官は63歳で退官」と定め、年齢以外の要素を排除している。政治が介入する余地を残すことで、職務遂行の適正さや検察の中立性が損なわれるのを防ぐためだ。このルールは、1月末に安倍内閣が東京高検検事長の定年延長を決めて留任させるまで、例外なく守られてきた。
法案は今回の「特例」を制度化するもので、検察官のありようの根源的な見直しとなる。政府はその詳しい理由とあわせ、延長を認める具体的な基準も示して、国会の審議を仰ぐのが筋だ。だが法相は「これから適切に定める」と繰り返し、理解を求めた。そんな白紙委任のようなまねができるはずがない。
法相に限らない。安倍首相は「検察官も行政官であることは間違いない」と述べ、内閣の統制に服するのを当然のようにいう。司法と密接に関わり、政治家の不正にも切り込む検察の使命をおよそ理解していない。
時の政権が幹部人事への影響力を強めることが、検察をどう変質させ、国民の信頼をいかに傷つけるか。きのう松尾邦弘・元検事総長ら検察OB有志が、改正案に反対する異例の意見書を法務省に提出したのも、深刻な危機感の表れだ。
・毎日新聞「検察庁法改正案 疑念は何も解消されない」
https://mainichi.jp/articles/20200516/ddm/005/070/070000c
元検事総長ら検察OBが改正案に反対する異例の意見書をきのう法務省に提出した。抗議の声は国民の間にさらに拡大している。
懸念する意見は与党にもある。ところが、採決の際には退席する考えを表明した内閣委の自民党委員を即座に差し替えるなど同党執行部は異論封じに躍起だ。公明党も「しっかり説明を」と繰り返すだけでひとごとのようだ。
新型コロナウイルスの感染拡大防止に力を注ぐべき時に与野党対立をあおる改正案の成立を急ぐのは、「当面総選挙はなさそうで、それまでには国民は忘れる」と高をくくっているとしか思えない。
・日経新聞「拙速な検察庁法の改正は禍根を残す」
こうした政府の判断による特例措置は、検察の政治的中立性や独立性に懸念を抱かせる。検事総長人事などに政権の意向が反映されているのではと受け止められるだけで、検察の捜査や刑事処分に対する信頼が揺らぎかねない。
委員会での審議は8日に始まったばかりだ。政府・与党は今国会での成立を目指して先を急ぐが、ことは検察組織にとどまらず、刑事司法の根幹にもかかわる。
数の力で審議を打ち切ったり、採決に持ち込んだりしてよい話ではない。将来に禍根を残さないよう十分に時間をかけ、国民に分かりやすい丁寧な議論を行うよう求める。
・北海道新聞「検察庁法改正案 撤回せねば独立危うい」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/421397?rct=c_editorial
森雅子法相は野党から衆院内閣委員会での審議に出席するよう強く求められ、きのう答弁に立ったが、定年延長に特例を設けるべき根拠を具体的に示せなかった。
そもそも昨年秋に内閣法制局が了承した改正案に特例規定はなかった。前例のない黒川氏の定年延長を国会で追及されたため、検察官全体に延長特例を広げて、批判をかわそうとした疑いが濃い。
安倍晋三首相は特例適用時の要件について「事前に明確化する」と繰り返している。だがいまだ黒川氏の定年延長の根拠すら明確に示しておらず、説得力はない。
法案採決は持ち越されたが、問題は延長要件の中身ではない。特例を認めること自体である。
・岩手日報「検察庁法の改正 今なぜ無理を通すのか」
・中日新聞・東京新聞「法が終わり、暴政が… 検察庁法改正案」/政権の意に忖度しては/「特例」人事を削除せよ/「正しいこと」を行えと
https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2020051602000110.html
「今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺(そ)ぐことを意図していると考えられる」-検察OBたちはずばり法案の意図を読んでいる。
(中略)
国家公務員の定年を六十五歳とするのに合わせて検察官の定年を六十五歳とする-これに異論はない。問題なのは政権による「特例」の人事を認める規定である。
十本もの法案を一括した「束ね法案」になっているから、この特例部分を分離・排除すればよいのだ。野党も主張している。法務省も昨年段階までは、そのような内容の原案をつくり、内閣法制局の内諾も得ていたはずである。特例部分の削除は容易にできると考える。
安倍晋三首相は十四日の記者会見で恣意(しい)的な人事を否定し、「三権分立は侵害されない」と述べたが、いったい誰がこの言葉を信じよう。内閣人事局を通じ「安倍カラー」の人事を乱発し、霞が関の官僚を操ってきたのではなかったか。検察で同じことが起きる可能性は十分にある。
衆院内閣委員会での審議の在り方に与党議員から疑義も出ていた。委員だった自民党の泉田裕彦議員(新潟5区)が「国会は言論の府。審議を尽くすことが重要であり、強行採決は自殺行為だ」と表明したとたん、自民党は別の議員に差し替えてしまった。
この出来事に歌手で女優の小泉今日子さんは「もうなんか、怖い」とツイートした。あまりに強権的な自民党の体質にも不信が出ていることを知るべきである。
・北國新聞「検察庁法改正案 国民の理解を得られるか」
野党側の危惧には、もっともな面もあろう。が、そもそも検察官人事は行政府の人事であり、検事総長や次長検事、検事長は内閣が任免し、天皇が認証する。内閣の恣意が入る余地をなくすべきというのであれば、人事制度自体を考え直さなければなるまい。
また、検察の独立性を絶対視して内閣が人事に関与できないとすれば、「検察権力」の独走の恐れもなしとしない。国民の監視下で人事を適正に行うにはどのような制度がよいのか。検察庁法改正案は本来、そうした本質的問題も含め、国家公務員法改正案と別に審議するのが筋ではないか。
公務の運営上、幹部の留任を認めざるを得ない場合があることを理解するとしても、具体的にどのような事態を想定しているのか、政府は明らかにしておらず、説明不足は否めない。一方、改正法が今国会で成立しても、施行は22年度で、65歳定年の完全実施は30年度からである。異例の定年延長が決まった黒川弘務東京高検検事長の問題と、検察庁法改正案は直接関わるものではなかろう。
・琉球新報「検察庁法の改正 強行は憲政史に汚点残す」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1122958.html
会員制交流サイト(SNS)のツイッター上では衆院内閣委での「強行採決に反対する」という書き込みが15日、70万件を超えた。与党議員は国民から湧き上がる抗議の意思表示に、何も感じないのか。
自民党議員の一人は、強行採決をするなら退席する意向を示し内閣委から外された。同様の動きが広がらないのは末期的症状と言える。改正を強行するなら憲政史上に汚点を残す暴挙となるだろう。
為政者が民の声を顧みなくなったとき、独裁政治が始まる。それを防ぐのは国会の重大な使命だ。
【5月15日付】
・山陽新聞「検察庁法改正案 批判を受け止め再考せよ」
https://www.sanyonews.jp/article/1012449?rct=shasetsu
黒川氏の定年延長に批判が噴出する中での今回の改正案である。法案の作成過程も不自然だ。昨年秋の段階では改正案に特例規定はなく、法務省も不要との見解を示していたという。改正案が、黒川氏の定年延長を正当化するための「つじつま合わせ」とみられても仕方あるまい。
しかも改正案は国家公務員の定年を60歳から65歳に引き上げる国家公務員法改正案と一緒にした「束ね法案」として国会に提出された。衆院内閣委員会でコロナ対策と同時並行で審議されており、十分な審議が行われているとはとてもいえない。政府、与党は近日中の衆院通過を目指すというが、あまりにも拙速だ。
改正案に対する批判の声は広がる一方である。日弁連をはじめ、岡山、広島、香川県など全国40の弁護士会が反対声明を出した。元検事総長ら検察OBが反対の意見書を提出する動きもある。会員制交流サイト(SNS)でも著名人らが相次いで抗議の意思を表明している。こうした批判を無視すれば、政権への国民不信は強まるだけだろう。
・宮崎日日新聞「検察庁法改正 恣意的な人事の余地残すな」
https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_44965.html
検察は行政機構の一部だが、捜査から起訴までの強力な権限を持ち、時に政権与党の政治とカネなどの疑惑にもメスを入れる。だからこそ、高い独立性や中立性が欠かせず、それが国民の信頼の源泉でもある。政権の恣意(しい)的な人事の余地は、可能な限り排除すべきではないのか。
このまま「火事場泥棒」的なやり方で、強行突破すれば、検察の独立性は根底から揺らぐ。まず検事長人事を白紙に戻し、検察庁法改正案の審議は切り離す。法相を答弁席に座らせ、検察の在り方を含め、徹底的な論戦が必要だ。ツイッターでは「検察庁法改正案に抗議します」に同調する投稿が数百万に達した。「法治国家」の存在意義が問われている。
【5月14日付】
・秋田魁新報「検察官定年延長 法案分離し慎重審議を」
https://www.sakigake.jp/news/article/20200514AK0018/
定年延長問題は、特定の現職幹部の定年を半年延長する法解釈の変更を1月末に閣議決定したことに端を発する。安倍政権に近いとされる人物を検事総長に据えるためとみられており、各方面に波紋を広げた。
この解釈変更は、歴代内閣が禁じてきた集団的自衛権行使を可能にした2014年の閣議決定と同じ手法だ。このような形で法解釈を変えることは、「法の支配」を脅かすと憲法学者は警鐘を鳴らす。
国家権力を法で拘束し国民の権利と自由を守ることを目的とするこの原理は、立憲主義と密接に関わる重要なものだ。解釈変更の危険性は明らかだろう。
(中略)
特に定年延長の特例は検察の独立性を揺るがしかねない大きな問題だ。束ね法案から検察庁法改正案を切り離し、もっと時間をかけ慎重かつ多角的に議論すべきだ。強引に成立させて将来に禍根を残してはならない。
・愛媛新聞「政治介入の余地排除が不可欠だ」
・北日本新聞「検察官の定年延長法案/政治不信に拍車掛ける」