選挙とSNS、あるいは選挙とデマやフェイク、さらには他候補の当選のために出馬した「2馬力選挙」候補の扱いなど、マスメディアの政治報道、選挙報道にいくつもの課題が突き付けられた昨年11月17日の兵庫県知事選を巡って、新たな展開がありました。兵庫県警と神戸地検は2月7日、公選法違反の疑いで、兵庫県西宮市のPR会社「merchu(メルチュ)」の関係先を家宅捜索しました。裁判所から令状を取得しての強制捜査です。
merchuの折田楓代表は、斎藤元彦知事が再選された直後の11月20日、自身のnoteに「兵庫県知事選挙における戦略的広報:『#さいとう元知事がんばれ』を『#さいとう元彦知事がんばれ』に」のタイトルで長文を投稿。その中で、斎藤陣営の広報全般を同社が手掛けたと主張していることは、このブログでも何度か触れてきました。斎藤知事側は、同社に支払った71万5千円はチラシやポスターデザインの制作の対価で、公選法で認められている範囲内で違法ではないと主張しています。
選挙運動は無報酬が原則です。そうでなければ資金力に優る者が有利になってしまいます。斎藤陣営からmerchu社への報酬の支払いは公選法違反(買収、被買収)の疑いがあるとして、上脇博之神戸学院大教授と郷原信郎弁護士が兵庫県警と神戸地検に告発。今回の家宅捜索は、この告発を受理しての動きです。
警察や検察をはじめとした強制捜査権を持つ機関の動きは密行が原則です。捜査対象者の逃亡や、証拠隠滅を防ぐためです。容疑者を逮捕しても共犯者がいる場合などは、すぐには発表しないこともあります。そうした捜査の動きをウオッチし、必要なら発表を待たずに報じることは、新聞社や通信社、放送局の事件担当記者なら当たり前のことです。merchu社側に対する家宅捜索も、新聞各紙や通信社は2月7日正午前後から一斉に速報しました。
以下は、わたしが手元でまとめた各紙のデジタル版での速報の記録です。もっとも速かったのは「独自」のクレジットを付けた産経新聞でした。ほか、放送ではNHKが正午の全国ニュースで報じています。

■新聞各紙も「慎重」強調
2月7日正午前後の速報段階では、読売新聞の記事の詳しさが目を引きました。リードで「押収資料などを詳しく調べ、立件できるかどうかを慎重に判断する」とした上で、以下のように記述していました。
捜査関係者によると、捜査当局は代表側に関連資料を任意提出するよう要請したが、十分に応じなかったため、立件の可否を判断するためには証拠が不可欠だとして強制捜査に踏み切った。斎藤氏側は任意提出に応じているという。
※読売新聞「兵庫県知事選で報酬受け取り疑い、PR会社関係先を捜索…神戸地検と県警」
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250207-OYT1T50077/
新聞の紙面では、8日付朝刊で各紙とも大きく報じました。わたしが住む東京での各紙の扱いは後掲しますが、東京発行の6紙のうち朝日新聞、読売新聞、産経新聞、東京新聞の4紙は1面に掲載、毎日新聞は社会面トップ、日経新聞は社会面準トップでした。いずれも、速報段階の読売新聞と同じく、兵庫県警と神戸地検は立件することを前提に捜査しているわけではない、ということを直接的な表現で伝えています。以下の通りです。
・朝日新聞「立件できるかどうか慎重に捜査する。」
・毎日新聞「立件の可否を慎重に判断するとみられる。」
・読売新聞「刑事責任追及の可否を慎重に判断する。」
・日経新聞「違法性の有無を慎重に判断するもようだ。」
・産経新聞「立件の可否を慎重に判断するとみられる。」
・東京新聞「違法性の有無を慎重に検討するとみられる。」※共同通信の配信記事
これだけ捜査側が慎重姿勢を隠そうとしない、むしろあからさまに示すのは、かなり異例のことだと感じます。
家宅捜索は裁判所から「捜索差押許可状」を得て行う強制捜査であり、任意捜査と違って受ける側は拒否できません。企業であれば、業務遂行に著しい支障が出たり、社会的な信用が低下したりもします。確信的な犯罪者集団などはともかく、強制捜査に踏み切る以上は、立件に向けてある程度の見込みを捜査機関が持っている、というのが通例です。報道上も、取材でそうした感触を得ていれば、犯人視報道にならないように留意しつつ「捜査当局は疑惑の全容解明を目指す」などの表現になります。
慎重方針を前面に出す捜査側の異例とも感じるスタンスは、捜査対象が劣勢を跳ね返して再選された斎藤元彦知事陣営だからであり、仮に買収、被買収が成り立つとなれば、連座制で斎藤知事が失職するかどうかにまで影響が及ぶからだろうと思います。兵庫県警は兵庫県の予算で運営されている機関です。県政トップの知事の選挙の正当性を問う捜査に慎重姿勢で臨むのは、当然と言えば当然かもしれません。
ただし、だからと言って立件に消極的で、家宅捜索は「捜査を尽くした」とのアリバイ作り、というわけでもないように思います。新聞各紙の報道からは、merchu社や折田代表に広報全般を依頼した事実はないとの斎藤知事側の主張に対する捜査当局の評価が読み取れません。必ずしも信ぴょう性を認めているわけではない、少なくともその判断を留保しているのではないか、と感じます。
結局、焦点は折田代表の選挙戦でのポジションです。斎藤陣営の広報全般を業務として請け負っていたのか、それとも一介のボランティアだったのかであり、斎藤知事側と折田代表の間で、選挙戦に折田代表が加わることについて、どんなやり取りがあったのかに尽きるようです。
このブログ記事を書きながら、折田代表のnoteを久しぶりに閲覧してみました。斎藤陣営の広報全般を同社が業務として手掛けたと受け取れる記述は、2月9日午前の段階でも削除されずに残っています。斎藤陣営の広報全般を自分が担ったことは事実として譲れない、との思いでいるのでしょうか。

■「立花孝志」の報じ方
兵庫県知事選ではSNSがマスメディアの選挙報道を凌駕し、当初劣勢だった斎藤知事を逆転に導きました。merchu社の折田代表のSNS運営が選挙違反に当たるかどうかが注目されるのも、その事情からです。ただし、斎藤知事の逆転当選とSNSを巡っては、より本質的なことがあります。「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首が、自らの当選ではなく、斎藤知事を当選させることを目的に立候補したことです。選挙戦での立花党首の主張には根拠不明のものが数多くあり、今では明確に事実無根だったと分かっていることもあります。
その立花党首は、兵庫県警、神戸地検がmerchu社と折田代表側へ強制捜査に踏み切った7日当日に、2月27日告示、3月16日投開票の千葉県知事選に立候補することを表明しました。今度は、現職の熊谷俊人知事の再選を目的にした「2馬力」の選挙運動展開を公言しています。
兵庫県知事選では「SNSの勝利、マスメディアの敗北」との言説がネット上で行きかいました。そうした言説がもてはやされる最大の要因が立花党首の存在だったことは明らかです。新聞、テレビのマスメディアが今度はどうするのかが問われますが、7日の出馬表明を報じたのは、東京発行の新聞紙面では、毎日新聞と東京新聞だけでした。
・毎日新聞:第3社会面「立花孝志氏、千葉知事選出馬表明」※短信
・東京新聞:3面「立花氏『2馬力』選挙明言 千葉県知事選立候補を表明」※共同通信の配信記事
東京新聞が掲載した共同通信の配信記事には、立花党首の兵庫県知事選での2馬力選挙が問題化したこと、石破茂首相が国会で法改正の必要性に言及し自民党も規制を検討していることに触れています。
他紙が地域版でどんなふうに報じたのか、報じていないのかは分かりませんが、立花党首が本当に立候補するのなら、マスメディアは、とりわけ立花党首の情報発信を巡る信用性、信ぴょう性の問題を取り上げていくべきだろうと思います。ファクトチェック機能をマスメディアが果たさなかったことは、兵庫県知事選の報道の教訓の一つだからです。ただし、ファクトチェック報道も、デマやフェイクニュースを信じている人、信じかけている人に届かなければ意味はありません。そこに既存のマスメディアの最大の課題があります。
以下に、兵庫県警と神戸地検の家宅捜索を東京発行の新聞各紙はどう報じたか、8日付朝刊の扱いと主な記事の見出しを書きとめておきます。
▽朝日新聞
・1面「兵庫県知事選巡り PR会社側捜索/SNS選挙運動 報酬疑い」
・社会面準トップ「兵庫知事選 違法性判断へ/会社捜索 斎藤氏 改めて否定」/「相次いだ疑惑の指摘」/「捜査幹部『やるべきことの一つが捜索』」
▽毎日新聞
・社会面トップ「兵庫知事PR会社 捜索/県警、地検 立件可否判断 公選法違反疑い」/「知事と社長 意見隔たり」/「支払い『対価』焦点」
▽読売新聞
・1面「PR会社を捜索 兵庫知事選/地検・県警 報酬受領疑い」
・3面(総合)スキャナー「SNS運用に対価 焦点/『PR会社の主体性』解明図る」「陣営の外注 線引き難しく/業者に指示書『自衛策』も」
・社会面準トップ「兵庫知事に説明求める声/PR会社捜索『混乱収束 早期に』」
・社説「兵庫知事選捜索 SNS戦術の実態解明を急げ」
▽日経新聞
・社会面準トップ「PR会社関係先を捜索/兵庫県知事選 公選法違反疑い 地検・県警/SNS運用 報酬違法性、慎重に判断」/「公選法違反 改めて否定 斎藤知事」
▽産経新聞
・1面「PR会社側 捜索 兵庫知事選/報酬巡り公選法違反疑い」
・社会面トップ「SNS監修 有償か無償か/告発の大学教授『事実を明らかに』」/「スマホのやり取り解明へ」
▽東京新聞
・1面準トップ「PR会社の関係先捜索 兵庫知事選/SNSに対価か 公選法違反疑い/知事側、運動員買収否定」
※参考過去記事