ことしの5月15日は、1972年に沖縄の施政権が米国から返還されて53年の日でした。「沖縄の日本復帰」の日です。1945年に日本の敗戦で第2次世界大戦が終結して80年の年にも当たります。米軍による沖縄の軍事占領も1945年に始まりました。住民が犠牲になった地上戦、「自治は神話」と言い放たれた27年間の米統治、返還後も続く基地の過重負担、辺野古新基地建設を巡る近年の日本政府の強硬姿勢-。沖縄の現代史を振り返る節目と位置付けることもできる「80年」の年の5月15日であるようにも思います。
沖縄に基地の負担を強いている側の日本本土で、新聞各紙がこの日をどのように報じたのか、あるいは報じなかったのか。東京で手にした15日付の朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の全国紙3紙の紙面では、関連記事は朝日新聞にしか見当たりませんでした。昨年、読売新聞の同日付紙面には関連の記事はありませんでした。今年は毎日新聞にも記事が見当たらないことに、少なからず驚きを覚えます。
※参考過去記事:昨年の記録です
全国紙も含めて、新聞各紙のネット上のサイトで社説、論説をチェックしてみました。関連の社説、論説の全文を確認できたのは朝日新聞、日経新聞、中日新聞(東京新聞と共通)、西日本新聞の4紙。ほかに見出しのみ確認できたのは神奈川新聞(「沖縄復帰の日 喜びの涙と新たな暦を」)と山梨日日新聞(16日付「【戦後80年 沖縄復帰の日】県民の戦い いつ終わるのか」)です。ネット上で社説の見出しを公開していない新聞もあるので、これがすべてというわけではありませんが、率直に言って「わずか6紙」と感じます。
※参考過去記事:「復帰50年」の2022年の各紙の社説、論説の記録です
ネット上で全文が読める4紙の社説のリンク先と、本文の一部を書きとめておきます。
■朝日新聞 5月15日付「沖縄復帰53年 問われる政権の姿勢」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16213604.html
1952年、日本は主権を回復した。一方で沖縄は米の統治下に置かれ、自治権は72年まで制限された。沖縄の求める「完全な復帰」の実現には基地の偏在をなくす政策が急務だ。だが今、政府と県の溝は深い。与党議員が溝をさらに深めているのは残念だ。
自民党の西田昌司参院議員は沖縄戦で犠牲になった学徒隊らを慰霊する「ひめゆりの塔」に関し、「歴史の書き換え」などと批判。後に「謝罪、撤回する」としたが、沖縄では「むちゃくちゃな教育のされ方をしている」と述べた部分は撤回せず、過酷な地上戦や米軍占領下の不条理を訴えてきた沖縄の人の心情を傷つけた。
4月の参院外交防衛委員会では中谷元・防衛相が米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について「もっと沖縄県が努力をしていればもっと早く普天間の移転も進んだ」と述べた。反対の声を無視して辺野古にこだわり続けたのは国の方だ。県の求める対話にも応じず工事を強行し、移転が進まないことを地元のせいにするのは筋違いだ。
問われているのは石破政権の姿勢だ。県は在日米軍に特権的な地位を認めた日米地位協定を改定するよう政府に求めているが、実現していない。就任初日の記者会見で改定に意欲を示した首相には、避けて通れない課題である。
■日経新聞 5月15日付「沖縄の負担軽減へ大きな絵を」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK146OM0U5A510C2000000/
日本軍がこの戦闘に敗れ、首里城も落ちて南部に敗走するなかで「ひめゆり学徒隊」の悲劇は起きた。「ひめゆりの塔」の展示を「歴史を書き換えている」などとした自民党の西田昌司参院議員は、史実を知らぬ恥ずかしい発言だと肝に銘じるべきだ。
戦後80年は歴史を直視する機会である。それにもかかわらず、不適切な発言が絶えない現状に、沖縄県民が「本土は沖縄の苦しみをわかっていない」という思いを抱くのも無理はない。
私たちは東アジア情勢の厳しさを考えれば、沖縄に米軍の駐留は必要だと考える。米軍の安定した駐留と運用には沖縄の人々の理解と協力が欠かせず、負担軽減への期待にこたえねばならない。
■中日新聞・東京新聞 5月15日付「沖縄を返せ、沖縄へ返せ 復帰の日に考える」/「基地のない島」は遠く/平和への祈りの歌に
https://www.chunichi.co.jp/article/1067125
復帰運動のシンボル的な存在だった「沖縄を返せ」は復帰後、その役目を終えたように歌われなくなりました。歌の存在を知らない若い世代が、沖縄でも増えていたといいます。
その歌に再び命を吹き込んだのが、八重山民謡歌手の大工哲弘(だいくてつひろ)さん(76)です=写真、東京・新大久保の沖縄島唄カーニバルで。
大工さんは「沖縄を返せ」を94年にリリースしたCDに収録したり、集会などに呼ばれた際に歌ってはいましたが「沖縄を返すと言っても、どこへ返せばいいのか、分からない」と、違和感を感じていたそうです。
転機は95年9月に起きた米兵による少女暴行事件でした。「沖縄を返せ」と2度繰り返す後半部分を「沖縄へ返せ」に変えて歌ったところ多くの人が共感し、全国各地の集会などに呼ばれるようになったそうです。今では自身のライブでも定番曲です。
「沖縄は今も、安全保障の捨て石にされている。女性への暴行事件があっても、辺野古への基地建設で沖縄の豊かな自然が壊されても、本土の人は知らんぷり。これは民主主義ではない。沖縄を、沖縄の人に返してほしい」
■西日本新聞 5月15日付「沖縄復帰53年 基地の過重負担いつまで」
https://www.nishinippon.co.jp/item/1351033/
国の安全保障のためであっても、憲法で保障された基本的人権が沖縄だけ侵害されてよいはずはない。
こうした状況を生み出す構造の一つは、在日米軍に法的特権を認めた日米地位協定である。
日本側は米兵への捜査権や裁判権が制限されている。訓練は米軍が理由をつけて必要だと言えば、昼夜を問わず優先される。発がん性が指摘される有機フッ素化合物(PFAS)による環境汚染が疑われても、基地への立ち入り調査には米軍の許可が必要だ。
地位協定は60年に結ばれて以来、一度も改定されていない。石破茂首相はかねて改定に意欲的だったが、最近はおくびにも出さない。
53年前の復帰の日に政府が誓った「平和で豊かな沖縄」と現実は懸け離れていると言わざるを得ない。
中国と台湾、東南アジアに近い沖縄は軍事上の要石であり、緊迫化する国際情勢の中で一定の負担はやむを得ないとする意見もある。
沖縄の人たちはそこに「有事になれば一定の犠牲は仕方ない」という含意を見抜き、失望している。
安全保障は国全体の問題である。沖縄に過重負担を押しつけ、本土が安住することは許されない。九州に住む私たちはもっと沖縄に目を向け、悲痛な声に耳を傾けたい。
朝日新聞や日経新聞が触れているように、沖縄戦のひめゆり部隊の慰霊を巡って自民党の西田昌司参院議員が「歴史の書き換えだ」と主張する出来事がありました。5月3日の憲法記念日の集会でのことです。
▽琉球新報「ひめゆりの塔『歴史書き換え』 自民・西田参院議員、シンポで発言」=2025年5月5日 ※リンク先からは西田議員の講演の音声を聞くことができます
https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-4207707.html
自民党の西田昌司参院議員が、憲法記念日の3日に那覇市内で開かれた「憲法シンポジウム」(主催・県神社庁など、共催・自民党県連)の講演で、糸満市のひめゆりの塔の説明書きについて、日本軍が沖縄に入って来たことでひめゆり学徒隊の生徒が亡くなり、アメリカによって沖縄が解放されたという内容だったとした上で「ひどい。歴史の書き換えだ」などと言及した。戦後日本の教育を批判する文脈での発言。ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長は西田議員の指摘した内容について「塔や資料館の記述にはない」と指摘し、「史実や歴史に誠実に向き合って発言してほしい」と語った。
「西田発言」に対しては、日本本土の新聞の中にも5月9日付以降、社説、論説で批判する例が続きました。
【9日付】
■朝日新聞「西田昌議員発言 沖縄戦の歴史ゆがめる」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16210043.html
■毎日新聞「西田議員『ひめゆり』発言 沖縄の尊厳傷付ける暴論」
https://mainichi.jp/articles/20250509/ddm/005/070/024000c
■北海道新聞「自民 西田氏発言 沖縄の歴史直視し撤回を」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1157180/
■山梨日日新聞「【ひめゆり「歴史書き換え」】戦争の実相 謙虚に学ばねば」
■信濃毎日新聞「西田氏の発言 沖縄戦の実相 学び直せ」
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2025050900245
■中日新聞・東京新聞「『ひめゆり』発言 沖縄への侮辱、撤回せよ」
https://www.chunichi.co.jp/article/1064318
■京都新聞「『ひめゆり』発言 西田氏は撤回すべきだ」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1472971
■神戸新聞「西田議員発言/沖縄戦史を学ばぬ暴言だ」
https://www.kobe-np.co.jp/opinion/202505/0018962924.shtml
■西日本新聞「ひめゆり発言 沖縄戦の史実に向き合え」
https://www.nishinippon.co.jp/item/1348714/
【10日付】
■東奥日報「あるまじき暴論 猛省促す/自民・西田氏の沖縄発言」
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/2016563
■新潟日報「西田氏沖縄発言 歴史直視し非戦の決意を」
https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/605168
■中国新聞「西田議員『ひめゆり』発言 沖縄史を歪曲 撤回は当然だ」
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/640045
■愛媛新聞「西田氏『ひめゆり』発言 沖縄の歩み否定し尊厳傷つけた」
■徳島新聞「西田氏発言 沖縄の痛み顧みぬ暴論だ」
■高知新聞「【ひめゆり発言】危うい歴史観の押しつけ」
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/858984
【11日付】
■山陰中央新報「西田氏沖縄発言 議員の暴論に猛省促す」
■大分合同新聞「西田氏沖縄発言 議員の暴論に猛省促す」
■熊本日日新聞「『ひめゆり』発言 歴史に向き合う謙虚さを」
沖縄の地元紙の沖縄タイムス、琉球新報が、西田発言と「5月15日」を社説でどう取り上げたかも書きとめておきます。
沖縄タイムスの15日付社説は、「女性」の視点でした。ことしは国連の「国際女性デー」制定50年、1995年9月の第4回世界女性会議で国連が北京宣言を採択して30年です。米軍基地があるがゆえの性暴力などの人権侵害を考える重要な視座だと感じます。
琉球新報は天皇制と沖縄の現代史に触れています。
■沖縄タイムス
5月15日付「女たちの『5・15』 人権前面に社会変える」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1583320
苛烈を極めた80年前の沖縄戦と27年に及ぶ米軍統治。
憲法により基本的人権と地方自治を与えられた本土と違って、沖縄の戦後史は人権保障や自治拡大を求める抵抗の歴史でもあった。
特に女性たちは、生活の場から社会と関わり、女性の権利や子どもの幸せ、平和の実現のためにと行動した。
この間、沖縄社会の大きな変化の一つに女性たちのエンパワーメントがある。
80年代、トートーメー(位牌(いはい))は男子が継承すべきだとする慣習を巡って大論争が起きた。「家父長制」の遺物でもあり、女性に一方的に不利益を強いる状況が社会問題として共有されるようになったのだ。
バスガイドの35歳定年を不服とする裁判では、女性の権利を主張した運動が展開され、60歳定年を勝ち取った。後に続く女性へ道を開いた。
これら動きの延長線上に、女性の視点から基地問題を問う運動があり、さらには水などの環境問題、子どもの貧困問題への取り組みが生まれた。
県民所得が低く、母子世帯割合が高い沖縄における子どもの貧困は、女性の貧困と地続きだ。
女性たちが直面する困難に対応するためにもジェンダーの視点から問題を問い直し、政策へ反映させる重要性が増している。
5月14日付「政治家また歪曲発言 戦争の美化 看過できぬ」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1582507
5月10日付「西田氏発言撤回 これで謝罪と言えるのか」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1580273
5月8日付「西田氏、発言撤回せず 根拠も示さず無責任だ」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1578742
5月6日付「西田議員『ひめゆり』発言 学徒の証言に向き合え」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1577715
■琉球新報
5月15日付「施政権返還53年 復帰の内実問い続けたい」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-4229715.html
日本復帰と同時に、戦争放棄を掲げて平和主義をうたい、主権在民、基本的人権の尊重を明記した日本国憲法が沖縄にも適用された。だが米兵らの権利を優先させる日米地位協定が憲法の上位に君臨する状況が続いている。
サンフランシスコ講和条約で日本から切り離され、沖縄は米施政権下に置かれた。昭和天皇が米側に琉球諸島の軍事占領の継続を求めた「天皇メッセージ」が、日本本土の国体護持のため沖縄を切り捨てたとの見方もある。
天皇と皇后両陛下、長女の愛子さまが6月4、5日に沖縄を訪れる。天皇の名の下に戦われた戦争で沖縄を本土防衛の「捨て石」にし、戦後も沖縄を切り捨てる形で米側に差し出した責任はどうなったのか。象徴天皇の沖縄訪問の意味を、復帰から53年、戦後80年の今日、あらためて考える機会としたい。
5月14日付「参政党神谷氏発言 住民犠牲の事実直視せよ」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-4227085.html
5月10日付「西田氏発言謝罪 TPOの問題ではない」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-4218649.html
5月8日付「西田氏発言『撤回せず』 沖縄戦の実相と向き合え」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-4213284.html
5月6日付「西田氏発言 沖縄戦証言、研究愚弄した」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-4209416.html
「戦後80年の年の5月15日付の新聞」のこととして、もう一つ、書きとめておきます。
日本本土では読売新聞が1面トップで「皇統の安定 現実策を/読売新聞社提言」との大きな見出しを掲げた「提言報道」を展開しました。3面にも大型のサイド記事と社説、特集記事にも丸2ページを費やしています。一方で前述の通り、沖縄の施政権返還から53年の日であることに触れた記事は見当たりません。この提言報道はなぜこの日付だったのでしょうか。
※記事は電子版の「読売新聞オンライン」で公開しています。
https://www.yomiuri.co.jp/koushitsu/20250515-OYT1T50012/
【写真出典:沖縄県ホームページ】