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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

高市首相の台湾有事発言、全国紙の社説の記録~「暴支膺懲」と戦争をあおった歴史の教訓を忘れない

 高市早苗首相が11月7日の衆院予算員会で、台湾有事をめぐり、日本が集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」に該当し得るとした発言から1カ月が過ぎました。中国政府の反発は続き、日本への旅行や留学の自粛を求めたり、日本の水産物の事実上の輸入停止のほか、文化交流にも影響が及んでいます。中国の習近平主席と電話で会談したトランプ米大統領が直後に高市首相に電話会談を求める動きもありました。トランプ大統領からは、高市首相発言を支持する発言は、少なくとも公にはありません。
 11月26日には国会の党首討論で立憲民主党の野田佳彦代表がこの発言を取り上げ、発言が招いた結果に責任を感じているかどうかなどをただしました。高市首相は「政府のこれまでの答弁をただ繰り返すだけでは、予算委員会を止められてしまう可能性もある」「具体的な事例を挙げて聞かれたので、その範囲で誠実に答えた」(朝日新聞社説)などと答弁したと報じられています。
 「聞かれたので答えた」との主張には無理があります。このブログの以前の記事で、11月7日当日の質疑の詳細を紹介しました。質問した立憲民主党の岡田克也議員は、昨年の自民党総裁選で高市首相が台湾有事に触れていたことから質問を始めていましたが、問題の首相発言の直前の問いは「軽々に有事などと口にすべきではない。どう思うか」との趣旨でした。ブログの以前の記事の一部を再掲します。

 岡田議員は、何が存立危機事態に当たるのかについて政府の公式見解では基準があいまいで、政府の解釈次第になる恐れがあること、与党議員や自衛隊OBらが存立危機事態とか武力行使、有事などを軽々に口にすべきではないことを指摘しています。その点についてどう考えるか、ということが質問の趣旨でした。それに対して、答弁を求められたわけではない、むしろ「軽々に口にするな」と指摘された台湾有事について、高市首相が踏み込んで、「私は考えます」と「私見」を話しています。そもそも、「軽々に口にするな」という指摘に対して「最悪の事態の想定は大事」と答えること自体がかみ合っていません。最悪の事態の想定があっても、軽々に口にしなければいい。やはり、首相が務まる政治家なのかどうかが、今回の問題の本質だと感じますし、マスメディアの政治報道でも繰り返し取り上げていい論点のように思います。

news-worker.hatenablog.com

 高市政権発足から1カ月もたたないうちに、高市首相自身の発言を契機にして、深刻な外交上の危機を招きました。中国政府の主張や強硬姿勢は容認できるものではないとしても、その是非を考える上でも、大元の高市首相発言の経緯や意味は、日本社会で理解が共有されているべきだろうと思います。そうした観点から、日常的に首相をはじめ日本政府や国会、各政党を取材しているマスメディアが今回の問題をどう報じているかに目を向けることにも、少なからず意義があるだろうと考えています。
 80年前の敗戦に至るまでの歴史を振り返ってみれば、対米英を中心にしたアジア太平洋戦争に先立って、対中国の戦争が始まっていました。当時の新聞は戦意高揚一色で、戦争遂行に進んで加担していました。
※参考過去記事
news-worker.hatenablog.com

 そうした歴史を踏まえるなら、マスメディアの組織ジャーリズムは、まずは自国の権力者の動向を社会に伝え、オピニオン機能として、疑問点は指摘し、批判すべきは批判や論評も加えることが第一だろうと思います。その役割を果たさないまま、主張が対立する相手国の批判ばかりになるなら、自国政府にも強硬姿勢を促すことになりかねません。かつての敗戦に至った歴史の繰り返しになることを危惧します。
 国家間の対立は容易にナショナリズムの感情を揺さぶり、勇ましい言辞が支持を集めることになりがちです。だからこそ、自国の権力監視を第一に置く組織ジャーナリズムが社会には必要です。それが、80年前の敗戦の教訓だろうと考えています。

 以上のようなことを考えながら、高市首相の発言と、その発言が引き起こしたこの1カ月間の事態を、全国紙各紙がどのように報じたか、その流れを俯瞰する一助として、各紙の社説を見てみました。
 朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の3紙が掲載した関連の社説の見出しを、順を追って並べてみました。

 高市首相の発言を最初に取り上げたのは11月8日付の朝日新聞でした。存立危機事態に対して政府による拡大解釈に道を開く発言であることを指摘しています。

▼朝日新聞11月8日付「存立危機事態 歯止め緩める首相答弁」
  https://digital.asahi.com/articles/DA3S16339870.html

 首相は「実際に発生した事態の個別具体的な状況に応じて、すべての情報を総合して判断する」と述べつつも、「(中国による)武力の行使を伴うものであれば、存立危機事態になりうる」と明言。「最悪の事態も想定しておかなければならないほど、台湾有事は深刻な状況に今至っている」との認識を示した。
 存立危機事態は他国への攻撃であっても、「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」とされる。厳格に解釈すれば、集団的自衛権の行使は厳しく制約されうるが、首相の見解は政府による拡大解釈に道を開くものだ。

 続いて毎日新聞が11日付の社説で取り上げました。やはり拡大解釈のおそれを指摘し、首相に対しては「持論に基づく勇み足であれば、軽率と言うほかない」と批判しています。

▼毎日新聞11月11日付「存立危機事態と首相 答弁の重み自覚すべきだ」
  https://mainichi.jp/articles/20251111/ddm/005/070/160000c

 首相は、この要件にどう該当するか説明していない。これでは、拡大解釈への道を開きかねない。
 歴代政権は同事態について「個別の状況に応じて総合判断する」とし、台湾有事と直接関連付けてこなかった。中国側に手の内を明かさないことなどが狙いだ。
 その後の予算委で首相は、従来の政府見解は変えていないと軌道修正し、「特定のケースを明言することは慎む」と反省の弁も述べた。持論に基づく勇み足であれば、軽率と言うほかない。
 首相は従来、歯切れの良い主張で保守層などから人気を集めてきた。ただ、不用意な発信は、外交上の火種となりかねないことにも留意すべきである。

 朝日、毎日両紙に対し、読売新聞は論調が異なります。高市首相の発言と姿勢に理解を示す一方で、質問した立憲民主党を批判しています。

▼読売新聞11月13日付「存立危機事態 安全保障で政局もてあそぶな」
  https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20251113-OYT1T50009/

 米国は戦略的に台湾有事への対応を曖昧にしているが、台湾海峡が封鎖される事態となれば米国の安全にも影響を及ぼそう。台湾有事が存立危機事態になり得る、という首相の認識は理解できる。
 ただ、危機に際しての意思決定に関する発言には慎重さが求められよう。首相がその後、「具体的な事態に言及したのは反省点だ」と釈明したのは適切と言える。
 立民は首相の答弁に「危険性を感じた」として撤回を求めている。だが、しつこく首相に見解をただしたのは立民自身だ。答弁を迫った上で、答弁したら撤回を迫るとは、何が目的なのか。
 とにもかくにも批判の材料を作りたいということだとしても、安保政策を政局に利用しようとするなどもってのほかだ。

 その後の中国政府の反発に対しても、朝日や毎日の社説が日本と中国の双方に冷静さを求めるトーンが中心なのに対して、読売の社説は中国政府への批判に終始していることは、見出しからも読み取れると思います。
 党首討論での高市首相の「聞かれたことに答えた」との主張に無理があることは前述の通りです。朝日、毎日が首相の答弁姿勢を批判しているのに対し、読売はここでも「答弁を執拗に迫った立民の責任を棚上げし、首相を責め立てる野田氏の姿勢は理解に苦しむ」と、批判の矛先を質問者に向けています。

■軍事的な緊張を招くに至る~

 折しも、このブログ記事を書いていた12月7日、極めて深刻なニュースが流れました。日中間の関係悪化が、軍事的な緊張を招くに至りました。

※共同通信「中国軍機が空自機にレーダー照射 沖縄近海で2回、首相は強く抗議」=2025年12月07日 19時22分
 https://www.47news.jp/13560031.html

www.47news.jp

 防衛省は7日、沖縄本島南東の公海上空で6日、中国海軍の空母から発艦したJ15戦闘機が航空自衛隊のF15戦闘機に対し、2回にわたってレーダー照射したと発表した。戦闘機のレーダーはミサイル発射に向けた準備段階となる火器管制や、周囲の捜索の目的で使用する。高市早苗首相は石川県輪島市で記者団に「極めて残念だ。中国側に強く抗議し、再発防止を厳重に申し入れた。冷静かつ毅然と対応する」と述べ、中国軍への警戒監視活動に万全を期す考えを示した。
 中国海軍は「自衛隊機が海軍の訓練海空域に複数回接近して妨害し、中国側の飛行の安全を重大に脅かした」と反発する談話を発表した。

 現場の自衛官が危険にさらされている、とみるべきかもしれません。この事態に至った経緯をさかのぼっていけば、高市首相の台湾有事発言に行き着くと考えるほかありません。そして、なぜ「極めて深刻」なのかと言えば、ここまで高まった緊張を緩和し、解消させることが、高市首相とその政権に可能とは思えないからです。
 そういう状況で、マスメディアがただ中国側の非を鳴らし、批判を強めるだけとなることを危惧します。高市首相は「冷静かつ毅然と対応する」と述べています。「冷静」な対応が何よりも必要なのに、マスメディアが「毅然と対応」を「強硬姿勢」と同義に使って政府と世論をあおるようなことになれば、軍事的緊張は一触即発のレベルにまで高まることにならないでしょうか。
 日中戦争当時のスローガン「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」という言葉が頭に浮かびます。
※ウイキペディア「暴支膺懲」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E6%94%AF%E8%86%BA%E6%87%B2

 暴支膺懲(ぼうしようちょう)とは、日中戦争中、日本の陸軍省などが中華民国の蔣介石政権に一撃を加えることで排日・抗日運動に歯止めをかけようという意味で使用した合言葉である。言葉の意味は「暴戻ぼうれい支那しなヲ膺懲ようちょうス」の短縮形で、「暴戻(=横暴)な支那(=中国)を懲らしめよ」を意味する標語である。

 日中戦争を新聞はあおり立てました。その果てに何があったか。80年前に日本の敗戦で終わった戦争の歴史の教訓を、マスメディアは生かさなければなりません。

 参考に、産経新聞と日経新聞の関連の社説の見出しも書きとめておきます。
▽産経新聞
11月11日付「『首相斬首』の投稿 暴言の中国外交官追放を」
11月17日付「首相の台湾発言 国民守る抑止力を高めた」
11月21日付「中国の対日威圧 専制国家の本性を現した」
11月24日付「中国共産党の宣伝 沖縄への野心曝け出した」
11月27日付「党首討論 野田氏の安保認識を疑う」
12月5日付「執拗な対日批判 中国の異常性示すだけだ」

▽日経新聞
11月16日付「日中両国は冷静な対話で対立の激化防げ」
11月21日付「高市政権1カ月に期待と懸念」
11月26日付「日米結束で中国の宣伝戦に冷静な対処を」
11月27日付「党首討論は責任ある政策をもっと競え」
12月1日付「中国の訪日自粛に慌てず観光政策見直せ」