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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

基地の過剰負担は本土の日本国民も当事者~名護市長選皮切り、復帰50年の沖縄の選挙を注視する

 沖縄県名護市長選が1月16日、告示されました。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還に日米両政府が合意したのは1996年。その後に移設先として名護市辺野古が浮上してから7回目の市長選です。立候補したのは自民、公明の推薦を得て2期目を目指す現職の渡具知武豊氏と、立憲民主や共産などの推薦を受けた前市議の岸本洋平氏の2人。辺野古の新基地建設が最大の焦点のはずですが、辺野古に関する両候補の主張は、岸本氏が反対を明確に掲げているのに対し、渡具知氏は賛否を表明せず、主張は明確にかみ合っているわけではないようです。
 沖縄タイムスの16日付社説が、この名護市長選の特徴を端的に言い表しているのではないかと思います。
※沖縄タイムス・社説「[名護市長選告示]国策の地 7度目の選択」=2022年1月16日
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/895145
 以下、一部を書きとめておきます。 

 名護市長選は経済振興への期待から基地受け入れを表明する陣営と、過重負担の固定化につながる基地受け入れに反対する陣営の、対立の構図が続いてきた。
 選挙戦の争点を巡って様相が変わったのは前回、18年の市長選からである。
 現職を破って初当選した渡具知氏は、相手が設定した土俵には乗らず、辺野古の是非を語らない戦術をとった。
 渡具知氏は今回も「国と県による係争が決着を見るまでは、見守るよりほかない」と賛否を表明していない。
 これに対し岸本氏は「軟弱地盤で完成が見通せず、県民投票で反対の民意は示されている」として、新基地阻止を前面に掲げている。
 新基地建設は軟弱地盤の存在が明らかになったことで先行きが見通せない。その間の普天間飛行場の危険性除去も宙に浮いたような格好だ。
 市長選は新基地建設という明確な対立軸が論戦の争点にならないという極めて奇妙な構図のまま、告示の日を迎えることになった。そのこと自体を問う選挙でもある。

 国政選挙ではなく自治体の首長を選ぶ選挙ですから、国政のテーマである辺野古新基地建設のほかにも、有権者の判断を左右する地域固有の要素はあります。しかし、普天間移設問題、ひいては米軍基地の過剰な負担によって、沖縄では人々が地域の未来を自分たちで選び取る自己決定権が十分に担保されているとは言い難い状況です。
 辺野古新基地建設への賛否の一点に絞れば、2019年2月の県民投票で「反対」が7割を占めたように、民意は明らかです。そうした民意は知事選や国政選挙でも何度も示されてきました。にもかかわらず、日本政府は新基地建設をやめようとはしません。沖縄の人たちにとって「いくら反対しても新基地建設は止まらない」と考えるなら、新基地に反対ではあっても、個々の選挙では別の投票行動を取ることもある、ということも、選挙の意味を考える上で知っておいた方がいいと思います。一方で今回は、辺野古沖の埋め立て予定地に軟弱地盤が存在することを巡って、玉城デニー沖縄県知事が工事の設計変更を不承認とし、工事が進められない状況になっています。前回の選挙とは違う要因もあります。
 沖縄での新型コロナウイルス感染拡大の要因として、沖縄の米軍基地と日米地位協定が指摘されていることも、わたしは注目しています。地位協定によって、在日米軍は日本政府と同じ検疫、防疫体制を強制されることはありません。米本国からの直行便が在日米軍基地に到着し、米軍将兵はそのまま基地の外にも出ていきます。日本政府がいくら水際防疫を強化しても、米軍基地という大きな穴があったわけです。今年に入って、沖縄では感染者がすさまじい勢いで増加しました。米軍基地がある日本国内の他地域でもそうでした。
 岸田文雄政権は米国に配慮してか、在日米軍基地が存在する地域の感染者急増との因果関係を認めず、したがって日米地位協定の改定の必要性も認めません。こうした事情が、選挙結果にどう影響するのか、しないのかにも注目しています。
 ことしは1972年に沖縄が日本に復帰して50年です。夏には参院選があり、秋には知事選が行われます。そこで示される沖縄の民意から何を読み取るのか。米軍基地の過剰な負担は沖縄の民意が求めたことではありません。その一方で、在日米軍による安全保障上の利益は日本本土も享受しています。このブログでも何度となく書いてきたことですが、その意味で、沖縄の基地問題に対しては、日本本土に住む日本国の主権者も当事者です。日本本土のマスメディアには、復帰50年の今年、沖縄で何が起きているのかを日本本土に伝えることに大きな責任があります。

 

【追記】2022年1月19日0時10分
 名護市長選告示について、東京発行の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)が翌17日付朝刊でどのように報じたか、主な記事の見出しを書きとめておきます。
 1面で扱ったのは朝日新聞だけでした。本記のほかにサイド記事で、選挙戦の構図などをより詳細に報じたのは朝日、読売、産経、東京の4紙でした。
 このうち読売、産経両紙は、これまで社説などで再三、辺野古移設と新基地建設の推進を主張してきています。対して朝日、毎日、東京各紙は反対ないし慎重な論調です。17日付朝刊の報道で目を引いたのは、読売、産経が選挙報道の公平性を確保するためか、自紙の論調とは異なる新人候補の主張も丁寧に紹介している点です。結果として選挙報道の情報量としては毎日、東京を上回っています。特に産経が共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の掲載記事まで紹介していることには意外な感じもしました。

▼朝日新聞
1面「辺野古移設巡り一騎打ち/名護市長選告示 現新、対応分かれる」
3面「沖縄選挙イヤー幕開け/辺野古移設 現職語らず・新顔『止める』/コロナ拡大 両陣営に戸惑い」
▼毎日新聞
2面「名護市長選一騎打ち/辺野古埋め立て後、初」
▼読売新聞
2面「名護市長選告示 一騎打ち/知事系・与党系 辺野古移設 焦点」
4面「コロナ拡大 舌戦一変/米軍基地周辺の感染 論点」
▼日経新聞
2面「名護市長選告示 現新の一騎打ち」(1段)
▼産経新聞
2面「名護市長選告示 現新争い/『持続発展を』『辺野古移設反対』/沖縄『選挙イヤー』幕開け」
「与党 落とせぬ『初戦』/コロナ拡大 逆風」
「野党 米軍クラスター/“失政”印象付け/地位協定の見直しも言及」
▼東京新聞
2面「辺野古争点 現新一騎打ち/名護市長選が告示」
「移設の賛否 問われ続け」

■辺野古移設に否定的な民意が「容認」を圧倒
 沖縄タイムスが実施した名護市内の有権者への電話世論調査によると、米軍普天間飛行場の辺野古への移設に対し「反対」が43・4%、「どちらかといえば反対」が18・7%で、否定的な回答が計62・1%を占めたとのことです。「容認」は12・8%、「どちらかといえば容認」は20・4%で計33・2%でした。
※「名護市長選、最も関心のある争点は? 無党派の動向は? 沖縄タイムス電話調査」

 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/896080

 琉球新報などの電話世論調査でも、辺野古移設を進める政府の姿勢に対して「支持しない」「どちらかといえば支持しない」が63.6%に上ったのに対し、「支持する」「どちらかといえば支持する」は31.0%でした。全世代で「支持しない」と答える割合が高くなったとのことです。
※「<名護市長選・序盤情勢>辺野古めぐる政府の姿勢『不支持』が63%」
 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1455951.html

 沖縄タイムスの調査、琉球新報などの調査とも、普天間飛行場の辺野古移設に否定的な回答の割合は6割超でほぼ一致しています。辺野古移設に限って言えば、有権者の6割超が否定的な考えを持っています。地元の民意は依然として、否定が容認を圧倒していると言っていいと思います。

変わるもの、変えてはいけないもの~東京発行新聞各紙 元日付1面の記録

 新聞はニュースの格付けにこだわるメディアです。日々のニュースで、その日もっとも重要だと判断したニュースを1面トップに置きます。1年の始まり、元日の朝に届く紙面であれば、1面トップには事前に時間と労力をかけて取材し仕込んだ大きな独自記事を各紙が競って載せます。最近では、大きく構えた連載企画の初回を据えることが目立ちます。
 ことし2022年の1月1日付の朝刊1面について、東京発行の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)を見てみました。6紙のうち読売以外の5紙は、トップは連載企画でした。テーマは国家ぐるみのフェイクニュースの疑惑、成長と資本主義、ビッグデータと国家主権、デモと表現の自由など。それぞれに、わたしたちの社会の現状と展望を描こうとしているように感じます。
 その中で「おや」と思ったのは朝日新聞の1面トップの記事です。企画のタイトルは「未来のデザイン」。見出しは「未来予想図 ともに歩もう」の1本だけ。併用写真は、ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和さんと中村正人さんの昨年12月のツアーの様子です。この見出しと写真からは、一体何の記事であるのかが分かりません。読んでみれば、コロナ禍の中で未来の姿を探ろうとする試みなのかと、おぼろげながらに趣旨が分かってくるのですが、正直なところ読み進むのがつらいと感じました。
 他紙の企画もそうですが、1面から総合面に記事は続いており、相当なボリュームです。各紙の電子版は見ていないのですが、これだけの長文の記事はスマホの小さな画面で読むのはつらく、そういう意味では紙面向けの記事であり、印刷媒体に適した表現方法でもあるのだろうと思います。そして、印刷媒体の新聞であるのなら、何を伝えたいのかを簡潔な表現で示す見出しはメディアとしての生命線です。朝日新聞の企画が、仮に何か新しい表現の試みだとすれば、その意図がよく分かりません。
 新聞はこの数年、発行部数の減少が急激に進み、新聞社はどこもデジタル展開が課題になっています。しかし収益モデルはそう簡単には見いだせません。これまで以上に経営のダウンサイジングも進むとみられます。取材と報道の全体を通じて、今まで通りのやり方で済むはずがありません。新しい試みが必要なのは確かですが、一方で変える必要がないもの、変えてはいけないものまで変えてしまっては元も子もない―。そんなことを考えた1年の始まりになりました。

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 以下に、東京発行各紙の1日付朝刊1面掲載の記事について、格付け順に主な見出しを書きとめておきます。

 わたしがもっとも読み応えがあると感じたのは、路上の「表現の自由」ともいうべきデモ体験の企画をトップに据え、その脇に、気候変動が貧困や分断をもたらし民主主義にとっても脅威になっている、とのノーベル賞受賞者、真鍋淑郎さんの指摘を並べた東京新聞です。


▼朝日新聞
①【企画】未来のデザイン1 プロローグ「未来予想図 ともに歩もう」写真:ドリームズ・カム・トゥルー ※2面に続く
②「強い寒気 日本海側大雪」
③「朝日賞 4氏に決まる」

▼毎日新聞
①【企画】オシント新時代 荒れる情報の海2「露、ヤフコメ改ざん転載/政府系メディアが工作か/日本読者装い『どうせ米は救ってくれない』」 ※3面に続く
②「『復帰っ子』沖縄の50年つむぐ」
③「米、48万人新規感染/1日当たり最多 英、伊も/新型コロナ」

▼読売新聞
①「米高速炉計画 日本参加へ/『もんじゅ』技術を共有/原子力機構など 国内活用目指す」/(解説)「原子力 将来像示す必要」
②「米露、ウクライナ協議難航/首脳電話会談 制裁巡り応酬」
③「トップ対談 意気投合/国枝選手・藤井竜王」 ※詳報31面

▼日経新聞
①【企画】成長の未来図1「資本主義 創り直す/競争→再挑戦→成長の好循環/解は『フレキシキュリティー』」 ※関連特集6、7面
②「海賊版 民間連携で抑止/日米などの著作者団体 国際捜査を要請」
③「米ロ首脳、異例の再協議/ウクライナ問題、警告応酬」
④「今夏の参院選 立候補予定171人 本社調べ」

▼産経新聞
①【企画】主権回復 第1部 2030への処方箋1「『電子暗号』覇者がAI社会制す/ビッグデータ時代の情報安全保障」 ※3面に続く
②年のはじめに「さらば『おめでたい憲法』」/コロナ禍でも寿命延び/警戒せよ「習近平の夢」 乾正人論説委員長
③「米、露侵攻なら『断固対応』/ウクライナ情勢 協議は継続 首脳電話会談」

▼東京新聞
①【企画】声を上げて デモのあとさき1「『脱原発』叫び 強くなれた/写真家 亀山ののこさん(45)」 ※2面・小熊英二さんに聞く
②「気候変動 民主主義にも脅威/貧困や難民 分断を招く/ノーベル賞・真鍋淑郎さんに聞く」
③「在日米軍、入国直後に検査/「クラスター 批判受け方針転換」

だれもが情報発信できる社会と「プロの責任」~新しい年の始めに

 新しい年、2022年になりました。61歳で迎えた年の始めです。
 2020年の秋に還暦を迎え、勤務先の通信社をいったん定年退社しました。そのまま1年更新の継続雇用契約に移り、管理職のまま同じ職務に就いていました。次の人事異動で役職を外れたら、自分の時間を使って社会活動の幅を広げようかと考えていたのですが、昨年秋の異動に際して提示があったのは、記者職の育成、研修を担当する部門でした。思うところがあって、受けることにしました。これまでと変わらず、フルタイムで出勤する生活です。

 記者職で入社したのは1983年4月、22歳の時でした。通信社とはいえ、記事の配信先のメインは新聞ですので新聞産業の一員です。当時、新聞の発行部数は右肩上がりでした。39年間で、マスメディアの組織ジャーナリズムを取り巻く環境は激変しました。新聞の部数減と存在感の低下もさることながら、ジャーナリズムの面での最たることの一つは、「伝える」という行為を巡って、プロとアマの間に一線を見定めるのが難しくなったことです。
 かつて、事件や事故の現場に駆け付け、現場から伝えることは、プロの組織ジャーナリズムが独占していた仕事でした。今ではSNSとスマホの普及によって、その場に居合わせた人が写真や動画を撮り、その場からリアルタイムで発信することがごく当たり前になっています。マスメディアもSNSを通じてそうした人たちに連絡を取り、写真や動画の提供を受けることが常態化しています。
 プロの地位が揺らぎ始めたのは、そんなに新しいことではありません。顕著な事例は2008年6月に東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件です。マスメディアの取材陣が現場に到着するよりも早く、容疑者の男が警察官に取り押さえられた瞬間を、居合わせた人が携帯電話のカメラで撮っていました。新聞各紙もその写真を載せざるを得ませんでした。
 写真や映像だけではなく活字も含めて、だれもが情報発信できる社会になって久しく、「だれでもジャーナリスト」とすら耳にします。プロのプロたるゆえんが、実はしばらく前から揺らいでいます。そんな時代にあって、わたし自身が長らく身を置いてきた組織ジャーナリズムの役割と存在意義、そして責任とは何だろうか―。そんなことを考えながら、わたし自身は現役の時間を終えていました。
 わたしが記者になった40年近く前は、日本の新聞は発行部数が右肩上がりでした。2000年ごろを境に減少に転じ、この数年は減少幅が急激に拡大しています。代わって、デジタル展開が新聞社の課題になっています。ニュースの伝え方、見せ方は大きく変わらざるを得ません。
 ただ、どんなに大きな変化があろうとも、マスメディアの組織ジャーナリズムには先人から受け継いできた不変の倫理や規範があり、貴重な教訓の数々があります。組織ジャーナリズムの今後を担う人たちには、それらを身に付け、時代に合った「プロの責任」を体現できる力を培ってほしい。先行世代の一人として、持ち時間はそれほど長くはないと思うのですが、そのお手伝いをしていきたいと思っています。

 ことし春からは勤務先からの派遣として、横浜の大学で、マスメディアに関心を持つ学生を対象にした文章作法の演習も通年で受け持つことになりました。大学での授業は、12年前の明治学院大での非常勤講師以来になります。ジャーナリズムを仕事にしてきた一人として、経験を踏まえてこの仕事の意義なども伝えていくつもりです。そうした日々を送りながら、マスメディアやジャーナリズムについて考えることを、折々にこのブログに書きとめていきたいと思います。

 本年も引き続き、よろしくお願いいたします。

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戦争は真珠湾攻撃の前に始まっていたし、対米国だけでもなかった~太平洋戦争開戦80年の報道の記録と伊丹万作「だまされることの罪」

 ことし12月8日は、1941年の太平洋戦争開戦から80年でした。節目ということからか、マスメディアでも8日前後は関連の報道が例年より手厚かったように思います。東京発行の新聞各紙も、12月8日付朝刊、9日付朝刊で大きく扱う紙面が目に付きました。当時を知る人は既に少なくなり、戦争体験の継承は社会の課題です。その意味では、マスメディアが折に触れ報じ続けることが大事なのですが、今回はその報じぶりに気になることがありました。日本海軍による米・真珠湾への奇襲攻撃にばかり焦点が当たり、「日米開戦80年」と位置付ける論調が際立って目立ったことです。
 真珠湾攻撃をもって日米が戦争状態に入ったことは間違いがないのですが、史実はそれだけではありません。その1時間前に日本陸軍が当時は英国の植民地だったマレー半島・コタバルに上陸して英軍と交戦しています。真珠湾への第一弾投下よりも早く、戦火は始まっていました。オランダも同日、日本に宣戦布告しており、開戦は日米間だけではありませんでした。よく知られていることであり、少し戦史を調べればすぐに分かることです。
 単に史実として厳密な表現ではない、という意味にとどまりません。陸軍のこのマレー作戦はシンガポール攻略が最終目標であり、現在のマレーシアから、当時はオランダ領だったインドネシアにかけての南方資源地帯の確保という、日本の大きな戦争目的に直結していました。真珠湾攻撃は、当時としては革命的な発想に基づく、空母を中核とした機動部隊による奇襲であり、戦果も大きかったのですが、作戦自体の位置付けは、米海軍の太平洋艦隊の出足を止めるのが目的で、南方資源地帯の確保の側面支援のようなものでした。
 資源の確保と言えばもっともらしく聞こえますが、石油をはじめとした資源の略奪を図ったようなもので、そう考えれば太平洋戦争の性格がよく見えてくるように思います。この戦争を今も大東亜戦争と呼び、欧米各国の支配からアジアを解放するための戦いだったとする見方がありますが、欧米各国に日本が取って替わろうとしていた、と見る方が妥当であるように思います。
 80年前の12月8日の開戦について「日米」だけを強調することで、特にこの戦争についての知識が少ない世代から見た時に、全体像がかすんでしまうことを危惧します。戦争体験の継承と共有が課題になっているときに、マスメディアの報道としては深い思慮が必要だろうと感じます。日本人の犠牲者、被害は紹介しながら、アジア各地の犠牲や被害に触れないことにも、同じ問題があります。

 朝日新聞の12月8日付朝刊オピニオン面に掲載されたインタビュー「侵略の起点 根底にアジア蔑視」で、地理学者・歴史研究家の高嶋伸欣さんが、興味深い指摘をしています。日本のマスメディアの報道では、真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まったという認識が一般的にみられることを挙げ、以下のように述べています。

 「帝国主義同士の戦いで、どっちもどっちだった、という話に収めておきたいということです。列強同士の植民地争奪戦ということなら、不都合はありません。ですが、日本軍はそのためにアジアの人々が生活する地域に攻め込み、危害を加えました。住民の虐殺、食料の強奪など中国大陸と同じことを東南アジアでもやっています。実情は今も変わらないアジア蔑視が根底の侵略行為だったのです」

 ほかに、東京発行の新聞各紙の関連記事の中では、朝日新聞の8日付朝刊社会面に掲載された東大教授、加藤陽子さんのインタビューが目を引きました。「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の著者であり、日本学術会議が会員候補として推薦したのにもかかわらず菅義偉前首相が任命を拒否した6人のうちの1人です。記事は、14年前に加藤さんの授業を受けた中高生に今の社会をどう見るかを尋ねたもので、社会面の半分を占める大きな扱い。隣りに加藤さんのインタビュー記事が並んでいます。

 歴史は単純には繰り返さない、とあの授業で言いました。こんど「戦争」がやって来るときにはまったく違う相貌であらわれる。「この道はいつか来た道」ではないな、と思っている間に、そうした芽を見過ごしてしまうでしょう。

(中略)映画監督の伊丹万作は「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」と戦後に書きます。そういう人にはならないようにというお願いです。
 民衆が、自国の苦難を他国の悪意の結果ととらえ、「祖国の危機を救え」と訴えたとき、戦争を選ばない為政者はいなかったのです。

 伊丹万作の警句のことは、このブログでも何度も紹介しました。「だまされることの罪」を説いています。敗戦の翌年、1946年のことです。「戦争を選ばない為政者はいなかった」との指摘も、ナチス・ドイツの巨魁だったヘルマン・ゲーリングが自死する前に残した言葉「国民はつねに、指導者の言いなりにできる」と表裏一体であるように思います。
 ※参考過去記事 

news-worker.hatenablog.com

 目を引いた記事をもう1件、紹介します。共同通信が配信した編集者、北村淳子さんの寄稿です。昭和史研究で知られる故半藤一利さん(今年1月に死去)のお孫さんです。

 私は今年、半藤一利の遺作「戦争というもの」という本を編集しました。本書を企画したのは、ほかでもない祖父自身です。祖父は昨年「今年は数え年でいうと、太平洋戦争開戦80年だから」という理由で、私に1枚の企画書を手渡しました。
 そのおかげで私は、普段は小説の編集をしているにもかかわらず、「戦争」の本を作り、折に触れて「平和」について考えざるを得ない大きな宿題をもらったわけです。
 今年は数え年ではなく、開戦満80年。祖父はこの日のためにあの原稿を書いていたのかと、格別に思うところがあります。
 (中略)
 先が見えない不安定な時代を生きる私たちは、日々目の前の仕事をこなし、何かを食べ、きちんと眠るだけでも忙しい。立ち止まって、人間が引き起こした凄惨な過去に目を向けることはなかなかに難しいというのが、リアルなのだと思います。
 けれど、何げない毎日も、あの戦争から続く流れの上に成り立っている。
 かつて日本人は「熱狂」に流され、残酷な方向に舵を切りました。そして今後、同じ過ちを決して起こさないとは言い切れない。
 私たちが普通に過ごしている「今」は、いつかの地獄を経験した先人たちが目指し、築き上げてくれた「平和な未来」です。私たちにはそれを守る責任があるのだと思います。それを果たすためには過去を知るほかないのだと、祖父は私に原稿という形で伝えたかったのかもしれません。

 戦争を直接知る世代の人たちは間もなくいなくなります。それでも、戦争を繰り返さないために、世代を超えてできることはあるのだと、この記事を目にしてあらためて思いました。全国の地方紙に掲載されていると思います。

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※写真:1941年10月、開戦直前の真珠湾(パブリックドメイン、ウイキペディア「真珠湾攻撃」より)

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※写真:イギリス領マラヤのクアラルンプールに突入する日本軍部隊(1942年、パブリックドメイン、ウイキペディア「マレー作戦」より)

 以下に東京発行の新聞各紙が8日付、9日付の各朝刊に掲載した太平洋戦争開戦80年の関連記事の主な見出しを書きとめておきます。

【12月8日付朝刊】
▼朝日新聞
 ・1面トップ・日米開戦80年 日系人の記憶①「監視塔 日系人というだけで/真珠湾攻撃後 始まった強制収用」=9面へ
 ・13面(オピニオン)交論「『12月8日開戦』の意味」「戦争の目的 統一戦略なく分裂」歴史学者吉田裕さん/「侵略の起点 根底にアジア蔑視」地理学者・歴史研究家高嶋伸欣さん
 ・社会面トップ「日本人が、戦争を選ばないために/『合理的』な判断の末に悲劇があった 自分と違う意見を排除しない/『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』授業から14年 中高生だった彼らがいま、考える」/「『戦争』は違う顔で現れる 見過ごさないで」加藤陽子・東大教授
 ・社説「日米開戦80年 サダコの鶴が架ける橋」

▼毎日新聞
 ・1面「日米開戦きょう80年」
 ・10面(オピニオン)記者の目・開戦80年に考える教訓「『為政者は間違う』と意識を/蜃気楼のような終戦構想で始動/参政権など権利生かし身を守る」栗原俊雄専門記者
 ・社会面トップ・あの日、真珠湾で 日米開戦80年③「埋もれた強制収容所/『日系人 スパイと疑われた』/ハワイの『地獄谷』 終戦翌年閉鎖」
 ・社説「日米開戦80年 事故過信の危うさ教訓に」

▼読売新聞
 ・1面「遠くに煙り『戦争始まった』/真珠湾攻撃80年/当時7歳の日経2世」=8面へ
 ・29面(文化)「『理不尽な死』作品の根底/『同世代の若者 声もなく…』/映画監督・岡本喜八と戦争(上)」
 ・社会面トップ「真珠湾伝える 命の限り/仲間の死『開戦回避なら…』/攻撃参加 103歳の近い」/「元軍人6400人、平均94歳/戦争体験の継承 課題に」

▼日経新聞
 ・2面「中国が促す日米同盟深化/真珠湾攻撃80年 台湾有事 高まる懸念」※筆者は吉野直也政治部長
 ・社会面トップ「広島の火をハワイへ/被爆者遺族ら平和願い/真珠湾攻撃80年」/「当時の責任、現代の教訓/佐藤(卓己)・京大教授に聞く」

▼産経新聞
 ・1面「あの日と今日は地続きにある/真珠湾攻撃80年 論説委員長 乾正人」/「時代は今 区切られた」/教訓活かし有事備えよ
 ・23面(東京都内版)「『平和祈念館』建設へ活動本格化/東京大空襲の犠牲者追悼 市民団体を設立/元都議『イデオロギーに偏らない展示目指す』」

▼東京新聞
 ・1面「館長『君たちは矢だ』/きょう太平洋戦争開戦80年」=23面(社会面)へ
 ・4面(国際)真珠湾の記憶 日米開戦80年(中)「『ニセイ』消えぬ差別の傷/両親は日本人移民」
 ・21面(特報)「『真の戦後 訪れていない』/次期国会こそ救済の立法を/きょう開戦80年 空襲連が集会」
 ・24面(最終面)「橋に刻まれた傷痕/永代橋(隅田川)焼夷弾直撃/鎌倉橋(日本橋川)銃弾えぐる」
 ・社説「坂口安吾と憲法9条 開戦の日に考える」/勝利夢見ず滅亡を確信/戦争放棄活用が利口、と

【12月9日付朝刊】
▼朝日新聞
 ・11面(国際)日米開戦80年 日系人の記憶②「祖国は米国 命捧げた日系部隊/第2次大戦 800人が犠牲に/評価得るまで 半世紀以上」
 ・社会面トップ「消された父の『生』刻む/出撃、米の捕虜に 戦死の仲間は『軍神』/『何の理由で非国民』命を肯定」/「真珠湾攻撃80年 ハワイで追悼」=ホノルル

▼毎日新聞
 ・1面「真珠湾 80年後の祈り」=ホノルル共同
 ・社会面準トップ・あの日、真珠湾で 日米開戦80年④「日系2世 許せぬ問い/家奪われ『米国に忠誠誓うか』/強制収用生んだ差別 今も」

▼読売新聞
 ・4面(政治)「『米と緊密連携』 官房長官、真珠湾80年」※1段
 ・社会面準トップ「『父関わった攻撃 向き合う』/操縦機『トラトラトラ』打電/真珠湾80年」/「ハワイ 犠牲2400人悼む/米大統領『受け継ぐ』」=ホノルル

▼日経新聞
 ・4面(政治・外交)「真珠湾攻撃80年 いま学ぶこと」「米中関係にも教訓」日本国際問題研究所理事長 佐々江賢一郎氏/「台湾は現状維持を」コロンビア大学教授 ジェラルド・カーティス氏
 ・12面(国際)「東南ア、戦争の記憶なお/若者への歴史継承はかる/マレー半島上陸80年」
 ・44面(第2社会)「開戦記した軍医の日誌/『夜眠れず、成功祈るのみ』/戦争への経緯、考える契機に/真珠湾攻撃80年」=シンガポール

▼産経新聞
 ・7面(国際)「日米『敵から同盟国に』/真珠湾攻撃80年 ハワイで式典」=ホノルル共同
 ・26面(第2社会)「将兵の思い 埋もれさせない/祖国や家族 守る使命感/大阪観光大・久野講師 経験者400人取材」/「『戦争、絶対してはいけない』/真珠湾攻撃 103歳元兵士」

▼東京新聞
 ・1面準トップ「潜水艦軍医 攻撃直後の心情/母校・慶応大 日記など公開」=27面(社会面)へ
 ・4面(国際)真珠湾の記憶 日米開戦80年(下)「若者の犠牲 胸に刻む/身元不明者 特定望む声」
 ・24、25面(特報)「国民の命考えていない/開戦日の防空下令『逃げずに火を消せ』/関東大震災の教訓生かされず」「『士気向上』犠牲は拡大/隣組監視に似る自粛警察」
 ・社会面「『悲惨さ記憶に』『戦争二度と…』/国内各地で不戦の誓い」

敗戦の教訓を引き継ぐ~西日本新聞のコラム「『暑いな』とデスクは言った」

 先日、フェイスブックの知人の投稿で知った西日本新聞のコラムを紹介します。3年近く前のものですが、平成最後の年明けに、「昭和が終わった日」を振り返った内容です。「当時入社7年目で警察担当だった」という筆者は、わたしと同世代のようです。
 ※「『暑いな』とデスクは言った」=2019年1月6日
  https://www.nishinippon.co.jp/item/n/477459/

 一時代の終わりを報じるという緊張感が漂う編集局で、電話受けなどをしていたところ、社会部のデスクが私に声をかけた。
 「おい永田、今日は暑いな!」
 「はあ?」
 「気象台に取材してどのくらい暑いか記事にしろ」
 「はあ?」

 「暑い」は大げさだが、確かにその日は1月にしては相当暖かかった。改めて気象台の記録を調べると、89年1月7日の福岡の最高気温は16・5度、最低気温は10・5度とある。
 とはいえ、またどうして激動の昭和が終わろうという時に、お天気の記事を書かせようとするのか。眉毛のないこわもてデスクだったこともあり、取りあえず逆らわないで気象台に電話したが、そのうち私にもデスクの意図が分かった。
 紙面を「崩御一色」にしたくなかったのだ。
 (中略)
 「『○○一色』は危うい」というのが、昭和という時代の教訓ではなかったのか。そういう問題意識があった。

 翌日の朝刊は、やはり一色で埋め尽くされた感があったものの、テレビが「天皇特番」に切り替えたことでレンタルビデオ店がにぎわったとの記事もありました。「私とデスクが心配するまでもなく、市民はごく自然体で『一色』に染まるのを拒んでいたのだった」。そして最後に「新聞は国民の日記」という言葉を紹介しています。

 「新聞は国民の日記」という言葉がある。実際「あの日の日本で何があったか」を調べるには、古い新聞を繰るのが一番早い。この記録性が新聞の重要な役割の一つである。

 昭和64年1月7日のその日、わたしは通信社で入社6年目の記者。埼玉県の支局で警察を担当していました。20代の後半でした。
 前年の夏以来、埼玉県西部では幼い女児の失跡が相次いでいました。8月に狭山市、10月に飯能市、そして12月に川越市で。そして川越市の女児は失跡から1週間後に県内の山中で遺体が見つかり、一気に連続誘拐事件の様相が強まっていました。昭和天皇の容態をにらんで、マスメディア各社が緊張していた時期に、わたしは来る日も来る日もこの事件の取材に明け暮れていました。そして迎えたこの日。土曜日でしたが、その時には全員出社とあらかじめ決まっていたように思います。支局でそれこそ天皇一色のテレビを眺めながら「ああ、これで当分は、事件で他社に抜かれることもないだろう」などと、ぼんやり考えていました。
 レンタルビデオ店がにぎわったのは埼玉でも同じでした。加えて、コンビニでは弁当やおにぎり、サンドイッチなどがあっと言う間に売り切れました。支局に向かう途中で、昼に食べる弁当を買おうとコンビニをのぞいたのですが、本当にどこも棚が空っぽだったことを覚えています。週末だというのに、テレビは荘厳なムードで昭和天皇をしのぶ特番ばかり。街も前年来、歌舞音曲を控えた自粛モードが続いており、テレビは、半旗を掲げてひっそりした東京の繁華街の様子も映し出していました。しかし、社会は「服喪」一色ではなかったのです。借りてきたビデオを自宅で見ながら、食事もコンビニ弁当で手軽に済ます人が少なくなかったのでしょう。各地の当時の新聞をめくれば、そうした記事が見つかるはずです。なお、わたしはその日、何か記事を書いた記憶はありません。

 昭和20(1945)年に日本の敗戦で第2次大戦が終結しました。明治以降、その敗戦まで、大正、昭和と日本は戦争をする国でした。「国民の日記」である新聞も、いざ戦争となれば戦意を高揚する記事で紙面を埋め尽くしました。売れたからです。そして太平洋戦争では国家を挙げての総力戦となり、報道にも統制がかかるようになっていました。戦況は「大本営発表」を元にした記事しか載らなくなり、それも虚偽ばかりになっていきました。
 最近、「言論統制というビジネス 新聞社史から消された『戦争』」(里見脩、新潮選書)という本を興味深く読みました。

 背表紙には以下のように書かれています。

 第二次大戦後、新聞社はこぞって言い始めた。「軍部の弾圧で筆を曲げざるを得なかった」と―。しかし、それは真実か? 新聞の団体は、当局に迎合するだけの記者クラブを作り、政府の統制組織に人を送り込んで、自由な報道を自ら制限した。「報道報国」の名の下、「思想戦戦士」を自称しつつ、利益を追及したメディアの空白の歴史を検証する。

 この本のことは、あらためてこのブログで書いてみたいと思います。
 戦後、新聞各紙は戦争遂行の一翼を担っていたことへの反省を紙面で表明し、再出発しました。それが言い訳だったのかどうかはともかく、新聞界で働いていたわたしたちの先輩たちの中で、敗戦の教訓の最たるものとして「『○○一色』は危うい」という感覚が共有されていたのは間違いがないことだったのだろうと思います。

 きょう12月8日は、ちょうど80年前の1941年、日本海軍が米海軍太平洋艦隊の基地であるハワイ・真珠湾を奇襲攻撃した日です。折しも今日、敵基地攻撃能力の保持が政治課題として取り沙汰されています。80年前に敵基地をたたくことで始まった太平洋戦争は、アジア各地と日本でおびただしい住民の犠牲を生みました。沖縄戦や広島、長崎への原爆投下、そして全国各地への空襲と、人々の生活の場が殺戮の場になりました。
 歴史は繰り返す、ただし違った形で、と言われます。悲惨な歴史が繰り返されようとしているのに、それと気づかない恐れがあるのかもしれません。そうならないために、歴史から教訓を引き出し、社会で共有しなければなりません。「国民の日記」である新聞には、戦後、日本が現憲法の下で曲がりなりにも直接戦争に加わることを避けてきた歴史の記録も詰まっています。
 新聞というマスメディアの形態が今後どうなるかは、わたしにはよく分かりません。しかし、新聞をつくって社会に送り出す営みを、世代を超えて受け継いできた組織ジャーナリズムにとって、最大の目的が「戦争を起こさせないこと。起きてしまった戦争は一刻も早くやめさせること」であることは、今も、これからも変わらないと、わたしは思っています。

【追記】2021年12月10日0時10分
 史実としては、日本海軍の真珠湾攻撃の1時間以上前に、日本陸軍がマレー半島に上陸して英軍と交戦しました。英国領だったシンガポールの攻略を目的としたマレー作戦の開始です。このことをもって太平洋戦争の開戦ということになります。正確を期すために補足しておきます。
 ことし12月8日から9日にかけての報道では「日米開戦80年」という見出しをしばしば目にしました。間違いではありませんが、英国やオランダとも開戦していたので、史実の一部しか表現できていません。戦争体験の継承の観点から気になります。

「辺野古移設」の当事者性と本土メディアの責任~岸田政権の強硬姿勢が衆院選で信任を得たことへの視点が問われる

 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移転、新基地建設を巡り、沖縄県の玉城デニー知事は11月25日、沖縄防衛局が辺野古沖の地盤改良工事のために申請していた設計変更を不承認としました。この海域には軟弱な地盤があることが明らかになっていました。琉球新報の報道によると、玉城知事は記者会見で沖縄防衛局に対して「事業実施前に必要最低限の地盤調査を実施せず、不確実な要素を抱えたまま、見切り発車した」と指摘し、現在、進められている工事を含め、全ての埋め立てを中止するよう求めています。
 ※琉球新報「辺野古新基地の設計変更、沖縄県が不承認 軟弱地盤の調査不備を指摘」=2021年11月26日
 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1428992.html

ryukyushimpo.jp

 岸田文雄政権も安倍・菅政権の方針を踏襲し、普天間飛行場の危険性除去は辺野古移転が唯一の解決策という立場を公言しています。沖縄県が設計変更を不承認としたことに対し、岸田政権もこれまでと同じように行政不服審査法に基づく審査請求など、対抗措置を取る、というのが大方の見方です。その場で県の判断が否定されることになれば、県は対抗措置の違法性を訴え、法廷闘争に移行する見通しだとも報じられています。
 県はこれまで、最終的に司法の場で勝つことができませんでした。埋め立てを承認したのは仲井真弘多知事の時代。翁長雄志知事に変わっても、埋め立て承認という行政行為の主体が県知事であることは変わらず、行政手続きの上では、いわば自分の過去の行為を自分で無効であると言うような矛盾を指摘されてしまう側面がありました。
 今回は様相が異なっているように思います。不承認の理由の軟弱地盤の調査不足は、もっぱら国の責任です。折しも27日、埋め立て開始3年前の2015年に、地盤に問題があることを、地質を調査した業者が沖縄防衛局に報告していたと共同通信が報じました。軟弱地盤の存在をとうに知っていながら、公表しないまま建設計画を推し進めていたことになります。仲井真元知事が埋め立てを承認した当時には伏せられていた事実が表面化し、状況が決定的に異なっています。
 ※共同通信「辺野古沈下の懸念把握、防衛局/埋め立て3年前、業者が報告」
  https://nordot.app/837433192472592384

nordot.app

 米中関係の緊張や台湾情勢を理由に、沖縄に駐留する米軍の抑止力維持のために工事を続行すべきだとの主張もあるようですが、軟弱地盤の埋め立ては難工事であり、ただでさえ大幅に遅れている工事の完成はいつになるのか。仮に軍事的な合理性の観点から考えてみても、辺野古の埋め立て工事は中止して、別の方策を検討することは現実的な選択肢です。
 地元紙の沖縄タイムス、琉球新報とも、玉城知事の判断を支持する社説を掲載しています。
▼沖縄タイムス
・11月26日付社説「[辺野古 知事不承認]民意背負い『自治』貫く」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/869118

 「2022年度またはその後」へと先送りされた普天間飛行場の返還時期は、軟弱地盤が見つかったことで「早くても30年代半ば」へと大幅にずれ込んだ。
 どことどこを比べて辺野古に決めたのか明確な説明もなく政府は「辺野古が唯一の選択肢」と繰り返す。今回の不承認は、そのように思考停止する政府への異議申し立てでもある。
 いつまで沖縄の犠牲を前提にした安全保障政策を続けるつもりなのか。国会でも徹底的に議論すべきだ。

・11月29日付社説「[軟弱地盤15年に把握]隠蔽に不信募るばかり」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/870489

 公有水面埋立法にも基づく埋め立ては、国と県の信頼関係が大前提である。にもかかわらず長期の沈下という核心的な事実を伏せていたのだ。

 新基地建設のために隠したとみられても仕方ない。不誠実という言葉を通り越し、不信が渦巻く。

▼琉球新報
・11月26日付社説「辺野古設計変更不承認 知事の決定を支持する」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1428930.html

 沖縄全体で米軍、自衛隊の基地機能が強化され、演習が激化している。「抑止力」の名の下に県民の民意を無視して、沖縄が戦争に巻き込まれる危険性が高まっている。住民の安全を守るためにも、新たな軍事基地を受け入れるわけにはいかない。玉城知事の不承認の決定を支持する。

・11月29日付社説「軟弱地盤15年把握 直ちに辺野古を断念せよ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1430306.html

 普天間飛行場の全面返還が発表された当初、県民には沖縄の基地負担軽減を象徴する出来事と受け止められた。しかし県内移設などの条件が明らかになるにつれ、期待は失望へと変わった。
 返還合意から四半世紀を過ぎても普天間飛行場は動かず、部品落下や深夜の爆音など住民の恐怖は消えない。
 「危険性除去」と言うなら米国との交渉、国内での訓練移転地や代替地探しなど政府がやるべきことは山ほどある。沖縄への基地押し付けに無駄な労力を割く必要はない。

 いずれにせよ、岸田政権は沖縄県と真っ向から争うことになりそうです。このタイミングで特に留意が必要だと思うのは、10月31日に投開票が行われた衆院選のことです。自民党は普天間飛行場の辺野古移設推進を公約にしていました。対して立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組の4党の共通政策は、辺野古の新基地建設中止を掲げていました。結果は自民党が大勝。岸田政権は信任を受けました。つまり辺野古の工事継続も選挙で信任を受けたことになります。だから工事を進めるべきだ、と言いたいのではありません。民主主義の適正な手続きを踏んで岸田政権の公約が信任を得たのですから、その結果は日本国の主権者の総意です。個々人が自民党以外の候補、政党に投票していようが、あるいは投票に行かず棄権していようが、日本政府が沖縄県の反対を押し切って工事を強行しようとすることに、少なくとも沖縄県以外の地域に住む日本国の主権者は当事者性があります。そのことが先の衆院選ではっきりしました。それが民主主義の仕組みです。
 そうした沖縄県外、日本本土の住民にとって、沖縄で何が起きているかを知ることは極めて重要であり、その意味で、沖縄県外、日本本土のメディアが何をどう伝えているかが問われます。
 後掲しますが、この問題を取り上げた日本本土の新聞の社説、論説は、わたしが目にした限りですが、産経新聞を除いて、日本政府と岸田政権の「辺野古移転が唯一の解決策」との姿勢に批判的です。しかし、ただ批判するだけでいいのか。岸田政権の工事推進の方針は衆院選で承認されているとみなさざるを得ない点をどう考えるのか、きちんと整理して提示する必要があると思います。その観点を欠いたまま、衆院選前と同じように、日本政府に対し工事の中断や沖縄県との対話を求めても、その主張が社会に届かないことを危惧します。

 以下に、11月26日付の東京発行新聞各紙朝刊が、設計変更の不承認をどう報じたか、その扱いと主な見出しを書きとめておきます。朝日新聞と東京新聞は1面トップでしたが、他紙は総合面や政治面での掲載にとどまりました。

 ▼朝日新聞:1面トップ「辺野古 国の設計変更認めず/沖縄知事『軟弱地盤 調査不足』」写真、図解/2面・時時刻刻「辺野古 さらに泥沼化」「『最終カード』切った知事」「国、対抗 知事選も照準」「地盤改良 消えぬ疑念」/2面・いちからわかる!「沖縄・辺野古のうみ なぜ埋め立てるの? 米軍飛行場を移設する計画だよ。来秋知事選でも焦点に」
 ▼毎日新聞:2面(総合)3段「沖縄知事、設計変更不承認/辺野古『地盤調査不十分』」
 ▼読売新聞:2面(総合)3段「設計変更 知事が不承認/政府、対抗措置を検討 辺野古工事」写真、図解/4面(政治)3段「政府、法廷闘争辞さず/辺野古不承認 知事、求心力回復狙う」
 ▼日経新聞:4面(政治・外交)3段「辺野古 設計変更認めず/沖縄知事、防衛省に通知」
 ▼産経新聞:5面(総合)2段「設計変更 不承認を発表/辺野古 軟弱地盤で沖縄知事」
 ▼東京新聞:1面トップ「辺野古 設計変更を不承認/沖縄知事、工事阻止へ/政府 対抗措置を検討」写真、図解/2面(総合)「沖縄の声軽視 岸田政権も/安倍・菅時代と変わらず」経過表 ※記事は自社/社説「設計変更不承認 『辺野古』見直す契機に」

 東京発行紙のほかブロック紙や地方紙も含めて、社説、論説でどう扱っているかも見てみました。ネット上の自社・自紙の公式サイトで読めるものに限っていますが、以下に書きとめておきます。

【11月27日付】
▼朝日新聞「辺野古不承認 国の強権が招いた混迷」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S15124507.html

 辺野古にこだわり続けるかぎり、原点である「普天間の危険除去」は放置されたままだ。先日も所属するオスプレイが金属製の水筒を住宅地に落下させる事故を起こした。政府の試算でも辺野古の工事完了に12年はかかる。それまで住民は、墜落の危険やくらしを脅かす騒音を甘受せよというのか。
 今回の知事の判断に政府は対抗措置をとる構えだが、そんなことをすれば、安倍・菅政権時代に刻まれた県との溝はさらに深まる。首相が交代したいまこそ、「原点」に立ち返り、米国および県とともに、実効ある負担軽減策を探るべきだ。

▼産経新聞「辺野古の設計変更 知事は不承認を撤回せよ」
 https://www.sankei.com/article/20211127-FDF7VAVJPZJA5L2EVQUZ4PE4HQ/

 またも不毛な法廷闘争を繰り返すのか。辺野古移設をめぐる国と県との訴訟で、これまで最高裁を含め計9回の判決が下されているが、いずれも県が敗訴している。これ以上、裁判で移設を遅らせることは許されない。
 国にも問題はある。そもそもの原因は、事前の地質調査が十分でなく、埋め立て開始後に設計変更を余儀なくされたことだ。当初5年と見積もっていた工期が9年3カ月に延び、3500億円以上だった総工費の試算が、9300億円に膨れ上がった。
 国は猛省し、移設工事の意義を丁寧に説明するとともに、一日も早く、確実に完成させなければならない。そのためには県の協力が不可欠である。
 肝心なことは、日米同盟の抑止力を維持したまま、普天間飛行場を移設し、その危険性を除去することだ。玉城氏が無益な対決姿勢を改めない限り、解決が遅れることを忘れてはならない。

▼北海道新聞「辺野古『不承認』 無理筋の移設は中止を」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/616141

 日米が1996年に普天間返還で合意した当時、橋本龍太郎首相は「5年ないし7年以内」を言明したが、既に四半世紀がたった。このままでは普天間の危険性はいつまでも除去されまい。
 玉城知事は記者会見で「完成の見通しが立たず、無意味な工事をこれ以上継続することは許されない」とし、政府に対話を求めた。
 安倍晋三、菅義偉両政権は県民投票などで示された移設反対の民意を無視してきた。岸田文雄政権も「辺野古移設が唯一の解決策だ」との姿勢を示している。
 来年1月の名護市長選や秋の知事選を見据え、県と政府の対立は今後ますます激化しかねない。
 首相は「聞く力」をアピールしてきたはずだ。沖縄の声にも真摯(しんし)に耳を傾け、対話による解決を県とともに模索する必要がある。

▼秋田魁新報「辺野古移設計画 国は沖縄の民意尊重を」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20211127AK0008/

 政府は設計変更区域外で工事を進めるとみられる。「既成事実」を積み重ねようとする姿勢は、力で沖縄をねじ伏せようとしているようにしか見えない。
 岸田文雄首相は「人の話をしっかり聞く」ことが特技のはずだ。対立姿勢を改めて沖縄の民意と向き合い、話し合いによる問題解決に力を注ぐべきだ。

▼信濃毎日新聞「辺野古不承認 国は沖縄との協議に臨め」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2021112700113

 沖縄の地元紙を読むと、中国との有事を想定してか、米軍による傍若無人な訓練が日常化している状況が伝わってくる。
 「聞く力」をうたう岸田文雄政権は、安倍・菅政権と同様に「普天間飛行場の危険性の除去を考えると、辺野古移設が唯一の解決策だ」と繰り返している。
 与那国島、宮古島、石垣島は中国をにらんだ最前線基地の様相を呈し始めている。米軍が、発がん性があるとされる有機フッ素化合物を放出している問題も解決のめどは立っていない。
 沖縄県民の基地負担は軽減どころか、むしろ増している。
 政府は、今回の不承認を法廷闘争に持ち込んではならない。まずは沖縄県が求める日米両政府との協議の場をつくり、基地負担軽減策や住民をないがしろにする日米地位協定を見直すべきだ。
 「日米同盟の抑止力維持」と政府は主張する。安全保障政策が沖縄をはじめ基地自治体で暮らす人々の被害と不安を不可避とするなら、本末転倒と言うほかない。

▼中国新聞「『辺野古』不承認 計画見直す契機にせよ」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=812002&comment_sub_id=0&category_id=142

 「普天間飛行場の5~7年以内の全面返還」としていた日米合意からすでに25年が過ぎた。海上ヘリポートの建設だった当初の計画は2本のV字滑走路建設などに大きく変容した。普天間返還と代替施設とする辺野古の埋め立てが一体という政府の論拠は整合性を欠いている。
 玉城氏が「工事は完成しない。政府は計画を全て中止し、沖縄県が求めている対話による解決の場を設定してほしい」と求めたのももっともだ。
 来年は沖縄の本土復帰50年を迎える。国土のわずか0・6%である沖縄に米軍専用施設の7割強が押しつけられてきた事実は重い。
 政府は辺野古の計画をいったん白紙に戻し、代替施設の建設とは切り離して、普天間の即時返還に取り組むべきだ。

【11月26日付】
▼中日新聞・東京新聞「設計変更不承認 『辺野古』見直す契機に」
 https://www.chunichi.co.jp/article/372175

 仮に国が勝訴しても、米軍による新基地使用開始は裁判決着時点から十二年以上先になる。現段階で九千三百億円と見積もられる総事業費もさらに膨らむだろう。
 二〇一三年、当時の仲井真弘多(なかいまひろかず)県知事が辺野古埋め立てを承認して以降、安倍、菅両政権は、県民投票などで繰り返し示された辺野古反対の民意を無視して工事を強行してきた。岸田政権も普天間返還には「辺野古移設が唯一の解決策」との姿勢を堅持している。
 当初は五~七年とされた普天間返還も、日米合意から二十五年が経過する。もはや辺野古に固執していては、普天間飛行場の一日も早い危険除去は実現しない。
 この際、辺野古での新基地建設は白紙に戻し、代替施設の建設とは切り離し、普天間返還を検討してはどうか。米海兵隊の戦術転換や部隊再編の流れを見極め、現行計画とは異なる新たな解決策を見つけるべきだ。

■追記■ 2021年11月30日21時
 毎日新聞が11月30日付で社説を掲載しました。工事の中断を求めています。
 「知事が『辺野古』不承認 首相は対話にかじ切る時」
 https://mainichi.jp/articles/20211130/ddm/005/070/053000c

 政府は「一日も早い普天間返還実現のため」と説明し、工事を強行してきた。だが、その主張はもはや説得力を失っている。普天間の危険性をどうすれば速やかに取り除くことができるのか、再考すべきだ。
 来年は1月に名護市長選、秋には知事選が控えている。普天間を巡る政治対立が地元の分断をさらに深めることが懸念される。
 5月には沖縄が本土に復帰してから50年という節目も迎える。
 首相は今こそ「聞く力」を発揮すべきだ。知事との対話を通じて、自身が掲げる「丁寧で寛容な政治」を実践しなければならない。

 

衆院選後の世論調査でも野党4党の共通政策の質問はない~衆院選報道振り返り④

 一つ前の記事の続きです。
 衆院選での立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組の野党4党の共闘の意義は、小選挙区での候補一本化もさることながら、その前段で市民連合を仲立ちとして共通政策に4党が合意していたこと、その共通政策の内容が、安倍・菅政治、自公政権とはまったく異なる社会観、世界観を相当程度具体的に提示していたことにあったと、わたしは考えています。そうした目でマスメディアの報道をあらためて振り返ってみると、全国紙5紙(朝日、毎日、読売、日経、産経)は、4党の共通政策合意について、過不足なく報じたどうかには疑問を感じていることを、一つ前の記事では書きました。
 https://news-worker.hatenablog.com/entry/2021/11/14/235023

news-worker.hatenablog.com

 衆院選の終了直後から、マスメディアの世論調査の結果が報じられていますが、野党共闘に対する質問の建て方にも、通底する同じような疑問を感じています。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、共同通信の各調査を見てみます(それぞれの質問と回答状況の詳細は後掲します)。
 朝日新聞の調査は質問が二つ。まず来年の参院選について「野党による候補者の一本化を進めるべきだと思いますか。そうは思いませんか」と尋ねています。その上で、立憲民主党と共産党が外交や安全保障で主張が異なることを挙げて、両党が参院選で選挙協力することを問題と思うかどうかを尋ねています。
 読売新聞の調査も質問が二つです。衆院選で野党が候補者を一本化したことを評価するかどうか、次いで、立憲民主党は今後も共産党と協力して政権交代を目指すのが良いかどうかを尋ねています。
 毎日新聞の調査(社会調査研究センターと共同で実施)は、質問は一つ。来年の参院選でも立憲民主党と共産党が選挙協力を続けるべきだと思うかどうか、です。
 共同通信の調査では、「野党5党」の協力を質問の対象にしています。前述の4党に国民民主党を加えていると思われます。5党は今後こうした共闘関係を続けた方がいいと思うかどうかを尋ねています。
 4社の調査を総じて眺めるなら、調査の実施主体である新聞社・通信社の関心の傾向として①政策の合意点よりも候補者の一本化に関心が高い②中でも立憲民主、共産の2党間協力に関心が高い(共同通信は別)-と言えるように思います。政策面に具体的に触れて質問しているのが朝日新聞の調査だけで、その朝日新聞も政策の合意点ではなく相違点に焦点を当てています。
 政党であれば、個々の政策に相違点があるのは当然のことで、それでも各党で一致できるところを見いだし、連携していくことには、立憲主義、民主主義の社会では大きな意義があります。立憲民主党、共産党の間には、例えば日米安保条約の評価を巡って相違があるとしても、4党の共通政策では、沖縄・辺野古の新基地建設に対しては「中止」で明確に合意しています。そうした一致点があることを、社会でどの程度知られているのか、どのように評価しているのか、そういったことを明らかにする試みが、マスメディアの世論調査にあってもいいのではないかと思います。マスメディアの政治報道が、野党の政策の合意点にさほど大きな関心を向けていないことは、世論調査からもうかがえるように思います。
※市民連合と野党4党の共通政策は以下で見ることができます
https://shiminrengo.com/archives/4336

shiminrengo.com

 以下に、衆院選後に実施された4社の世論調査のうち、野党共闘に関する質問と回答状況を書きとめておきます。数字の単位は%です。

■毎日新聞・社会調査研究センター:11月13日実施
 衆院選では立憲民主党と共産党が選挙協力をしました。来年の参院選でも立憲民主党と共産党が選挙協力を続けるべきだと思いますか。
 続けるべきだ    19
 続けるべきではない 43
 どちらとも言えない 22
 関心がない     16

■朝日新聞:11月6、7日実施
 ・来年の参院選についてうかがいます。あなたは、参院選で、野党による候補者の一本化を進めるべきだと思いますか。そうは思いませんか。
 進めるべきだ   27
 そうは思わない  51
 その他・答えない 22
 ・立憲民主党と共産党は、外交や安全保障などについて、主張が異なります。あなたは、参院選で、立憲民主党と共産党が主張の異なるまま、選挙協力することは問題だと思いますか。そうは思いませんか。
 問題だと思う   54
 そうは思わない  31
 その他・答えない 15

■読売新聞:11月1、2日実施
 ・今回の衆議院選挙で、立憲民主党や共産党などの野党が、多くの選挙区で候補者を一本化したことを、評価しますか、評価しませんか。
 評価する  44
 評価しない 44
 答えない  13
 ・立憲民主党は、今後も共産党と協力して政権交代を目指すのがよいと思いますか、思いませんか。
 思う   30
 思わない 57
 答えない 13

■共同通信:11月1、2日実施
 立憲民主、共産などの野党5党は、213の小選挙区で統一候補を擁立し、当選は59人でした。5党は今後こうした共闘関係を続けた方がいいと思いますか、見直した方がいいと思いますか。
 続けた方がいい    32・2
 見直した方がいい   61・5
 分からない・無回答   6・3

在京紙は野党4党の共通政策合意をどう報じていたか~自民党総裁選とに大きな差 衆院選報道振り返り③

 少し時間がたちましたが、衆院選でマスメディアがどのような報道を展開したか、振り返りの続きです。
 今回の衆院選は、「市民連合」(正式名称「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」)を仲立ちに、立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組の4党が共通政策に合意し、小選挙区での候補者一本化を進めたことに大きな意義があったとわたしは考えています。
 その共通政策は以下で見ることができます。
 https://shiminrengo.com/archives/4336

shiminrengo.com

  例えば、もっとも生活に密接だと思われる「3 格差と貧困を是正する」の項目では、以下の3点が並んでいます。

・最低賃金の引き上げや非正規雇用・フリーランスの処遇改善により、ワーキングプアをなくす。
・誰もが人間らしい生活を送れるよう、住宅、教育、医療、保育、介護について公的支援を拡充し、子育て世代や若者への社会的投資の充実を図る。
・所得、法人、資産の税制、および社会保険料負担を見直し、消費税減税を行い、富裕層の負担を強化するなど公平な税制を実現し、また低所得層や中間層への再分配を強化する。

 岸田文雄首相(自民党総裁)が「新しい資本主義」を掲げながら、その内実がよく分からないことに比べれば、相当程度、具体性を持った政策が並んでいると言っていいと思います。また、岸田首相が総裁選で「分配」を強調しながら、その後どんどん後退し、代わりに「成長」が前面に出てきて、安倍・菅政治のアベノミクスとの違いも定かではなくなってきていることと対比すれば、新自由主義からの転換の色彩も明確です。
 さらに「5 ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現」の項では、おそらく自民党主導の政権では実現が見通せない選択的夫婦別姓制度やLGBT平等法を成立させることを掲げています。順番が前後しますが「1 憲法に基づく政治の回復」でも、以下の4点が列挙されており、岸田政権との違いは鮮明です。

・安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの法律の違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対する。
・平和憲法の精神に基づき、総合的な安全保障の手段を追求し、アジアにおける平和の創出のためにあらゆる外交努力を行う。
・核兵器禁止条約の批准をめざし、まずは締約国会議へのオブザーバー参加に向け努力する。
・地元合意もなく、環境を破壊する沖縄辺野古での新基地建設を中止する。

 この共通政策には、これまでの安倍・菅政治の時代とはまったく異なる社会像が明確に描かれています。岸田政権がどのような社会を目指しているのか、よく分からないことだらけなのですが、少なくとも自民党の政権公約と比べても違いが明確な、大きな世界観を提示しています。政権交代のための政策面での対抗軸を、市民グループが仲立ちして野党4党がまとめることができたものと、わたしはとらえています。そして、小選挙区制度が本来は2大政党制の下で機能することが想定されていることを考えれば、自民党に対抗する大きな塊の政治勢力が、共通政策を結節点に形成されることには、大きな意義があると思います。
 では、この4党の共闘、共通政策の意義はどこまで日本の社会、有権者の間に知られていたのでしょうか。衆院選の期間を通じてマスメディアが行った世論調査でも、野党共闘を評価するかどうかの質問はあっても、野党共闘の内容、とりわけ小選挙区の候補者調整だけでなく、共通政策に合意していることや、その合意の内容を知っているかどうかなどの質問は見当たりませんでした。アプローチの一つとして、マスメディアのうち東京発行の新聞各紙が、この4党の共通政策合意をどのように報じたかを、あらためて振り返ってみます。
 市民連合と野党4党が共通政策に合意したのは9月8日でした。その翌日、9日付の朝刊紙面で各紙がこのニュースをどう扱ったか、掲載面と見出しの大きさ、主な見出しは以下の通りです。

・朝日新聞:3面(総合)3段「野党4党 共通政策に合意」/4面「野党候補一本化焦点に」・視点「『選挙互助会』にとどまるな」
・毎日新聞:5面(総合)3段「衆院選へ4野党が政策」
・読売新聞:4面(政治)3段「4野党 衆院選へ政策協定」
・日経新聞:4面(政治・外交)3段「野党4党、共通政策合意」
・産経新聞:4面(総合)3段「4野党 共通政策を締結」/「候補一本化急ぎ妥協」
・東京新聞:1面トップ・ヨコ1段「共通政策 自公と対立軸」

 1面トップの東京新聞以外は、よくて総合面、そうでなければ政治面です。一方でこの時期は、9月17日告示の自民党総裁選に向けて、岸田文雄氏ら各候補の出馬の動きが盛んに報じられていました。9月8日は高市早苗氏が出馬表明の記者会見を開いており、朝日、読売、日経、産経の4紙が1面で報じています。毎日新聞も2面に掲載しており、市民連合と野党4党の共通政策のニュースよりも重要度、優先度が高い扱いです。
 ちなみに、自民党総裁選について、9月8日付から告示日当日の17日付朝刊までの9日間の朝刊(13日付は休刊日のため発行なし)を対象に、関連記事を1面に掲載した回数を挙げると、以下の通りです。
 ・朝日新聞7回 うち1面トップ2回
 ・毎日新聞4回 うち1面トップ1回
 ・読売新聞9回 うち1面トップ2回
 ・日経新聞8回 1面トップゼロ
 ・産経新聞9回 うち1面トップ3回
 ・東京新聞1回 1面トップ1回

 つまり、連日、在京紙が自民党総裁選を大ニュースとして報じていたさなかに、野党4党の共通政策のことは、東京新聞以外は、新聞を1面から2、3回、ページをめくらなければ分からない場所にしか載っていなかったということです。朝日新聞は複数のページに渡ってサイド記事や解説も掲載していますが、他紙はあっさりした本記のみ。ふだんから政治面にも丹念に目を通している読者でなければ、目に止まっていない可能性があります。紙の新聞でこの程度の扱いですので、ネット上ではさらに露出が少なかったはずです。
 
 ※参考過去記事 https://news-worker.hatenablog.com/entry/2021/09/19/115830
「自民党劇場の人気投票」の伝え方と課題~有権者の政権選択を見据えた報道が必要

news-worker.hatenablog.com

 野党4党の選挙協力を巡っては、仮に立憲民主党が政権を握った場合に、連立にせよ閣外協力にせよ、共産党が政権運営に加わるのかどうかばかりに注目が集まった印象がありました。共産党が加わった政権でいいのかと、反共産党キャンペーンとしか言いようのない言説が、盛んに繰り広げられていました。自民党の甘利明幹事長はその代表例です。立憲民主党の支持母体とされる連合の会長までもが、共産党との共闘を激しく批判しました。あたかも、政権交代よりも立憲民主党が共産党と手を切ることを優先させているようにすら感じられました。印象論ですが、報道もまた、そうした言説はよく取り上げていたように感じます。
 紙の新聞は発行部数が急減し、購読者も高齢化して久しいのですが、それでも政治報道の分野では、例えば世論調査の内閣支持率などはまだまだ政治的指標としての有効性が高く、新聞の政治報道が直接的、間接的に社会に及ぼす影響は決して小さくはありません。仮に東京発行の新聞各紙が、野党4党が政策面で合意を形成したことと、その意義を、自民党総裁選と同等程度の大きさで継続して報じていたなら、4党の選挙協力の意味合いももっと社会に伝わっていたのではないかと感じます。
 衆院選では289の小選挙区のうち、野党4党が候補を一本化した選挙区は214ありました。うち自民党候補に勝った選挙区が62、敗北したものの惜敗率(自民党候補の得票との比率)が90%以上だった選挙区が33ありました。仮定の話ではあるのですが、野党4党の共通政策がもっと社会で認識されていたなら、この33の選挙区の結果も変わっていた可能性があるのではないでしょうか。
 各紙とも、野党4党の共通政策を意図的に、ことさらに小さく扱おうとしたわけではないのかもしれません。また、自民党の総裁選は実質的に次期首相を選ぶことであり、いきおい、大きな扱いになるのも無理はない面はあります。しかし、自民党総裁選に近接して衆院選が行われることは事前に分かっていました。有権者の投票の判断に資するための情報を提供するという意味では、東京新聞はともかくとして、在京紙各紙の報道が過不足なかったと言えるかどうか、わたしには疑問があります。

25年前に日米が合意したのは「辺野古移設」ではなかった(沖縄タイムス社説)~岸田政権、松野官房長官も「唯一の解決策」強調 ※追記 「新基地見直し聞き流すな」(琉球新報社説)

 松野博一官房長官が11月6日、沖縄県で玉城デニー知事と会談しました。同県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設について、玉城知事が「直ちに中断し、問題解決に向け国と県の協議の場を設けてほしい」と求めたのに対し、松野官房長官は「辺野古移設が唯一の解決策」と従来の政府方針を繰り返したとのことです。
 ※琉球新報「松野官房長官『辺野古移設が唯一の解決策』強調 玉城知事と初会談 軽石対策に支援へ」=2021年11月7日
 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1419754.html

ryukyushimpo.jp

 岸田文雄政権発足から1カ月余り。衆院選で自公与党が大勝した後ということもあって、岸田政権としては辺野古新基地建設を推し進める方針を見直すつもりはないということでしょうか。松野官房長官は玉城知事との会談に先立ち、名護市の渡具知武豊市長、宜野湾市の松川正則市長らとも面談したほか、宜野湾市では普天間飛行場周辺の自治会長らと「車座集会」を開いたとのことです。岸田首相が自賛する「聞く力」を官房長官もアピールしたつもりなのかもしれません。
 しかし、辺野古の埋め立て予定海域には軟弱地盤があり、早期の完成は見込めません。そのような状況でほかの選択肢を探ることもないままで、「辺野古移設が唯一の解決策」としか言わないのは、住民の生命と安全に責任を負う政府として、あまりに無責任です。
 沖縄タイムスは7日付の社説で「そもそも25年前の1996年、日米両首脳が合意したのは『普天間飛行場の5~7年以内の全面返還』である。『辺野古移設』ではなかった」と指摘しています。目的は普天間飛行場の閉鎖と返還なのに、さながら今は辺野古移設が自己目的化しているかのようです。
 沖縄タイムスの社説はまた、辺野古の軟弱地盤改良のため、埋め立て工期が大幅に延び、普天間の返還は早くても2030年代半ばにずれ込むこと、計画自体が破たんしていることを挙げ、以下のように指摘しています。

 第2次安倍政権以降、辺野古問題を仕切ってきた菅義偉前首相と和泉洋人前首相補佐官が官邸を去った。この間、目立ったのは有無を言わさぬ強権的な手法である。
 岸田文雄首相は総裁選で「求められるのは、自分のやりたいことを強引に押し付ける政治ではない」と語っていた。松野氏も「対話による信頼を地元と築きたい」と話す。
 新しい首相と基地負担軽減担当相の下で国がなすべきは従来の姿勢の踏襲ではない。
 知事が要請したように、工事をいったん止め、話し合いの場を設け、打開の道を探ることである。

 ※沖縄タイムス「社説[知事・官房長官会談]協議の場設け打開策を」=2021年11月7日

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/859431 

www.okinawatimes.co.jp

 普天間移設と辺野古新基地建設を巡る「今」を凝縮したような社説です。岸田首相がこのまま「辺野古移設が唯一の解決策」としか言わないようなら、沖縄の住民の自己決定権を認めようとしなかった、沖縄に一貫して差別的に対した安倍・菅政権と何も変わりません。わたしを含めて、その岸田政権を合法的に成立させ、衆院選で圧倒的な信任を与えた主権者が、沖縄に対する差別の責任を免れ得ないことも、安倍・菅政権の当時と変わりません。

【追記】2021年11月9日21時45分
 琉球新報も11月9日付の社説で、松野官房長官と玉城知事の会談を取り上げました。安倍・菅政権は沖縄の住民の自己決定権を認めないばかりか、沖縄社会の分断策を進めました。岸田政権も同じことを繰り返すのでしょうか。

 ※琉球新報「社説 知事・官房長官会談 新基地見直し聞き流すな」=2021年11月9日
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1420526.html

ryukyushimpo.jp

 岸田文雄首相は、自身の政治信条を「聞く力」であると強調してきた。ならば、協議の場を求める知事の声を「聞き入れる」のか「聞き流す」のか、岸田政権の本質が問われている。
 (中略)
 沖縄社会の分断は第2次安倍政権から顕著になっている。2013年12月、安倍政権は仲井真弘多知事(当時)から辺野古埋め立ての承認を得る際、沖縄関係予算について「毎年3千億円台確保する」と閣議決定した。辺野古新基地建設に反対する翁長県政が誕生した15年度以降は一転して予算の減額傾向が続く。県を通さず国が市町村や民間に直接交付できる特定事業推進費の創設も分断策の一つと懸念されている。
 今回の衆院選の小選挙区で新基地建設が進む3区は、建設容認の自民党候補が当選した。この結果をもって、建設が受け入れられたと判断するのは早計である。なぜなら今回の選挙で新基地建設の是非は最大の争点にならなかったからだ。
 これまでの選挙で新基地建設容認の自民党候補が落選すると、政権側は「選挙の争点は(基地問題)一つではない」と解釈し、新基地建設を強行してきた。あいまいさを払拭するため、19年に新基地建設の是非に絞って県民投票が実施された。投票者の7割が「反対」の明確な意思を示した。

 

「敵を想定しその敵地を侵攻するという狂気」(保坂正康さん)~戦争体験の風化と軍拡公約の承認 衆院選報道振り返り②

 今回の衆院選で自民党は、軍事費の大幅な増加と敵基地攻撃能力の保有を公約に明記しました。そのことが何を意味するのか、わたしはこのブログの以前の記事(「『軍事優先社会』で何が起こるかを伝えることが衆院選報道に必要~マスメディアにも『表現の自由』の当事者性」「自民党公約が明示する『軍拡』~政権選択の最大論点」)に考えを書きました。ひとことで言えば、軍事優先社会への転換です。そして、その是非が衆院選の最大論点であるべきだったと思うのですが、実際には主要争点として扱われず、さしたる論戦もないまま、自民党が単独で絶対安定多数の議席を得るに至りました。自民党の公約はすんなりと承認されたことになります。そのことに、大きな危惧を抱いています。

 自民党の公約集「令和3年政策BANK」の「安全保障」の項には以下の記載があります。

 ○自らの防衛力を大幅に強化すべく、安全保障や防衛のあるべき姿を取りまとめ新たな国家安全保障戦略・防衛計画の大綱・中期防衛力整備計画等を速やかに作成します。NATO諸国の国防予算の対GDP比目標(2%以上)以上も念頭に、防衛関係費の増額を目指します。
 ○周辺国の軍事力の高度化に対応し、重大かつ差し迫った脅威や不測の事態を抑止・対処するため、わが国の弾道ミサイル等への対処能力を進化させるとともに、相手領域内で弾道ミサイル等を阻止する能力の保有を含めて、抑止力を向上させるための新たな取り組みを進めます。

 敵基地攻撃能力については「相手領域内で弾道ミサイル等を阻止する能力」との表現を用いていますが、こちらに飛んでくるミサイルを迎え撃つのではなく、相手領域内でミサイルを阻止する能力です。ミサイル発射前にたたく、つまり相手領域への先制攻撃です。国家の自衛権として先制攻撃が認められるのか、との論点はさておいて、仮に日本が中国なり、北朝鮮なりを敵と想定して、先制攻撃能力の保有に乗り出したら、相手は黙って見ているのでしょうか。相手から見れば、日本が自分たちへの攻撃準備を始めたということになり、今度は日本の能力を上回る攻撃力の保有に乗り出し、果てしない軍拡競争に陥ることになりかねません。
 敵基地攻撃能力にしても、敵が間違いなくこちらを攻撃しようとしていることを探知し、その上でミサイル発射を阻止すべく、先制攻撃を仕掛けることになります。その技術を開発するだけでも、いったいどれほどの費用がかかるのか。仮に軍事費(防衛費)を現在の倍にすれば足りるのか。その分、どこかの予算を削らなければなりません。とても「分配」どころではありません。軍事費だけは聖域化されることになれば、軍国主義とまでは言わないものの、軍事優先の国家です。
 1945年8月に日本の敗戦で終わった米国との戦争について、無謀な試みであったことに今日では異論はないと思います。それが歴史の教訓です。あの対米戦争も軍拡競争の帰結でした。国力では太刀打ちできないのに軍事力で対抗しようとした挙げ句のことでした。
 翻って今日、北朝鮮はともかく、国力ではかなうはずもない中国を相手に軍拡競争を始めて、その先に何が待っているのでしょうか。国を守るのに軍事力には頼らない、ということが76年前の敗戦の教訓であり、悲惨な戦争体験の共有があったからこそ、戦争放棄だけでなく戦力不保持を定めた日本国憲法が敗戦直後の日本社会で受け入れられた、とわたしは理解しています。軍事優先の国家へ道を開く自民党の公約が、さして議論のないままに受け入れられたことは、戦争体験が日本の社会で風化していることと無関係ではないとも感じます。

 そうしたことを考えていたときに、朝日新聞が11月5日付の朝刊に掲載したノンフィクション作家保坂正康さんの長文のインタビュー記事が目に止まりました。
 衆院選の結果をどうとらえているかを語った内容で「哲理なき現状維持」「ないがしろの憲法/無力化する立法府/戦後は終わるのか」「戦争した社会は現代とも地続き/危うい行政独裁」の見出し。三つの分析として①国民は何より現状維持を望んだ②維新の会や国民民主党など自民党に近接した政党が伸びた③立法府の無力化がさらに進むのではないか―を挙げています。
 中でも②について「総体的に保守勢力の追認という枠内にあり、護憲・戦後体制の崩壊、あるいは空洞化という結果になった。戦争体験などは検証されず、戦後が死んでいくのか、という思いを強く持ちます」と語る中での「戦後が死んでいく」という例えは、今のわたしの危惧と重なるように感じました。
 自民党が軍事費の大幅増と敵基地攻撃能力の保有を公約に掲げたことに対しても、聞き手の「中国の軍事的台頭や北朝鮮の核ミサイル開発を考えると、敵基地攻撃論も一定の説得力がありそうですが」との問いに答えて、以下のように批判しています。 

 「かつて、中国国民党トップの蒋介石の養子で日中戦争に携わった蒋緯国から対日戦略を聞いたことがあります。彼は『日本は必ずナポレオンやモンゴル帝国と同じ末路をたどるとみていた。侵略を始めると際限なく繰り返していく。なぜなら、反撃されることへの恐怖が深化して残酷になり、最後は崖から落ちてしまうのだ。だから直進一方の日本軍を奥地に引き込んで、兵站が切れた時に徹底してたたこうと考えた』と」
 「歴史は、まさにその通りになったわけですが、敵を想定しその敵地を侵攻するという狂気は、一度始めると際限がなくなるのです。そうした魔性を分析し抜いていれば敵地攻撃論などという考えが出てくるはずがありません」

 歴史への真摯で深い洞察に基づく言葉だと思います。今日の中国や北朝鮮の動向は、確かに心穏やかではいられないかもしれません。それでも正気を保てるだけの心の強さを持つために、あらためて歴史の教訓に向き合う。そんなことをあらためて考えたインタビュー記事です。