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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

マスメディアと「不偏不党」「公正中立」〜備忘:京都新聞連載・根津朝彦さんの論考

 自民、公明の与党が獲得議席数で大勝した衆院選の結果を受けて、「戦後レジームからの脱却」を図る安倍晋三政権の今後などについて、京都新聞が5人の研究者の論考を連載で掲載。サイトにもアップしています。いずれも読みごたえのある内容ですが、ここでは直接的にマスメディアの課題に切り込んでいる根津朝彦・立命館大准教授の論考の一部を、備忘を兼ねて書き留め、紹介します。マスメディアで働く人にはぜひとも一読してほしい内容です。
京都新聞「民意が示したもの 戦後70年体制の行方」
 (1)ジャーナリズム史 立命館大准教授 根津朝彦さん
 http://www.kyoto-np.co.jp/info/seiji/minni/20141216_7.html

 そこで想起したいのは「不偏不党」の歴史である。自由民権運動から、米騒動の報道禁止に反発したうちの一社である『大阪朝日新聞』が筆禍で狙い撃ちされた白虹(はっこう)事件に至る過程で、新聞が掲げるようになったのが「不偏不党」である。つまり権力からの弾圧を回避するための「商業的イデオロギー」であり、近代日本の天皇制国家を支える偏った「不偏不党」の報道を重ねて権力に屈服してきたことを忘れてはなるまい。とかく「不偏不党」や「公平中立」は自明視されるが、新聞の戦争協力を含め、その概念を誇るに足る内実を備えていたわけではないのである。今回の自民党がテレビに要求したのも「公平中立」であった。

 時の政治権力への批判を鈍らすよりも、批判精神を発揮した言論の方が歴史的に評価されることは、宮武外骨桐生悠々を例に出せば明らかである。現実は複雑で多様である。その豊かな世界を捉えるためには、現状追認とは異なる視点、つまり現実を抉(えぐ)り出す批判を示すことで、権力者が導きたい方向性を相対化できる判断基準をもつことが大切である。

 ではどうすればいいのか。特効薬はないが、歴史に指針を求めることはできる。現在では論壇は実態を伴わない言葉になっているが、かつては知的共同体といえる言論空間は総合雑誌が代表していた。1950年代前半には『世界』『中央公論』『改造』が総計で約30万部発行されており、社会的な言論の場に活気があったことで、マスメディアの質を高めるクオリティー・ペーパーの役割を果たしていたのである。

 論壇は、ジャーナリスト、研究者、編集者、学生、市民ら広範な読者のネットワークがあって成立する。それが総合雑誌という形をとることはもはや考えにくいが、学生の街の京都にはその可能性がある。自由な感性をもつ若い読者層とジャーナリズムの連携を模索できるからである。最近では首都圏で、特定秘密保護法に反対する学生有志の会(SASPL・サスプル)の運動に注目が集まったが、いつの時代も新しい世代に社会の希望の芽が存在する。

 マスメディアにとって「不偏不党」や「公平中立」は実は自明のものではないこと、歴史に照らせば、「不偏不党」や「公正中立」が戦争協力、戦争遂行へも導きかねないことは、わたしも新聞産業の先人の経験を伝え聞いたりする中で感じてきたことです。根津さんが指摘するような「ジャーナリスト、研究者、編集者、学生、市民ら広範な読者のネットワーク」「自由な感性をもつ若い読者層とジャーナリズムの連携」は、マスメディアにとっても偏った「不偏不党」「公正中立」に陥らないための一助になるだろうと思います。ただし、そうしたネットワーク形成のためには、例えマスメディアが企業体であっても、所属する記者の一人一人が自律、自主を認められることが大前提でしょう。現実はその時点で高いハードルがあるように思えます。逆に言えば、課題ははっきりしています。

 京都新聞の「民意が示したもの 戦後70年体制の行方」のほかの4人は以下の方々です。以下のページからリンクをたどれます。
 http://www.kyoto-np.co.jp/info/seiji/minni/

(2)日本近現代史 福家崇洋・京都大大学文書館助教改憲、許容させるための果実」
(3)政治学・社会思想 白井聡文化学園助教「戦争の危惧、新しい段階に」
(4)朝鮮近現代社会史 板垣竜太・同志社大教授「構造的差別に立ち向かえた」
(5)歴史社会学 山下範久立命館大教授「経済人質に右傾化を黙認」