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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

戦争国・日本を考えるきっかけになった作品群、「軍艦長門の生涯」「米内光政」「山本五十六」「井上成美」〜追悼・阿川弘之さん

 作家阿川弘之さんが死去しました。新聞では8月6日付の朝刊で一斉に報じられました。旧日本海軍を扱った著作を通じて、70年前の敗戦まで日本が戦争をする国だったことをめぐり、いろいろなことを知り、いろいろなことを考えました。そういう意味で、著作に深くなじみを感じていた作家の一人でした。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

 ※47news=共同通信「作家の阿川弘之さん死去 戦争題材の小説、記録文学」2015年8月5日
  http://www.47news.jp/CN/201508/CN2015080501001702.html

 「雲の墓標」「山本五十六」など戦争を題材にした小説や記録文学、軽妙で辛口のエッセーでも知られる作家で文化勲章受章者の阿川弘之(あがわ・ひろゆき)さんが3日午後10時33分、老衰のため東京都内の病院で死去した。94歳。広島市出身。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。
 戦時下の若者の苦悩を描いた1952年の「春の城」で読売文学賞。さらに、広島の被爆者に取材した「魔の遺産」、特攻隊員の心境を描いた「雲の墓標」など、戦争の悲しみと悔恨を端正な文章でつづり、独自の文学的立場を切り開いた。
 99年に文化勲章。エッセイストの阿川佐和子さんは長女。

 最初に手に取ったのは新潮文庫版の「軍艦長門の生涯」だったと思います。手元の文庫本は平成11(1999)年8月の9刷なので、購入は40歳のころでしょうか。そのころの一時期、第2次世界大戦の通史を知り、関連する本を読み漁っていた時期がありました。「長門」は姉妹艦の「陸奥」とともに大正中期に建造された当時世界最大級の戦艦で、太平洋戦争開戦直後に「大和」「武蔵」が登場するまで、連合艦隊旗艦として旧日本海軍を象徴する存在でした。長門を建造したのは広島市に近い呉市の海軍工廠。建造の時期は阿川弘之さんの誕生日とひと月しか変わらないとのことで、阿川さんはそうした縁もあって、この軍艦にまつわる幾多の海軍軍人の人間模様を小説に描きました。この本をきっかけに、その後は阿川さんの代表作に数えられる「山本五十六」「米内光政」「井上成美」の提督3部作を読み進めました。それぞれ2〜3回ずつは読んでいます。

 これらの著作を通じて知ったことは多々ありますが、中でも井上成美という「最後の海軍大将」(=敗戦の年に最後に大将に昇進した海軍軍人)のことは、今日なお、戦争と平和のことを考える上でさまざまな示唆があるように感じます。
 井上は米内光政が海軍大臣、山本五十六が海軍次官の時に海軍省軍務局長を務めました。このトリオは1939年当時、陸軍が乗り気だった日独伊三国軍事同盟の締結に反対を貫き通したことで知られます。その井上のエピソードでもっとも印象に残るのは、太平洋戦争開戦の年の1941年1月、海軍航空本部長当時に及川古志郎・海軍大臣宛てに「新軍備計画論」という建白書を提出したことです。その中の「日米戦争の形態」の一節で、仮に日米が戦った場合のこととして「日本が米国を破り、彼を屈服することは不可能なり」「米国は、日本国全土の占領も可能。首都の占領も可能。作戦軍の殲滅も可能なり。又、海上封鎖による海上交通制圧による物資窮乏に導き得る可能性大」と述べていました(引用はウイキペディア「井上成美」から)。これらのことはことごとくその通りになりました。このエピソードを知った時から、こんな慧眼を持った軍人が日本海軍にいたことに驚くとともに、その慧眼が生かされることなく、なぜ日本は対米開戦に突き進み、おびただしい犠牲を生んで敗戦に至ったのか、別の道に進むことはできなかったのはなぜなのか、と考えるようになりました。その問いは今もわたしの中にあります。


 今回、新聞各紙の訃報記事に目を通す中で実は初めて知ったのですが、阿川弘之さんは第2次大戦を「侵略戦争」と呼ぶことを拒否していたそうです。読売新聞の「評伝」には「あんなにも多くの優秀な人たちが、死んでいったんですよ。それを簡単に侵略戦争の一言で片付けられたらたまりませんよ!」との生前の言葉が紹介されています。そうではあっても、あの戦争を決して肯定してはいなかったと、一連の作品を読んでの感想として思います。むしろ、どうしてあの戦争を防げなかったのかとの思いが、作品群の根底にあるのだと思います。
 戦後70年の8月15日を迎える前に死去されましたが、訃報が載った6日付朝刊の各紙紙面には、同日が広島への原爆投下から70年であることを伝える記事が見えました。あらためて、日本が再び戦争を容認する国になってはいけない、わたしたちの社会が戦争許容社会になってはいけないと感じました。


 以下に東京発行の新聞各紙が阿川弘之さんの訃報をどう伝えたか、記録のために主な記事の見出しを書きとめておきます。いずれも東京本社発行の最終版紙面です。
▼朝日新聞
 本記・第2社会面「阿川弘之さん死去」「94歳 第三の新人」
▼毎日新聞
 本記・社会面左肩「阿川弘之さん死去」「文化勲章 海軍体験『山本五十六』94歳」
 サイド・社会面「伝記小説に新境地」
 談話・社会面/「心から海軍愛した」ノンフィクション作家・半藤一利さん/「戦後社会に警鐘」文芸評論家・富岡幸一郎さん
▼読売新聞
 本記・1面「阿川弘之さん死去」「94歳 『雲の墓標』、海軍提督3部作」
 評伝・第2社会面「戦争の意味 問い続け」「海軍流ユーモアも」
 談話・第2社会面/「高い気骨持った文士」文芸評論家・川西政明さん/「温和で背筋伸びた人」作家・黒井千次さん
▼日経新聞
 本記・社会面左肩「阿川弘之さん死去」「94歳『山本五十六』『春の城』」
 評伝・社会面「『時代の証言』続けた人生」
▼産経新聞
 本記・1面「阿川弘之氏 死去」「『山本五十六』、正論メンバー 94歳」
 サイド・社会面「作品支えた海軍体験」「中庸とユーモア愛し」
 評伝・社会面「若者の被災地支援に『日本は大丈夫』」
▼東京新聞
 本記・1面「阿川弘之さん死去」「『雲の墓標』『山本五十六』 94歳」
 サイド・社会面「広島の原爆に向き合い」「紀行・食 エッセーも人気」
 評伝・社会面「『右傾化』日本の将来案じ」
 談話・社会面「言葉を大変大事に」作家・半藤一利さん