北朝鮮が国際機関に対し、8日以降に「地球観測衛星」を打ち上げることを通告しました。実際はミサイルの発射実験だというのが定説になっています。
通告通りなら、ロケット(ミサイル)は沖縄の石垣島や宮古島などの上空を通過するようです。防衛省は、仮に打ち上げ失敗でも、日本に落ちてくる破片は迎撃ミサイルPAC3で撃ち落とす構えで、部隊を石垣島や宮古島に展開します。このことに対し、琉球新報は5日付の社説で反対を表明しています。一部を引用します。
※琉球新報「<社説>PAC3先島配備 優先すべきは外交努力だ」=2016年2月5日
http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-216233.html
北朝鮮による事実上の長距離弾道ミサイル発射通告に対し、中谷元・防衛相が破壊措置命令を出した。防衛省は地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を宮古島、石垣島に展開する。与那国島にも陸上自衛隊の連絡員を派遣する。
ミサイル発射通告に対し、安倍晋三首相は「国民の安全確保に万全を期すようにしてほしい」と指示した。しかし、PAC3配備が本当に住民の安全確保を目的としたものか疑問である。なぜなら今回のミサイル発射にPAC3は役立たないからだ。
(中略)
軍事評論家の前田哲男氏は「打ち上げに成功する場合も失敗する場合もPAC3は機能しない」と指摘し、部隊展開の意図は北朝鮮の脅威の誇張と県民のために心を砕いている姿勢を示すパフォーマンスだと述べる。
そのことは2012年に北朝鮮が「人工衛星」と称して弾道ミサイルを発射した時の対応でもはっきりしている。その時はPAC3と共に石垣島に450人、宮古島に200人の自衛隊員を配備した。ところが、ミサイルが上空を通過する多良間島には数人の連絡員を配置しただけだった。
このことからも、ミサイル迎撃が目的ではなく、住民向けに「頼りになる自衛隊」の演出を狙ったPAC3配備だったと言えよう。
宮古島市、石垣市は現在、自衛隊配備の是非をめぐって市民の間でさまざまな議論が起きている。自衛隊に対する厳しい住民感情の払拭(ふっしょく)を意図したPAC3配備ならばやめるべきだ。
北朝鮮の「衛星」打ち上げ(ミサイル発射試験実験)のたびに、同じようにPAC3の迎撃態勢が展開されてきました。ともすれば「いつものことか」と慣らされてしまっているかもしれません。そうならないようにする上で、参考になる論考だと思います。
【追記】2016年2月6日10時15分
2009年4月に北朝鮮が事前に通告した上で「衛星打ち上げ」、事実上のミサイル発射実験を行った際、ルポライターの鎌田慧さんは東京新聞のコラムに事前に「ミサイル防衛を嗤う」と題した短文を寄せていました。鎌田さんは明示はしていませんでしたが、戦前の「抵抗の新聞人」として知られた桐生悠々の「関東防空大演習を嗤う」にならったと思える警鐘の一文でした。わたしも当時、鎌田さんのコラムを読んで感じたことなどを、このブログに書きとめました。
※参考過去記事「『ミサイル防衛を嗤う』」=2009年4月3日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090403/1238694217
※「関東防空大演習を嗤う」は青空図書館で読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000535/files/4621_15669.html
初出:信濃毎日新聞 1933(昭和8)年8月11日
また、2012年4月にも以下の記事をこのブログに書きました。
※「自衛隊配備を根本的に問う沖縄の新聞〜再び「ミサイル防衛を嗤う」 ※追記「消えぬ『過剰感』」=2012年4月15日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20120415/1334452536
北朝鮮がそう簡単には核開発を手放さないであろうこと、あわせて核兵器の運搬手段である弾道ミサイルの開発も進めるであろうことは分かりますが、だからと言って、軍事的な対応を強化するのは「盾」と「矛」の例えの通り、際限のない軍拡にはまり込むのではないかということは、上記の過去記事を書いたころと考えは変わっていません。かつて桐生悠々が「敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである」と看破したように、どこの国であれミサイルが日本に向けて撃たれるような事態は、日本の平和主義の敗北なのだろうと思います。
北朝鮮の核とミサイル開発はやめさせるべきです。その上で、ということになりますが、PAC3の沖縄への展開などに対して「またいつものアレか」などと、鈍い受け止め方しかできなくなることがないよう、今日的な意味と問題点を考えたいと思います。