メディア研究者の桂敬一さんが1月19日、89歳で逝去されました。つつしんで哀悼の意を表します。新聞協会事務局勤務から転じて、東大新聞研究所教授や立命館大教授を務められました。新聞のありようについても、社会で積極的に発言されていました。
わたし自身も新聞労連委員長の職にあった当時、さまざまに励ましをいただきました。折に触れ、多くの教えもいただきました。今も強く印象に残っているエピソードがあります。
2006年6月、小泉純一郎首相(当時)が国賓待遇で米国を訪問し、ジョージ・W・ブッシュ大統領(同)の歓待を受けました。首相の退任はその年の9月。慰労の意味があったのだと思います。
2003年3月に始まったイラク戦争では、小泉首相はいち早く米国支持を表明。2004年初頭には、米国の求めに応じて、「復興支援」の名目で自衛隊のイラク派遣を強行しました。現地では反米勢力による米軍攻撃が続き、戦火はやんでいませんでした。憲法に反した戦地派遣だ、との批判を押し切ってのことでした。ブッシュ大統領にとっては、小泉首相は米国に忠実な同盟国の指導者でした。
小泉首相はこの米国滞在中に、歌手、エルビス・プレスリーの旧宅をブッシュ大統領とともに訪問。プレスリーのファンだという小泉首相は、遺品のサングラスをかけ、プレスリーの真似ごとのパフォーマンスを披露しました。その様子は日本の新聞各紙も写真入りで大きく報じました。おおむね、日米の両首脳の親密さを表すエピソードとして、好意的に紹介していました。わたしの受け止めも同じでした。
それからほどなく、ある市民集会で桂さんと並んで登壇する機会がありました。日本のマスメディアの課題がテーマでした。桂さんは小泉首相のパフォーマンスの報道について指摘しました。
「日本での報道はもっぱら小泉首相とブッシュ大統領の親密さを伝えるニュースになっている。新聞が掲載した写真の説明も小泉首相のパフォーマンスに焦点が当たっている。しかし、写真は小泉首相だけでなく、その周囲の様子も写し込んでいる。そこにはプレスリーの夫人や娘がいて、得体のしれない奇異なものを見るような視線を小泉首相に向けていることが見て取れる」。そんな趣旨のことでした。自国の首相が海外でどんなふうに見られているか、日本のメディアの政治報道では分からない、それは日本の社会にとっては不幸なことではないか-。桂さんが指摘したのはそういうことでした。
隣に座ってお話を聞きながら、なるほど、と思いました。マスメディアの組織ジャーナリズムの役割は、まずは社会で何が起きているかを伝え、次にその意味を多様な視点とともに伝えることです。その視点の中に「自国が海外でどんな風に見られているか」の意識があるのかどうか。なければ視野の広がりを欠くことになり、やがては感情的、排外的なナショナリズムが社会で幅を利かすことになりかねません。そんなことを考えるようになりました。
昨年の東京都知事選、衆院選、兵庫県知事選では、SNSなどデジタル空間で新聞やテレビは侮蔑のニュアンスを込めて「オールドメディア」と呼ばれ、むき出しの不信感があらわにされました。しかし信頼回復に向けた取り組みは見えてきません。性加害を巡る人権意識の欠如の例も、特定のテレビ局の特殊な個別事例と、日本では他メディアが受け止めているかのような空気感に危うさを感じます。今、日本の新聞やテレビのありようは、内部にいるわたしたちが感じている以上に、厳しく、批判的に見られているのではないか。可能なら、桂さんのお考えを聞いてみたかったと思います。