1985年8月12日、東京・羽田空港から大阪・伊丹空港に向かっていた日本航空123便ジャンボ機が群馬県の山中に墜落し、乗客乗員520人が犠牲になりました。あの事故からことしで40年になります。マスメディアでも、例年にも増して関連の報道が目に付きます。教訓を風化させないための報道です。事故で犠牲になった方々に、あらためて哀悼の意を表します。
この事故を取り上げた小説の一つに、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」があります。舞台は日本のフラッグキャリア「国民航空」。主人公、恩地元(おんち・はじめ)は労働組合委員長として、社員の待遇改善のためにストライキを指令しました。その後、報復人事で中東やアフリカを10年間、たらい回しのように異動させられ、曲折を経て本社勤務に戻りました。その恩地の目を通して、巨大航空会社の倫理や空の安全を問うた長編です。「アフリカ篇」「御巣高山篇」「会長室篇」の三部構成のうち、「御巣高山篇」は日航機墜落事故を、「会長室篇」は事故後の会社再建をモチーフにしています。
作者の山崎豊子さんに、官公庁の労働組合がインタビューした際の記録が、国公労連の井上伸さんのブログに掲載されていることを昨年、このブログで紹介しました。
主人公の恩地元のモデルとされる元日本航空労働組合委員長の小倉寛太郎さんのこと、日本航空とは厳しい緊張関係にあったこと、日航機墜落事故の遺族への取材のことなど、貴重な記録です。
井上さんがブログに代えて、noteに全文を掲載いただいているようですので、改めて紹介します。
▽「山崎豊子さんインタビュー『沈まぬ太陽』を心に持って――520人の命を奪った日航機墜落事故から40年」
https://note.com/inoueshin/n/n04d395f5d74a

これも以前、このブログで紹介しましたが、新潮社のサイトに、山崎豊子さん自身が「沈まぬ太陽」のことを語った音声データがあります。ユーチューブで聞くことができます。
▽[作家自作を語る] 山崎豊子『沈まぬ太陽』|新潮社
「沈まぬ太陽」を初めて読んだのは、所属する通信社の企業内労組(単組)の委員長を務めていた時です。2001~02年のことですので、おおむね四半世紀も前のことになります。
労働組合とは何か、ストライキとは何かを日々、考えていました。執行部としてストライキの指令も出しました。自身でももがきながら、「沈まぬ太陽」を通じて、労働者の権利と生活を守ることは、それを通じて仕事を守ること、その仕事が負う社会的な役割を全うすることだと知りました。何よりも強く印象に残ったのは、企業組織の中で仲間を裏切らず、一切の妥協を排して生き続ける覚悟の凄まじさでした。「自分に同じことができるだろうか」と自問しながら何度か読み返し、今は「座右の一冊(一作)」になっています。
初読から2年ほどたって、わたしは新聞産業の産業別労働組合である新聞労連(日本新聞労働組合連合)の委員長を2年間務めました。そこで航空界の労組の方々とも交流、共闘する機会がありました。航空界には、かつての小倉寛太郎さんのように企業とたたかう姿勢を堅持した潮流と、労使協調を第一にする潮流とがありました。わたしが交流の機会をいただいたのは前者です。
航空の労組の皆さんからは、労働組合運動を通じて守るべきは「空の絶対安全」であるということを実地に教えていただきました。新聞の労組がならうなら、社会に多様な情報と意見が担保されていることだろうと、そんなことも考えました。今も、その考えは変わりません。
※参考過去記事
40年前の8月12日にわたしは何をしていたかは昨年、このブログに書きました。読んでいただければうれしいです。