ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

新聞記事と著作権~無断複製・拡散を放置できない理由

 わたしは昨年まで3年間、勤務先で著作権管理にかかわる業務を担当していました。マスメディア企業には著作権とのかかわりは二つの立場があります。他者の著作物を利用する立場と、自己の著作物を管理する立場です。後者に関して先日、わたしの実務経験に照らしても大きな意味があると感じる出来事がありました。河北新報社(本社仙台市)の新聞記事を画像に複製し、無断でSNS(インスタグラム)に転載したとして、宮城県警が著作権法違反容疑で県内の男性を書類送検しました。
 以下のリンク先は、この件を伝えた河北新報の記事です。著作権に詳しい専門家のコメントや、社会のデジタル化が進む中で著作権侵害による被害が相次いでいることをまとめたサイド記事もあり、手厚い報道です。
 ※「河北新報記事を無断転載 著作権法違反容疑で書類送検 削除要請も応ぜず」=2022年2月17日
 https://kahoku.news/articles/20220217khn000027.html

 わたしは、この一件の最大のポイントは以下の部分だと考えています。記事の一部を引用します。

 河北新報社の取材では、男性のインスタのアカウントには16年7月から記事の画像がアップされ、総数は千数百点に上る。最初は野球の観戦記録やスイーツ、カクテルなどの写真も含まれていたが、後半はほぼ全てが記事の複製画像だった。
 再三の削除要請に男性が応じなかったため、河北新報社が21年11月、同署に告訴していた。

 無断複製と拡散は反復的、継続的に行われ、記事の著作権を持つ新聞社がやめるよう再三求めても従わなかったことです。非常に悪質です。紙の新聞や有料の電子新聞は、読者から購読料を支払ってもらうことで、事業として成り立っています。購読料は広告料とともに新聞社の主要な収入の一つです。本来は購読しなければ読めないはずの記事が継続的に無料で読める状態にされてしまうことは、新聞社にとって、見込めるはずの収入が得られないという直接のダメージになります。
 こうした行為を新聞社が看過できない理由がもう一つあります。そうした状態を放置することが、きちんと購読料を支払っている読者に対しての背信行為に当たることです。企業としての社会正義の問題でもあると言っていいと思います。そんな不公平を新聞社が是正しようとしないのであれば、読者は購読をやめてしまうかもしれません。
 記事の無断複製と拡散が新聞社の収入減につながり、その結果、新聞社が報道を維持できなくなってしまえば、報道の受け手である読者、社会にとっての不利益、損失になります。いわゆる「新聞離れ」とは質が異なります。報道の内容のいかんを問わず、新聞記事が著作物としての扱いを受けることは、社会のルールの問題です。

 一方で、読み手が記事の内容に共感し(批判する趣旨の場合もあるかと思います)、ほかの人にも読んでもらいたいと思う場合もあると思います。新聞社は自社サイトで記事にSNSの「リツイート」などの投稿ボタンを用意している場合があります。契約を結んで記事を提供しているニュースサイトでも、同様の投稿ボタンを用意している例があります。そういう場合は、投稿ボタンを使って拡散することは構いません。
 紙の新聞の記事の場合はどうでしょうか。紙面を写真に撮り、SNSで拡散している事例を目にすることがあります。記事の全文を読むことができたり、投稿者自身の論評やコメントがないか、あってもごく短いような場合は、新聞社や通信社、寄稿であれば筆者など、著作権者の許諾を得なければ違法な拡散、著作権の侵害に当たる場合があります。テレビのバラエティ番組などで新聞紙面のニュースが映し出されることがありますが、そうした事例ではおおむね例外なく、番組の制作サイドが個別に新聞社に連絡を取って許諾を得ています。
 河北新報社は今回の事件に対しての見解をサイト上で明らかにしています。その中で、上記のようなことも丁寧に説明しています。
 ※「河北新報社からのお知らせ」=2022年2月17日
https://kahoku.news/articles/20220217khn000038.html

 著作権法の理念には、著作者の権利を守ることとともに、著作物を社会に役立てることも含まれています。一定の条件を満たせば、著作者から許諾を得なくても著作物を自由に使える事例も定めています。代表的なものには、「私的使用」や「引用」があります。学校の対面授業で教材に使う場合も許諾は不要です。
 ※文化庁「著作物が自由に使える場合」
 https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/gaiyo/chosakubutsu_jiyu.html

 しかし、「引用」ひとつとっても、その用語自体はよく知られていますが、実際にどのような条件を満たさなければならないかは、そう単純ではありません。著作権法の条文は以下の通りです。

第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

 「公正な慣行」「報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲」が何を指すのか。上記の文化庁のホームページでは、以下のように説明されていますが、一般の人には分かりづらいと思います。

 他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。
(1)他人の著作物を引用する必然性があること。
(2)かぎ括弧をつけるなど,自分の著作物と引用部分とが区別されていること。
(3)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。
(4)出所の明示がなされていること。(第48条)
(参照:最判昭和55年3月28日 「パロディー事件」)

 自分の情報発信の中で新聞記事を使いたい場合は、発行元の新聞社に問い合わせるのがもっとも確実です。どの新聞社も自社サイトに「著作物の利用について」「記事・写真の利用について」などのページを用意しています。記事全文の転載であっても、著作権を持つ新聞社から許諾を得れば、何の問題もありません。

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東京新聞が特集「石原慎太郎氏の差別発言 いま再び考える」掲載

 故石原慎太郎・元東京都知事の差別発言について、東京新聞が2月15日付の朝刊に1ページの特集記事「石原慎太郎氏の差別発言 いま再び考える」を掲載しました。掲載の趣旨は、13日付の紙面で大場司・編集局長(中日新聞社東京本社編集局長)が説明していました。 

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 大場編集局長は、石原元知事の差別発言を紙面では「石原節」とひとくくりに表現して報じてきたことに対し、「言葉の作用に敏感であるべき新聞が、率先して差別発言を容認するような表現を繰り返してきたこと。そのことが、政治家の暴言や失言を容認する風潮を生み出していったこと。今、この責任を痛感しています」として、新聞としての責任を明言していました。編集責任者として、読者に対し率直に非を認めたものと、わたしは受け止めています。
 その上で、「新聞記事は歴史の記録であり、後世にまで残ります。読者の批判を受け止め、石原氏の差別発言を考える特集を後日掲載します」と予告していました。

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 15日付の特集では、石原元知事の差別発言を「ジェンダー、LGBT」「障害者」「外国人」の三つの類型に分けて計5件を詳細に掲載しました。「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは『ババア』なんだそうだ」とのいわゆる「ババア」発言や、同性愛者に対しての「どこか足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」との発言などです。
 特集の中心は、識者3人の大型の談話です。見出しは以下の通りです。
 ▽「『石原節』メディアの責任重い」=ジェンダー法学の戒能民江・お茶の水女子大名誉教授
 ▽「『差別許さない』メッセージを」=ヘイトスピーチやレイシズムに詳しい明戸隆弘・立教大助教
 ▽「扇情的発言 不利益は国民に」=現代社会学の千田有紀・武蔵大教授

 戒能氏は、昨年の森喜朗氏の女性蔑視発言など、政治家らによる差別発言が続いていることを挙げて、「『よくある冗談』と許され、発言した当事者は人権問題だとつゆほども思っていない。『ババア発言』のあった二十年前とどれほど変わったと言えるだろうか」と疑問を投げかけています。石原元都知事の発言が容認されてきたことが一因であり、メディアは「石原節」報道によって容認の当事者になっていました。
 明戸氏の「政治家の問題発言に対し、メディアは内容を精密に分析し、差別や中傷に該当する場合は、立場を超えて『許さない』という声を上げていかねばならない」との指摘は、メディアの責任を端的に示しています。
 千田氏は石原元知事について「『うっかり失言した』というより、こうした発言を好意的に受け止める層がいることを分かった上で、発言されていたようにも思う」と分析。扇情的な発言に飛びつく有権者の問題も指摘しています。
 「石原節」との取り上げ方を巡って、東京新聞の内部ではどのような議論があったのか、あるいはなかったのか、にまで踏み込んだ報告はありませんでした。ただ、そうだとしても、今回の特集記事は、マスメディアの責任を自覚していることの表れだと受け止めています。少なくとも今後、同じ愚を犯してはいけない、との意識は東京新聞の内部では共有されるのではないでしょうか。
 他のマスメディアも何らかの形で続くのかどうか、動向を注視しています。

石原元都知事の差別発言の扱い、東京新聞編集局長「責任を痛感」~「石原節」の表現が暴言や失言を容認する風潮招いた

 2月13日(日)付の東京新聞朝刊5面(社説・意見)のコラム「新聞を編む」に、「言葉の作用 責任を痛感」の見出しで、同紙の大場司・編集局長(中日新聞東京本社編集局長)の一文が掲載されています。石原慎太郎・元東京都知事の訃報に対して、読者からたくさんの批判、とりわけ差別発言の報じ方に厳しい指摘が相次いでいるとして、以下のような声を紹介しています。
 「功績を持ち上げ、差別発言を石原節で済ませる始末」
 「多大な影響を与える立場でありながら、その差別意識をまき散らしていたことは、○○節で済まされることなのでしょうか?」 

 そして大場編集局長は、東京新聞が過去に何度も「石原節」の表現を使っていたこと、差別発言を「石原節」として報じることが「この人だから仕方がない」と発言を容認することにつながることを認めて、以下のように記しています。

 言葉の作用に敏感であるべき新聞が、率先して差別発言を容認するような表現を繰り返してきたこと。そのことが、政治家の暴言や失言を容認する風潮を生み出していったこと。今、この責任を痛感しています。
 新聞記事は歴史の記録であり、後世にまで残ります。読者の批判を受け止め、石原氏の差別発言を考える特集を後日掲載します。

 このブログに2月6日にアップした記事で、わたしはこの「慎太郎節」「石原節」について、差別発言に詳しく触れることを避ける用法であって、後世に、“石原慎太郎”の実像をありのままに伝えることができるかどうか疑問であり、歴史の記録を残すジャーナリズムの責任を果たせないと書きました。

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 やはり同じことを、東京新聞の多くの読者が感じていました。その批判を真摯に受け止め、後日の特集記事掲載を表明した大場編集局長と東京新聞に、敬意を表します。人間の営みである以上、誤ることがあるのは仕方がありません。問われるのはその先、誤りを認めて教訓を残し、その先のより良い未来につなげることができるかどうかです。
 前述のブログ記事に書いた通り、「慎太郎節」「石原節」の表現は他紙も使っています。東京新聞に続く動きがあるのか、注視したいと思います。

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 石原元知事の言動をめぐっては、「自主憲法の制定」との主張は、憲法99条が規定する公務員の憲法尊重、擁護の義務に違反している、との論点もあります。この点に対しても、今からでもジャーナリズムによる検証があっていいと思います。

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※追記 2022年2月16日8時30分

 予告の特集記事は2月15日付の朝刊に掲載されました。

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首長や議員が「自主憲法制定」を唱えるのは自己矛盾~石原元都知事に対するマスメディアの無頓着ぶり、問われる憲法観

 一つ前の記事(「慎太郎節」「石原節」が薄めてしまう実像~マスメディアの報道は歴史の記録)の続きです。故石原慎太郎・元東京都知事の足跡に関連して、もう一つ書きとめておきます。憲法のことです。
 石原元知事は現在の日本国憲法への嫌悪感を露骨に表明していました。敗戦後に米国に押し付けられたとの歴史観を持っていました。持論は「自主憲法の制定」だったことは、よく知られています。この「自主憲法制定」は「憲法改正」と似て非なるものです。石原元知事について、訃報だけでなく生前の報道も含めて、マスメディアもこの違いが分からないのか、あいまいなまま「改憲」という言葉でくくってしまっています。
 現憲法の中には改正手続きの規定があり、それにのっとっての「憲法改正」はもちろん、適法、合法です。しかし「自主憲法制定」となれば意味合いが異なります。石原元知事は現憲法に対しては「破棄」との主張もしていました。現憲法を破棄して自主憲法を制定するとなれば、それは「改正」でしょうか。革命やクーデターでもない限り、現憲法が根付いている日本社会では起こりえないことです。
 それでも、一般の国民であれば、憲法についてどう考えるのも、何を口にするのも自由です。しかし、都知事や国会議員、あるいは国会議員を擁する政党や政治団体となると、事情は変わってきます。公務員には、国の最高法規である現憲法を尊重し擁護する義務が課されているからです。
 関連する憲法の条文は以下の通りです。
 96条は改正について定めています。

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 衆議院、参議院でそれぞれ3分の2以上の賛成があれば、国会が憲法改正を発議することと定めています。国会議員が憲法改正や改正案を論じること自体には問題はないということになります。しかし、その範囲には限度があります。それを示しているのが99条の、公務員に対する憲法の尊重、擁護の義務です。

 第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 閣僚や国会議員を含めて、公務員である限りは憲法を尊重し擁護する義務を負っています。天皇や摂政であっても例外ではありません。仮に自治体首長や国会議員が、この憲法の根本原則を変えてしまうような改変論を掲げることはこの義務に反することになり、明確に憲法違反です。石原元知事のように、この憲法を無効として自主憲法を制定すると主張することも、公務員の立場にある者ならば、やはり憲法違反です。石原元知事はこの憲法の下で知事にも国会議員にもなりました。この憲法の破棄を主張し、自主憲法の制定を主張するのであれば、そうした地位に就くべきではありませんでした。自身でどこまで自覚していたかは分かりませんが、知事や国会議員の職に就いていたこと自体が深刻な矛盾だったというほかありません。

 では、石原元知事のこの深刻な矛盾を、マスメディアはきちんと報じているのでしょうか。「自主憲法制定」と「憲法改正」の意味合いの違いを踏まえて報じているのでしょうか。あらためて東京発行の新聞各紙の石原元知事の訃報を見てみました。
 言葉の違いを明瞭に意識しているのは産経新聞です。死去翌日の2月2日付紙面の1面で、本記の脇に掲載した記事に「自主憲法追求した政治家人生」の見出しが付いています。その記事中には「自主憲法制定」の用語について、以下の一節があります。

 石原氏が好んで使ったこの表現は、「憲法改正」よりも抜本的かつ能動的なニュアンスがある。そこからは、現実的な感覚として骨身に刻みこまれた敗戦国の悲哀が透ける。

 朝日新聞は2日付朝刊の第2社会面に掲載した「評伝」で、石原元知事と憲法に触れていますが、見出しは「改憲 こだわり続けた末」と「改憲」の用語を使っています。以下のように、本文の書き出しに「いちから作り直す」との本人の言葉を引用しながら、やはり「憲法改正」を使っています。

 「いちから憲法を作り直す」。石原慎太郎氏は常々そう公言していた。憲法改正に執着を続けた政治家人生の帰結は、何だったのだろう。

 「作り直す」との言葉使いのニュアンスに「改正」はそぐわないと感じます。本文を読み進めていくと、「『現憲法を破棄せよ』との勇ましい言葉」「石原氏がこだわった自主憲法制定」などの表現も目にするのですが、全体として「憲法改正」と「自主憲法制定」との違いに無頓着です。
 前述のように、憲法への尊重と擁護の義務を負う知事や国会議員の立場では、「憲法改正」と「自主憲法制定」の使い分けには、意味合いに決定的な違いがあります。しかし、そのことに触れ、石原元知事の言動が憲法違反だったことを指摘した記事は、産経、朝日両紙にも、他の在京紙にも皆無でした。石原元知事への礼賛一色のトーンだった産経新聞は、自社の社論も憲法改正です。「憲法改正」と「自主憲法改正」に語感の違いはあっても、現憲法を「変える」点では意味合いは同じだとみなしているのかもしれないと感じます。しかし、他の在京紙各紙の「憲法改正」と「自主憲法制定」の差異への無頓着ぶりは、そのまま憲法や改憲に対する認識のありようを示しているようです。憲法観が問われます。

 石原元知事の「現憲法を破棄」「自主憲法を制定」の自己矛盾のことは、このブログで9年前にも書いています。
https://news-worker.hatenablog.com/entry/20130224/1361670907

news-worker.hatenablog.com

 憲法への尊重、擁護義務の観点から石原元知事を批判するマスメディアがないことに対しての「日本の報道記者のレベルも落ちたものである」との辛辣な批判も紹介しました。9年たった今日、マスメディアのその状況は変わっていません。とても残念です。

【追記】2022年2月11日23時40分

 在京紙各紙が石原元知事の訃報で「憲法改正」と「自主憲法制定」の使い分けをどう報じていたかの段落に加筆しました。「自主憲法制定」を主張する石原元知事の言動が憲法違反だったことを指摘した記事が皆無だったことを明記しました。

「慎太郎節」「石原節」が薄めてしまう実像~マスメディアの報道は歴史の記録 ※追記・東京新聞編集局長「責任を痛感」

 少し時間がたちましたが、同時代の記録として書きとめておきます。
 2月1日午後に明らかになった石原慎太郎元東京知事の訃報を、東京発行の新聞各紙は翌2日付の朝刊で大きく扱いました。「正論」執筆陣に迎え、コラムの枠も提供していた産経新聞は1面トップ。憲法改正(石原元知事自身は「自主憲法制定」との言葉を用いていました)をともに求めていた間柄でした。社説(「主張」)も含めて計6面に関連記事が載っており、一貫して業績をたたえるトーンです。朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞の4紙はそろって1面準トップ。日経新聞も1面ですが、二つ折りにするとほとんど見えないぐらいの下の位置です。
 都知事としてディーゼル車の排ガス規制を導入したことなど、プラスに評価していい業績ももちろんあります。しかし、石原元知事の足跡を振り返るなら、際立って特徴的なのは、差別の意識に根差すと考えるほかない言動の数々です。それらが報道の中でどう扱われたのかが気になりました。
 「ニュースは歴史の第一稿」という言葉があります。マスメディアの報道は同時代を生きる人たちに向けた情報共有ですが、それにとどまらず後世に残す歴史史料にもなります。特に、マイクロフィルムで国会図書館に保存される新聞は、後世の研究者にとっては第一級の史料です。また人は死を迎えた時に歩みを止め、その足跡は時の経過とともに歴史になっていきます。訃報の記事に何が書かれているか、あるいは書かれていないかは、まさに歴史に何を残すのかの問題です。石原元知事の過去の言動を今一度、マスメディアが訃報の中で書きとめておくことは、亡くなった人のことは悪く言うものではない、とのマナーの問題とは質が異なります。事実をどう記録し、歴史として残すかの問題です。
 そういう目で在京各紙の関連記事を見ていくと、歯切れの悪さが目立ちます。その象徴が「慎太郎節」ないしは「石原節」との表現だと感じます。
 差別意識に根差すとしか受け取れない言動は、言い換えれば、他者へ優しいまなざしを持ち得なかった、ということだったのではないかと感じます。自分とは異なった立場の人たち、自分は決してそういう立場にはならないと思っている人たちに対して、「仮に自分が同じ立場だったら」とは考えることがなかったのだろうとも思います。
 そうした発言ですぐに思い出すのは、いわゆる「ババア発言」です。他人の言説の紹介としつつ、生殖能力がなくなった高齢の女性は生きていても無駄だ、との趣旨のことを発言していました。ウイキペディアに「ババア発言」の項があり、経緯がまとめられています。
 ※ ババア発言 - Wikipedia

 発言を巡って裁判にまでなったというのに、在京各紙の紙面には見当たりませんでした。「物議を醸した」として実際に紹介された発言は、「三国人」や津波の「天罰」程度です。高齢女性にあらためて不快感を与えることは避けたい、という配慮もあるのかと思いますが、それで後世に、“石原慎太郎”の実像をありのままに伝えることができるかどうか。歴史の記録を残す、という意味ではジャーナリズムの責任を果たせないと感じます。
 そして、個々の言動を記さないでいて、「これで分かってくださいね」と言わんばかりに使われているのが「慎太郎節」「石原節」であるように感じます。
 各紙が何回使ったか数えてみました。毎日新聞は政治面の記事、社会面の見出しに「石原節」2回。読売新聞は第2社会面の見出しに「慎太郎節」1回。東京新聞は「石原節」が語録の見出し、社会面のリード、サイドと計3回も出てきます。
 朝日新聞は「慎太郎節」「石原節」こそありませんが、他紙がその用語を使っている場所に「歯に衣着せぬ発言(物言い)で物議を醸した」との表現が政治面と社会面に計2カ所。具体的な言動を紹介する代わりに、という意味では「慎太郎節」「石原節」と同じです(余談ながら政治面では「歯にきぬ着せぬ」、社会面では「歯に衣着せぬ」と表記に不統一までありました)。
 日経新聞には「節」は見当たりません。産経新聞は1カ所「慎太郎節」があります。総合面のサイドの見出し「国動かした慎太郎節/尖閣購入『何か文句ありますか』」です。肯定的評価の文脈ですので、他紙とは使い方が異なっているようです。
 昨年は、東京五輪組織委員会の会長だった森喜朗元首相が、女性蔑視発言と「わきまえる」発言で会長辞任に追い込まれました。都知事として「ババア」発言はいくら何でもひどすぎでした。本人もそれは分かっていた節があります。2001年当時でも職を辞してもおかしくなかったのに、そうなりませんでした。朝日新聞に御厨貴・東大名誉教授の「影響力が大きい人ゆえに政治家の失言が許される世の風潮を作ってしまった。それは負の遺産だ」とのコメントが載っていました。その通りだと思うとともに、責任の一端は、けじめを迫ることをしなかった、できなかった在京マスメディアにもあるだろうと、同時代をその一員として過ごした一人として、自責の念と共に思います。

 なお、「ババア」発言については、電子版の有料会員向け記事では紹介している新聞もあります。紙の新聞ではスペースに制約があるために掲載していないのかもしれません。ネット空間を膨大な情報が日々、行き交っている時代にあって、紙面には掲載しなかった電子版だけの記事は、どう後世に残していくのか。組織ジャーナリズムを100年、200年の時間軸で考えるときに、論点の一つになるのではないかと思います。

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 以下に、在京紙各紙が2月2日付朝刊に掲載した主な記事の見出しや扱いを書きとめておきます。

▼朝日新聞
1面準トップ「石原慎太郎氏 死去/89歳 元都知事、『太陽の季節』」
4面「国家観・改憲…政界に足跡」
15面(スポーツ)「『招致、石原さんがいたから』/東京五輪、森・組織委前会長が語る」
社会面トップ「石原都政 直言も放言も」「ディーゼル車規制 五輪招致活動」「尖閣国有化を推進 反日感情招く」/「『太陽族』流行語に」
第2社会面・評伝「改憲 こだわり続けた末」/「大きな影響力 失言許す風潮作る」御厨貴・東京大名誉教授(政治学)/「妥協できない『ぶれない政治家』」ジャーナリスト田原総一朗さん

▼毎日新聞 ※「石原節」2回
1面準トップ「石原慎太郎さん死去/89歳 作家・元都知事」
5面「『戦後の概念に挑戦』/石原さん死去 政界から悼む声」※
18面(スポーツ)「理念なき『復興五輪』/石原元都知事死去 招致再挑戦 課題残す」
社会面トップ「『石原節』物議醸す/尖閣、新銀行 混乱も」/「人生演じきった/言葉に魅力」※(見出しのみ)
社会面・評伝「敵がい心が根底に」
社会面「下積みなし文壇デビュー/『太陽の季節』『弟』『天才』」/「『右翼の政治屋』中国のメディア」

▼読売新聞 ※「慎太郎節」1回
1面準トップ「石原慎太郎さん死去 89歳 作家・元都知事」
4面(政治)「『戦後の既成概念に挑戦』/石原氏死去 与野党から悼む声」
11面(文化)「現代人への『生』の檄文/開口一番『インテリヤクザ同誌』/胸中の人 石原慎太郎氏を悼む」西村賢太氏寄稿
17面(スポーツ)「五輪招致 2度尽力/石原慎太郎さん 東京マラソン創設」
社会面トップ「都政13年 東京変えた/ディーゼル規制、マラソン、新銀行/強引な手法 功罪」
社会面・評伝「『言葉の世界』生き切った」/「『最期まで作家』『一時代築いた』/4兄弟 父への思い」
第2社会面「『太陽の季節』嵐呼ぶ/創作意欲 晩年まで」/「『裕次郎の兄でございます』『若い人しっかりしろよ』/慎太郎節 時に物議」※(見出し)

▼日経新聞
1面「石原慎太郎氏死去/89歳、都知事や運輸相歴任 芥川賞作家」
4面(政治・外交)「首相『大きな足跡残した』/亀井氏『最高の地の巨人』」
38面(第2社会)評伝「作家・政治家 強烈な個性/タカ派言動で度々物議」/「長男伸晃氏『最期まで作家』」/「生涯若者のまま」作家高樹のぶ子さん

▼産経新聞 ※「慎太郎節」1回
1面トップ「石原慎太郎氏 死去/89歳 作家・元都知事。元運輸相/保守派論客 正論メンバー」
1面「自主憲法追求した政治家人生」
3面「国動かした慎太郎節/尖閣購入『何か文句ありますか』」「『既成概念に挑戦』政界悼む声」※(見出し)
8面「日本を憂え 正論貫く/本紙1面にコラム掲載 読者に響いた国家論」/「五輪招致 担った旗振り役」
社会面トップ「都政13年半『日本変える』/強い指導力、気遣いも/ディーゼル車を規制/震災がれきを受け入れ」
第2社会面「人生への好奇心 源泉/政治と両立 行動する肉体派作家」/「小池都知事『功績はレガシーに』/猪瀬元都知事『自分の言葉で話した』」
社説(「主張」)「石原慎太郎氏死去 憲法改正の意志をつなげ」

▼東京新聞 ※「石原節」3回
1面準トップ「石原慎太郎さん死去/89歳 都知事13年、作家」
2面・核心「石原都政 功罪半ば/排ガス規制リード/新銀行失敗…」
2面「石原節 波紋/津波は天罰/東京が尖閣守る/暴走老人」語録※
2面「小池知事『思い受け継ぐ』」/「『豊かな表現力』『本当はシャイ』 猪瀬元都知事」/「『既成概念に挑み続けた』政界から悼む声」/「『右翼政治屋が死去』中国機関紙が速報」
社会面トップ・評伝「硬軟巧み 慎太郎流/演じ続けた『ポピュリスト』」※(リード)
社会面「戦争取材が原点→総裁選 落選→都政で存在感」※/「4兄弟『最期まで作家』」
第2社会面「『東京の都市構造変えた』/石原都政 大学統合では反発も」/「東京五輪 再招致を決意」/「同窓・佐々木信也さん『やんちゃな才能の塊』」/「文学で戦後文化彩る/ベストセラーを連発」
社説「石原元知事死去 東京から国を動かした」

 

※追記 2022年2月14日0時40分

 「石原節」の表現多様に対して、東京新聞の大場司・編集局長が2月13日付の紙面で「責任を痛感」と表明しました。差別発言を「石原節」として報じることが「この人だから仕方がない」と発言を容認することにつながること、新聞がその表現を繰り返してきたことによって、政治家の暴言や失言を容認する風潮を生み出していったことへの反省が込められていると受け止めました。別記事をアップしました。

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原発にも、本土の米軍基地にも共通の視点~名護市長選に対する地方紙、ブロック紙の社説、論説(その2)

 1月23日の沖縄県名護市長選の結果に対する、地方紙の社説、論説の続きです。各紙のサイトで読める範囲でチェックしました。
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡っては、2019年2月の県民投票で「反対」が7割を占めたように、沖縄の民意は明らかです。しかし安倍・菅・岸田政権は一向に計画を見直すことなく、辺野古沖の埋め立てを進めています。一方で、新基地建設に賛否を明らかにしない、沈黙を続ける市長が4年前に名護市に誕生するや、米軍再編交付金を名護市に支出するという露骨な利益誘導策も取ってきました。
 4年たった今回の選挙では、新基地建設に引き続き沈黙する現職が大差で再選されるとともに、投票率が8ポイント以上も下がりました。「反対しても何も変わらない」とのあきらめの感情が広がっていることを示しているのだとしたら、地方自治の危機です。そうした状況に対して、地方紙は「自分たちの未来は自分たちで決める」との自己決定権が深刻な危機に陥っているとの意識を共有しているように感じます。
 仙台市に本社を置く河北新報は社説で「国策の推進に地域振興予算の蛇口を閉めたり、緩めたりする手法は、原子力施設が立地する東北の自治体にも繰り返されてきた。住民が分断され、民意がゆがめられる痛みは人ごとにはできない」と書いています。同じく原発立地県の新潟日報も「辺野古移設を巡る問題は、国策と地方の在り方を問う。本県が抱える原発問題にも共通する。新潟からも関心を持って見つめ続けたい」と、やはり当事者意識を持っています。
 米空母の艦載機が移転した山口県岩国市を取材・発行エリアに持つ中国新聞(本社広島市)は「こうした『アメとムチ』で自治体を誘導する手法は、空母艦載機移転で揺れた岩国市でも使われた。地域を分断するような政府のやり方は容認できない」と批判しています。
 今回の名護市長選によって、基地の過剰な負担は沖縄固有の問題ではなく、広く政府と地方の関係の根本にかかわることであり、どこであっても地方にとっては決して他人ごとではない、との意識が日本本土に広がっているように感じます。
 今年は沖縄が日本に復帰して50年です。沖縄の基地の過剰な負担は、沖縄だけではなく日本全体の問題ととらえる視点を広げ、日本中で共有する機会にするべきでしょう。本土のマスメディアの姿勢が問われます。

【1月27日付】
▼河北新報「沖縄『選挙イヤー』/諦めの選択 強いていないか」
 https://kahoku.news/articles/20220127khn000006.html

 国策の推進に地域振興予算の蛇口を閉めたり、緩めたりする手法は、原子力施設が立地する東北の自治体にも繰り返されてきた。住民が分断され、民意がゆがめられる痛みは人ごとにはできない。
 コロナ禍は地理的な条件から製造業が育たず、観光業に依存する地域経済を直撃している。このタイミングでの「アメとムチ」がどんな効果をもたらすか、十分想像する必要がある。
 政府は県民投票などで示された「辺野古反対」の民意を無視して工事を強行し、現地には既に広大な埋め立て地が出現している。
 「基地か経済か」。既成事実を積み重ね、沖縄の人々に諦めの選択を強いるようなやり方は決して許されない。

▼新潟日報「名護市長選 移設容認とは受け取れぬ」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20220127666632.html

 看過できないのは、沖縄にアメとムチで揺さぶりをかけ、移設を推し進めようとする政府の態度だ。
 再編交付金を巡っては、移設に反対した前市長時代に凍結されたものの、現市長になって再開された。公金を使った地方自治への露骨な介入だ。
 投票率は前回選を8ポイント以上下回り、過去最低だった。気掛かりなのは辺野古の工事が着々と進む状況に、県民に諦めムードが強まらないかという点だ。
 名護市長選で、新人候補は米軍由来とされる新変異株「オミクロン株」の感染拡大で、根底にある日米地位協定の問題点もあぶり出した。
 だが、たとえ反対しても工事は止まらないとの声は根強かった。ウイルス禍に加え、そうした意識が投票結果や低投票率につながった面はないか。
 (中略)
辺野古移設を巡る問題は、国策と地方の在り方を問う。本県が抱える原発問題にも共通する。新潟からも関心を持って見つめ続けたい。

▼中国新聞「名護市長選自公系勝利 辺野古容認と言えるか」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=827918&comment_sub_id=0&category_id=142

 いくら移設反対を訴えても辺野古沖の埋め立ては止まらないのか―。県民投票後も工事を強行する政府の姿勢に市民が諦めを感じたのであれば深刻だ。
 名護市長選の投票率は前回を8ポイント以上も下回り、過去最低に落ち込んだ。市民の諦めが投票率低下を招いたとすれば、民主主義と地方自治の根幹を揺るがしかねない危機である。
 「基地か経済か」を迫る政府のこれまでのやり方は強権的すぎよう。名護市への年間15億円ほどの再編交付金は反対派が市長の間は凍結され、渡具知市政になると再開された。凍結時には市の頭越しに市内に直接、補助金が渡される異例の対応も取られている。
 こうした「アメとムチ」で自治体を誘導する手法は、空母艦載機移転で揺れた岩国市でも使われた。地域を分断するような政府のやり方は容認できない。
 (中略)
基地負担を沖縄に押し付けてきた「本土」側の論理も問われている。政府がその姿勢を改めない限り、米軍基地を巡る分断と対立の解消には程遠い。

【1月26日付】
▼東奥日報「基地黙認の意味考えたい/沖縄・名護市長再選」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/845634

 ただ、現職は基地移設の受け入れを表明しているわけではない。賛成も反対も明言せず「黙認」しながら、政府の交付金を受け取って市政を進めている。今回の再選をそのまま市民の移設賛成の意思表示と受け取ることはできるのだろうか。
 名護市への移設計画が浮上して以降、市長選は7回目だ。基地負担と日々の生活との間で悩む選択をいつまで強いるのか。「黙認」の意味は、本土の人々こそが考えなければならない課題だ。

▼山陽新聞「名護市長選 移設への理解とはいえぬ」
 https://www.sanyonews.jp/article/1222214?rct=shasetsu

 そもそも沖縄では、日米合意で一部の訓練場などの返還は実現したが、現在も国内にある米軍専用施設の約7割が集中する。米軍のコロナ新変異株への対策が不十分で、米軍基地から感染が広がったとされる背景には、国内法が適用されない日米地位協定の問題がある。県民が重い基地負担を課せられている現状を政府はしっかりと受け止める必要がある。
 沖縄は今年5月、本土復帰50年を迎える。だが、玉城知事と政府の対立は終わりが見えない。県と国、また県民同士の分断をこれ以上深めないように、政府は「辺野古が唯一の解決策」との立場にこだわることなく、真摯(しんし)に沖縄に向き合ってもらいたい。

【1月25日付】
▼南日本新聞「[名護市長選] 移設白紙委任は早計だ」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=150367

 だが今、日本政府に求められるのは普天間返還に向けて米政府、沖縄県と対話を重ねることである。
 岸田文雄首相とバイデン米大統領が先日、テレビ会議形式で会談した。だが、普天間移設を議題にしなかったのは残念でならない。
 普天間の危険性を放置し、辺野古移設を「唯一」と言い続けるのはあまりに無責任である。日米首脳は現実を見据えて協議を始めるべきだ。それが岸田首相の掲げる「新時代リアリズム外交」だろう。
 沖縄の日本復帰50年の今年、米軍基地負担を一方的に押し付ける国と沖縄との関係を真剣に再考すべきである。

 

地方自治の視座から、政府に転換求める地方紙~名護市長選に対する地方紙、ブロック紙の社説、論説

 沖縄県名護市長選の結果に対する新聞各紙の扱いの続きです。地方紙・ブロック紙の社説も、各紙の自社サイトで確認できるもののみですが、チェックしました。
 この選挙結果をもって、辺野古新基地の建設推進を地元の民意が容認したとは言えない、との点が各紙とも共通しています。また、民意を顧みずに新基地建設を進めようとする日本政府への批判も目立ちます。中でも、信濃毎日新聞が「安全保障政策の影響は全国に及ぶ。密室同然で方針を決める政府に説明責任を求め、地方自治をないがしろにするやり口に各地から転換を迫る必要がある」と指摘している点は、「中央政府対地方自治」の視点で、辺野古新基地と沖縄の基地負担の問題をとらえる視座であり、地方紙ならではの切り口だと感じます。
 以下に、各紙の社説、論説の見出しを書きとめ、リンクを張っておきます。いくつかの社説は、本文の一部を書きとめておきます。

【1月25日付】
▼北海道新聞「名護市長選 辺野古容認と言えない」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/637338?rct=c_editorial

▼東京新聞「名護市長再選 『辺野古容認』は早計だ」
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/156219?rct=editorial

▼信濃毎日新聞「名護市長選 民意を奪う手口あらわに」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022012400894

 辺野古の埋め立て承認を県が取り消し、撤回しても、政府は法制度を乱用してねじ伏せた。県からの対話要請や条件提示にも応じない。玉城県政に意趣返しするように、来年度予算案から沖縄振興費を削減してもいる。
 過去の選挙結果は一顧だにされず、法廷でも敗訴が続く。呼応する全国の声も響かない。諦めや無力感が沖縄を覆い、基地問題への不安や不満の表出を妨げているのなら、ゆるがせにできない。
 安全保障政策の影響は全国に及ぶ。密室同然で方針を決める政府に説明責任を求め、地方自治をないがしろにするやり口に各地から転換を迫る必要がある。

▼京都新聞「沖縄の民意 『移設是認』とは言えぬ」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/718343

▼山陰中央新報0125「沖縄・名護市長選 基地黙認の意味は…」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/154449

▼西日本新聞0125「名護市長選 基地『黙認』迫られた住民」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/866620/

 米軍基地移設と子育て支援は本来、直接の関係はない。これを事実上セットにして「基地を黙認すれば、生活が楽になり、反対すれば苦しくなる」という構図で国策の受け入れを迫るのだとすれば、地元住民にとって実に理不尽なことだろう。
 このように交付金を使う「アメとムチ」の手法は沖縄に限らない。全国の基地や原発が立地する自治体などでも見られる。国策のひずみを財政力の弱い地方に強引に押し付けるものだ。

【1月26日付】
▼神戸新聞「名護市長選/基地移設の容認ではない」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202201/0015011364.shtml

ただ、生活が厳しい中でも、移設反対を掲げて「交付金に頼らない」と訴えた岸本氏を、投票者の4割以上が支持した。政府はその民意を重く受け止めるべきだ。
(中略)
「基地問題か、経済か」の選択を迫り、市民を分断する国の手法は強権的と言うしかない。
市長選前に共同通信社が行った世論調査では、岸本氏支持層の9割、渡具知氏支持層の5割が、基地移設に反対する玉城県政を評価した。渡具知氏自身も「市民に反対が多いのは変わらない」と認めている。「移設中止も、地域振興も」と望むことは、沖縄では許されないのか。

 

「移設容認と短絡するな」(朝日) 「普天間移設の進展を着実に」(読売)~名護市長選 東京発行各紙の社説

 沖縄県名護市長選で、自民、公明両党が推薦した現職が、同市辺野古の新基地建設に反対する前市議の新人に5000票余の大差をつけて再選されたことを、東京発行の新聞各紙が1月25日付朝刊の社説でそろって取り上げました。
 選挙戦では現職の渡具知武豊氏は新基地建設の賛否を明らかにせず、学校給食費や保育料、子ども医療費の無償化など1期目の実績を強調しました。ただ、これらの政策の財源は、米軍再編を受け入れた自治体に支給される交付金でした。渡具知氏の再選は、名護市の有権者が新基地の受け入れを暗黙のうちに認めたと受け取ることもできるようにみえます。しかし、世論調査で新基地建設への賛否に絞った質問では、反対が賛成を圧倒しています。新基地建設が地元に受け入れられたと解釈するのは無理があります。
 東京発行の新聞各紙の社説を比べてみると、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞は民意が新基地建設を容認したものではないと明確に主張しています。東京新聞(中日新聞と共通)は、ことしが沖縄の日本復帰50年に当たることに触れて「復帰後も長らく『基地か経済か』が問われ続けてきた。そうした状況に追い込んだ責任は、安全保障の負担の多くを沖縄県民に強いてきた本土に住む私たちにもある」として、本土の「私たち」の責任にも言及しています。
 一方で、産経新聞は、渡具知氏は事実上、新基地建設を容認しているとの認識を示し、読売新聞もそうした認識をにじませています。その上で両紙とも、辺野古新基地の建設を急ぐよう求めています。朝日、毎日、東京と読売、産経とで明確に違いがあります。

 少なからず驚いたのは、産経新聞が「玉城知事や『オール沖縄』勢力は、宜野湾市民の安全確保の必要性と、沖縄がいや応なしに防衛の最前線になった事情を踏まえ、辺野古移設への反対を取り下げてもらいたい」とまで書いていることです。沖縄はいや応なしに防衛の最前線になった、だから新基地建設を受け入れよ、と迫っているのです。
 戦前、沖縄には軍事基地はありませんでした。太平洋戦争緒戦の勝利で日本軍はアジアと太平洋の広大な地域を占領しましたが、米軍の反攻でじりじりと追い詰められ、沖縄は本土防衛の最前線となりました。そうなることが避けられなくなってから、日本軍は沖縄に基地を建設し、実際に戦闘が始まると、沖縄を本土決戦への準備の時間稼ぎのための捨て石にしました。沖縄に存在する米軍基地の由来は、この「沖縄戦」にさかのぼります。こうした沖縄の現代史を思うと、沖縄の民意を代表する立場の知事に対して「沖縄がいや応なしに防衛の最前線になった」のだから「辺野古移設への反対を取り下げてもらいたい」と迫る物言いは、かつて沖縄を捨て石にした戦争指導者たちの視線と重なるようにわたしには思えます。

 以下に各紙の社説の見出しと、本文の一部を書きとめておきます。それぞれのサイトで読めるものは、リンクを張っておきます。

▼朝日新聞「名護市長選 移設容認と短絡するな」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S15183010.html

 移設に反対する市長や知事、国会議員を選んでも、県民投票で7割を超える明確なノーを示しても、歴代政権は辺野古が「唯一の選択肢」といって工事を強行し、民意を踏まえて立ち止まるそぶりもみせない。投票を通じて自らの意思を示し、代表を選ぶことに、有権者が意義を見いだせなくなれば、民主主義の土台は危うくなる。
 渡具知氏は初当選した4年前の選挙の時から、一貫して移設への賛否を明らかにしていない。他方で、移設受け入れの見返りともいえる米軍再編交付金を主な財源にした、学校給食費、保育料、子ども医療費の「三つの無償化」を実績として訴えた。移設を止められないのなら、せめて実利をと考える有権者もいたことだろう。
 移設問題が争点にならないよう、米軍基地問題に「沈黙」する市長を生み出したのは、辺野古に固執する政権とそれを支える自民、公明両党にほかならない。埋め立て予定地に軟弱地盤が見つかり、工事の先行きに不透明さが増すなか、普天間の一日も早い危険性除去という当初の目的は置き去りにされているというのにである。

▼毎日新聞「名護市長に自公系再選 移設強行の理由にならぬ」
 https://mainichi.jp/articles/20220125/ddm/005/070/110000c

 基地反対か、交付金による生活向上か。選挙を通じてこうした理不尽な選択を市民に強いたのは、ほかならぬ政府ではないか。
 秋には知事選が控える。岸田政権は沖縄振興予算の減額などで玉城知事を揺さぶり、移設容認派の知事を誕生させようとしている。
 だが、埋め立て予定海域で軟弱地盤が見つかり、状況は大きく変わった。改良のため工期は大幅に延び、普天間の返還は2030年代以降だ。政府が工事強行の根拠としてきた「一日も早い普天間の危険性除去」は見通せない。
 沖縄が本土に復帰してから、5月で50年という節目を迎える。政府は過重な基地負担を押しつけ、県民を分断してきた。岸田政権はその責任と向き合わなければならない。

▼読売新聞「名護市長再選 普天間移設の進展を着実に」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20220124-OYT1T50233/

 市長選の結果について、岸田首相は衆院予算委員会で、「引き続き市長とも連携しながら、名護市及び北部振興に取り組んでいきたい」と語った。政府は地元の要望に耳を傾け、移設への理解を広げていくことが大切である。
 玉城デニー知事は、前市議を全面的に支援した。辺野古沖で見つかった軟弱地盤をめぐり、県は昨年11月、改良工事のための設計変更を不承認とするなど、移設阻止の方針を明確にしてきた。こうした手法は見直しが迫られよう。
 与党は今回の勝利を追い風に、秋に予定される知事選にも勝利して移設を進めたい考えだ。
 辺野古移設が実現すれば、人口密集地にある普天間飛行場の危険性が除去され、跡地利用も可能になる。政府は、沖縄全体にとって利益が大きいことを粘り強く訴えていかなければならない。

▼日経新聞「苦渋の民意を受け止めたい」
 ※サイトでは有料コンテンツ

 複雑な思いを抱えた名護市民の判断だが、それは結果として、台湾海峡情勢が緊張を増すなかで、日米同盟を強固にすることにつながる。新型コロナウイルスの第6波は米軍由来を疑われ、米軍への反発が広がるなかで示された民意でもある。沖縄に負担を強いていることを心に留めておきたい。
 政府も沖縄への配慮を一段と深めるべきだ。今回の市長選の5千票余りの差は、自公両党にとって反対派が分裂した06年以来の大差での勝利になった。政府・与党は追い風と受け止めているが、慢心すれば足をすくわれよう。
 (中略)夏の参院選、秋の沖縄県知事選は全県域での選挙であり、県民のしっぺ返しはありうる。

▼産経新聞(「主張」)「名護市長選 着実な移設推進が必要だ」
 https://www.sankei.com/article/20220125-EPJXZN6Y2FIMXDH4ZUT4AEJN6Q/

 移設を事実上容認する渡具知氏が引き続き市政を担う意義は大きい。岸田政権は移設工事を着実に進めなければならない。
 (中略)在日米軍基地をどこに設けるかは、沖縄を含む日本の平和と安全に直結する。国の専権事項である安全保障政策そのものだ。憲法は地方自治体の長に、安保政策や外国政府との外交上の約束を覆す権限を与えていない。
 宜野湾市の市街地に囲まれた普天間飛行場の危険性は誰の目にも明らかだ。同時に、沖縄の米海兵隊は中国や北朝鮮を見据えた日米同盟の抑止力の要となっている。台湾有事への懸念が強まる中で、平和を守るために在沖米軍の重要性は増している。
 日米両政府は、辺野古移設が唯一の解決策だと繰り返し確認してきた。これは7日の日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)の共同発表にも盛り込まれた。
 玉城知事や「オール沖縄」勢力は、宜野湾市民の安全確保の必要性と、沖縄がいや応なしに防衛の最前線になった事情を踏まえ、辺野古移設への反対を取り下げてもらいたい。

▼東京新聞・中日新聞「名護市長再選 『辺野古容認』は早計だ」
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/156219?rct=editorial

 今年、沖縄は本土復帰から五十年の節目に当たる。今秋の知事選をはじめ、県内の自治体選挙では復帰後も長らく「基地か経済か」が問われ続けてきた。そうした状況に追い込んだ責任は、安全保障の負担の多くを沖縄県民に強いてきた本土に住む私たちにもある。
 政府には、市長選結果を辺野古容認と受け止めず、計画をいったん白紙に戻して、代替施設建設とは切り離した普天間返還を米側に提起するよう重ねて求めたい。

 

名護市長に岸田政権支援の現職再選、しかし辺野古の新基地容認ではない~「沈黙 私たちも問われている」(朝日新聞)

 沖縄県名護市長選が1月23日投開票され、現職で自民、公明両党の推薦を受けた渡具知武豊氏(60歳)が、同市辺野古の新基地建設に反対する前市議で、立憲民主や共産、社民各党などの推薦を受けた新人の岸本洋平氏(49歳)を破って再選されました。渡具知氏の得票は1万9524票。岸本氏に5085票もの差を付けての大勝でした。
 選挙の最大の焦点は辺野古の新基地建設の是非でした。しかし、渡具知氏は一貫してこの点には触れず、岸本氏との間で論点はかみ合わないままだったと報じられています。有権者の立場で考えてみれば、新基地建設にいくら反対票を投じても国が動きを止めないのなら、国から交付金を引き出した方がいい、となるのも無理はないかもしれません。公示直後の名護市の有権者を対象にした世論調査では、新基地建設の賛否に絞って尋ねれば、反対が賛成を圧倒していたことは、このブログの以前の記事でも紹介しました。渡具知氏の当選と、新基地建設に対する地元の民意は別のものと受け止めるのが妥当です。
 しかし、岸田文雄政権は渡具知氏の当選に対して、新基地建設を黙認する地元の民意が明らかになったとみなし、建設反対の真の民意を顧みることなく工事を強行しようとするでしょう。沖縄に対するそんな姿勢を岸田政権に許しているのは誰なのか。岸田政権を成り立たせていることが、沖縄の人たちから地域の自己決定権を奪うことにつながっているのではないか。そこに、辺野古の新基地建設や沖縄の過剰な基地負担に対する、日本本土に住む日本国の主権者の当事者性があります。

 選挙結果に対する沖縄タイムスと琉球新報の24日付の社説を紹介します。両紙とも、選挙結果と辺野古新基地に対する賛否の民意は別物であることを明確に指摘しています。

▽沖縄タイムス社説「[名護市長に渡具知氏再選]生活重視の流れ鮮明に」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/899382

 辺野古側の工事は進み、今から止めるのは難しい、との受け止めが有権者に広がっていたのではないか。「それならば国から交付金を引き出した方がいい」との現実的な考え方が浸透したと見て取れる結果だ。
(中略)前回市長選の後、この時も渡具知氏は辺野古の是非を語らなかったにもかかわらず、当時の菅義偉官房長官は「選挙は結果が全て」と主張した。
 有権者を対象にした本紙世論調査では、回答者の6割超が移設に否定的だった。渡具知氏の支持者も「どちらかといえば」を含め3人に1人は反対している。
 この四半世紀、辺野古を巡り名護市民は「分断」されてきた。深刻な分断を修復するためにも誠実な話し合いの必要性を今日の結果は示している。政府は玉城デニー知事が求める話し合いに応じてもらいたい。

▽琉球新報社説「渡具知名護市長再選 民意は新基地容認ではない」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1459113.html

 辺野古新基地建設反対を表明して選挙戦に臨んだ新人の岸本洋平氏が敗れたことで、名護市民が建設を容認したとはいえない。再選を果たした渡具知氏はこれまで一貫して建設の是非には踏み込まず「国と県の係争が決着を見るまではこれを見守るほかない」との立場を示してきたからだ。
 政府はこの点を十分に留意すべきである。県民投票で示された、新基地建設に反対する沖縄の民意をくみ取り、建設を直ちに中止すべきであることに変わりはない。

 名護市長選の結果は、東京発行の新聞各紙も24日付朝刊で大きく扱いました。朝日、毎日、産経の3紙が1面トップ。読売、東京両紙も本記は1面です。
 ただし、辺野古新基地との関連で選挙結果をどう位置付けるかは、各紙によってトーンに違いを感じます。
 沖縄の2紙と同じように、渡具知氏の当選と新基地建設に対する賛否の民意は別であることを指摘しているのは朝日新聞と東京新聞の2紙。朝日新聞はさらに、1面の解説記事に「沈黙 私たちも問われている」の見出しを立て、日本本土に住む「私たち」の当事者性にも踏み込んでいるのが目を引きました。朝日新聞は1面のほか総合面の「時時刻刻」、社会面でもトップで関連記事を載せ、有権者の声も紹介するなど、情報量でも他紙を圧倒しています。
 朝日、東京以外の他紙は、辺野古新基地の建設に対する民意の所在には踏み込まず、選挙結果が岸田政権に追い風になるとしています。秋の知事選への影響については、毎日新聞は1面の本記で「渡具知氏の勝利で、政府・与党は移設を更に推進する構えで、秋の知事選での県政奪還に向けても弾みがついた」と、読売新聞も「政府・与党は秋の知事選に向けて弾みをつけた」と、それぞれ強い調子で言い切っています。ただし、知事選までにはまだ時間があり、間には参院選もあります。辺野古の新基地建設に反対する玉城デニー知事が、岸田政権を相手にどのような手を打つのか。展開次第では、辺野古新基地建設の当否が参院選や知事選の最大争点になる可能性があると思います。

 以下に各紙の主な記事の見出しを書きとめておきます。

▽朝日新聞
1面トップ「辺野古『黙認』の現職再選/名護市長選 政権が支援/『オール沖縄』知事選へ痛手」
1面・視点「沈黙 私たちも問われている」
2面・時時刻刻「辺野古 かすんだ争点/政権先勝 知事選へ照準」「移設阻止 苦しい玉城氏」
社会面(27面)トップ「『進んだ4年』実績訴え/渡具知氏が再選」「岸本氏、知事との共闘届かず」
社会面「有権者は/選択肢ないなら見返りを・本土の人も、沖縄考えて」

▽毎日新聞
1面トップ「名護市長 自公系再選/渡具知氏 辺野古移設 追い風」
社会面準トップ「実績に信任 協調継続/辺野古に『沈黙』現職再選」

▽読売新聞
1面「名護市長 自公系が再選/辺野古反対派破る」
3面・スキャナー「辺野古移設 加速期待/秋の知事選へ 政権弾み」「沖縄 選挙イヤー」

▽日経新聞
2面「名護市長に与党系現職/渡具知氏再選 実績・地域振興訴え」
2面「政権、辺野古移設追い風」

▽産経新聞
1面トップ「名護市長に自公系再選/辺野古移設『地元の理解』継続/参院選へ岸田政権弾み」
1面「秋の知事選が大一番」沖縄復帰50年
2面「選挙イヤー 与党勢い/初戦で『大きな勝利』」

▽東京新聞
1面準トップ「名護市長に自公系現職/辺野古反対の新人破る」
1面・解説「新基地への『信任』とは言えず」

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黒船来航の地に残る、日本海軍を支えた「浦賀ドック」

 江戸時代末期の1853年、ペリー率いる米国の東インド艦隊の艦船4隻が浦賀に来航しました。日本になかった蒸気船は「黒船」と呼ばれました。江戸幕府は開国を与儀なくされ、さらには武家政権の終焉と明治維新に至ります。15年後の1868年のことです。「黒船来航」は、近代国家日本の幕開けの大きな出来事として、歴史の教科書に載っています。
 浦賀にはペリー来航後、幕府によって造船所が作られました。明治期に閉鎖されますが、1897(明治30)年、民間造船会社である「浦賀船渠」が設立されました。2年後にはレンガ作りのドライドックが竣工。旧海軍とつながりが深く、特に駆逐艦を数多く送り出しました。敗戦後も造船所の操業は続きましたが2003年に閉鎖。最後に作ったのは海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」でした。
 そうした明治以来の歴史を持つ近代産業史跡の「浦賀ドック」を昨年12月、見学する機会がありました。

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 浦賀は神奈川県横須賀市に属しています。京浜急行本線の終点、浦賀駅を出ると細長い入り江が東京湾に続いています。その最奥部、浦賀駅に面するように浦賀船渠の後身、住友重機械工業浦賀工場の跡地が広がります。
 浦賀船渠は戦後、浦賀重工業に社名を変更した後、1969年に住友機械工業と合併して住友重機械工業となりました。2003年の閉鎖までに、浦賀で製造したり修理したりした艦船は1000隻以上に上るとのことです。昨2021年にレンガドックを含む敷地の一部、約2万7000平方メートルが横須賀市に寄付されました。「浦賀」は黒船来航の地として高い知名度を持っており、市はレンガドックを保存して観光拠点として整備する構想を持っています。そのためのデータ収集の意味合いもあるのだと思いますが、昨年10月からことし1月23日まで、レンガドックが一般公開されました。

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 わたしが訪ねたのは昨年12月中旬でした。工場の建物や、レンガドックの脇にあった2基のクレーンのうち大型クレーンは老朽化に伴い撤去されていましたが、第2次大戦末期の1945年6月に設置された小型のクレーンは残っていました。
 地上からドックを眺めるだけなら無料でしたが、せっかくの機会でしたので有料のガイドツアーに参加して、ドックの底部まで降りてみました。
 ※この記事で紹介している「浦賀ドック」の概要や歴史は、このときのガイドさんの説明や、現地で購入した「浦賀ドック オフィシャルガイドブック」に拠っています

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 日本で築造された初期のドライドックはほとんどが石造りだそうです。材質が固く、耐久性に優れているのですが、難点は費用がかかること。石に比べるとレンガは安価でしたが、それがレンガ造りにした理由なのかどうかはよく分かっていないとのことです。ただし浦賀でも、作業員が歩く通路部分はレンガの上に石を積んで、耐久性を持たせていました。ちなみに明治期、日本海軍の一大拠点が置かれた軍事都市、横須賀市内には、今も多くのレンガ構造物が残っています。
 創業時のレンガドックは全長約144メートル、幅28.2メートル、深さは8.2メートルでした。戦後、何度か拡張を重ねます。全長は約180メートルに、深さは約10メートルになりました。底部の一部はさらに掘り下げられ、船底にソナーの出っ張りを備えた護衛艦などの入渠も可能にしました。船底に近い両舷に横揺れ防止のフィンをつけた船も扱うことから、ドックの真ん中付近の左右の壁面を一部削る改造も行われました。

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 ガイドさんの後に付いて、深さ10メートルのドック底部まで降りてみました。地上見上げるような高さです。一般のビルで言えば3~4階に相当するでしょうか。ドックの大きさを実感しました。この造船所では戦前、青函連絡船の船舶や民間の船舶とともに、海軍の駆逐艦が数多く建造されました。ドライドックにも海軍の艦艇が入渠し、修理などが行われていたのかもしれません。日本の軍事力を支えた施設の跡地に立って、かつて日本が戦争をする国であったことに思いをはせました。

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 黒船来航の地である浦賀が、軍需工場の町でもあることを知ったのは、米内光政や山本五十六ら日本海軍の提督を取り上げた故阿川弘之さんの一連の伝記小説を読んでのことです。
 日米開戦時に日本海軍の作戦部隊トップ、連合艦隊司令長官だった山本五十六の海軍兵学校の同期生に、首席で卒業した堀悌吉という軍人がいました。山本とは早くから盟友であり、かつては山本以上に将来を嘱望された逸材でした。しかし、米英との軍縮条約を是とする条約派として、軍縮に反対していた艦隊派との海軍内の抗争に巻き込まれる形で1934年、中将の時に予備役に編入され、キャリアを断たれました。51歳でした。
 その堀は日米開戦の年、1941年に浦賀船渠の社長に就いていました。山本は駐在武官の経験もあって米国の国力をよく知っており、日米戦で日本が最終的に勝利を収めることは不可能だったことは分かっていたはずというのが定説です。盟友であった堀も同じ考えだったのではないかと思います。山本は1943年4月、南方の前線を視察中に、日本軍の暗号電報を解読した米軍によって搭乗機が攻撃を受け戦死しました。その報に接した堀が、この戦争はもうだめではないか、という趣旨のことを口にして嘆いた、とのくだりが阿川さんの小説にありました。
 信頼する山本が指揮を執っていればこそ、どこかで米国を相手に講和に持ち込むことも期待できたかもしれないが、もはや破滅の道を進むしかないのではないか―。堀の嘆きとはそんなことではなかったかと想像しています。その「堀悌吉」の名前とともに、「浦賀」の地名はわたしの頭にありました。

 敗戦後、日本は現行憲法の下で「不戦」を国是として復興を果たしました。戦争の時代も、復興と平和の時代も、浦賀では変わらず船が作られ続けていました。目を閉じて、往時の造船所の労働者たちの息遣いを想像しました。わたしにとっては、戦争と平和を考える場所になりました。

【参考】
・「浦賀レンガドック」
  https://www.wakuwaku-yokosuka.jp/uragarengadock.php
・ウイキペディア「浦賀船渠」
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E8%B3%80%E8%88%B9%E6%B8%A0
・ウイキペディア「堀悌吉」
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E6%82%8C%E5%90%89

 

※追記 2022年1月24日22時20分

・「黒船来航の地に残る近代造船の史跡『浦賀ドック』」から改題しました。

・堀悌吉は山本五十六肉筆の「述志」を戦後も手元に残していました。対米開戦日の1941年12月8日付の便せん2枚と、山本が海軍次官時代の39年5月31日付の同3枚です。堀の出身地である大分県の県立先哲史料館(大分市)に保存されているようです。一般に公開される機会があれば見てみたいと思います。 

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